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最前線の子育て論byはやし浩司
(2009年 9月14日〜)

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(090914)(7)最前線の子育て論byはやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(090915)

【ズル賢い人】

++++++++++++++

ズル賢い人は、多い。
小ズルイというか、一事が万事。
万事が一事。
ズルいという点で、あらゆることに
つながっている。
一貫性がある。

ズル賢い人は、意識的にそれをするという
というよりは、ごく自然な形で、それをする。
ズル賢く生きることが、その人の生き様に
なっている。
その手口を並べてみた。

++++++++++++++

●同情したフリして悪口を言う
「あの人はかわいそうですね。今度息子さんが事件を起こして、高校を退学に
なりました」などと、さも同情しているようなフリをして、その人の悪口を言いふらす。
ときに涙声になることもあるが、もちろん本物の涙は、一滴も出ない。
「本当は言いたくないのですが……」とか、「私はどちらでもいいと思っているので
すが……」とかいうような言い方も、よくする。

●小悪をバラして大悪を隠す
「こんなものが落ちていました」といって、どうでもよいようなものを届け出て、
その一方で、価値あるものを、自分のものにしたりする。あるいはささいな
失敗を告白して、さも自分は正直ということを、相手に売り込んだりする。
あらかじめ価値のないことを承知の上で、「こんなものがありました。価値を
調べていただけませんか」などと、どうでもよいようなものを、相手に渡すことも
ある。

●間に入って、たがいをモマす(トラブルを増幅させる)
「あの人がこう言っていましたよ」と、告げ口をしながら、あなたとその人の間に
トラブルを起こす。モメゴトを大きくする。そして自分は一歩退いたところから、
それを楽しむ。

●他人の目を気にして善行を見せびらかす
行為がわざとらしく、演技ぽい。不自然。病気の人を見舞ったりしながら、ことさら
おおげさに看病してみせるなど。「私はよくできた人間です」というような演技が
うまい。看病をしながら、「私は、近所の老人宅を回って、世話をしてあげているので
すよ」などと言ったりする。年季が入っているため、ふつうの人には、それが見抜けな
い。

●軽い会話に混ぜて承諾を得る
ペラペラと軽い会話をしながら、その間に、重要な会話を混ぜる。あとになって、
「あなたはOKと言ったはず」と、それを根拠にして、ものをいう。全体に口が
うまい。お世辞、へつらいもうまい。

●拡大解釈、縮小解釈がうまい
相手が言ったことを適当に拡大解釈したり、縮小解釈したりするのが、うまい。
つまり自分のよいように、相手の言葉を解釈し、相手に抗議されないようにする。
軽い気持ちで、「いいよ」などと言おうものなら、それをどんどんと拡大解釈して
しまう。

●その場だけをうまく言い逃れる
 「1週間だけお願いします」などと最初は言ったりする。で、その1週間が過ぎる
  ころになると、事情が少し変わったことなどを理由にして、そのままの状態を
  つづける。約束は守らない。もちろん自分の言った言葉に、責任を取らない。
  
●トボけてその場をごまかす
自分に都合の悪いことがあると、最後はとぼけてすます。忘れたフリ、聞かなかった
フリをするのもうまい。さらに追及したりすると、ギャーギャーと泣き叫んだりして、
その場をごまかす。何かまずいことがあると、とりつくろい、ウソ、弁解を平気でする。

●言いにくいことは他人に言わす
相手に相槌を打たせて、今度はその人の言ったこととして、ほかの人に話を伝える。
「〜〜さんが、こう言っていましたよ」とか、など。だからこのタイプの人には、
安易に相槌を打ってはいけない。あなたが「私も、そう思います」などとでも言おう
ものなら、今度はそれを、あなたの言った言葉として他人に伝えてしまう。

●苦労話をしながら恩を着せる
「〜〜してやった」「〜〜で苦労した」と言いながら、相手に恩を着せる。「私は、
〜〜のことで、どれだけ苦労したかわからない」というような言い方をする。
自分の子どもに対しては、「産んでやった」「育ててやった」を、決まり文句にする。
会ったとたん、「あなたの家のゴミが、近所に散らかっていたので、掃除をしておきました」など
と言ったりする。

●他人をほめて相手に要求する
「義弟はすばらしい。毎年、年末になると、〜〜を送ってきてくれる」と言いながら、
言外で、相手に同じことをするよう要求したりする。このばあいも、義弟をほめる
という手段を使いながら、自分はそうされるにふさわしい人間であることを、言外に
におわす。「あのMさんは、すばらしい。毎年、冬になると、海産物を送ってくれる」
とかなど。

●先手を打って相手の言葉をつぶす
相手が願っていることを、先に言ってつぶす。「うちは貧乏で、このところ内職も
減りました」と先に言うことで、自分への負担を軽くしようとする。以前、こんな
ことを言った人がいた。みなで飲み食いが終わるころのこと。「悪いが、ビール代だけでも、私
に払わせてほしい」と。

●事実にまぜてウソをつく
ズル賢い人の常套手段。1、2度、ボランティア活動をしただけなのに、それをもとに、
「毎週のように駆り出されて苦労しています」などと言う。あるいは1度しかして
いないボランティア活動を、角度を変えて、いろいろな話に仕立てる、など。そういう話術にたけ
ている。

 ズル賢い人は、もともと小心で臆病。その上卑怯で、他人の批判、批評を許さない。
いつも人の目を盗んで、こまかい計算を重ねる。

で、こういうズル賢い人が近くにいたら、遠ざかること。
「いろいろな人と仲よくするのはいいこと」と言う人もいるが、ことズル賢い人に関して
言えば、遠ざかったほうがよい。
何かアクションがあっても、相手にしないこと。
反応したとたん、逆に利用されてしまう。
もともと口がうまいから、反感を買うと、今度はあなたの悪口が言いふらされる。
つきあっても、得るものは何もないばかりか、あなた自身も、その毒気に染まってしまう。

つまり人は、善人になるのは、難しい。
しかし悪人になるのは、簡単。
山登りに似ている。

 上り坂は苦しいが、下り坂は楽。
私も一時期、そのズル賢い人と、親密につきあったことがある。
が、おかしなもので、そのときはその人が、ズル賢いということがわからない。
が、離れてみて、はじめて、それがわかる。
同時に、そのときの自分も、いかにズル賢かったかがわかる。
だから遠ざかるのがよい。

 中には、ズル賢いことを自慢する人もいる。
あるいは自分の妻がズル賢いことを、自慢する夫さえいる。
「うちのカミさんは、値段を値切るのがうまいよ」とか、何とか。

(はやし浩司 ずるい人 ずる賢い人 小ずるい人 ずるい人間 ズルイ人間 ズルい人
ズル賢い 不誠実な人 はやし浩司 不誠実)

(補記)

●なぜ人はズル賢くなるか?

 ズル賢い人を傍から観察してみると、第一に哲学のなさを感ずる。
一貫した哲学がない。
「一貫した」というよりは、「哲学の連続性」がない。
ものの考え方が享楽的で、その場その場で、哲学らしきものが、変化する。
もっと言えば、状況、あるいは相手に応じて、生きざまそのものが変化する。
金権教、あるいは親絶対教の信者であったりする。
ある女性(65歳くらい)は、何をどう誤解したか知らないが、私との会話の
中で、思わず、こう口走ったことがある。
「そんなことをしたら、貯金が減ってしまう」と。
たいていは金銭的な欲得感に支配され、その中でますますズル賢くなっていく。

が、それよりも気になるのは、自分で考える脳みそをもっていないこと。

 ときに「ハッ」とするようなことを口にするが、たいていはだれかの受け売りに
すぎない。
少しでも自分の脳みそで考える習慣が身についていたら、ズル賢いことを、恥じるはず。
一見、利発だが、心に余裕がなく、小さな世界で動き回っているだけ。
その(狭小さ)が、それを見る者を不愉快にする。
 

Hiroshi Hayashi+++++++Sep 09+++++++はやし浩司

●法事論

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今度、私自身が法事を執り行う立場になって、こんな
ことを知った。
「親の法事をしっかりとする人は、人格者である」という
考え方をする人が、意外と多いということ。
「親の法事もしないようなヤツは、子ども失格だね」と
言った人もいた。

私は、率直に告白するが、仏教式の法事には、意味を
認めない。
私の祖父も父も、墓参りをしたのを見たことがない。
(母は、ほとんど毎日、寺に足しげく通っていたが……。)
祖父や父が、仏壇に向かって、手を合わせている姿さえ、
記憶にない。
そういう私が、どうして、今、法事なのか?

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●法事

 宗派にもよる。
寺にもよる。
住職にもよる。
しかし全体としてみると、日本の仏教は、カルト化している。
この問題に決着をつけないかぎり、日本の仏教には、明日はない。
現に若い人たちを中心に、仏教離れが急速に進んでいる。
法事にしても、おそらく、我が家に関していえば、私の代で最後になる。
長男はしないだろうし、二男は、クリスチャン。
三男は遠くに住んでいるし、考え方もちがう。
私の教育が悪かったのか。
3人とも、先祖の墓参りをしたことなど、数えるほどもない。

 一方、私もワイフも、息子たちには、何も期待していない。
一応仏教徒ということになっているが、法事をしてくれなくても、一向に気にしない。
遺骨にしても、散骨でも何でもよい。
気が向いたときに、気が向いたように処分してくれればよい。
むしろ「法事など、するな」と遺言を残している。
「そんなヒマがあるなら、自分を磨け!」と。

●人それぞれ

 信仰は教えに従ってするもの。
先にも書いたが、その(教え)をきちんとしている宗派もある。
寺もある。
住職もいる。

 しかし今は、そのほとんどが儀式化し、宗教そのものが形骸化している。
本来、人々の魂の救済が目的である信仰が、金儲けの道具として利用されている。
それがだれの目にも、わかるようになっている。

 で、その反動というわけでもないだろうが、おかしな占星術や、占い、カルトが
勢力を伸ばしている。
スピリチュアル(霊)・ブームもそのひとつ。
人々が、もともと救いにならないものを救いと思い込んで、右往左往している。
こうした愚劣な社会現象を引き起こしているのも、宗教、なかんずく仏教の責任と
考えてよい。

 先頭に立って、そうした社会現象と戦うべき宗教が、だんまりを決め込んでいる。

 で、私はある高校生(高1女子)に、こう聞いてみた。
「仏教をどう思うか?」と。
するとその高校生(女子)は、こう言った。
「仏教というと、古臭い感じがする」と。

 今、古美術が、ボトム(最悪)状態にある。
古銭、古切手、古物が、二束三文どころか、むしろ引き取り料を請求されるほど、
売買が低迷している。
私の印象では、仏教も、同じ(流れ)の中にある。
現在は、その過渡期ということになるが、そのあとのことは、私にもわからない。
再び仏教ブームが来るのか。
それとも仏教は、このまま衰退していくのか。

 しかしこれだけは言える。
それを大切な行事と思っている人は、それを大切にすればよい。
人、それぞれ。
私は干渉しない。
が、世の中には、そうした行事に意味を感じない人もいる。
いるが、だからといって、そういう人を、批判したり、「おかしい」という
レッテルを張るのは、やめてほしい。
自分の頭で考えて、そう言うのならまだしも、そうでないなら、やめてほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 B
W はやし浩司 日本の仏教 法事)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

●9月15日

●民主党政権(Our Next Cabinet of Japan)

 「民主党の勝ちすぎ」という意見が、ネットをにぎわしている。
その一方で、AS首相(現在、まだ首相)が、「就任直後に選挙をしていたら、こんな
ベタ負けはしていなかったはず」と、おかしなことを言っている。

 自民党がここまでベタまけしたのは、AS首相、彼自身に原因がある。
「AS首相だけには、勝たせたくない」という民衆の思いが、民主党の大勝利への
原動力となった。

 で、たしかに民主党の勝ちすぎ。
その反動はやがて現れてくるはず。
現在、民主党は、HT代表が「代表」なのか、OZ氏が「代表」なのか、よくわからない。
「権力の二重構造」という言葉が、よく使われる。
HT代表は、OZ氏に対してだけは、敬語を使っている。
何か、おかしい?

 
●今、「反米」は、たいへんまずい!(Why now "Anti-US Policy"?)
I can understand the Minsyu-Party (Democratic Party) dislikes USA, but why now "Anti-
USA Foreign Policy"? We need USA and we do not need China for our safeties of Japan. 
We don't have to open the back-door for a big lion, which wants to go away from Japan 
now. Or why do we dare to do so now?)

 民主党政権は、かねてより、「対米追従外交」に強く反対している。
首相顧問になった、TJ氏(私の三井物産時代の同僚)も、たびたび「対米追従外交」に
反対の論文を発表している。

 しかし、今は、ま・ず・い!

 親アジア、新中国も結構だが、まだそこまで時期が熟していない。
同時に、今、日本がアメリカに見放されたら、この先日本はどうやって国際外交を
展開していくつもりなのか。
すでにボスワースは、かねての予想通り、米朝直接交渉に動き出している。
もし米朝間で、「友好条約」(名称は何でも構わない)のようなものが結ばれたら、
日本はそのときこそ、万事休す。

 日本は単独で、あのK国と対峙しなければならない。
アメリカの軍事力という後ろ盾を失う。
すでにK国は、中国を介して、戦後補償費を日本に打診してきている。
その額、驚くことなかれ、100兆円!
「払え! さもなければ戦争!」と、K国はしかけてくるはず。
そのとき日本は、どうするのか?

 あえて日本側から、「反米」を唱えなくても、すでにアメリカは、日本を見捨てている。
こちらが「あなたが好きではありません」と言う前に、相手は、日本を見捨てている。
だったら、なぜ今、あえて火に油を注ぐようなことをするのか?
逃げようとしているライオンに、どうして裏門を開けてやるようなことをするのか?

 鳩山外交の道筋がまだ見えてこないが、ここは慎重に!
「対米追従外交反対」を唱えるのは、K国が崩壊したあと。
今日本にとって重要なことは、ただの一発でも、K国のミサイルを、日本に
落とさせないこと。
もしそれでも「対米追従外交反対」を唱えるなら、日本中に、核シヘルターを用意し、
日本の子どもたち全員に防毒マスクを用意してからにしたらよい。

 今の日本は、丸裸以上に丸裸。
鉄道や道路を使って、戦車や大砲の移動もままならない。
仮に一発でも、東京の中心に、ミサイル(核、生物、化学)が落とされたら、それだけで
日本の経済は、奈落の底へと叩き落とされる。
勇ましい好戦論にまどわされてはいけない。

 政治、なかんずく国際政治は、(現実)が基本。
現実だけを見て、考える。
「卑怯だ」「おく病だ」と言われても、気にしてはいけない。
とくに戦争は、始めるのは簡単。
終えるのは、その100倍も、むずかしい。
今のイラク、アフガニスタンを見れば、それがわかるはず。

 「反米親中」も結構だが、何も今、あえて「反米」を唱えなければならない理由は、
どこにもない!
頭を冷やせ、民主党!
頭を冷やせ、TJ氏!
私のことを覚えているか?
あなたは私のうしろの席にいて、よくいっしょに社内の英会話研修に通った。
あのときの「林」が、私だ。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

●古里

++++++++++++++++++

古里と決別して、2週間が過ぎた。
心静かな日。
穏やかな日。
今は、記憶という電車に、
ゆらゆらと揺られて
ぼんやりと乗っている。

古里は日に日に遠ざかり、
昔の風景が、窓の外を流れる。
そこに60年という歳月があるはずなのに、
その厚みが、まるでない。
ぼんやりとした、陽炎(かげろう)のよう。
「だれのことだったのか?」
「本当に私のことだったのか?」

父が酒を飲んで暴れたこと。
学校から家に帰るのがいやで、
道草を食いながら、遊んで帰ったこと。

その一方で、祖父に手をつながれ、
夜祭の道を歩いたこと。
川で、みなと、泳いだこと。
そういった思い出が、つながりなく、
窓の外を流れていく。

すべてが終わった。
今ごろはあの家には、私の見知らぬ人が
出入りしているはず。
あの部屋、あの土間、あの階段。
父もいない。
母もいない。
祖父母もいない。

みんな、そのときは懸命に生きていた。
日々に新しいドラマを作り、
しゃべったり、笑ったりしながら生きていた。
それが、あとへあとへと、
どんどんと消えていく。
闇の中へと、どんどんと消えていく。

さみしい?
切ない?
しかしそれ以上に、私は今、解放感に
浸っている。
「家」から解放された、解放感。
心の鎖がはずされた、解放感。
そう、この軽快感。

いったい、あの家は何だったのか?
みなが懸命に守ろうとしていたものは、
何だったのか?

窓の外には、ぼんやりとした景色が
つぎつぎと現れては、また消える。
今はその景色を追いかける気力も弱い。
疲れた体をシートに沈め、
静かに心を休める。

そのうちこの電車も、どこかの駅に
着くだろう。
着いたら、そこで降りて、
またゆっくりと考えよう。

++++++++++++++++++

【思い込み論】

●200本のヒット数

 アメリカのイチローが、9年連続で、200本のヒット数を記録したという。
その瞬間、試合を見ていた人たちは、総立ちになって、イチローを祝福したという。
「すばらしい」と書きたいが、ふと意地悪な心が顔を出す。

 これは何も野球にかぎらないことだが、「たかが(失礼!)、棒で、ボールを叩いただけ
ではないか?」と。
「ひょっとしたら、私たちは、それをすばらしいことと思い込んでいるだけでは
ないのか?」と。

 こんなことを書けば、この日本では、私のほうが袋叩きにある。
それはよくわかっている。
それに私は何も、イチローを批判しているわけではない。
「野球がつまらない」と書いているのでもない。
私自身、イチローのファンである。
先の日米戦では、私も、涙を流してイチローの活躍に感動した。

 私が書きたいのは、その先。
つまり「思い込みについて」。

●思い込み

(思い込み)は、どんな世界にもある。
たとえば、「今、私はここに生きている」という(思い)ですら、(思い込み)
でしかない。
この光と分子の織りなす世界で、私は私と思っている。
本当は、私など、どこにもない。
脳みその中を行き交う、無数の信号。
その中で、私は私と思っているだけ。

 それがわからなければ、あなた自身の手を見つめてみることだ。
「どうしてこれが私の手なのか?」と。
あなたは爪ひとつ、自分で作ったわけではない。
あなたの意思の命令によって指は動くかもしれないが、その指にしても、
あなたが自分で作ったわけではない。
「私の手」「私の指」と、あなたがそう思い込んでいるだけ。

が、(思い込み)が悪いわけではない。
人は、ものごとを思い込むことによって、それに価値を付加する。
野球にかぎらず、サッカーにしてもそうだ。

 たかが(失礼!)、ボールの蹴りあいなのに、選手たちは、そこに命をかける。
観客もかける。
そうしたエネルギーの原点になっているのが、(思い込み)。
その(思い込み)が、人生を楽しくしている。

●たまごっち

 こうした(思い込み)のプロセスは、子どもの世界をのぞいてみると、よくわかる。
たとえば1990年の終わりごろ、(たまごっち)というゲームが、大流行した。

 小さなゲーム機器で、その中で、子どもたちは夢中になって、電子の生き物(?)を
飼育した。
そんなある日のこと。
1人の女の子(小学生)が、そのゲームをしていた。
で、私がそれを借りて、あちこちをいじっていたら、その生き物(?)が、死んで
しまった(?)。
それを知って、その女の子は、「先生が、殺しちゃったア!」と、大泣きした。

 私は「これはゲームだよ」「死んではいないよ」「ごめんね」と何度も言ったが、
最後までその女の子は、私を許してくれなかった。

 当時も、そして今も、こうした(思い込み)は、いたるところにある。
子どもの世界だけではない。
おとなの世界にもある。
私たちは、そうした(思い込み)の中で、生きている。

●論理

 しかし(思い込み)には、いつもブレーキをかけなければならない。
(思い込み)だけで生きていると、それこそとんでもない世界に迷い込んでしまう。
占星術だの、心霊現象だの、などなど。
「カルト」と呼ばれる、狂信的な宗教団体を例にあげるまでもない。

そのブレーキの働きをするのが、「論理」ということになる。
映画『スタートレック』の中のミスタースポックの説くところの、
「ロジック(論理)」である。

野球を楽しむにしても、サッカーを楽しむにしても、ある(範囲)で楽しむ。
けっして、それをすべてと錯覚してはいけない。
錯覚したとたん、自分を見失う。
先にあげた、たまごっちを殺したと泣き叫んだ女の子も、その1人ということになる。

●世にも不思議な留学記

 が、こうした(思い込み)は、いたるところにある。
私たちの仕事にしてもそうだ。
私たちはときとして、大切でないものを、大切なものと思い込んだり、
価値のないものを、価値あるものと思い込んだりする。

それだけですめばまだよい。
その一方で、大切なものを、大切でないと思い込んでしまうかもしれない。
価値のあるものを、価値のないものと思い込んでしまうかもしれない。
それがこわい。

それについて書いたのが、つぎの原稿である。
『世にも不思議な留学記』というのがそれ(中日新聞発表済み)。
(http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page195.html)

++++++++++++++

イソロクはアジアの英雄だった【2】

●自由とは「自らに由る」こと

 オ−ストラリアには本物の自由があった。自由とは、「自らに由(よ)る」という意味だ。こんな
ことがあった。

 夏の暑い日のことだった。ハウスの連中が水合戦をしようということになった。で、一人、2、
3ドルずつ集めた。消防用の水栓をあけると、20ドルの罰金ということになっていた。で、私た
ちがそのお金を、ハウスの受け付けへもっていくと、窓口の女性は、笑いながら、黙ってそれを
受け取ってくれた。

 消防用の水の水圧は、水道の比ではない。まともにくらうと学生でも、体が数メ−トルは吹っ
飛ぶ。私たちはその水合戦を、消防自動車が飛んで来るまで楽しんだ。またこんなこともあっ
た。

 一応ハウスは、女性禁制だった。が、誰もそんなことなど守らない。友人のロスもその朝、ガ
−ルフレンドと一緒だった。そこで私たちは、窓とドアから一斉に彼の部屋に飛び込み、ベッド
ごと2人を運び出した。運びだして、ハウスの裏にある公園のまん中まで運んだ。公園といって
も、地平線がはるかかなたに見えるほど、広い。

 ロスたちはベッドの上でワーワー叫んでいたが、私たちは無視した。あとで振りかえると、2人
は互いの体をシーツでくるんで、公園を走っていた。それを見て、私たちは笑った。公園にいた
人たちも笑った。そしてロスたちも笑った。風に舞うシーツが、やたらと白かった。

●「外交官はブタの仕事」

 そしてある日。友人の部屋でお茶を飲んでいると、私は外務省からの手紙をみつけた。許可
をもらって読むと、「君を外交官にしたいから、面接に来るように」と。そこで私が「おめでとう」と
言うと、彼はその手紙をそのままごみ箱へポイと捨ててしまった。「ブタの仕事だ。アメリカやイ
ギリスなら行きたいが、99%の国へは行きたくない」と。彼は「ブタ」という言葉を使った。

 あの国はもともと移民国家。「外国へ出る」という意識そのものが、日本人のそれとはまったく
ちがっていた。同じ公務の仕事というなら、オーストラリア国内のほうがよい、と考えていたよう
だ。また別の日。

  フィリッピンからの留学生が来て、こう言った。「君は日本へ帰ったら、軍隊に入るのか」と。
「今、日本では軍隊はあまり人気がない」と答えると、「イソロク(山本五十六)の、伝統ある軍
隊になぜ入らない」と、やんやの非難。当時のフィリッピンは、マルコス政権下。軍人になること
イコ−ル、出世を意味していた。

 マニラ郊外にマカティと呼ばれる特別居住区があった。軍人の場合、下から二階級昇進する
だけで、そのマカティに、家つき、運転手つきの車があてがわれた。またイソロクは、「白人と対
等に戦った最初のアジア人」ということで、アジアの学生の間では英雄だった。これには驚いた
が、事実は事実だ。日本以外のアジアの国々は、欧米各国の植民地になったという暗い歴史
がある。

 そして私の番。ある日、一番仲のよかった友だちが、私にこう言った。「ヒロシ、もうそんなこと
言うのはよせ。ここでは、日本人の商社マンは軽蔑されている」と。私はことあるごとに、日本
へ帰ったら、M物産という会社に入社することになっていると、言っていた。ほかに自慢するも
のがなかった。が、国変われば、当然、価値観もちがう。

 私たち戦後生まれの団塊の世代は、就職といえば、迷わず、商社マンや銀行マンの道を選
んだ。それが学生として、最良の道だと信じていた。しかしそういう価値観とて、国策の中でつく
られたものだった。私は、それを思い知らされた。

 時、まさしく日本は、高度成長へのまっただ中へと、ばく進していた。

●作られる職業観

 私はこの中で、私たちがもっている職業観すら、そのときどきの体制の中で作られる
ということを書きたかった。
軍事国家では、軍人になること。
経済国家では、経済人になること。

が、もちろんだからといって、そうした仕事がつまらないとか、意味がないとか、そんな
ことを書いているのではない。
私たちには、私たちの(思い込み)があった。
その(思い込み)によって、動かされた。
それをわかってもらいたくて、この原稿を抜き出してみた。

●問いかける

 こうした(思い込み)と闘うには、つねに、自分に問いかけてみること。
意味のあるもの・ないもの。
価値のあるもの・ないもの、と。
この問いかけが、やがて論理へとつながっていく。

 簡単な方法としては、「だから、それがどうしたの?」と問いかけてみるという
方法がある。
レストランで食事をした……だから、それがどうしたの?
電車で旅行をした……だから、それがどうしたの?
前からほしいと思っていたものを買った……だから、それがどうしたの?、と。

 私がそれをいちばん強く感じたのは、大学の同窓生たちの会話を聞いたときのこと
だった。
今からもう30年以上も前のことである。
そのときすでに私は今で言う、フリーターをしていた。

A君(A銀行勤務)「君んとこは、35歳で課長か? いいなア」
B君(B銀行勤務)「君んとこは、何歳だ?」
A君「うちは、早くても、40歳にならないと、課長職には就けないよ」
B君「40歳かア……。遅いなア……。君んとこは、都市銀行だからなア」と。

 私はその会話を横で聞きながら、「だから、それがどうしたの?」と考えていた。
彼らとて、日本の高度成長経済の中で、踊らされているだけ。
私はそう感じた。

 その結果として今の日本があることは認めるが、同時に、その結果として、今の
彼らもある。
A君も、B君も、ともに50歳を過ぎるころには、リストラされ、さらに60歳を
過ぎた今、リストラ先でも、退職期を迎えつつある。

●脳の欠陥

 こうした(思い込み)が起きる背景には、脳そのもの中に、欠陥があるためと
考えてよい。
たとえば今、同時に2つの問題が起きたとする。
わかりやすい例としては、(地球温暖化)と(相続問題)の2つを考えてみよう。

 こういうとき人は、脳の中で、問題の軽重、大小を的確に判断できない。
より身近な問題を、重く、大きな問題として、とらえてしまう。

 またひとつの問題が起きると、それによって脳内ホルモンが脳全体を満たし、
それがほかの問題にまで、影響を与える。
俗にいう『八つ当たり』という現象も、これによって説明される。

 このことは、うつ病を患っている人の思考形態を観察してみると、よくわかる。
ささいな問題にこだわり、悶々と悩む。
悩むだけならまだしも、それが思考全般に影響を与える。

 もちろんその反対の例もある。
イチローが200本目を打ったと聞いたときは、心も晴れ晴れとする。
気分もよくなり、「今日は、何かいいことが起きそうだ」と思ったりする。
これもつきつめれば、脳の欠陥による現象のひとつとも、考えられなくはない。

 そこで問いかけてみる。
「だから、それがどうしたの?」と。
意地悪な見方かもしれないが、それがよきにつけ、悪しきにつけ、私たちを
(思い込み)から守る。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 
林浩司 BW はやし浩司 思い込み こだわり 錯覚)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

●9月16日(情報格差)(The Second Industrial Revolution)

++++++++++++++++

昨日、ルーム・ウォーカー(ランナー)を
ネットで注文した。
ネットショップで注文すると、電気店で買うよりも、
1〜2割、安く買うことができる。
在庫があれば、即、配送してくれる。

それが今日中には、届くはず。
今日は、それが楽しみ。
これからは家の中にいて、散歩できる(?)。

++++++++++++++++

●ネット販売の時代

 少し古い資料で恐縮だが、5年前ですら、ネットの広告販売高は、年間33%前後の
伸びを見せていた。

(eNネット)は、つぎのように書いている。

『米国におけるネット広告の業界団体Interactive Advertising Bureau (IAB)が、
4月28日発表した統計によると、2004年のインターネット広告販売高は前年比
33%増の96億ドルとなり、ドットコムブーム期の2000年を超える規模となった』と。

 昨年(08年)には、この日本でも、デパートやショッピングセンター、商店街での
売上高よりも、ネットを通しての販売高のほうが高くなったと聞いている。
たとえばあの丸井も、ネット販売を始めたが、「2007年3月期の50億円に対して、
2009年3月期は3倍の150億円。今3月期は200億円の計画」という。

 数字を見るかぎり、年々、倍々で販売高がふえているのがわかる。
つまりその分だけ、店で直接ものを買う客が減っているということ。

●ネットショップ

 私も今回、ネットで、ルーム・ウォーカーを購入してみた。
簡単な登録するだけで、OK。
送料は無料。
値段を比較してみる。

J店内にあるC店(大型電気店)……10万9800円
最近できたK(大型電気店)  ……12万9800円
ネット大手の、A・CO    …… 9万0800円(+代引手数料など約500円)

 値段を見ただけで、もう決まり。
近くの店で買うよりも、4万円近くも安い!
というより、店は、ただの陳列場。
客はそこで商品を見て、試しに使ってみる。
それをネットを通して、注文する。

 一方、ネットショップは、店舗を構える必要がない分だけ、商品を安く売ることが
できる。
今ではそうしたネットショップが、都会の中心部にあるのではなく、長野県の山の中に
あったりする。
巨大な倉庫を構え、そこを拠点に、商品をネットで販売している!

●情報格差

 そんなわけで、インターネットを使っている人と、使っていない人の間で、
大きな格差が生まれてくる。
インターネットをうまく使っている人は、より多くの情報を手に入れ、ものを買うとき
なども、より安く買うことができる。
一方、そうでない人は、そうでない。
それが(格差)となる。
称して「情報格差」。

 今後、この情報格差は、拡大することはあっても、その反対はない。
ということは、これからは、インターネットをしていない高齢者は、ますます不利になる。
「不利」といっても、はっきりと目に見える不利ではないため、ことはやっかい。
「インターネットなど、なければないで、一向に困らない」と豪語する(?)人も
少なくない。
私の年齢以上の人に、そういう人が多い。

で、問題は、こうした高齢者たちを、どうフォローしていくかということ。
インターネットというより、パソコンという文明の利器は、使いこなせるようになるまで
が、たいへん。
その上での、インターネットである。

 が、どうしようかと考えたところで、思考停止。
この問題だけは、本人がその気にならないかぎり、どうしようもない。
仮に……ということで、私の義兄(70歳代)たちを思い浮かべてみるが、キーボードを
叩くことにさえ、拒絶反応を示す。
最近も、こんなことがあった。

●「パソコンが動かない!」

 ある女性(40歳)から電話がかかってきた。
「パソコンが動かないから、助けてほしい」と。

 で、出かけてみると、新しくノートパソコンが、そこにあった。
(その横には、それよりも1、2年古いタイプのデスクトップパソコンが置いてあった。)

 両方とも、電源を入れても、なかなか立ちあがらない。
その女性は、「中学生の息子がいじったから、動かなくなった」と言っていたが、
少し調べてみて、私は、絶望感を覚えた。

私「リカバリー(再セットアップ)するしかないです。ディスクはありますか」
女「そんなもの、ありません。もらってきたパソコンですから」
私「……」
女「これでテレビ電話(SKYPE)をしてみたいので、それをできるようにしてほしい」
私「ウィルス対策ソフトの期限が、とっくの昔に切れていますよ」
女「でも、ちゃんとソフトは、入っています」
私「毎年、お金を払って、更新しなければいけませんよ」
女「……」と。

 ついでにIEの履歴から、息子氏がどんなところへアクセスしていたかを見てみた。
予想通り、そこにスケベサイトがズラリと並んだ。

私「このパソコンには、ウィルスやスパイボットが、きっと、ぎっしりと入っていますよ」
女「スパイボット?」
私「つまり、ばい菌だらけということです」
女「どうすればいいですか?」
私「だからここまでくると、リカバリーして、ソフトを新しく、インストールしなおす
しかないです」
女「先生、やっていただけますか?」
私「……。時間があれば、できますが、時間がないので、ごめんなさい」と。

 あれほど重症のパソコンとなると、満足に使えるようになるまでに、5〜6時間は
かかる。
テレビ電話(SKYPE)などというのは、その後の後。
その女性は、パソコンを、テレビかラジカセのようにしか考えていない。
つまり、お手上げ!

 こうした現状がわかればわかるほど、思考停止となってしまう。

●第二の産業革命

 で、たった今、ネットで調べてみたら、「商品は、浜松市内現在配送中」と出てきた。
今では、ネットでそこまでわかるようになっている。
そこで宅配会社に電話を入れ、伝票番号を伝えると、「12時前後に配達の予定です」と
教えてくれた。

 すごい!

 これを第二の産業革命と言わずして、何と言う?
配送状況から、配達予定時刻までわかる。
私たちは人間の歴史に残る革命を、今、こうして目の当たりに、経験している!

 2009年9月16日、水曜日。
100年後の人が、このエッセーを読んだら、どう思うだろうか?


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

●娘の不登園

【N県のMさんより、はやし浩司へ】

はじめまして。年長の娘の登園拒否についての相談です。幼稚園に年中から入園して、一週
間後から1学期間登園拒否が続きました。
その後2学期以降はうそのように楽しく通園していたのですが、進級して年長になって夏休み
明けから再び登園拒否が始まりました。
習い事でも同様です。

夏休み後半には習い事でキャンプに出かけお友達とはじめて親元を離れてお泊りができ、成
長したなと思っていたところで、とてもショックでした。
頑張りすぎてしまったのかとも思いましたが、HPを拝見して、分離不安なのでは・・小学生にな
って通えるのだろうか・・ととても不安です。

幼稚園では先生にも相談しています。先生は「一学期はとても頑張っていたんだと思います。
まだクラスに溶け込めていない感じがします。優等生タイプだと思います」「お友達と遊んでいて
自分の期待する答えが返ってこないといやみたいです」と話していました。娘にも理由を聞いた
りしていますが、その時々で違います。

幼稚園の帰りに友達と公園で遊んだり、近所の友達とは楽しく毎日遊んでいます。
娘は2歳から2年間幼児教室にも通っていたのですが、その時も始めだけは離れられなくて毎
回先生に抱っこでした。

どうしても嫌なら幼稚園お休みしてもいいんだよと言ってしまったこともありましたが、明日はO
OOがあるから行くと言います。でも幼稚園に入るとうつむいてしまい、離れることができないの
です。

どうしたらよいのでしょうか・・どうぞよろしくお願いいたします。

【はやし浩司より、Mさんへ】

M様へ

こんばんは

家族関係がよくわかりません。
相談のお嬢さんは、長女ですか?
下に弟か妹がいませんか。

分離不安かどうか、(赤ちゃん返りかどうか)、
そのあたりの症状がもう少し詳しくわかると、
適切なアドバイスができます。

それともうひとつは、あなた自身が、不安先行型の
子育てをしていないか。
過干渉気味ではないか。
過関心も疑われます。

子どもの問題というよりは、環境の問題と考えてください。

この際、不登園は、あきらめなさい。
まず子どもの心の問題を考え、子どもの心を守ることを
最優先します。

では、
返事をお待ちしています。

【Mさんより、はやし浩司へ】

早速返信いただきましてありがとうございます。

娘は長女で、一人っ子です。
外遊びの大好きな子供です。
朝から夕方までほんとに良く遊びます。
外で遊んでいるときの様子からは、とても想像がつきません。

私自身も一人っ子です。
そしてたしかに過干渉、過関心、不安先行型かもしれません。
口うるさく言ってしまう、怒ってしまっていると思います。
あまり言わないように・・と思っているのですが、
言わないと何もしない娘に、つい口が出てしまいます。

幼稚園行きたくない・・は正確には8月末の夏季保育から始まりました。
キャンプで最初の一日はお休みし、2日目から登園。
その日用事があり、預かり保育をして(迎えの時泣いていました)
そしてその翌日からのことでした。

2学期前日には奥歯が痛いと言い出し、歯科へ行きました。
原因はよくわからず、6歳臼歯のせいではないか・・といわれました。

そして今日まで行きたくない・・が続いています。

娘には幼稚園お休みしてもいいんだよ・・と言っています。
ただ明日はOO先生と約束しているから行かないと・・、
OOちゃんと約束しちゃったから・・と行こうとする気持ちもあるようです。
朝着替えのときになると、もじもじになってしまい、
幼稚園休むのは嫌だけど、でも行くのも嫌・・
今朝もその状態が続き、できるだけ話を聞いて、休むのが嫌だったら行ってみようか・・と。
そして帰りは園に一番でお迎えに行く約束をして送りました。
教室の前まで送り、先生に引き離されてでした。

年中の時は始めての幼稚園で、泣いても仕方ないのかと休むことなく
連れて行き、夏休み明けからは楽しく行ってくれるようになりました。
今も行けば給食も花マル、運動会の練習も頑張っているようです。
娘は1歳のときくらいから、私がいないと、見えないとダメなタイプで、
公園に行っても離れられない子どもでした。

どうぞアドバイスよろしくお願いいたします。

【はやし浩司より、Mさんへ】

●基本的信頼関係

 返事が遅れて、ごめんなさい。
いろいろ心配さなっている様子は、よくわかります。
「不登園ならまだいいが、不登校児になったら、どうししょう?」と、悩んでおられる様子もよくわ
かります。

が、全体的に判断すると、いわゆる(よくある問題)で、とくに子どもに問題があるとは思われま
せん。

で、このタイプの子どもは、(外の世界)でがんばる分だけ、(つまりそれだけ緊張感を解放でき
ない分だけ)、家の中では荒れるという症状が出てきます。
原因は、母子間の基本的信頼関係の構築に、やや失敗したかなというところです。
つまりその分だけ、外の世界でいい子ぶる、イコール、心を開いて、集団に溶け込めないとい
うことです。

さらにその原因はといえば、Mさん自身が、全幅に子どもに心を開いていない、開けないという
状態がつづいていると思います。
(詳しくは、「はやし浩司 基本的信頼関係」で検索してみてください。)

●家庭は休む場所

 このタイプの子どもにとっては、「家庭は休む場所」と心得てください。
「うちの子は、外ではがんばっている」と思い直して、家の中では、うんと緩めます。
(1)暖かい無視と、(2)求めてきたときが与えどきを、大切にします。

 生活態度がだらしなくなったり、ぞんざいになったりしますが、暖かくそれを無視するというこ
とです。
また子どもは、その瞬間、瞬間、あなたに愛着表示(愛情を求める行為)を繰り返しますが、そ
のつどすかさず、抱いてあげるなどの反応を示してあげます。
「待っていてね」「今、忙しい」は、禁句です。
すかさずしてあげれば、たいてい1〜2分で、子どもは満足し、あなたから体を離します。

●過負担

 不登園というより、全体に過負担が疑われます。
私が40年前に、幼稚園の世界に入ったころには、1年保育が主流、2年保育がふえてきたと
いう状況でした。
幼稚園へ通わないで、小学校へ入る子どもも10%前後いました。
が、今は、3年、4年保育が主流(?)。
子どもの質が変わったというよりも、幼稚園経営の問題、さらには共働きをしなければならない
という社会的状況が変わってきたためです。

 オーストラリアでは、週3回の幼稚園があちこちにあります。
アメリカでは、4歳から子どもを、小学校内部のプレスクールで預かりますが、指導は、きわめ
てゆったりとしたものです。
どうか日本の基準だけをみて、「幼児教育とはこういうもの」と考えないでください。
また現在の状況をみて、「小学校へ入ってから、心配」というのは、少し酷というものです。
もう少しおおらかに考えてあげてください。
先にも書いたように、この際、不登園はあきらめる。
子どもの心の回復を第一に考えて行動します。

●学校カルト

 「幼稚園など、適当に行けばいいのです」と書くと、幼稚園の園長に叱られそうですが、そうい
うおおらかさが必要な子どももいるのも事実です。
同じ集団教育でも、子どもによって受け取り方がちがうということです。
Mさんの子どもも、その1人です。

 ですから、適当に休み、適当に様子を見て、子どもをゆとりのある目でながめてあげてくださ
い。
Mさんが、カリカリ、ギスギスしても、かえって逆効果です。
「幼稚園とは行かねばならないところ」「学校とは行かねばならないところ」と、もしあなたが考え
ているなら、そのあたりの(学校神話)(学校カルト)を、ゆるめます。
一方で、そうした信仰は、子どもの心を圧迫します。

●母子分離不安

 母子分離不安については、何らかの精神心的ショックが原因で起こります。
迷子、母親の入院、家庭騒動などなど。
が、これは過去の話。

 基本的には、先にも書いたように、(心の緊張感)をほぐすことができない。
そこへ心配や不安が入り込んでくると、それを解消しようと、心の状態が一気に不安定にな
る。
グズグズしたり、ネチネチしたり、ベタベタしたりする。

 で、そういうときは、(1)突き放すのではなく、(2)子どもの求めに、そのまま応じてあげま
す。
無理に引き離せば、いったんは症状が消えたかのように見えますが、(なおった)わけではあり
ません。
私は(潜る)という言葉を使っています。
症状はいったん、潜るだけです。
また同じような状況になったとき、同じような症状が出てきます。

 しかし年齢的には、分離不安であれば、自立期に入っていますので、月ごとに症状は緩和し
てきます。
自信を失っているようであれば、励まし、自信をもたせてあげます。
また食生活でも、情緒的に不安定な症状がつづけば、(1)白砂糖断ちをする。(甘い食品、ア
イス、ジュース類、ジャンクフードを避ける)、(2)Mg、K、Caの多い食生活に心がける(海産物
を中心とした食生活にする)、(3)リン酸食品を避ける(インスタント食品類)の3つに、心がけ
てみてください。

 カルシウムを多くしただけで、子どもの情緒はみちがえるほど、安定してきます。
一度試してみてください。

●明るく、さわやかに

 とにかく、今は、あまり深刻に考えないこと。
悪い面ばかりみて、取り越し苦労をすればするほど、あなたの(心配)は、そのまま子どもに伝
わってしまいます。
心配そうに、あなたが、「幼稚園へは行きたくなかったら、行かなくてもいいよ」と言うのではな
く、明るく、さわやかに、「お母さんと、今日は幼稚園をサボって、動物園へ行こうか?」と話しか
けてみます。
そうしたおおらかさが、子どもの心に、風穴をあけます。

 どうして(子どもといっしょにいるという至極の時)を、粗末にしてしまうのでしょうか。
今だけですよ。
楽しいのは!

 小学3、4年生にもなると、子どもは、親離れをしていきます。
その時期は、あっという間にやってきます。
今の私なら、子どもたちを幼稚園など行かせないで、毎日、いっしょに遊びます。
(私の二男が、そういう教育方針をもっているようです。
HPを飾っている写真が、その孫たちです。)

 とにかく今は、無理をしないこと。
泣いていやがる子どもを、無理に幼稚園へ引っ張っていくなどという行為は、少し乱暴すぎま
す。
1時間でも2時間でも、時間をかけて、ゆっくりと説得します。
根気との勝負と心得てください。
子どもの心を休めることだけを考えて、対処してください。

 それができれば、不登園の問題は、(結果)として、解決します。
繰り返しますが、よくある問題で、それがトラウマになって……というような、深刻な問題ではあ
りません。
Mさん自身が、肩の力を抜いて、もっと子育てを楽しんでみてください。
あなたが楽しめば、子どもも楽しむようになります。
これは幼児教育のコツでもあります。

 私も、みなさんの子どもを教えるときは、(教えよう)などという気持ちは捨てて、子どもたちと
いっしょに、楽しむつもりで教えています。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
の「公開教室」をまた見てください。
子どもといっしょに見てくだされば、うれしいです。

 では、今日は、これで失礼します。
メールの掲載許可に、感謝します。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 不登園 母子分離 分離不安 分離不安)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司※

●ルーム・ウォーカー使用感想

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昨日は、夜遅く、近くの温泉へ行ってきた。
帰りに、回転寿司を食べた。
ワイフと2人で、8皿。

で、そのあと家に帰ってから、ルーム・ウォーカー
に乗る。
心拍数、消費カロリーなどが表示される、すぐれモノ。
もともと散歩が好きだから、楽しい。

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●老後の必需品

 ルーム・ウォーカーは、老後の必需品。
そう断言してよい。
老齢期になると、みな、膝や足を傷める。
それがそのまま持病となって、やがて歩けなくなる。
70歳で歩けなる人もいるし、80歳で歩けなくなる人もいる。
人それぞれだが、できるだけ末長く、健康でいたい。
そう願って、とうとう私も、ルーム・ウォーカーを購入した。

 で、今朝も、すでに20分。
距離にして、1・5キロ前後を、歩いてみた。
(正確には、ルーム・ウォーカーを回してみた。)
軽い、さわやかな汗をかいた。
消費カロリーは、130キロカロリー前後か。
缶ジュース、2本分というところ。
これを使えば、危険な道路を歩くこともない。
雨の日でも、ウォーキングができる。
が、それだけではない。

 私はルーム・ウォーカーを、テレビの前に設置した。
本も読めるようにした。
つまりテレビを見たり、本を読みながら、ウォーキングができる。
ハハハ、これが実に楽しい。
(いつまでつづくか、わからないが……。)

 マッサージ機は、ルーム・ウォーカーのすぐ前に置いた。
疲れた足は、マッサージ機で、ほぐせばよい。
私も、いよいよジー様ぽくなってきた!


●映画『サブウェイ123』

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おととい、仕事が終わってから、深夜劇場に
足を運んだ。
観た映画は、『サブウェイ123激突』。
矛盾だらけの、テロ映画。
星は、2つの、★★。
デンゼル・ワシントンと、ジョン・トラボルタ。
2人の名優の共演作ということで、かなり期待
していたが、がっかり。
観客も、私たちを入れて、たったの4人。

「ウルヴァリンにすればよかった」と、劇場を
出るとき、ワイフが、何度もそう言った。

+++++++++++++++++

●映画『サブウェイ123激突』

 簡単に言えば、列車をハイジャックし、乗客を人質に、NY市から身代金を取るという映画。
が、矛盾だらけ。

 犯人たちは顔にマスクもつけていなかった。
今ではDNA捜査法というのもある。
あれだけ証拠をベタベタと残してしまったら、仮にそれがうまくいったとしても、即、逮捕。
それに今では、地下鉄でも携帯電話は使えるはず。
パソコンのテレビ電話はそのまま使えるのに、どうして、みな、携帯電話を使わなかったのだろ
う。

 また私が監督だったら、地下鉄中の電源を落とし、真っ暗闇にしたあと、暗視スコープ付きの
銃で、犯人たちを射殺する。
映画のような回りくどいやり方は、しない。

 「激突」というのは、要するに、地下鉄司令部勤務のデンゼル・ワシントンと、ハジジャッカー
のジョン・トラボルタとの激突という意味(?)。
2人のやりとりが、映画の柱になっている。
しかしそれが、イマイチおもしろくない。

 ネズミに足をかまれて、思わず発砲してしまう、SWAT。
現金を輸送するため、カーチェイス映画さながらに、車を走らせるパトカーなどなど。
最後は、あっけなく犯人たちが射殺されて、おしまい。

 何とか時間を作って、今週中に、『ウルヴァリン』を見よう。
今は、そう考えている。
(090916)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

●離脱と活動

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先日、ある会場で、退職者を対象にした講演会があった。
その中で、講師(75歳くらい)が、こう言った。
「老後になったら、生活をコンパクトにすることが大切です」と。

「コンパクト」とは、つまり、「身辺の整理をし、住む世界を小さくしろ」ということ。
一理あるが、私は、ふと考えた。
「どうしてコンパクトにしなければならないのか」と。

つまりその講師の説いたのは、「離脱理論」のひとつということになる。
たしかにそういう部分はないわけではない。
行動範囲も狭くなる。
思考力も低下する。
運動能力も衰える。
それに合わせた環境づくりは、欠かせない。

+++++++++++++++++++++

●「老齢」と「老化」

 私たちはみな、例外なく、歳をとる。
それを「老齢」という。
英語では、「エイジング(Aging)」という。
しかし「老齢」イコール、「老化」ではない。
歳をとったからといって、ジジ臭くなることはない。
ババ臭くなることはない。

 そこで登場するのが、離脱理論と活動理論。

 老齢期に入ったら、社会から離脱していく。
そのための理論が、「離脱理論」(カミング・ヘンリー)(「心理学用語」渋谷昌三)。

 一方、老齢期に入っても、それまでと同じように、あるいはさらに活動的に生きていく。
そのための理論が、「活動理論」(フリードマン・ハヴィガースト)(「心理学用語」渋谷昌
三)。

 日本でいう、「退職後は、庭いじりと孫の世話」というのは、まさに離脱理論ということになる。

●サクセスフル・エイジング

 しかし老齢期に入ったら、どうしてそれまでの生き方を変えなければならないのか。
渋谷昌三氏の「心理学用語」の中に、こんな参考になる表現がある(同書・かんき出版)。

(1)サクセスフル・エイジング(Successful Aging)(成功した老齢期)
(2)プロダクティブ・エイジング(Productive Aging)(生産的な老齢期)

 自分なりに、この2つを解釈してみたい。

 老齢期は、それまでの人生の積み重ねの結果としてやってくる。
その(結果)をみれば、成功・失敗が、わかる。
(どういう状態を成功といい、どういう状態を失敗というかは、それぞれに、いろいろな考え方が
ある。)
恐らくサクセスフル・エイジングというのは、それなりにのんびりと、優雅に暮らすことができる
老後をいうのだろう。
「老化の過程にうまく適応して、幸福な老後を送ること」(同書)とある。

 それに対して、「老齢期こそ、もっと活動的に生きよう」というのが、プロダクティブ・エイジング
ということになる。

●プロダクティブ・エイジング

 プロダゥティブ・エイジングといえば、すぐさま頭に思い浮かぶのが、「統合性の確立」。これに
ついては、たびたび書いてきた。
で、今回は、それはさておき、もっと日常的なレベルで、プロダクティブ・エイジングを考えてみ
たい。
つまりどうすれば、私たちは老齢期を、さらに生き生きと生きることができるか、と。

「高齢者が社会の中で、いかに生産的に生きるか」(同書)と。

 少し前、日本のおバカ首相が、こう言った。
「高齢者は、働くしか才能がない」と。
恐らく、「高齢者は、働くしか能(のう)がない」と言うべきところを、「才能」と言ったのだろう。
あの人の国語力は、小学生程度(?)。
「才能」でも「能」でもよいが、これほど私たちの年代の者を怒らせた言葉はない。

私たち自身が、「働くしか能がないので……」と言うのは、構わない。
もっと言えば、「国民年金など、アテにならないから、死ぬまで働くしかない」。
しかしそれを他人、なかんずく首相に言われると、腹が立つ。

 が、怒ってばかりいてはいけない。
私たちは、プロダクティブに生きてこそ、老齢期を乗り越えることができる。

●では、どうすればよいのか

 重要なのは、「社会」と、接点を保つこと。
仕事をするのがいちばんよいが、ボランティア活動、近隣づきあい、地域活動などなど。
その中から、(自分ができること)(自分がすべきこと)を見つけながら、それを昇華させていく。

 私のばあいは、仕事第一に考えている。
「社会」というより、「子どもたち」との接点を失ったら、私は私でなくなる。
それが自分でもよくわかっている。

 そのためにどうするか。
それが現在の思考、行動の原点になっている。
つまりその上で、原稿を書き、人生を考える。
こうしてパソコンに文章を叩き出すのも、そのひとつ。
書くのが楽しいというよりは、頭の中にあるモヤモヤを吐き出す。
吐き出したときの爽快感には、格別なものがある。

 それにもうひとつ目標がある。
こうして書くことによって、脳みその健康を維持する。
同時に、「精進(しょうじん)」。

 もともと私の素性はよくない。
自分でも、それがよくわかっている。
だからそういう自分に、言い聞かせるために書く。
「これをしろ」「これをしてはいけない」と。
一日でも油断すると、私の人間性は、即、後退に向かう。

 こうした方法が、みなに効果的とは思わないが、しかしそれぞれがそれぞれの環境の中で、
プロダクティブ・エイジングを目指す。
そうすれば、若い人たちの私たちを見る目も変わってくるだろう。
同時に、社会に、大きく貢献できる。

 けっして老齢イコール、老化と考えて、自分自身までコンパクトにしてはいけない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 離脱理論 プロダクティブ エイジング 豊かな老後 老後論 はやし浩司 活動
理論)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

●ニューロンとシナプス

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「脳のからくり」(茂木健一郎・新潮文庫)によれば、
脳の中には、1000億個のニューロン(神経細胞)があるという。
その1個ずつのニューロンから、細長いひものような神経突起が、
約1万本も伸びているという。
そしてその神経突起どうしが、「手をつないでいる部分」(同書)を、
シナプスという。
1000億個のニューロンが、1万本ずつの神経突起を伸ばしているから、
そのためシナプスの数は、なんと1000兆個にもなるという。

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(ニューロン)……(神経突起)……(シナプス)。

 わかりやすくチャート化すると、こうなる。
それにしても、1000兆個というのは、すごい!
こうしたニューロンが私たちの知覚、行動、思考をコントロールしている。

 で、興味深いことは、こうしたニューロンは、パソコンのメモリーと同じように、(プラス)(マイナ
ス)の単純なスイッチでできているということ。
そういう点では、脳の構造とパソコンの構造は、たいへんよく似ている。
そこで計算してみよう。

 メモリーの基本的単位になっているのが、GB(ギガバイト)。
現在(2009)、2〜4GBのSDメモリーや、USBメモリーが、1000円前後で売られている。

 1GBは、約11億バイト(10億7374万1824バイト。
1GBは、1024メガバイト。
つまり10の9乗。)

 数字が複雑なので、ここでは1GBを10億バイトとして計算してみる。
すると、人間の脳の中にあるシナプスの1000兆個を、10億個で割ってみると、人間の脳は、
100万GBということになる。
(1000万÷10で計算すればよい。)
 
 100万GBというと、今では1テラバイト(=1000GB・10の12乗バイト)のハードディスクさ
え売りに出ているから、その1テラバイトのハードディスクで計算してみると、こうなる。

 100万GB÷1000GB=1000!

 つまり1テラバイトのハードディスクを、1000個つなげると、人間の脳の中にあるシナプスと
同じ数になる!
この1000個を、多いとみるか少ないとみるか?
意見の分かれるところだが、私は、「いよいよここまで来たか!」と驚く。

 1テラバイトのハードディスク(価格は、現在8000円前後)を、1000個つなげると、人間の
脳と同じになる!
1000個というと、たいへんな数だが、しかし不可能な数ではない。
あと5年もすれば、10テラバイト、さらに10年もすれば、100テラバイトの記憶媒体が生まれ
るだろう。
そうなれば、小さな記憶媒体の中に、人間の脳をそのままコピーすることも可能になる。

 もっとも人間の脳のばあい、すべてのニューロンが活動しているわけではない。
実際、活動しているのは、3分の1程度とも言われている。
さらに今、意識している部分についていえば、数10万分の1とも言われている。
だから、仮に100テラバイトの記憶媒体が生まれれば、それでじゅうぶんということになる。

 もっとも神経突起は、言うなれば蜘蛛の巣状に脳の中で入り組んでいる。
それをひとつずつ取り出して、記憶媒体にコピーするというのには、別の問題もある。
しかしコンピュータに、人間の脳と同じ働きをさせることは、それで可能になる。
おもしろいというより、恐ろしい(?)。

 『脳のからくり』を読みながら、本文とは別に、そんなことを考えた。
(090918)

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 B
W はやし浩司 シナプス ニューロン 1GB 1TB)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(090919)

●Pay Forward(ペイ・フォワード)

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ハーレイ・J・オスメント(少年)主役の映画に、『ペイ・フォワード(Pay it Forward)』(2000年作
品)というのがあった。

1人の人が、それぞれ3人の人に、善意の行為を手渡していけば、世界が変わる、と。
1人の少年がそのアイディアを思いつく。
そして彼は、それを実行する。

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●ペイ・フォワード運動

「システムとしては、非常に単純明解なものです。つまり、人は他人から厚意を受けた場合、そ
の相手にお返しをしようとしますね。そうすると、その厚意は当事者間のみで完結して終わって
しまいます。しかし、この"厚意"を受けた相手に返すのではなくて、次の人に別な形で『渡して』
みたら、どうなるでしょう? それを、1人の人が別の新たな3人に『渡して』いったとしたら・・・」
(「ペイ・フォワード運動」HPの解説より、転載」。)

●すばらしいこと

 ハーレイ・J・オスメントといえば、同時期、『シクス・センス』という映画でも主演を演じている。
もの静かで、それでいて理知的な演技が、見事だった。
映画『シクス・センス』から受けた衝撃は大きかった。
見終わったあと、頭の中で、バチバチと火花が飛んだ。
常識がひっくり返った、
そののち、この映画の(流れ)は、『マトリックス』、さらに最近の『ミラーズ』へと、つづく。

 それはさておき、今日、私の周辺で、こんなすばらしいことがあった。

●山荘で

 今日は土曜日。
午後からワイフと山荘へ向かった。
伸びすぎた梨の木を切り倒すためである。
このところ山荘周辺に、猿が出没する。
その猿が、いたずらをする。
雨どいを破壊したり、テレビアンテナを折ったりする。

 そこで餌になるような実をつける木を切ることにした。
先日は、栗の木を切った。
で、今日は梨の木

●草刈り

 驚いたことに、行ってみると、山荘周辺の雑草が、きれいに刈り取られていた。
明らかにプロの手さばき!
しかも刈り取った雑草まで、始末してあった。

 私はだれが刈ってくれたか、すぐわかった。
親しくしている、Kさんである。
が、それだけではなかった。

●プロの手さばき

 大通りをはずれたところから、山荘までつづく道は、500〜600メートルある。
細い一本道である。
しかし私たち以外は、ほとんどだれも使わない。

 で、2週間ほど前のこと。
私は運動もかねて、この道の400〜500メートル分の道路わきの草を刈った。

 草刈りは嫌いではない。
ストレス解消にもなる。
背丈の伸びた夏草を、草刈り機でバリバリ、ウィーン、バリバリと刈っていくのは、たいへん気
持よい。
爽快感すら、覚える。
それでそうした。

 が、今日、その道を通ってみると、両側の草が、きれいに刈り取られていた。
こちらも見るからに、明らかにプロの手さばき!

●刈り残し

 草刈りにも、じょうず、へたがある。
じょうずな人が草を刈ると、地面の小石だけを残したような草の刈り方をする。
全体に地面をなめるように、均一的な刈り方をする。
見た目にも美しい。
が、へたな人が草を刈ると、まるでぼさぼさのトラ刈りのようになる。
刈り残しが、いたるところで草の柱のようになる。

 私は草刈りは嫌いではないが、いくら努力しても、うまく刈れない。
が、山荘のまわりの草が、きれいに刈り取られていた!

●みなが、草刈りをしてくれた!

 先ほど「それだけではない」と書いたが、それだけではなかった。
500〜600メートルの道の両側の草も、きれいに刈り取られていた。
こうした農道は、いろいろな地権者が入り組んでいる。
Kさんの土地もあれば、Uさんや、Hさんの土地もある。
その中を、農道が通っている。

 で、私はひまがあると、ときどき、その農道脇の草を刈っている。
私たち自身のためでもある。
放っておくと、両側から夏草が、道路をおおう。
車が通るのがやっとというほど、道が狭くなる。

●トラ刈り

 けっして手を抜いているわけではない。
しかし私が草を刈ると、先にも書いたように、トラ刈りのようになる。
だから草を刈りながら、いつも、「Kさんたちが見たら、笑うだろうな」と思っていた。
まあ、笑われてもしかたないような刈り方しか、私にはできない。

 が、私の行為が、農家の人たちに、別の形で伝わった。
もちろん私には、「みなのためにしている」とか、「してやっている」とかいう意識は、みじんもな
い。
あくまでも私のため。
が、それを農家の人たちは、よいほうに解釈してくれた。

 まずKさんが、自分の土地の中の草を刈った。
それを見て、Uさんや、Hさんたちが、草を刈った。
ついでにKさんは、私の山荘のまわりの草も刈ってくれた。

 私はそれを知って、うれしくなった。
久しぶりに、胸の中がポーッと暖かくなった。

●ワイフと・・・

私「みんなが、山荘のまわりの草を刈ってくれたんだよ」
ワ「Kさんたちね」
私「そうだね」
ワ「それにしても、きれいね」
私「うん・・・」
ワ「お礼の電話でもしたら・・・?」
私「・・・しないよ。また近く、道路の草を刈って、返すよ」と。

 家のまわりを見やりながら、私は、映画『ペイ・フォワード』を思い出していた。
1人の人の善意が、いつの間にか、他人の心を動かし、その輪がどんどんと広がっていく。
そして気がついてみたら、その輪が、いつの間にか、自分のところに戻ってくる。
戻ってきて、自分の心を暖かく包んでくれる。

 私はきれいに刈り取られた山荘の周辺を見ながら、そう思った。

さわやかな、さわやかな、どこまでもさわやかな秋のはじめの乾いた風が、下の森からやさしく
吹いていた。
うれしかったプラス、たのしかった。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW Pay it forward ペイ・フォワード 夏の草刈り はやし浩司)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

●「実家」離れ

++++++++++++++

「親離れ」「子離れ」という言葉がある。
同じように「実家離れ」というのもある。
50歳を過ぎても、60歳を過ぎても、
「実家」「実家」と、何かにつけて、
実家に入り浸りになる。

 背景には、未熟な精神性があるのだが、
マザコンというケースも少なくない。
概して、女性に多い。

(「マザコン」というと、男性だけの問題
と考える人も多いが、女性にも多い。
同性であるだけに、外からは、わかりにくい。)

+++++++++++++++++

●嫁ぎ先?
 
 Mさん(現在55歳、女性)は、結婚してすでに30年以上になる。
夫は公務員で、代々つづいた「家」を守っている。
しかしMさんにとっては、自分の生まれ育った実家が、「家」。
傍から見ていると、そんな感じがする。

 ことあるごとに実家に足を運び、実家を守る弟氏(現在50歳)に、あれこれと指示する。
冠婚葬祭は言うに及ばず、実家の母親(実母)の世話の仕方にまで、口を出す。
墓参りにしても、嫁ぎ先の墓参りよりも、実家の墓参りの回数のほうが多い。
ときどき弟氏が、「お前は、H家に嫁いだのだから、H家の人間だ」といくら諭しても、それが理
解できない。
理解できないばかりか、他人には、こう言う。

「N夫(=その女性の弟氏)は、私に頼ってばかりいる」「N夫は、自分では何もできない」「先祖
をきちんと供養していない」と。

●実家意識

 「実家」意識の強い人は多い。
ことあるごとに「実家」という言葉をよく使う。
これも「家族自我群」の一種ということになる。
「家族」というしがらみが、無数に「私」にからんでくる。
その呪縛感を「家族自我群」という。

 その家族との関係が良好な間は、家族自我群も、よい方向に作用する。
が、どこかでその歯車が狂う。
そういうケースも多い。
とたん家族自我群は、その人を苦しめる(責め具)として機能する。
「家」に縛られ、「家族」に縛られる。
その呪縛感の中で、もがき苦しんでいる人は多い。

●マザコン

 Mさんのケースは、やや特殊である。
結婚して、H家に嫁いではみたものの、そのH家には同化できなかった。
もともと望んだ結婚ではなかった。
それもあった。
が、それ以上に、Mさんは、マザコンだった。
親を絶対視しながら、同時に親離れできないまま成人になった。
40歳を過ぎても、「母ちゃん」「母ちゃん」と言っては、実家に帰っていた。
50歳を過ぎても、「母ちゃん」「母ちゃん」と言っては、実家に帰っていた。

 が、そういう自分を、「孝行娘」と誤解していた。

●特徴

 このMさんというのは、架空の女性である。
いくつかの例を、ひとつにまとめてみた。
しかしこういう例は、多い。
地方の農村部へ行けば行くほど、似たような話を耳にする。

 特徴としては、つぎのようなものが、あげられる。

(1)嫁いでも、嫁ぎ先と同化できない。
(2)嫁いでも、実家意識が強く、実家への帰趨(きすう)本能が強い。
(3)実家を絶対視する。
(4)ものの考え方が、権威主義的。
(5)家父長意識、上下意識が強く、「先祖」という言葉をよく使う。

 本来なら、結婚し、相手の夫の側に籍を入れたら、少なくとも夫側の「家」と自分の実家を同
等にみる。
あるいは「家」意識そのものを、平等に否定する。
さらに言えば、親が子離れし、子どもが親離れするように、「家」離れをする。
その上で、親子という関係であっても、一対一の人間としての人間関係を築く。

●G・ワシントン

 どうであるにせよ、今どき、「家」意識をもつほうが、おかしい。
江戸時代の昔ならいざ知らず。
今は、そういう時代ではない。
また人間が、「家」に縛られる時代ではない。

 名前(姓)にしても、そうだ。
私の知人の中には、「ルーツさがし」と称して、家系図づくりに熱中している人がいる。
人、それぞれ。
しかしあの福沢諭吉は、アメリカで、こんなことに驚いている。

 福沢諭吉が、G・ワシントンの子孫についてたずねたときのこと。
まわりにいた人たちが、みな、「知らない」と答えた。
当時の日本では考えられなかった。
今の日本でも、考えられない。
「G・ワシントンの子孫がどうなっているか、わからないだと!」と、まあ、福沢諭吉は、そんなふ
うに驚いたにちがいない。
つまり日本の常識は、けっして世界の常識ではない。

 ちなみに私の祖父は、百姓の出。
一度、祖父は私を、祖父の生家へ連れていってくれたことがある。
土壁むきだしの、窓もないような粗末な家だった。
私が小学6年生か、中学1年生のときのことである。

 だからこれは私のひがみかもしれない。
家系を誇る人に出会うたびに、内心では、「ごくろうさま」と思う。

 今、「私」がここにいる。
ここに生きている。
それでじゅうぶん。


Hiroshi Hayashi++++++++++Sep 09++++++++++++++はやし浩司

●自己認知力

+++++++++++++++++

自分を、自分で、評価する能力があるかないか。
その能力のことを、「自己認知力」という。
ピーター・サロベイの説く「社会適応性」、つまり
EQ論(人格の完成度論)でも、重要なキーワードの
ひとつになっている。

自分で自分を評価する能力の高い人を、自己認知力の
高い人という。
そうでない人を、低い人という。

が、一般的には、自分のもつよい能力を、正当に評価する
能力のことを、「自己認知力」という。
あるいは「私の能力はすぐれている」と信ずる能力のことを、
「自己認知力」という。

この自己認知力には、2種類ある。

(1)能力があり、それを評価する能力がある。
「自分にはどのような能力があるか」を知る能力をいう。
(2)能力がないのに、それを評価する能力がない。
「自分には、どのような能力がないか」を知る能力をいう。

ふつう「自己認知力」というときは、前者をいう。
が、後者のケースも少なくない。
最近、私は、こんな話を聞いた。

+++++++++++++++++

●ある葬儀で

 義兄がある葬儀に参列した。
そこでのこと。
亡くなったのは、87歳の女性。
喪主は、その女性の長男、60歳。
ところが、である。
その長男の嫁(58歳)の様子が、異様だったという。
義兄は、こう話してくれた。

「だんなは昔から、静かな人だった。
そのこともあって、嫁が、ひとりではしゃいでいた」と。

私「はしゃいでいた?」
義「そう、はしゃいでいた。キャッキャッと笑ったり、大声で世間話をしていた。ハイになってい
た。みな、眉をひそめていたよ」と。

●「私が主人公」

 何かにつけ、自己中心性の強い人は、自分が目立たないと気がすまない。
俗にいう「目立ちたがり屋」というのが、それ。
義兄が言うには、その女性(嫁)が、そうだったという。

 火葬場で火葬を待っているときも、三日目、初七日の法事のときも、「まるでクラブのホステ
スのように、みなのところを回り、世間話を繰り返していた」と。

「ふつうなら、親(義母)の葬式だから、嫁というのは、しおらしくしているもの。
しかしその女性(嫁)は、まるでパーティでの主人公のように振舞っていました。
で、驚いたのは、火葬が終わって、一度祭事会館へ戻ったときのことです。
最後の焼香というところで、みなの前で、オロオロと泣き崩れてしまったのです。
あれには、みな、あっけに取られました。
というのも、亡くなった女性(姑)とその女性(嫁)とは、昔からうまくいっていなかったことを、み
な、知っていたからです」と。

●現実検証能力

 「自分が今、どういう状況に置かれているか」「自分が今、みなに、どう思われているか」。
それを「現実検証能力」ともいう。
しかし「自己認知力」と「現実検証能力」の境目が、よくわからないケースも少なくない。
その女性(嫁)を例にあげて、考えてみよう。

 その女性(嫁)の言動は、たしかに「ふつうではなかった」(義兄談)。
しかしその女性(嫁)は、自分が他人にどう思われているか、それが判断できなかった。
つまり自分を客観的に評価する能力に、欠けていた。
最後の焼香のところで、オロオロと泣き崩れてしまったときも、(横にいた夫が、体を支えた
が)、みなはあっけに取られ、言葉を失った。

 が、そこは葬儀の場所。
現実を正確に知る能力があれば、態度ももっと別のものになっていたはず。

●まるで自分のことがわかっていない

 「あの女性(嫁)はね、一族の中でも、変わり者ということになっていますよ」と、義兄は話して
くれた。
「ところが、自分では、よくできた嫁と思い込んでいるのですね。みなに好かれ、尊敬されてい
ると思い込んでいるのですね」とも。

 そういう人は、少なくない。
まるで自分のことがわかっていない。
自己中心性が肥大化した人を、自己愛者という。
その自己愛者の症状とも似ている。
完ぺき主義で、他人の批判を許さない。
まちがいを指摘されると、それだけでパニック状態になってしまう。
ギャーギャーと泣きわめく。
あるいは激怒する。

 他人に心を許さない。
許さない分だけ、心の中はいつも緊張状態。
ささいなことでカッとなりやすい。

●自己認知力

 こういうケースも、「自己認知力」という能力で判断する。
自分にその能力がないのに、それを客観的に評価できない。
あとは思い込みと過信、独断と偏見だけで、ふつうではない行動を繰り返す。

 この話をワイフにすると、ワイフはすかさず、こう言った。
「そういう人って、意外と多いわよ」と。

私「ぼくだって、そうかもしれない」
ワ「そうね、あなたにも、そういうところがあるわね」
私「だろ……」
ワ「ほら、学者とか、研究者と言われる人の中にも多いということよ」
私「そうだね。その分野のことはよく知っているけど、その外の世界を知らない。教師の世界
も、似たようなものだよ」と。

●では、どうするか

 「自分は他人から、どう見られているか」。
それをいつも自分に問いかける。
(だからといって、他人に迎合しろということではない。誤解のないように!)
私も最近、こんな経験をときどきする。
「私のことを好意的に思ってくれているはず」と信じている人に、裏切られるようなケースであ
る。
それに気づいて、「ああ、ぼくって、そんなふうに思われていたのだ」と、驚いたりする。
最近でも、生徒(中学生)に、こう言われたことがある。
「先生(=私のこと)って、キレやすい」と。

 また反対に、意外な人に、高く評価されているということもある。
つまり自分が他人にどう見られているかを、的確に判断するのは、それくらい難しいことでもあ
る。

●自己中心性

 自己認知力は、このように一方で、その人の自己中心性と深く結びついている。
が、ある程度、自己認知力を高めるためには、ある程度、自己中心的でなければならない。
「私はすばらしい」という思い込みが、その人の自己認知力を高める。
その人を伸ばすということもある。

 が、同じ自己認知力でも、「まるで自分のことがわかっていない」という自己認知力は、いただ
けない。
自分に能力がないのに、それに気づいていない。
プライドばかり強くて、箸にも棒にもかからない。
さらに愚かなことをしながら、それを愚かなこととさえ気がつかない。
そういう人のことを、俗世間では、「バカ」という。
(「バカなことをする人を、バカという。頭じゃないのよ」(フォレスト・ガンプ)。)
 
【補記】

●加齢とともに……

 私の印象では、加齢とともに、自己中心性が強くなっていく人と、反対に『老いては』に従え』
式に、自己中心性が弱くなっていく人がいるように感ずる。
そしてそれは、脳の働きとも、密接に関連している(?)。

 たとえば認知症か何かになると、極端に自己中心性が強くなる人がいる。
人格そのものが、崩れるというか、変化する人も珍しくない。
心の余裕がなくなり、思慮深さが消える。
ささいなことでピリピリと反応し、ときに激怒したり、泣き叫んだりする。

 要するに、これは習慣の問題ということになる。
能力ではなく、習慣。
日ごろから、考えるクセがあるかないかということ。
考えるクセが身についていれば、あえて「自己認知力」などという言葉は使わなくても、自分の
ことを正当に評価できるようになる。
そうでなければ、そうでない。
その(ちがい)は、老齢期になると、さらにはっきりとしてくる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 B
W はやし浩司 自己認知力 自己評価力 人格の完成度 サロベイ EQ論)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

●自己認知力

●子どもの社会適応性は、つぎの5つをみて、判断する(サロベイほか)。

(1)共感性
(2)自己認知力
(3)自己統制力
(4)粘り強さ
(5)楽観性
(6)柔軟性

 これら6つの要素が、ほどよくそなわっていれば、その子どもは、人間的に、完成度の高い子
どもとみる(「EQ論」)。

 順に考えてみよう。

(1)共感性

 人格の完成度は、内面化、つまり精神の完成度をもってもる。その一つのバロメーターが、
「共感性」ということになる。

 つまりは、どの程度、相手の立場で、相手の心の状態になって、その相手の苦しみ、悲し
み、悩みを、共感できるかどうかということ。

 その反対側に位置するのが、自己中心性である。

 乳幼児期は、子どもは、総じて自己中心的なものの考え方をする。しかし成長とともに、その
自己中心性から脱却する。「利己から利他への転換」と私は呼んでいる。

 が、中には、その自己中心性から、脱却できないまま、おとなになる子どももいる。さらにこの
自己中心性が、おとなになるにつれて、周囲の社会観と融合して、悪玉親意識、権威主義、世
間体意識へと、変質することもある。

(2)自己認知力

 ここでいう「自己認知能力」は、「私はどんな人間なのか」「何をすべき人間なのか」「私は何を
したいのか」ということを、客観的に認知する能力をいう。

 この自己認知能力が、弱い子どもは、おとなから見ると、いわゆる「何を考えているかわから
ない子ども」といった、印象を与えるようになる。どこかぐずぐずしていて、はっきりしない。優柔
不断。

反対に、独善、独断、排他性、偏見などを、もつこともある。自分のしていること、言っているこ
とを客観的に認知することができないため、子どもは、猪突猛進型の生き方を示すことが多
い。わがままで、横柄になることも、珍しくない。

(3)自己統制力

 すべきことと、してはいけないことを、冷静に判断し、その判断に従って行動する。子どもの
ばあい、自己のコントロール力をみれば、それがわかる。

 たとえば自己統制力のある子どもは、お年玉を手にしても、それを貯金したり、さらにため
て、もっと高価なものを買い求めようとしたりする。

 が、この自己統制力のない子どもは、手にしたお金を、その場で、その場の楽しみだけのた
めに使ってしまったりする。あるいは親が、「食べてはだめ」と言っているにもかかわらず、お菓
子をみな、食べてしまうなど。

 感情のコントロールも、この自己統制力に含まれる。平気で相手をキズつける言葉を口にし
たり、感情のおもむくまま、好き勝手なことをするなど。もしそうであれば、自己統制力の弱い
子どもとみる。

 ふつう自己統制力は、(1)行動面の統制力、(2)精神面の統制力、(3)感情面の統制力に
分けて考える。

(4)粘り強さ

 短気というのは、それ自体が、人格的な欠陥と考えてよい。このことは、子どもの世界を見て
いると、よくわかる。見た目の能力に、まどわされてはいけない。

 能力的に優秀な子どもでも、短気な子どもはいくらでもいる一方、能力的にかなり問題のある
子どもでも、短気な子どもは多い。

 集中力がつづかないというよりは、精神的な緊張感が持続できない。そのため、短気にな
る。中には、単純作業を反復的にさせたりすると、突然、狂乱状態になって、泣き叫ぶ子どもも
いる。A障害という障害をもった子どもに、ときどき見られる症状である。

 この粘り強さこそが、その子どもの、忍耐力ということになる。

(5)楽観性

 まちがいをすなおに認める。失敗をすなおに認める。あとはそれをすぐ忘れて、前向きに、も
のを考えていく。

 それができる子どもには、何でもないことだが、心にゆがみのある子どもは、おかしなところ
で、それにこだわったり、ひがんだり、いじけたりする。クヨクヨと気にしたり、悩んだりすること
もある。

 簡単な例としては、何かのことでまちがえたようなときを、それを見れば、わかる。

 ハハハと笑ってすます子どもと、深刻に思い悩んでしまう子どもがいる。その場の雰囲気にも
よるが、ふと見せる(こだわり)を観察して、それを判断する。

 たとえば私のワイフなどは、ほとんど、ものごとには、こだわらない性質である。楽観的と言え
ば、楽観的。超・楽観的。

 先日も、「お前、がんになったら、どうする?」と聞くと、「なおせばいいじゃなア〜い」と。そこで
「がんは、こわい病気だよ」と言うと、「今じゃ、めったに死なないわよ」と。さらに、「なおらなか
ったら?」と聞くと、「そのときは、そのときよ。ジタバタしても、しかたないでしょう」と。

 冗談を言っているのかと思うときもあるが、ワイフは、本気。つまり、そういうふうに、考える人
もいる。

(6)柔軟性

 子どもの世界でも、(がんこ)な面を見せたら、警戒する。

 この(がんこ)は、(意地)、さらに(わがまま)とは、区別して考える。(がんこ)を考える前に、
それについて、書いたのが、つぎの原稿である。

+++++++++++++++++++

●子どもの意地

 こんな子ども(年長男児)がいた。風邪をひいて熱を出しているにもかかわらず、「幼稚園へ
行く」と。休まずに行くと、賞がもらえるからだ。

そこで母親はその子どもをつれて幼稚園へ行った。顔だけ出して帰るつもりだった。しかし幼
稚園へ行くと、その子どもは今度は「帰るのはいやだ」と言い出した。子どもながらに、それは
ずるいことだと思ったのだろう。結局その母親は、昼の給食の時間まで、幼稚園にいることに
なった。またこんな子ども(年長男児)もいた。

 レストランで、その子どもが「もう一枚ピザを食べる」と言い出した。そこでお母さんが、「お兄
ちゃんと半分ずつならいい」と言ったのだが、「どうしてももう一枚食べる」と。そこで母親はもう
一枚ピザを頼んだのだが、その子どもはヒーヒー言いながら、そのピザを食べたという。

「おとなでも二枚はきついのに……」と、その母親は笑っていた。
 
今、こういう意地っ張りな子どもが少なくなった。丸くなったというか、やさしくなった。心理学の
世界では、意地のことを「自我」という。英語では、EGOとか、SELFとかいう。少し昔の日本人
は、「根性」といった。(今でも「根性」という言葉を使うが、どこか暴力的で、私は好きではない
が……。)

教える側からすると、このタイプの子どもは、人間としての輪郭がたいへんハッキリとしている。
ワーワーと自己主張するが、ウラがなく、扱いやすい。正義感も強い。

 ただし意地とがんこ。さらに意地とわがままは区別する。カラに閉じこもり、融通がきかなくな
ることをがんこという。毎朝、同じズボンでないと幼稚園へ行かないというのは、がんこ。また
「あれを買って!」「買って!」と泣き叫ぶのは、わがままということになる。

がんこについては、別のところで考えるが、わがままは一般的には、無視するという方法で対
処する。「わがままを言っても、だれも相手にしない」という雰囲気(ふんいき)を大切にする。

++++++++++++++++++

 心に何か、問題が起きると、子どもは、(がんこ)になる。ある特定の、ささいなことにこだわ
り、そこから一歩も、抜け出られなくなる。

 よく知られた例に、かん黙児や自閉症児がいる。アスペルガー障害児の子どもも、異常なこ
だわりを見せることもある。こうしたこだわりにもとづく行動を、「固執行動」という。

 ある特定の席でないとすわらない。特定のスカートでないと、外出しない。お迎えの先生に、
一言も口をきかない。学校へ行くのがいやだと、玄関先で、かたまってしまう、など。

 こうした(がんこさ)が、なぜ起きるかという問題はさておき、子どもが、こうした(がんこさ)を
示したら、まず家庭環境を猛省する。ほとんどのばあい、親は、それを「わがまま」と決めてか
かって、最初の段階で、無理をする。この無理が、子どもの心をゆがめる。症状をこじらせる。

 一方、人格の完成度の高い子どもほど、柔軟なものの考え方ができる。その場に応じて、臨
機応変に、ものごとに対処する。趣味や特技も豊富で、友人も多い。そのため、より柔軟な子
どもは、それだけ社会適応性がすぐれているということになる。

 一つの目安としては、友人関係を見ると言う方法がある。(だから「社会適応性」というが…
…。)

 友人の数が多く、いろいろなタイプの友人と、広く交際できると言うのであれば、ここでいう人
格の完成度が高い、つまり、社会適応性のすぐれた子どもということになる。

【子ども診断テスト】

(  )友だちのための仕事や労役を、好んで引き受ける(共感性)。
(  )してはいけないこと、すべきことを、いつもよくわきまえている(自己認知力)。
(  )小遣いを貯金する。ほしいものに対して、がまん強い(自己統制力)。
(  )がんばって、ものごとを仕上げることがよくある(粘り強さ)。
(  )まちがえても、あまり気にしない。平気といった感じ(楽観性)。
(  )友人が多い。誕生日パーティによく招待される(社会適応性)。
(  )趣味が豊富で、何でもござれという感じ(柔軟性)。

 ここにあげた項目について、「ほぼ、そうだ」というのであれば、社会適応性のすぐれた子ども
とみる。
(はやし浩司 社会適応性 サロベイ サロヴェイ EQ EQ論 人格の完成度)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司※

●雑感・あれこれ

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●もう9月も20日

昨日から、市内の鴨江寺で、秋の彼岸会が始まっている。
「秋だなア」と思うと同時に、「今年1年も、あと3カ月・・・」と
思ってしまう。

本当に月日のたつのは早い。
昨日、昔世話になったKさん(男性)を見舞った。
今年79歳になるという。
この5月に敷居でころんで以来、車椅子の生活になったという。
10年ほど前に、一度、すい臓がんを患ったが、そちらのほうは、治ったようだ。
見た目には元気そうだった。

子どもの世界を見ていると、10年単位で、どんどんと変わっていく。
同じように、老人の世界も、10年単位で、どんどんと変わっていく。

●クリスマス

 日本人は、昔から「神様」には、おおらか。
「八百万(やおよろず)の神」というほどで、そのまま読めば、800万人の神様がいることにな
る。
野にも山にも、小川にも家の中にも・・・。

 だから神様なら、何でもよいということになる。
ある女性(当時、50歳くらい)は昔、私にこう言った。
「人がいいと言っていることは、何でもやったらいいのです」と。
・・・ということで、その女性は、複数(5、6)の信仰団体に出入りしていた。

 仏教もキリスト教も、日本人にとっては、その一部でしかない。
だから仏教徒でありながら、クリスマスを祝ったところで、何ら違和感を覚えない(?)。
神様に対するおおらかさが、ちがう。
寛大さが、ちがう。

 9月も終わりに近づくと、もうクリスマスが気になる。
年賀状が気になる。
その年賀状。
今年から、年賀状を再開。
虚礼を廃して、本当に大切にしたい人だけと交換することにした。

●天国

 仏教には、「天国」という考え方はない。
ないものはないのであって、どうしようもない。
「天上」という言葉はあるが、それは釈迦以前からインドにあった、「先天(しょうてん)思想」を
いう。
それが釈迦仏教に混入した。
「天上」というのは、いうなれば「理想郷」をいう。

 「生前、よい行いをすれば、その理想郷で生まれ変わることができる」(「哲学」宇都宮輝夫・
PHP)と。

 実際、釈迦自身は、「来世(=あの世)」などという言葉など、一度も使っていない。
来世思想が混入したのは、釈迦入滅後のこと。
「前世」「来世」と言うようになったのは、ヒンズー教の輪廻転生思想の影響によるものである。

 そういう点では、釈迦は、たいへん現実的なものの考え方をしていた(法句経)。
たとえば『苦行では、悟りは得られない』と教え、「中正」という生き方を導く。
わかりやすく言えば、ごくふつうの人間として、ふつうの生活をしながら、その中で自分を磨い
ていくことこそ、大切、と。

 私はキリスト教徒ではないので、私には「天国」はない。
入りたくても、入れない。
まっ、ここはあきらめるしかない。
「メリークリスマス!」と言いながら、神の国を、横目で見るしかない。

●「我」

 仏教では、「我」を認めない。
わかりやすく言えば、「私」を認めない。
これが「私」と思っているものでも、玉ねぎの皮のようなもの。
一枚ずつ、どんどんとめくっていくと、最後には、何も残らない。

 「私は私」と思っているのは、ただの意識にしか過ぎない。
が、意識こそ、まさに「無」。
だから仏教では、「我」、つまり「私という意識」からの解脱を説く。
「解脱」というのは、「私という執着から、自らを解放すること」をいう。
その「私」に執着すかぎり、安穏たる日々は、ぜったいにやってこない。
そこから「一切皆苦(一切行苦)」という言葉も生まれた。

 平たく言えば、「私の名誉」「私の地位」「私の財産」・・・などと、「私」にこだわっているかぎり、
安穏たる日々は、やってこないということ。
が、その「私という意識」から解放されれば、そこは恐ろしく広くて、心静かな世界。
四法印で説く、『涅槃静寂(ねはんせいじゃく)』というのは、そういう世界をいう。

●孤独な世界

 来世思想を否定すれば、そこに待っているのは、「孤独」という無間地獄。
・・・と考えていたが、このところ、私の考え方が、少し変化してきた。
大切なことは、「私という意識」をどうとらえ、どう解釈するかということ。
「私という意識」を、「私の肉体」に閉じ込めてしまえば、たしかに、そこに待っているのは、「孤
独」ということになる。

 しかし「私という意識」には、連帯感をもたせることもできる。
たとえば今、この文章を読んでくれる人がいたとする。
多少の時間差、地域差はあるかもしれないが、(そんなものは、何でもない)、その瞬間、私の
意思と、その人の意思が、この文章を介して、つながる。

 つまりこうして「私の意思」を、他人に伝えていけば、仮に肉体は滅びても、意思は残る。
それを「生」ととらえれば、私は不滅ということになる。
孤独にならなければならない理由すら、ない。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

●加齢と精神の完成度

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加齢とともに、精神的に完成度が高くなる
ということは、まっかなウソ!
むしろ加齢とともに、精神的にガタガタに
なる。
そういう人のほうが、多い。
何かの精神的な病(やまい)をもてば、なおさら。

定番のうつ病(失礼!)のほか、パニック障害、
もろもろの人格障害、精神障害などなど。
何かの認知症になれば、なおさら。

何かの身体的な病気をかかえると、それがきっかけで、
ガタガタになる人も少なくない。

そういう人たちを身近に見ながら、
このところ「じょうずに老いるには、どうしたら
よいか」。
そんなことをよく考える。

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●気力と精神病

 骨だけでは、身体を支えることはできない。
筋肉があって、はじめて、私たちは身体を支えることができる。
同じように、精神力だけでは、私たちの精神を支えることはできない。
「気力」があって、私たちは精神を支えることができる。

 たとえば何か困難な場面に遭遇したとする。
肉親の死や事故など。
そういうとき精神力だけで、自分の精神を支えることは難しい。
「乗り切ってやろう」という気力が必要である。

●仮面

 私たちはみな、仮面をかぶって、生きている。
仕事をしている。
仮面をかぶることが悪いというのではない。
ショッピングセンターの女性店員ですら、仮面をかぶって仕事をしている。
穏やかでやさしそうな笑みを浮かべて、「いらっしゃいませ」と言って頭をさげる。
そういう姿を見て、「この女性は、人間的にすぐれた人格者」などとは思ってはいけない。

 医師だって、政治家だって、企業家だって、みな、仮面をかぶっている。
もちろん私だって、仮面をかぶっている。
その仮面を裏から支えるのが、気力ということになる。

●持病

 同じように、だれしも、何らかの持病をかかえている。
私のばあいも、上から、左耳の難聴。
右の上腕痛。
便秘。
それに脚痛など。

 しかし今はまだ体力があるから、それらを何とか、カバーしている。……できる。
上腕痛は、2か月ほどまで、草刈機を使ったときから、起こるようになった。
便秘は、自分でセンナ茶を煎じて、何とかしのいでいる。
脚痛については、体重を減らしたり、運動量をふやしたりして対処している。

 が、加齢とともに、体力そのものが弱くなる。
とたん、持病が表に出てくる。

●気力

 精神疾患にも似たようなところがある。
私は元来、いじけやすい性格をもっている。
何かのことでつまずいたりすると、そこでいじけてしまう。
が、仕事の上で、いじけることはできない。
いつも先生面(づら)して、偉そうなことを言っている。
それをカバーするのが、気力ということになる。

 持病をカバーする、体力。
精神的もろさをカバーする、気力。
これら両者の関係は、たいへんよく似ている。

 つまり加齢とともに、気力も弱くなり、その下に隠れていた精神的もろさ、つまり人間性が、表
に出てくる。

●自分の「地」

 わかりやすく言えば、若いときというのは、いい人ぶるのは、簡単なこと。
それらしい顔をして、それらしいことを言えばよい。
それを支えるのに、じゅうぶんな、気力がある。

 が、加齢とともに、その気力が弱くなる。
長つづきしなくなる。
とたん、自分の「地」が、表に出てくる。

 こんな話を耳にした。

●ある男性(75歳)

 その男性は、現役時代は、XX局の副長をしていた。
人望もあり、統率力もあった。
晩年は、全国の関係機関を回り、その指導を繰り返していた。

 が、それは(表)の顔。
晩年になると、とくに家の中では、様子がまったく違った。
夜中じゅう起きていて、大声で家人を呼びつけていた。
「水、もってこい!」「背中が痛いから、湿布薬を張れ!」と。

 そのため妻や、息子夫婦は、みな、ノイローゼになってしまった。
とくに息子の妻(=嫁)は、痛々しいほどまでに体重を落としてしまった。

が、である。
仮面をかぶる気力がまったくなくなってしまったかというと、そうでもない。
弟夫婦が、遠方から訪ねてきたりすると、別人のように穏やかで、やさしい父親を演じてみせ
ていた。

 そんなキャリアをもつ人でも、そうなる人は、そうなる。

●人間性

 加齢とともに体力は落ちる。
同じように気力も、落ちる。
仮面を維持できなくなる。
そのときその人のもつ人間性が、そのまま(表)に出てくる。

 その人間性がよいものであれば、問題ない。
加齢とともに、ますます円熟味に磨きがかかる。
が、そうでなければ、そうでない。

 へたをすれば、邪悪な性格、醜い人間性が、そのまま表に出てくる。
これがこわい。

●人間性

 その人の人間性は、10年とか20年とか、長い年月を経て、熟成される。
それも健康論に似ている。

 先日、ワイフの友人(男性)が、98歳という年齢で亡くなった。
その男性は、92歳を過ぎても、テニスのコーチとして活躍していた。
いくつかの会場をもっていて、遠いところだと、20キロ近くもある。
その会場へ、毎週、自転車で通っていた。

 その男性は、若いときからテニスが好きで、そのテニスを通して、体を鍛えていた。

 同じように、人間性もまた、日々の鍛錬のみによって、熟成される。
難しいことではない。

(1)ウソをつかない、(2)約束は守る、(3)ルールに従う。

 この3つだけでよい。
この3つだけを守ればよい。
それが10年、20年という年月を経て、その人の人格となり、人間性となって表に表れてくる。

●ズルイ人

 一方、ズルイ人は、ズルイ。
何かにつけて、ズルイ。
一事が万事。
小細工に小細工を重ねる。
小細工を重ねているという意識がないまま、重ねる。
そうした行為が、ごく日常的なことして、できる。

 だからしばらくつきあっていると、何がなんだか、訳が分からなくなる。
ウソとホントが、ごちゃ混ぜになり、ウソを指摘すると、そのつど巧みに、その場を逃げたりす
る。
あるいはとぼける。
さらに追及すると、興奮状態になったりする。

 が、こういう生き方を、10年、20年とつづけていると、その人の人間性が狂ってくる。
そしてそれがそのままその人の人間性となって、定着してしまう。

●有終の美

 こうして考えてみると、老人になると、その人の人間性が、そのまま出てくると考えてよい。
しかしこれが、先にも書いたように、こわい。
このことは、まわりにいる老人たちを観察してみると、それがわかる。

 老人のなり方は、千差万別。
千人いれば、みな、ちがう。
そこにその人の、それまで歩んできた人生が、すべて凝縮される。
好ましい人格者の人もいれば、もちろんそうでない人もいる。
だからといって、つまりどういう老人であれ、人、それぞれ。
その老人がそれでよいと思っているなら、それはそれでよい。
が、これだけは言える。

 どうせたった1回しかない人生。
自分の納得いく人生を送り、最後は、有終の美を飾って、死んでいきたい。
……というのが、今の目標。

 自信はないが、その目標に向かって、今日も精進(しょうじん)あるのみ。
がんばろう。

 2009年9月22日、火曜日。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

●ルーム・ウォーカー使用記

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ルーム・ウォーカーを使用するようになって、1週間が過ぎた。
いろいろなものを買ってきたが、これほど役に立ったものはない。
・・・と言えるほど、現在のところ、役に立っている。

毎日、計40分前後は、ルーム・ウォーカーの上で歩いている。
汗をかいている。
それが楽しい。
終わったあとは、気分もよい。

そのルーム・ウォーカーを使っていて、いくつか気づいた点がある。
これから買う人のために、メモの形で、残しておきたい。

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(1)手はできるだけさげた姿勢で歩くのがよい。

 取っ手が前と前上部についているが、それにつかまっていると、
だれかに引っ張ってもらいながら歩いているような感じになる。
これでは、運動の目的が半減する。
 そのため手はできるだけさげた状態、つまり取っ手の下のほうに、
手を軽くあてているだけといったふうに、歩いたほうがよい。

(2)顔は45度くらい上を向けて歩く

 最初のころは、どうしても顔が下向きになる。
姿勢が悪くなる。
だから顔を45度くらい上に向けながら、歩く。
姿勢がまっすぐ伸びて、その分だけ、足が前方にさっさと出るようになる。

(3)音に注意

 これは自分でしてみて気がついたことだが、右足と左足が作る足音の質が異なる
ときがある。
たとえば、パタ・ペタ・パタ・ペタ……と。
利き足とそうでない足のちがいかと思ったが、そうではない。
原因は歩き方。
歩き方が、まずい。
そこで自分の足音を聞きながら、どうすれば同じような足音になるかを調整する。
まっすぐ、交互に同じように力を入れてあるくと、パタ・パタ……と同じような
音になる。
これで自分の歩きかたを、矯正することができる。

(4)歩き方

 右足と左足の流れを平行にして歩く……これを「平行歩き」という。
右足と左足が一直線になるよう歩く……これを「直線歩き」という。
右足が、左足ラインを、左足が右足ラインを歩くようにして歩く……これを「ちどり足歩き」とい
う。
ほかに「小また歩き」「大また歩き」など。

 自分でいろいろな歩き方を試してみた。
うしろ歩きに歩く方法試してみた。
横歩きに歩く方法も、試してみた。

 私の印象では、上記の「ちどり足歩き」というのは、美容効果もあるのではないか。
腰部がそのつど、ぐいぐいとひねられるような感じになる。
ただし長くつづけるのは、無理。
そのうち歩くだけで精一杯といったふうになり、汗がジワリと出てくるようになると、
いろいろな歩き方を試す余裕がなくなってくる。

 今は、1回、20分が限度。
もう少し先になったら、30分はつづけてみたい。
テレビを見ながら、あるいは雑誌を読みながら歩くのもよい。

 そんなわけでメーカーに一言。
雑誌を読みながらできるように、雑誌を置けるような、パネルのようなものを取りつけてほし
い。

(補記)60歳を過ぎて、「健康を取り戻すなんて無理」と考えている人へ

 自分でやってみて気がついたが、60歳すぎても、健康は増進できる。
今回のルーム・ウォーカーもそうだが、毎回、回を重ねるごとに、足腰が軽くなっていくのを実
感できる。

 あきらめてはいけない!
現在、体重は、60キロ。
数か月前までは、68キロ台もあった。
苦しい闘いがつづいたが、今は、その状態で、以前と同じような生活ができる。
足の裏の痛みも、かなり楽になった。
頭の働きも快調になった。

だから、あきらめてはいけない!
まだまだ、人生、これから!

(はやし浩司 ルーム・ウォーカー ルームウォーカー ルーム・ランナー
ウォーキングマシン ウォーキング・マシン ランニング・マシン ランニング
マシーン)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 09++++++++はやし浩司

●草食男子

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だれがつけた名前かは知らないが、「草食男子」という
言葉がある。
あちこちで耳にする。
「肉食男子」に対する言葉として、「草食男子」という。

ヤギとかウサギのような草食動物のように、おとなしく、ハキがなく、穏やかで、やさしい。
そういう男性を、「草食男子」という。
「性欲も淡白な傾向が見られる」(Life、10月号)とか。
性欲も淡白?

そのほかの特徴としては、

(1)恋愛に消極的
(2)家庭的
(3)繊細
(4)優しそう
(5)協調性が高そう(同書)とある。

 全体的に見れば、マザコンタイプの男性ということになる。
本来なら、父親が、母子関係の中に割って入り、男児の女性化を修正しなければならない。
が、その父親の存在感が薄い。
あるいは父親自身が、マザコン的。
子どもがそうであっても、それに気づかない?
あるいはそのまま受け入れてしまう?

 本来、男性というのは、「肉食的」。
女性とくらべても、肉食的。・・・のはず。

●性欲

たとえば視床下部に性欲を司る部位がある。
「内側視索前野」と呼ばれる部分だが、別名、「第一性欲中枢」とも呼ばれている。
ここから「セックスをしたい」という指令が発せられる。
この内側視索前野は、男性のそれは、女性のそれの2倍ほどの大きさがある。
つまり男性のほうが、その分だけ性欲に対する欲求が、はげしいということになる。

 大きいから、それだけ「はげしい」と短絡的に結びつけることはできないが、長い進化の過程
でそうなったと考えるのが、妥当。
もし男性も女性も、同じように攻撃的になってしまったら・・・。
あるいは反対に、男性も女性も、同じように受動的になってしまったら・・・。
その時点で、人類は、滅亡していたことになる。

 つまり本来、育て方で、男児が女性化するということはあっても、性欲まで「受動的」になると
いうことは、ありえない。
(それとも育て方次第で、内側視索前野が萎縮するとでもいうのだろうか?)

 私が書きたいのは、「草食男子」であっても、こと性欲については、ふつうの男子と、とくに大
きなちがいはないということ。

●肉食女子

 「草食男子」に呼応して、「肉食女子」という言葉も、流行っている。
男性に対して、攻撃的で積極的な女性をいう。
ネーミングとしては、おもしろいが、やはりこと性欲に関していえば、女性は女性。
ただ、私は食べ物によって、男性も、女性も、性欲に関しては、ある程度の影響を受けるので
はないかと考えている。

 たとえばニンニクがある。
私はニンニクを食べると、そのあとなどは、いつも、(いつもより)、強力な性欲を感ずる。
そういうことはある。
が、肉食女子というから、性欲面においても、攻撃的で積極的ということにはならない。

 ただ女性のばあい、セックス中枢が、満腹中枢(食欲中枢のひとつ。食欲中枢には、満腹中
枢と摂食中枢がある)に近いため、満腹度によって大きく影響を受けるとされる。

これに対して男性のばあいは、セックス中枢が、摂食中枢、つまり空腹感を覚える中枢に、よ
り近いところにあるため、空腹感によって大きく影響を受けるとされる。

●女性化する男子

 男子の女性化は、すでに20年近くも前から、指摘され、問題になっている。
その中でもとくに注目されているのが、環境ホルモン説。
以前、私が書いた原稿をさがしてみた。
つぎのは、10年ほど前に書いた原稿である。

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【環境ホルモン(内分泌かく乱化学物質)と、男児の女性化】

 小学校の低学年児について言えば、いじめられて泣くのは男の子、いじめるのは女の子とい
う、図式がすっかり定着してしまっている。それについて、以前書いた原稿を、先に転載する。

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●進む男児の女性化(中日新聞に掲載済み)

 この話とて、もう15年近くも前のことだ。花柄模様の下敷きを使っている男子高校生がいた
ので、「おい、君のパンツも花柄か?」と冗談のつもりで聞いたら、その高校生は、真顔でこう
答えた。「そうだ」と。

 その当時、男子高校生でも、朝シャンは当たり前。中には顔面パックをしている高校生もい
た。さらにこんな事件があった。市内のレコードショップで、一人の男子高校生が白昼堂々と、
いたずらをされたというのだ。その高校生は店内で5、6人の女子高校生に囲まれ、パンツま
でぬがされたという。こう書くと、軟弱な男子を想像するかもしれないが、彼は体格も大きく、高
校の文化祭では一人で舞台でギター演奏したような男子である。私が、「どうして、声を出さな
かったのか」と聞くと、「こわかった……」と、ポツリと答えた。

 それ以後も男子の女性化は明らかに進んでいる。今では小学生でも、いじめられて泣くのは
たいてい男児、いじめるのはたいてい女児、という構図が、すっかりできあがっている。先日も
一人の母親が私のところへやってきて、こう相談した。「うちの息子(小2)が、学校でいじめに
あっています」と。話を聞くと、小1のときに、ウンチを教室でもらしたのだが、そのことをネタ
に、「ウンチもらしと呼ばれている」と。母親はいじめられていることだけを取りあげて、それを
問題にしていた。が、「ウンチもらし」と呼ばれたら、相手の子どもに「うるさい!」と、一言怒鳴
ってやれば、ことは解決するはずである。しかもその相手というのは、女児だった。私の時代で
あれば、相手をポカリと一発、殴っていたかもしれない。

 女子が男性化するのは時代の流れだとしても、男子が女性化するのは、どうか。私はなに
も、男女平等論がまちがっていると言っているのではない。男子は男子らしく、女子は女子らし
くという、高度なレベルで平等であれば、それはそれでよい。しかし男子はいくらがんばっても、
妊娠はできない。そういう違いまで乗り越えて、男女が平等であるべきだというのは、おかし
い。いわんや、男子がここまで弱くなってよいものか。

 原因の一つは言うまでもなく、「男」不在の家庭教育にある。幼稚園でも保育園でも、教師は
皆、女性。家庭教育は母親が主体。小学校でも女性教師の割合が、60%を超えた(98年、
浜松市教育委員会調べ)。現在の男児たちは、「男」を知らないまま、成長し、そしておとなにな
る。あるいは女性恐怖症になる子どもすら、いる。しかももっと悲劇的なことに、限りなく女性化
した男性が、今、新時代の父親になりつつある。「お父さん、もっと強くなって、子どもの教育に
参加しなさい」と指導しても、父親自身がそれを理解できなくなってきている。そこでこういう日
本が、今後、どうなるか。

 豊かで安定した時代がしばらく続くと、世相からきびしさが消える。たとえばフランスは第一次
大戦後、繁栄を極めた。パリは花の都と歌われ、芸術の町として栄え、同時に男性は限りなく
女性化した。それはそれでよかったのかもしれないが、結果、ナチスドイツの侵略には、ひとた
まりもなかった。果たして日本の未来は?

++++++++++++++++++++++++

●環境ホルモン(内分泌かく乱化学物質)

 こうした男児の女性化について、環境ホルモン(内分泌かく乱化学物質)原因説がある。ここ
でいう「環境ホルモン」という言葉は、NHKが放送番組用に作った言葉で、正確には「内分泌
かく乱化学物質」という。

 この環境ホルモンは、ホルモンそのものではない。「生体のホルモン受容体に作用するなど
して、ニセのホルモンとして働いたり、その反対に、ホルモン受容体をブロックすることで、ホル
モン本来の作用を妨げたりする化学物質」(福島章著「子どもの脳が危ない」・PHP新書)とい
うことになる。

 その結果、環境ホルモンは、さまざまな影響を、体におよぼす。そのうちでも、近年、問題に
なっているのが、生殖機能への影響である。福島章氏の「子どもの脳が危ない」に書かれてい
る事例を、ここにあげてみる。

●多摩川のコイの7割が、メスであった(91年)。しかもオスの精巣の発達が不完全であり、雌
雄同体のコイも発見された。原因は洗剤などに含まれる、ノニルフェノールだと言われている。
●イギリスでは、ニジマスやローチという魚のオスの精巣がやはり不完全であった。原因はや
はりノニルフェノールと言われているが、ピルに含まれている女性ホルモンという説もある。
●カナダのセントローレンス川では、白鯨のオスがメス化して、メスの妊娠率が低下しただけで
はなく、ガンが多発していることがわかった。
●アメリカでは、ハクトウワシの孵化率が低下した。アジサシやカモメなどの鳥類では、オスの
メス化が進んでいる。
●フロリダ州のミッシシッピーワニのペニスが小さくなり、精巣機能が低下し、血中のテストステ
ロン(男性ホルモン)が低下しているのがわかった。

 さらに人間に与える影響としては、「男子の精子数が減少しているだけでなく、元気がなくなっ
た」という報告も、多いという。たとえば、「91年に、デンマークのスキャケベック博士は、ここ5
0年の間に、男性の1回の射精に含まれる精子数が、1ミリリットルあたり、1億1000万から、
6000万に、42%も減少し、さらに受胎に必要な精子数2000万以下の男性は、この間に3
倍に増加した」(同書)そうだ。

 こうした影響からか、人間についても、男性の性衝動が弱くなったという報告もある。男児の
女子化が、その流れの中にあるとしたら、これはたいへん深刻な問題と考えてよい。

 そこで私たち親は、この問題に対して、どう対処したらよいかだが、とりあえず注意すべきこ
とは、食器や調理道具から、プラスチック製品を取り除くということ。とくにプラスチック製品が、
何らかの形で、熱湯とふれるようなときが、危険だという。環境ホルモン、つまり内分泌かく乱
化学物質の大半は、これらのプラスチック製品から溶けでるという。カップヌードルなども、発
泡スチロールの容器の中から一度、陶器の茶碗などに移してから、熱湯をかけるとよい。

 なお女性のばあい、最近若い人の乳がんがふえているが、その原因も、ここにあげたノニル
フェノールではないかと言われている。注意するにこしたことはない。
(02−11−26)

●世の男性諸君よ、スケベであることを喜ぼうではないか。もっともっとスケベになって、妻たち
を、ハッピーにしてあげようではないか。種族を後世に残すために。

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●終わりに

 「草食男子」……これからこの名前は、あちこちで使われるようになるだろう。
しかし一言。

 動物の世界のことをよく知っている人なら、こう反論するだろう。
「草食動物がおとなしいというのは、ウソ」と。

 草食動物が、草食動物的に見えるのは、あくまでも人間の目に、そう見えるだけ。
一方、肉食動物が、肉食動物的に見えるのは、あくまでも人間の目に、そう見えるだけ。
食べる餌が、動くか動かないかのちがい。
食べる餌が動かないから、草食動物は、はげしく動き回る必要はない。
が、食べる餌が動けば、肉食動物は、それに応じて、はげしく動かねばならない。
それが(見た目のちがい)となっている。

 その時期になれば、草食動物だって、雌を取り合って、はげしい闘争を繰り返す。
肉食動物だって、おとなしいときには、おとなしい。

 さらに、こと性欲に関して言えば、草食男子も肉食男子も、ちがいはない。
同じように、肉食女子も、草食女子も、ちがいはない。
ちがいはないが、もし本当に「性欲も淡白」(同書)ということであれば、ことは深刻。
環境ホルモンだけが原因とは言えないが、何らかの原因が、だれにもわかる程度に、この10
年で人間にも影響が出始めたとも考えられる。
で、もしそういう男性を、「草食男子」というのなら、ただ単なる言葉の遊びとしては、すまされな
くなる。

 繰り返すが、ことは深刻!

(はやし浩司 草食男子 草食男性 肉食女子 性欲 男女の性欲 視床下部 内側視索前
野 環境ホルモン はやし浩司 内分泌かく乱化学物質 食欲中枢 満腹中枢 摂食中枢 は
やし浩司 男児の女性化)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 09++++++++はやし浩司

●前頭連合野

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前頭連合野は、言うなれば、知性と理性のコントロール・センター。

その働きを知るためには、ひとつには、「夢」の内容を知るという方法
がある。
夢を見ているときには、前頭連合野は、働いていない。
そのため、人は、支離滅裂な、前後に脈絡のない夢を見る。

言い換えると、もし前頭連合野の働きが弱くなれば、私たちの思考は、
ちょうど夢を見ているような状態になる。
もしそうなれば、自分でも、何をどう考えているか、さっぱりわからなく
なるだろう。
もちろん自分の考えをまとめることさえできない。
電車に乗り遅れる夢を見るように、ただあわてふためくだけで、それで
終わってしまう。

いつもの私の夢が、そうだ。

+++++++++++++++++++++++++++++++

●前頭連合野

 人間の脳みその、約3分の1は、前頭連合野と呼ばれる部分だそうだ。
人間は、とくにこの部分が発達している。
そのため、猿やチンパンジー、古代人の骨格と比べても、人間の額は大きく、広い。
言うなれば、知性と理性のコントロール・センター。
それがこの前頭連合野ということになる。
が、もしこの前頭連合野の働きが鈍くなったら・・・。

 私たちの思考は、ちょうど夢を見ているときのような状態になると考えられる。
というのも、人間が眠っている間というのは、前頭連合野も、眠った状態になっている。
反対に、そのことから、前頭連合野の働きを、私たちは知ることができる。

●今朝の夢

 実のところ、今朝の夢というのは、よく覚えていない。
夢というのは不思議なもので、半日もたつと、それが今朝の夢だったのか、それとも何日も前
に見た夢だったのか、わからなくなる。

 が、今朝見た夢は、こんなものだった。

 山の中の、どこかの駅に向かっている。
新幹線の中のようだが、窓がなく、貨物室のようになっている。
それが川沿いを走ったり、山の中を走ったりしている。
ところどころ線路が切れているが、新幹線は、そのまま走り続けている。
が、やがて、森のようなところをぐるりと回ったところで、新幹線は止まる。

 中央にプラットフォームがあって、その向こうには、別の電車が待っている。
ローカル線である。
切符を買うために、駅舎へ向かうが、料金がわからない。
長野を通って、仙台へ行く・・・というようなことを、私は話している。
途中、高い山を電車は越えるらしい。
山の途中には、ひなびた温泉街がいくつも並んでいる・・・。

●小鳥の思考

 理屈で考えれば、矛盾だらけの夢である。
夢の内容に連続性がない。
それに非合理。

 そこで私は、ふとこう考えた。
前頭連合野がまだ未発達だったころの人間は、こうした思考方法を、日常的にしていたのでは
ないか、と。

 もちろん目の前に見える(現実)に対しては、現実的な行動をする。
餌となる食べ物があれば、それを口にするまでの行動を開始する。
危険が迫れば、それを回避するための行動を開始する。

しかしこと(思考)ということになると、それをまとめあげ、合理的に判断し、前後を論理的につ
なげる能力はない。
恐らく、目を閉じたとたん、私たち人間が夢を見ているときのような状態になるのではないか。

 ミミズが地面をはっている。
その横に、大きな木の枝がある。
木の枝の中には、おいしそうな種がいっぱいつまっている。
それを高い空を飛びながら、上から見ている、と。

 小鳥なら、きっとそんな光景を思い浮かべるかもしれない。
もちろん言葉もないから、それを的確に、別の鳥に知らせることもできない。

●理性の源泉

 が、人間のばあいは、目を閉じても、それで前頭連合野の活動がそこで停止するわけではな
い。
目を閉じていても、言葉を使って、ものごとを論理的に考え、理性的な判断をくだすことができ
る。
それがしっかりとできる人のことを、理性的な人といい、そうでない人を、そうでない人という。
程度の差は、当然、ある。
言うなれば、神に近いほど、理性的な人もいれば、反対に、動物に近いほど、そうでない人も
いる。
その(ちがい)は何によって生まれるかといえば、結局は行きつくところ、(日々の鍛錬)というこ
とになる。

 このことは幼児期前期の子どもたちを見れば、よくわかる。
エリクソンが、「自律期」と名づけた時期である。

●自律期

 年齢的には、満2歳から4歳前後ということになっている。
実際には、乳幼児期を脱し、少年少女期へ移行する、その前の時期までということになる。
この時期の子どもは、親や先生に言われたことを忠実に守ろうとする。
この時期をとらえて、うまく指導すると、いわゆる(しつけ)がたいへんしやすい。
が、この時期に、(いいかげんなこと)をしてしまうと、子どもはやがて、ドラ息子、ドラ娘化す
る。

 ものの考え方が享楽的になり、自己が発する欲望に対して、歯止めがきかなくなる。
わがままで、自分勝手。
感情のコントロールさえ、ままならなくなる。

 つまりこの時期に、前頭連合野の働きが活発になり、ある程度の形がその前後に形成され
ると考えてよい。
もちろんそれ以後も、前頭連合野の形成は進むだろうが、原型は、その前後に形成されると
考えてよい。

●夢と前頭連合野

 そこでこう考える。
夢の中でも、前頭連合野を機能させることはできないものか、と。
しかしそれでは、睡眠が妨げられることになる。
ただ、ときどき、ほとんど起きがけのころだが、夢と現実が混濁するときがある。
そういうときというのは、かなり理性的な判断(?)ができる。
「これは夢だぞ」と、自分で、それがわかるときさえある。
あるいはこんなこともあった。

 この話は少し前にも書いたが、こんな夢を見たことがある。

 歩いていて、その男女の乗った車に、体をぶつけてしまった。
中から男が出てきて、ワーワーと大声を出して、私に怒鳴った。
で、私は目を覚ましたが、そのときのこと。
私はそれが夢だったと知り、もう一度、夢の中に戻りたい衝動にかられた。
夢の中に戻って、その男女の乗った車を、足で蹴飛ばしてやりたかった。

 が、このとき、脳のほとんどは覚醒状態にあったが、前頭連合野だけは、まだ半眠の状態で
あったと考えられる。
前頭連合野が正常に機能していたら、「蹴飛ばしてやる」ということは考えなかったかもしれな
い。
それ以前に、「夢は夢」と、自分から切り離すことができたはず。

 ・・・などなど。
前頭連合野の働きをわかりやすく説明してみた。
今度の高校生のクラスで、こんな話を、子どもたちにしてみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW 前頭連合野 前頭前野 理性の府 夢と理性)


Hiroshi Hayashi++++++++SEP.09+++++++++はやし浩司

●帰すう本能(The Last Home)

+++++++++++++++++++

晩期の高齢者たちは、ほとんど例外なく、
「〜〜へ帰りたい」と、よく言う。
母もそうだったし、兄もそうだった。
母は、自分が生まれ育った、K村の実家に、
兄は、やはり自分が生まれ育った、M町の実家に。

私の30年来の友人も、昨年(08年)に亡くなったが、
その友人は、九州の実家に帰りたいと、いつも言っていた。

こうした現象から、みな、人は死が近づくと、自分の
生まれ育った実家に帰りたがるようになると考えてよい。
それをそのまま「帰すう本能」と断言してよいかどうかは、
私にもわからない。
というのも、記憶と言うのは、加齢とともに、新しく
記銘された分から、先に消えていく。
古い記憶ほど、脳の奥深くに刻まれている。
そのため歳をとればとるほど、子ども時代、さらには
幼児期の記憶のみが残るようになる。

だから「帰る」となると、幼児期に育った世界へ、となる。

++++++++++++++++++++++++++

●私の場合は、どうか?

 私もあと10〜15年もすると、そうした老人の仲間入りをする。
うまく特別養護老人ホームに入居できればよし。
そうでなければ、独居老人となり、毎日悶々とした孤独感と闘いながら、暗い日々を送ることに
なる。

 そのときのこと。
私は、どこへ帰りたいと言うだろうか?

 理屈どおりに考えれば、私は、生まれ育ったM町の実家に帰りたいと言い出すにちがいな
い。
M町の記憶しか残らなければ、そうなる。
が、私は子どものころから、あのM町が、嫌いだった。
今でも、嫌い。
そんな私でも、その年齢になったら、「M町に戻りたい」と言いだすようになるのだろうか。

●放浪者

 私は基本的には、放浪者。
ずっと放浪生活をつづけてきた。
夢の中に出てくる私は、いつも、行くあてもなく、あちこちをさまよい歩いている。
電車に乗って家に帰るといっても、今、住んでいるこの浜松市ではない。
この家でもない。
もちろん実家のあるM町でもない。

 ときどき「これが私の家」と思って帰ってくる家にしても、今のこの家ではない。
どういうわけか、大きな、ときには、大豪邸のような家である。
庭も広い。
何百坪もあるような家。
見たこともない家なのに、どういうわけか、「私の家」という親近感を覚える。
が、たいていそのまま、目が覚める。

 が、その家は、いつもちがう。

 つぎにまた見るときは、今度は別の家が、夢の中に出てきたりする。
つまり私は基本的には、放浪者。

●M町の実家

 ここ5、6年は、ときどき、M町の実家が夢の中に出てくることが多くなった。
表の店のほうから中へ入ると、そこに母がいたり、兄がいたりする。
祖父や、祖母がいたりすることもある。

 先日は、家に入ると、親戚中の人たちが集まっていた。
みんな、ニコニコと笑っていた。
もちろんいちばん喜んでくれるのが、私の母で、「ただいま!」と声をかけると、うれしそうに笑
う。
兄も笑う。
が、私は、実家ではいつも客人。
私の実家なのだが、実家意識は、ほとんど、ない。

●徘徊老人

 こう考えていくと、私はどうなるのか、その見当がつかない。
認知症になり、特別養護老人センターに入居したとする。
そんなとき、私は、どこへ帰りたいと言うだろうか。
それをワイフに話すと、ワイフは、こう言った。

「あなたは、まちがいなく、徘徊老人になるわよ」と。

 つまりあてもなく、あちこちをトボトボと歩き回る老人になる、と。
しかしこの意見には、異論がある。

 先にあげた友人にしても、九州出身だったが、いつも浜松市内を徘徊していた。
距離が遠いから、まさか九州まで歩いて帰るということはなかった。
しかし気持の上では、九州まで歩いて帰るつもりではなかったか。
今にして思うと、友人のそのときの気持ちが、よく理解できる。

●さて、あなたはどうか?

 さて、あなたはどうか?
そういう状況になったとき、あなたなら、どこへ帰りたいと言いだすだろうか。
たいていの人は、自分が生まれ育った実家ということになる。
確たる統計があるわけではないが、90%近くの人が、そうなるのではないか。

 が、残り10%前後の人は、帰りたい場所もなく、浮浪者のように、そのあたりをさまよい歩
く。

ところで徘徊する老人は多いが、そういう老人をつかまえて、「どこへ帰るの?」と聞くと、ほと
んどが、「うちへ帰る」と答えるという。
たぶん、私も、「うちへ帰る」と答えるだろうが、その「うち(=家)」とは、どこのことを言うのだろ
うか。

 帰りたい家があり、その家が、あなたをいつまでも暖かく迎えてくれるようなら、そんなすばら
しいことはない。
しかし現実には、住む人の代もかわり、家そのものもないケースも多い。

 こう考えただけでも、老後のさみしさというか、悲哀が、しみじみと心の中にしみ込んでくる。
「老人になることで、いいことは何もない」と、断言してもよい。
そういう時代が、私のばあいも、もうすぐそこまで来ている。

(付記)

 最近、ワイフとよく話し合うのが、「終(つい)の棲家」。
で、結論は、終の棲家は、この家の庭の中に建てよう、である。
街の中のマンションも考えた。
病院やショッピングセンターに近いところも考えた。
しかし、私たちの終の棲家は、どうやらこのまま、この場所になりそう。

 今、別のところに移り住んでも、私たちは、そこには、もうなじめないと思う。
頭の働きが鈍くなってきたら、きっと、今のこの家に帰りたいと、だだをこねるように
なるだろう。

 だったら、終の棲家は、ここにするしかない。
・・・というのが、今の私たちの結論になりつつある。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW 終の棲家 帰すう本能 帰趨本能 徘徊 徘徊老人)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司※

●ルーム・ウォーカー

毎日、40〜50分は、ルーム、ウォーカーで、歩いている。
当初は、10分とか、1キロに設定していたが、
最近は、20分とか、2キロに設定している。
(使用時間か、距離数で設定できるようになっている。)
それはそれでよいのだが、……というか、やはり
20分はしないと、汗は出てこない。
有酸素運動ということになれば、20分以上は、したほうがよい。
10月からは、1回につき、30分に挑戦してみる。

ところが、である。
予期しなかった現象が出てきた。
伏兵というのである。

実は、昨日、道路を歩いていて、2度もころびそうになった。
一度は、階段を上がるとき。
もう一度は、何と、深々としたジュータンの上を歩くとき。

理由はやはり、ルーム・ウォーカーにあることがわかった。
ルーム・ウォーカーでは、歩くとき、膝をほとんどあげないで歩く。
(いざり歩き)というか、足裏をベルトにほとんどこすりつけるようにして歩く。
それがクセになり、そのままの歩き方で、道路を歩く。
ちょっとしたことで、つまずくようになった(?)。

そこで私は考えた。

ルーム・ウォーカーに、ハードル競技のような、小さなハードルをとりつけることにした。
足でひっかけてもよいように、厚紙のようなものでつくればよい。
まだ実行していないが、このあと朝食が終わったら、さっそく、やってみよう。
そうすれば歩くのに合わせて、膝をあげるようになる。

うまくいけばよいのだが……。
ところでその分だけ、このところサイクリングをする回数が減っている。
居間でいつでも運動ができる……という思いが、サイクリングを減らす理由になっている。
便利なことはよいのだが、ルーム・ウォーカーにも、いろいろ問題があるようだ。


●ミニパソコン

 ミニパソコンを、現在、3台使っている。
HP社のもの、MSI社のもの、それにACER社のもの。
それぞれに一長一短があって、どれがよいということにはならない。
が、今の私には、ACER社のものが、いちばん使い勝手がよい。
「ASPIRE ONE」という機種である。

 ただし画面が8インチしかない。
で、現在、10インチのものに交換しようしている。
が、どこの店も、「下取りはしません」とのこと。
しかたないので、ネットで、新しいのを注文しようと考えている。
価格は、どんどんさがって、今では、3万4000円前後。
最初に買ったときの、約半額!
どうしようか?

 
●芝生

 秋になったせいなのか、芝生の一部が枯れ始めた。
水不足かもしれない。
この数か月間で、まとまった雨が降ったのは、2回だけ。
これでは芝生も、根を張ることさえできない。

 で、昨日、近くの店で、肥料を買ってきた。
全体にまいて、その上にたっぷりと水をかけてやった。
今は、その芝生の先端に、無数の種らしきものができている。
そのため芝刈り機で、芝を刈ることもできない。
今しばらく様子を見て、……つまりもう少し芝が伸びるのを見届けてから、芝を刈るつもり。


●ハトの巣

 居間の前の栗の木に、ドバトが巣を作り始めた。
が、今朝見たら、巣は、からっぽ!
「どうしたんだろ?」とワイフに話しかけたら、ワイフが、「リスよ」と。

 リスが出没するようになって、もう10年近くになる。
当初は、餌まで買ってきて歓迎したが、それはまちがいだった。
リスのおかげで、野鳥が巣を作らなくなってしまった。

 前にも書いたが、リスは、地上のネズミ。
長いシッポの生えた、ネズミ。
あんなリスを見て、「あら、かわいい」と喜んでいる人の気がしれない。

(今日は9月27日、日曜日)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

●エネルギー

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大学時代の友人のこと。
数か月前、その友人が、
交通事故訴訟で、やっと結審を迎えた。
長い裁判だった。
4〜5年もかかった。
本来なら、もっと早く片づくべき裁判
だった。
が、保険会社がごねた。

この不況下ということもある。
保険会社は、支払い保険金をできるだけ安く
すませようする(?)。
そこで結果的には、裁判は、東京高裁にまで
もちこまれた。

しかし裁判をつづけるにも、それなりの
エネルギーがいる。
長くて、苦しい闘いがつづく。
いくら「勝つ」とわかっている裁判でも、
「裁判をする」ということ自体、不愉快。
裁判所へ足を運ぶということだけでも、
たいへん。
気が滅入る。
膨大なエネルギーを消耗する。
その日が来るたびに、重苦しい気分に
包まれる。

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●不正の追及

 正義を貫くには、それほどの努力はいらない。
それなりに自分を守れば、それですむ。
たいへんはたいへんだが、しかし悪の追及と比べたら、何でもない。
とくに力関係に差があるときは、そうである。

 たとえば(個人)と(組織)。
個人が、組織の悪と対峙したようなばあいを考えてみよう。
個人のもつ財力、人脈には限界がある。
一方、組織には、財力も人脈もある。
冒頭に書いた友人の交通事故裁判にしても、そうだ。

 訴えるのは、個人。
相手は巨大組織。

 地裁という下級審においても、3〜4年の歳月を要した。
裁判をつづけながら、友人は、その一方で、週に3〜4回、病院へ通わねばならなかった。
「首の骨のズレは、交通事故によるものではない。老化によるもの」というのが、保険会社の言
い分だった。
ほかにもいろいろある。
いろいろあって、そのつど難ぐせをつけ、保険会社は、保険金の支払いをしぶった。

 保険会社という大企業にとっては、裁判といっても、事務手続きのひとつにすぎない。
しかし被害者である個人にとっては、そうではない。
そうでないことは、裁判を経験したことがある人なら、みな、知っている。
裁判でなくても、家庭裁判所の調停でもよい。
あのイヤ〜ナ気分には、独特のものがある。

●トラブル

 それがどんなトラブルであるにせよ、人は、できるだけトラブルに巻き込まれるのを避けようと
する。
わずらわしい。
本当に、わずらわしい。
いわんや、裁判をや!

 私も、20年近く前、貸金の返還請求というのをしたことがある。
たいした額ではなかったが、相手の男の不誠実な態度が許せなかった。
それで最終的には、民事調停ということになったが、あのとき感じた、イヤ〜ナ気分は、今でも
忘れない。

 それを知っているから、友人も、さぞかし不愉快な思いをしたにちがいない。
その友人は、こう言っている。

「林君、保険に入るとしても、民間の保険会社とは契約してはいけないよ。
公的な機関の保険に加入したほうがいいよ」と。

 私も、それまでに、30年近く民間の生命保険会社と契約を結んでいたが、10年ほど前、解
約した。
一度、何かのことで保険金を請求しようと電話を入れたら、窓口の女子店員に、門残払いをさ
れてしまった。
私の話すら、じゅうぶんに聞いてくれなかった。
「病気になり、後遺障害が残ったら、保険金の支払いの対象になるとあるではないか」と迫った
が、だめだった。
相手にされなかった。

 不信感がつのり、そのまま解約。

 それにしても、裁判だけで、4〜5年。
最後は、東京高裁!
こんなバカげた保険会社が、どこにある!

 そうそう友人は、こうも言った。

「あいつら、とにかく保険金を払わない。
だから『裁判で争おう』と、しっかりと言うことだ。
そうすれば、払ってくれる」と。


●本漆(ほんうるし)

 実家を処分したとき、古い家財が、ごっそりと出てきた。
その中でも、価値があると思われるのは、本漆(ほんうるし)の食器類。
たいはんは、近所の人たちに無料で分けてやった。
残ったのは、この浜松へ持ち帰った。
が、何と言っても量が多い。

 そこで毎晩のように、仲のよいいとこたちに電話をかけ、それを分けてやっている。
みんな、喜んでくれている。

で、昨夜、改めて箱を見たら、「大正11年」と書いてあった。
今から100年近くも前の漆器である。
「古いもの」とは思っていたが、そこまで古いとは、思っていなかった。

 ズシリと重い。
塗りが厚いので、深みがまるでちがう。
しかも本漆。
スポンジで洗っただけで、そのまま新品のような光沢を放つ。

 
Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(090919)

●決別

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すでに、5、6年前のこと。
すでに心に、そう決めていた。
私は、母が死に、兄が死に、実家を片づけたら、
古里のM町からは縁を切ろうと。

だから兄が死に、母が死んだときも、その一方で、
「あと少しのがまん」と、自分で、自分に言って聞かせた。
もちろんだからといって、兄や母の死を喜んだというわけではない。
待ち望んでいたというのでもない。

母や兄と言うよりは、「実家」。
つまり私にとって、実家は、それほどまでに重いものだった。
この60年間、1日とて、心の晴れた日はなかった。
そうでない人には、信じられないような話かもしれないが、
私には、そうだった。

が、昨年の8月、兄が他界した。
つづいて10月、母が他界した。
葬儀だ、法事だと、あわただしく日々が過ぎた。
が、それも一段落すると、私は、すぐ実家の売却を計画した。
そのときすでに空家になって、5年になっていた。
M町の中でも、一等地(?)にあるということで、税金の負担も大きかった。
といっても、私はその税金を、30年以上、払いつづけてきた。
今さら負担という負担ではなかったが、放っておいても、朽ちるだけ。
おまけに市の伝統的建造物に指定され、壊したり、改築することもできなかった。

私は、親類には、ハガキで、こう知らせた。
「母の一周忌前後には、実家を売却を予定します。あらかじめご了承ください」と。
母の四九日の法要の連絡のときのことである。

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●心の整理

 数年単位の、時間が必要である。
心の整理が必要である。
「今日決めたから、明日、売却」というわけにはいかない。
古い柱、一本一本に、思い出がしみ込んでいる。
一歩、外に出れば、街の人たちの顔もある。
みな、顔なじみ。
「縁を切る」というのは、そういう人たちとの決別も意味する。

●決別

 こう書くと「決別まで……!」と驚く人も多いかもしれない。
しかしあの街には、私のゴミのようなものが、山のようにたまっている。
母の時代から、私は、あの街では、悪者だった。

「親を捨て、浜松の女性と結婚した」
「親の財産を、全部、自分のものにした」
「勝手に仏壇を、浜松に移した」
「親の葬儀を浜松でした」などなど。

 先日も実家へ帰り、近くの店に宅配便を届けたときも、その店の女性にこう言われた。
「あなた、親類の断りもなく、仏壇を浜松へ移したんだってねエ……」と。
イヤミたっぷりの、不愉快な言い方だった。
その言葉を聞いたとき、M町への思いが、ふっ切れた。

●売却

 実家の売却は、簡単なものだった。
買い主がお膳立てしてくれた銀行にみなが集まり、そこで書類に判を押して、それでおしまい。
買い主の女性が、何度も「ありがとうございます」と頭をさげるほど、格安の価格だった。
が、価格など、問題ではない。

 あの実家に貢いだ現金だけでも、その20倍以上はある。
が、それよりも、私の人生の大半は、あの実家のために犠牲になってしまった。
そうした(損害?)と比べたら、家の価格など、何でもない。
今さら、わずかな金額を手にして、それでどうなる?
私の心が、どう癒される?
私の人生が、どう戻ってくる?

●離縁

 「縁を切るというのは、こういうことだね」と、ワイフに話した。
心の中を、からっぽにする。
未練を残さない。
あっても、きれいさっぱり、それを忘れる。
掃除をして、心の外に掃き出す。

 私はその日、家の中に残っていた家財道具を、道路に並べた。
ビニールシートを敷き、その上に並べた。
花瓶、火鉢、食器類、掛け軸、棚、電気製品、家具などなど。
本うるしの漆器も数百個あったが、それも並べた。
で、ゆっくりと張り紙をした。

「長い間、お世話になりました。
使っていただけるものがあれば、どうぞ、使ってください。
ご自由に、お持ち帰りください」と。

 やがてすぐ、何10人もの人たちが集まり、それぞれが、それぞれを家にもって帰った。
中には、漆器類を、袋につめて帰る人もいた。

●未練

 少しおおげさな言い方になるかもしれないが、人は、死ぬときも、そうではないか。
つまり心の整理をする。
未練を消す。
心がきれいさっぱりしたところで、この世に別れを告げる。
「告げる」といっても、相手はいない。
自分の心に告げる。

 一方、「私」にこだわっているかぎり、平安な日々はやってこない。
「私の財産」「私の地位」「私の名誉」と。
そういうものをすべて捨てる。
捨てて、身のまわりから、何もかも消す。
そのとき人は、さばさばとした気持ちで、「死」を、迎え入れることができる。

●9月3日

 翌朝、長良川のほとりにある緑風荘という旅館で一泊したあと、そのまま浜松へ帰ってきた。
一度、実家に立ち寄り、「最後に……」と思って、外から実家をながめた。
実家は、そのままそこにあった。

 父が手作りで書いた看板だけが、強く印象に残った。
「林自転車店」と、それにはあった。
「家は残るとしても、看板はどうなるんだろう?」とふと、そんなことを考えた。
が、長くはつづかなかった。
私とワイフは、ほとんど立ち止まることなく、そのまま駅の方に向かって歩き出した。

 ゆるい坂道だった。
白い朝日が、まぶしかった。

私「二度と、この町に来ることはないね」
ワ「二度と……?」
私「何か、特別な用事でもないかぎりね……。でも、もう来ないよ」と。

 すべてが終わった。
本当に、すべてが終わった。
2009年9月3日のことだった。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

●ニッポン放送「石原良純のピーカン子育て日和」

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10月1日(木曜日)午後2:15〜ごろから、
ニッポン放送「石原良純のピーカン子育て日和」
にて、「子どもの叱り方」について話します。
興味のある方は、どうか、聴いてください。

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●12月13日・秋田県・秋田県庁で講演します。
10:00〜12:00ごろです。

読者の中で、秋田県の方がいらっしゃれば、ご一報
ください。
招待いたします。

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●帰すう本能(The Last Home)

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晩期の高齢者たちは、ほとんど例外なく、みな、こう言う。
「〜〜へ帰りたい」と。

母もそうだったし、兄もそうだった。
母は、自分が生まれ育った、K村の実家に、
兄は、やはり自分が生まれ育った、M町の実家に。
それぞれが、「帰りたい」と、よく言った。

私の30年来の友人も、昨年(08年)に亡くなったが、
その友人も、九州の実家に帰りたいと、いつも言っていた。

こうしたことから、みな、人は死が近づくと、自分の
生まれ育った実家に帰りたがるようになると考えてよい。
それをそのまま「帰すう本能」と断言してよいかどうかは、
私にもわからない。

あえて言えば、正確には、「原点回帰」ということか。
しかしこんな言葉は、私が考えたもので、辞書にはない。

つまり「死ぬ」ということは、(生まれる前の状態)に戻ること。
だから死が近づけば近づくほど、人はみな、原点に回帰するようになる。
その願望が強くなる。

原点で安らかな死を迎えるために……。

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●私の場合は、どうか?

 私もあと10〜15年もすると、そうした老人の仲間入りをする。
これは可能性の問題ではない。
確実性の問題である。
そのときうまく特別養護老人ホームに入居できればよし。
そうでなければ、独居老人となり、毎日悶々とした孤独感と闘いながら、暗い日々を送ることに
なる。

 そのときのこと。
私は、どこへ帰りたいと言うだろうか?

 理屈どおりに考えれば、私は、生まれ育ったM町の実家に帰りたいと言い出すにちがいな
い。
記憶というのは、新しいものほど、脳から消えていく。
そのためM町の記憶しか残らなければ、そうなる。
が、私は子どものころから、あのM町が、嫌いだった。
今でも、嫌い。
そんな私でも、その年齢になったら、「M町に戻りたい」と言いだすようになるのだろうか。

●放浪者

 私は基本的には、放浪者。
ずっと放浪生活をつづけてきた。
夢の中に出てくる私は、いつも、あちこちをさまよい歩いている。
電車に乗って家に帰るといっても、今、住んでいるこの浜松市ではない。
この家でもない。
もちろん実家のあるM町でもない。

 ときどき「これが私の家」と思って帰ってくる家にしても、今のこの家ではない。
どういうわけか、大きな、ときには、大豪邸のような家である。
庭も広い。
何百坪もあるような家。
見たこともない家なのに、どういうわけか、「私の家」という親近感を覚える。
で、たいていそのまま、目が覚める。

 が、夢の中に出てくる家は、そのつど、いつもちがう。

 つぎにまた見るときは、今度は別の家が、夢の中に出てきたりする。
つまり私は基本的には、放浪者。
無宿者。
根なし草。

●M町の実家

 が、ここ5、6年は、ときどき、M町の実家が夢の中に出てくることがある。
表の店先のほうから中へ入ると、そこに母がいたり、兄がいたりする。
祖父や、祖母がいたりすることもある。

 先日は、家に入ると、親戚中の人たちが集まっていた。
みんな、ニコニコと笑っていた。
もちろんいちばん喜んでくれるのが、私の母で、「ただいま!」と声をかけると、うれしそうに笑
う。
兄も笑う。
が、私は、実家ではいつも客人。
みなは、私を客人として迎えてくれる。
私の実家なのだが、実家意識は、ほとんど、ない。

●徘徊老人

 こう考えていくと、私はどうなるのか、見当がつかない。
認知症になり、特別養護老人センターに入居したとする。
そんなとき、私は、どこへ帰りたいと言うだろうか。
それをワイフに話すと、ワイフは、こう言った。

「あなたは、まちがいなく、徘徊老人になるわよ」と。

 つまりあてもなく、あちこちをトボトボと歩き回る老人になる、と。
そうかもしれない。
そうでないかもしれない。
しかしその可能性は、たいへん高い。

 先にあげた友人にしても、九州出身だったが、いつも浜松市内を徘徊していた。
距離が遠いから、まさか九州まで歩いて帰るということはなかった。
しかし気持の上では、九州まで歩いて帰るつもりではなかったか。
今にして思うと、友人のそのときの気持ちが、よく理解できる。

●さて、あなたはどうか?

 さて、あなたはどうか?
そういう状況になったとき、あなたなら、どこへ帰りたいと言いだすだろうか。
たいていの人は、自分が生まれ育った実家ということになる。
確たる統計があるわけではないが、90%以上の人が、そうなるのではないか。

 が、残り10%前後の人は、帰るアテもなく、浮浪者のように、そのあたりをさまよい歩く。

ところで徘徊する老人は多いが、そういう老人をつかまえて、「どこへ帰るの?」と聞くと、ほと
んどが、「うちへ帰る」と答えるという。
たぶん、私も、「うちへ帰る」と答えるだろうが、その「うち(=家)」とは、どこのことを言うのだろ
うか。

 帰りたい家があり、その家が、あなたをいつまでも暖かく迎えてくれるようなら、そんなすばら
しいことはない。
しかし現実には、住む人の代もかわり、家そのものもないケースも多い。

 こう考えただけでも、老後のさみしさというか、悲哀が、しみじみとよくわかる。
「老人になることで、いいことは何もない」。
そう断言してもよい。
そういう時代が、私のばあいも、もうすぐそこまで来ている。

(付記)

 最近、ワイフとよく話し合うのが、「終(つい)の棲家」。
で、結論は、終の棲家は、この家の庭の中に建てよう、である。
街の中のマンションも考えた。
病院やショッピングセンターに近いところも考えた。
しかし、私たちの終の棲家は、どうやらこのまま、この場所になりそう。

 今、別のところに移り住んでも、私たちは、そこには、もうなじめないだろう。
頭の働きが鈍くなってきたら、きっと私も、今のこの家に帰りたいと、だだをこねるようになるだ
ろう。

 だったら、終の棲家は、ここにするしかない。
・・・というのが、今の私たちの結論になりつつある。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW 終の棲家 帰すう本能 帰趨本能 徘徊 徘徊老人)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

●9月30日(水曜日)

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今日で、9月もおしまい。
昨夕、G町の従兄弟が送ってくれた、鮎(あゆ)を、
塩焼きにして食べた。
「少し、塩をつけつぎたかな?」ということで、
今朝は、胃の中が、どうもすっきりしない。

いつもならご飯を1杯ですますところを、昨夕は、
2杯も食べてしまった。
で、その直後体重計を見たら、何と、61・5キロ!

たった1日で、1・5キロもふえてしまった。
怖しいことだ!
木曽川のタタリじゃア!

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●明日から10月

 明日から10月。
とくに大きな予定は、ない。
いくつか講演の仕事が入っている。
そのレジュメ(概要)を、今日中に作成しよう。

 それから秋田県のほうから講演依頼があった。
実のところ先月までは、遠方のは、すべて断ってきた。
が、今月から、心境が大きく変化した。

講演先で温泉に入る楽しみを、覚えてしまった。
それで変化した。
秋田といえば、湯沢温泉。
片道、7時間半の長旅になるが、かえってそれが楽しみ。
「講演をして、お金を稼ごう」という意識が、ほとんどなくなったせいもある。
かわって、「元気なうちに、できることをやっておこう」という意識が生まれた。

 だから秋田県へ行く。
最高の講演をしてくる。
浜松人の心意気を、見せてやる。
「やらまいか」ということで、喜んで引き受けた。


●ニッポン放送

 明日、ニッポン放送で、話す機会をもらった。
電話による応答番組だが、肝心のスタジオがない!
時間的に、市内の事務所を使うことになるが、目下、隣地は工事中。
終日、ユンボ類が、ガーガー、ゴーゴーと音を出している。

 雑音が入ってはいけない……ということで、昨日、炊事室を急きょ、スタジオに改造。
電話線を延長して、電話機を炊事室へ。
マットをドアにあてる。
昨日テストしてみたが、「これならいけるわ」とワイフ。

 全国放送。
あまり気負わないで、気楽に話そう。


●指が痛い!

 右手中指の先端がパンパンに腫れている。
ささくれを指でちぎったのが、悪かった。
中で化膿した。

 何とかこうしてごまかしてキーボードを叩いているが、痛い。
となりの薬指が軽くあたっただけで、キリキリと痛む。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

●TK先生より

++++++++++++++

4月に人工関節の手術を受けた。
そのTK先生から、メールが
届いていた。

今は、ニンジンジュースがよいとか。
さっそく我が家でも、昨日から、
ニンジン料理をふやした。

++++++++++++++

林様:

  膝の方は出来るだけ街まで歩くようにしています。往復して四、五千歩で一日に七,八千
歩になっています。手術のお蔭で、歩く時の痛さはなくなりましたが、未だヨタヨタ歩きで、普段
片道15分のところを23分ぐらいかかって、歩いています。普通になるまで一年はかかるそう
です。しかし手術以前は歩くのが辛くて、歩かないと全身が老化しますので、先が短いのを承
知でも、手術をしてよかったと思っています。

   この二ヶ月間始めたのは野菜の生ジュースです。夜ベッドに入るとしばらくして胃が痛く
なり、睡眠剤を服用しても眠り難かったのですが、ある本に胃が良くない時はキャベツのジュー
スを飲めと書いてありましたので、(市販にキャベジンもありますが)、飲み始めましたら悪くな
いようです。

尤も眠くならないので睡眠薬を続けていますが。出来るだけ種類を違えて取り換えながらして
いますが。その本の著者は毎日朝ニンジンのジュースを飲んで結構元気だと言っています。そ
の人がスイスの病院に留学している時、その病院では世界中からの難病、奇病の患者がやっ
て来るのに、毎朝ニンジンのジュースを飲ませていると言います。

何故ニンジンかと院長さんに聞きましたら、ニンジンにはすべての必要なビタミンとミネラルが
含まれているから、との答えでした。リンゴ一つのコマ切れに野菜ジュースを加えてジューサー
でジュウスを作り、それに、ニンジン二本のコマ切れを加えてジュースを作るのです。一つの例
でしかありませんからあまり誇張することはいけないと思うのですが、生野菜ですから悪くはな
さそうです。

  ご招待のものもう少し待ってから、様子次第で決めます。差し当たり別に困っていません
から、面倒くさそうなのは億劫です。   お元気で。
                                                                             
  TK

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●TK先生

 先生は、もう85歳になるのでは?
いまだに文科省や日本化学会の仕事で、あちこちを飛び回っている。
その間に原稿も書き、講演もしている。
その前向きな生き方は、いつも私に新鮮な驚きと喜びを与える。
そう、先生が後ろ向きになるのは、若くして亡くなった奥様の話と、やはり若くして亡くなった、
三女のお嬢さんの話のときだけ。

 いつも日本の未来と日本の教育の心配ばかりしている。
その前向きのエネルギーのものすごさというか、生き方のすばらしさというか、世の老人たち
は、みな、見習ったらよい。
もちろん私も見習っている。
若い時から、ずっと、見習っている。

 研究の分野では、すでに神の領域に入った人である。
先日も、水を光分解して、水素と酸素を取りだすニュースが世界中を駆け巡った。
かけた熱量よりも多くのエネルギーの水素と酸素に分離することができた。
その偉業を成し遂げたのが、先生の一番弟子と言われる、DI教授である。
先生は、いつもDI教授の自慢をしている。

 そのときもらったメールには、こうあった。

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林様:
        
太陽光を使って水を水素と酸素に分解する反応の世界のトップ研究者の一人は、私のインタ
ビューの最後に載っている写真の中のDI君です。私の研究室にいたころからいわゆる「光触
媒」の研究に打ち込んでいました。インチキ記事よりも私のホームページにDI君との共著があ
ります。取り敢えずお知らせまで。
                                                                             
  TK

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そこでその原稿をさがしてみた。
TK先生のHPに公開されているので、そのまま紹介させてもらう。

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【太陽エネルギーを用いる水からの水素製造】

DI  TK先生

化石資源の消費、枯渇からもたらされるエネルギー問題と二酸化炭素発生などによる地球環
境問題は、我々が直面する深刻な課題である。これらの問題は、放っておけばいつか解決す
るという類のものではない。我々の生活に直結しており、我々自身で積極的に取りくんでいか
ねば決して解決しない問題である。この問題の本質は、現代の人類の生活が多量のエネルギ
ーを消費する事によって維持されているという点である。しかも現在そのエネルギーを主に担
っている化石資源は、有限な資源であり必ず枯渇するだけでなく、それを使い続ける事は地球
環境を破壊する危険性が高い。

  もともと石油や石炭などの化石資源は、光合成によって固定された太陽エネルギーを何億
年もかけて地球が蓄えてきたものであり、それとともにわれわれの住みやすい地球環境が形
成されてきたはずである。我々はそのような地球が気の遠くなるような時間をかけてしまいこん
できたエネルギーを「かってに」掘り出し、その大半を20世紀と21世紀のたった200年程度で使
い切ってしまおうとしている。したがって現在の時代を後世になって振り返れば、人類史上ある
いは地球史上極めて特異な浪費の時代と映っても不思議ではない。かけがえのない資源を使
い切ってしまいつつある時代に生きる我々は、それについて微塵も罪の意識を持っていない
が、少なくともわれわれにとっては地球環境を破壊しない永続的なエネルギー源を開発するこ
とは、後世の人々に対する重大な義務である。その為には、核融合反応や風力などいくつか
の選択肢があろう。なかでも太陽エネルギーをベースにしたエネルギー供給システムは、枯渇
の心配のない半永久的でクリーンな理想的なエネルギー源であろう。

  太陽光を利用する方法もいくつかの選択肢がある。例えば最も身近な例は太陽熱を利用し
た温水器である。また太陽電池を用いて電気エネルギーを得る方法も既に実用化している。し
かし、これですぐにエネルギー問題が解決するわけでない事は誰でも実感している事であろ
う。

ここで太陽エネルギーの規模と問題点について少し考えてみる。太陽は、水素からヘリウムを
合成する巨大な核融合反応炉であり、常時莫大なエネルギー(1.2 x 1034 J/年)を宇宙空間に
放出している。その中の約百億分の一のエネルギーが地球に到達し、さらにその約半分(3.0 
x 1024 J/年)が地上や海面に到達する。一方、人間が文明活動のために消費しているエネル
ギーは約3.0 x 1020 J/年であり、地球上に供給される太陽エネルギーの約0.01 %である。ちな
みにそのうちの約0.1 %、3.0 x 1021 J/年、が光合成によって化学物質、食料などの化学エネ
ルギーに変換されている。また、地球上にこれまで蓄えられた石油や石炭などの化石資源が
もつエネルギー量は、もし地球上に降り注ぐ太陽エネルギーを全て固定したとすれば約10日
分にすぎない。このように考えれば太陽エネルギーは我々の文明活動を維持するには十分な
量であることがわかる。

では、なぜ太陽エネルギーの利用が未だに不十分なのであろうか。理由は太陽光が地球全体
に降り注ぐエネルギーであることである。したがって太陽光から文明活動を維持するための十
分なエネルギーを取り出すためには数十万km2(日本の面積程度)に展開できる光エネルギー
の変換方法を開発しなければならない。ただしこの面積は地球上に存在する砂漠の面積のほ
んの数%程度であることを考えれば我々は十分な広さの候補地を持っていることになる。その
様な広大な面積に対応できる可能性をもつ方法の一つが人工光合成型の水分解による水素
製造である。もし太陽光と水から水素を大規模に生産できれば人類は太陽エネルギーを一次
エネルギー源とする真にクリーンで再生可能なエネルギーシステムを手にすることができる。
水素の重要性は、最近の燃料電池の活発な開発競争にも見られる様に今後ますます大きくな
ってくることは間違いない。しかしながら現在用いられている水素は化石資源(石油や天然ガ
ス)の改質によって得られるものがほとんどである。これは水素生成時に二酸化炭素を発生す
るのみでなく、明らかに有限な資源であり環境問題やエネルギー問題の本質的な解決にはな
らない。

もし、太陽光の中の波長が600nmより短い部分(可視光、紫外光)を用いて、量子収率30%で、
1年程度安定に水を分解できる光触媒系が実現すると、わが国の標準的な日照条件下1km2
当たり1時間に約15,000 m3(標準状態)の水素が発生する。この時の太陽エネルギー全体の
中で水素発生に用いられる変換効率は約3%程度であるが、この水素生成速度は現在工業
的にメタンから水素を生成する標準的なリフォーマーの能力に匹敵する。したがってこの目標
が達成されれば研究室段階の基礎研究から太陽光による水からの水素製造が実用化に向け
た開発研究の段階に移行すると考えられる。

現在、水を水素と酸素に分解するための光触媒系として実現しているのは、固体光触媒を用
いた反応系だけである。他にも人工光合成の研究は数多く行われているが、以下、不均一系
光触媒系に話を限定する。水を水素と酸素に分解する為に必要な熱力学的条件は、光触媒と
して用いる半導体あるいは絶縁体の伝導帯の下端と価電子帯の上端がH+/HおよびO2/OH-
の二つの酸化還元電位をはさむような状況にあればよい。個々の電子のエネルギーに換算す
ると、1.23 eVのエネルギーを化学エネルギーに変換すればよい。また、光のエネルギーで1.
23 eVは波長に換算するとほぼ1000 nmであり、近赤外光の領域である。つまり、全ての可視
光領域(400nm 〜 800nm)の光が原理的には水分解反応に利用できる。ただしこれらの条件
はあくまで熱力学的な平衡の議論から導かれるものであるから、実際に反応を十分な速さで
進行させるためには活性化エネルギー(電気化学的な言葉でいえば過電圧)を考慮する必要
があるので、光のエネルギーとして2 eV程度(光の波長で600nm程度)が現実的には必要であ
ろう。

固体酸化物を用いた水の光分解は、1970年頃光電気化学的な方法によって世界に先駆けて
我が国で初めて報告され、本多―藤嶋効果と呼ばれている。この実験では二酸化チタン(ルチ
ル型)の電極に光をあて、生成した正孔を用いて水を酸化し酸素を生成し、電子は外部回路を
通して白金電極に導き水素イオンを還元し水素を発生させた。このような水の光分解の研究
は、その後粒径がミクロンオーダー以下の微粒子の光触媒を用いた研究に発展した。微粒子
光触媒の場合、励起した電子と正孔が再結合などにより失活する前に表面あるいは反応場に
到達できるだけの寿命があればよい。さらに微粒子光触媒の場合、通常電極としては用いる
ことが困難な材料群でも使用できるメリットがあるため、多くの新しい物質の研究が進んでい
る。現在では紫外光を用いる水の分解反応は50%を超える量子収率で実現できる。

しかしながら太陽光は550nm付近に極大波長をもち、可視光から赤外光領域に広がる幅広い
分布をもっているが、紫外光領域にはほんの数%しかエネルギー分布がない。つまり太陽光
を用いて水を分解するためには可視光領域の光を十分に利用できる光触媒を開発することが
必要である。しかしながら、これまでに開発された水を効率よく分解できる光触媒は全て紫外
光領域の光あるいはほんの少しの可視光領域で働くものである。

  最近になって新しく可能性のある物質群が見出され始めている。それらは、d0型の遷移金
属カチオンを含み、アニオンにO2-だけでなくS2-イオンやN3-イオンをもつ材料群である。例え
ばSm2Ti2O5S2やTa3N5、LaTiO2Nなどのようなものであり、オキシサルファイド、ナイトライド、
オキシナイトライドと呼ばれる物質群である。これらの材料では価電子帯の上端はO2p軌道よ
りも高いポテンシャルエネルギーを持ったS3p軌道やN2p軌道でできている。しかし、このような
物質はまだ調製が容易ではないが、酸化剤や還元剤の存在下では水素や酸素を安定に生成
することが確認されており、これまで見出されていなかった、600nm付近までの可視光を用いて
水を分解できるポテンシャルを持った安定な物質群であることがわかってきた。したがって、こ
のような物質の調製法の開発および類似化合物の探索によって、太陽光を用いる水からの水
素生成が、近い将来実現する可能性も十分にある状況になっている。安価で安定な光触媒を
広い面積にわたって水と接触させて太陽光を受けることにより、充分の量の水素を得るのも夢
ではない。 このような触媒の開発に成功し、大規模な応用が可能となれば、21世紀の人類が
直面する大きな課題であるエネルギー問題と環境問題に化学の力で本質的な解決を与える可
能性がある。

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●水を分解

 水を酸素と水素に分解すれば、人類は、無尽蔵かつクリーンなエネルギーを手にすることが
できるようになる。
夢のような話だが、今、その実現に向けて、研究が一歩ずつ進んでいる。
「20〜30人規模の大がかりな研究チームを作ってがんばっているので、成果が出るのは時
間の問題です」と、TK先生が話してくれたのを、覚えている。

 もしそれが成功し、実用化されたら、ノーベル賞ですら、ダース単位で与えられる。
同時に、世界の政治地図も一変するだろう。
「産油国」という言葉すら、消える。
少なくとも排気ガスによる地球温暖化の問題も解決される。
クリーンな光エネルギーによって、深夜の野菜栽培も可能になる、などなど。
私たちの生活環境は、劇的に変化する。
「太陽光を使って、水を分解する」という話は、そういう話である。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

●酒乱

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私の父がそうだったが、酒が入ると、人が変わった。
ふだんは静かなおとなしい人だった。
が、今から思うと、それがよくなかった。
つまりその分だけ、心の中に別室を作ってしまった。

心理学の世界には、「抑圧」という言葉がある。
防衛機制のひとつにもなっている。
つまり人は何か、不愉快なことが慢性的につづくと、
心の中に別室を作り、その中に、それを押し込んでしまう。
そうして心の平和を保とうとする。
「心の別室」という言葉は、私が考えた言葉だが、
「抑圧」という現象を説明するのには、たいへん便利な
言葉である。

こうして人は、自分の心が崩壊したり、傷ついたりするのを防ぐ。
だから「防衛機制」という。

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●心の別室

 できるなら、心の別室は作らない方がよい。
そのつど、自分を、素直に外へ吐き出すのがよい。
いやだったら、はっきりと「いや」と言うなど。
が、それができないと、心の中に別室を作り、その中に、不愉快なことや、不平、不満を押し込
んでしまう。

 そのため、見た目には、心は落ち着く。
しかしそれで問題が解決するわけではない。
折に触れて、「お前は、あのとき!」と、心の別室にあったものが、外に向かって爆発する。
この爆発がこわい。

●上書きのない世界

 抑圧され、心の別室に入った、不平や不満は、いわば心の世界から隔離された状態になる。
だからワープロの世界でいうような、(上書き)という現象が起きない。
その間に、いくら楽しい思い出があったとしても、一度爆発すると、そのまま過去へと戻ってし
まう。

 それこそ10年前、20年前にあったできごとを、つい先頃のことのように思い出して、爆発す
る。
子どもの世界でも、よく見られる現象である。

 たとえば高校3年生の男子が、母親に向かってこう叫ぶ。

「お前は、あのとき、オレに、こう言って、みなの前で恥をかかせた!」と。

 母親が恥をかかせたのが、10年前であっても、またそれ以後、いくら楽しい思い出があった
としても、心の別室に入った思い出は、影響を受けない。
そのまま(時)を超えて、外に出てくる。

●時間のない世界

 そういう点では、心の別室では、時間は止まったままになる。
止まったまま、時間が、そこで固定される。
だからふつうなら、とっくの昔に忘れてしまってよいようなことを蒸し返して、爆発させる。
「お前は、あのとき!」と。

 私の父がそうだった。
酒が入ると別人のようになり、暴れ、大声で叫んだ。
そして10年前、20年前の話を思い出して、母を責めた。
こんなことがあった。

●父の心

 母がはじめて父と、母の実家へ行ったときのこと。
道の向こうから、母の友人が数人、並んでやってきた。
そのとき母は、何を考え、何を感じたかは知らないが、父に向かってこう言ったという。

 「ちょっと隠れていて!」と。
母は父を、橋のたもとにある竹やぶに、父を押し倒した。
父は言われるまま、(多分、訳も分からず)、竹やぶの中に身を潜めた。

 が、それが父には、よほど、くやしかったのだろう。
それ以後、5年とか、10年を経て、父は酒を飲むたびに、それを怒った。

「お前は、あのとき、オレを竹やぶに突き倒した!」と。

 母は母で、気位の高い人だったから、やせて細い父を、恥ずかしく思ったのかもしれない。
母は、よく「かっぷく」という言葉を使った。
太り気味で、腹の出た人を、「かっぷくのいい人」と言った。
母は、また、そういう人を好んだ。

●うつ病

 酒乱とうつ(鬱)は、たがいに深くからみあっている。
そのことは、うつ病の人が、緊張状態を爆発させる状態を見ると、よくわかる。
そのときも、(もちろん酒は入っていなくても)、心の別室にたまった、不平や不満が、同じよう
な形で爆発する。

 うつ病も初期の段階では、心の緊張感が取れず、ささいなことにこだわり、悶々と悩んだりす
る。
そこへ不安や心配が入り込んでくると、心の状態は、一気に不安定になり、爆発する。
「爆発」というより、錯乱状態になる。

 大声で叫び、ものを投げつける。
ものを壊す。

 私の父も、ひどいときには、食卓に並んだ食事類を、食卓ごとすべて土間に投げ捨ててしま
った。
ガラスを割ったり、障子やふすまを破ったりするようなことは、毎度のことだった。

 そういう父を、当時は理解できず、私はうらんだが、父は父で、大きな心の傷をもっていた。
父は、戦時中、出征先の台湾で、アメリカ軍と遭遇し、貫通銃創を受けている。
今にして思えば、その傷が、父をして、そうさせたのだと理解できる。

●子どもへの影響

 家庭騒動は、親の酒乱にかぎらず、子どもの心に大きな傷をつける。
恐怖、不安、心配……。
そんなどんな傷であるかは、私自身が、いちばんよく知っている。
子ども自身の心が、二重構造になる。

 いじけやすく、ひがみやすくなる。
何かいやなことがあると、やはり心の別室に入り、その中に閉じこもってしまう。
そして自分では望まない方向に自分を追いやってしまう。
ときとして、それが自虐行為につながることもある。
わざと罪のない人に、つらく当たったり、身近な人に冷たくしたりする。

 わかりやすく言えば、子どもの心から、すなおさが消える。
心の動きと、行動、表情が、不一致を起こすようになる。

 私のばあいも、子ども時代の私をよく知る人は、みな、こう言う。
「浩司は、明るくて、朗らかな子だった」と。

 しかしそれはウソ。
そう見せかけていただけ。
私は、そういう形で、いつも自分をごまかして生きていた。

●アルコール中毒

 そんなわけで、アルコール中毒と酒乱は分けて考える。
アルコール中毒イコール、酒乱というわけではない。
酒を飲んで、かえって明るく朗らかになる人は、いくらでもいる。

 しかしその中の一部の人が、(これはあくまでも私の推測だが)、うつ、もしくはうつ病と結びつ
いて、酒乱になる。
だから治療となると、この2つは分けて考えたほうがよい。
さらに、私の父のケースのように、その背景に、何らかのトラウマが潜んでいることもある。
異常な恐怖体験が原因で、酒に溺れるようになることだってある。

●みんな十字架を背負っている

 先にも書いたが、私は、そういう父を、ある時期恨んだ。
父が死んだときも、涙は、一滴も出なかった。
しかし私自身が、40代、50代になると、父に対する考え方が変わった。
父が感じたであろう孤独、さみしさがよく理解できるようになった。
と、同時に、父に対する恨みも消えた。

 そんな私の心情を書いたのが、つぎの原稿。
54歳、つまり8年前に書いた原稿である。

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●心のキズ

 私の父はふだんは、学者肌の、もの静かな人だった。しかし酒を飲むと、人が変わった。今
でいう、アルコール依存症だったのか? 3〜4日ごとに酒を飲んでは、家の中で暴れた。大声
を出して母を殴ったり、蹴ったりしたこともある。あるいは用意してあった食事をすべて、ひっく
り返したこともある。

私と六歳年上の姉は、そのたびに2階の奥にある物干し台に身を潜め、私は「姉ちゃん、こわ
いよオ、姉ちゃん、こわいよオ」と泣いた。

 何らかの恐怖体験が、心のキズとなる。そしてそのキズは、皮膚についた切りキズのように、
一度つくと、消えることはない。そしてそのキズは、何らかの形で、その人に影響を与える。
が、問題は、キズがあるということではなく、そのキズに気づかないまま、そのキズに振り回さ
れることである。

たとえば私は子どものころから、夜がこわかった。今でも精神状態が不安定になると、夜がこ
わくて、ひとりで寝られない。あるいは岐阜の実家へ帰るのが、今でも苦痛でならない。帰ると
決めると、その数日前から何とも言えない憂うつ感に襲われる。しかしそういう自分の理由が、
長い間わからなかった。

もう少し若いころは、そういう自分を心のどこかで感じながらも、気力でカバーしてしまった。
が、50歳も過ぎるころになると、自分の姿がよく見えてくる。見えてくると同時に、「なぜ、自分
がそうなのか」ということがわかってくる。

 私は子どものころ、夜がくるのがこわかった。「今夜も父は酒を飲んでくるのだろうか」と、そ
んなことを心配していた。また私の家庭はそんなわけで、「家庭」としての機能を果たしていな
かった。家族がいっしょにお茶を飲むなどという雰囲気は、どこにもなかった。だから私はいつ
も、さみしい気持ちを紛らわすため、祖父のふとんの中や、母のふとんの中で寝た。それに私
は中学生のとき、猛烈に勉強したが、勉強が好きだからしたわけではない。母に、「勉強しなけ
れば、自転車屋を継げ」といつも、おどされていたからだ。つまりそういう「過去」が、今の私を
つくった。

 よく「子どもの心にキズをつけてしまったようだ。心のキズは消えるか」という質問を受ける。
が、キズなどというのは、消えない。消えるものではない。恐らく死ぬまで残る。ただこういうこと
は言える。心のキズは、なおそうと思わないこと。忘れること。それに触れないようにすること。
さらに同じようなキズは、繰り返しつくらないこと。つくればつくるほど、かさぶたをめくるようにし
て、キズ口は深くなる。

私のばあいも、あの恐怖体験が一度だけだったら、こうまで苦しまなかっただろうと思う。しかし
父は、先にも書いたように、3〜4日ごとに酒を飲んで暴れた。だから54歳になった今でも、そ
のときの体験が、フラッシュバックとなって私を襲うことがある。「姉ちゃん、こわいよオ、姉ちゃ
ん、こわいよオ」と体を震わせて、ふとんの中で泣くことがある。54歳になった今でも、だ。心の
キズというのは、そういうものだ。決して安易に考えてはいけない。

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●父のうしろ姿(中日新聞に書いたコラムより)

 私の実家は、昔からの自転車屋とはいえ、私が中学生になるころには、斜陽の一途。私の
父は、ふだんは静かな人だったが、酒を飲むと人が変わった。二、三日おきに近所の酒屋で
酒を飲み、そして暴れた。大声をあげて、ものを投げつけた。そんなわけで私には、つらい毎
日だった。プライドはズタズタにされた。友人と一緒に学校から帰ってくるときも、家が近づくと、
あれこれと口実を作っては、その友人と別れた。父はよく酒を飲んでフラフラと通りを歩いてい
た。それを友人に見せることは、私にはできなかった。

 その私も五二歳。一人、二人と息子を送り出し、今は三男が、高校三年生になった。のんき
な子どもだ。受験も押し迫っているというのに、友だちを二〇人も呼んで、パーティを開くとい
う。「がんばろう会だ」という。土曜日の午後で、私と女房は、三男のために台所を片づけた。
片づけながら、ふと三男にこう聞いた。「お前は、このうちに友だちを呼んでも、恥ずかしくない
か」と。すると三男は、「どうして?」と聞いた。理由など言っても、三男には理解できないだろ
う。私には私なりのわだかまりがある。私は高校生のとき、そういうことをしたくても、できなか
った。友だちの家に行っても、いつも肩身の狭い思いをしていた。「今度、はやしの家で集まろ
う」と言われたら、私は何と答えればよいのだ。父が壊した障子のさんや、ふすまの戸を、どう
やって隠せばよいのだ。

 私は父をうらんだ。父は私が三〇歳になる少し前に死んだが、涙は出なかった。母ですら、
どこか生き生きとして見えた。ただ姉だけは、さめざめと泣いていた。私にはそれが奇異な感じ
がした。が、その思いは、私の年齢とともに変わってきた。四〇歳を過ぎるころになると、その
当時の父の悲しみや苦しみが、理解できるようになった。

商売べたの父。いや、父だって必死だった。近くに大型スーパーができたときも、父は「Jストア
よりも安いものもあります」と、どこか的はずれな広告を、店先のガラス戸に張りつけていた。
「よそで買った自転車でも、パンクの修理をさせていただきます」という広告を張りつけたことも
ある。しかもそのJストアに自転車を並べていたのが、父の実弟、つまり私の叔父だった※。叔
父は父とは違って、商売がうまかった。父は口にこそ出さなかったが、よほどくやしかったのだ
ろう。戦争の後遺症もあった。父はますます酒に溺れていった。

 同じ親でありながら、父親は孤独な存在だ。前を向いて走ることだけを求められる。だからう
しろが見えない。見えないから、子どもたちの心がわからない。ある日気がついてみたら、うし
ろには誰もいない。そんなことも多い。ただ私のばあい、孤独の耐え方を知っている。父がそ
れを教えてくれた。客がいない日は、いつも父は丸い火鉢に身をかがめて、暖をとっていた。
あるいは油で汚れた作業台に向かって、黙々と何かを書いていた。そのときの父の気持ちを
思いやると、今、私が感じている孤独など、何でもない。

 私と女房は、その夜は家を離れることにした。私たちがいないほうが、三男も気が楽だろう。
いそいそと身じたくを整えていると、三男がうしろから、ふとこう言った。「パパ、ありがとう」と。
そのとき私はどこかで、死んだ父が、ニコッと笑ったような気がした。

(注※)この部分について、その実弟の長男、つまり私の従兄から、「事実と違う」という電話を
もらった。「その店に自転車を並べたのは、父ではなく、私だ」と。しかし私はその叔父が好き
だったし、ここにこう書いたからといって、叔父や従兄弟をどうこう思っているのではない。別の
ところでも書いたが、そういう宿命は、商売をする人にはいつもついて回る。だれがよい人で、
だれが悪い人と書いているのではない。ただしその従兄に関しては、以後、印象は、180度変
わった。以後、断絶した。誤解のないように。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

【子どもを叱る】

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総論

(1)親子(母子)の密着度が強すぎる。
(2)子どもを、1人の人格者として認めていない。
(3)1人の人間(親であれ)、別の人間を叱るということは、
たいへんなことだという、自覚が乏しい。
(叱る側に、哲学、倫理、道徳観がなければならない。)

各論
(1)威圧、恐怖感を与えない。
(2)言うだけ言って、あとは時間を待つ
(3)自分で考えさせる。

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●叱る

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子どもであれ、相手を「叱る」ということは、
たいへんなこと。
叱る側に、それなりの道徳、倫理、哲学が
なければならない。
しかもその道徳、倫理、哲学は、相手をはるかに
超えたものでなければならない。

自分の価値観を押し付けるため、あるいは自分の
思い通りに、相手を動かすために、相手を叱るというのは、
そもそも(叱る)範疇(はんちゅう)に入らない。
いわんや自分が感ずる不安や心配を解消するために、
相手を叱ってはいけない。

そういうのは、自分勝手という。
わがままという。

+++++++++++++++++++++++

●私のばあい

 簡単に言えば、私は忘れ物をしてきた生徒を、叱ったことがない。
ときどきはあるが、それでもめったにない。
理由は、簡単。
私自身がいつも忘れ物をするからである。

 同じようなことだが、こんなことがある。
よく子どもに向かって、「サイフを拾ったら、おうちの人か、交番に届けましょう」と
教える。
しかし私はそのたびに、どうも居心地が悪い。

 私は団塊の世代、第一号。
戦後のあのドサクサの中で生まれ育った。
家庭教育の「か」の字もないような時代だったといえる。
そういう時代だったから、たとえば道路にお金やサイフが落ちていたとしたら、
それは見つけた者のものだった。
走り寄っていって、「もら〜い」と声をかければ、それで自分のものになった。

 そういう習慣が今でも、心のどこかに残っている。
一度身についた(悪)を、自分から消すのは容易なことではない。

 だから居心地が悪い。
実際、今でも、サイフを道路で拾ったりすると、かなり迷う。
迷いながら、近くの店か、交番に届ける。
この(迷い)は、60歳を過ぎた今も、消えない。
そんな私がどうして、子どもたちに向かって、堂々と、「拾ったサイフは、
交番へ届けましょう」と言うことができるだろうか。

●親の身勝手

 ほとんどの親は、ほとんどのばあい、自分の身勝手で、子どもを叱る。
たとえば自分では、信号無視、携帯電話をかけながら運転、駐車場でないところへ
駐車しておきながら、子どもに向かって、「ルールを守りなさい」は、ない。

 自分では一冊も本を読んだことさえないのに、子どもに向かって、「勉強しなさい」は、ない。

 ……となると、「しつけとは何か」と疑問に思う人も多いかと思う。
しかし(しつけ)は、叱って身につけさせるものではない。
(しつけ)は、子どもに親がその見本を見せるもの。
見せるだけでは足りない。
子どもの心や体の中に、しみこませておくもの。
その結果として、子どもは、(しつけられる)。

 親がぐうたらと、寝そべり、センベイを食べながら、「机に向かって、
姿勢を正しくして勉強しなさい」は、ない。

●子どもの人格

 私が子どものころでさえ、女性と子どもは、社会の外に置かれた。
「女・子ども」という言い方が、今でも、耳に残っている。
つまり「女や子どもは、相手にするな」と。

 戦後、女性の地位は確立したが、(それでも不十分だが……)、子どもだけは、
そのまま残された。
今でも、子どもは、(家族のモノ)、あるいは、(親のモノ)と考えている人は
少なくない。
子どもに向かって、「産んでやった」「育ててやった」という言葉をよく使う人は、
たいていこのタイプの親と考えてよい。
だから叱るときも、モノ扱い(?)。

 子どもの人格を認める前に、頭ごなしにガミガミと叱る親は、いくらでもいる。
人が見ている前で、ガミガミと叱る親は、いくらでもいる。
子どもの意見を聞くこともなく、ガミガミと叱る親は、いくらでもいる。
『ほめるのは公に、叱るのは密やかに』と言ったのは、シルスだが、子どもの
人格を平気で無視しながら、無視しているという意識さえない。

●日本人の民族性

 一般論として、日本人は、子どもを叱るのが、へた。
その原因の第一として、日本人がもつ民族性があげられる。

 先にも書いたように、この日本では、伝統的に、子どもは、家のモノ、
あるいは親のモノと考える。
つまりその分だけ、親子、とくに母子関係において、親子の密着度が強い。

たとえば私が教師という立場で、子どもを叱ったとする。
私は子どもを叱ったのだが、親は、自分が叱られたように感じてしまう。
さらには、自分の子育てそのものが、否定されたかのように感じてしまう。
この一体性が強いため、自分の子どもでありながら、自分の子どもを
客観的にながめて、子どもを叱ることができない。

●欧米では……

 一方、欧米では、もちろんイスラム教国でも、伝統的に子どもは神の子
として考える。
それが長い歴史の中で熟成され、独特の子ども観をつくりあげている。

つまりあくまでも比較論だが、欧米では、親と子どもの間に、まだ距離感がある。
そのひとつの例というわけではないが、私が子どものころには、たとえば家族の
中に障害をもった子どもが生まれたとすると、親は、それを「家の恥」と
考えた。
そういう障害をもった子どもを、世間から隠そうとした。

 今では、そんな愚かな親はいないが、しかしまったくそういう考え方が
なくなったというわけではない。
今も、日本は、その延長線上にある。

 つまりこうした日本人独特の民族性が、子どもの叱り方の中にも現れる。
それが、ぎこちなさとなって現れる。
子どもだけを見て、子どものために、子どもの人格を認めてしかるのではない。
ときとして、自分のために叱っているのか、子どものために叱っているのか、わからなくなる。
わかりやすく言えば、自信をもって、子どものために、子どもを叱ることができない。

●子どもを叱れない親

 実際、子どもが、小学校の高学年くらいになると、子どもを叱れない親が
続出する。
「子どもがこわい」という親がいる。
「子どもに嫌われたくない」という親もいる。
親が、子どもに依存性をもつと、さらに叱れなくなる。

 こうなってくると、子どもの問題というよりは、親の問題ということになる。
親自身の精神的な未熟さが原因ということになる。
子どもというのは、ある一定の年齢に達すると、(小学3、4年生前後)、親離れ
を始める。
その親離れを、うまく助けるのも、親の務めということになる。
が、このタイプの親は、それができない。
そればかりか、自分自身も、子離れできない。
そんな状態で、では、どうして親は、子どもを叱ることができるのかということに
なる。

●モンスターママ

 数日前、インターネット・サーフィンをしていたら、こんな記事が目についた。

 何でも自分の息子(中学生)が、万引きをして、店の責任者から、警察に通報された
ときのこと。
母親がその責任者に向かって、こう言ったという。
「いきなり警察に通報しなくてもいいではないか。まず子どもを諭すのが先だろ」と。
つまりその母親は、自分の子どもが万引きしたことよりも、店側が警察にそれを
通報したことを、怒った。

 何かがおかしい。
どこかが狂っている。
だから日本人は、子どもの叱り方がへたということになる。

●では、どうするか

(1)自分の子どもといえども、1人の人間、もしくは、「友」として叱ること。
(2)叱る側が、それなりの哲学や倫理感、道徳を確立すること。
(3)親のエゴイズムに基づいて、子どもを叱らないこと。

 ……こう書くと、「それでは子どもを叱れない」と思う親もいるかもしれない。
そう、(叱る)ということは、それほどまでに、むずかしいことである。
その自覚こそが、子どもを叱るとき、何よりも重要ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 子どもの叱り方 子供の叱り方 子供を叱る 子どもを叱る 叱り方 ほめ方 は
やし浩司 叱り方の原則)

(補記)

●叱り方・ほめ方は、家庭教育の要(かなめ)

 子どもを叱るときの、最大のコツは、恐怖心を与えないこと。「威圧で閉じる子どもの耳」と考
える。中に親に叱られながら、しおらしい様子をしている子どもがいるが、反省しているから、
そうしているのではない。怖いからそうしているだけ。親が叱るほどには、効果は、ない。叱ると
きは、次のことを守る。

 (1)人がいうところでは、叱らない(子どもの自尊心を守るため)、(2)大声で怒鳴らない。そ
のかわり言うべきことは、繰り返し、しつこく言う。「子どもの脳は耳から遠い」と考える。聞いた
説教が、脳に届くには、時間がかかる。(3)相手が幼児のばあいは、幼児の視線にまで、おと
なの体を低くすること(威圧感を与えないため)。視線をはずさない(真剣であることを、子ども
に伝えるため)。子どもの体を、しっかりと親の両手で、制止して、きちんとした言い方で話すこ
と。

にらむのはよいが、体罰は避ける。特に頭部への体罰は、タブー。体罰は与えるとしても、「お
尻」と決めておく。実際、約50%の親が、何らかの形で、子どもに体罰を与えている。

 次に子どものほめ方。古代ローマの劇作家のシルスも、「忠告は秘かに、賞賛は公(おおや
け)に」と書いている。子どもをほめるときは、人前で、大声で、少しおおげさにほめること。そ
のとき頭をなでる、抱くなどのスキンシップを併用するとよい。そしてあとは繰り返しほめる。

特に子どもの、やさしさ、努力については、遠慮なくほめる。顔やスタイルについては、ほめな
いほうがよい。幼児期に一度、そちらのほうに関心が向くと、見てくれや、かっこうばかりを気に
するようになる。実際、休み時間になると、化粧ばかりしていた女子中学生がいた。また「頭」
については、ほめてよいときと、そうでないときがあるので、慎重にする。頭をほめすぎて、子ど
もがうぬぼれてしまったケースは、いくらでもある。

 叱り方、ほめ方と並んで重要なのが、「励まし」。すでに悩んだり、苦しんだり、さらにはがん
ばっている子どもに向かって、「がんばれ!」はタブー。ムダであるばかりか、かえって子どもか
らやる気を奪ってしまう。「やればできる」式の励まし、「こんなことでは!」式の、脅しもタブー。
結果が悪くて、子どもが落ち込んでいるときはなおさら、そっと「あなたはよくがんばった」式の
前向きの理解を示してあげる。

 叱り方、ほめ方は、家庭教育の要であることはまちがいない。

【コツ】

★子どもに恐怖心を与えないこと。
そのためには、

子どもの視線の位置に体を落とす。(おとなの姿勢を低くする。)
大声でどならない。そのかわり、言うべきことを繰り返し、しつこく言う。
体をしっかりと抱きながら叱る。
視線をはずさない。にらむのはよい。
息をふきかけながら叱る。
体罰は与えるとしても、「お尻」と決める。
叱っても、子どもの脳に届くのは、数日後と思うこと。
他人の前では、決して、叱らない。(自尊心を守るため。)
興奮状態になったら、手をひく。あきらめる。(叱ってもムダ。)

+++++++++++++++++

子どもを叱るときは、

(1)目線を子どもの高さにおく。
(2)子どもの体を、両手で固定する。
(3)子どもから視線をはずさない。
(4)繰り返し、言うべきことを言う。

また、
(1)子どもが興奮したら、中止する。
(2)子どもを威圧して、恐怖心を与えてはいけない。
(3)体罰は、最小限に。できればやめる。
(4)子どもが逃げ場へ逃げたら、追いかけてはいけない。
(5)人の前、兄弟、家族がいるところでは、叱らない。
(6)あとは、時間を待つ。
(7)しばらくして、子どもが叱った内容を守ったら、
「ほら、できるわね」と、必ずほめてしあげる。


Hiroshi Hayashi++++++++Oct.09+++++++++はやし浩司

●憎むvs恨む

 人を恨んだり、憎んだりするのも、たいへん。
ものすごいエネルギーを消耗する。
だったら、恨んだり、憎んだりするのは、やめたらよい。
反対に、その人のために、祈ってやる。
「どうか、心を平安に」と。

 というのも、恨まれたり、憎まれるような人は、そういう人。
放っておいても、自ら墓穴を掘っていく。
定められた運命に沿って、自らの道を選んでいく。
私やあなたが、どうこうしたところで、その運命は、変えられない。
あとのことは、その人自身の運命に任せればよい。

●相手にしない

 こういう私の意見に対して、ワイフはこう言う。
「憎むも、恨むもないわよ。何も考えなければいいのよ」と。

 つまりあれこれと気を回すから、こちらも疲れる。
まったく忘れてしまえば、それでよい、と。

ワ「話しあったところで、何も解決しないでしょ」
私「そうだね」
ワ「どうせわかる相手でないし……」
私「そう。そういう限界は、このところよく感ずる」
ワ「そうよ」と。

●人生のドラマ

 人生にはいろいろなことがある。
その(いろいろなこと)が、無数のドラマを作り、それが人生を楽しくする。
みながみな、聖人でも、この世の中は、つまらない。
(悪人でも、困るが……。)

 あっちで衝突し、こっちで衝突し、そうした(衝突)の中から、ドラマが生まれる。
もっとも当事者は、とことん神経をすり減らすが……。
それに人とのトラブルは、できるだけ避けたい。
平凡は、それ自体が、美徳。

 だから……。
あなたの身の回りに、恨んだり、憎んだりしなければならないような人がいたら、
無視すればよい。
ただひたすら、無視。
あとはワイフが言うように、忘れる。
忘れて、自分の心の平安を大切にする。


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

●相続問題

++++++++++++++++++++++

相続問題が、これほどまでに厄介なものとは、
思わなかった。
人間の欲得には、際限がない。
その際限のなさが、相続問題を、こじらせる。

++++++++++++++++++++++

●額には関係なし

 数億円の相続財産があるというのなら、まだわかる。
争うだけの価値は、ある(?)。
しかし実際には、わずか数百万円の財産を取りあって、兄弟姉妹が、骨肉の争いを
繰り返す。
そんな例は、いくらでもある。
金銭問題がこじれると、とかく人間関係はこじれやすい。
そこへ相続問題がからむと、さらにこじれる。
たいてい泥沼化し、やがて悪臭を放つようになる。

●1円ももらえなかった

 A子さん(現在60歳)の父親が亡くなって、もう20年になる。
A子さんは、現在、85歳の母親と、2人暮らしをしている。
そのA子さんが、こんな話をしてくれた。

 「歳をとればとるほど、人はお金に執着するようになる」と。

 85歳になった母親が、毎日、お金の話ばかりしているという。
やや認知症ぽいところはあるが、その年齢の女性にしては、平均的とのこと。

●20年も前の話

 A子さんの母親は、今でもことあるごとに、こう言うという。
「私は、(亡くなった夫の)実家から、遺産分けをしてもらっていない」と。

 亡くなった……といっても、先にも書いたように、それからもう20年になる。
その夫には、2人の兄弟がいた。
(亡くなった夫も含めて、3人。
うち2人は、すでに他界。現在は、末の三男が郷里の実家に住んでいる。)
亡くなった夫は、その中の二男だった。
たいした財産ではなかった。
G県の山奥の、もとはと言えば、小作農。
しかも夫が生きている間は、夫婦喧嘩ばかりしていた。

 そんな妻であっても、亡き夫の相続財産に執着し、「私たちは、遺産相続を
してもらえなかった」「1円ももらっていない」と。

●兄弟関係

 こだわる人は、こだわる。
こだわらない人は、こだわらない。
それが相続問題である。

 「親の財産など、最初からアテにしないこと」とは言うが、その年齢が
近づいてくると、何かと気になる。
日ごろから、兄弟姉妹関係が良好なら、まだ救われる。
が、関係がおかしくなると、とたん、相続問題が浮上する。
「判を押す」「押さない」がこじれて、裁判沙汰になるケースも少なくない。

●便利な『ダカラ論』

 義兄はこう話してくれた。
「ぼくにも、2人の妹がいるが、あいつら、ときとばあいに応じて、ダカラ論を
うまく使い分ける」と。

 お金を払う話になると、「私らは女だから」「家を出た身分だから」と言う。
つまり「払わない」「払う必要はない」と。
しかしこと遺産相続の話になると、「私らも、子どもだから」と。
「子どもだから、分け前にもらう権利がある」と。
つまり自分の都合に応じて、『ダカラ論』を、うまく使い分ける、と。

 相続問題がからんでくると、その『ダカラ論』が、がぜん、多くなる。

●遺言

 こうした問題が起きないようにするには、親自身が、自分の死後をしっかりと
見つめながら死ぬしかない。
親の威光(?)がまだそれなりの力がある間は、こうした問題は、地下にもぐっている、
しかし親の威光が鈍り始めたとたん、表に顔を出す。

 冒頭に書いたように、「額」の問題ではない。
(もちろん相続財産が巨額であれば、問題は起きやすいが……。)
そこで「遺言」ということになる。
しかしこれは公正証書として、文書化しておく必要がある。
というのも、私の母もそうだったが、そのつど世話になる人に向かって、
「あの家はお前にやる」「この家はあなたにあげる」などと言ったりする。
それを聞いた人は、その言葉を真に受けてしまう。
それが騒動の原因になる。

●協議分割

 財産分与の仕方には、いろいろある。
一般的には、兄弟に、遺産相続放棄をしてもらうという方法がある。
が、最近、よく使われるのが、「協議分割」という方法。

 これは当事者どうしがあらかじめよく話しあい、それぞれの取り分を
数値で示しておくという方法。
もし長男がすべてを相続するというのであれば、分割割合のところに、「全財産」と
明記しておけばよい。
あとは相手方の、印鑑証明と実印の捺印、それに住民票があればよい。

●伏兵

 が、この段階で、別の問題が起きることがある。
親が死ぬころというのは、息子も、娘も、その年齢になる。
平均的な家族で考えれば、60〜70歳。

 そのころになると、認知症の心配も出てくる人もいる。
そのときはよく納得して判を押したとしても、数か月、あるいは数年も
すると、「私は知らない」「判を押した覚えはない」と言って、騒ぎ出す。

 そういうケースも、たいへん多い。

たいていは、その子孫がそれに同調する。
「書類が偽造された」「おやじは、叔父に財産を横取りされた」と言って、騒ぎ出す。

●無知

 しかし民法の世界では、とくに不動産関係の世界では、「書類」がすべて。
書類に始まって、書類に終わる。
その書類に不備がなければ、よほどのことがないかぎり、(事実)がひっくり返る
ということは、ない。

 不動産は、つぎつぎと転売されていくことが多い。
分割されることも多い。
その途中で、「契約無効」ということになると、それ以後の社会生活に深刻な
影響を及ぼす。

 ここでいう「よほどのこと」というのは、公文書偽造のような犯罪性のある行為をいう。
(が、それでも一度動いた権利関係を、もとに戻すのはむずかしい。)

 で、ある女性(64歳)は、法務局の窓口で、「私はこんな書類に判を押した覚えはない」
「署名した覚えはない」と言って、泣き叫んだという。

 しかし印鑑は、その女性の実印。
署名したのは、その女性自身。
直筆。
結局、その女性は、一度は、相続放棄はしたものの、あとになって、惜しくなったらしい。それで
腹を立てて、異議を申し立てた
が、こんな道理は、この世界は、通用しない。
そのあと弁護士に相談したというが、もちろん、門前払い。

●孫が相続権を争う?

 司法書士をしている友人のM氏は、こう話してくれた。

「今では、遺産相続権者である当の本人というよりは、さらにその下の
息子や娘が、騒ぐケースがふえている」と。

 たとえば実の親が死ねば、その息子や娘が、相続権者ということになる。
で、そういう相続権者が、相続を争うのは、まだ話がわかる。
が、実際には、さらにその息子や娘、つまり相続権のない息子や娘(=死んだ
実の親の孫たち)が、遺産相続をめぐって争うケースがふえているという。

M「つまりね、孫たちが、親にも取り分があるといって、親をたきつけて、
騒動を大きくするんだね」
私「……なるほど。孫の代になると、人間関係も希薄になっているから、その分だけ、
騒ぎやすいというわけか」
M「そうなんだよな。もらえるべきものは、もらうべきという、おかしな平等意識
ばかり、強くてね」と。

●教訓

 繰り返すが、こと遺産相続に関しては、書類に始まって、書類に終わる。
その書類を、しっかりと整えておくこと。
さらに土地の権利関係においては、書類がすべてを物語る。
これは鎌倉時代の、地頭の時代からの常識。

 ずっとあとになって、「そんなつもりはなかった」と言っても、
それこそ、「あとの祭り」。
実印を捺印するときはもちろん、署名するときも、それなりの覚悟と
確認をしっかりとすること。

 遺産相続問題がからんでいるときは、なおさらである。

●付記

 こうして兄弟姉妹が、バラバラになっていくケースは、たいへん多い。
ざっと私の周辺をながめてみても、すんなりとこうした問題が片づいていくケースは、
10に、1、2もない。
言い換えると、兄弟姉妹に幻想はもたないこと。
甘えはもたないこと。
その(甘え)が、騒動を大きくする。

 だからくしくも昔の人はこう言った。
『兄弟は、他人の始まり』と。
まさに核心をついた言葉である。


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

●認知症

+++++++++++++++++++++

認知症は、こわい!

昨日、こんな話をワイフから聞いた。
何でもその女性の義母(68歳くらい)が、
毎晩のように、こう叫ぶという。

「ワシ(=私)のサイフを、嫁(=その女性)が盗んだ!」
「嫁が、夕飯を食わせてくれない!」
「嫁が、土地を勝手に処分してしまった!」と。

68歳と言えば、まだ若い。
ワイフは、「若年性アルツハイマー病らしいわね」と言ったが、
その可能性は、高い。
そういう話は、よく耳にする。

で、その母親には、3人の娘がいる。
その3人の娘が、義母の話を真に受けて、その女性に対して、
よくない印象をもち始めているという。
つまり、疑いの目で、その女性を見始めているという。

「私がきちんと説明しても、横目で、『そうかしら?』と、
いかにも疑っていますという顔で、私を見つめるのね」と。

で、その女性が夫(=母親の実子、長男)に、「お母さん、おかしいから、
病院へ連れていってみたら?」と声をかけるのだが、この夫が、また
たいへんなマザコン。

そのつど、「母は、何ともない」「お前がしっかりしろ」と、
反対に怒鳴り返されてしまうという。

で、こうなると、打つ手なし。
3人の娘たちは娘たちで、「自分の相続の取り分が少なくなる」と、もう、今から
そんな心配をしているという。


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司※

【人間の多様性について】

●人間の弱さ

+++++++++++++++++

欲望と理性が真正面からぶつかったら、どうなるか。
ふつう、理性に、勝ち目はない。
欲望はそれほどまでに強力で、根が深い。
とくに性欲においては、そうである。

どんな高徳な聖職者でも、あるいは高邁な
哲学者でも、たとえば性欲の前では、ひとたまりもない。
それなりの仮面をかぶることはできても、
仮面は仮面。
他人の目を気にした、仮面。
「私はそういうことには興味はありません」というような
顔をしているだけ。

……こう断言するのは、たいへん危険なことかもしれない。
中には、「私はそうでない」と反論する人もいるかも
しれない。

しかしそういう人は、まず、自分の肉体と精神の健康を
疑ってみたほうがよい。
あなたの肉体と精神が健康であるなら、もう一度、改めて、ここに
断言する。

欲望と理性が真正面からぶつかったら、どうなるか。
ふつう、理性に、勝ち目はない。

+++++++++++++++++++



 もし前頭連合野の働きが、脳全体をコントロールできるとするなら、
うつ病も含めて、もろもろの精神病は、そのまま解決する。
アルコール中毒も、ニコチン中毒も、そのまま解決する。
依存症もなければ、うまくいけば、人と人との争いもなくなる。

 逆説的に考えるなら、そうでないから、そうでない。
前頭連合野のもつ力は、それほど強くない。
アルコール中毒ひとつとっても、それから抜け出るのは容易なことではない。
それがそのまま人間の精神力の限界ということになる。
前頭連合野の限界ということになる。
が、それにもし、性欲が理性でコントロールできるようなものであるとするなら、
人類は、とっくの昔に絶滅していたということになる。

 人間がもつ臓器の中で、あれほどまでに不潔で、悪臭の漂う場所はない。
いくらその異性が好きになったとしても、もし理性のコントロールが働いているなら、
あの部分だけは、手で触れるとしても、最後の最後。
できるなら、見るのも避けたい。
そんな場所に、何と、種族存続のための、最重要器官が集まっている。
快楽の中心点になっている。

●「魔が差す」

 少し前、手鏡を使って、女性のスカートの中をのぞいていた、どこかの教授が
いた。
それで有罪になったと思っていたら、今度は、電車の中で痴漢行為を働いたという。
その前にも、何かの事件で、一度、逮捕されている。

 何もその教授の行為を弁護するつもりはない。
ないが、しかしどこのだれが、そういう教授を、「石をもって、打てるか」?
またそういうことをしたからといって、その教授がもつ、ほかのすぐれた部分
まで、否定しまうのも、どうかと思う。

 その教授にしても、99・99%の時間は、教授として、師弟の指導に
尽力していたにちがいない。
すばらしい才能と能力に、恵まれていた。
彼が説いていた経済理論は、一級のものであった。
が、残りの0.01%の部分で、「魔が差した」。

●私だって……

 「私だって……」という言い方をすると、誤解があるかもしれない。
しかし私は、けっして聖人ではない。
ふつうにスケベだし、スケベなこともたくさんしている。
頭の中は、この年齢になっても、スケベでいっぱい。
むしろ私は、生まれも育ちも、よくない。
動物的で、野蛮。

 「魔が差す」という言葉からもわかるように、ほんの一瞬のスキが、私の
人生を狂わすということも、私のばあい、ありえないことではない。
たとえば私は、よくこんなことを考える。

●もし政治家だったら……

 私が政治家だったとする。
その私のところへ、1人の土建業者がやってきた。
そして机の上に、1000万円の現金を積んだとする。
そしてこう言った。
「X町の土木部長に、よろしく」と。

 そのときのこと。
だまってうなずけば、そのお金は自分のものになる。
土建業者は、何も言わず、その場を去る。

 私なら……?
この先のことは書かないが、多分、みなさんと同じような行動を取ると思う。

●欲望

 人間が本来的にもつ弱さというのは、人間自身がもつ、欠陥と考えてよい。
あるいは、本来、人間というのは、そういう(動物)であるという前提で、考えたらよい。

 つまり人間は知的な意味で、格段の進化を遂げたが、その一方で、それ以前の
動物的な部分を残してもっている。
それが悪いというのではない。
それがあるからこそ、人間は、子孫を後世に残すことができる。
誤解してはいけない。
性欲といっても、もろもろの(欲望)のひとつにすぎない。
が、そうした欲望を、すべて否定してしまったら、残された道はただひとつ。
人類は、そのまま絶滅する。

●欲望のない世界

 子どもは人工授精によって生まれ、それ以後は人工飼育器の中で育てられる。
欲望は否定される。
もちろん人間は、去勢され、性欲そのものを失う。

 ……話が少し極端になってきたが、欲望を否定した世界では、そうした形で、
子孫を残すしかない。
すべての人間は平等で、競争もなければ、もちろん争いもない。
手鏡で、女性のスカートの下をのぞく人もいなくなるが、同時に、経済の研究を
する学者もいなくなる。

 話が入り組んできたが、平たく言えば、善があるから悪があり、悪があるから善が
あるということ。
その2つがつねにぶつかりあうから、そこからドラマが生まれる。
人間がなぜ生きているかといえば、そこにすべての目的が集約される。

●人間の中味

 犯罪にもいろいろある。
それによって起こる事件にも、いろいろある。
しかし私は、最近、こんな経験をした。

 故郷のM町の民芸館の中を見て回っているときのこと。
そこにどこか顔なじみに男がいた。
中学時代の同級生である。

 彼のことは、よく知っている。
親しくはなかったが、よく知っている。
彼は中学を卒業するとしばらくして、どこかの暴力団に入り、そのあと、
10年近く、刑務所で暮らしている。
同窓会に出るたびに、彼の話がよく出た。

 が、である。
私はその男の温厚さに驚いた。
ふつうの温厚さではない。
体の芯からにじみ出るような、温厚さである。
人間的な深い暖かみも感じた。
私のことはよく覚えていて、たがいに話がはずんだ。
そのあと、ボランティアの案内人として、町の中を、観光客を案内するということだった。

 別れてからワイフに、その男の過去を話すと、ワイフはたいへん驚いていた。
「そんな人には、ぜんぜん、見えないわね」と。

●罪を憎んで、人を憎まず

 法律の世界には、『罪を憎んで、人を憎まず』という言葉がある。
そこに犯罪者がいたとしても、悪いのは、その「罪」であって、「人」ではないという
考え方である。

 まさにそのとおりで、手鏡でスカートの下をのぞいたことは悪いとしても、だからと
いって、その人のすべてを否定してはいけない。

 同じように、若いころ、刑務所にいたからといって、その後の彼の人生のすべてを
否定してはいけない。
その区別というか、境界をしっかりと引く。
それが『罪を憎んで、人を憎まず』の意味ということになる。

●魔が差す

 考えてみれば、人間は、社会的動物である以上、いつも「悪」にさらされて生きている。
今、「私はだいじょうぶ」と考えている人にしても、明日のことはわからない。
それは事故のようなもの。
ふと油断したようなとき、悪の餌食になる。
『魔が差す』というのは、それをいう。

 言い換えると、だれしも、そういうときはある。
私にもあるし、あなたにもある。
冒頭にあげた(欲望)というのは、そういうもの。
(理性)の緊張感がゆるんだ、その一瞬をついて、その人を狂わす。
だからといって、そういう人を擁護するつもりはない。
が、一方的にそういう人を、否定してしまってはいけない。

 私は、それを書きたかった。


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

●多様性について

+++++++++++++++++++++++++++

知人、友人が、健康を害していくのを見るのは、つらい。
見た目には同じようでも、「今、○○病と闘っているよ」と
言われると、そのつど、ドキッとする。

同じように、知人、友人が、ボケていくのを見るのは、つらい。
明らかに頭の回転が鈍くなっている。
話し方も、かったるい。
会話から繊細さが消え、ぶっきらぼうな言い方をする。

たいていは、血栓性の脳障害(脳血管性認知症)によるもの。
独特の話し方をする。
それが最近は、素人の私にも、判断できるようになった。

+++++++++++++++++++++++++++

●意識

 私たちがもっている(意識)ほど、あてにならないものはない。
「私は私」と思っている部分についても、では、脳の中で、どの部分がそう思っているかとなる
と、それがどうもよくわからないらしい。

 たとえば理性の中枢部として、前頭連合野がある。
額の裏側にある脳である。
しかしその「前頭」と言われている部分についても、左脳と右脳に分かれている。
仕事を分担している。
(最近、とくに注目されている部分が、第46野と言われている部分だが、それについては、最
後のところで書く。)
が、もちろん別々の仕事をしているわけではない。
「脳梁(のうりょう)」と呼ばれる、太い配線で結ばれている。

 が、全体として、(1つ)ということではない。
脳は、そのときどきにおいて、いろいろな組み合わせを繰り返しながら、別人格を作りあげる。
一説によれば、8人格。
私の計算によれば、9人格。
さらには32人格まであると説く人もいる。
それぞれがそれぞれの人格のとき、別の意識をもつ。
今、「私は私」と思っている部分は、その中のひとつにすぎない。

●脳の奥で作られる無意識

たとえば「ジュース」という言葉を見たとする。
左脳の言語中枢は、それを「ジュース」と読み、読んだ言葉を、右脳に伝える。
右脳はその信号をとらえて、コップに入った黄色い飲み物を具体的に映像化する。

 このとき、右脳は、すでに脳の中に格納された情報から、ジュースの情報を引き出し、「冷蔵
庫の中に、昨日買ってきた、オレンジジュースが残っているはず」と判断する。

 が、もしここで、「マイロ」という言葉を見たとしたら、どうだろうか。
オーストラリアの飲み物である。
日本では、N社から、「ミロ」という商品名で、売りに出されている。

 しかしオーストラリアに住んだことのない人は、「マイロ」と読んでも、意味がわからない。
右脳に情報を送っても、それがどんなものであるか、具体的に頭の中に浮かんでこない。
言葉だけは脳のあちこちをかけめぐるが、そのつど脳の壁に当たって、はね返されてしまう。

 「ジュース」という言葉を見たときには、それが具体的な映像となって、意識を動かす。
「飲みたい」という意識につながる。
が、「マイロ」という言葉を見たときには、具体的な映像は浮かんでこない。「飲みたい」という意
識は、当然、生まれない。

●操られる意識

 ところが、「マイロ」について、だれかがこう説明したとする。
「ココアに似た味の、おいしい飲み物」と。

 すると好奇心がわいてくる。
その好奇心が、「飲みたい」という意識を引き出す。
しかもそのとき、同時に、脳の別の部分では、別の意識が活発に動き出す。

「どこへ行けば手に入るか」
「値段は、いくらくらいか」
「どうやって飲むのか」などなど。

 このときほとんどの意識は、意識されない世界、つまり無意識の世界で動き出す。
さらに脳の頭頂部あたりでは、「どんなカップに、どのようにして溶かして飲むか」まで考えるか
もしれない。

 そこであなたは、「マイロ」について、調べる。
人に聞く。
最終的には、日本でも、N社から、「ミロ」という名前で売りに出されていることを知る。

 で、あなたは近くの店に行き、それを手に入れる……。

●意識は、氷山の一角

 こうした一連の意識活動で重要なことは、私たちが(意識している意識)というのは、海に浮
かんだ氷山の一角のようなものにすぎないということ。
一角どころか、「一微」と書いた方が、正確かもしれない。

 で、そのあと、あなたは店へ行く。
店員に、「ミロはありますか?」と聞く。
それを見つけて、カートに入れる。
お金を払う。
家に帰って、飲む……。

 そのつどあなたは、「私は、自分の意思で、そうしている」と思うかもしれない。
しかし実際には、それ以前、つまりあなたが「マイロ」という名前を読んだとき、脳の別の部分
が決めた行動に従って、そうしているにすぎない。
「意識」としては、意識できなかっただけ、ということになる。

 これはほんの一例だが、私たちがもっている意識というのは、そういうものと考えてよい。
つまりアテにならない。

●多様人格

 こうして考えていくと、どこからどこまでが「私」なのか、わからなくなってくる。
さらにその「私」にしても、冒頭に書いたように、脳の組み合わせによって、いくつものパターン
に分かれる。

 すばらしい映画を観たあとなどは、神々(こうごう)しい気持ちになる。
反対に殺伐とした暴力映画を観たあとなどは、イライラしたり、怒りっぽくなったりする。
どちらも「私」なのだが、どちらが本物の私で、どちらがそうでないかという判断をくだすのは、
正しくない。
「神々しい私の方が、私」と思いたい気持ちはわかるが、それがすべてではない。
ときには、サスペンス映画、戦争映画、スリラー映画も、観たくなる。
SF映画も楽しい。

 ……となると、ますます訳が分からなくなる。
が、こうなったときの鉄則は、ひとつ。
ここは居直るしかない。
つまり私たちは、「常に(1人の私)ではない」と、考える。
1人の私に限定するから、話に無理が生じてくる。
自己矛盾に悩む。

 脳の構造についていうなら、前頭前野の第46野が、「私」を作っている中枢部らしいというこ
とまでわかってきた。
その第46野は、簡単に言えば、3層(カラム)になっている。
それが左右の両方に、ひとつずつあるわけだから、組み合わせの数で言えば、3×3=9の、
9通りということになる。

 つまり私たちは、単純に計算すれば、いつも9通りの「私」をもっていることになる。
(もちろんどれが優勢か、劣勢かということはあるが……。
とくに優勢なのを、「主人格」という。)
ひとつにこだわらなければならない理由は、ない。
つまり多重人格であるのが、当たり前。
「多重人格」という言葉に抵抗があるなら、「多様人格」という言葉を使ってもよい。

 私たちは、そのつど、時と場合に応じて、多様な意識をもって、ものを考えたり、行動したりす
る。

 学者のときは、学者。
父親のときは、父親。
酒が入ったときには、友人。
妻と裸で接するときは、スケベ人間……。

 つまり「意識はアテにならない」と考えるのではなく、「どれも意識」と考える。
「どれも私」と考える。
さらに言えば、この多様性があるからこそ、その人のもつ(おもしろさ)が生まれる。

 少し前、手鏡で女性のスカートの中をのぞいた大学教授の話を書いた。
が、それも人間が本来的にもつ、多様性のひとつとも考えられなくもない。
(だからといって、そういう行為を容認しているのではない。
ただ、ほかのすぐれた部分まで、いっしょくたに否定してしまってはいけないと書いている。
誤解のないように!)

この考え方は、今後、変わるかもしれない。
しかし今は、これが私の意識についての結論ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 意識論 多様人格 人間の多様性 多重人格 はやし浩司の意識論)


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

●今日も終わった……(改)

●人を愛する

ぼくは、子どものころから、人を愛することができなかった。
愛することで、自分が傷つくのが、こわかった。
今も、そうで、人を愛しそうになると、その一歩手前で、立ち止まってしまう。

ぼくは、臆病者。
気が小さく、心が狭い。
いつも自分の殻(から)に閉じこもり、小さな穴から、外をのぞいている。

もちろん人を愛することのすばらしさは、知っている。
しかし同時に、人を愛することのきびしさも、つらさも知っている。
だから人を愛しそうになると、自分から先に逃げてしまう。

結婚してからもそうだった。
ぼくは心を開けなかった。
すべてをさらけ出して、妻に、「愛している」とは言えなかった。

そんなぼくを、妻は、いつもさみしく思っていたにちがいない。
この年齢になっても、また40年も連れ添っていても、
ぼくは自分が、こわい。

そう、ぼくはすべてをさらけ出すことができない。
いつも仮面をかぶって、自分の心をごまかしている。
裏切られるのがこわくて、先に、相手を裏切ってしまう。

つまらない人間ということも、よく知っている。
なさけない人間ということも、よく知っている。
しかしそんな自分を、どうすることもできない。


●徘徊

ぼくは、いやなことやつらいことがあると、よく徘徊する。
あてどもなく、ただひたすら、道に沿って歩く。
だれも通らない、細い道を選んで歩く。

そんなとき、妻はぼくを心配して、ぼくをさがす。
が、妻の運転する車を見ると、ぼくは、隠れてしまう。
助けてほしいのに、体は、別のほうを向いてしまう。

いじけた心。
ゆがんだ心。
すなおになりたくても、もう1人のぼくがいて、それをじゃまする。

もう残りの人生のほうが、はるかに短い。
ぼくは、ぼくらしく生きたい。
しかしそれができない、そのもどかしさ。

ときどき妻は、こう言う。
「あなたって、かわいそうな人ね」と。
自分で孤独を作って、その孤独の中で、もがき苦しんでいる。

「その人はどこにいるの?」と、1人の少女が、そう歌う。
昔、キングスクロスの劇場で観た、「ヘアー」の中でのことだった。
「私を導き、私を教えてくれる人は、どこにいるの?」と。

その少女は、つづけて、こう歌う。
「なぜ、私たちは生まれ、なぜ死ぬのか」
「私たちは、それを知るために、どこへ行けばいいの?」と。

話がそれたが、ぼくはなぜ歩くか。
理由は、簡単。
歩いているときだけ、ぼくは自分を忘れることができる。

●10月3日

静かな夜。
満月の夜。
心地よい、夜の冷気が、つんとぼくの乾いた心を包む。

洗い物をする妻のうしろ姿。
テーブルにころがった、もうひとつのメガネ。
その横には、小さな薬箱。

何でもない光景だが、それが今夜は、ひときわ動きを止めている。
息をひそめて、ぼくが何をするか、それを待っている。
が、ぼくは、ただそれをぼんやりとながめているだけ。

「時」だけが、こうして流れてきた。
今も、流れている。
これからも、流れていく。

人を愛することのできない、もどかしさ。
自分らしく生きられない、もどかしさ。
今のときを、自分の手でつかむことができない、もどかしさ。

みんなそうなのだろうか?
それともぼくだけが、そうなのだろうか?
あるいは、みんなは、こういうとき、どうしているのだろうか?

10月3日は、もうそろそろ終わる。
時刻は、午後10時30分。
ああ、今日も、何もできなかった……。


Hiroshi Hayashi+++++++Oct. 09++++++はやし浩司

●自殺論

++++++++++++++++++++++

自殺というのは、それを考えない人には、
遠くにある。
「自殺するヤツは、バカ」と、平気で言う。
しかしそれを考える人には、手をのばせば
すぐそこにある。
その気になれば、いつでも死ねる。

自殺というのは、それを考えない人には、
恐怖かもしれない。
しかしそれを考える人には、最後の救い。
「死ぬことによって、自分の魂を解放させることができる」と。
死に向かって、迷わず、歩いていく。

+++++++++++++++++++++++

●絶望

 絶望の恐ろしさは、絶望を味わったものでないとわからない。
すべての光が消えて、すべての目的が形を失う。
すべてのものが動きを止め、時間さえも、そのまま止まってしまう。

自分の人生の無意味さを思い知らされることくらい、恐ろしいことはない。
すべてのものが、色あせ、すべての人から、見放される。
そのとき「死」が、薄い氷の下で、手招きをして、ぼくを呼ぶ。

絶望こそが、死の魔手。
それがこわくて、人は、それがどんなに小さなものであっても、
希望に明日への命をつなぐ。

庭の芝生?
栗の木の上に造った、ハトの巣。
それとも明日の天気?

今、妻が、衣服を着替えながら、ぼくに微笑みかけた。
洗面所でいつものように顔を洗い、やがてこの居間にもどってきて、血圧を測る。
床につく時刻がやってきた。

明日こそは、妻を暖かい陽だまりで包んでやろう。
明日こそは、「今日はいい一日だった」と言えるようにしよう。
明日こそは……。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 詩 はやし浩司の詩)


Hiroshi Hayashi+++++++Oct. 09++++++はやし浩司

●10月4日(日曜日)

++++++++++++++++

遅い朝食をとっていると、ワイフが、こう言った。
「どこかへ行かない?」と。

で、「お前が決めろ」と言うと、ワイフは、
「浜名湖電車に乗りたい」と。
そこで急きょ、外出することにした。

++++++++++++++++

●浜名湖鉄道(天竜浜名湖鉄道)

 ネットで時刻表を調べると、金指(かなさし)発、1時6分というのがあった。
それに乗ることにした。
言い忘れたが、「浜名湖鉄道」というのは、浜名湖の北を、掛川から、新所原(しんじょはら)ま
で、浜名湖を取り囲むようにして走っている電車である。

 折しもフラワーパークでは、「モザイカルチャー博覧会」というのをやっていた。
が、日曜日ということもあって、やめた。
人が混雑したところを歩くのは、好きではない。

●1時6分発

 途中、市内のパソコンショップに寄ったのが、まずかった。
時計を見ると、12時45分。
いくら急いでも、金指駅までは、20分はかかる。
とても間に合いそうにない。
が、こういうときは、(運命)に、身をゆだねる。
間に合うときには、間にあう。
間に合わないときには、間に合わない。
ジタバタしても、仕方ない。

 ワイフの時計は、2、3分、進んでいた。
私の時計は、電波時計に合わせておいたから、正確。
「もうだめだね」と言いながら、駅に着くと、電車はそこで待っていた!
駅員さんに、車から降りながら、ちょっとだけ待ってくださいと声をかけると、「いいですよオ!」
と。
こういうところが、ローカル線。
人間の暖か味がちがう。
ワイフは、空き地に車を止め、ハーハーと息を切らしながら、駅へ走ってきた。

●森町でおりる

 1日周遊券というのを買うと、1500円で乗り放題。
私たちはそれを買った。

しばらく、窓の外の景色を見る。
見慣れた景色だが、それだけに、ほっとする。

私はミニパソコンを取りだして、文を書き始める。
ワイフは、途中の駅で買った駅弁を開いて、それを食べる。
のどかな1日。

 で、私たちは森町でおりることにした。
「森の石松」で有名な、森町である。

 駅を出たところに案内所があって、そこの男性が、ていねいにいろいろと教えてくれた。
私たちは、蓮華寺と、その隣の民俗資料館を目指すことにした。
時間的に余裕があれば、その近くの町営浴場にも入ることにした。

●民俗資料館

 もともとは役所だったという。
木造の二階家だった。
中にぎっしりと、農機具などが展示されていた。
私が子どものころ、どこかで見たようなものばかりだった。
なつかしいというより、どれも、小さいのに驚いた。

「ぼくが子どものころには、これはぼくの背丈より大きかった……」と話しながら、案内人の案
内を受けながら、館内を回った。
楽しかった。

 で、そのあと、蓮華寺へ。
小さな寺だったが、住職がちょうど勤行(ごんぎょう)を始めるところだった。
私たちはその後ろ姿を見ながら、小銭を賽銭箱に入れた。
天井からつりさげられた鐘を鳴らした。

●町営浴場

 このところ毎週のように、大きな浴場で風呂に入っている。
それもあって、帰りに、町営浴場へ入ることにした。
が、玄関を入ったとたん、Uターン。

 ここから先は、森町の悪口になるから、慎重に書きたい。
私たちは、どうしてUターンをしたか?
入浴しないで、どうしてそのまま外へ出たか?

 実は、玄関を入ると、通路をはさんで、左側が、デイサービスセンターになっていた。
独特の老臭と消毒臭。
右側が大浴場。
その右側には、広いロビーが、昼下がりの日光をさんさんと受けて明るく輝いていた。
が、見ると、80〜90歳の老人たちが、椅子に座って、そこで休んでいた。
車椅子に座っている老人もいた。
よたよたと杖をついて歩いている老人もいた。

 みな、腰の部分が不自然にふくらんでいる。
だから、Uターン。

 老人を介護したことのある人なら、その理由を、みな、知っているはず。

●掛川へ

 森町から、今度は掛川へ。
のどかな田園風景が、ゆっくりと流れるようにつづく。
私はパソコンのバッテリーを気にしながら、思いついたことを書きとめる。

こういうときというのは、書きたいことがつぎつぎと思い浮かんできて、頭の中がパニック状態
になる。

 で、掛川へ。
あちこちを歩いて、通りのそば屋に入った。
ほかの店は、どこも休息中だった。

 味は、ふつう。
が、値段は高かった。
ざるそばが、850円!

 店を出ると、そのまま駅へ。
みやげは、葛(くず)湯。
掛川名物。

 そのときワイフが万歩計を見ると、9000歩近くを示していた。
つまり目的は達した。

 家に着くころには、とっぷりと日が暮れていた。
私はネットで、新しいミニパソコンを注文した。
ワイフは、DVDを見始めた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 天竜浜名湖鉄道 浜名湖鉄道 浜名湖 浜松市 浜名湖)


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

●文章

 「文」というのは、生き物。
しばらく時間をおいて読み直してみると、まったく別の文になっている。
そんなことは、よくある。

 そこで私のばあいは、文を一度書くと、しばらくそのままにしておく。
そのあと時間をおいて、再び、読み直す。
そのとき、できるだけ、声を出して読むようにしている。

 たとえば昨日、私は、「人を愛する」というのと、「絶望論」というのを、書いた。
それを今朝、読み直してみた。
が、どこかヘン?
ぎこちない?
リズムが乱れている。
書いているときは気がつかなかったが、意味不明のところさえある。
だから改めて、書き直す。

 だから楽しい。
だからおもしろい。
文を書くと言うのは、文という生き物を相手にすること。

 ……ということで、今週も始まった。
がんばろう!

10月5日、月曜日!


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

●満62歳

++++++++++++++++++++

もうすぐ満62歳になる。
62歳だア!
その62歳が近づいて、うれしい報告がひとつある。

私は、ずっとこう考えていた。
「健康というのは、維持するもの」
「不可逆的に悪化するもの」と。
だから「現状維持ができるだけも、御の字」と。

ところが、である。
これがどうも、そうでないということがわかった。

まず体重を、68キロから60キロに減らした。
3か月ほどかけて、少しずつ減らした。
しばらくは、それまでに経験したことのない体の不調に
悩まされた。

体重が減ったのだから、その分、体は軽くなったはず。
が、それはなかった。
かえって、体を重く感ずるようになった。

抵抗力が落ちたせいか、皮膚病(とくに結膜炎)も含めて、風邪をひきやすく
なった。
ショックだったのは、いつもなら自転車でスイスイと登れる
坂が、登れなくなったこと。
筋肉そのものまで、萎(な)えてしまった。

で、それからさらに2か月あまり。
体重を60キロに維持したまま、運動量を多くした。
それに加えて、3週間ほど前から、ウォーキング・マシンを
購入し、暇を見つけてはそれを使い始めた。

1日、40〜50分を目標にしている。
速度も時速6キロ前後に設定し、できるだけ、つま先で
歩くようにしている。
こうすると、軽いジョギングをしているような格好になる。
10〜20分も使っていると、全身から汗が噴き出してくる。

こうした努力が功を奏したのか、最近では、自分の健康を、
はっきりと自覚できるようになった。

体も軽い。
睡眠も深くなった。
もちろんあの坂も、再び、スイスイと登れるようになった。
さらにうれしいことに、頭がサクサクと動くようになった。
朝起きたとき、それがよくわかる。
文章を書いていても、思ったことを、そのまま表現できる。
人と話していても、言葉が、なめらかに出てくる。

だから、こう書きたい。

「みなさん、還暦と言われて、あきらめてはいけない」
「60歳を過ぎても、健康は、じゅうぶん、増進できる」
「健康は維持するものではない。努力によって造るもの」と。

少し前、私の友人がこう言った。

「男がね、いちばん仕事ができるのは、60代だよ」と。
その友人は、日本でも最大手のペンキ会社の監査役をしていた。
私は、その友人の言った言葉を、信ずる!

花の60代!
我ら、ヤング・オールド・マンなのだア!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 健康論 健康増進)


+++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●エピソード記憶

++++++++++++++++

●もの忘れ

昨日の昼に、何を食べたか。
おととい観た映画の題名は何だったか。
隣の息子の名前は何だったか。
そういうことを忘れるということは、よくある。
俗に言う、「ど忘れ」というのが、それ。

しかしその程度の(もの忘れ)は、むしろ正常なのだそうだ。
脳には、そういう機能がある。
それによって、脳はいつも脳への負担を軽くし、つぎの記憶に備える。
パソコンにたとえるなら、「クリーンアップ」ということか。
無駄な情報を消去して、メモリーを軽くする。

が、食べたことそのものを忘れてしまうのは、よくない。
映画を観たという事実を忘れてしまうのは、よくない。
自分の家の住所を忘れてしまうのは、よくない。

アルツハイマー型の痴呆症になると、記憶といっても、エピソード
(物語)そのものが記憶から抜けてしまい、それを忘れてしまうという。

実は、私の知人(現在60歳)も、この問題で、困っている。
6歳年上の姉がいるのだが、その姉が、最近、「私は相続放棄をした覚えは
ない」と言って、騒ぎ出したという。
ことのいきさつは、こうだ。

●知人のケース

知人の父親は、5年ほど前に他界した。
そのとき家を継いでいた知人が、何百万円かの現金を渡して、姉に相続を
放棄してもらった。
それに基づいて、知人は、土地、家屋の名義を、その知人のものに書き換えた。

で、それから5年。
変化が生じた。
知人の家の近くが、土地整理区画に指定された。
とたん、土地の価格が大暴騰。
どうしようもない荒地と思っていた土地が、住宅地になった。
姉が「相続放棄をした覚えはない」と言い出したのは、そのときのことだった。

で、知人は、当時の書類を姉に見せた。
それには、「協議により、全財産を兄、○○に譲ります」とある。
もちろん姉自身の実印による押印、直筆による署名もある。
「全財産」という箇所の上にも、実印による押印してある。

これについて、知人は、「とくに重要な箇所だから、あえて押印してもらった」
と言っている。

しかしその「協議書」を、姉は、「そんなものを書いた覚えはない」と。

で、知人が私に相談してきた。
一応、私は、元法学部の学生。
成績も悪くなかった。
それに専門は、民事訴訟法。
念のため、M市で弁護士をしている友人に、電話で確かめた上で、
知人にこう言った。

私「やりたいようにさせ、あとは無視したらいいですよ」
知「無視ですか?」
私「何か言うと、そういう人ですから、言葉尻をつかまれますよ」
知「姉というより、姉の娘が騒いでいるのですね。今年、40歳になるかな」
私「最近、そういうケースがたいへん多いですよ。弁護士をしている友人も
そう言っていました」と。

 つまり当の本人(=相続権をもった相続権者)ではなく、その子ども
(=相続権をもたない息子や娘)が、「親の取り分が少ない」と言って騒ぐ。

●エピソード記憶

 が、知人の姉のケースは、もう少し深刻である。
法務局でコピーを見せつけられたにもかかわらず、「私は書いてない」
「印鑑を押してない」と、がんばっているという。
さらには、「その協議書は、偽造されたもの」とまで、言い出した。

 しかし偽造ということはありえない。
印鑑証明書にしても、本人以外は、取り寄せることさえできない。
実印にしても、そうだ。
筆跡をまねるとしても、限界がある。

 さらに協議書の「全財産」という箇所の上に、実印が押印してある。
(実印の上に、「全財産」という文字が上書きしてあるなら、偽造という
こともありえるが……。)

 ……などなど。

が、知人の姉は、知人の話によれば、とぼけているとか、ウソをついているとか、
そういう雰囲気は、まるでないという。
まったく、シラフというか、本気で、そう信じこんでいるといったふう、と。
あるいは騒いだ分だけ、引っ込みがつかなくなってしまったのかもしれない(?)。

 どうであるにせよ、話は、アルツハイマー病へと進んだ。

●アルツハイマー型認知症

 知人の姉がその病気というわけではない。
しかし話の内容を総合すると、その心配は、ある。
あるいは私がその女性の夫なら、まずそれを疑う。
現在、満65歳をすぎると、アルツハイマー病の有病率は急激にふえることがわかっている(新
潟大学脳研究所※)。
他の認知症も含めると、約10%の人が、そうなる。

で、アルツハイマー型の認知症のこわいところは、ここにある。
記憶の一部だけではなく、ある部分の記憶が、スッポリと抜けたかのように、
消えてしまう。
部分的に覚えているということもない。
たとえば夕食を食べたあと、しばらくすると、「私は夕食を食べていない」とか
言って騒ぎ出す。

 さらに知人が困っているのは、電話。
数日おきに、姉から電話がかかってくるという。
(知人は、ナンバーディスプレイ装置を使って、姉からの電話には
出ないようにしているというが……。)
その電話というのが、高姿勢。
高慢。
留守番電話に向かって、言いたい放題。
妙に慇懃無礼な言い方をしたかと思うと、つぎの電話では、ギャンギャンと
怒鳴り散らす、など。

私「やはり、無視するしかないですね」
知「そうですね」
私「どうせ、あなたの姉さんは、何もできませんから」
知「しかし残念なのは、夫や娘も含めて、まわりの人たちがみな、姉を
たきつけていることです」
私「相続がからむと、そうみたいですよ」と。

 認知症というと、とかく当の本人だけの問題と考えられがちである。
しかしそういう病気であると、まわりの人たちがわかっていればよい。
わからないから、その人に、振り回される。
予期せぬトラブルに巻き込まれていく。
不愉快な思いをする。

(教訓)

 今ではこの病気も、早期発見が、第一。
治るということはないそうだが、進行を遅らせるという方法はある。
それに家族のだれかがそうなったら、できるだけ早く、周囲の人にそれを
伝えたほうがよい。

 知人の姉のばあいは、かなりの電話魔らしく、夫の目を盗んでは、あちこちに
電話をかけまくっている。
そういう事実を、夫は知らない。
また「おかしい?」と気づいても、たいていのばあい、夫は、それを自ら
否定しようとする。
それを認めることは、夫にとっても、つらい。
が、こうした姿勢が、友人関係、近隣関係、親戚関係を破壊する。

 アルツハイマー型痴呆症には、そういう問題も隠されている。

(注※)「65歳以上の認知症平均有病率は約10%である」

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 アルツハイマー 認知症 もの忘れ)


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司※

●毎日数万個!(脳の謎)

++++++++++++++++++

毎日、数万個の神経細胞(ニューロン)が、
死滅しているという。
数万個だぞ!

……といっても、人間の脳の中には、1000億個もの
ニューロンがあるので、あわてて心配しなくてもよい。
仮に、100年生きたとしても、
数万x365x100=数万x約4万で……?

サッと暗算できなくなった。
私の神経細胞も、かなり減ってきたらしい。

で、指を折りながら計算してみると、約10億個という数字が出てきた。
1000億個もあるのだから、10億個くらい減っても、どうということはない。
少し安心したところで、つぎの話。

++++++++++++++++++

●再生しない神経細胞(ニューロン)

 脳の神経細胞は死滅する一方で、再生しない。
もちろん、ふえることもない。
理由は簡単。
再生したり、ふえたりしたら、たいへんなことになる。
再生したり、ふえたりするたびに、その人の神経細胞は新しくなり、人格そのものまで変化して
しまうかもしれない。

 「10年前と今年では、まるで別人のよう」では、困る。
(実際、そうなる人もいるには、いるが……。)

 つまり脳は、その人の同一性を保つために、神経細胞を再生したり、ふえたりしないようにし
ている。

●が、もしふえたら……

 が、もしふえたら……。
ここからが私の得意分野。

もし神経細胞がふえたら、どうなるか?
そんな仮定を頭の中でしてみる。
が、脳は頭蓋骨によって取り囲まれているから、容量には限界がある。
約1000億個が限度ということになる。

 そういう脳が、神経細胞をふやすとしたら、古い神経細胞から順に、除去していかなければな
らない。
しかしこのとき同時に、古い神経細胞がもっていた、もろもろの情報は、そのまま失われること
になる。
再生するばあいも、同じ問題が起きる。

●電話回線

 たとえば電話回線で考えてみよう。

 現在、053−452−xxxxへ電話をかければ、私の事務所につながる。
日本中のどこからかけても、つながる。
電話回線網が、できあがっている。

 が、もしそのときある地域の、ある一部の電話回線網を切り取ってしまったとしたら、どうだろ
うか。
その地域の電話が不通になることはもちろん、その地域を経由している電話回線も、すべて不
通になってしまう。

 そこで「再生」ということになるが、電話回線のばあいは、工事屋の人たちが配線図を見なが
ら、新しく電話回線網をつなぎ合わせてくれる。
しかし人間の脳の中には、そういう機能は、ない。
へたをすれば、そのまま混線してしまうかもしれない。

●神経細胞がふえたら……

 新しい神経細胞がふえたばあいも、同じ問題が起きる。
先にも書いたが、脳の容量には限界がある。
古い神経細胞が除去されるたびに、電話回線のつなぎ合わせのようなことをしなければならな
い。
もしそれをしなかったら、新しい神経細胞は新しい情報を蓄え、独自の働きをするようになる。
つまり脳の中が、メチャメチャになってしまう。

 新しくピアノを弾くことができるようになるかもしれないが、それまでに蓄えた、文を書く能力を
失ってしまうかもしれない。
あるいは楽譜をアルファベットを使って書くようになってしまうかもしれない。

 だから脳は、一方的に、神経細胞を死滅させるしかない。
となると、ここで重大な疑問が生ずる。

 毎日数万個というが、脳はどういう基準に従って、その数万個を選んでいるのか?……とい
う疑問である。
またどういう神経細胞が、死滅していくのか?

そのメカニズムがわかれば、逆に死滅するのを阻止することもできるはず。
もしそれができれば、人間は、生涯、1000億個の神経細胞を保持することができるはず。
またそれは可能なのか?

(疑問1)どういう神経細胞が死滅するのか。
(疑問2)死滅していく神経細胞を阻止する方法はないのか。

●死滅する神経細胞

 常識的に考えれば、「使わない神経細胞は死滅する」ということになる。
しかし使わない神経細胞は、いくらでもある。
人によっては、脳の大部分を使っていない人もいる。
そういう人の神経細胞は、どうなるのか。
1日、数万個ではなく、数10万個の神経細胞が死滅していく人だっているかもしれない。

 恐らく脳科学者たちは、そのあたりのことを知っているかもしれない。
たとえば「古い神経細胞から、死滅していく」とか、など。

(このばあいも、つぎの疑問が生まれる。
人間のばあい、乳幼児期にすでに1000億個の神経細胞をもつと言われている。
もしそうなら、「古い」とか「新しい」とかいう言葉すら、意味をもたなくなる。)

 この世界は、おもしろい。
本当におもしろい。

今夜は高校生たちが私の教室に来るので、こんな話を余談の中でしてみたい。
そうそうついでに付記するなら、辺縁系の中にある海馬(かいば)の中の神経細胞だけは、生
涯、ふえつづけるのだそうだ。
海馬といえば、短期記憶の中枢部。
それについては、また別の機会に調べてみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 神経細胞 ニューロン 神経突起 シナプス)


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

●巨大な台風

+++++++++++++++++

超巨大な台風が、現在、この日本に
向かって進行中!
昨日の報道によれば、中心部の気圧は
何と910ヘクトパスカル!

+++++++++++++++++

 異常気象は、日本以外の国の話かと思っていた。
が、とうとうこの日本にもやってきた。
それが今度の台風18号。
昨夜ネットで調べてみたら、中心部の気圧は、何と910ヘクトパスカル!
「910」!
「910」という数字は、私の記憶の中にはない。
「950」とか「960」とかいう数字までなら、聞いたことがある。
が、「910」はない。
常識をはずれている!

 その上、予想進路を見て、ドキッ!
昨夜の予想によれば、紀伊半島あたりから上陸し、東海地方を横断するコース。
もしそうなら、伊勢湾台風並みの、あるいはそれ以上の被害が心配される。
何とか東へそれてくれればよい。

 今日は、10月6日。
10月8日、つまりあさっての午後9時ごろ、予想通りなら、東海地方を直撃。
今日と明日は、その対策で忙しくなりそう。
みなさんも、くれぐれも、ご注意ください。


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

●「スティグマ」

++++++++++++++++++

今朝は、「スティグマ」という言葉について
学習した。
差別につながる、その人の客観的な属性を、
「スティグマ」という。

たとえば街の中を歩いてみる。
いつもと変わりない風景。
そこへ少し見慣れない一行が歩いてやってくる。
彼らの話す言葉を聞いて、彼らが、中国人で
あることを知る。

とたん、ちょっとした緊張感が走る。
彼らに対する緊張感もあるが、同時に、彼らも
また私を見て、同じような緊張感をもつに
ちがいない。
それが逆に、私の心に伝わる。

私も、若いころ、香港や台湾で、私はいろいろな経験を
した。
だまされたことも多い。
意地悪されたこともある。
「中国人」というだけで、いろいろなイメージが
心に浮かぶ。
ばあいによっては、それが差別意識となってはねかえってくる。
その「中国人」というのが、客観的属性ということになる。

「スティグマ」というのは、体につけられた「刻印」を
いう。
昔、ギリシアでは、その人を社会的に差別するために、
その刻印を体に焼いてつけた。
一度その刻印をつけられると、その人のあらゆる部分まで
合わせて、否定されてしまう。

それが「差別」ということになる。

たとえば以前、手鏡を使って女性のスカートの下をのぞいた大学の
教授がいた。
行為そのものは許されないものだが、しかしそのためその
教授は、「変質者」という刻印を焼きつけられてしまった。
ほかのすぐれた部分まで、否定されてしまった。

「スティグマ」というのは、それをいう。

+++++++++++++++++++++

●実験

 2009年10月6日、私は「スティグマ」について学習した。
いくつかの文献を読み、自分なりに解釈し、理解した。
しかしこの知識は、いつまで記憶に残るだろうか?
それが今日の実験ということになる。

 今までの経験では、1、2か月ぐらいなら、何とか記憶に残るだろう。
しかし半年は、もたない。
半年後に、「スティグマって、何?」と聞かれたら、たぶん、私はこう答えるだろう。
「何だったけなア? 聞いたことがある言葉だな」と。
自分で自分の脳みそが、信用できない。
考えてみれば、これは深刻な問題である。

●刻印

 「スティグマ(刻印)」という言葉を学んで、私は別の心で、『ダラカ論』に似ていると感じた。

 スティグマ、イコール、『ダカラ論』ではない。
しかし『ダカラ論』も、人にラベルを張ることによって、差別する道具として、よく使われる。
「お前は、男だから……」「お前は、本家の息子だから……」と。

 「ダカラ論」は、そのあと、「〜〜スベキ」「〜〜のハズ」と、『ベキ論』『ハズ論』へとつながって
いく。
ばあいによっては、それが「差別」となることもある。

 実のところ、私も、長い間、この『ダカラ論』に苦しんだ。
(苦しんだというより、いじめられた?)
差別という差別ではないが、しかし私はそのつど、こう反発した。
「だからといって、それがどうしたの?」と。

●中身を見る

 日本人は元来、地位や肩書によって、相手を判断する。
あるいは少し昔前までは、家柄によって判断した。
今でも、この日本は、その延長線上にある。
たとえば上下意識。

 マスコミの世界では、知名度によって、上下関係が決まる。
そのまま「上」になって、国会議員や知事になっていく人さえいる。
つまり日本人に何が欠けているかといえば、(相手を中身を見て判断する)という能力ではない
か。
「スティグマ」という言葉を使うなら、「スティグマ」だけで、相手を判断する。
そしてその人のもつ、よい面まで、否定してしまう。

●文化性の問題

 要するに相手を、中身を見て判断できるかどうかは、その国民の文化性の問題ということに
なる。
文化性が高ければ高いほど、その国民は、相手の中身を見ることができる。
そうでなければそうでない。
表面的な部分だけを見て、判断する。
あるいは自分の経験だけをもとに、相手を判断する。

 言い換えると、私やあなた自身が、いかに相手の中身まで見ることができるかという問題に
つながる。
それができる人のことを、文化性の高い人といい、そうでない人を、低い人という。
が、これは簡単なことではない。
どうしてもスティグマに左右されてしまう。
つまり、自分の文化性を高めようと考えるなら、スティグマと闘う。
そういう努力を怠ってはいけない。

 ……ということで、スティグマの話はここまで。
さて、この記憶はいつまでつづくか。
実験開始!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 スティグマ 刻印 刻印論 人間の価値 中身)


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司 

【走馬灯】(ぼくの少年時代)(My Boyhood Days)

●ゴム靴

 ぼくの少年時代は、あのゴム靴で始まる。
黒いゴム靴で、歩くとキュッキュッという音がした。
子どもながらに安物ということが、よくわかった。
しばらく歩いていると、足の皮がこすれて、むけた。

 ぼくが小学2年生か、3年生ころのことではなかったか。
やがてその靴ははかなくなったが、どういうわけか、「少年時代」という言葉を聞くと、あのゴム
靴を思い出す。

当時は、靴下をはいている子どもは、ほとんどいなかった。
それでよけいに、はきにくかったのではなかったか。

●蛍光灯

 そのゴム靴をはいて、近くの先生の家に遊びに行った。
当時としてはハイカラな家で、引き戸を開けて中へ入ると、そこにソファが置いてあった。
白い布製のカバーが、かかっていたように思う。

 で、そのときは蛍光灯を見に行った。
「熱くない電気がある」と言うから、みなで、それを確かめに行った。
当時は、「電気」つまり、「電灯」というと、裸電球が当たり前で、そのときぼくは、はじめて蛍光
灯というのを見た。

 その蛍光灯は、家の一番奥にあった。
記憶はそこでやや途絶えるが、ぼくは触っても熱くない電気に驚いた。
それに明るく、色も白かった。

 そのときゴム靴をはいていったから、ゴム靴をはいたのは、小学2年生のときということにな
る。
その先生というのが、ぼくが小学1年生と2年生のときの担任の先生だった。
名前を高井先生と言った。

●遊び場

 あのころの町の様子は、よく覚えている。
目を閉じただけで、あのころの街並みが、走馬灯のように見えてくる。
 
ぼくたちの遊び場は、近くにある円通寺という寺だった。
当時のぼくには、広い境内に見えた。
その境内を出ると、角にお好み焼き屋があった。
靴屋もあった。
その横が菓子屋で、つづいて床屋・・・。

 ぼくの家は、1ブロック離れた角にあった。
見る角度のよって、立派に見えたり、反対にみすぼらしく見える、不思議な家だった。
しかし寺の境内から帰る道から見るぼくの家は、それなりに立派に見えた。

●女たらし

 当時のぼくたちは、女の子とは遊ばなかった。
女の子と遊ぶヤツは、「女たらし」と呼ばれて、仲間に軽蔑された。
ぼくも軽蔑した。
だから、女の子と遊ぶときは、内緒で遊ぶか、ずっと年上の女の子と、ということになる。

 その年上の女の子というか、女の人に、「けいちゃん」という人がいた。
当時、高校生くらいではなかったか。
けいちゃんは、いつもぼくを自転車に乗せて、あちこちへ連れていってくれた。
ぼくの家のはす向かいにあった、薬屋の女の子だった。
今でもアルバムの中には、けいちゃんの写真は、何枚か、残っている。

●喧嘩

 ぼくは、外では、明るく朗らかな子というイメージで通っていた。
よくしゃべり、よくはしゃぎ、よく笑った。
そうそう喧嘩もよくした。
気が小さく、弱いくせに、そのときになると、肝っ玉がすわる。
今でもそうだが、何か気になることがあると、即、解決しないと気がすまない。
それでよく喧嘩をした。

 どんな形であれ、決着は早くつける。
それが今でも処世術として、ぼくの身についている。
だからみな、こう言った。
「林の浩ちゃん(=ぼく)と喧嘩すると、こわい」と。

 ぼくは一度喧嘩を始めると、とことん、した。
相手を、相手の家の奥まで追いつめて、した。

●さみしがり屋

 それだけぼくの心は荒れていたことになる。
ぼくに対して好意的な人に対しては、明るく、朗らかに・・・。
しかしそうでない人に対しては、容赦しなかった。

 どこか独裁者的な子どもを想像する人もいるかもしれないが、事実は反対。
ぼくは、さみしがり屋だった。
自分でもそれがはっきりとわかるほど、さみしがり屋だった。

 寝るときも、母のふとんの中にもぐりこんだり、祖父のふとんの中にもぐりこんで寝ていた。
あるいはいつもだれかそばにいないと、不安だった。
だからだれに対しても、シッポを振った。
相手に合わせて、その場で、自分を変えた。

●集団教育

 そういうぼくだから、その分だけ、気疲れをよく起こした。
多分、そのころのぼくを知る人には信じられないかもしれないが、ぼくは集団教育が苦手だっ
た。
運動会にしても、遠足にしても、集団で同じように行動するということが、苦手だった。
嫌いではなかったが、居心地はいつも悪かった。

 が、先にも書いたように、だからといって、ひとりでいることもできなかった。
心理学の世界には、「基本的信頼関係」という言葉がある。
その基本的信頼関係の構築ができなかった子どもということになる。

わかりやすく言えば、人に対して、心を開くことができなかった。
もっと言えば、人を信ずることができなかった。
いつも相手の心の裏を見た。
やさしい人がいたとしても、それを素直に受け入れる前に、その下心を疑った。

●粗製濫造 

 原因は、「母子関係の不全」ということになる。
しかしこんな言葉は、ずっとあとになってから知ったことで、当時のぼくに、それがわかるはず
もなかった。
またそれが原因で、当時のぼくがそうなったなどとは、知る由もなかった。
ぼくはぼくだったし、母は、母だった。

 あえて言うなら、当時は、そういう時代だった。
戦後の混乱期で、家庭教育の「か」の字もなかった。
あるにはあったのだろうが、今とは比較にならなかった。
たとえば家族旅行にしても、ぼくの家族のばあい、家族旅行などといったものは、ただの1度し
かなかった。
小学6年生のときで、みなで伊勢参りをしたのが、最初で最後。

 粗製濫造というか、ぼくたちは、戦後のあの時代に、濫造された。
ひらたく言えば、ほったらかし。
それがよかったのか、それとも悪かったのか・・・?
ぼくも含めて、当時の子どもは、みな、そうだった。

●父の酒

 つぎに少年時、代というと、「酒」の話になる。
父は、酒癖が悪く、酒を飲むと、人が変わった。
これについては、もう何度も書いた。

 が、おかしなもので、当時のぼくを知る従兄弟たちはこう言う。
「浩君(=ぼく)の家庭は、たいへん幸福そうに見えた」と。

 そう言われるたびに、ぼくは、「フ〜ン?」とか、「そうかなあ?」とか、思う。
まわりの人たちには、そう見えたかもしれない。
しかしあの時代をいくら思い起こしても、明るく楽しい思い出は、ほとんど浮かんでこない。

 理由は、やはり「酒」ということになる。
父は、数日おきくらいに酒を飲み、家の中で大声を出したり、暴れたりした。
それがぼくが、5、6歳のころから、中学3年生くらいまでつづいた。

●兄弟

 ぼくには、当時、1人の兄と、1人の姉がいた。
もう1人、兄がいたが、ぼくが3歳くらいのときに死んだ。
日本脳炎が原因だった。

 母が言うには、暑い夏の日に、父が荷台に兄を乗せ、自転車で数時間もかけて母の在所へ
行ったのが原因ということだった。
ぼくが覚えているのは、その日、つまり葬式の日、土間に無数の下駄や靴が、散乱していたと
いうことだけ。
兄との思い出は、まったくといってよいほど、ない。
歳が離れていたこともある。

 だから今でも兄弟と言えば、兄と姉ということになる。

●家族

 兄弟との接触も少なかったが、父や母との接触は、もっと少なかった。
こんな話をしても、だれも信じないかもしれないが、生涯において、ぼくはただの一度も父に抱
かれたことがない。
手を握ってもらったこともない。
結核を患ったこともあるが、ほかにも深刻な理由があった。
しかしそれをここに書くことは、できない。

 その代わり、祖父がぼくの父がわりなってくれた。
祭りに行っても、祖父は、最初から最後まで、ずっと、一度もぼくの手を放さなかった。
 
・・・ということで、何からなにまで、おかしな家族だった。
しかしそれがぼくの家族であり、ぼくは、ほかに家族を知らなかった。 
家族というのは、そういうものと思っていた・・・というよりは、(それ)を、ぼくは受け入れるしか
なかった。
それがぼくの家族だった。

●子ども時代

 今でもときどき、不思議に思うことがある。
とくに10歳とか、12歳の子どもを見ると、そう思う。
「ぼくにも、同じような時代があったはずだが・・・」と。

 当時のぼくは、当然のことながら、(子ども)だった。
しかし記憶のどこをさがしても、(子どもとしてのぼく)が、浮かび上がってこない。
子どもらしく、父や母に甘えたという記憶も、ほとんどない。
父や母が、ぼくを子どもとして、扱ってくれたという記憶も、ほとんどない。
あるのは、ぼくをいつも子ども扱いしたこと。
(子ども扱い)というのは、ぼくを人間としてではなく、言うなればペットのようにしか扱ってくれな
かったこと。
あるいはモノ?
道具?

 ぼくの意思や人格など、父や母の前では、腸から出るガスのようなものだった。
父や母が、ぼくの話に静かに耳を傾けてくれたことは、ほとんどなかった。
家族の談話など、そういうものがあることさえ知らなかった。

だからぼくにとって父や母は、一方的に命令するだけの存在だった。
口答えすれば、・・・というより、当時のぼくの家庭では、子どもが親に口答えするなどということ
は、考えられなかった。

 親は、いつも絶対だった。
とくにぼくの父と母は、G県に本拠を置く、M教という、(親絶対教団)の熱心な信者だった。
母ですら、ぼくが何かを口答えをすると、「親に向かって、何てことを言う!」などといって、叱っ
た。
「親に歯向かうと、地獄へ落ちる」と、よく脅された。

 ぼくにとって、親というのは、そういう存在だった。

●恩着せ

 父や母の子育ての基本は、(恩着せ)だった。
ことあるごとに、父や母は、ぼくにこう言った。
「産んでやった」「育ててやった」「言葉を教えてやった」と。

 ぼくはそういう言葉を、耳にタコができるほど聞かされた。
が、何よりも恐ろしい言葉は、「〜〜をしなければ、自転車屋を継げ」というものだった。
ぼくは兄を見て育っているから、自転車屋というのは、恐怖以外の何ものでもなかった。
兄は、まるで奴隷のように、家の中では扱われていた。
「自転車屋になる」ということは、ぼくも、その奴隷になることを意味した。

●ぼくの夢

 ぼくにもいくつかの夢があった。
「夢」と実感したというわけではなかったが、ぼくは、パイロットになりたかった。
いつも模型の飛行機を作って遊んでいた。
もう少し幼いころには、ゼロ戦のパイロットになりたかった。

 が、中学校へ入学するころから近視が始まり、断念。
「近視の者はパイロットにはなれない」というのが、当時の常識(?)だった。

 つぎにぼくはいつしか、大工になることを考えるようになった。
ものづくりは好きだったし、木工には、かなりの自信があった。
学校から帰ってくると、店の中で、木材を切ったり、金槌で叩いたりして、いろいろなものを作っ
た。

 小学5年生か、6年生のときには、組み立て式ボートというのを、作ったことがある。
手先も器用だった。
中学生になるころには、そこらの大工よりも、のこぎりや、かんなを、うまく使いこなすようにな
っていた。
だからぼくの身のまわりには、大工道具が、いつも一式そろっていた。

●ドラマ

 こうした断片的な記憶は、無数にある。
しかしそれをつなげるドラマというのが、ない。
ドラマらしきものはあるが、どれも中途半端。
映画でいうような結末がない。
ないまま、終わっている。
子ども時代の思い出というのは、そういうものか。

 いや、そのつど小さなドラマはあったのかもしれない。

クラス一の乱暴者グループと、ひとりで対決した話。
円通寺という小さな山をはさんで、山向こうの子どもたちと戦争ごっこをした話。
ほとんど毎日、学校から帰るときは、寄り道をして遊んだ話、などなど。

 書き出したらキリがない。
しかしドラマはない。
こま切れになった映画のフィルムのよう。
言い換えると、ぼくは、あの当時、街角のどこにでもいるような、1人の子どもに過ぎなかった。
よごれた下着を着て、当て布をした半ズボンをはいて、ジャイアンツのマークの入った野球帽
をかぶった、1人の子ども。

 何か特別なことをしたわけでもない。
そんな子どもに過ぎなかった。

●母の在所

 そんなぼくにも、楽しみはあった。
夏や冬、春などの休みのときは、母の在所(=実家)に行った。
そこはぼくにとっては、別天地だった。
従兄弟たちと山の中を歩き、川で泳いだ。
夜は、伯父たちの話す昔話に耳を傾けた。

 今でもそんなわけで、「故郷」というと、自分が生まれ育ったあのM町ではなく、母の在所のあ
った、I村のほうを先に思い出す。

 川のせせらぎの音、近くの水車が、粉をつく音、それに風の音。
つんとした木々が放つ芳香も、好きだった。
夕方になると、ご飯を炊くにおいがする。
魚の缶詰を切る音がする。
ぼくたちは、いつも腹をすかしていた。
だから、何を食べてもおいしかった。

 もちろん最高のぜいたくは、川でとれた鮎(あゆ)。
ときどきウナギもとれた。
当時は、アマゴ(=やまめ)や、ウグイには、目もくれなかった。
川魚といえば、鮎。
鮎の塩焼き!

●父

 父の酒乱は、ぼくが高校生に入るころまでつづいた。
そのころ父は肝臓を悪くし、思うように酒を飲めなくなった。
たぶん悪酔いをするようになったのだと思う。
酒の量が減った。
家で暴れることも、少なくなった。
しかし父は、もともと体の細い人だったが、ますますやせていった。

 一度だが、そんな父と殴り合いの喧嘩をしたことがある。
ぼくが中学3年生のときのことである。
体は、すでにぼくのほうが大きかった。

 家の中で暴れる父に向かって、無我夢中で頭から体当たりをしていった。
そのあとのことは、よく覚えていない。
どこをどうしたという記憶はないが、あとで聞いたら、父はそのため肋骨を何本か、追ったとい
うことだった。

 もちろんぼくには、罪の意識はなかった。
が、その日を境に、父は、ぼくの前ではおとなしくなった。
ぼくを恐れるようになった。

●みな、同じ

 おとなになって、いろいろ話を聞くと、ぼくの家庭だけが、特別だったということでもないよう
だ。
当時は、その程度の話は、どこの家庭にもあった。

 たとえばぼくの祖父母は、今で言う、「できちゃった婚」で、結婚した。
祖父には、たがいに結婚を約束した女性がいた。
が、ある日、祖父は別の女性と遊び、子どもができてしまった。
それがぼくの祖母であり、そのときできたのが、ぼくの父だった。

 それがぼくの家の原点だったかもしれない。
祖父母の夫婦喧嘩は絶えなかった。
父は父で、不幸な家庭で生まれ育った。
そしてあの戦争。
終戦。
その2年後の昭和22年、ぼくは生まれた。

●ふつうでない家系

 「林家」と「家」をつけるのも、おこがましい。
が、ぼくの家は、それでも、ふつうではなかった。

 それから62年。
振り返ってみると、父方の「林家」にしても、母方の「N家」にしても、それぞれが例外なく、深刻
な不幸を背負っている。

 ぼくの家も、長男が日本脳炎で死去。
つづいて兄、Jが生まれ、姉、Mが生まれた。
そのあともう一人兄が生まれたが、(流産)ということで、処理されてしまった。

 ぼくはそのあと生まれた。

 この程度の話なら、どこの家系にもある話だが、ぼくの家系はちがう。
例外なく、どの親族も、みな、深刻な不幸を背負っている。
が、それについてはここには詳しく書けない。
それぞれがそれぞれの不幸を懸命に隠しながら、あるいはその苦しみと闘いながら、今でもが
んばっている。

●少年時代

ときは今、ちょうど秋。
稲刈りのシーズン。
郊外を車で走ると、すずめの集団が、ザザーッと空を飛ぶ。
言うなれば、あの集団。
あの集団こそが、ぼくの少年時代ということになる。

 個性があったのか、なかったのか。
どこに(ぼく)がいたかと聞かれても、その(形)すら、よく見えてこない。
近所の人たちにしても、そうだろう。
学校の先生にしても、そうだろう。
ひょっとしたら、父や母にしても、そうだったかもしれない。

 ぼくは、すずめの集団の、その中の一羽に過ぎなかった。
当時は、そういう時代だったかもしれない。
町のどこを歩いても、子どもの姿があった。
通りでは、どこでも子どもたちが遊んでいた。
子どもの声が聞こえていた。

 ……一度、ここで走馬灯の電源を切る。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 「ぼくの少年時代」 少年時代 はやし浩司の少年時代)


Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司

●新しいミニ・パソ

昨日、ネットで注文しておいた、新しい
ミニ・パソが届いた。

TOSHIBAのダイナブックUX。
少し前に買ったノート・パソコンのTXが、よかった。
「さすがTOSHIBA!」と感心した。
その印象がよかったので、またまたTOSHIBAを買ってしまった。

 使い始めて今日で、2日目。
昨日は、UXを使って、「ぼくの少年時代」というのを書いてみた。
言うなれば、慣らし運転。

 タッチパッドの感度がよすぎて、別の指が近づくだけで文字が飛ぶ。
それについては、コントロールパネルで調整した。
うまく調整できた。
今は、最高!
つまり気分は、最高!
キーボードを叩いているだけで、うっとりとしてくる。

 軽い分だけ、作りがややチャチかなと思うところもないわけではない。
メーカーは、ここを誤解しているようだ。
つまり(軽さ)ばかりを強調するが、その分、作りがよければ、ユーザーは重さを、あまり気にし
ない。
軽くなくても、作りがよければよい。
2キロが1・5キロになったところで、(ちがい)は、わからない。

 ほかにミニ・ノートながら、キーピッチが19ミリもあるのも、うれしい。
2日目の今日だが、デスクトップのキーボードを叩いているような感じで、文章が書ける。
気持ちよい。
心地よい。

 昨夜は、ワイフのかわりに、そのミニ・パソを抱いて寝た。


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司※
(以上、電子マガジン10月号文)
Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

●ユーモア(日本人と笑い)(Humor and the Japanese)

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私が若いころ、だれかが言った。
「日本人には、ユーモアがわからない」と。

それから40年ほど。
今になって、それを再確認しつつある。

たとえば子どもたちでも、私が何かユーモアを
話しても、内容そのものが、理解できない。
中には、「どうして、そんな話がおもしろいの?」と
聞いてくる子どもさえいる。

昨日も、小4の子どもたちに、こんな話をしてみた。

「あるアメリカ人が、1時間ほど、講演をした。
たいへんおもしろい話をした。
しかしみな、英語がわからなかったのか、だれも
笑わなかった。
そこで横にいた通訳に、通訳してくれるように
頼んだ。
その通訳は、みなに、こう言った。
『今、このアメリカ人はたいへんおもしろい話を
しました。
みなさん、笑ってやってください』と。
すると、みなが、ドッと笑った。
それを見て、講演をしたアメリカ人は驚いて
こう言った。
『君は、すばらしい通訳だ。
私が1時間もかかって話したことを、たった一言で
通訳した』と」と。

先にも書いたが、小4の子どもたちはだれも笑わなかった。
またそのあとの小6のクラスでも、同じ話をしてみたが、
だれも私ら笑わなかった。

そこで、私が「どうして君たちは、笑わないのか?」と聞いた。
すると、1人の男の子がこう言った。
「おもしろいのはわかるけど、笑うような話ではない」と。

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●ユーモアと詩

 民族性というか、国民性というか?
日本人はユーモアが苦手。
それはそれとして、ユーモアと同じように、もうひとつ気になっているのが、「詩」。
アメリカでもオーストラリアでも、また欧米でも、「詩の朗読会」というのがある。
あちこちである。
音楽会と同じように、開かれている。
しかしこの日本で、少なくとも私の周辺で、詩の朗読会が開かれたという話は、聞いたことがな
い。

 声のすばらしい人が、ピアノの演奏などのような軽い音楽をBGMに使いながら、詩を朗読す
る。
英語国の人は、声が太いので、意味はわからなくても、聴いているだけで、うっとりする。
もちろんだからといって、日本人が異質であるとか、遅れているとかいうのではない。
日本には日本のよさがある。
外国にはなくても、日本だけにあるものも多い。
しかしことユーモアとなると、これはセンスの問題。
つまり学習と訓練の問題。
日本人は子どもときから、そういう訓練を受けていない。

 一般論としては、思考の柔軟な人ほど、ユーモアを楽しむ。
ユーモアに対して、おおらか。
つまりその分だけ、日本人は、頭が固い(?)。
まじめすぎる(?)。

 いろいろ理由は考えられるが、しかし子どもたちにユーモアを話してみて、これほどまでに、
日本人がユーモアを理解できない民族だったとは知らなかった。
再発見というか、驚いた。

 ついでに今朝、証券会社の女性から電話がかかってきたから、こんな話をしてみた。
その女性(30歳前、未婚)も、笑わなかった。
話の内容も理解できなかった。
こんな話だ。

『ある男は、毎晩、床へ入る前に、バイアグラと鉄剤を飲んで寝ている。
だからその男の体は、朝になると、いつも北を向いているそうだ』と。

 このユーモアを読んで笑ったあなたは、かなり思考の柔軟な人ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 B
W はやし浩司 ユーモア ユーモアのセンス 日本人と笑い)


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

●老害問題

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「老害」という言葉が、使われ始めている。
この先、10年ほどで、3人に1人が、満
65歳以上の高齢者になると言われている。
(現在は、4人に1人。※)

その老害の中でも、とくに深刻味を帯びてきたのが、
認知症の問題。
いわゆるボケ老人の問題。

数日前、家に遊びに来た、N君(同級生)が、
こんな話をしてくれた。

N君の近くに、1人の女性(現在満72歳)がいた。
この女性は、現在、アルツハイマー型認知症になり、
そういった施設で入所生活を送っているという。
が、「そこに至るまでが、たいへんだった」(同級生)と。

近所とのトラブルは日常茶飯事。
親類とも、言った、言わないの、騒動の連続。
約束など、日なたの道路に昇る陽炎(かげろう)のようなもの。
何か約束しても、つぎの日には忘れてしまう……。
この繰り返し。
町内で預かったお金を、使い込んでしまった、
(あるいは紛失してしまった?)、こともあるという。

それについて預けた人が抗議すると、「私は、
預かった覚えはない」と、語気を強くして争う。
N君も一度、同じようなトラブルに巻き込まれた
ことがある。

N君の家の駐車場が、その女性の土地と入り組んでいて、
わかりにくくなっていた。
そこでその女性と話し合い、覚書の形で、N君の
土地のほうを直線的にした。
70万円ほどの土地代も、そのときその女性に渡した。

ところが、である。
1年もたたないうちに、その女性が、その土地を他人に
転売してしまった。
こういうケースのばあい、つまり不動産というのは、
一度登記簿上で移転されてしまうと、N君としては、
なすすべもない。

で、N君としては、その女性に抗議するしかなかった。
が、その女性は、「そんな話は知らない」「覚書を
書いた覚えもない」「私に責任はない」と。

そこでN君が、「この署名はあなた自身の直筆によるもの」
「印鑑はあなたのもの」と主張したが、「私の字ではない」
「印鑑はなくしてしまったから、ない」と。

すでにこのときその女性の認知症が始まりかけていた(?)。
結局N君は、泣き寝入り。
「民事調停をするような話でもないし……。
相手も相手だし……」と。

本来なら、土地を買ったとき、一度土地測量士に入ってもらい、
土地を分割し……という手順を踏まねばならなかった。
しかしN君は、それを怠った。

……というようなケースは、この先、ふえてくる。
行為能力に欠ける人には、禁治産者、準禁治産者
という制度がある。
認知症の老人も、同じように法律行為を制限するなど
の措置が、この先、必要となってくるかもしれない。
これは老人自身のためでもある。
が、これにはもうひとつ、問題がある。

家族がそれを認めたがらないという問題である。
N君の近くに住んでいた、その女性にしても、
ほぼ同年齢の夫と同居していたが、夫は最後の
最後まで、自分の妻がそうであることを認めよう
としなかったという。
親類の1人が、「一度、検査を受けさせてみたら」と
勧めたこともある。
が、夫は「オレの女房は、思い込みは激しいが、
頭はいい」と。
そのまま大激怒。
話し合いにならなかったという。

N君が言うには、「夫のほうも、血栓性の認知症の
疑いがあった」と。
 
そのN君は、こう言う。
「これから先、認知症患者は、100万人単位で
ふえていく。
そうなったとき、ぼくらはぼくらで対策を考えて
おかないと、それこそ、老害として、社会そのもの
から排斥されてしまう」と。

アルツハイマー型認知症に限らず、認知症の問題は、
その人自身にとっても、深刻な問題である。
それは認める。
しかし同時に、認知症の人たちが、そこに至る過程の
中で、多くの人たちに多大な迷惑をかけるという事実も
忘れてはいけない。

つまりこの問題は、現在進行形の、私たち自身の問題である。
あなた自身の問題である。
それを忘れてはいけない。

(補記)
この話を市内に住む義姉に話すと、義姉もこんな話をしてくれた。
義姉の義母(=夫の母親)も、最後は、認知症になった。
そして孫たちが遊びに来ると、孫たちがサイフからお金を盗んだ
といって騒いだという。
もちろん孫たちは、お金など、盗んでいない。
で、義姉の子どもたちが、それによって、ひどく傷ついた、と。
「今では、笑い話かもしれないけど、そのときは、本当に不愉快でした」
と義姉は付け加えた。

(補記2)
アルツハイマー型認知症のばあい、「忘れる」というよりは、記憶そのものが、脳から「欠落」し
てしまう。
そのため、本人には、「忘れた」という自覚すらない。
事実や証拠をつきつけられても、初期の段階では、取り乱して混乱状態になってしまう。
自らその恐怖心からか、それを否定しようとする。
が、それも一巡すると、今度は、「わからない」という言葉をよく使うようになり、さらに(言い訳)
(とりつくろい)がうまくなる。
ものごとを確認するため、(指差し行為)もふえてくる。
こうした経緯をたどりながら、病状は進行する。

(注※)(全日本病院協会資料)

高齢者の割合は最近では一貫して上昇しています。現在、高齢者は全人口の18.0%ですが、
2010年には23%、2020年には28%に増加すると推計されています。日本では、高齢者のスピ
ードが諸外国に比較して非常に速いのが特徴です。


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

●今日から、マガジン11月号

+++++++++++++++++++

今日から11月号!
マガジンは、ちょうど1週間遅れ!
本来なら今は、11月9日(月)号の
発行予約を入れていなければならない。
それが11月2日(月)号。

書きたいことは、多い。
頭の中はモヤモヤしている。
が、書こうとする前に、「つまらないからやめた」となる。
そこに書きたいことがあるのに、
それが何であるか、つかめない。
この歯がゆさ。
このもどかしさ。

+++++++++++++++++++

●人間のレベル

 ウソ、いんちき、小細工のかたまりのような人は、少なくない。
世間体を気にし、見栄、メンツにこだわる。
虚栄心が強く、ものの考え方が自己中心的。
自分勝手でわがまま。
少しでも批判されると、ささいなことにこだわり、大騒ぎする。
他人の心が読めない。
心の広さがない。
思慮の深さもない。

●一貫性

 「一貫性」という言葉がある。
ふつうは、よい意味で使う。
人格の完成度の高い人ほど、一貫性がある。
どんな状況になっても、動じない。

しかし悪い意味での一貫性もある。
一事が万事というか、なにかにつけて、小ずるい。
ある女性から、こんなメールが届いた。
何でも職場の上司(女性)が、そのタイプの人で、会社をやめるかどうか悩んでいるという。

「何か気分が悪いと、露骨な態度で、私を嫌ったり、避けたりします。そこで理由を聞くと、その
2週間ほど前、その人が嫌っている人と、楽しそうに話していたのが気に入らなかったから」
と。

●化けの皮

 しかし見た目には、ふつう。
むしろよくできた人という印象を与える。
とくに初対面の人には、そうだ。
しかしそれは仮面。

 このタイプの人は、男性、女性にかぎらず、つねに自分がどう見られているかを気にする。
またどうすれば、よい人間に見られるかを、研究している。
つまりそういうことも含めて、ウソ、いんちき、小細工がうまい。
が、先にも書いたように、仮面は仮面。
わかりやすく言えば、「化けの皮」。

●口がうまい

 このタイプの人は、口がうまい。
相手をその気にさせたり、喜ばせたりするのが、うまい。
それ自体は害はないのだが、反対に、悪口を言いふらすのもうまい。
涙声で、こう言う。

「かわいそうに、あの家の息子さんは、万引きをして警察に逮捕されたんですってねえ。これで
前科者よねエ・・・」と。

 もちろん涙は一滴も出ない。

●接触を避ける

 私のばあい、そういう人とわかれば、接触を避ける。
(私のほうが避けられているのかもしれないが・・・。)
 つきあってよいことは、何もない。
ないばかりか、しばらくつきあっていると、その毒気に染まってしまう。
感覚が麻痺してくる。
ウソをウソと思わなくなる。
インチキをインチキと思わなくなる。
小細工を小細工と思わなくなる。
そしていつの間にか、自分も、同じことをするようになる。

●疑り深い
 
 話は変わるが、『泥棒の家ほど、戸締りが厳重』という。
これについては、もう何度も書いてきた。
同じように、ずるい人ほど、疑り深い。
小細工を重ねる人ほど、相手の小細工を警戒する。
さらに言えば、ウソつきほど、ウソをつかれると、激怒してみせる。

 言い換えると、もしあなたが、疑り深い人なら、相手を疑う前に、自分自身を一度、疑ってみ
たほうがよい。
実は私も、その疑り深い人間。
若いころは、だれにも負けないほど、ウソつきで、インチキで、小細工ばかり重ねていた。
しかしそんな私を正してくれたのが、オーストラリアでの留学生活だった。

●欧米人のウソ嫌い

 欧米人は、ウソを嫌う。
その嫌い方は、日本人からみると、ふつうではない。
日本人には何でもないウソでも、彼らは許さない。

 こんなことがあった。
ある日、友人が、昼食に誘ってくれた。
すかさず私は日本式に、「今、ちょうど終えたところだ」と言ってしまった。
ウソというよりは、軽く断るための方便として、そう言った。

 が、そのあと別の場所で、別の友人たちと食事をしているところと、先の友人に見つかってし
まった。
とたん、その友人は、激怒。
「ヒロシ、どうして君は、ぼくにウソをついたのか?」と。

●独裁国家

 またまた話が脱線するが、独裁国家ほど、独裁者の人間性が、そのまま外に表れる。
独裁性が強ければ強いほどそうで、それは道理にかなっている。

 どこの国と今さら、言うまでもない。
あの国である。
ウソとインチキと小細工のかたまり。
その上、世間体を気にし、見栄、メンツにこだわってばかりいる。
そんなにすばらしい国なら、外国の人たちに公開すればよい。
自信をもって、自国の人たちを、外の世界に出してやればよい。

 いろいろな報道を聞いていても、「ここまでやるか!」と感心するほど、小細工を重ねる。

●K国 

 金xxが存命中は、核兵器の放棄など、ありえない。
それはどこかの教団が、本尊を否定するようなもの。
K国は、全体としてカルト化している。
その本尊が、核兵器。
核兵器あっての、金xx。
K国。
核兵器の放棄など、ありえない。

 が、09年10月はじめ、K国が核兵器を放棄するかもしれないというビッグ・ニュースが世界
を駆け巡った。
しかしこういうニュースは、まず疑ってかかる。
というか、案の定、そのニュースは、数日後には、消えた!
今までの経緯を見れば、そんなことがありえないことは、だれにもわかるはず。
むしろ反対に、K国が、5000トン近い、化学兵器と生物兵器をもっていることが明らかになっ
た。

 威力という点では、核兵器も、化学兵器も、生物兵器も、それほどちがわない。
一発で、約20万人の人を死傷できるという。

●悟りの境地

 人間のこうした、ウソ、いんちき、小細工は、もとはといえば、醜い欲望に根ざしている。
その欲望が姿を変えて、ウソ、いんちき、小細工へとつながる。
世間体、見栄、メンツにしても、そうだ。
で、それをコントロールするのが、理性であり、知性ということになる。
もっと具体的には、人間性であり、その人がもつ文化性ということになる。

 が、それがない人には、ない。
さらに悲しいことに、加齢とともに、こうした人間性や文化性は、そのまま退化していく。
それは健康論に似ている。
究極の健康法というのがないのと同じように、究極の人格完成法というのはない。
よく「私は、仏の境地に達した」とか「悟りの境地に達した」とか言う人がいるが、それを口にす
る人というには、まず疑ってかかってみてよい。

 たまたま何も問題なく、不自由なく暮らしているだけ。
何も問題なく、不自由もなく暮らしている間は、だれだって善人になれる。
善人らしく振舞うことができる。
それを「悟りの境地」と錯覚する。
が、問題が起きたとたん、化けの皮がはがれる。

●では、どうするか

 そこでまたまた同じ結論。
「日々に精進(しょうじん)あるのみ」。

 その努力を怠ったとたん、健康はもちろん、人格は後退する。
若いときは、体力や気力があるから、ある程度はごまかせる。
しかし50歳を過ぎると、そうはいかない。
60歳をすぎると、そうはいかない。
認知症が加われば、なおさら。

●自分を高める

 気持ちよく生きるというのは、たいへんなこと。
『平凡こそ美徳』というが、その平凡がむずかしい。
そのためにも、身のまわりから、ウソ、いんちき、小細工を排除していく。
努めて排除していく。

 また見栄、メンツ、世間体については、それを気にしないほどまでに、自分自身の人間性と
文化性を高めるしかない。
高めた上で、相手を見おろす。
見くだすとか、軽蔑するということではない。
大きな視野で、相手を見る。
マズローという学者は、そういう人を、道徳の完成度の高い人と定義づけた。

●後記

 とかく人の世には、トラブルは、つきもの。
こちらにその気はなくても、向こうから飛び込んでくる。
ふとした油断をついて、やってくる。
そういうケースは、多い。

 人はこうしたトラブルを乗り越えながら、より賢くなっていく。
しかしそれ以上に大切なことは、こうしたトラブルで無駄な時間とエネルギーを使わないこと。
もしそうした時間とエネルギーがあるなら、それらはもっと有効なことに使いたい。
より賢くなるにしても、正攻法というものがある。
できるだけこうしたトラブルは避ける。
それ自体が、賢い生き方ということになる。


Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司

●ことわざ事典

++++++++++++++++++

座右に、一冊の本がある。
「ど忘れ、ことわざ事典」(人文社)という本である。
座右にあるが、めったに開いたことがない。
が、それではいけない。
先ほど、それを開いてみた。

▼貝殻で海を測る
▼解語の花
▼海賊が山賊の罪をあげる、など(P78)

改めて、自分の無学を知る。

++++++++++++++++++

▼貝殻で海を測る

 貝殻で海の水をくみ、海の水量を測ることから、浅薄な知見をもとに、おおきな物事を論ずる
こと。

▼解語(かいご)の花

 言葉のわかる花。つまり美人のこと。玄宗皇帝が楊貴妃を表現した故事から。

▼海賊が山賊の罪をあげる

(このことわざの意味は、このエッセーの最後に……。)

 こうした(ことわざ)のほとんどが、Made in China(中国製)というところが、恐ろしい。
中国の歴史の長さというか、文化の深さを知る。
というより、世界的に見れば、日本は中国の文化圏の一部。
「日本は中国とはちがう」と思いたい気持ちは、よくわかる。
しかしそれは、ちょうど佐渡島の人たちが、「私たちは日本人でない」「佐渡人だ」と言うのに似
ている。
(そんなことを言う人はいないが……。)

 順に考えてみよう。

「貝殻で……」という発想が、おもしろい。
つまり貝殻いっぱい程度の知識しかないのに、「海」のような大きなことを論ずることをいう。

 しかしあえて擁護するなら、みんなそうではないのか?
私のように貝殻いっぱい程度の知識にしがみつきながら、天下国家を論じている者もいる。
ただほかの人と違うところは、(多分?)、それを貝殻いっぱい程度の知識と自覚しているこ
と。
あのニュートンだって、同じようなことを言っている。

 『真理の大海は、すべてのものが未発見のまま、私の前に横たわっている』(ブリューター・
「ニュートンの思い出」)と。

どうであるにせよ、真理の探究は貝殻いっぱいの水から始まる。
宇宙の研究については、なおさらだ。
このことわざをもじれば、「耳かきで、海を測る」と。

 こんなことわざに負けて、あきらめてはいけない!

▼解語の花

 「言葉を話す花」という意味だが、「花」というのは、「楊貴妃」をいう。
しかし最近、私は、女性の見方が大きく変わってきた。
「美しい」ということは、女性にとって、とても重要なことかもしれないが、その美しさに、疑問を
もつようになってきた。

 化粧と整形美容。
むしろこの2つが、女性の本来の美しさを、台無しにしているのではないかとさえ、思い始めて
いる。
女性にかぎらない。
今では、男性だって化粧をするし、整形美容もする。

 が、それはそれとして……というのも、今どき、化粧や整形美容を否定すれば、かえって私の
ほうが、袋叩きにあってしまう。
100%の女性を、敵に回してしまう。

 しかし女性というより、人間本来の美しさというのは、心の美しさをいう。
どこまでも誠実で、どこまでも濁りのない心をいう。
ただ単なる理想論かもしれないが、その理想に向かって進む。
そこにその人の(美しさ)がある。

 このことは、その反対の立場にいる女性(男性もよいが)をみればわかる。
世の中には、見た目だけは美しくても、ウソ、インチキ、ごまかし、小細工のかたまりのような女
性は、いくらでもいる。
(男性にもいるが……。)
口がうまく、その場その場でいいかげんなことをいい、あとで言い訳ばかりしている。

私が「最近、私は、女性の見方が大きく変わってきた」と書くのは、そういう女性に出会うと、ぞ
っとするほど、不快に思うようになったことをいう。
生理的嫌悪感というか、そういう女性に出会ったりすると、ワーッと声をあげて、逃げ去りたくな
る。
いくら見た目に美しくとも、だ。

 で、「解語の花」。

 玄宗皇帝というと、名前だけで立派な人を想像するかもしれないが、古今東西、帝王とか、将
軍とか、大王とか、皇帝とか、戦乱をくぐりぬけて最高位に就いた人間に、ロクなのはいない。
そういう前提で考えて、まず、まちがいない。
玄宗皇帝にしても、想像以上に、はるかに下衆(ゲス)。
みな、幻想に踊らされているだけ。
だからその玄宗皇帝が、楊貴妃を「解語の花」ともちあげても、私は、フ〜ンとしか思わない。
玄宗皇帝は、どういう基準で、(女性の美しさ)を考えていたのだろうか。
玄宗皇帝自身が、下衆なのだから、その美的感覚も、たいしたことない。

ただ感心するのは、「解語の花」という言葉。
「解語の花」というのは、私たちには考えもつかない言葉だが、英語には似たような言葉がいく
つかある。
「walking dictionary(歩く辞書)」というのも、それ。
 たいへんな物知りのことをいう。

だから「speaking flower(話をする花)」と言えば、英語国の人なら、「美しい女性」をすぐさま連
想するだろう。

 楊貴妃という女性は、一瞬一秒も怠らず、美容に心がけていたにちがいない。
朝から晩まで、だ。
しかし私は、そういう女性を美しいとは思わない。
「バカ」と思う。
つまりこのところ、そういうような目で、女性を見るようになった。
(相手の女性は、私のことを、バカと思っているだろうが……。)

いろいろ書きたいが、ここまで。
これ以上、女性を怒らせると、たいへんなことになる。

▼海賊が山賊の罪をあげる

 これについては、いろいろ考える。
みなさんは、どういう意味に解釈するだろうか。
まず、答を読む前に、自分で考えてみてほしい。
海賊vs山賊、だぞ!

 発想がおもしろい!

 海賊が何かのことで、山賊の罪を問うたという意味である。

 答が思い浮かんだところで、つぎの解答を読んでみてほしい。

『海賊が山賊の罪をあげる』というのは、「双方とも盗賊なのに、罪の非難をすることから、同
類の者どうしでも、利害を共にしていないと、敵対すること」だそうだ。

 よくある。
こういうことは!
ねっ!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 ことわざ 海賊 山賊 解語の花 貝殻)


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

●映画『私の中のあなた』(感想)

 映画『私の中のあなた』は、淡々とした、あたかも事実だけを追うような形で、ストーリーは展
開する。(お涙ちょうだい)式のわざとらしい演技もなく、それだけに観客を、静かにスクリーン
の中に引き込んでいく。

 私はこの映画を見ながら、5、6年前に妻を肺がんで亡くした、オーストラリアの友人のことを
思い出していた。葬儀には参列できなかったので、つづく娘さんの結婚式には列席させてもら
った。そのときのこと。

 私がふと、「ルーシーが亡くなったとき、つらかっただろうね」と聞いたときのこと。その友人
は、ポツリとこう言った。
「うれしかった……」と。
「どうして?」と言いかけると、「ルーシーが、あの痛みから解放されたんだから」とも。
 それを聞いて、人を本当に愛するということは、そういうことなのかと、私は知った。

 映画『私の中のあなた』では、死にゆく人、そしてそれを見送る人。この両者の心のはげしい
葛藤がつづく。静かに。どこまでも静かに。そして最後はその両者の愛が、ひとつの結晶となっ
たところで、映画は終わる。

 ついでながら、オーストラリアの友人は、その後1年ほどして、もう一人の娘さんに連れられ
て、私の家を訪れてくれた。あちこちをいっしょに、旅をした。で、ある夜のこと。私が「学生時
代に歌った歌を、いっしょに歌わないか」と声をかけたとき、その友人は、こう言った。

「ヒロシ、ぼくはルーシーが病気になってから、歌を歌ったことがない」と。そしてその夜も、歌を
歌うことはなかった。私はその言葉を聞いて、熱い涙が私のまぶたを下から押し上げるのを感
じた。

 映画『私の中のあなた』を見たときも、あの夜と同じ熱い涙を覚えた。泣いた。すばらしい映
画だった。


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

●10月11日

●TOSHIBA DYNABOOK UX

東芝のダイナブックUXを買って、ちょうど5日になる。
ミニ・ノートは、これで5台目。
「5台も!」と思う人もいるかもしれないが、それぞれに一長一短があって、しばらく使っている
と、「どうも……?」となったりする。

そこで苦肉の策として、私のばあい、旅行用、教室用、山荘用と、それぞれを使い分けてい
る。

しかし今のところ、ダイナブックUXは、気に入っている。
毎日、いつも持ち歩いている。
それで何かを書くということは、あまりないが、とにかく気に入っている。
まあ、言うなれば、新しいガールフレンドのようなもの。
カバーが茶色なので、「ブラウン」というニックネームで呼んでいる。
今もデスクトップでこの文章を書きながら、机の上に並べて置いてある。
私にとって、パソコンというのは、そういうもの。

そうそう5台の中の1台は、OKさんという生徒(中3)に、先週、あげた。
以前から「パソコンがほしい」と言っていた。
私がもっているミニ・ノートを、横目でいつもながめていた。
たぶん喜んでくれたと思う。
もう1台は、息子の嫁にあげようと考えている。
近く会う予定なので、気持ちを確かめてみよう。

●ネット販売

 同じパソコンでも、店頭で買うのと、ネットで買うのとでは、値段に大きな差がある。
カメラにしても、プリンターにしても、そうだ。
ネットでの値段は、店での値段より、だいたい2〜3割は安い。
在庫があれば、翌日には代引で届けてくれる。
その上、24時間営業!

 先に書いたダイナブックUXにしても、近くの大型パソコンショップでは、5〜6万円。
それがネットでは、3万5000円。
昨夜値段を調べてみたら、それがさらに3万3000円にまでさがっていた。
毎日のように、刻々と(?)、値段が変わっていく。
この即時性は、今までの販売形式には、なかったもの。

 大型店は、小売店を駆逐し、その大型店は、ネット販売に駆逐される。
駆逐されてしまうことはないにしても、今、世の中の流通経路が大きく変わろうとしている。
私が子どものころは、(製造会社)→(大問屋)→(問屋)→(小売店)という流れを経て、それを
手に入れることができた。
が、今は、(製造会社)→(ネット販売会社)から、直接ものを買うことができる。
しかもその(ネット販売会社)というのは、たいていは倉庫だけの会社で、人里離れた山の中に
あったりする。

 私たちは大型店で品物を見て、定めて、それをネットでネット販売会社に注文する。
大型店には悪いが、もし大型店に生き残る道があるとするなら、これからは入店料を取ること
でしかない。
「品物を見るだけの人は、500円、払ってもらいます」と。
あるいはアフターサービス。
その(サービス)で、決まる。

 といっても、ネット販売会社のほうも、そのあたりのことを熟知している。
数年前とは比較にならないほど、サービスがよくなってきた。
もちろん故障修理も、引き受けてくれる。

 こうした流通革命の中で、悲惨なのは、個人商店。
猛烈な勢いで、店を閉めつつある。
少し前まで、「大型店の進出、反対!」などという運動もしているところもあったが、今は、その
元気も消えた。

 あと5年で、商売の世界は、さらに変わる。


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司※

【満62歳の懺悔】

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10月2x日(2009)、私は満62歳になる。
ちょうど満60歳のとき、「これからの人生は儲けもの」
(友人のS君の言葉)と考えていたので、私は2年、
儲けたことになる。

この2年間、健康で、楽しく過ごせた。
息子たちも健康で、それぞれ、大きな問題もなく、現在も、
元気で暮らしている。
孫たちも元気のようだ。

で、満62歳を迎えるにあたって、この1年間を、
振り返ってみたい。

+++++++++++++++++++++

●BW公開教室

 仕事では、教室(=BW教室)の様子を、ほとんど毎日、ビデオカメラに収めている。
それをYOUTUBEにアプロードして、公開している。
視聴者の反応はあまりないが、これはだれのためでもない。
私自身のため。

 当初、ビデオに収め始めたときには、心のどこかで、「この先、1年間、無事、仕事ができる
だろうか?」と、不安に思った。
過去の1年は、短いが、未来の1年は、長い。
で、今月は、10月。
1月から収録を始めたので、あと数か月分を収録すればよい。
(実際には、来年3月までの、5か月分あるが……。)

 今は、先のことはあまり考えず、淡々と、ルーティーン(=日常スケジュール)をこなすだけ。


●古里との決別

 私は満62歳にして、はじめて古里と、決別できた。
そういう意味では、この1年……というよりは、2009年は、私の人生においても、特筆すべき
1年ということになった。
肩の荷がおりた。
足腰が軽快になった。

 実家の古家も売却したので、気も軽くなった。
今までは、台風や大雨のたびに、実家の心配をしなければならなかった。
今は、それがない。
先週も、超大型台風18号が、実家の近くを通過したが、その夜は、何も考えず、ぐっすりと眠
ることができた。

 やれやれ!


●原稿書き

 緊張感が薄れたのか、それとも脳みその働きが悪くなったのか、このところあまり原稿を書
いていない。
子育てについて書くのも、疲れた……というより、飽きた。
……というより、書きつくした。

 返事を書かなければならない、読者からの相談もいくつかたまっている。
講演用のレジュメも、今夜中に、2組、仕上げなければならない。
が、その緊迫感がわいてこない。

パソコンのカタログをぼんやりとながめて、時間をつぶす。
ときどきウォーキング・マシンで、運動する。
雑誌をパラパラとめくって、テーブルの上の果物をかじる。

 ホームページ(メイン)の更新もしたいが、心の方が先に引いてしまう。
つまりめんどう。


●認知症

 何と言っても気になるのが、認知症。
昨年亡くなった兄は、晩年、うつ病から、認知症的な症状を示していた。
もうひとり姉がいるが、この姉も、このところおかしな言動が目立つ。
順番からいけば、つぎは私ということになる。

 認知症になれば、私が私でなくなってしまう。
そうなれば、私はものを考えられなくなる。
ものを書けなくなる。
それがこわい。

 だから毎日のように、ワイフと何かの脳トレをしている。
教室でも生徒を相手に、脳トレをしている。
もう少し若いころには、(遊び)として、それをしていたが、今は、真剣勝負。
中学生や高校生を相手に、数学の問題を解きあっている。

 ……で、今のところは、だいじょうぶなようだ。
ホッ!


●遊ぶ

 とくにスケジュールを決めているわけではないが、ワイフとつぎのようにしている。

(1)週に1度は映画を、劇場で観る。
(2)週に1度は近くの温泉(舘山寺温泉)の大浴場へ行く。
(3)月に2、3度は、軽い旅行をする。

 あとは自宅と山荘を行ったり、来たり……。

できるだけ運動を兼ねるようにしている。
今日(10月11日)も、ウォーキング・マシンで40分。
プラス、2キロほど先にある、大型ショッピングセンターまで、歩いて往復してきた。

 気になるのは、今の生活に、「だから、それがどうしたの?」という部分がないこと。
現状維持が精いっぱい。
「明日は、ひょっとしたら、何かいいことがあるかもしれない」という淡い期待だけで生きてい
る。
目標が、生活の中に浮かび上がってこない。


●目標

 「目標」という言葉が出てきたので、一言。
10月2x日に、私は満62歳になる。
62年間、生きてきたことになる。
で、その翌日から、「3年目」。

 このままダラダラと生きていくのも、1年。
しかしそれでは、ただの(儲けもの)で終わってしまう。
何か、目標をもたなければならない。
作らなければならない。
が、それが浮かび上がってこない。

 どうしてだろう?

 やはり現状維持が精いっぱいということか。
健康で、それなりの生活ができれば、御の字。
それで感謝しなければならない。
今、何か目標をもてと言われても、ひょっとしたら、それはぜいたくな悩みかもしれない。
今、ここにこうして生きているだけでも、ありがたいこと。
あとは、それをどう、みなに還元していくか。
つまりそれが、今の私の目標ということになる。


●楽しみ

 近くWINDOW7(=パソコンのOS)が、発売になる。
しばらく様子をみたあと、新型の最先端のデスクトップを購入する。
「しばらく様子をみる」というのは、発売直後は、値段も高いということ。
それに周辺機器との相性も気になる。
プリンターについては、新しく買い換えようと考えている。
ほかに、今使っているソフトは、どうなのか。
そのまま使えるのか。
いろいろ心配な点も、多い。

 が、1〜2か月もすると、その様子もわかってくる。
値段もさがってくる。
そのころ、デスクトップを購入する。
どの機種にするかは、ほぼ決まっている。
が、今は、TOP・SECRET。


●最後に

 ……ということで、もうすぐ満62歳。
今年もワイフと長男と私だけの誕生パーティになりそう。

 本当のところ、歳を取るというのは、いやなこと。
何もめでたくない。
祝うとしたら、今まで無事に生きてきたこと。

 来年の今日、満63歳の誕生日に、今と同じようなことを書けたら、いい。
それを目標に、(目標ができたぞ!)、これからの1年をがんばってみる。


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

●テレビ電話

++++++++++++++++++++

昨日、アメリカに住む息子たちと、SKYPEを
利用して、2度ほど、テレビ電話を楽しんだ。

孫たちも元気そうだった。
で、そのテレビ電話をしながら、ふと、こんな
ことを考えた。

「あの世とこの世の間で、霊界通信をしているみたい」と。

+++++++++++++++++++++

●あの世vsこの世

 どちらが(あの世)で、どちらが(この世)か。
どちらでも構わない。
日本のこちらが(あの世)かもしれない。
息子の住んでいるアメリカが、(あの世)かもしれない。
しかし私たちは小さなパソコンの画面を通して、話をした。
あるいは小さなカガミ(鏡)でもよい。
小さなカガミを通して、話をした。

 画面の向こうは、アメリカ。
画面の手前は、日本。
私は画面を通して、孫たちの様子をながめる。
元気そうな様子を見て、安心する。
たぶん、アメリカに住んでいる息子たちもそうだろう。

 物理的な距離は、数万キロ。
その数万キロを隔てて、息子たちが、そこに見える。
テレビ電話といっても、性能はまだ不十分。
ときどき音声が途絶えたり、画面がフリーズしてしまったりする。
画像も、荒い。
だからこそよけいに、私は、(あの世)から息子たちの世界をのぞいているような気分になる。
「あの世から、この世を見たら、こんな気分かな」と。

●少ない会話

 しかしテレビ電話もそこまで。
ワイフと私だったら、一日中でも、ペチャペチャとしゃべりあっている。
しかしテレビ電話では、ある程度の話をすると、そこで会話が止まってしまう。
共通の話題がない。
相互の相談もない。
それよりも、たがいに生活が疎遠になってしまった。
「息子」「孫」「嫁」とはいいながら、今は、細い糸でつながっているだけ。

「元気か?」「元気だよ」で終わってしまう。
が、それではいけない。
いけないと思いつつ、あれこれ話すが、長つづきしない。
どこかに(無理)を感ずる。
(疲れ)を感ずる。

 ……と言いながらも、合計で、30〜40分ほど、話した。
孫たちが、いろいろなおもちゃを並べて見せてくれた。
英語でいろいろ説明してくれるが、あのフニャフニャ英語は、本当に聞きづらい。
半分も理解できない。
が、理解できたような顔をして、その場をとりつくろう。

 やはり、向うが、(この世)ということか。
私の住んでいる世界の方が、(あの世)。

「これからパンプキン畑へ遊びに行く」と息子たちは言っていた。
ダイナミズムがちがう。
私たちのほうは、たまたま就寝時刻ということもあって、のんびりとお茶を飲む。
「天国」という雰囲気ではないが、それに近い。
だから、こちらが(あの世)。

 私とワイフは、(あの世)にいる。
(あの世)にいて、(この世)にいる息子たちの生活を、のぞいている。
のぞきながら、安心している。

テレビ電話をしながら、そんなことを考えた。


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

●意識の連続性(改)091012版

+++++++++++++++++

ちょうど1か月前、「意識の連続性」について書いた。
その原稿が、ずっと気になっていた。
殴り書きしたような原稿で、電子マガジンの
ほうで、そのまま、発表してしまった。
もう一度、それを読み直し、推敲してみたい。

+++++++++++++++++

【生命から生命へ】(From Life to Life)
We live and die and repeat it again and again, conveying out Life to other all living 
creatures and things together with our consciousness.(後日、要推敲)

++++++++++++++

あなたの生命は、ほかのありと
あらゆる生命とつながっている。
過去から未来へと、つながっている。
生物、無生物を問わず、ありとあらゆるものと
つながっている。
それがわかれば、あなたは
もう孤独ではない。

もしあなたに「死」というものが
あるとするなら、それはあなたの
「意識」の死に、過ぎない。
もっと言えば、意識の連続性が、
一度、そこで途切れるに過ぎない。

だから、もしあなたが意識の連続性を、
あなたの肉体を超えて感ずることが
できたら、あなたは、もう「死」を
恐れることはない。

++++++++++++++

●生物の連続性

人は日々に死に、日々に生まれ変わる。
細胞の生死を考えれば、それがわかる。
死んだ細胞は、体外へ排出され、ときに
分子レベルにまでばらばらになり、また
別の生物や無生物の中へと、取りこまれていく。
と、同時に、私たちは日々に、ほかの生物や
無生物から、新しい肉体を作り、生きている。

こうして私たちの肉体はありとあらゆる生物と
つながり、「今」というときを生きている。
これを「生物の連続性」という。

●命

では、死んだらどうなるか。
が、基本的には、「死」は存在しない。
その人個人の意識は途絶えるが、生命は、
姿や形を変え、別の生物の中に取りこまれて
生きていく。

虫かもしれない。
花や木かもしれない。
動物や、魚かもしれない。
ともかくも、生きていく。

この連続性を総称して、「生命の連続性」という。

●意識

個人は、その人の意識によって特定される。
「私は・・・」というときの「私」である。
しかしその私にしても、肉体活動の一部で
しかない。
もっと言えば、脳の中を走り回る、電気的
信号のようなもの。
それを私たちは「私」と自覚する。

だからといって、「私」に意味がないというのでは
ない。
私が書きたいのは、その逆。
この「私」があるから、そこから無数の
ドラマが生まれ、人間の生活を、潤い豊かなものに
する。
もし「私」がなかったら、私たち人間は、そこらに
生える雑草のような存在になってしまう。

●死

では、「死」とは何か?
言うまでもなく、意識の途切れをいう。
その人の意識が途切れたとき、「私」は消える。
言うなれば、パソコンの電源を切るようなもの。
そのときから、見ることも、聞くことも、
感ずることもできなくなる。

しかし先にも書いたように、それで生命が
途切れるわけではない。
生物の連続性の中で、つぎつぎとあなたの生命は、
別の生命へとつながっていく。

●再生

そんなわけで、「生命」を、あなたという個人の
中だけに閉じこめておくのは、正しくない。
またそういう視点で、あなたという「私」を見ては
いけない。

もっと具体的に話してみよう。

脳も含めて、上は髪の毛から、下は、足の爪まで、
私たちの肉体は長くて1年足らずで、すべてが作り替えられる。
古い肉体は、つねに便となったりして、外に排出される。
が、それらは自然界でつねにリサイクルされ、無数の
生物の、一部となって再生されていく。
もちろんあなた自身の一部として戻ってくることもある。

●「私」という意識

こうした破壊と再生の中で、連続性をもつものが
あるとすれば、それが意識ということになる。
その意識が、「私」という意識を、もちつづける。

私の肉体、私の財産、私の名誉、私の地位、と。
こうして私という意識が、「私」をつくりあげていく。

●瞬間移動(転送)

映画『スタートレック』の中に、よく「転送」という
言葉が出てくる。
これはある一定の場所から、別の場所に、瞬時に
移動することをいう。
SF映画の世界でのことだから、まともに考えるのも
どうかと思うが、その転送について、こんな議論がある。

「転送されてきた人間は、もとの人間と言えるかどうか」
という議論である。

原理は、こうだ。

まずあなたという人間を、分子レベルにまで、バラバラに
する。
そのバラバラになったあなたを、電磁波か何かの(波)に
乗せて、別の場所に転送する。
そしてその別の場所で、もとどおりに、組み立てなおす。

そこであなたはこう考える。
見た目には、もとの人間と同じだが、しかしもとの人間は
一度死んだはず、と。
新しく再生された人間は、あくまでもまったく別の人間。

つまり転送を10回繰りかえせば、あなたは10回
死に、10回再生されたことになる。

●破壊と再生

人間の肉体は、転送という劇的な変化ではないにしても、
1年単位という時間の流れの中で、映画『スタートレック』の
中の転送と同じことを、繰りかえしている。

「劇的」というのは、映画『スタートレック』の中では、
すべてを瞬時にすることをいう。
一方、肉体のほうは、それぞれがバラバラに、長い時間をかけて、
徐々にする。

そこでもし、映画『スタートレック』の中の転送について、
あれは、「破壊」と「再生」を繰り返したもの、つまり
「一度死んで、再び、生きかえったもの」と考えるなら、
私たち自身も、同じことを繰りかえしていることになる。

「瞬時」にそれをするか、「1年」をかけてそれをするかの、
ちがいだけである。

●伝えられる意識

さらに……。
科学が進めば、(あなた)のコピー人間を作ることも、
可能になるだろう。
すでにクローン牛なども誕生している。

しかし意識は、どうか。
あなたのコピーは、あなたと同じ意識をもつだろうか。
あるいはあなたのもつ意識を、そのままそのコピー人間に
移植できるだろうか。
その答は、NO。

あなたのコピー人間は、ただのコピー人間。
たとえば私のコピーを作ったとしても、そのコピー人間が、
今の私と同じ意識をもつことはありえない。
肉体が別になれば、意識も別になる。
私のワイフを見て、私は逃げ回るかもしれない。

●コピー人間の意識

私が「私」と言えるのは、「意識の連続性」があるからにほかならない。
もし意識の連続性がなかったら、「私」はそのつど分断されてしまう。

たとえばクローン技術を使って、あなたのコピー人間を作ったとしよう。
見た目はもちろん、何から何まであなたと同じ人間である。
しかしそのクローン人間は、ここにも書いたように、「あなた」ではない。
意識の連続性がないからである。

(これに対して、左脳と右脳をつなぐ脳梁のような太い配線で、脳どうし
をつなぐことができれば、意識を共有することも可能になるかもしれない。)

同じように、先にも書いたが、あなたは日々に生まれ変わる。
古い細胞は死に、新しい細胞が生まれる。
1年前のあなたは、どこにも残っていない。
言い換えると、今のあなたは、1年前のクローン人間といっても、
さしつかえない。

が、あなたはあなた。
そういうあなたは、「私は私」と言うだろう。
それが意識の連続性ということになる。

●親子

さらに言えば、親子の関係も、それに似ている。
親子のばあいは、1世代、つまり約30年をかけて、
親は自分のクローン人間を作る。

自分の子どもは、約30年をかけて作る、自分
自身のクローン人間とも考えられる。
顔や姿は、配偶者のそれと半々するということになるが、
それは大きな問題ではない。

それに意識、……このばあい、ものの考え方も、
あなたのそれに似てくる。
ただ親子のばあいは、クローン人間とはちがい、
個人差はあるだろうが、ある程度は、意識の共有が
できるかもしれない。

自分の子どもを、別個の人間と区別できない母親というのは、
たしかにいる。

●意識があるから私

こうして考えていくと、「意識」の重要性が、ますます
理解してもらえると思う。
もっと正確には、「意識の連続性」ということになる。

言うなれば、「意識の連続性があるから、私」ということになる。
「私」イコール、「意識」。
「意識の連続性」。
「意識の連続性」イコール、「私」と考えてよい。

●あやふやな意識

が、その一方で、その「意識」ほど、あてにならない
ものもない。
「私は私」と思っている意識にしても、そのほとんどが、
意識できない「私」、つまり無意識の世界で作られた
私でしかない。

意識している私は、無意識の世界で作られている私に、
操られているにすぎない。
その反対の例が、催眠術ということになる。
「あなたはキツネだ」という強力な暗示をかけられた
被験者は、目が覚めたあとも、キツネのように、
そのあたりをピョンピョンと、とび跳ねたりする。

つまり脳の中には、無数の暗示が詰めこまれていて、
それが私たちを裏から操る。
それを私たちは、「私の意識」と思いこんでいる。

意識には、そういう問題も隠されている。

●私の死

そこで再び、「死」について考える。

「私」という意識は、脳細胞の中を走り回る電気的信号の
集合でしかない。
人間が霊的(スピリチュアル)な存在でないことは、認知症
か何かになった老人を見れば、わかる。
脳の機能が低下すれば、思考力も低下し、ついで、
意識の力も弱体化する。
「私」すら、わからなくなる老人も多い。

人間が霊的な存在であるなら、脳、つまり肉体の一部
としての脳の機能に左右されるということは、ありえない。

で、その電気的信号が止まったら、どうなるか。
それが「意識の途絶え」ということになる。

●すべてが消える

「死」についての説明は、これでじゅうぶんかも
しれない。
結論的を先に言えば、私たちは死によって、意識を失う。
意識の連続性を失う。
見ることもちろん、それを自覚することもない。
「見えない」ということすら、自覚することもない。

この大宇宙を意識している「私」すら、消滅する。
つまりこの大宇宙もろとも、消えてなくなる。
あなたが深い眠りの、そのまた数万倍、深い眠りに
陥った状態を想像してみればよい。
夢を見ることもない、深い眠りである。

(それでも、微量の意識は残るが・・・。)

それが「死」に近い状態ということになる。 

では、「私」とは何か。
つまりそれが「意識」ということになる。
「意識の連続性」ということになる。

●意識

結論は、もう出ている。
「意識」イコール、「私」。
「私」イコール、「意識」ということになる。

が、「意識」だけでは足りない。
「私」を意識するためには、繰り返すが、そこに
「連続性」がなければならない。
意識だけなら、空を舞う蚊にすら、ある。
あの蚊に、「私」という意識があるとは、とても
思えない。

しかしその「私」は、努力によっていくらでも
大きくすることができる一方、ばあいによっては、
犬やネコどころか、虫のそれのように小さく
してしまうこともありえる。

人間は平等とはいうが、こと意識に関しては、
平等ということはありえない。
深い、浅い、の差はある。
またその(差)は大きい。
その(差)は努力によって決まる。

そうした努力を、釈迦は、「精進(しょうじん)」
という言葉を使って説明した。

●生命の伝達

そこで生きている人間の最後の使命はといえば、
「生命の伝達」ということになる。
「意識の伝達」と言い換えてもよい。

再び映画『スタートレック』の話に戻る。
もし肉体の転送だけだったら、別の肉体をもう一個、
作っただけということになる。
あなたのコピー人間を作っただけということになる。

そこで当然、意識の伝達が、重要な要素となる。
そうでないと、転送先で、それぞれが、何をしてよいか
わからず、混乱することになる。
本人も、どうして転送されたのか、わからなくなって
しまうだろう。
与えられた使命すら、忘れてしまうかもしれない。
あなたに接する、相手も困るだろう。

(映画『スタートレック』の中では、この問題は
解決されているように見える。
しかしどういう方法を使って意識の連続性を保っているのか?
たいへん興味がある。)

そこで私たちは、生きると同時に、つねに意識の
伝達に心がけなければならない。
その意識の伝達があってはじめて、私たちは、
生命を、つぎの世代に伝えることができる。

●意識の消滅

個人の意識が途切れることは、こうした生命の
流れの中では、何でもないこと。
今、あなたが感じている意識しにしても、
あなたのほんの一部でしかない。

あなたの数10万分の1、あるいはそれ以下かも
しれない。
そんな意識が途切れることを恐れる必要はない。

●意識の伝達

それよりもすばらしいことは、あなたの生命が、
日々に、ほかの生物へと伝わっていること。
あなたの子どもに、でもよい。
ほかの生物が、日々にあなたを作りあげていくこと。
そうした生物ぜんたいの一部として、私がここにいて、
あなたがそこにいること。

つまりあなた自身も、無数の意識の連続性の中で
今を生き、そして無数の連続性を、かぎりなく
他人に与えながら、今を生きている。

が、それにはひとつの条件がある。

●無私

「私」という意識があるかぎり、またそれにとらわれているかぎり、
私たちは、「死」を恐れる。
「死」は、「喪失」以外の何物でもない。

そこで「私」という意識から、「私」をどんどんと取り除いていく。
言うなれば、丸裸にする。
なぜ、私たちが「死」を恐れるかと言えば、「私」があるから。
私の肉体、私の財産、私の名誉、私の地位、と。

そこで先に、その「私」を取り除いてしまう。
失うものが、何もない状態にする。
理論的には、それによって、私たちは、「死」がもたらす
喪失感、つまり恐怖から解放される。

●肉体の死

死ぬことを恐れる必要はない。
たとえばあなたはトイレで便を出すことを恐れるだろうか。
そんなことはだれも恐れない。
しかしあの便だって、ほんの1週間、あるいは1か月前には、
あなたの(命)だった。
その命が、便となり、あなたから去っていく。
また別の命を構成していく。

●意識の死

繰り返すが、肉体は、1年程度で、すべて入れ替わる。
では、意識はどうか?
意識と言うより、意識の連続性を支える「記憶」はどうか?

このことは、1年とか、2年前、さらには10年前に書いた自分の文章を
読んでみればわかる。
ときに「1年前には、こんなことを書いていたのか?」と驚くことがある。
あるいは自分の書いた文章であることはわかるが、まるで他人が書いた文章の
ように感ずることもある。

さらに最近に至っては、まるでザルで水をすくうように、知識や知恵が、
脳みその中から、ざらざらとこぼれ落ちていくのがわかる。
それを知るたびに、ぞっとすることもある。

若い人たちには理解できないことかもしれないが、現在、あなたがもっている
知識や知恵にしても、しばらく使わないでいると、どんどんと消えてなくなって
いく。
ついでに、意識も、それに並行して、どんどんと変化していく。
何も、肉体の死だけが死ではない。
意識、つまり精神ですら、つねに生まれ、そしてつねに死んでいる。
「私」という意識はそのままかもしれないが、その中身は、
映画のフィルムのコマのように、つねに作られ、つねに消されるを
繰り返しているにすぎない。

●死とは

もし「死」が何であるかと問われれば、それは
意識の連続性の(途切れ)をいう。
(途切れた)状態が、そのままつづくことをいう。
もう一度、映画のフィルムにたとえるなら、コマが切れた
とき、つぎのコマがなくなった状態をいう。

しかし心配無用!
あなたの意識は、(思想)として、残すことができる。
たとえば今、あなたは私の書いたこの文章を読んでいる。
その瞬間、私の意識とあなたの意識はつながる。
私はあなたと、同じ意識を共有する。
たとえそのとき、私という肉体はなくても、意識は
残り、あなたに伝えられる。

私の肉体は、「私」を意識しないかもしれないが、
別の肉体が、「私」を意識する。

もちろんその反対もある。
私があなたの書いた(思想)を読んだとき、私の肉体が、
「あなた」を意識する。

これを「意識の共有性」という。

●重要なのは、意識の共有性

反対に、こうも考えられる。
仮に肉体は別々でも、そこに意識の共有性があれば、「私」ということに
なる。

では、その意識の共有性は、どうすれば可能なのか?

ひとつの方法としては、SF的な方法だが、他人の意識を、自分の脳の
中に注入するという方法がある。
先にも書いたように、他人の脳と、電線のようなものでつなぐという方法もある。
もっと簡単な方法としては、どこかのカルト教団がしているように、たがいに洗脳
しあうという方法もある。

が、自分の肉体にさえこだわらなければ、今、こうして私が自分の意識を
文章にする方法だって、有効である。
この文章を読んだ人は、肉体的には別であっても、またほんの一部の意識かも
しれないが、そこで意識を共有することができる。
それが意識の共有性につながる。

つまりこうして「私」は、無数の人と、意識の共有性を作り上げることに
よって、自分の「生命」を、そうした人たちに残すことができる。
もちろんそうした人たちも、また別の人たちと共有性を作り上げることに
よって、自分の「生命」を、そうした人たちに残すことができる。

人間は、こうして有機的につながりながら、たがいの生命を共有する形で、
永遠に生きる。
つまり「死」などは、存在しない。
繰りかえすが、個体として肉体の「死」は、死ではない。

●時空を超えて

さらに言えば、私という肉体はそのとき、ないかもしれない。
しかし時の流れというのは、そういうもの。
一瞬を数万年に感ずることもできる。
数万年を一瞬に感ずることもできる。
長い、短いという判断は、主観的なもの。
もともと時の流れに、絶対的な尺度など、ない。

寿命があと1年と宣告されても、あわてる必要はない。
生き方によっては、その1年を100年にすることもできる。
(年数)という(数字)には、まったく意味がない。

●大切なこと

大切なのは、今、この瞬間に、私がここにいて、
あなたがそこにいるという、その事実。

あなたの意識は、あなたの肉体の死とともに途切れる。
しかしその意識は、かならず、別のだれかに伝えられる。
こうしてあなたは、べつのだれかの中で、生き返る。
それを繰り返す。

そこで大切なことは、本当に大切なことは、よい意識を残すこと。
伝えること。
それが私たちが今、ここ生きている、最大の目的ということになる。

●もう恐れない

さあ、もう死を恐れるのをやめよう。
死なんて、どこにもない。
私たちはこれからも、永遠に生きていく。
姿、形は変わるかもしれないが、もともと
この世のものに、定型などない。
人間の形だけが、「形」ではない。
また私たちの姿、形が、ミミズに変わったとしても、
ミミズはミミズで、土の中で、結構楽しく暮らしている。
人間だけの判断基準で、ほかの生物を見てはいけない。

そうそう犬のハナのした糞にさえ、ハエたちは
楽しそうに群がっている。
それが生命。

●日々に死に、日々に生まれる

私たちが日々に生き、日々に死ぬことさえわかれば、
最後の死にしても、その一部にすぎない。
何もこわがらなくてもよい。
あなたは静かに目を閉じるだけ。
眠るだけ。
それだけで、すべてがすむ。

あなたはありとあらゆる生物の(輪)の中で生きている。
あなたが死んでも、その輪は残る。
そしてあなたはその輪の中で、この地球上に生命が
あるかぎり、永遠に生きる。

しかしそれとて何でもないこと。
なぜならあなたはすでに、毎日、日々の生活の
中で、それをしている。
繰りかえしている。

あとはその日まで、思う存分、生きること。
あなたという意識を、深めること。
つぎにつづく人や生物たちが、よりよく生きやすくするために……。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 生命論 意識論 生命の連続性 はやし浩司 意識の共有性 死につい
て 090907)

(補記)
一気に書き上げた文章なので、随所に稚拙な部分、わかりにくい部分があるかもしれない。
今はこのままにし、しばらく時間をおいてから、推敲してみたい。
(文章の一部からでも、何かを感じとってもらえれば、うれしい。)

要するに私は、この原稿の中で、「死」を(肉体の死)と(意識の途切れ)に
分けて考えてみた。
肉体の死については、何も「死」だけが死ではない。
私たちは、毎日、死に、そして生まれ変わっている。
意識にしても、そうだ。

そこで重要なのは、(意識の共有性)ということになる。
たしかに死によって、私たちの意識はそこで途切れるが、
だからといって、それで(意識)が死ぬわけではない。

現に今、あなたはこの文章を読んでいる。
読んだとたん、私の意識は、あなたの中に伝達されることになる。
あなたの中で生きることになる。
そして今度は、あなたは私の意識を土台に、さらに自分の意識を発展させる。
こうして意識もまた、永遠に、生き残っていく。

そこで「死など、恐れる必要はない」と書いたが、それにはひとつの
重要な条件がある。
それは「今を、懸命に生きること」。
とことん懸命に生きること。
過去にしばられるのも、よくない。
明日に、今日すべきことを回すのも、よくない。
要するに、「死」に未練を残さないこと。
とことん燃やしつくして、悔いを明日に残さないこと。
あなたが今、健康であっても、またそうでなくても、だ。
それをしないでいると、死は、恐ろしく孤独なものになる。
人間は、基本的には、その孤独に単独で耐える力はない。

……と書きつつ、これは私の努力目標である。
いろいろ迷いや不安はあるが、とにかくその目標に
向かって進んでいくしかない。


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司※

●親子の形態(Types of Families)

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親子の形態を大きく分けると、つぎの
3つになる。

(1)民主型親子(親子が友だち関係、平等主義)
(2)独裁型親子(親絶対主義、権威主義的関係)
(3)放任型親子(家族のつながりが希薄、独立型)

親子によって濃淡はあるが、これら3つが、
それぞれ入り混ざっているケースもある。
あるいは時と場合に応じて、微妙に変化するという
親子も珍しくない。
(参考:「心理学用語」(かんき出版))

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●家族

 親子といっても、基本的には、人間と人間の関係。
そのとき重要なポイントは、親が子どもの人格をどの程度認めているかということ。
1人の独立した人間として、どこまで認めているかということ。

 日本では、元来、子どもをモノ、つまり、「家」の付随物として見る傾向が強い。
上下意識、家父長意識が強く、親は、そのため権威主義的なものの考え方をする。
親(先祖)を絶対視する傾向も強い。

 上記、3つの類型から選ぶなら、(2)の独裁型親子が、大半を占める。

●子どもの人格

 よく日本の民主主義は、異質であると言われる。
理由のひとつに、日本人は、民主主義を、それを必要として、自分で勝ち得たものでないという
ことがあげられる。
旧態依然の封建制度を温存したまま、敗戦と同時に、アメリカによって与えられた……というよ
りは、押しつけられた。
だから表面的には民主主義国家になったが、中身は、そのまま残った。

 その一つが、(子どもの人格)ということになる。
戦後、女性は自分の地位を確立したが、子どもはそのまま残された。
子どもをモノとして見る見方は、今でも残っている。

●民主主義は家庭から

 日本人が本当に民主主義国家になるためには、家庭の中から、それを始めなければならな
い。
わかりやすく言えば、『民主主義は、家庭から』ということ。
さらに言えば、子どもを1人の人格者として認める。
「友」として認めるということになる。

 が、ここで誤解してはいけないのは、友として認めると言っても、「放任して、好き勝手なこと
をさせろ」ということではない。
対等の人間として認めることをいう。

●一長一短

 これら3つの類型には、それぞれ一長一短がある。
家族としてまとまりやすいのは、(2)の独裁型家族ということになる。
(1)の民主型家族は、家族としては、まとまりにくい。
が、ひとたびまとまれば、(2)の独裁型家族にはない、創造性と柔軟性、独立性を発揮する
(参考、同書)。

 一方(3)の放任型親子は、それぞれに独立精神が旺盛だが、その分だけ家族間の絆(きず
な)が希薄となる。

●放任型親子

 (3)の放任型家族の最大の問題点は、「家族」としての役割が、相互に希薄であること。
たとえば家族には、(教えあう)という機能がある。
そのため独立心は旺盛でも、知的、教育的な意味においては、高い成果を求めにくい。

 子どもというのは、その置かれた環境の中で、作られていく。
ここでいう「型」といっても、あくまでも(結果)でしかない。
言うなれば無責任な育児観が集合されて、その結果として(3)の放任型家族になったというの
であれば、好ましい点は、何もない。

●これからの親子

 親には3つの役目がある。
(1)ガイドとして、子の前に立つ。
(2)保護者として、子のうしろに立つ。
(3)友として、子の横に立つ。

 この中で、日本人がもっともおろそかにしてきたのが、(3)の「友として、子の横に立つ」とい
うことになる。
「友」というのは、同一の人格者という意味である。

 先日もあるラジオ番組(ニッポン放送)の中で、あるパーソナリィテイの人と話したら、その人
はこう言った。
「友となったら、家族がバラバラになってしまう。それでいいのか」と。

 「友」といっても、先にも書いたように、何も、子どもに好き勝手なことをさせろという意味では
ない。
1人の独立した、かつ対等の人間として認めることをいう。
今までの日本人にもっとも欠けていた部分ということで、むしろ積極的に、この部分を拡大して
もよいのではないか。

 つまり今の今でも、日本人は、子どもの前に立ったり、うしろに立ったりするのは得意。
しかし子どもの横に立つのが苦手。
どうしても子どもを、子ども扱いしてしまう。
それが親子関係を、ギクシャクしたものにする。

 が、「友」として子どもを見ると、子育ての世界が一変する。
子育ての仕方も変わってくる。
またそのほうが、子育ても楽しい。
子どももあなたに心を開くようになるだろう。
が、そうでなければそうでない。

 以上、親子の形態について、考えてみた。


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

●うつ病と自殺

++++++++++++++++++

うつ病の人が、自殺を企てやすいという話はよく聞く。
しかしそのうつ病の私(?)について言えば、
うつ秒イコール、自殺ではない。
(私が「うつ病」と診断されたわけではないが……。)

自殺するには、もうひとつの重大な要因が必要である。
「絶望」という要因である。
うつ病だけでは、自殺願望は生まれない。
うつ病状態のところへ、絶望が加わると、その人は
一気に「死」に向かって歩み始める。

++++++++++++++++++++

自己否定、希望の喪失、虚無的無力感、閉塞感……。
こういったものが、同時に襲ってくる。
とたん、「死」が目の前を横切るようになる。
「自殺モード」というのが、それ。

この状態になると、死への恐怖感は、ほとんどなくなる。
あたかも「死」が、生きるためのひとつの方法のように
思えてくる。
「死ぬことによって、楽になろう」という考え方ではない。
「死」そのものが、生きるための(結論)ということになる。
だからこれはあくまでも私の想像だが、自殺する人というのは、
心の状態がたいへん穏やかなまま、それを選ぶ。

 力んだり、声をあげてギャーギャーと叫びながら自殺する
人はいない。
また力んでいたり、ギャーギャーと騒ぐようであれば、自殺など
しない。

 子どもの世界も、同じように考えてよい。
「死んでやる」「自殺してやる」と声に出して言う子どもは、
自殺などしない。
「死ぬ」ということがどういうことかわかっていない。
いないまま、それを口にする。

(ただしそれが途中で変化して、本当に自殺してしまうケースも
ないわけではないので、あまり油断してはいけないが……。)

●ではどうするか

 うつ病といっても、軽重はあるだろうし、症状もさまざま。
しかし一般論から言えば、「絶望感を与えない」。
「ああ、おしまいだ。これで私は何もかも失う」「失った」という
状況に、本人をもっていかない。
それが自殺防止の鍵ということになる。

 「あなたはひとりぼっちではない」
 「まだ何とかなる」
 「方法がある……」と。

 そうした希望、……それがどんなに小さなものであっても、その
希望があれば、その希望がその人(子ども)を自殺から、守る。

●メカニズムのちがい

 うつ病のメカニズムと、自殺のメカニズムは、相互に関連性は
あるものの、基本的に別のものと考えてよい。

 うつ病は、脳内ホルモンの問題。
脳内のホルモンが変調して、うつ病になる。
 自殺は、脳の機能の問題。
もっと言えば、脳内の特殊な機能が働いて、その人をして、「死」に向かわせる。

 (もちろん強度のうつ状態が、絶望感を招くことはある。
反対に、絶望感が、うつ状態を招くこともある。
その区別は、たいへんむずかしい。)

 わかりやすく言えば、うつ病だけでは、人は、自殺などしない。
初期の段階では、心の緊張感が慢性的に持続し、それが臨界点を
超えると、今度は、極端な弛緩状態になる。
最近話題になっている、「微笑みうつ病」(異様なほど、ニコニコ笑って
いるのが、特徴)にしても、すでにこの状態で、心は臨界点を超えていると
みる。

 こうした状態のとき、先に書いたように、絶望感を覚えると、
心は一気に自殺モードになる。
方法は問題ではない。
どんな自殺の仕方であれ、それはあくまでも結果でしかない。

 自殺を考えていて、ふと思いついたので、ここに書き留めておくことにする。


Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司

●10月14日、千葉へ来る

+++++++++++++++++++

10月14日、三男夫婦に会うため、
千葉県千葉市にやってきた。
三男の自宅は、千葉市から、来るまで20分
前後のところ。
今夜は、千葉市内のビジネスホテルに一泊。

新幹線の品川駅で落ち合い、そこから三男の
車で、千葉市へ。
市内のレストランで、1時間半ほどかけて、
夕食をとった。

少し前、三男は、ホテルから出る。
明日、三男の自宅へ。
朝、9時ごろ、迎えにきてくれるという。

ワイフは、風呂に入っている。
私は、こうしてパソコンに向かう。
左には小さなテレビ。
久しぶりに、どっきりカメラ(テレビ
番組)を見た。
おもしろかった。

++++++++++++++++++++

●嫁

 三男の嫁は、私のことを、「パパ」と呼ぶ。
三人の息子たちも、私のことを「パパ」と呼ぶ。
それで嫁も、「パパ」と呼ぶ。

 しかし私には、娘をもった経験がない。
そのため若い女性に「パパ」と呼ばれると、どこかくすぐったい。
悪い気はしないが、どうもピンとこない。
しかしどんな呼ばれ方をしても、このくすぐったさは、変わらないだろう。
「お父さん」でも、「お父様」でも、くすぐったい。
英語式に、「ヒロシ」のほうが、気が楽でよいのだが……。
友人たちは、息子の嫁に、何と呼ばれているのだろう。
一度、だれかに聞いてみよう。

 明日、その嫁に会う。
楽しみ。

●10月15日

 金価格が暴騰している。
昨日は、グラム3200円前後。
現在、ドル・円の為替レートは、1ドルが90円弱。
1年半ほど前には、120円だったから、それで計算すると、
グラム4000円以上。
が、今は、残念ながら(?)、1ドルが90円弱!

 数か月前、IMFが、金を売却すると言った。
本来なら、そこで金価格は下落するはずだった。
しかしすかさず中国が、買いに出た。
「買った」というよりは、手持ちのドルを、金に交換すると宣言した。
世界がそれに追従した。

 そして今、10月はインドでは、金の需要期に入る。
それで大暴騰。
おまけにドルは、ガタガタ。
こういうときは、様子を見ながら、少しずつ売る。

●朝、6時

 今朝は朝6時に目が覚めた。
ホテルの朝風呂に入って、ヒゲを剃る。
ヒゲを剃りながら、若いとき、私の父と母が、浜松へ私たちに会いに来てくれた
ことを思い出す。

 立場がちょうど逆になった。
今度は私たちが三男の家に、遊びに行く。
昼飯をどこかでいっしょに食べることになっている。
楽しみというより、心のどこかで、しんみりとした切なさを覚える。

 こうして人生は、順送りに回りながら、新しい人たちの世界になり、
その世界から私たち老人族は、この世界から、はじき飛ばされていく。
息子たちの自立は、同時に、私たちの自立を意味する。
おかしなことだが、この年齢になってはじめて、絶壁の縁(ふち)に
立たされた。
そんな感じがした。

 この先、息子たちには迷惑をかけないよう、私たちは私たちで、
自分を懸命に支えて生きていかなければならない。
心のどこかに残っている、(依存性)を、さらにつぶさなければならない。
が、本当の問題は、(生きがい)。

●空の巣症候群

 今までは、息子たちを成長させるのが、生きがいだった。
無我夢中でがんばってきた。
それが消えた。
ポッカリと心の中に穴があいた。
「空の巣症候群」という言葉がある。
子どもたちが巣を去ったあと、親たちが感ずる無気力症状を総称したものだが、
空の巣をどうやって埋めていくか。

 まさに待ったなしの人生。
それがこれからの人生。
若いときとちがって、これからの人生には、タイムリミットがある。
若いときは時間を気にせず、放浪の旅ができた。
今は、時間を気にしながら、限られた世界を生きる。
しかも失敗は許されない。

 そこに見えるのは、絶壁。
今、その縁を、恐る恐る、歩きだそうとしている。

●朝食

 ホテルの朝食は、バイキング。
7時から〜ということだったが、7時10分ごろ食堂へ入ってみて、びっくり。
どこにこんな客がいたのかと思うほど、多くの人たちが、すでに朝食をとっていた。
60〜80席あるテーブルは、ほぼ満席。
私たちは窓際の丸いテーブルに座った。

「都会の人たちは、こんなに朝早くから、仕事をしているんだね」と、
ワイフに話しかける。
「みな、東京へ行くのかもね」とワイフ。
千葉から東京まで、電車で1時間半ほどだそうだ。

 40代後半の女性客が、けっこう多い。
20人前後はいた。
ビジネス客でもないだろうに……と思いながら、今朝はサラダを中心に
軽くすませた。

 昼は、三男夫婦といっしょに食事をすることになっている。

●ビジネス

 商社マン時代は短かったが、こうした朝の風景は、当時と、ほとんど
変わらない。
林立するビルの間の、モダンなホテル。
大きな窓からは、コンクリートの道路や塀が見える。

 ザワザワとした会話。
「さあ、これから仕事!」という意気込み。
それが私にも伝わってくる。
それぞれがそれぞれの思いをもって、今日、1日を始める。

 窓の外を見ると、スーツを半分着ながら、ホテルから出て行く男が見えた。
年齢は、私くらい。
つづいてぞろぞろと、男たちが出て行く。
その間を仕事場へ向かう、男女が、右へ、左へと歩いている。

●ビジネス

 この風景を垣間(かいま)見ただけでも、人間の数よりも多くの、工夫や発明が
容赦なく飛び込んでくる。
人間の英知の結集というほど大げさなものではないかもしれない。
しかしガラス窓の下には、人口大理石の窓枠。
その窓枠とガラスの間には、細いステンレスの金具、ゴムのシールド、
それにコーティング。
窓の外からは、黒い樹脂が、隙間を埋めている。

 1枚のガラスを支えるだけでも、これだけの工夫や発明が折り重なって
いる。

 一方でビジネスマンの人たちを見やりながら、改めてその凄さに驚く。
つまり私の知らない世界で、私の知らない、無数の人たちがいて、それぞれ
が、それぞれの仕事をしている。
無数の英知を積み重ねている。
まるで細かい時計仕掛けのよう。
その凄さに驚く。

●散歩

 朝食のあと、ワイフと近くを散歩した。
通りへ出てみると、見慣れない看板、サイン、……どこか疲れた裏通り。
「入浴料、5000円」という看板を見て、そこが歓楽街と知った。
「写真を見るだけなら、無料」という看板もあった。

 乾いた道路を、いかにもそれらしい男が、フラフラと歩いていた。
千葉市は、浜松市よりも、ずっと大きい。
モノレールも走っている。
大通りを行きかう人たちも、いかにも都会の人という感じがする。
そういう人たちが、千葉駅のほうから、ゾロゾロと手前に向かって
歩いてきた。

 私が写真を撮ると、ワイフが、「どうして?」と聞いた。
「……ハハハ、ぼくには珍しい光景だから……」と。

●ビジネス

 私はこういう世界が、嫌いだった。
嫌いだったから、逃げた。
逃げたというより、追い出された。

 以来、こういう世界とは無縁の世界を生きてきた。
あえてこういう世界を避けてきた。
避けてきたというより、背を向けてきた。
その結果が今。

 私はすっかり田舎人になった。
田舎人の目を通して、都会の人たちをながめている。
それがまた私には、珍しい。
楽しい。

●うつ?

 ところでこの10日ほど、原稿をほとんど書いていない。
「とうとうボケたか?」と思うほど、書いていない。
パソコンに向かっても、空回りするだけ。
何を書いても、つまらない。
「こんなことを書いて、何になるのだろう?」という思いばかりが、先に立つ。
あるいは「こんなことは、前に書いたことがある」というところで、手が止まって
しまう。

 ワイフは、「うつ病の症状よ」と言った。
そうかもしれない。

 で、昨日は千葉市まで、このパソコンをもってきた。
今、愛用のミニ・パソコン。
TOSHIBAのUX。

 これから三男の家に向かう。
嫁が気を使うだろうということで、昨夜はホテルに泊まった。
私たちも気を使う。
が、朝方、たくさんの夢を見た。
あまり熟睡できなかったようだ。

……ということで、10月15日は始まった。
2009年10月15日。
さわやかな季節。
がんばろう!
三男夫婦には、ジジ臭い様子だけは、してみせたくない。

●三男の自宅

 三男の家に向かう途中、大型のショッピングセンターに寄った。
そのときのこと。
私とワイフは、買い物をしながら、三男夫婦のうしろをついて歩いた。
おかしな気分だった。
私が息子のうしろをついて歩く……?

 いくらがんばっても、そこにいるのは、私の子ども。
子どもにしか見えない。
自分がその年齢だったころのことを思い出しながら、「こいつはもう子どもではない」
と自分に言い聞かせる。
が、その意識を抜くのは、むずかしい。

 ……たぶん、息子夫婦から見れば、私たちは、ジー様、バー様なのだろう。
若いころ、50歳になった知人が、たいへんな老人に見えた。
そういう自分を知っているからこそ、私は静かに三男に従った。
だまってあとをついて歩いた。
スゴスゴ……、と。

●古家

 三男は、三男の友人から古家を借りて住んでいる。
家賃はx万円という。
破格の家賃である。

 二階建てで、一階部だけで、4部屋もある。
家具がない分だけ、がらんとしている。
部屋の使い方が、オーストラリア人風。
オーストラリア人なら、こういうふうに部屋を使うだろうなというような
使い方をしている。

 三男は、横浜K大を出て、航空大学へ入る前、南オーストラリア州の
フリンダース大学に留学していた。
大きな影響を受けたということは、部屋の使い方だけを見てもわかる。

●再び、父と母

 再び、若いころ、父と母が、私の浜松の家に遊びに来たときのことを
思い出す。
あのときは、6畳と4畳だけの小さなアパートに住んでいた。

 「父は、どんな気持ちで来たのだろう」、
 「母は、どんな気持ちで来たのだろう」と。

 私がワイフと浜松に住むようになったとき、母は、「悔しい」「悔しい」と、
親戚中に電話をかけていたという。
最近になってそれを知ったが、私には、そういう気持ちはない。
さみしさがないと言えばウソになるが、私の人生も、ここまで。
子育てから解放されたことを、まず喜ぶ。
それが私の限界。
その限界を知る親が、賢い親ということか。

●品川駅で

 帰るとき、三男が品川駅まで送ってくれた。
みやげまでもらった。
私たちが車を出ると、私たちの姿が見えなくなるまで、ドアのところに
立って、見送ってくれた。
うれしかった。
少しさみしかった。

 「来週、チェックがある」と、別れ際に言った。
チェックというのは、定期試験のようなもの。
「飛行機は毎回新型になっていくし、空港も、どんどんと変わっていく」と。
厚さが15センチもある大型のファイルブックを、10冊ほど、車のトランク
に積んでいた。
「たいへんだね?」と言うと、「この仕事は、一生、勉強だよ」と言って笑った。

 私のほうが、ずっと子どもに見えた。……思えた。

(補記)

●大都会

 品川駅から千葉市へ、そして品川駅へ、今回は高速道路を利用して、移動した。
途中、東京タワーが見えた。
が、その東京タワーが、周囲のビル群に囲まれて、小さく見えた。
私が中学生のときに感じた、あの(高さ)は、もうなかった。

 東京は、やはり都会だった。
恐ろしく大きな、都会だった。

 車でビル群をながめているだけで、自分がどんどんと小さくなっていくのを感ずる。
この無力感。
同じ人間なのに、同じ日本人なのに、私と都会の間に、厚い壁を感ずる。
ぜったいに越すことができない、厚い壁を感ずる。
ビルの中から私を見おろしている人たちには、私はきっと、川原の石ころの
ように見えるはず。
それがわかるから、自ら身を引く。

 三男に会いに行って、よかった。


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

【怒りのメカニズム】

「こうでありたい」という欲望。
「こうであってほしくない」という欲望。
「これがほしい」という欲望。
「私」であるがゆえに生まれる、もろもろの欲望。
これらを総称して、「エゴ」という。

 そのエゴが何らかの形で抑圧されると、そのエゴを解放させようと、一気に
情緒は不安定になる。
知性や理性の、止め具がはずれる。
それが(怒り)という感情となって、爆発する。

つまり人がなぜ怒るかといえば、抑圧されたエゴを解放するため。
このメカニズムがわかれば、自分で自分の(怒り)をコントロールすることができる。
順に考えてみよう。

●自己のエゴ

エゴは、それが満たされないとき、さまざまな姿に形を変える。
心配、不安、不平、不満……。
それが臨界点を超えたとき、つまり、コントロールできなくなったとき、
ときとして、それは(怒り)となって爆発する。

 が、もしこの段階で、エゴを自分でコントロールできれば、(怒り)は、
起きない。
エゴは、抑圧された状態のまま、見た目には静かになる。

●他者に向かう怒り

 (怒り)には、つねに2つ方向性がある。
自分に向かう(怒り)と、他者に向かう(怒り)である。
しかし基本的には、(怒り)は、最初は自分に向かう。
まず(自分に向かう怒り)が始まり、それが(他者に向かう怒り)に変化する。
原因や理由が他者にあれば、(怒り)は、直接、他者に向かう。
が、そのばあいでも、他者を代償的に利用しているにすぎない。

●交通事故

 簡単な例で考えてみよう。

たとえばあなたが運転をしていて、うしろから別の車に追突されたとする。
幸い怪我はなかったが、買ったばかりの新車に、大きな傷がついた。

 こういうケースでは、あなたは追突した相手に、大きな(怒り)を覚える。
「君が、へたくそな運転をしていたからだ!」と。

 しかしもしそのとき、あなたが運転していた車が、ボロボロのポンコツ車
だったとしたら、どうだろうか。
あるいは、あなたがたいへんな金持ちで、同じような車を、何百台も
もっていたとしたら、どうだろうか。
あるいは「車の傷など何でもない」と考えるタイプの人だったとしたら、
どうだろうか。

あなたの(怒り)は、あなたのエゴの状態に応じて、変化するにちがいない。
つまりまず(自分への怒り)が起こり、それが(他者への怒り)へと変化する。

 「どうして大切な車に傷をつけてしまったのだ」と、まず自分への怒りが
始まる。
その怒りが限界を超えたとき、その怒りは、今度は、外に向かう。
「お前のせいで、私の車に傷がついた」と。

●エゴと怒り 

 ここが重要だから、もう一度、別の例で考えてみよう。

 つまりエゴが強大であればあるほど、(怒り)もまた、強大なものとなる。
たとえば何か、インチキな商品を売りつけられたとしよう。
私も最近、そういう商品を売りつけられた。

 「謎のUFO」というような商品だった。
販売店にビデオが用意されていて、それを見ると、UFOの模型が自由自在に、
空中を不思議な飛び方をしていた。

 値段は、3000円。
で、家で箱を開けてみると、空を飛ぶといっても、細い糸でつりさげるだけの
インチキ商品だった。
言うなれば、手品のようなもの。
「ナーンダ」と思って、そのままで終わってしまった。

 が、もしそれが3000万円だったとしたら、どうだろう。
「ナーンダ」で、すますことはできない。
3000円だったから、「ナーンダ」ですんだ。
3000万円だったら、「コノヤロー」となる。

 このばあいも、まずだまされた自分に怒りを覚える。
額が小さいときは、「ナーンダ」ですますことができる。
しかし額が大きいときは、だまされた自分に腹が立つ。
「どうして私は、あんなバカなものを買ってしまったのだ」と。

 そしてその怒りが臨界点を超えたとき、「どうしてあんなものを
私に売りつけたのだ」という怒りに変わる。
売りつけた相手に、怒りが向かう。

●死への怒り

 ところで人が感ずる(怒り)のうち、最大のものは、(死)に対する
怒りということになる。
人は、死によって、すべてを失う。
すべてを奪われる。
財産や名誉や地位のみならず、肉体をも、だ。

 最初、死を宣告されると、ほとんどの人は、混乱し、その混乱が一巡すると、
今度はげしい(怒り)を覚えるという。(「死の受容段階論」(キューブラー・ロス))。
このばあいの(怒り)も、「失いたくない」というエゴが、原点になっている。

●エゴとの闘い

 (怒り)との闘いというのは、そんなわけで、自分の中に潜む(エゴ)との
闘いということになる。
さらに言えば、「私」との闘いということになる。

 私の財産、私の家族、私の名誉、私の地位などなど。
もちろん私の生命というのも、ある。
そういったものが、さまざまな立場で、さまざまに形を変えて、エゴとなる。
そのエゴが、危険にさらされたとき、心配、不安、不平、不満となって姿を
現す。

●エゴの爆発

 が、もしエゴを消すことができたら……。
消すのは無理としても、最小限にまで減らすことができたとしたら……。
(怒り)の内容も、変わってくるにちがいない。
最近、私はこんな経験をした。

 書店で、ある育児本を読んでいたときのこと。
しばらく読んでいたら、頭の中が、カーッと熱くなるのを覚えた。
明らかに、私のパクリ本である。
あるいは私がHPなど書いたことを、ネタに使っていた。
巧みに内容を変えてはあるが、私にはそれがわかる。

たとえば「……チョークで、背中を落書きされた……」が、「……チョーク
で、かばんを落書きされた……」となっていた。
その上で、「いじめられっ子は、その分だけ、他人の心の痛みが理解できる
ようになる」と。
随所で、私の持論そのものを展開していた。

 そのときの(怒り)が、まさに私の(エゴ)から発したものということになる。
(私の考え)(私の文書)(私のHP)と。
が、それも一巡すると、つまり「この世界は、こういうもの」と割り切ると、
怒りが、スーッと収まっていく。

 実際には、そのとき、私はこう考えた。
「10回盗作されたら、新しい原稿を100回書けばいい」と。
そう自分に言って聞かせて、その怒りを乗り越えることができた。
 
●防衛機制

 こうして心は自分の心の動揺を、自ら守ろうとする。
これを心理学の世界では、「防衛機制」という。
もともと人間の心は、不安定な状態に弱い。
長くそういう状態をつづけることができない。

 心配、不安、不平、不満がつづくと、それを解消しようと、さまざまに心が働く。
というのも、そういう状態は、ものすごいエネルギーを消耗する。
その消耗に、人はそれほど長くは耐えられない。
そのため、心は自分で自分の心を防衛しようとする。
それが防衛機制と言われるもので、それらには、合理化、反動形成、同一視、
代償行動、逃避、退行、補償、投影、抑圧、置き換え、否認、知性化などがある。

 この中のどれとは特定できないが、私は私なりのやり方で、エゴの爆発を、最小限に
抑えたことになる。

●無私
 
 再び、死について考えてみたい。
死を宣告されると、最初、人は、はげしい怒りを覚えるという。
このことは先にも書いた。
中には、医師や家族に、その怒りをぶつける人もいるという。

このばあいも、「エゴ」があるから、(怒り)が起こる。
そこで話を一歩前に進めると、こういうことになる。
そのエゴが集合されたものが「私」であるとするなら、私から
「私」を取り除いていく。
かぎりなく、取り除いていく。
その結果、(怒り)の原因となる、エゴが消える。

 たとえば(死)についても、「私」があるから、それを恐れる。
不安や心配を呼び起こす。
が、もし「私」がなければ、(死)についての考え方も、大きく変わってくる。
「無私」という考え方である。
「死は不条理なり」と説いた、あのサルトルも、最後は、「無の概念」という
言葉を口にする。
「死という最終的な限界状況を乗り越えるためには、無に帰するしかない」と。
この哲学は、釈迦の説いた「無」の思想に通ずる。

●現実世界では

 私たちは生きている。
生きている以上、現実の世界の中で、他人とかかわっていかねばならない。
仕事もしなければならない。
納得できなくても、上司の意見には従わねばならない。
家族もいる。
子どももいる。
その過程で、他人との摩擦をつねに経験する。

 実際問題として、生きている以上、「私」を消すことはできない。
そこで「妥協」という言葉が生まれる。
それについてはまた別の機会に考えてみたい。

 ただ大切なことは、(怒り)は、常にその人の人間性の範囲で起こるということ。
人間性の低い人は、ささいなことで激怒し、心をわずらわす。
一方、人間性を高めれば高めるほど、私たちは(怒り)を、自分の心の
中で処理できるようになる。

 かく言う私などは、今、死の宣告をされたら、取り乱し、ワーワーとわめき
散らすほうかもしれない。
情けないほど、私の人間性は低い。
それがわかっているから、今から努力するしかない。
少しでも無私の状態に近づき、そのときが来たら、静かにそれを受容したい。

 
Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司

●文を書く

++++++++++++++++++++

悲しいとき、うれしいとき、さみしいとき、
つらいとき、私は文を書く。

しかし怒ったときは、書かない。
とくに個人的な怒りを覚えたときには、書かない。
そういうときに書いた文は、あと味が悪い。
残しておきたくない。
だから書かない。

それに怒りをぶつけた文というのは、どうしても
愚痴ぽくなる。
愚痴を聞きたい人はいない。
それに愚痴は、その人を小さくする。
つまらなくする。

それがわかっているから、よけいに書かない。

+++++++++++++++++++++

●喧嘩

 怒っているときは、私は一気に喧嘩に向かう。
それが私のやり方。
子どものときからのやり方。
ネチネチしたやり方は、しない。
一気にケリをつける。

 しかしこのやり方は、平和的ではない。
ときに法に触れる。
だからぐいとがまんする。
が、そのがまんが、つらい。
私には、つらい。

 よく裁判映画などで、原告と被告が、冷静な様子で、席に着いているのを見る。
ああいうのを見るたびに、「たいしたもんだな」と思う。
私なら、その場で相手に食ってかかるだろう。
「コノヤロー!」と。
もちろんそんなことをすれば、即、退席!
私にとって、(怒り)というのは、そういうもの。
グチグチ言うのは、私のやり方ではない。

●怒り

 (怒り)というのは、もともと自分自身に向けられたもの。
不平、不満、心配、不安が、臨界点を超えたとき、それが(怒り)に変わる。
が、自分を怒っても仕方ない。
そこでその(怒り)を、外部の対象物に向ける。
そこで「お前が悪い」「あいつが悪い」となる。

 そういう意味では、(怒り)の基盤は、弱い。
自分さえその気になれば、そのまま消すことだってできる。
(怒り)を忘れることだってできる。

●静かな怒り

 一方、本当に怒っている人というのは、静か。
驚くほど、静か。
それに穏やか。

 一方、ワーワーと大声をあげて怒る人は、そんなにこわくない。
が、静かで、動揺しないで怒っている人は、こわい。
人も本気で怒ると、そういう様子を見せる。


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

●意識の連続性(補足)

++++++++++++++++++++

私たちがもっている意識というのは、パルス信号のような
ものと考えてよい。
ピッピッピッ……と。
コンピュータのように、何ヘルツというように
測定しようと思えば、それも可能かもしれない。
脳波そのものも、パルス信号として認識される。

つまり(意識)というのは、時間的経緯の中で
拡大してみると、瞬間的に現れては消える、現れては消える……。
それを小刻みに繰り返している。
そのサイクルが短いため、私たちは連続した意識として
それをとらえる。
が、連続しているわけではない。
ここにも書いたように、連続しているように、見えるだけ。

映画のフィルムのコマを思い浮かべれば、わかりやすい。
1コマずつ画面に画像が表示されるが、網膜に残った
残像が消える前に、次の画像が表示される。
そのため、私たちはスクリーンに映る映像を、連続した画像として、
とらえる。
人間の意識も、それに似ている。

このことをさらに裏づける事実が、明らかになりつつある。
最近の脳科学によれば、脳の中の視床下部あたりから、
強力なシグナルが発せられていることがわかってきた。
このシグナルが、いわゆる(生命の源)と考えてよい。
このシグナルに応じて、たとえばもろもろの欲望(=ドーパミンの分泌)
などが、引き起こされる。

+++++++++++++++++++++++++

●迷う

 たとえば今、「今夜は夕食に何を食べようか」と考える。
「天丼にしようか、カレーライスにしようか」と。

 こうして迷っている間にも、そのつど無数のシグナルが、四方八方に
発せられる。
たとえばアルファ波(脳の中の電気的信号)のばあい、秒間8〜13ヘルツと
言われている。
ベータ波は、14〜30ヘルツ。
ガンマ波は、30ヘルツ以上。

こうした信号は、そのつど脳のあちこちで取捨選択され、最終的に、
たとえば「天丼」が優勢になったところで、こう判断する。

「今夜は、天丼にしよう」と。

●パルス説

 こんな例がある。
たとえば交通事故にあった人などの話を聞くと、ほとんどの人は、こう
言う。
「その瞬間のことは覚えていない」と。

 これについては2つの仮説が立てられる。

 ひとつは記憶として残る前に、脳自体が記憶する(=記銘する)のを
停止してしまう。
(衝撃が脳に伝わるよりも早く、衝撃を受けると同時に、脳が記憶を
停止してしまう。だから記憶に残らないという説が、一般的である。)

 もうひとつは、意識そのものが、その瞬間、停止してしまう。

 もし後者であるとするなら、パルス説が、がぜん有力になる。
こうした瞬時の反応は、パルス説以外では、説明できない。
つまり脳が衝撃を受けた瞬間、意識はそこで途絶える。

●意識と死
 
 意識がパルスであるとするなら、私たちはつねに、(意識)と(死)
を繰り返していることになる。
デジタル信号にたとえるなら、(+)と(−)を繰り返していることになる。
(−)のとき、私たちの意識はゼロになる。
その状態を、私たちは「死」と呼ぶ。

 もう少し具体的に説明しよう。

 脳の神経細胞(シナプス)から信号が発せられると、それは神経突起を経て、
ニューロンに伝えられる。
そのニューロンを介して、信号はつぎの神経突起を経て、神経細胞に伝えられる。
こうした伝達方式を、「ドミノ倒し」という言葉を使って説明する学者もいる。
脳の神経細胞は、つねに新しいシグナルを発し、それをつぎの神経細胞に伝える。
が、その瞬間、つまりシグナルを発したあと、脳は、死んだ状態になる。

 もちろん神経細胞のメカニズムは、そんな単純なものではない。
神経細胞の数にしても、1000億個もあるとされる。
それぞれがそれぞれの無数のシグナルを発し、私たちが「意識」と呼ぶものを
作りあげている。

 意識がパルスであり、かつ瞬時、瞬時に、私たちが(生)と(死)を
繰り返しているとすると、生と死についての考え方が、一変する。
私たちは生と死を、絶え間なく、繰り返していることになる。
ただその間隔があまりにも、短いため、……というより、(死)の状態の
ときには、意識そのものが消滅するので、(死)そのものを認識できない。

●意識が消えたとき

 たとえばこんな例で考えてみよう。

 ある人のパルスの間隔が、5秒間隔であったとする。
5秒間、意識が戻り、つぎの5秒間、意識が消えたとする。
これを交互に繰り返した場合、その人の意識は、意識の上では、つながって
いることになる。
意識が消えたとき、その人は意識が消えたことそのものを意識できない。
だからそれを外部から観察していた人が、「あなたは5秒間、死んでいましたよ」
と告げても、その人は、それを否定するだろう。

 もっと極端な例として、こんなこともありえる。

 あなたは宇宙船に乗って火星に向かっている。
あなたは宇宙船に乗り込んだとたん、冷凍された。
それから2年間、あなたは宇宙船の中で、ずっと眠りつづける。
が、火星に到着する寸前、解凍された。
そのときあなたは、きっとこう答えるにちがいない。
「私は、あっという間に、火星に着きました」と。

●意識の覚醒

 となると、……あくまでも意識パルス説によるものだが、
先にも書いたように、私たちは日常的に、生と死を経験していることになる。
そして「死」とは、パルスが(−)になったとき、そのままの、停止した
状態ということになる。

 このことは、反対に「生」を考えるとき、たいへん役に立つ。
「意識」、つまり「意識の覚醒」をもって、「生」とするなら、
生きるということは、意識の覚醒を保つことということになる。
(ただし意識の覚醒がないから、死んでいるということにはならない。
誤解のないように!)

●仮説

 そこで私の仮説。

 加齢とともに、このパルスの周期が、長くなるのではないか。
若いころは、1秒間あたりのパルス数が多い。
多いから、同じ1秒でも、長く感ずる。

 しかし加齢とともに、パルスの周期が長くなる。
パルス数が少なくなる。
あるいは意識の覚せい状態が短くなる。
だから同じ1秒でも、短く感ずる。

 だからみな、こう言う。
「40代は、あっという間に過ぎた。しかし50代は、もっとあっという間に過ぎた」と。

 これはあくまでも私の仮説である。
つまり加齢とともに、時間の長さをますます短く感ずるようになったり、時間が早く
過ぎるように感ずるようになるのは、パルスの周期数そのものが、減少するためでは
ないか。

 いろいろ調べてみたが、視床下部から発せられるパルス信号について、年令別の
周波数を調べた研究は、見当たらなかった。
が、そのうち、私の仮説が立証されるかもしれない。
「加齢とともに、視床下部パルス数は、変化する」と。

……ということを期待しつつ、意識の連続性の話は、ここまで。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 意識の連続性 視床下部のパルス信号 加齢とともに、どうして時間を短く感ず
るようになるのか 加齢と時間 はやし浩司 仮説)


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司※

【私の幼児教育byはやし浩司】

●生徒あっての仕事

 私のばあい、いつもそこにスポンサーがいる。
親というスポンサーがいる。
お金を受け取って、親のニーズに応える。
それが私の仕事。

 親が、こうしてほしいと言えば、そうする。
親が、ああしてほしいと言えば、そうする。
私にとって、教育論というのは、別の世界での話。
現実とは、いつも切り離して考える。
子育て論に至っては、さらに別の世界での話。
親が赤色を求めれば、赤色に自分の体の色を変える。
青色を求めれば、青色に自分の体を変える。

 生徒あっての私の仕事。
親の意向に逆らうなどということは、私の仕事ではありえない。
それにもうひとつ。
私はいつも、生徒に頭をさげなければならない。
もちろん、親にも。
「来てください」と頭をさげる。
すべては、そこから始まる。

●権威主義

 親たちもまた、私をそういう目でしか見ていない。
これは昔も今も、同じ。
皮肉なことに、親たちが、この世界では、もっとも権威主義的なものの考え方をする。
こと子どもの教育となると、さらにそう。
さらに保守的になる。

学校絶対主義。
学歴信仰。
学校神話。
そして受験制度。

 この日本では、教育といえば、受験教育を意味する。
「人間選別機関」という言葉は、私が考えた。
今から25年以上も前、「教材新聞」という新聞の中で、使わせてもらった。
学校という教育機関が、(教育)ではなく、人間を選別するための機関として機能している。
受験教育に、それを見る。

 それをだれもがおかしいと感じている。
私もおかしいと感じている。
しかしそれを口に出して言う勇気は、だれにもない。
もちろん私にも、ない。

●あなたは黙っていろ

 私が最初に、疑問に感じた子どもは、FBという名前の女の子だった。
名前からして、朝鮮半島出身の人とわかった。
しかしそのことは、私の見方に影響を与えることはなかった。
当時の私は、むしろ親朝鮮派。
学生時代、UNESCOの交換学生として、韓国に行っていたこともある。

 しかしその女の子は、どうしようもないほどの、つまり手がつけられないほどのドラ娘だった。
言い忘れたが、当時幼稚園の年長児。
わがままで自分勝手。
親は市内にパチンコ店を、数店ももち、裕福な生活をしていた。
が、そういう環境の中で、日本人の私たちを、「下」に見ていた。
軽蔑していた。

 で、ある日のこと。
私はその子どものことで、母親にその女の子の問題点を告げようとしたときのこと。
が、すぐさま母親は、私の言葉をさえぎった。
こう言った。
「あんたは、黙って、私の娘の勉強だけをみていてくれればいい」と。
つまり「余計なことは言うな」と。

 私の立場は、当時も、そして今も、基本的には変わっていない。

●浜松市

 浜松市という町は、不思議な町である。
名古屋市の経済圏に身を置きながら、その3倍以上も離れている東京の方に目が向いてい
る。
名古屋の文化が、浜松市へ入ってくるということは、まず、ない。
浜松市へ入ってくる文化のほとんどは、東京からである。
また「東京から来た」というだけで、何でもありがたがる。

 こう書くと浜松市の人たちは不愉快に思うかもしれない。
しかし事実は事実。
浜松の人たちは、東京に対して、かぎりないコンプレックス(劣等感)をもっている。
反対に、ときどき東京から転勤などで浜松市へやってくる人などは、浜松を、かなり「下」に見
る。
おもしろいほど、「下」に見る。
「下」というのは、「田舎」。
「地方」。
浜松の人たちを、遠慮なく「田舎者」と呼ぶ。
先の衆議院議員選挙で落選した、KTさつき氏などは、堂々とこう言い放った。
「私が土下座すれば、(浜松の)田舎者は、イチコロよ」(「諸君」)と。

 だいたいにおいて、浜松の人が、浜松の価値を認めていない。

●高校の序列

 加えてぬぐいがたいほどの学歴信仰。
私が浜松に住み始めたころ、……というのも、そうした風潮は少しずつ変わってきたが、この
浜松では、出身高校で、その人の価値が決められた。
大学ではない。
高校である。

 そのこともあって、浜松市内の高校には、明確な序列があった。
S高校、A高校、B高校、C高校、D高校……、と。
だからこんな会話がよく交わされた。

「あの人、C高校なんですってねエ〜」
「えっ、あの人、S高校なんですかア〜」と。

 それを本人もよく知っているから、たとえば自分がS高校の出身だったとすると、それとなく会
話の中に、自分の出身高校名を入れる。
「今度、S高校の同窓会がありましてね」とか、など。
あるいは「S高校のOB会で、ゴルフコンペをしました」とか、など。

 何かにつけて、出身高校の名前が、よく出てきた。
今でも、その残像は、かなり色濃く残っている。

●番外教師

 私は午前中から、午後2時ごろまでは、幼稚園で、幼稚園講師の仕事をした。
無資格だった。
当時は、保母という職種はあったが、保父はなかった。
「保父」という名前が世間に出てきたのは、私が30歳を過ぎてからではなかったか。
保育士という名前にいたっては、私が45歳を過ぎてからではなかったか。

 当時の幼稚園教諭は、同じ教師の中でも番外。
ほとんどの幼稚園教師は、高卒で、そのあと簡単な通信教育を受けて幼稚園の教師となっ
た。
中卒のまま保母資格を取り、やはり通信教育で幼稚園教師になった人も、多かった。

 で、なぜ無資格だったか?

 当時の状況をよく知る人なら、みな知っている。
幼稚園の教師の資格など、わざわざ取ってまでするような仕事ではなかった。
おかしな序列があって、一番上が、大学の教授。
その下が高校の教師、つづいて中学校の教師。
一番下が、小学校の教師。
幼稚園の教師は、そのワクの外にあった。
つまり番外。

 「資格、資格」とうるさくなったのは、私が45歳を過ぎてからのことではなかったか。
中央の官僚たちは、まず資格制度を整備する。
それを管理する団体を作る。
そこを自分たちの天下り先にする。
保育士という資格がうるさくなったのも、そういう(流れ)があったからにほかならない。

●同窓会

 ちょうど30歳になったとき、高校の同窓会があった。
その席でのこと。
担任教師だったTMが、私にこう聞いた。
「林(=私)は、どんな仕事をしているのか?」と。

 が、私には答えようがなかった。
今で言う「フリーター」という言葉さえなかった。
だから、幼稚園での講師をしている話のほか、いくつかを並べた。

 それを聞いてTMは、こう言った。
「お前だけは、訳の分からない仕事をしているな」と。
みなに聞こえるような大きな声だった。

 高校の教師にしてみれば、幼稚園の講師の仕事など、仕事にもならない仕事ということにな
る。
私にはその常識(?)が理解できたから、黙るしかなかった。

●収入

 私の幼稚園での給料は、当初、月額2万円だった。
大卒の初任給が、6万円前後になり始めていたころである。
そこで私は園長と相談して、午後2時以後は、自由にしてもらった。
自由にしてもらって、予備校の講師や塾の講師、それに家庭教師などをした。

いろいろな会社の貿易顧問もした。
M物産時代の経験とノウハウが、役に立った。

 あのYAMAHAにしても、当時、本社の中にすら、貿易部はなかった。
名古屋のM物産が、YAMAHAの貿易を取り仕切っていた。
ほかにパンフレットの翻訳など。
仕事は、あった。
お金になった。

 幼稚園の給料は2万円だったが、当時、つまり20代の半ばで、すでに私は毎月70万円前
後も稼いでいた。

●ほかに

 当時の私は、こんな仕事もしていた。
夕刻、新幹線で東京へ、向かう。
そのまま羽田から、香港や台北へ飛ぶ。
時差もあるから、向こうの時刻で、夕方から夜にかけて商談をまとめる。
そして午前2、3時の飛行機で羽田へ戻る。
羽田へは、午前6時〜6時半に着く。
新幹線に飛び乗る。
9時には、浜松へもどり、幼稚園で仕事をする。

 ときどき香港のみやげをもって帰ることもあった。
しかし私が「今朝、香港から帰ってきました」と言っても、だれも信じなかった。
当時、羽田、香港の航空運賃だけでも、10万円前後。
幼稚園の教師の月給が、3万円前後。

 そのほかにも、私はいくつかのテレビ局の企画も書いていた。
代筆もした。
すでにゴーストライターとして、何冊かの本も出していた。

 が、幼稚園での仕事はやめなかった。

●私の天職

 話せば長くなるが、私は自我の同一性の問題に苦しんでいた。
私はもとはと言えば、大工になりたかった。
高校へ入ってからは、工学部の建築学科をめざした。
しかしそれが途中で転向させられてしまった。
文学部から、法学部へ、と。

 私の人生が狂ったのはそのとき。
メチャメチャと言ってもよい。
以来、自分をさがすのに、苦労をした。
で、やっと「天職」と思ったのが、幼稚園での仕事だった。
給料は問題ではなかった。
給料だけを考えたら、とっくの昔に、私は、幼稚園での仕事をやめていただろう。

 たとえば香港へ行く。
上海製のハリ麻酔器(低周波発信機)を、買う。
値段は、5〜6万円。
それを日本へもってくると、12〜15万円で売れた。
いつも3〜5台はもってきたから、それだけでも、30〜50万円の利益になった。

●幼児を教える

 この職業観は、今でも変わっていない。
幼児を教えながら、それを仕事と意識することは、めったにない。
むしろ私のほうが、楽しませてもらっている。
私のやりたいように、やらせてもらっている。

 で、話を戻す。

 当時、幼稚園教育の世界には、テキストらしいテキストは、ほとんどなかった。
まったくなかったと断言してもよい。
教育的には、恐ろしく貧弱な世界で、「教育」というよりは、ただ「子どもを預かる」というだけの
世界であった。
こう書くと、古い教師は怒るかもしれない。
が、しかしこの私の意見に反論できる教師はいないはず。

 年間の行事を追うだけ。
あとはお絵かきだの、お遊戯だの、まあ、その程度。
さらに知育教育、さらには幼児の心理にまで踏み込んで教育するということは、「絶対」という言
葉をつけてよいほど、絶対、なかった。

 はっきり言えば、レベルが低かった。

●教材

 私は香港へ行くたびに、……毎週のように香港へ行っていた。
そこで幼児教育教材を買い求めていた。
香港には、当時は、イギリスの総督府が置かれ、教育はすべてイギリス式で行われていた。
幼児教育の教材も豊富だった。
私はそれを日本へ持ち帰り、翻訳し、私の勤める幼稚園でそれを使った。

 で、そのうち、それらの教材を、東京の出版社へ送るようになった。
今でこそ、中学生や高校生が、修学旅行で外国へ行く時代である。
しかし当時は、そうではなかった。
日本は、まだ貧しかった。
外国は、まだ遠かった。

 そういう教材が、学研という出版社の目に留まった。
それがのちの「幼児の学習」「なかよしがくしゅう」という雑誌につながっていった。
私が26、7歳のときのことである。

 これらの雑誌は、その2誌で、毎月47〜8万部も売れた。
当時の子どもたちの4分の1から3分の1が、その雑誌を購入したことになる。
これらの雑誌は、学研のコンパニオン制度の中で、各家庭に配本された。

●田舎根性

 私は浜松市に住みながら、すでにそのころ、浜松市に幻滅を覚え始めていた。
先にも書いたように、浜松市の人たちは、地元、浜松市の価値を認めていない。
認めようともしなかった。

 私が教材の原稿を、東京の出版社に送るようになったのも、そのため。
一度、東京を経由すれば、浜松市の人たちも、その価値を認めてくれる。
私はそう考えた。

 が、現実は、それほど甘くはなかった。
そこにはもうひとつ、学歴信仰という壁があった。
私が若かったということもある。
しかし私の意見に、耳を傾けてくれる親はいなかった。
仮にいたとしても、どこかの大学の教授が別の意見を言ったら最後、そのまま私の意見は否
定された。

 権威主義という壁である。

 浜松市というと、工業都市を連想し、かつ街道の宿場町を連想する人は多い。
そのため、開放された、進歩的な都会を想像するかもしれない。

 たしかにそういう面はある。
しかしそれは工業にかぎっての話。
HONDA、YAMAHA、SUZUKIは、すべてこの浜松市で生まれ育った。
知らない人も多いかもしれないが、TOYOTAも、この浜松市で生まれ育った。
(TOYOTAの豊田佐吉は、浜松市に幻滅して、若いころ、浜松市を去っているが……。)

 その工業を除けば、浜松市は、何かにつけて保守的。
ごく最近に至るまで、浜松市のみならず、この静岡県は、政治の世界でも、保守王国(=自民
党独裁)として知られていた。

 教育の世界では、さらに保守的だった。
私にはその保守性を打ち破るだけの権威がなかった。

●講演会

 当初、幼児教育といっても、手探りだった。
ロクなテキストもなければ、教材もなかった。
教師となるような教師すら、いなかった。

 メルボルン大学のロースクールにいた私には、驚きでしかなかった。
ときどき東京あたりから、どこかの教授が講演にやってきたりしたが、どの講演も、的をはずれ
たトンチンカンなものばかりだった。
それもそのはず。

 研究室の奥で、何かの研究はしているらしい。
しかし実際、幼児に接したことのない教授が、その権威だけで、「幼児教育とは……」と論ずる
から、話がおかしくなる。

 W大学の教授が浜松市へやってきたときも、そうだった。
著名な教授だったから、私もかなり期待して出かけていった。
しかしそれも、意味のない講演だった。
あとで話を聞いたら、赤ん坊の歩行の仕方を研究している教授ということだった。
赤ん坊の歩行の研究?
ハイハイする赤ん坊の歩き方が、トカゲのような爬虫類の歩行の仕方と同じ。
だから人間も、爬虫類の流れをくんでいる、と。

 そういう教授が、一方で、「幼児教育とは……」と論ずる。
そういうおかしさが、当時は蔓延していた。

 もちろん幼稚園教育の場でも、似たような話があった。

●本物の包丁?

 私はそこで毎日のように、レッスンが終わると、10〜15分程度の懇談会を開いた。
「幼児教育は、母親教育」という持論を編み出した。
母親教育なくして、幼児教育は成り立たない。

 が、いろいろな失敗がつづいた。
母親といっても、若い女性。
そういう女性たちと、レッスンのあとに、個人的に話し合うというのは、何かにつけて誤解を招
いた。

 そのため懇談会はやがて、週一回になり、月一回になった。
その当時した失敗談については、別のところに書いたので、ここでは省略する。

 が、その一方で、私にはおかしな現象が置き始めた。
「母親恐怖症」という現象である。

●母親恐怖症

 当時の私は、20代のはじめ。
母親たちは若くても、20代の終わりから35歳前後。
私には、みな、こわいオバチャンに見えた。
(そのしばらくあとに、「オバタリアン」という言葉も生まれた。)

 実際、いくつかのトラブルに巻き込まれた。
そのたびに、私は、どんどんと「母親恐怖症」になっていった。
「母親」あるいは、「お母さん」と意識したとたん、下半身から、スーッと性欲が消えていくのを、
よく感じた。

 つまりそれくらい、私には、「母親」というのは、恐ろしい存在だった。
が、事情をよく知らない仲間などは、こう言った。
「林(=私)は、うらやましいよ。お前は、女づくしの世界に生きているからな」と。

 しかし実際には、私は、こと幼稚園の世界では、女を感じたことはなかった。
若い女性教師に対しても、また母親に対しても……。
たとえばあるとき、私服で歩いている同僚の女性教師を通りで見かけたとき、「ああ、この人も
女性だったのか」と、感心したこともある。

 母親恐怖症は、私が40歳を過ぎるころまでつづいた。
そのころになると、私のほうが年上になり、母親たちが、はるか年下に見えるようになった。

 で、今は、どうか?
おかしなことに、母親たちと、女子高校生たちとの区別ができなくなってしまった。
10代後半の高校生と、若い母親たちが同じに見える……?

 これは余談。

●本物の包丁?

 当時、浜松市内で、園長をのぞいて、男性の講師を置いている幼稚園は、私が勤めていた
幼稚園だけだった。
そういうこともあった。
隣町のHK市で、幼稚園教師の研修会があった。
その席でのこと、それぞれの教師が、実際の指導法を披露していた。
その中のひとつ。
ある女性教師がこう言った。

 「私の幼稚園では、本物の包丁を使って、子どもたちに野菜を切らせています」と。

 会場から拍手がわきあがった。
私は、それを聞きながら、ぼんやりとしていると、男性が私ひとりだけということもあって、白羽
の矢が立った。
で、こう聞かれた。
「そこの先生、あなたはどう思いますか?」と。

 私はとっさの質問に戸惑った。
そのこともあって、思わず、こう答えてしまった。
「そんなことは、家庭で、親が教えればいいことです」と。

 つまり当時の幼児教育は、その程度。
その程度のレベルを、「教育」と呼んでいた。

●古い話

 浜松市の悪口ばかり書いたので、気分を悪くした人も多いかと思う。
それについては、こう締めくくりたい。

 この話は、あくまでも当時の話。
年代的には、1970年から1990年にかけての話。
それ以後は、この浜松市も大きく、変わった。
とくに2000年に入ってからは、親や子どもたちの意識も、変わった。
出身高校で、人を判断するという風潮も、今やそよ風程度。
話題にする人も、ほとんどいない。

 もちろんだからといって、受験戦争が緩和されたというわけではない。
むしろ、親たちの受験熱は、過激になってきている。
とくに中高一貫校ができてから、浜松市の教育は一変した。

 それまでは「受験」と言えば、高校受験を意味した。
公立高校が第一で、私立高校は、あくまでもスベリ止め。
が、2000年以後は、これが逆転した。

 今では私立の中学、高校が第一で、公立高校がその受け皿的な存在になってきている。
まず私立中学校を受験する。
そこで落ちた子どもが、公立高校に拾われる……。

 だからそれまでは中学に入ってから始めればよかった受験教育が、今では小学4年、あるい
は5年にまで下がってきている。
早い子どもだと、小学3年生くらいから、受験塾に通い始める。

 こういう世界で、「教育論」を説いても、意味はない。
親たちが耳を傾けない。
耳を傾けないから、私も話さない。

 私は親たちのもつニーズを感じ取り、それに応えるだけ。
スポンサーは、あくまでも親。
その親たちに背を向けて、この仕事はできない。

●知らぬフリ

 この世界の第一の鉄則は、内政不干渉。
その子どもの問題点がわかっていても、知らぬフリ。
たとえばかん黙児にせよ、AD・HD児にせよ、自閉症スペクトラムにせよ、そういう子どもとわ
かっていても、知らぬフリをする。

 実際には、40年もこんな仕事をしていると、その子どものもつ問題点は、会った瞬間にわか
る。
わかるが、それを口にするのは、タブー。
さらには、私のばあい、その子どもの1年後、5年後、10年後の姿まで見える。
どの段階で、どのような問題を起こすかもわかる。
わかるものはわかるのであって、どうしようもない。

 しかしそれも、口に出して言うのはタブー。
いわんや、診断名を具体的に口にするのは、タブー中のタブー。
診断名を口にできるのは、専門のドクターだけ。

●10%のニヒリズム

 もちろん失敗もした。
数多くの失敗もした。
「この人だけはだいじょうぶ」と信じて話したことが、そのあと大問題になったという例は、多い。

 こうした経験を通して、私は少しずつ利口になっていった。
口も重くなっていった。

 私はバカな、何も知らない、ただの教師。
そのほうが気も楽だった。
今も、そのほうが、気が楽。

 それに正直に告白するが、どうせ説明したところで、若い親たちには、私の話すことなど、理
解できない(失礼!)。
この世界には、「10%のニヒリズム」という言葉さえある。
若いころ、どこかの教師が教えてくれた言葉である。

 つまりわかっていても、わからないフリをする。
結局子育てというのは、親自身が、自ら失敗を重ねながら、その中から、自分で学んでいく。
それしかない。
そのとき「この親は失敗する」とわかっていても、黙って見ているしかない。

 それはちょうど、若い女性がタバコを吸っているのを見るときの気持ちに似ている。
女性がタバコを吸って、よいことは何もない。
妊娠、出産にも、深刻な影響を与える。

 しかしそういう女性に向かって、だれが「タバコはやめたほうがいいですよ」と、言うことができ
るだろうか。
それこそいらぬお節介。
だから黙る。
口を閉ざす。
その(冷たさ)が、「ニヒリズム」ということになる。

 このニヒリズムがないと、教師は自分の職業を支えることができない。

●家族の代表

 2000年に入ってから、「子どもは家族の代表」という考え方が、広く浸透してきた。
若いころ「幼児教育は母親教育」と一脈を通ずる考え方である。

 つまり子どもに何か問題が起きたとしても、それは子どもだけの問題ではないということ。
家族という環境の中で、その子どもはなるべくして、そのような子どもになっていく。
だから子どもに何か問題があったとしても、その問題だけをながめていても、その子どもの問
題は解決しない。

 家族という環境の改善が、必要不可欠となる。
たとえば親の過干渉、過関心で萎縮してしまった子どもがいる。
こういうとき親は身勝手なもので、そういう子どもを見ながら、「どうすればうちの子は、もっとハ
キハキするでしょうか」と相談してくる。

 しかし正すべきは、子どものほうではない。
親のほうである。
親の育児姿勢のほうである。
そういう例は多い。

●誤解

 しかし重要性という点では、幼児教育……というより幼児期の教育ほど、重要なものはない。
大学の教育より、重要。
その上、奥が深い。
幼児教育は、その人間の基礎をつくる。
方向性をつくる。
もちろん(心)もつくる。

 それからの教育は、その基礎の上に立った方向性に従ってなされるだけ。
中には、「幼児教育なんて……!」とはき捨てる人もいる。
しかしそれこそ無知と誤解。

 幼児教育イコール、幼稚教育。
幼児の相手をするだけの簡単な教育。
そう考えている人は多い。

 一度、「人間の性格、その人の人格の基礎は、幼児期にできます」と話したときのこと。
ある男性(個人の自転車屋を経営)は、笑ってこう言った。

 「そんなバカなことがあるか。人間の性格、人格は、おとなになってからできる」と。

 つまりそれが当時の、そして現在も残っている、幼児教育への偏見と誤解ということになる。

●笑えば伸びる

 最初に書いたように、私がした幼児教育というのは、まず、子どもたちに来てもらわねばなら
ない。
子どもたちが「来たくない」と言えば、それでおしまい。
しばらくすると、親たちは、それを理由にして、私の教室を去っていく。

 だからいつしか、私は子どもたちが楽しむ教室に心がけた。
これは思わぬ副産物を産み出した。
『笑えば伸びる』という私の持論も、そこから生まれた。

 まず子どもたちを笑わせる。
楽しませる。
第一に、それは教室の経営を安定させるためである。
しかし笑うことによって、子どもたちの心は明らかに変化する。
「障害」という言葉は、安易に使えない。
しかし笑うことによって、また笑わせることによって、「〜〜障害」という障害が、治っていく。
それが、私にもわかった。

 たとえば軽度のかん黙症、自閉傾向のある子ども(自閉症ではない)などは、数週間も指導
すれば、治ってしまう。
私には、「治った」とわかっていても、もちろん、それを口に出すことはないが……。

 さらに言えば、心を開放できない子どもは、多い。
程度の差もあるが、約3分の1はそうではないか。
症状がひどくなると、情意(心)と、表情(顔に表れる表情)が、不一致を起こすようになる。
教える側から見ると、何を考えているか、わからない子どもということになる。

 そういう子どもでも、ゲラゲラ笑わせると、(……そういうふうに笑うようになるまでがたいへん
だが……)、やがて情意と表情が一致してくるようになる。
私の仕事は、もちろん知的能力を伸ばすこと。
しかしそれでは私自身が、満足できない。
そこでやがて私は、本を書くようになった。

●教材稼業

 その前に、私は、教材作りに、面白さを覚えていた。
浜松市を相手にするより、全国を相手にしたほうが、おもしろい。
こと教材作りに関しては、私の頭の中から、(浜松市)は消えた。
どうでもよかった。

 いろいろな教材を手がけた。
大手の出版社で商品化した教材も多い。
というのも、出版社は出版社。
出版のノウハウはもっていたが、やはり実際、幼児を教えたことのある編集者は皆無だった。
そこに私の存在価値があった。
仕事はそのつど、こなしきれないほど、回ってきた。
私は毎晩のように、速達を届けるため、郵便局へ車を走らせた。

 が、やがて限界を感ずるようになった。
40歳を過ぎてからではないか。

 私が制作した教材は、出版社の担当者が替わるたびに、別の作者の名前で発表されるよう
になった。
さらに教材の世界には、著作権というものが、ない。
私が作った教材にしても、それが新案のものであっても、どんどんと盗用されていった。
教材の世界では、クマさんが、ウサギさんに変わっただけで、別の教材になる。

 では、実用新案特許を申請すればよいということになるが、それは出版社の仕事だった。
個人の私には、負担が大きすぎた。
財政的な負担も大きい。
それにめんどう。
それ以上に、つぎつぎと湧き起きてくるアイディアを、いちいち特許申請するなどということは、
不可能だった。

 たとえば、あの先生には悪いが、「100マス計算」などという言葉がある。
縦と横に数字を書き、100マスの計算をさせるというあれである。
あんなのは(失礼!)、当時、私も含めて、少しアイディアを働かせている教師なら、みな、それ
をしていた。
ただひとつのちがいは、実用新案の申請をしたか、しなかったかのちがいだけだった。

●本

 教材稼業からは、足を洗った。
それにはいろいろな理由がある。
しかしここに書いても意味はない。
愚痴になる。

 その代わり、私は、本を書くようになった。
文章を書くのは、嫌いではなかった。
若いころから、いろいろな人のゴーストライターとなって、本も書いていた。
翻訳もしていた。

 で、本を書くようになった。
多い年には、1年で、10冊以上も書いたことがある。
私は文章を書くことに、楽しみというか、生きがいを覚えるようになった。
インターネットの時代になって、それにますます拍車がかかった。

 というのも、それまでは、こうした仕事は、中央でなければ成り立たないという社会的常識が
支配していた。
地方は地方。
地方で、いくらモノを書いても意味はない。
だれもがそう思っていたし、私もそう思っていた。
しかしその壁が、インターネットで取り外された。

 しかもおもしろいことに、インターネットの世界では、東京そのものを通り越して、世界中に発
信できる。
私には、これほど小気味のよいことはなかった。

●教育論の限界

 その親のレベルがどうであれ、子育てには、その親の哲学、人生観、価値観など、すべてが
凝縮される。
裏を返して言うと、教える側にしても、そこに自分の哲学、人生観、価値観を凝縮する。
教育というのは、車の運転にたとえるなら、運転をするだけのもの。
しばらく運転していれば、だれだって、うまくなる。

 が、それだけでは足りない。
そこでその教師の哲学、人生観、価値観などが試される。
教師といっても、教育論だけを書いていてはいけない。
ときには哲学、人生観についても、書いていく。
そういう姿勢があってこそ、はじめて、親たちと対等に接することができる。

 私のばあいも、20代〜30代のころは、東洋医学に興味をもった。
30代〜40代のころには、宗教に興味をもった。
合計すれば、10冊以上の本を書いた。

 そうした裏からの支えがあって、はじめて、私たちは、自分の教育論を展開できる。
そういう点では、(教育)は、奥が深い。
専門分野だけを、月謝(給料)をもらって切り売りするというのは、またその範囲で満足すると
いうのは、教育者の名に恥じる。

●こうして40年

 こうしてすでに40年近い年月が過ぎた。
40年!
自分では、「まだまだだいじょうぶ」と思っているが、本当のところ、自信はない。
しかもその自信は、年々、小さくなってきている。

 頭の活動も、鈍ってきた。
体力もつづかなくなってきた。
何よりもこわいのは、集中力が弱くなってきたこと。

 ここまでで、約10ページ分(40字x36行)の原稿を書いたが、そろそろ疲れを感ずるように
なった。
若いころは、40ページ近くは、一気に、平気で書いていた。

 この先のことはわからない。
しかしものを書ける間は、できるだけ書いていきたい。

 ……と、少し話が脱線したが、子育て論というのは、あくまでも、ひとつの「説」に過ぎない。
親たちですら、読まない。
「どうすれば、あなたの子どもを有名大学に入れることができるか」という話になると、親たち
は、目を輝かせて、私の話を聞く。
しかし子育て論について言えば、そういう反応は、ない。
直接的な利益に結びつかない。

 だから再び、同じ話になる。

「親というのは、自分で失敗するまで、それを失敗と気がつかない」と。
あるいは「親は自分で失敗してみて、はじめて賢くなる」でもよい。
それまでは、私たちはただの傍観者でいるしかない。
ただひたすら、知らぬフリをしながら……。
ただひたすら、バカな教師のフリをしながら……。

 もちろん情報は提供する。
しかしその情報をどう使い、どう生かしていくかは、私の問題ではない。
それを読む、親自身の問題である。

 もちろん親のほうから、質問があれば、話は別。
「うちの子は自閉症スペクトラムと診断されました。
どう指導したらいいでしょうか」と聞かれれば、そのときこそ、私の出番。
私の経験が生きる。

●仕事として……

 ところで最近になって、こう思うことが多い。
日本という社会の中で見ると、幼児教育というのは、番外。
とくに日本が、マネー一辺倒の中で、高度成長をつづけていたときは、そうだった。

 私自身も、大学を卒業すると同時に、M物産という商社に、就職先を見つけた。
あの当時、少なくとも私の仲間に、教師になるような男はいなかった。
(法学部は、全員、男だった。)
みなが、銀行や商社、証券会社、保険会社へと就職先を見つけていった。

 こうした職業観というのは、それぞれの時代で、それぞれの国によって、みなちがう。
が、当時の日本は、そうだった。
マネー、マネー、マネー……。
どこを向いてもマネー、マネー、マネー……。
今でもそういう風潮は色濃く残っているが、当時は、もっとすごかった。

 私はそういう世界からはじき飛ばされた。
が、62歳という年齢になり、自分の人生を振り返ってみたとき、私自身もまた、その流れの中
で踊らされていただけということがよくわかる。

 が、その一方で、幼児教育の本当の楽しさが理解できるようになってきた。
一応、(教える)という使命を与えられているから、親たちの意向に逆らうことはできない。
しかしその範囲の中でも、子どもたちと接しているだけで、楽しい。

 そこはウソや濁りのない世界。
純粋で、無垢の世界。
たとえばどんなに気分が落ち込んでいても、子どもたちに接したとたん、パッと気が晴れる。
こんな仕事は、そうはない。

 で、今、多くの同窓生たちは、50歳を過ぎるころにはリストラを経験し、第二、つづく第三の
人生を歩み始めた。
さらに60歳で定年になり、定年延長とは言いながらも、毎年短くなっていく職場に、不安を感じ
ながら、仕事をつづけている。

 こう書くからといって、私のしてきたことが正解などと書くつもりはない。
人は、人それぞれ。
私は私。

しかし金儲けのもつ空しさというか、それもよくわかるようになるのも、この年齢ということにな
る。
それはちょうど、軍国主義時代において、軍人をめざすようなもの。
戦争が終われば、……というより、戦争そのものが、意義を失えば、それでおしまい。
それに似たようなことが、戦後の日本で、再び起きた。

 人は生きることで、何かを残す。
それが戦後は、たまたま「金儲け」ということになった。
しかしその「金儲け」には、生きがいを結びつける力は、あまりない。
もっとわかりやすく言えば、みな、巨大な機械のパーツ。
あなたがいなくても(失礼!)、あなたの代わりをするパーツは、いくらでも待機している。
地位や名誉にしてもそうだ。

 だからこの年齢になってはじめて私は、自分のしてきたことに、意味を見出し始めている。
だれもしなかった道。
少しおおげさな言い方になるかもしれないが、未開の原野を歩いたような満足感。
子どもたちと接しながら、20代のときや30代のころには感じなかった(楽しさ)を覚え始めてい
る。

 「おじいちゃん」とか、「ジジイ」と呼ばれながら、幼児を相手にする。
それが楽しい。

●最後に

 親は子どもを産むことで、親になるが、しかしそれだけで親になったとは言えない。
親である以上、学習を怠ってはいけない。
つねに学習、あるのみ。
相手は、人間の子どもである。
とくに子どもの心理についての学習は、必要不可欠。
この世界には、『無知は罪悪』という格言もある。

 私が考えた格言だが、親の無知が、子どもの心をゆがめるケースは少なくない。
言うなれば、無知ほど、恐ろしいものはない。
たとえばかん黙症の子ども(年中女児)に向かって、「どうしてあなたは、もっと大きな声で話せ
ないの!」と叱りつづけていた母親がいた。

 親の過干渉や過関心で、萎縮してしまう子どもとなると、ゴマンといる。
精神障害の引き金を引くケースも少なくない。

 だから『無知は罪悪』。

 ざっと自分の人生を振り返ってみた。
あなたの子どもを再認識するための一助になれば、うれしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 幼児教育論 私の人生 はやし浩司の人生 幼児教育)


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司※

【雑感・あれこれ】
(あまり深く考えないで、思いついたまま……)

●TOSHIBAのミニ・ノート

 今日、ネットで、TOSHIBAのミニ・ノートの価格を調べたら、3万円前後にまで下落してい
た。
10月6日に、私は、3万5000円前後で購入したから、2週間足らずの間に、5000円も下落
したことになる。
WINDOW7の発売を前に、各社がパソコンの叩き売りを始めたよう。
パソコンは、今が買い時?

 自分のパソコンを叩きながら、「お前の価値は、3万円だよ」と話しかける。


●「♪オラは死んじまったぞ」

 私が学生のとき、「♪オラは死んじまったぞ……」という歌があった。
大ヒットした。
どこかのスナックで、はじめてそれを耳にしたときの衝撃を、今でも忘れない。
その歌を歌っていたメンバーの1人の、KTという人が、自殺したという。

 享年62歳。
あと10日前後で、私も満62歳になる。
だからこういうニュースを耳にするたびに、ドキッとする。
気が重くなる。
理由はわからないが、「音楽に行き詰った」というような遺書が見つかったという。

 62歳といえば、まだこれからではないか。
何があったかは知らないが、……この先が書けない。
(5分ほど、時間が過ぎた。
目の前では、ワイフが、ウォーキングマシンの上で、黙々と運動をしている。)

 人の死だけは、軽く論じてはいけない。
静かに冥福を祈る。


●年賀状

 2010年の正月から、年賀状を再開する。
この数年、年賀状を出すのをひかえてきた。
枚数も、一時の10分の1以下にしてきた。
しかし2010年から再開。

 「これからは、一生、つきあう人だけに出そう」と。
ワイフも、快く、賛成してくれた。
で、古い、宛名書きソフトを取り出して、ノートブックにインストールしてみた。
ソフトは、「筆まめ・15」。
OSはビスタだったが、難なくインストールできた。
新しく70人前後の住所と名前を、登録。
そのあたりで疲れてしまい、今日の作業はここまで。

(追記)これを書いたあと、近くのパソコンショップで、「筆まめ・20」
というのを購入してきた。
以前は毎年のように購入していたが、「15」から「20」へ。
5年間もブランクがあったことになる。
さっそくインストールしてみた。
が、機能的には、ほとんど差がなかった。


●K国の政治犯収容所

 K国には、何か所か政治犯収容所というのがあって、現在、15万人前後の人たちが収容さ
れているという。
1日10時間労働。
死ぬまで働かされるという。
まあ、何もかもメチャメチャな国だから、今更驚くこともないが、そういう国が、すぐ隣にあるとい
うこと自体、信じられない。

 いつか今の時代が、K国の人たち自身によって総括されるときがやってくるだろう。
そのときたとえば収容所の責任者たちは、どのように処罰されるのだろう。
あるいは自らを、どう恥じるのだろう。
あるいは、どこかへ逃げてしまうのだろうか。
文化のない国、人間性に欠ける国は、恐ろしい。
本当に恐ろしい。


●国の予算、90数兆円!

 民主党政権になってからはじめての、国家予算の概略が発表された。
その額、90数兆円。
日本の国家税収が、40数兆円だから、その倍以上の額ということになる。
(昨日のニュースによれば、40兆円に足らなくなるかもしれないとあった。)
わかりやすく言えば、月収40数万円の人が、90数万円の生活をしていることになる。
差額の50数万円は、借金。
しかも、だ。
驚いていけないのは、公務員の給料(人件費)だけで、38兆円。
国家税収の95%を、自分たちで使っている!

 ふつうなら生活の質を落として、借金の額を減らす。
公務員の人件費を減らす。
それができないところに、日本経済の硬直性がある。

 しかし日本の経済は、安定している(?)。
ここが日本経済の不思議なところ。
韓国の新聞は、15年近くも前から、「今に日本は、破綻する」と書いている。
が、いまだに破綻していない。

 理由の第一は、日本という国は、外国からは、お金を借りていない。
言うなれば、一家のおやじが、息子や娘たちからお金を借りている。
だからのんき。

 理由の第二は、日本という国は、いわゆる国有財産というのをもっている。
その額が、100兆円はあると言われている。
だからのんき。

 日本経済はあぶない、あぶないと言われつづけて、もう15年。
しかし日本の(円)には、まだまだ力がある。
その(力)だけで、何とか、生き延びている。

 アメリカのドルにしても、そうだ。
本来なら、紙くず同然になってもおかしくない。
しかしそのドルをほしがる国がある以上、アメリカ政府は、印刷機を回せばよい。
が、それにも限度がある。
ドルを大量にかかえこんでしまった、日本や中国は、アメリカがこけたら最後、大損をすること
になる。

 数日前、中国が、アメリカにドルを安定させるように注文をつけた。
当然のことである。
一方、この日本は、アメリカの機嫌を損ねたらたいへんと、手持ちのドルを売ることもできな
い。
ほかの通貨や金(きん)に交換することもできない。

 これは時限爆弾のようなもの。
(それとも腐れ縁?)
しかしこんな状態がいつまでも、もつはずがない。
明日かもしれない。
来年かもしれない。
またドカーンと爆発する。
そのとき日本は、本当に破産する。


●ワイフの妹さん

 美しい人といえば、私のワイフの妹さんは、美しかった。
残念ながら、私のワイフより、ずっとずっと美しかった。
その妹さんに、おととい、会ってきた。

 若いときから活動的で、何ごとにも積極的。
行動派で、バイクに乗ったり、少林寺拳法をたしなんだりしている。
その妹さんも、もうすぐ60歳になる。
今でも美しい人だが、「この人も60歳なんだなあ」と思ったとたん、生きることの切なさを、しん
みりと感じた。

 みんな順送りに歳を取り、若い人たちががんばる分だけ、私たちはそのワクの外に追い出さ
れていく。
今は、それを少しずつ、受け入れていく。
受け入れながら、生きていく。


●同窓会名簿

 数日前、高校の同窓会名簿が送られてきた。
G県でも、かつては3本の指に入る名門校だったが、今は、見る影もない。
G県でも名だたる、ボトム(最下位)校になってしまった。
同窓会に出ても、そんな話ばかり……。

 その同窓会名簿を見ながら、名簿の各年度末ごとに書いてある、「物故者」という言葉が気
になった。
「すでに亡くなった人」という意味はわかるが、私ははじめてこの言葉に出会った。

 その中に1人、旧制YM君という名前があった。
高校を卒業すると同時に、警視庁の機動隊に入隊したというところまでは知っている。
当時、かなり話題になった。
背が高く、スポーツマンだった。
私の家から、歩いて1分足らずのところに住んでいた。

 同窓会名簿を見ながら、どういうわけか、そのYM君がとくに気になった。

 しかし「物故者」というのは、どういう意味なのだろう?
どうして亡くなった人のことを、「物故者」と言うのだろう?

(補記)
「物故(ぶっこ)」というのは、「人が死ぬこと」(三省堂国語辞典)とある。
だから「物故者」というのは、やはり「亡くなった人」ということになる。
だったら、素直に、「亡くなった人」でもよいのでは?
「亡くなられた方」なら、もっとよい。
「物」というと、「モノ」を連想してしまう。

 次回発行の同窓会名簿には、「物故者……林 浩司」と、名前が載るかもしれない。
 

●「白」

 私はデジモノは、「白」が好き。
パソコンにしても、デジカメにしても、白が好き。
できるだけ白を選ぶ。
選ぶが、買うときになると、おかしなことに、その直前に、ほかの色にしてしまう。
どうしてだろう?
そしてしばらく使ったあと、「白にすればよかった」と後悔する。

 ビデオカメラは、赤色。
最近買ったミニ・パソコンは、茶色。
デジタルカメラは、黒色。
ひとつだけ例外なのは、ノートパソコン。
純白の「白」。
そのパソコンだけは、たいへん気に入っている。

 これは私のどういう心理によるものなのか。
好きな色に、あえて背を向けてしまう。
私の心は、どこかゆがんでいる。


●夢

 私たち夫婦は、結婚以来、ずっと一枚の布団の中で眠っている。
昨晩のように寒い夜は、ワイフの温もりがありがたい。
が、それだけではない。
体を離して眠っていると、私は、恐ろしい夢を見る。
子どもの世界には、母子分離不安症という言葉があるが、私のは、さしずめ、「夫婦分離不安
症」ということか。

 恐ろしい夢といっても、お化けが出るとか、そういうのではない。
どこかの見知らぬ場所で、迷子になってあわてふためく。
まちがった電車に乗って、どこかへんなところへ行ってしまう。
「そんな夢のどこがこわいのか?」と聞かれそうだが、私には、こわい。
そういうときはあわてて、ワイフにしがみついていく。

 62歳の男が、夢がこわくて、ワイフにしがみついていく?
まあ、そういう私だから、分離不安症の子どもを見かけたりすると、私は母親にこう言うことにし
ている。
「いいから、抱いてあげなさいよ」と。


●薬ジュース

 たとえば頭痛薬をのむ。
漢方薬をのむ。
そういうとき私は、それらの薬をお湯に溶かして、小さなペットボトルに入れる。
それを少しずつ、チビリチビリとのむ。
言うなれば、点滴方式。

 本当は血中の濃度を一気に上げて、薬の効果を高めたほうがよいのかもしれない。
しかしその方法だと、肝臓に負担がかかる(?)。
だからこうした薬は、チビリチビリとのむ。

 こののみ方が正しいのかどうかは知らない。
しかし私のばあい、この方法で、今のところ、うまくいっている。
薬の効き方もおだやか。
胃もやられない。
ふつう甘いジュース類を混ぜてのむことが多いので、私は、勝手に「薬ジュース」と呼んでい
る。

 とくに2〜3種類の薬を混ぜてのむときは、この方法を使っている。


●モザイカルチャ博

 近くのフラワーパーク(浜松市運営)で、モザイカルチャ博というのを、やっている。
一応、「国際博覧会」。
しかし盛り上がりは、イマイチ。
ふつうなら、子どもたちのほうから話題が出てきそうなのだが、そういう話題が聞こえてこない。
私たち夫婦も、まだ行っていない。

 モザイカルチャというのは、平たく言えば、木や草花を使った造形美術のこと。
私は、それがどういうものであれ、そういうものには、あまり興味はない。
木にせよ、草花にせよ、自然なままの姿のほうが、好き。
それを無理にひん曲げたような作品(?)には、どこか痛々しさを覚えてしまう。

 今日も、昨日も、野暮用で、フラワーパークの前を車で通ったが、「見てみたい」という思いは
起きてこなかった。
本来なら、デジタルカメラに収めて、私が発行している電子マガジンを飾りたいのだが、そうい
う意欲がわいてこない。

 草花を使って作った、うなぎのモザイを見たからといって、それがどうだと言うのか。
そんなものを見て、感動する人などいるのだろうか?
私には、どうも理解できない。

 どうであるにせよ、一度は行ってやる。
浜松市民のこれは、義務のようなもの。

(ということで、明日、見に行くことにした。)

(注)「モザイ」というのは、「モザイク」のこと?
旺文社の国語辞典によれば、「モザイク」……「さまざまに彩色した大理石,ガラスなどの小片
を組み合わせて床や壁にはめ込み,装飾したもの」とある。

(補記)
10月18日、そのモザイカルチャ博に行ってきた。
途中まで車で行って、そこからシャトルバスで会場まで。
日曜日ということもあって、混雑していた。

浜松市民の努めを果たした。
が、評価は、星2つの、★★。

何が悪いかといって、食べ物屋。
値段ばかりが高くて、ま・ず・い。
東南アジア系、南アジア系の店が、ベニア板で建てたような即席の店で、それぞれの国の軽食
を売っていた。

車の駐車料金が、1000円。
入場料が、1800円。
その上、ギョーザの揚げ物風のもの(スリランカ)が、3個で500円。
紙皿のカレーライスが、800円前後。
ソフトクリームが、300円。
公営(=税金)で運営しているのだから……という期待は、ここ浜松市では通用しない。
役人たちが、目いっぱい、儲けている!

会場のフラワーパークへは、1年に1〜2度は足を運んでいる。
しかし「やるべきことはやります」「言われたことしかしません」「それ以上のことはしません」と。
いつ行っても、無難第一主義ばかりが目立つ。

一度でたくさん。
一度でこりごり。
何が国際博覧会だ!


●脳みその底の穴

 脳みその底には、穴があいている。
たしかにあいている。
その穴が、加齢とともに、どんどんと大きくなっていく。
たとえるなら、バケツの底の穴。
水がこぼれるように、知識や知恵が、そこから外へ、どんどんとこぼれ出ていく。

 たった1週間前に覚えたことですら、忘れてしまうということも、よくある。
もっとも最近の脳科学の研究によれば、脳みそには、そういう作用もあるということがわかって
きた。
いわば、脳の掃除のようなもの。
脳が勝手に、脳みその掃除をする。
それがあるからこそ、脳みそは、いつも軽快に動く。

 が、先週、私はこんな経験をした。
脳みそがスランプ状態になってしまい、書きたいことはたくさんあるのに、それを文としてまとめ
ることができない。
あせればあせるほど、脳みそが勝手に空回りをしてしまう。
そうなってしまった。

 「いよいよボケの始まりか?」と、かなり心配したが、昨日あたりから、また調子が戻ってき
た。
ほっとした。

 つっこみはまだ甘いが、しかしキーボードを叩く指の動きは悪くない。
この状態をしばらくつづけていると、またものを書けるようになる。
思考能力が高くなり、つっこんだ文章が書けるようになる。

 今は、その慣らし運転といったところ。
読んでくれる人には申し訳ないが、今は、そういうときと思って、どうかがまんして読んでほし
い。
あと数日もすれば、さらに調子が戻ってくるはず。

 で、今回、調子が悪くなったのには、理由がある。
ちょうど1週間前に、「怒りのメカニズム」というテーマで原稿を書き始めた。
何度も何度も、迷った。
書き直した。
それがよくなかった。
書いているうちに、自分でも何を書いているか、よくわからなくなってしまった。
それでまた最初から書き直し。

 要するに、思考がループ状態になってしまった。
こうなると、思考は停止したのと同然。
それで調子が狂ってしまった。

 で、いくら脳みその中をさがしても、頭の中は、カラッポ。
新聞を読んでも、本を読んでも、読んだ先から、内容を忘れてしまう。
まるで脳みその底に穴があいたような状態になってしまう。

 しかしこれだけは言える。

 文章というのは、毎日、書くこと。
その努力を怠ったとたん、文章というのは、書けなくなる。
書けるかもしれないが、自分の考えていることを、的確に表現できなくなる。
まとめられなくなる。

 今夜は早く寝て、明日から、またがんばろう!
そうそう、明日は、モザイカルチャ博に行くことになっている。
写真は、電子マガジンのほうに掲載する。
お楽しみに!
(10月17日の夜に)


Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司

●不安な子育て

【佐賀県にお住まいの、Kさん(母親)より、はやし浩司へ】

++++++++++++++++++++++++++++++

佐賀県にお住まいの、Kさん(母親)より、こんな相談のメールが
届いています。
子どもの不登校の問題です。
この問題を、みなさんといっしょに、考えてみたいと思います。

++++++++++++++++++++++++++++++

【Kさんより、はやし浩司へ】

こんばんは。
 
メールのお返事本当にありがとうございました。パソコンに不慣れなもので、このメールも送れ
ているのか心配ですが・・・。
 
文字化けした部分は母子登校を続けるべきなのかということです。学校恐怖症というのも拝見
しました。

実は今日先生とお話して明日から送迎はするけれど、教室まではついていかないようにすると
いう取り決めをしてきたのです。でもメールを拝見するとそれはかえってよくなさそうです
ね・・・。

でも私のなかでまだ学校は行かなくてはならないところという気持ちが、100%に近いです。引
きずってでも連れていくのは、私はしたくありませんが、私がついていくなら学校へ行くというな
らついていって連れていくべきなのでしょうか? そして教室にいるべきでしょうか? 私自身、
教室にいるとほかの子と比べたり、なんで私だけここにいるのだろうと、悲しくなってきます。

親としては今行かないとずっといけなくなる不安が襲ってきます。これが高学年とか中学生なら
休ませているでしょうが、私は低学年からいかないなんて、どんな将来があるのかと思ってしま
います。
 
今までの息子に対する子育ては本当に大変でした。まわりの人たちに、いい子だねとよく言わ
れるのです。私はそれがずっと嫌で私が息子に圧力をかけてしまっていたと反省の日々でし
た。私の身近に精神病を抱えた人がいて、その人がまさに小さい頃いい子だねとか親のいうこ
とをよくきく子ででもある時から親を困らせていて、自分もこんな未来が待っているのかと毎日
考えてしまいます。

息子はとにかく人前ではにこにこ明るくあまりもめごとをしないことです。でも今まで家ではいち
いち文句いったり、癇癪をおこしたり、てこずる場面が多くて障害があるのかと考える時もあり
ます。

私からみた息子は感受性が強く、小さな頃から大人の会話に混ざろうとしたり、まだわからなく
ていいことがわかったり、カンが強くていろんなことをわかりすぎる半面、幼さゆえに処理しきれ
なくて悩むといったところが、私の見たところだけですが、そう感じます。

よくいろんなことに気がつくしいろんな状況をみて判断したりできる半面、あんなことできるのに
ここができないの?と、思ってしまう部分もあります。小さなときから大人と話しているみたい
で、私も子供ではなく大人と話している気分になってしまい、息子の返答がおかしなときに、子
供らしいと思ったり、大人っぽくみずぎて、この子おかしいと思ったりしてしまいます。ついつい
7歳ということを忘れてしまいます。

気になる点は多々ありますが、なかなか次の行動にすんなりうつることができないことです。お
風呂とか小さいころからすんなりいきません。あと記憶力がものすごいです。こちらがこわくな
るほどです。
 
息子は本当に今まさに私の不安定さを見事に見抜いています。ついついぼーっとしてしまうと
楽しくないの?とか、ご機嫌取りしにきます。分離不安の症状がでてから、すごく私の言うことを
聞こうとしていて、私はそれが気持ち悪いのです。今の私は息子に対して否定的でほんとにい
けないなあとおもいます。

たぶん何か言ったことに対して反抗的ならほんとうにこの子は言うことを聞かないからおかし
い、と思い素直に、はいと返事されると気持悪いしといったかんじです。今は見捨てられ不安の
ためすごく言うことを聞いていたり、わかっていることをわざわざ言いにきたりそういうときに、
私がいらっとした態度や表情をしてしまいます。
 
先週、学校に行けなかったときに水族館に出かけてきました。そのこともまわりから賛否両論
で私は家で、テレビを見たり、ゲームをやってたら腐っちゃうと思って連れ出したのですがまわ
りから楽しませたら、余計行きたくないんじゃないかといわれましたが、メールをみて安心しまし
た。
 
今の私は日々が辛くて辛くて、もしもう一度人生があり、結婚したならば子供を持たないという
選択をしてしまうぐらいどん底です。かけがえのない宝なのですが・・・今の私は子育てが辛い
です。でも守るのは私たちしかいないですもんね。私自身、小さなころから感受性が強く、今の
息子みたいにいろいろなことを感じてしまい、辛い思いもしてきて、今の息子をよみとろうとしす
ぎる部分も、私自身を追い込んでるきがします。間違ってとらえたりもしているだろうけど、昔の
自分と重ねてしまっているなあと思います。
 
書きたいことがいろいろありすぎて何からかけばいいのか、てんでばらばらな文章になってしま
いましたがすみません。きっと忙しい方だからメールくるなんておもってもみませんでした。本当
にありがとうございます。少し気持ちが楽になりました。またきっと不安になってメールすると思
います。よろしくお願いいたします。
 
【はやし浩司より、Kさんへ】

 「子どもを、全幅に心を開いて信じきれない、母親の葛藤」ということになります。
子どもというのは、親の心をそのまま引き継いでしまいます。
親が「不安だ、不安だ」と思っていると、子どもの方も、自分に自信がもてなく、自己評価力をさ
げてしまいます。「ぼくは、ダメな子なんだ」とです。

 そういう点では、子どもは、親の(思い)どおりの子どもになるということです。
「うちの子は、すばらしい」「できがいい」と思っていると、その子どもはハツラツとしてきます。
そうでないと、そうでない。
不安先行型の子育てのこわいところは、ここにあります。
Kさんの不安、心配は、恐らく妊娠したときから始まっています。
それが出産→育児→現在……とつながっています。

 原因は、母子関係の不全ということになりますが、さらにさかのぼれば、Kさん自身と、Kさん
の母親との関係が、疑われます。
KさんとKさんの母親との関係も、不全だったということになります。
これを子育ての世界では、「世代連鎖」と呼んでいます。
つまりKさんは今、自分が受けた子育てを、そっくりそのまま、自分の子育てで再現していると
いうことです。

 Kさん、あなたは、あなたのお母さんの前で、いい子(=人形子)だった。
言いたいことも言えず、がまんし、心を開いて、甘えることもできなかった。
あなたはいい子でいることで、母親に認められようとしていた……。

 少しきびしいことを書きましたが、実のところ、あなたは自分の子どもにさえ心を開けないで
います。
ひょっとしたら、あなたの夫に対してさえも、心を開けないでいるのかもしれません。
「もっと心を開きなさい!」と書きたいのですが、この問題を解決するためには、この先、5年と
か、10年とか、長い年月がかかります。

 しかしそうであることに気がつけば、長い年月をかけても、この問題は解決します。
そのつど努力して、自分の心を開いてみてください。
(いい人)ぶるのを、やめるのです。
居直るのです。
「私は私だ」と、です。

 で、今、あなたの子どもが、同じことを繰り返しています。
あなたはそういう子どもの中に、自分の過去を見ています。
それが不安の原因と考えてください。

 昨日もらったメール(一部、文字化け)を、そのまま紹介させてください。

++++++++++++++++++

【Kさんより、はやし浩司へ】

息子の分離不安で悩んでおります。9月の5連休ごろから様子がおかしくなり、ママがいなくな
るのが怖いといい、登校しぶりがでています。保育園時代から毎年年に1回1か月ほど登園拒
否があります。いつも秋ごろでだいたい同じ時期にでます。年中までは登園拒否でしたが、マ
マがいなくなるという不安を訴えるのは、去年の登園拒否のときからです。

その時は1か月ほどでぱたっとなくなりました。でもまた今年も同じ症状がでて対応にこまって
おります。家の中でも私を探したり、友達と遊びに行くのもお迎えの時間を何度も確認して絶対
迎えにきてねと念をおします。現在学校へは母子登校しています。今身体的にでている症状は
腹痛、頭痛、吐き気、チックです。

特に朝腹痛をうったえます。授業中も集中力がとぎれると、おなか痛い、寒い、疲れた、もうや
りたくないと私に助けを求めます。頑張れている時もあるのですが、私が学校にいることが彼
にとっていいのかぎもんです。私がいることによって甘えがでてしまい逃げ出す姿勢にさせてし
まっているのではないかとおもってしまいます。先生は無理して学校にこなくていい、早退す
る?それともお母さんにずっといてもら

……(以下、文字化け)……

……息子には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。ちいさなころから甘えさせてなかった
り突き放した態度ばかりで下の子たちの入院で1か月以上離れて生活したり、執拗に怒りすぎ
たり手もあげたりしました。本当に今は反省の日々です。もう過去にはもどれないけど今からで
も間に合うのでしょうか。彼の心に傷をつけたと自分を責める毎日です。

小さなころから育てにくく癇癪をおこしたり、何か障害があるんじゃないかと思ったこともありま
す。ここに書ききれないくらいいろいろありますが今家族みんなが不安定で下の子たちも不安
定になっていきて私自身子育てが辛すぎて苦しい日々です。少しでもお力を御貸しいただける
ことを、ねがっております。

++++++++++++++++++

【Kさんへ、はやし浩司より】

 子どもは、あくまでも家族の(代表)です。
子どもに何か問題(?)があると、親は、懸命に、子どもに向かってそれを直そうとします。
しかしこの見方は、親の身勝手というものです(失礼!)。
子どもに何か問題が起きたら、まず自分を疑ってみる。
子どもは、家族のかかえる問題を、別の形で表現しているだけです。
「代表」というのは、そういう意味です。

 以下、気がついたことを、箇条書きにしてみます。

●「どうしてうち子だけが……」

 子どもに何か問題(?)が起きると、ほとんどの親は、「どうしてうちの子だけが……」と悩みま
す。
これは共通した親の心理と考えてください。
しかし実際には、問題のない子どもはいないし、みな、そうした問題をかかえながら、必死に闘
っているのです。
(外からはわかりませんが……。)

 Kさんのメールを読んでいて気になるのは、その視野の狭さ(失礼!)です。
読んでいるだけでも、読んでいる私の方が窮屈に感ずるほどです。
「学校とは、100%、行かねばならないところ」という部分もそうですが、人生観そのものが、狭
い(失礼!)。
「まだ幼いうちからこうでは、先が心配でならない」という部分も、そうです。

 Kさんの子どもは、いわば、心の風邪をひいて、熱を出している。
それを見て、「将来が心配」は、少し飛躍しすぎています。
それともKさん自身が、子どものころ、「学校とは行かねばならないところ」と、親にも迫られ、K
さん自身も、そういう形で、自分を追い込んでいた(?)。
学校神話というのは、それを言います。
日本人は、明治の昔から、そういう意識を叩きこまれていますから、それが今でも亡霊となっ
て、親や子どもたちを苦しめているのです。

 アメリカ人でも、オーストラリア人でも、彼らは、学校に対して、もっとおおらかに考えています
よ。
カナダ人は、もっとそうです。
学校の設立そのものが、自由です。
教科書なんて、もちろんありません。
どの子も、小学生のときから、落第(ドロップアウト)を自由に経験しています。

 が、日本人だけは、「学校、学校、学校……!」と。
バカみたいと言ったら、失礼かもしれませんが、少なくとも外国の人から見れば、そうでしょう
ね。

●母子登校

 母子登校など、何でもないことですよ。
いっしょに学校へ行ってあげてください。
他人の目が気になるようでしたら、そういう人たちは、河原の石ころとでも思えばよいのです。
まず、あなた自身が、心を開き、大きくなることです。
子どもの心だけを見て、行動すればよいのです。

 最近では、子どもを見る親たちの姿勢も変化してきました。
あなたが明るく、さわやかに母子登校をつづければ、みなも、あなたを暖かく見守ってくれるで
しょうし、あなたのすばらしさ(=度量の広さ)に感銘を受けるはずです。
もっと自分に、そして自分のしていることに自信をもちなさい!

 「私はすばらしい親だ」とです。

 ただ誤解がひとつ、あります。
症状だけを見ると、母子分離不安症のようにも思えますが、神経症による症状もいくつか出て
いますので、やはり「学校恐怖症」に準じて考えたほうがよいでしょう。

 7歳という年齢からして、母子分離不安症だけでは、そういった症状は出てきません。
学校恐怖症については、「はやし浩司 学校恐怖症」で検索してみてください。
(これは前回の返事で書いたとおりです。)

 ときどきパニック状態になりますが、どうかじょうずに、パニック期を乗り越えてください。
コツは、「学校恐怖症」のところで書いたように、無理をしないことです。
ここで無理をすると、本当に不登校児ということになってしまいます。
しかも、長期の、です。

●カルト抜き

 Kさんの心には、学校神話が、骨のズイまでしみ込んでいます。
「学校絶対教」と言ってもよいかもしれません。
それを抜くのは、たいへんなことです。

 しかし現実には、アメリカだけでも、ホームスクーラー(=家庭で教育を受ける子ども)が、20
0万人を超えていますし、EUでは、さらに教育が自由化されています。
みんな学校などほったらかしで、クラブ活動に専念しています。
そういう(自由ぽさ)を見るたびに、「何だ、この日本は!」と、私は感じてしまいます。
あえて言うなら、Kさんも視野を広めて、もう少し高い視点から、一度、子育てを考え直してみた
らいかがでしょうか。

 大切なことは、子どもが生き生きと、自分のしたいことをしながら、自分を見つけていくことで
す。
Kさんは、自分の子どもがいい子ぶることを心配していますが、そういう子どもにしているの
は、Kさん自身なのですね。
つまりあなた自身が、子どもにその「型」をあてはめようとしている。
子どもにしても、あなたは息苦しい母親だと思います。

 何をしても、親が心配そうな目つきで、自分をながめている。
何をしても、「あれはだめ」「これはだめ」と言われる。
私があなたの子どもだったら、「バカヤロー!」と言って、家を飛び出してしまうかもしれません
よ。

 仮に、あなたの子どもが学校へすんなりと通うようになっても、あなたの心配や不安は消えま
せん。
あなたはまた別の新たな心配や不安の種を見つけてきては、心配し、不安に思うのです。
「うちの子は、B中学校に入れるかしら?」
「友だちと仲よくやっていかれるかしら?」とか、など。

●これはあなたの問題です

 あなたはあなたで、好きなことをすればよいのです。
目が一方的に、子どもの方ばかりに向いている。
過関心というのは、今のあなたのような状態をいいます。

 親ではなく、妻でもなく、女でもなく、ひとりの人間として、したいことをさがし、それに向かって
進みます。
そういう形で、自分の中から、子どもを消していきます。

 (あるいは、これはあくまでも私の推測ですが、ひょっとしたら、あなたは、あなたの夫に対し
て、おおきなわだかまりをもっているのかもしれません。
不本意な結婚であったとか、あるいは愛情を感じない結婚生活であったとか、など。
それが子どもの問題として、転移している(?)。
そういう可能性もありますから、一度、考えてみてください。)

 どうであるにせよ、ここは自然体で!
あまり深く考えないで、学校の先生と相談して、母子登校が必要であれば、すればよいでしょ
う。
「取り決め」などという、恐ろしい言葉は使わないこと!
そんなものを取り決めて、どうするのですか?
子どもの心と、そのときの状況を見て、自然体で判断してください。

 また、今、そうであるからといって、この先も、ずっとそうであると考えてはいけません。
そういうのを、「取り越し苦労」と言います。
へたをすれば、あなた自身が、育児ノイローゼ(=うつ病)になってしまいます。
すでにその傾向が強く見られます。

 それについても、「はやし浩司 育児ノイローゼ」で検索してみてください。
いくつか記事をヒットできるはずです。

●子どもが親を育てる

 悪いことばかりではありません。
今、こうして問題にぶつかりながら、実は、あなたは成長しているのです。
あなたは自分の子どもを見ながら、自分の過去まで見ようとしている。
自分を知ろうとしている。

 コツは、「十字架のひとつやふたつ、背負ってやろうではないか」と居直ることです。
その思いっきりのよさというか、割り切りが、あなたの心に風の穴を開けます。
風通しをよくします。

 大切なことは、今、そこにある(運命)を受け入れてしまうということです。
あなたの子どもがそうであるなら、そうであると、受け入れてしまうことです。

 運命というのは、それを避けようとすればするほど、キバをむいて、あなたに襲いかかってき
ます。
しかし一度受け入れてしまえば、向うから、シッポを巻いて退散していきます。
童心に返って、母子登校を、いっしょに楽しみなさい!
楽しむのです。
人生は一度しかありませんよ!

 それにそういう思い出……つまり、子どもの心を守り切ったという思い出ほど、あとあと光り
輝きます。
親子の絆をすばらしいものにします。
仮に万が一、不登校児になったとしても、です。

 そしてあなたはあなたで、自分の運命を受け入れます。
もうそろそろその時期に来ています。
「私は私」と、自分を受け入れてしまうのです。

 そこは実におおらかで、すがすがしい世界です。
『あきらめは、悟りの境地』という格言は、私が考えた格言ですが、あなたも一度、経験してみ
てください。

●では、どうするか?

 『許して、忘れる』……何か苦しいことがあったら、この言葉を、心の中で何度も念じてみてく
ださい。
昔、私が学生のとき、オーストラリアの友人が教えてくれた言葉です。
私の子育て観の根幹にもなっている言葉です。

 これも、「はやし浩司 許して忘れる」で検索してみてください。
その意味をわかってもらえると思います。

 それとやはり心配なのは、Kさん、あなた自身の心の問題です。
私にも似たようなところがあります。
そういうときは、カルシウム分、カリウム分、マグネシウム分の多い食生活(=海産物)に心が
け、あとはハーブ系の安定剤を服用しています。
内科でも、軽い安定剤を処方してくれますので、ひどいときには、それを口の中で溶かしてのん
でいます。

 一度、ドクターと相談してみてください。

(1)求めてきたら、すかさず。
これについては、先に書いたとおりです。

(2)二番底、三番底に注意
こうした問題には、必ず、二番底、三番底がありますから、注意してください。
多くの親は、こうした問題をかかえると、「今が最悪」と思います。
しかしその下には、さらに最悪の状態が、待ち構えています。
ですから、「最悪」と感じたら、今の状態をこれ以上悪くしないことだけを考えて、対処します。

なおそうとか、そういうふうに考えていけません。
とにかく現状維持です。
今は、何とか学校に通っていますから、今の状況を大切に!
あとは半年単位、1年単位で、子どもの様子を観察します。
1〜2週間程度の範囲で、一喜一憂してはいけません。

また今こそ、あなたの真の愛が試されているときです。
親は子どもを産むことで、親になりますが、しかし真の愛への道は、遠くて険しいものです。
ですから勇気をもって、前に進んでください。
そういう姿に、みなが、気高さを感ずるようになるでしょう。

顔をゆがめてはいけません。
暗い表情をしてみせてはいけません。
明るく、さわやかに、みなにこう笑って言うのです。

「ハハハ、うちも母子登校ですよ」と。

(3)先生と父親との連携プレーを大切に
この問題は、あなたひとりでは、荷が重すぎます。
ですから、学校の先生や、あなたの夫との連携プレーを大切に。
今のあなたはひとりで問題を抱え込みすぎています。
自分に責任を求めすぎています。

いいですか、今、あなたがかかえている問題など、何でもありませんよ!
今どき、不登校など、何でもない問題です。
母子登校にしても、保健室登校にしても、何でもない問題です。
それで子育てに失敗したとか、私はだめな母親だとか、そういうふうに考えて、自分を追い詰
めないこと。

私のマガジンでも読んで、もっと視野を広くしてください。

たまたま昨日、別の母親から、こんなメールが届いています。
紹介します。

++++++++++++++

M件のEさんより

++++++++++++++

はやし浩司 様

いつもHPの記事で勉強させていただいております。
5歳の息子と2歳の息子がいます。
先生があちこちで何度もおっしゃっている通り、
上の息子に対しては、不安先行、心配先行の子育てをしてきました。
(今でもその気はまだあると思います…)

若干、上の息子に神経質な面があると感じられるのは、そのせいだと思います。

…ここまで書いて、あとが続かず、そのままメールソフトの下書きに保存していました。

当時、5歳と2歳だった息子は、7歳と4歳になりました。
上述のようなことを自分で書いていたことが信じられないほど、
今は、楽な気持ちで子どもと過ごしています。

イライラしたりすることもありますが、
子どもたちに対して、不安や心配に思うことは、ほとんどありません。

子どもたちを見て、そのままでいいと思い、細かいことにこだわらない。
それだけで、こんなに楽になるとは思いませんでした。

神経質な面があるなと思っていた上の息子が、
意外と動じないところがあったり、飄々としていたり、
こんな子だったんだ、と面食らう思いです。

下の息子は、最初から、ものすごくあけっぴろげで、
いつもニコニコしており、
「ありがとう」「ごめんね」「可愛いね」「きれいだね」
という言葉を、なんのてらいもなくスッと口にできる子どもです。
荷物を持っていれば、「持ってあげる!○○、力持ちだから!」と言い、
私が台所で何かしていると、「手伝ってあげる!これ、洗うね」と言い、
うーん、逆にオジャマなんだけどなぁと苦笑しつつ、
苦笑してしまうしかないくらい、ものすごく可愛げのある子どもなのです。

この下の息子が、非常にストレートに愛情を表現し、
上の息子は、それに比べるとわかりにくい感じだったのですが、
ここ最近は、素直に甘えてくるようになり、ああ、なんだか変わったなぁと思っています。
私の受け取り方、見る目が変わっただけかもしれません。

子育ての癖・心の癖は、なかなか治らないものだと思いますので、
できるだけ頻繁に先生の記事を読み、
いつも頭の中にあるよう、意識して心がけて行きたいと思っています。

これからも、どうぞよろしくお願いします。
先生とご家族の皆様のご健康をお祈りいたします。

++++++++++++++

【Kさんへ】

 では、今朝はこれで失礼します。
「心を解き放て! 体はあとからついてくる!」

 おはようございます。

浜松市・はやし浩司


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 B
W はやし浩司 不登校 母子登校 許して忘れる 許して、忘れろ 許して忘れろ はやし浩
司 学校恐怖症)


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司※

【書くことの意義】

●文章論 

文字が発明された。
文字がつながり、文章となり、意思の伝達方法となった。
そのとき、人は、石器時代に終わりを告げた。
当時ですら、ある程度の言葉があり、声の届く範囲内では、それなりの意思の伝達はなされた
であろう。
しかし文字の発明により、その範囲は恐ろしく広がった。
空間的な広がりだけではない。
過去から未来へと、時間的にも広がった。
が、それだけではない。

 論理的な思考は、文章を書くことによってのみ、可能である。
文と文をつなげるもの。
それが「論理」ということになる。
これについても、文章でなくても、論理的な思考は、ある程度は可能かもしれない。
しかしあくまでも、「ある程度」。

 このことは、自分で文章を書いてみると、よくわかる。
文章を書くということは、思考の連続。
(考えながら書く)→(書きながら考える)。
この操作を絶え間なく、繰り返す。

 が、そのとき、ひとつ大きな条件がある。
「人に読んでもらう」という条件である。
もちろん日記風に、プライベートな文章を書くということもある。
このばあいは、「人に読んでもらう」という目的はない。
が、それでも、文章にしたとたん、いつかはだれかに読まれることもあるだろうという思いをぬ
ぐい去ることはできない。
いつもどこかで、他人の目を意識する。

●読者の目

 が、ほとんどの文章は、「人に読んでもらう」ために書く。
たとえば今、私がここに書いている文章にしても、人に読んでもらうために書く。
そうである以上、一応、文章を書くについては、いくつかの作法がある。
その作法の部分で、これまた(考えながら書く)→(書きながら考える)。
この操作を絶え間なく、繰り返す。

●読んでもらう

 若いころ、ある雑誌社の編集長が、こう教えてくれた。
「文章というのは、まず、読んでもらわなければならない。
自分が書きたいことは、ぐいとがまんして、相手が読みたいことを書く。
『あなたは、すばらしい。あなたは、いい人だ』とね。
そしてその一部で、『こういう意見もありますよ』といって、自分の意見を入れる。
一部でも、入れられれば、御の字」と。

 これは雑誌社の編集長の言葉である。
雑誌という本のもつ性質上、そうかもしれない。
雑誌というのは、読者に買ってもらわねばならない。
だからそこに書く文章も、それに応じて、読者が読みたい文章でなければならない。
読んだ人が、気持ちよくならなければならない。
楽しまねばならない。
が、こうした場で、私が書く文章について言えば、そこまで読者に媚(こび)る必要はない。
私は私。
しかし、あのときあの編集長が教えてくれた言葉は、今でも、私が文章を書くときの柱になって
いる。
まず読んでもらわなければならない。

 そのためには、当然、読みやすい文章でなければならない。
読んで、読んだ人が、役に立つ文章でなければならない。
書くほうにしても、意味のない、ただの駄文など、時間つぶしにもならない。
つまり、時間の無駄。
そこでやはり、先の言葉に戻る。
(考えながら書く)→(書きながら考える)と。

●書くことの意味

 考えることの重要性については、今さら、改めて書くまでもない。
人は文字の発明によって、石器時代から抜け出ることができた。
が、つぎに考えることによって、それぞれの個人が、ひとり立ちすることができるようになった。
『考えるから、私は私』ということになる。

 もし考えなければ、人は人の範囲の中で、とどまってしまう。
その範囲で、生まれ、死ぬことになる。
ちょうど北海道のスズメも、沖縄のスズメも、スズメはスズメであるように、人は人。
一見すると、みな個性的に見える。
それぞれがそれぞれに、好き勝手なことをしているように見える。
しかしその範囲を超えることはできない。
つまりその範囲を超えるために、私たちは考える。

 その道具として、文字があり、文章がある。

●相対的次元

 このことは、反対に、考えない人を見ればわかる。
あるいは文章を書かない人を見ればわかる。
……といっても、その(ちがい)は相対的なもので、上には上がいるし、反対に、下には下がい
る。

 人はより深く考えることができるようになって、はじめて、それまでの自分が、つまらない人間
であったことを知る。
しかしそこでその人の立場が、固定するわけではない。
さらに深く考えることができるようになると、さらにそれまでの自分が、つまらない人間であった
ことを知る。
この繰り返し。

 文章についても、そうである。
つまりこうして人は、そのつどものを書き、ものを考えながら、より高い次元へと到達していく。

●思考の敵

 ところで、考えることには、いくつかの(敵)がある。

その第一が、思考のループ。
その第二が、思考の欠落。

 思考のループというのは、10年、あるいは20年一律のごとく、同じことを考え、同じ言葉を繰
り返すことをいう。

先日も、ある男性(66歳)と話していたら、何を勘違いしたのか、私にこう言った。
「あんたも男だろがア!」と。
久々に、聞いた言葉である。
「……だからそれがどうしたの?」と言いそうになったが、やめた。
私が相手にしなければならないような人ではない。
 
 で、そのあと、こう思った。
「この人は、この40年以上、思考が停止している」と。
今どき、こんな論理をふりかざす人は、少ない。

 また「思考の欠落」というのは、思考力はもちろんのこと、せっかく考えることで得た知識にし
ても、日がたつと、脳みその中から欠落してしまうことをいう。
ちょうどモノが欠けるように、ポロッと欠落してしまう。
さらに恐ろしいことに、それが加齢とともに、はげしくなる。
加速する。
たった1か月前のことですら、忘れてしまうということも珍しくない。

●気がつかないまま……

 思考のループにせよ、思考の欠落にせよ、なお悪いことに、そういう状態にありながらも、そ
れに気づかないということがある。
たとえば何も書かず、何も考えず、ついでに何も読まず、ボーッと、1か月を過ごしたとする。
 
 その1か月の間、思考はループ状態のまま、同じところをクルクルと回っている。
回っているだけならまだしも、思考の欠落によって、その半径が、どんどんと小さくなっていく。
 が、当の本人が、それに気づくことはない。
「私は私」と思っている。
あるいは、「今の私は、1か月前の私と同じ」と思っている。
しかし実際には、思考は欠落している。

●マイナスの一次曲線

 私はこのことを、ある特別擁護老人ホームに出入りしたときに知った。
要介護度4とか5になってくると、(当時は5段階だった)、大半の老人は認知症を併発し、家族
とですら、満足な会話ができなくなる。
一日中、大声で、「飯(めし)は、まだかア!」と叫んでいる女性もいた。

 が、そうした老人たちにしても、ある日、突然、そうなるのではない。
ある時期から、徐々に、少しずつ、時間をかけてそうなる。
もしその変化を、マイナスの一時曲線で表示できるとするなら、それはひょっとしたら、満50歳
くらいから始まるのではないか。

 このころから、知力、気力、思考力などが、下り坂に向かい始める。
その間に、思考はループ状態になり、思考の欠落が、つぎつぎと始まる。
話し方がぶっきらぼうになったり、かったるくなったりする人もいる。
気がついたときには、脳みそは半減し、さらに4分の1になる(?)。

●恐怖

 考えることの重要性は、何度も書いてきた。
が、(考える)ための方法は、ひとつではない。
ほかにもある。
しかし論理的にものを考えていくとなると、(書くこと)以外に、方法はない。
……と断言するのは、危険なことかもしれないが、私は、そのほかの方法を知らない。

 たとえば先週、私は4〜5日の間だったが、スランプ状態に陥ってしまった。
頭の中がモヤモヤとするだけで、何も書けなくなってしまった。
その前に何も考えることができなくなってしまった。
そのときのこと。
私は本当に、自分が、バカになってしまったように感じた。
「いよいよ認知症が始まったか」とさえ思った。
何かこまかい問題が起きても、それを頭の中で整理することすらできなくなってしまった。
同じことをクルクルと、何度も考えているだけで、前に進まない。

 とたん、あの特別擁護老人ホームで見た老人たちの姿が、頭の中に思い浮かんできた。
私にとっては、それは恐怖以外の何ものでもなかった。

●終わりに……
 
 こんな文章を書きながらも、その一方で、論理的な矛盾はないか。
文章に一貫性はあるか。
さらに読者の人に読んでもらって、それに耐えうる文章であるか。
そんなことに、気を配る。
つっこみは甘くないか。
文章に無理はないか。
他人を不愉快にするようなことはないか。
さらに私の書きたいこと、つまり読者のみなさんに伝えたいことが、的確に書けているか。
そんなことを、心配する。

 ……つまりこうした一連の操作が、(考える)ということになる。
(考えながら書く)→(書きながら考える)を繰り返す。
それがタイトルにあげたように、【書くことの意義】ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW 書くことの意義 思考のループ 思考の欠落 文章と思考)


Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司 

●兄弟論

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『兄弟は他人の始まり』という。
兄弟といっても、他人以上に他人になってしまう人は多い。
たがいに会うことはない。
連絡を取りあうこともない。

兄弟というのは、友人関係のように、一線を引けない。
引けないから、こじれるときには、こじれる。
とことん、こじれる。

親の介護問題がからんで、こじれるケースも目立つ。
相続問題など、金銭問題がからむと、さらにこじれる。
中には、……というより、そういう兄弟のほうが多いが、たがいに憎しみあう人もいる。
「兄貴を見ると、殺意を覚える」と言った男性(40歳くらい)もいた。
「だから兄貴とは、会わない」と。

が、世間一般では、「血のつながり」という言葉を使って、兄弟のあり方を定義づけようとする。
兄弟どうしの反目を許さない人もいる。
「ありえないこと」と言って、吐き捨ててしまう人もいる。
しかし実際には、そうでないケースのほうが、多い。
みな、隠しているだけ。
表に出さないだけ。
世間的に、仲のよいフリをしている兄弟となると、ゴマンといる。

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●私のケース

 私には、1人の兄と、1人の姉がいた。
兄は9歳年上。
姉は5歳年上。
年齢差が大きかったということもあって、いっしょに遊んだ経験は、ほとんどない。
子どものころから、相談しあったり、困ったときに、助けあったこともない。
とくに兄とは、ない。
その記憶もない。
姉とも、ない。
もとから希薄な兄弟関係だった。

 で、私は高校を卒業すると、故郷を離れた。
実家へ帰るとしても、年に数回。
会えばいっしょに食事をしたりしたが、その程度。
やさしい兄であり、やさしい姉であったとは思うが、心を通わせるということは、最後までなかっ
た。

 「最後まで……」というのは、最近、いろいろあって、私は姉とは縁を切った。
(兄は、昨年(08年)の夏、他界している。)
「縁を切る」というのは、今後のつきあいは、いっさい、しないということ。
会うこともないし、電話をかけあうこともない。
年賀状を出すこともない。

 理由はともかくも、そういう関係になってしまった。
で、その話を、Aさん(=いとこの1人)に話すと、Aさんは、こう言った。
「浩司君から、そういう話を聞いて、うれしい」と。

 いとこのAさんも、兄弟たちと縁を切って、もう10年以上になるという。
しかしだれにもそれを話せず、体裁をとりつくろってきた。
親戚づきあいをしているようなフリをしてきた。
Aさんには、それが苦痛だった。

一方、私たち兄弟は、仲がよく見えたという。
「浩司君たちは、兄弟、みな、仲がいいと思っていた」と。
私のほうが、それを聞いて、驚いた。

●トラブル

 『家庭内部のトラブルは、外に漏らすな』と説く人は多い。
私も最近まで、ずっと、そう考えてきた。
しかし実際には、どの家も、何らかのトラブルをかかえている。
トラブルのない家庭はないと断言してよいほど、何らかのトラブルをかかえている。
が、みな、話したがらない。
他人に話したところで、どうにもならない。

 だから表面的なつきあいだけを繰り返し、それですます。
体裁をとりつくろう。
しかしそれでは問題は解決しない。
兄弟は、仲がよいほうがよいに決まっている。
だったらみなが、もっと心をオープンにして、この問題と正面から話しあう必要がある。

 ……といっても、私は偉そうなことは言えない。
私たち兄弟については、冒頭に書いたとおり。
それにあえて言うなら、修復しなければならない理由もない。
また修復したところで、何も変わらない。

それをするにも、ものすごいエネルギーを必要とする。
今の私には、そんなエネルギーは、どこをさがしても、残っていない。
平たく言えば、ヘトヘト。
兄弟なんて、うんざり。
たくさん。
こりごり。

●確執

 結論としては、「兄弟は仲よく」という言葉そのものが、幻想ではないかということ。
仲が悪くなって当たり前。
仲がよければ、もうけもの。

 とくに長男(長女)と、その下の兄弟は、仲が悪い。
子どもの世界では広く見られる現象であって、これには親の愛情がからんでいる。
長男(長女)は、下の弟(妹)が生まれることによって、愛情の半分を奪い取られる。
そのときから、兄弟の間に、深い亀裂が入る。
「仲よくしなさい」と言う方が、無理。
中に、仲のよい兄(姉)を演ずるケースもあるが、たいていは反動形成※によるもの。
仲がよいフリをすることによって、兄(姉)は自分の立場をとりつくろう。

(※反動形成…表面的な体裁をとりつくろうため、本当の自分とは正反対の自分を、外面的に
形成すること。弟や妹が憎いにもかかわらず、やさしい兄(姉)のフリをするのが、それ。)

●保護と依存

 兄弟姉妹にかぎらず、仲がよくなるためには、それなりのプロセスが必要である。
簡単に言えば、苦楽を共にする。
そうした共通の経験の積み重ねがあってはじめて、たがいの間に「血」が流れ始める。
その「血」もないまま、ただ戸籍上の人間関係だけで、深い人間関係を求めても意味はない。
ないばかりか、ときとばあいによっては、その人をかえって苦しめることになる。

 私の兄にしてもそうだ。
めんどうをみるのは、私。
みてもらうのが当然と考えるのは、兄。
こうした保護、依存の関係が、かなり早い時期にできあがってしまった。

 最初は、それなりに感謝される。
しかしそれは長くはつづかない。
やがてそれが当たり前になり、さらにしばらくすると、今度は、反対に、それを要求される。

 こうなると、保護する側の精神的負担は、ますばかり。
しばらく放置しておくと、今度は、泣き落としにかかってくる。
「援助がなければ、生きていかれない」というようなことを言い出す。
1年や2年ならともかくも、そういった状況が、10年単位でつづく。
20年単位でつづく。

 これは私の経験だが、経済的負担感というより、それによる社会的負担感には、相当なもの
がある。
良好な人間関係が基礎にあれば、まだ救われる。
それがないと、故郷に足を向けるだけで、息がつまる。
私は、それに苦しんだ。

●本能vs理性

 もちろん仲のよい兄弟、姉妹もいる。
しかし先にも書いたように、そこに介護問題、相続問題などがからんでくると、その関係は、一
気に崩壊へと向かう。
裏で金銭問題がからむ。
それが兄弟、姉妹関係をぎくしゃくさせる。

 そういう意味でも、人間の欲望には、恐ろしい魔力がある。
それこそ(血のつながり)ですら、粉々に砕いてしまう。
その魔力と闘うのは、容易なことではない。
ふと油断すると、その泥沼に足を取られてしまう。
日ごろ、高邁な理想論を説いている人でも、この問題は、別。
夏目漱石の「心」を例にあげるまでもいない。
つまりあの夏目漱石も、同じ問題で苦しんだ。

 なぜか?

 管轄する脳みそがちがう。
欲望は、脳の中心部にある、視床下部あたりから発せられる。
一方、人間の理想は、前頭連合野が管轄する。
言うなれば、欲望は、本能と深く関連している。
一方、人間の理性の力には、限界がある。
どこかの大学の教授ですら、手鏡を使って、若い女性のスカートの下をのぞく。

●私のばあい

 ここで姉のことを書くつもりはない。
しかし私が選んだ方法は、「遠ざかる」。
イギリスの格言にも、『2人の人に、いい顔はできない』というのがある。
争うのもいや。
話しあったところで、何も生まれない。
姉も変わらない。
私も変わらない。

 だったら、遠ざかる。
……ということで、「縁」を切った。

 ……といっても、何もあえて敵対しているわけではない。
姉には姉の人生がある。
同時に私には私の人生がある。
40年以上も離れて暮らしていると、価値観も違ってくる。
「水と油」というほどではないが、それに近い関係になってくる。

 姉には、生涯、私の考え方は、理解できないだろう。
反対に、私の考え方を理解してもらうためには、何十年もかかるだろう。
あるいは、不可能。

 私は高校を卒業すると同時に、金沢に住み、韓国、オーストラリアに渡り、大阪で商社マンに
なった。
そののち、浜松に住むようになり、今のワイフと結婚した。

 一方、姉はそのまま郷里に残り、さらに山の中に住む農家の男性と結婚した。
そんな私と姉が、理解しあえるはずがない。
姉にすれば、私は、とんでもないほど非常識な男ということになる。
それが私にも、よくわかっている。

●遠ざかる

 親子の確執、兄弟、姉妹との確執に苦しんでいる人は多い。
本当に多い。
ウソだと思うなら、インターネットで検索してみるとよい。
そういう書き込みが、ズラズラと出てくる。
今では、親子どうし、兄弟どうしが、裁判で争っているケースも少なくない。
 
 が、私のばあい、それ以上に、「時間」が貴重。
今までの10年間が、あっという間に過ぎたように、これからの10年も、あっという間に過ぎる
だろう。
それを思うと、今は、もう無駄にできる時間はない。
平たく言えば、わずらわしいことは、避けたい。
だから「遠ざかる」。

 悲しいことだが、(本当は、悲しいなどとは、全然、思っていないが……)、それもひとつの人
間関係。
親子でも、兄弟でも、最後は人間と人間の関係。
それで決まる。

「親だから……」「兄弟だから……」と、『ダカラ論』にしばられることはない。
『ダカラ論』というのは、もともと意味のないエセ論理。
一見、論理風に見えるが、合理性は、何もない。
だったら、ありのままを、ありのままに生きればよい。
無理をすれば、疲れるだけ。
神経を、すり減らすだけ。
兄弟、姉妹関係も、その中のひとつにすぎない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW 兄弟関係 兄弟との確執 家族論 はやし浩司 だから論 家族の確執 親子の
確執 兄弟論)


Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司

●子どもの識字能力テスト

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文字を読めない子どもがいる。
読んでも、文の内容を理解することができない。
文を文法的に分解できない。
そのため文が構造としてもつ意味を、論理的に
頭の中で組み立てることができない。

程度の差もあるが、全体の5%(20人に1人)は
いると言われている。

このタイプの子どもで悲劇的なのは、その子ども自身
がもつ問題もさることながら、まわりの人たちが
それに気づかず、その子どもに、無理をすること。
それがあるかぎり、その子どもはその苦痛と、ひとりで
闘わなければならない。

具体的には、小学2、3年になってから、算数の
文章題が読めないなどといった症状をともなって、
それとわかるようになる。

現在、識字能力障害をもつ子どもは、LD児(学習障害児)
として扱われることが多い。
しかし文章を読解できないということで、その影響は
ほかのすべての教科に影響を与える。

さらに、無理な学習、強制的な学習が日常化して
いるため、(文字嫌い)→(読み書きが苦手)→
(本嫌い)→(無理な学習、強制的な学習)→
(ますます文字嫌いになる)という悪循環がつづく。

そのため識字能力障害については、そういう子どもで
あると、できるだけ早い段階で発見し、適切な対処
が必要となる。

ただ残念なことに、現在、こと識字能力害者に
ついては、先にも書いたように、LD児として
取り上げられることが多く、またその範囲での
指導しかなされていない。

識字能力障害者対する適切な指導法は、まだ確立
されていない、

そこでまず診断法の確立ということになる。
筆者は、小学2年生(満8・0歳児)
を対象にした、テスト法を考案してみた。

+++++++++++++++++++++++

【識字能力障害・判別テスト法】(小学2年生(満8・0歳児)用)

【テスト方法】

●(重要)「口をしっかりと閉じて読んで、答えてください」と強く指示する。
無音であっても、口をモゴモゴさせる、口を開くなどの動作が見られたら、
強くそれを制止する。
「声を出さなければ、読解できない」と子どもが言っても、無視するか、
改めて、「口をしっかりと閉じて読んで、答えてください」とだけを繰り返す。
  
★読解判断力

【問】

 おとといのよる、ぼくの お父さんが、「あした、みなで 海へ 行こう」と言いました。
お母さんも いっしょに行くと言いました。 それで みなで したくをして、つぎの日、
海へ行きました。 今日は 8月10日です。 海へ 行ったのは、なん月なん日ですか。

【答え】 (  月  日)

★論理判断力

【問】

 Aのスイッチを、おすと、Xのライトが、つきます。 Bのスイッチを おすと、Y
のライトがつきます。 しかしCのライトを おすと、Xのライトが ついているときは、
Xのライトは、きえます。はんたいに、Yのライトが きえているときは Yのライトが
つきます。 いま、わたしは、(A)→(B)→(C)の じゅんに スイッチを おしました。 いま、つ
いている ライトは、どれですか。

【答え】 (  )のライト

★文章理解力

【問】わたしは おかあさんと おかあさんの ともだちと 3人で ちかくの みせで
くだものと やさいを かいましたが、 かえりに おかあさんの ともだちの こどもに あった
ので、 おかあさんが そのこどもに かったばかりの バナナを 1ぽん
あげました。 こどもに バナナを あげたのは だれですか。

【答え】(          )

★計数問題

【問】お父さんは、りんごを3こ、みかんを2こもっています。お母さんは、みかんを1こと、ももを
3こもっています。わたしはももを2こ、りんごを3こもっています。みんながもっている くだもの
を あわせると、いちばん おおいのは、どのくだものですか。

【答え】(          )


(注)調査結果は、後日、公表する予定。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW 子どもの識字能力 識字障害 読解力 文を読めない子供 識字能力テスト 子
供の障害)

Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司

●武士道(1)

+++++++++++++++++++++++

けっして、死を美化してはいけない。
生を美化することはあっても、死を美化してはいけない。
私たちは、まず、生きることを考える。
生きて生きて、生き抜く。
死はその結果としてやってくるかもしれないが、
そのときは、そのとき。
死の向こうには、何もない。
そこは太虚の世界。
だから、死を美化してはいけない。

武士道を一言で言えば、その底流にあるのは、
死の美学ということになる。
武士の象徴が、「刀」にあるとするなら、その
刀は、人を殺すためのもの。
この原点を踏み外して、武士を論じてはならない。
武士道を論じてはならない。

新渡戸稲造は、「武士道」の中で、あの赤穂浪士を、
最大限の言葉を使って、称賛している(「武士道の世界」
イースト・プレス)。

「義士と呼ばれるこの正直な率直な男子たちの徳は、
宝石のように光り輝き、人々のもっとも高く、褒め
讃えたものだったのである」と。

+++++++++++++++++++++

●真の勇者(?)

新渡戸稲造は、真の勇者について、こうも書いている。
「戦いに臨んで討ち死にすることは、難しいことではない。
それはどのような野人でもできることである。
しかし生きるべきときに生き、死ぬべきときに死ぬることこそ、真の勇者なのである」(同書、P
18)と。

 私は一度は、新渡戸稲造の「武士道」を一度は読破しなければならないと、思ってきた。
しかしその機会はなかった。
(20年ほど前、一度、目を通した記憶はあるが……。)
断片的な知識はたくさんもっている。
しかしそれらは、断片的なものでしかない。

 で、今度、コンビニで、イースト・プレス発刊の「武士道の世界」という本を買ってみた。
サブタイトルに、「誇るべき日本の原点」とあることからもわかるように、この本は、武士道を礼
賛する内容の本である。
そういう本を使って、私なりに武士道のもつ矛盾を指摘するのは気が引ける。
しかし礼賛する本であるがゆえに、私の脳みそに与える刺激も大きい。
1ページ読むごとに、脳の中で、バチバチと神経細胞が火花を飛ばすのを感じた。
が、この本ほど、「死」「自害」「討ち死に」「戦」という言葉が並ぶのも、そうは多くない。

 「武士道の真髄」(P181)というところを紹介する。
「真髄」とあることからもわかるように、武士道の根幹を説明したものである。

+++++++++++++++++++

『武士道といふは、死ぬ事と見付けたり(葉隠)。

 このあまりにも衝撃的で有名な言葉は、山本常朝が口述し、田代陣基が筆記、編纂した『葉
隠』の冒頭に記された、武士道の真髄を表すものだ。
 主君のためならいつでも自分の命を捧げることができるのが、本当の武士であるという心得
を説いている。
 「武士は生と死、どちらかを選ぶ場合、必ず死を選ばなければならない」のである。
 「生き恥をさらす」と言われるように、この時代の武士道精神においては、戦に勝てないとき
は、死ぬことで忠義を果たさなければならないと考えられていた。
 しかしこの言葉には、さらに深い意味がこめられている。
生に対する執着心や恐怖を手放した瞬間に、自由な自然体に到達し、その武士は本分を全う
するために生き抜くことができるという、悟りの境地を示した教えだと言えるだろう』と。

++++++++++++++++

●命を捧げる

 この部分を読んだとき、まっさきに頭に浮かんだのが、K国の金xx。
あの独裁者。
金xxが読んだら、涙を流して喜ぶにちがいない。
あの国では、幼稚園の子どもですら、「金xx将軍様を、命をかけて守ります」と連呼している。
おとなたちは、「死守」という言葉を使っている。

 それはさておき、「主君のためならいつでも自分の命を捧げることができるのが、本当の武
士である」という部分だけでも、バカげている。
もしあなたがまともな思考力をもっている人なら、あなたもそう感ずるだろう。

 主義や理想、正義や真理のためなら、命をかけることはある。
しかし「命をかける」イコール、「命を捧げる」ではない。
いわんや、相手が、人間である、「主君」?
こういう思想を、私の世界では、「隷属思想」という。

●主君の主君は?

 学生のころ、友人と、こんな議論をしたことがある。

 「主君に主君がいたら、そのばあいは、どちらに命を捧げるのか」と。

 つまりあなたの仕える主君が、あなたの住む領地を治める領主だったとする。
当然、その領主には、彼が主君とあがめる、藩主がいる。
藩主の上には、将軍がいる。

 こういうばあい、あなたという家来は、藩主や将軍に命を捧げる必要はない。
何かを命じられても、それに従う必要もない。
あなたの主君は、あくまでも領主。
領主の命令だけを聞き、その領主のために、命を捧げる。

 もう少し話をわかりやすくするために、会社組織で考えてみよう。

 あなたが営業課の係長だったとする。
あなたの直接の上司は、営業課の課長。
そんなある日、営業課が入っている制作部の部長から、直接、あなたに命令が届いた。
つまり課長の頭を通り越して、あなたに命令が届いた。

 こういうケースのばあい、あなたはその部長の命令に従う義務があるのか。
それともないのか。

 会社によって組織の運営方法が異なるので、「従わなければならない」という会社もあれば、
「従わなくてもいい」という会社もある。
しかしこと武士の世界では、主君というのは、先のケースでは、あくまでも領主ということにな
る。
藩主や、将軍の命令に従う必要はない。
命を捧げる必要もない。

 これが学生時代に、私たちが知った結論である。
そのヒントを与えてくれたのが、ヤクザの世界である。
当時、(今でもそうだが……)、ヤクザの世界には、武士道の精神が、そのまま残っていた。
ヤクザの世界では、直接上にいる兄貴格が、武士の世界でいう主君ということになる。

●主従関係

 もっとも、封建時代の昔ならいざ知らず、「主君に命を捧げる」という発想は、今は、ない。
主従関係も、西洋の契約説によって決まる。
わかりやすく言えば、「金の切れ目が縁の切れ目」。
給料がもらえなくなったら、そこで主従関係は、消滅する。

 人それぞれだが、私なら、断る。
どう考えても、主君のために命を捧げるという発想そのものが、バカげている。
つまりこんなところにも、武士道が説く、(死の美学)が見え隠れする。

 繰り返すが、死を美化してはいけない。
その延長線上に、戦争がある。
その一歩手前に、特攻隊があり、自爆テロがある。
私たちは死ぬために生きているのではない。
生きるために生きている。

 この本の著者は、「生に対する執着心や恐怖を手放した瞬間に、自由な自然体に到達し、そ
の武士は本分を全うするために生き抜くことができるという、悟りの境地を示した教えだと言え
るだろう」と書いている。

 それにしても、「生に対する執着心や恐怖を手放した瞬間……悟りの境地に達する」とは?
いつの間にか、仏教の教えが、そのまま武士道の精神にすり替えられてしまっている?

●武士の作法

 戦国時代はともかくも、以後、日本は300年という長い年月の間、太平天国の時代を迎え
る。
その間に、武士道も、当初の戦闘を目的としたものから、権威づけのための作法の「道」として
変質する。
作法に始まって、作法に終わる。
それが武士道の柱と考えてよい。
いくつかを拾ってみる。

(1)鞘(さや)当て……武士の世界で、刀と刀の鞘が当たることは、何にもまして「無礼極まりな
いこと」だったそうだ。
だから武士どうしは、廊下を歩くときも、左側通行が作法と決められていた。

(2)手はぶら下げて歩く……いつでも刀を抜けるように、手荷物も持たないし、傘もささない。

(3)妻は後ろを歩かせる……妻と並んで歩くなど、軟弱者の証。
   襲撃から守るという意味もある。(以上、同書)。 

 こうした作法が、ズラズラと、それこそ無数にある。
武士の刀をまたいだだけで、切捨て御免になった人も多いという。
また女性は、武士の刀に、直接手を触れることさえできなかったという。
しかしなぜ、「刀」なのか?

●武士と刀

 武士の人口は、江戸時代においては、5%前後と言われている※。
しかしこの数字には、武士の家族も含まれているため、実際には、刀を差していた武士は、全
人口の1〜2%以下だったと推計される。
残りの95%のほとんどが、農民であった。
その1〜2%が、為政者として、好き勝手なことをした。
その好き勝手なことをする象徴として、「刀」があった。
武士が刀に執着する理由は、ここにある。

 私はこんな話を、直接、その女性から聞いている。

 私が住んでいる山荘のある村は、400年以上もの歴史のある、由緒ある村である。
その山荘の隣人に、10年ほど前、88歳で亡くなった女性がいる。
いわく、「明治時代に入ってからも、士族の人たちは、このあたりでは刀を差して歩いていた」
と。

 「刀の鞘どうしがカチャカチャと当たる音が、遠くから聞こえてくると、みな、道路の脇に寄っ
て、正座し、頭をさげた」と。

 言うなれば、95%の日本人が、5%の武士を支えるために、犠牲になっていた。
そういう世界が、いかにおかしな世界であるかは、あなた自身を、その農民の立場に置いてみ
ればわかる※。
あなた自身の先祖も、その農民であったはず。
(私の先祖も、農民だった。)

 一生、土地にしばられ、職業選択の自由もなかった。
当時生きていた人たちもまた、私やあなたと同じ人間であった。
犬や猿とは、ちがう。
そういう人たちを原点に考えるなら、「何が武士道か?」ということになる。
さらに言えば、この武士道が、やがてあの戦陣訓へとつながっていく。
それについては、前にも書いた。

 もちろん歴史は歴史だから、それなりの評価は必要である。
しかしそれがもつ(ネガティブな側面)に目を閉じたまま、一方的に武士道なるものを礼賛する
ことは、危険なことでもある。
どうして武士道が、「誇るべき日本人の原点」(本のタイトル)なのか?

 今、武士道を、教育の柱にしようとする動きが活発になっている。
またその種の本が、100万部単位で売れている。
これを民主主義の後退と言わずして、何と言う?
忘れてならないのは、新渡戸稲造が活躍した時代と、同じ時期に、福沢諭吉がいたというこ
と。
福沢諭吉らは、やがて明六社に合流し、日本の封建主義を清算しようとした。

 私は、福沢諭吉らのしたことのほうが、正道だと思のだが……。
それに「原点」とは何か?
何も原点にこだわる必要もない。
原点が正しいわけでもない。
大切なことは、おかしな復古主義にとらわれないこと。
私たちはいつも新しい原点を求めて、前に進む。

 ……と、少し頭が熱くなったので、この話は、ここまで。
なお本書(「武士道の世界」)は、つぎのように結んでいる。

 『おわりに……そんな現代であるからこそ、日本人としての精神的意識が必要なのである。
不道徳な世相を嘆いていても何も始まらない。
世界に通じる精神体系・武士道を心に携え、今こそ日本人としてのアイデンティティを世界に発
信してほしい』と。

(※注1)明治6年1月調べ・・・旧武士数は平民の16分の1にして総数408,823戸、1,852,445人
であった。幕末においてもこの数字と大差なかったものと考えられる。人口構成は概数的に
6.25%である。(土屋喬雄「幕末武士の階級的本質」)

 どの藩も武士の数は軍事機密になっていた。したがって、今となってはその人口は、推計す
る以外にない(筆者注)。

(※注2) 徒士といえども、家老に対しては下駄を脱がざるをえなかったのが実情で、城下に
おいて百姓町人は、足軽以上に出会えばまず平伏・土下座など屈辱的敬礼を強いられた。ど
の階層に属するか、着衣や服装で判断できる社会の仕組みになっていた。(「社会構造と現代
社会HP」より)


(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW 武士道 武士の作法 武士道精神)


Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司

【進歩論】

●2001年のカタログ

 どういうわけか(?)、テーブルの上に、2001年当時の、パソコンのカタログがある。
SONYのVAIOのカタログである。
当時、「買おう」と思って、どこかの店で手に入れたものだろう。

 型番は、「バイオノートFX」(PCG−FX77)。

 仕様を見ると、これが恐ろしく貧弱。
もちろんデザインも古い。

 メモリーは、たったの32KB。(現在は、ノートでも、2〜4GBが標準。)
 ハードディスクは、たったの20GB。(200〜400GB)
 OSのプロセッサーにしても、たったの750MHz!(1・6〜3・0GHz)

 しかし当時としては、最新の、かつ最先端を走るパソコンだった(?)。
つまりこの8年間で、パソコンの世界は、格段に進歩した。

 で、そのカタログを見ながら、では「10年後はどうなっているのだろう?」と考える。
恐らくというより、確実に、現在のカタログを見ながら、同じように思うにちがいない。
進歩というのは、そういうもの。

 そこで進歩論。

●進歩論

 進歩は、つねに麻痺(まひ)を連れだって、やってくる。
進歩を感じても、それは一時的なものでしかない。
内容にもよるが、感動も一巡すると、やがてそれが当たり前になる。
進歩がわからなくなる。
こうして私たちは、(進歩)→(麻痺)を繰り返して、つぎなる進歩を求めて、さまよい歩く。

 つまり私たちにとって大切なのは、(進歩)そのものではなく、(進歩したという快感を得るこ
と)ということになる。
もちろんその背景には、企業どうしのはげしい闘いがある。
少しでも手を抜いたら、そのまま相手企業に、追い抜かれてしまう。
SONYにしても、もし2001年で進歩を止めてしまっていたら、今ごろは、完全に倒産してい
る。

しかしそれを外からながめている私たちは、少しちがった見方をする。
そうしたはげしい競争から生まれる新製品を、(進歩)ととらえ、それを楽しんでいる。
事実、ちょうど10年ほど前、10Gのハードディスクが生まれたとき、私たちは目を白黒させて、
驚いた。

●進歩依存症

 こうした(進歩したという快感)は、依存症に似ている。
たとえば買い物依存症というのがある。
買い物依存症になると、同じものでも、どんどんと買ってしまう。
そのものがほしいから、買うのではない。
(買うこと)から得る快感を、味わうために、買う。
快感を満足させるために、買う。

 が、しばらくすると、つまりその満足感が落ち着いてくると、またその快感を満足させたくな
る。
脳の線条体に、そのための受容体ができあがると、依存症はさらに加速する。
そのメカニズムは、アルコール依存症、ニコチン依存症と同じと考えてよい。
陳列されているバッグを見ただけで、ググーッと、それがほしくなる。
家に同じものをもっていても、ほしくなる。

 私たちが(進歩)を楽しむ心も、それと同じ。
進歩した新製品を見ると、何とも言えない快感に襲われる。
もちろん、そのものをほしくなる。
しかしある程度時期が過ぎると、その熱も冷めてくる。
そしてそれが当たり前になる。
で、先にも書いたように、私たちは、(進歩)→(麻痺)を繰り返して、つぎなる進歩を求めて、さ
まよい歩く。

●限りない欲望

 1000万円の金融資産をもっている人は、つぎに2000万円、ほしくなる。
1億円の金融資産をもっている人は、つぎに2億円、ほしくなる。
いくらあっても、満足するということはない。
(もちろんいくらほしくても、そこには限界はあるが……。)

 同じように、(進歩)にも、際限がない。
今度は、その進歩を楽しむ側(=私たちの側)で考えてみよう。

 10年前には、HPの更新をするだけでも、たいへんだった。
(あくまでも今から思い起こすと、たいへんだったということだが……。)
HPの容量にも限界があったし、FTP送信するだけでも、時間がかかった。
が、今は、その10倍以上の容量を、わずかな時間で送信できる。
新しいサービスも、つぎつぎと登場してきている。

 で、ときどきこう思う。
「進歩したからといって、それがどうなのか?」と。

 たとえば電子マガジンがある。
私は少し遅れてスタートしたが、そのサービスが始まったころには、もの珍しさも手伝って、ど
んなマガジンを出しても、あっという間に、読者が1000人単位でついたという。
が、今では、毎月、数人ふえる程度。
それでもよいほうだそうだ。
つまり減らないだけ、よいほうだそうだ。

 つまりあまりにも進歩が速すぎて、電子マガジンが、ひとつのジャンルとして定着する前に、
つぎのが始まってしまう。
そのあとに始まった、ブログにしても、ブロフにしても、そうだ。
今、流行しているのは、ツィッターとか、フェイスブック。

 もう少し進歩をゆるめてくれないと、私たちは、ただそれに振り回されるだけで、終わってしま
う。
(私自身は、時代が終わったと言われても、かたくなに、電子マガジンの発行をつづけているが
……。)

 しかし全体としてみると、(進歩を恨む気持ち)よりも、(進歩を楽しみにする気持ち)のほうが
強い。
かくして、進歩は、これからもつづく。
繰り返しになるが、それは買い物依存症のようなもの。
世界中の人たちが、そうなっている。
私やあなたの力くらいでは、この(流れ)を止めることはできない。
それが、「進歩」ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 
林浩司 BW 進歩論 買い物依存症)


Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司

【バッテリーの正しい使い方】

++++++++++++++++++

ロワ社から今度、パソコン用の
予備のバッテリーを購入した。
そのとき正しいバッテリーの使い方を、
メールで送ってきてくれた。

やっとわかったぞ!

……ということで、ここに掲載させて
もらう。

++++++++++++++++++

★★ロワ太郎のバッテリ使用習慣★★★
        
×)バッテリーが届いてから、そのまま放置
◎)バッテリーが到着後、すぐに満充電をし、普通の使用で残量
  が空になるまで使用、その後、再度満充電。
  この充放電の繰り返しを3回〜5回する。

×)旅行や運動会などの使用機会がないので引き出しに長期間保管
◎)二週間に一度は取り出し、ご使用なさるのがベストです。
  1ヶ月以上使用しない場合はバッテリーの性能維持の為に、
  30〜40%程度の充電残量状態で本体から取り外し、
  冷暗所に保管してください

×)オリジナル(純正品)を使い切ってから
  ロワのバッテリーを予備で使用
◎)オリジナルとロワのバッテリーをお持ちの場合は、交互で
  使用すること。バッテリーは長期間使用しないと、
  バッテリー内の化学反応がなくなる可能性があります。

×)バッテリーをカメラに入れたままで保管
◎)バッテリーを本体に取り付けておきますと、
  本体の電源が切れた状態でも少しずつ放電されます。
  この状態が長期間(数ヶ月以上)続くとバッテリーが
  過放電状態になり、性能が劣化する可能性があります。

×)車の中にそのまま置くこと
◎)炎天下の閉め切った車内など湿度の高い場所で
  バッテリーを保管しますと、劣化が進み、膨張などの
  危険があります。
  バッテリーは10〜30℃の場所で保管して下さい。

×)旅行前夜、寝る前にベットのそばのコンセントに充電器を差し、
  不安定な場所で、寝ている間に充電
◎)周りに何もないところで、状況を確認しながら充電してください
  万が一、ご使用方法の誤りによってバッテリの落下、温度の高い
  場所での保存等で発熱、発火が起きた場合、火災になる恐れがあり
  ます

×)商品の調子がおかしい?自分で修理加工してみる
◎)商品を分解、加工した場合、保証対象外となり、また危険が
  起きる可能性もございますので、まず弊社にご連絡ください

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 バッテリーの使い方 予備バッテリー)


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司※

●映画

++++++++++++++++

今週は、見たい映画はなし。
少し前、『火天の城』(邦画)を見てきた。
が、途中でギブアップ。
「時間がもったいない」と感じ、
途中で劇場から出てきてしまった。

+++++++++++++++++++

 週に1度は、劇場へ足を運ぶ。
映画を見る。
私たち夫婦は、そう取り決めている。
ボケ防止のため。

 しかし先々週くらいから、見たい映画が
パタリとなくなってしまった。
しかたないので、ときどきDVDを借りてきて
見ている。

 今は、映画も、シーズンオフ?
クリスマスや正月が近くなれば、また楽しい映画も
出てくるはず。
それまでがまん。


Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司

●相手を助けるチンパンジー(奇妙な実験)

++++++++++++++++++++

先日、奇妙な実験が、テレビで報道されていた。
何でも、チンパンジーには、共助の心、つまり相手を助ける心があるという。
テレビで報道された範囲での私の判断だから、誤解があるかもしれない。
それに実験の主宰母体は、あの天下の京都大学霊長類研究所。
まさか?、とは思うが、私が感じた疑問をここに書いてみたい。

なおこまかい部分については、記憶によるものなので、不正確である。

++++++++++++++++++++

【実験の内容】

2つの檻(おり)がある。
金網でできた檻。
それぞれに、1匹ずつのチンパンジーが入れられている。
たがいに相手の姿が、よく見える。
2つの檻の間には、チンパンジーの腕が楽に通るほどの、穴があいている。

1匹のチンパンジーの檻の前には、リンゴが置かれている。
しかし手が届かない。
このチンパンジーを、チンパンジー(A)とする。

そこで実験者が、もう1つの、別の檻に入っているチンパンジーに、杖(つえ)様の棒を渡す。
杖を渡されたほうのチンパンジーを、チンパンジー(B)とする。

チンパンジー(B)の檻に、杖があることを見た、チンパンジー(A)は、金網越しに、手を伸ば
し、杖を渡すようにせがむ。
このとき、「杖を渡せ」というようなジェスチャを、チンパンジー(A)がしてみせる。
腕を穴に通し、チンパンジーは、手先で「それをよこせ」というようなジャスチャをしてみせる。
(ここが重要だから、念のためにもう一度、書く。
チンパンジー(A)が、チンパンジー(B)のほうに手を伸ばした。)

チンパンジー(B)は、杖様の棒を、チンパンジー(A)に渡す。
その棒を手にしたチンパンジー(A)は、その棒を使って、リンゴを手前に引き寄せ、リンゴを手
に入れる。
チンパンジー(A)は、リンゴを食べる。

【考察】

 以上が、実験のあらましである。

この実験を通して、報道番組では、「チンパンジーには、共助の心がある」というようなことを、
おおげさな言い方で賞賛していた。
つまりチンパンジー(A)が、リンゴを手にすることができるよう、チンパンジー(B)が、チンパン
ジー(A)を助けた、と。

 しかし、ちょっと待ったア!
この実験というか、実験結果から引き出された結論は、お・か・し・い!
どう考えても、お・か・し・い!
この実験だけで、チンパンジーに、「共助の精神」、つまり他人を思いやる(やさしさ)があると
判断するのは、おかしい。
無理がある。

 もう一度、実験の流れを、よく読みなおしてみてほしい。
(テレビでは、2度、同じ実験を繰り返して見せていた。)

【疑問】

 チンパンジー(A)は、隣にいるチンパンジー(B)に向かって手を伸ばし、棒を渡すように合図
した。
ここにも書いたように、「それをよこせ」と言っているかのようなジェスチャだった。
それに応えて、チンパンジー(B)は、杖様の棒を、金網越しに、チンパンジー(A)に渡した。

 そのあとチンパンジー(A)は、その棒を使って、リンゴを手前にたぐり寄せ、リンゴを手にし
た。

 つまりチンパンジー(B)は、チンパンジー(A)の求めに応じて、棒を渡しただけである。
ここが重要だから、念を押しておきたい。
チンパンジー(A)の置かれた状況を見て、チンパンジー(B)のほうから、棒を渡したのではな
い。
もしそうなら、つまり、チンパンジー(B)のほうから、積極的に棒を渡したのなら、「チンパンジ
ーには、共助の精神がある」ということになる。
「ほら、この棒を使って、お前のほうに、リンゴを引き寄せろ」と。

 しかし実験では、2回とも、チンパンジー(A)のほうが、金網越しに手を伸ばし、棒を渡せと催
促していた。

【共助の精神?】

 この実験だけで、チンパンジーに、相手を助ける心があると判断するのには、無理がある。
また実験者(研究者)が、「チンパンジーの別の高い知能が証明された」というようなことを言っ
ていた。
が、この言葉には、「?マーク」を、10個ほどつけたい。

 繰り返すが、チンパンジー(B)は、チンパンジー(A)の求めに応じて、棒を渡しただけであ
る。
自分のほうから、棒を、チンパンジー(A)に渡したのではない。
さらにつぎの点が、重要である。

 リンゴを手にしたチンパンジー(A)は、自分でそのリンゴを食べた。
半分に割って、チンパンジー(B)に渡すというような行為が、そのあとにでもあれば、それこそ
「共助の心」があったということになる。
しかし残念ながら、そういうことはなかった。

【補記】

 チンパンジー(A)の立場で、もう一度、考えなおしてみよう。
何しろ相手は、天下の京都大学。
京都大学霊長類研究所。
いいかげんな批評をすると、私のほうが、逆に袋叩きにあう。
だから、ここは、慎重に!

 チンパンジー(A)は、自分の檻の前に、リンゴがあるのを見た。
しかし手を伸ばしても、リンゴには届かない。
が、横の檻を見ると、もう1匹のチンパンジー(B)がいて、その横には、杖様の棒がある。
棒が手に入れば、その棒を使って、リンゴを引き寄せることができる。
チンパンジーに、その程度の能力があることは、すでに証明されている。
そこでチンパンジー(A)は、金網越しの手を伸ばし、棒を渡すように、チンパンジー(B)にせが
む。
それに応じて、チンパンジー(B)は、チンパンジー(A)に、棒を渡す。

 今度は、チンパンジー(B)の立場で考えてみよう。
チンパンジー(B)も、リンゴを見つけたはず。
自分でそのリンゴを取ろうとしても、手は届かない。
であるとするなら、なぜそのときチンパンジー(B)は、自分で、棒を使って、リンゴを引き寄せな
かったのか、ということになる。

あるいは棒を使っても、届かない距離ということを、チンパンジー(B)は知っていたのかもしれ
ない。
それともチンパンジー(B)は、能力的にチンパンジー(A)より、劣っていたというのだろうか。
もし劣っていたとするなら、さらに高度な精神的作用を必要とする、「共助の心」は、期待できな
いということになる。
何度も書いたように、チンパンジー(B)は、チンパンジー(A)の求めに応じて、棒を渡しただけ
である。
テレビで見たところ、そのようにしか見えなかった。

 つまりそれだけの実験というか、それだけの話なのである。
どうしてこの実験だけで、チンパンジーには、相手を助けるために行動する能力、つまり(相手
を思いやるやさしさ)があると言えるのか?

 多分、こうした実験結果(?)は、おおげさな論文となって、あちこちで発表されるにちがいな
い。

しかしおかしいものは、お・か・し・い。
……ということで、感じたままを、ここに書いてみた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW チンパンジー 京都大学 京都大学霊長類研究所 共助 共助の心 チンパンジ
ーの実験 思いやり ほかの仲間を助けるチンパンジー 疑問)


Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司

●10月21日も終わって……

老いることが、わびしいのではない。
老いていく人を見るのが、わびしい。
老いていく人を見ながら、その人に
自分の未来像を写し重ねる。
それがわびしい。

死ぬのがこわいのではない。
死ぬときは、死ぬ。
しかし簡単には死ねない。
それまでに、いろいろ苦しむ。
もがく。
それがこわい。
どうやって死ぬか。
それがこわい。

私がほしいのは、休息ではない。
遊ぶことでもない。
私がほしいのは、生きがい。
私を必要とする人が、ほしい。
仕事があれば、さらによい。

私がこわいのは、孤独。
だれにも相手にされないという孤独。
だれにも必要とされないという孤独。
だれも愛する人がいないという孤独。
だれにも愛されないという孤独。
その孤独がこわい。
孤独は地獄。
人がこの世で味わう、最悪の地獄。

だから私はしがみつく。
細い糸だが、それにしがみつく。
それから手を放したら、私はおしまい。
生きる意味を失う。
明日が今日と同じとしたら、
来月が今月と同じとしたら、
私は生きる意味を失う。
それがこわいから、しがみつく。
希望という細い糸にしがみつく。

今日も映画俳優の、M洋子という人が亡くなった。
76歳だったという。
もうすぐ私は62歳になる。
その年齢から、「私もあと14年か」と、計算する。
私にとって、「死」というのは、そういうもの。
刻々とやってくる。
少しずつやってくる。
残された時間……それが私の人生。

老いることがこわいのではない。
それまでに、何かができればよい。
が、何もできなかったら、私はどうなる。
どうする。
何もできなかったことを悔やみながら、死ぬ。
私は、それがこわい。

体力も落ちていく。
気力も落ちていく。
知力も落ちていく。
集中力も落ちていく。
今でさえ、そこに何があるか、私には、わからない。
この先、それがもっとわからなくなる。
急がなければならない。
もっと急がなければならない。
「時」という電車に乗り遅れたら、
私は希望を失う。
そのまま私は奈落の底に……。

ワイフも、すっかりバーさんになった。
やわらかい白髪が、秋の風にそよぐ。
それを見て、私もジーさんになる。
あえてジーさんになる。
いっしょに、歳を取りたい。
私だけ、この世に生き残るのは、ごめん。
ジーさんになるのが、いやなのではない。
ワイフだけが、バーさんになるのがいや。
自分だけ、取り残されるのがいや。

明日こそは……と、自分に気合を入れる。
明日こそは、思う存分、生きてやると、
自分にそう言って聞かせる。
しかしそんなこと、もう何千回も
繰り返してきた。
そして夜になると、決まって、こう言う。
「今日もだめだった」と。

この無力感。
この脱力感。
しかしそれに負けたら、私も、おしまい。
ここはふんばるしかない。
そしてまた自分に言って聞かせる。
「明日こそは、がんばろう」と。
「明日こそは、いいことがある」と。

ワイフが寝じたくに、とりかかり始めた。
化粧を落として、パジャマに着替える。
それが終わると、血圧を測る。
そのころ、いつも私にこう言う。
「そろそろ寝る?」と。

そこにある「死」から目をそむけながら、
そこにある「孤独」から目をそむけながら、
そこにある「老い」から目をそむけながら、
バカになったフリをして、私も寝じたくを始める。
今日も、これでおしまい。
みなさん、ごくろうさま。
おやすみなさい。

(09年10月21日夜)


Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司

●住めば都(人格のスケール)

+++++++++++++++++++

ワイフがこう言った。
「私は浜松が好きだわ。
ちょうどいい大きさで、住みやすいわ。
大きすぎず、小さすぎず……」と。

+++++++++++++++++++

 浜松市の人口は約80万人(政令都市)。
ワイフが言ったことに対して、私はこう言った。

「M町(人口3万人弱)の人も、同じことを言うよ。
G市(人口30万人)の人も、同じことを言うよ。
名古屋市の人だって、同じことを言うよ」と。

 昔から『住めば都』という。
どんな町でも、長く住めば、体の方がそれに慣れ、その人にとっては、住みやすいところになる
ということ。
浜松市で生まれ育ち、以来、ずっとこの町に住んでいるワイフにしてみれば、当然のこと。
浜松がいちばん、住みやすい。

●心のスケール

 医師以外の人は、あまり知らないかもしれない。
しかし医師の世界には、医師だけの世界がある。
たとえば旅行社にしても、デパートにしても、さらに建設会社にも、医師用専門会社というのが
ある。
なぜあるかということについては、今さら、ここに書くまでもない。

 で、その医師たちは、医師たちだけで交際する。
医師たちが一般の人たちを避けているのではない。
一般の人たちが、医師の世界に入り込めない。
つきあいの仕方がちがう。
お金の使い方がちがう。

●居心地

 そこで人は、自分と同じようなレベルの人とつきあうようになる。
レベル、年齢、同趣味、類似した仕事、同じような生い立ち、学歴など、共通点が多ければ多
いほど、よい。
その人にとって、居心地のよい関係ということになる。

 そしてその関係は、10年とか、20年とか、長い年月をかけて、作られる。
先に書いた医師の世界も、その一例ということになる。

 そこで『住めば都』。
住んでいる町の大きさに、標準はない。
大きな町に住み慣れた人は、小さな町を窮屈に思う。
小さな町に住む慣れた人は、大きな町を、住みにくく思う。
それは自然な反応であって、とくに問題はない。

 しかし(心)については、もう少し深刻に考えたほうがよい。
大きな心の人は、求めて、心の大きな人と交際するようになる。
小さな心の人は、求めて、心の小さな人と交際するようになる。

 ここでは便宜上、(大きな心)(小さな心)という言葉を使ったが、要するに(人間性)の問題と
考えてよい。
しかもその人間性は、相対的なもの。
私が大きいとか、あなたが小さいとか、そういうことを書いているのではない。
上には、上がいる。
下には、下がいる。
そういう意味で、相対的なもの。

●ある夫婦

 あるところに、インチキばかりしている女性がいた。
やることなすこと、インチキ。
小細工、ウソ、ごまかしは、日常茶飯事。
それがその女性の行動規範になっているため、恐らくその女性は、自分でもそれを意識してい
ないのではないか。
ごく自然な形(?)で、それができる。

 で、私が不思議に思ったのは、そういう女性を妻にもつ夫はどうなのかということ。
その女性の夫も、見たところ、夫は、ごくふつうのサラリーマン。
もの静かで、おだやかな感じのする人だった。

 そこでワイフに、「もしぼくが、あの女性の夫なら、ああいう妻には耐えられない。それに妻が
目の前で、そういう行為を重ねていたら、妻を注意するだろう」と。
するとそのワイフは、こう言った。

 「知らなかったの? あのダンナも、似たような人よ。
ほら、『似たもの夫婦』って、言うでしょ。
あのダンナも、インチキな人よ」と。

 そう言えば、その女性の周囲にいる人、つまり、その女性の親しい人たちも、みな、似たよう
な人たち。
『類は友を呼ぶ』の格言どおりである。

●上の人

 一方、恩師のTK先生は、会うたびに、私にこう言う。
「上の人と交際しなさい」と。
TK先生が言う(上の人)というのは、「人格的に高邁な人」という意味である。

 その先生の言葉には、重要な意味が隠されている。
人というのは、環境によって、大きな人にもなるが、反対に、小さな人にもなってしまう。
『人は環境の産物』。
そしていつの間にか、良循環は良循環となり、反対に悪循環は悪循環となり、その人の大きさ
を決めていく。

●子どものレベル

 町について、住みやすい、住みにくいというのは、あくまでも(慣れ)の問題。
しかし人間関係において、つきあいやすい、つきあいにくいというのは、その人の(努力)の問
題。

 よく「子どものレベルを知りたかったら、子ども友人を見ろ」という。
そう言っているのは、この私だが、自分の子どものレベルは、子どもがつきあっている友だち
を見ればわかる。

 あなたの子どもが、あなたから見て、好ましい友だちとつきあっているなら、あなたの子ども
のレベルも、同じほど高いということになる。
そうでなければそうでない。

 以前、こんなことがあった。
ある子ども(中学2年生・男子)が、祭りで酒を飲んでいて、警察署へ補導されてしまった。
母親は、「友だちにそそのかされて、酒を飲んだだけ」と、懸命に自分の子どもをかばってい
た。
が、あとで私がいろいろ話を聞くと、むしろその子どものほうが主犯格だったことがわかった。

●私のばあい

 私のまわりを、改めて見直す。
で、多くの人たちが、私から去っていったのを知る。
「林(=私)は、酒が飲めないからつまらない」と言って、去っていった人もいるが、これはしか
たない。
しかし中には、「林は、つまらない」と言って去っていった人もいる。
私の醜い人間性に呆れて、去っていった人もいる。

 その一方で、私のほうが居心地を悪く感じて、離れていった人もいる。
よいにつけ、悪いにつけ、つきあいにくい人というのは、確かにいる。
が、このところ、もうひとつ、別の問題が起きつつある。

●許容範囲

 私がもっている許容範囲が、狭くなりつつあるのを感ずる。
以前は、かなりの余裕をもって、人と交際できた。
が、今は、それがない。
好き嫌いが、はっきりしてきたというか、わがままになってきた。

 たとえば昨年までは、月に2〜3度は、地元のバス会社が運営するツアーで、あちこちを旅し
た。
しかし今年になってから、ぐんとその回数が減った。
とくに私のレベルが高いというわけではないが、あの観光バスがもつ独特のレベルの低さに、
がまんできなくなってきた。

 とくに、おばちゃんたちの、騒々しい会話には、閉口した。
ガイドの品性の低さにも、驚いた。
いろいろあった。

 一方、ワイフのほうは、私より許容範囲が、ずっと広い。
そのつど「私は気にしない」と言う。
つまりその分だけ、私の脳みそが硬直し始めたことを意味する。
許容範囲は、その人のもつ脳みその柔軟性で決まる。
その柔軟性が、なくなってきた?

●どうすればよいか

 私たちは、常に(上)をめざす。
それを釈迦は、「精進(しょうじん)」と言った。
日々の絶え間ない研鑽と努力。
それによってのみ、私たちは、現在のレベルを維持できる。
その研鑽と努力を怠ったとたん、健康と同じで、下り坂に向かう。

 難しいことではない。
ウソをつかない。
約束を守る。
ルールを守る。
その3つだけを、かたくなに守ればよい。
あとは、時間が、その人を磨いてくれる。
10年とか、20年とかかけて、その人を磨いてくれる。

 何度も書いてきたことだが、自分にそう言って聞かす。
私はもともと、素性が、あまりよくない。
自分でもそれが、よくわかっている。

と、同時に、許容範囲を広げる。
俗人になるべきところでは、俗人になる。
俗人になって、俗世間と交わる。
けっして、孤高の人になってはいけない。
おごり高ぶるのは、禁物。

 ただしレベルの低い人とは、つきあわない。
インチキな人、平気でウソを重ねる人、ずるい人、小細工をする人……。
そういう人とは、離れる。
縁を切る。
つきあってよいことは何もない。
つきあえばあうほど、こちらがその毒気に染まってしまう。

 ……と自分にそう誓う。
今日も始まった。
がんばろう。
10月23日朝記

(補記)

加齢とともに、ここに書いた許容範囲が、どんどんと小さくなっていく。
努力していても、そうなる。
思考の柔軟性が、失われるためと考えてよい。

 たとえば音楽を例にあげて考えてみよう。

私は毎日のように、YOUTUBEで、いろいろな音楽に接している。
が、ふと油断すると、いわゆる「団塊の世代・御用達的な音楽」ばかりを、聴いている。
「これではいけない」と自分に言って聞かせる。
そこであえてあちこちを、サーフィンしながら、よい曲をさがす。
しかし居心地ならぬ、聴き心地のよい曲は、やはり、あの時代の音楽ということになってしま
う。

 脳の中に一度できたシナプスをほぐすのは、容易なことではない。
あるいは新しいシナプスを組むのは、容易なことではない。
最近の幼児たちがよく歌う歌にしても、覚えるだけでもたいへん。
覚えても、すぐ忘れる。

 脳が硬直化してくると、そういう現象が、頻繁に起きるようになる。
そこで柔軟性。

 私は、幼児や小学生、さらには中学生たちと、好き勝手なことを言いあい、競いあうのがよい
と思うが、どの人にも、そういう機会があるわけではない。
では、どうすればよいのか?

 最近、私が実行しているのに、こんなのがある。
書店などで、片っ端から、立ち読みをして回るという方法である。
ジャンルは選ばない。
つまりこうして脳みそを、いろいろな方向から刺激する。
私の幼児教室の指導法の柱にもなっている。

 もうひとつは、新しい世界に思い切って、飛び込んでみる。
その(思い切り)が大切。
「迷ったら、即、実行」。
子どもでもそうだが、「つまらない」「おもしろくない」と言い出したら、そこで進歩は停滞する。

 ……いつまでつづくかわからないが、脳の柔軟性は、それを一度失ったら、回復するのは、
かなりむずかしい。
そういうこともあって、とにかく今は、現状維持に心がける。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 交際 人との交際)


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

●10月23日

++++++++++++++++++++

昨日、三男が、電話をかけてきた。
プレゼントも届いた。
「誕生日、おめでとう」と。

バカめ!

私の誕生日は、来週だ。
1週間、まちがえている。

が、しかし、うれしかった。
歳は取りたくないが、気遣いはうれしい。

++++++++++++++++++++

●WINDOW7

 WINDOW7が発売になった。
評判はよい。
私がもっている、TOSHIBAのノートパソコンは、
WINDOW7へのUPGRADE権つき。

 どうすればよいのだろう?
明日、購入した店に行って、聞いてみよう。
しかし……ウィルス対策ソフトは、そのまま使えるのだろうか?

 で、一方、次期パソコンは、どれにしようか?
悩んでいる。
M社のデスクトップをねらっているが、Officeソフトを含めると、20万円を軽く超えてしまう。
それにモニターも、25インチ前後のものが、ほしい。
加えて、プリンター。
インク・プリンターというより、今、考えているのは、カラー・レザー・プリンター。
値段も驚くほど、安くなった。

 WINDOW7との相性を考えながら、順次、導入していく。
BW教室内での印刷物を、近く、カラー版にする。

 今、しばらく様子を見よう。
1〜2か月もすると、値段も、ぐんと安くなるはず。


●金価格

 金(ゴールド)の価格が、急上昇している。
ニューヨーク市場での価格(先物)は、最高値で頭打ち。
しかし日本市場では、そこまで上がり切っていない。

 円安になれば、さらに上がる。
今は(売り時)とは思うが、(買い時)ではない。

 ところでオーストラリア・ドルの上昇につられて、ニュージーランド・ドルも上昇してきている。
私は82〜3円のときニュージーランド・ドルを購入した。
それが一時は、57〜8円まで下がってしまった。

「塩漬けにするしかない」と心に決めていたが、このところ、70円弱まで値を戻した。
あと少し、がんばれ、ニュージーランド・ドル!

 株取引は、数社を残して、今は、休眠中。
……と言いながらも、今、調べてみたら、結構、値を戻している。
この浜松市でも、経済の回復の兆(きざ)しが見えてきた。
一時はまったく仕事がなくなってしまったところもあったが、「仕事が入り始めた」とのこと。

 よかった!


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

●投射

++++++++++++++++++++++

昔から、『泥棒の家は、戸締りが厳重』という。
自分が泥棒だから、ほかの泥棒が気になる。

わかる、わかる、その気持ち!

人の物を盗んでいるから、盗まれることを心配する。
自分の心の中に邪悪な心があるから、ほかの人にもあると
思い込む。
それで気になる。
戸締りに厳重になる。

同じように、若い女性を相手に、したい放題のことを
している人がいる。
浮気、不倫、援助交際。
中身は何でもよい。
そういう人ほど、自分の娘の交際にきびしい。
娘の帰宅時刻が少し遅れただけで、大騒ぎする。
「男と遊んでいたのだろ!」と、娘を叱ったりする。

人はだれしも、欠点や弱点をもっている。
その欠点や弱点を気にしているから、他人の
中に同じものを見ると、それが気になる。
あるいは、それに気づきやすい。

こんなことがあった。

20年ほど前のこと。
たいへん勉強の苦手な子ども(中1男子)がいた。
いろいろあった。
私も苦労した。
見た目には、おとなしく、静かな子どもだった。

が、ある日のこと。
その子ども(中学生)を、小学生のクラスで
教えていた。
ふと見ると、その子どもが、
数歳も年下の子どもを、こう言って、いじめていた。

「バカだなあ、お前。こんな問題もできないのか!」と。
言い方が、陰湿だった。
ぞっとするほど陰湿だった。

その子ども(中1男子)のばあい、「抑圧」という
言葉を使って、心の状態を説明できる。
勉強ができないということで、日ごろからそれを
負担に感じていた。
それから生ずる不満を、心の中に別室を作り、
そこへ閉じ込めていた。
それがそのとき爆発した。

が、そのきっかけとなった力が、「投射」という
ことになる。
勉強ができない小学生を見たとき、その小学生の中に
自分の姿を見た。
そこで(勉強ができない)という自分のいやな部分を、
その小学生にぶつけて、その小学生をいじめた。

もうひとつ、こんな例がある。

私の知り合いの中に、病的なほどウソを
つく人がいる。
ウソをウソと思っていない。
その場しのぎのいいかげんなことばかり言う。
そのあとケロッと自分の言ったことを
忘れてしまう。

ある日、その人と話していたときのこと。
私が「先日、あなたはこう言いましたよ」
と指摘すると、突然取り乱して、こう叫んだ。

「どうしたあなたは、そういうウソを
つくのですかア! ウソつき!」と。

この言葉には、呆(あき)れた。
自分ではさんざんウソばかり言っておきながら、
私に向かって、「ウソつき!」は、ない。
『ウソつきほど、他人のウソにきびしい』。
そういうことなら、私にも話がわかる。

これも投射のひとつということになる。

+++++++++++++++++++++

●投射

 難しい言葉はさておき、自分に似た人を見ると、ほっとするときがある。
反対に、ぞっとするときもある。
そのちがいはと言えば、自分と同じようなよい面をもっている人には、ほっとした安堵感を覚え
る。
反対に、自分と同じような邪悪な面をもっている人には、イヤ〜な嫌悪感を覚える。

 たとえば自分がケチだったとする。
が、そういう人にかぎって、外の世界では、おおらかなフリをする。
ことさら、自分は、ケチでないことを強調する。

 あるいは子どもの世界では、子どもに神経質な親ほど、「私は、子どもにはしたいようにさせ
ています」などと言ったりする。
あるいは家の中で、「勉強しなさい」とガミガミ言う親ほど、「私は子どもに、勉強しなさいと言っ
たことはありません」などと言ったりする。

 自分の欠点、弱点をよく知っている人ほど、そういう形で、他人の目をごまかす。
そして、同じような欠点、弱点をもっている人を見ると、自分の欠点や弱点を、その人に投げつ
けて、その人を攻撃する。

「あの人は、ケチ」とか、「あの人は、子どもに神経質すぎる。子どもがかわいそう」とか、など。

 一見複雑に見える人間の心だが、こうして類型化していくと、理解しやすい。
そのために心理学というのがある。
相手が人間だけに、おもしろい。
その一例として、「投射」をあげてみた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 防衛機制 投射 投影 心の別室 抑圧)


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

【口の悪い子ども】

●ビダンシ、ビジョ

 子どもたちは、口が悪い。それが、ふつう。当たり前。悪いといって、子どもを、押さ
えこんでしまっては、いけない。一応は叱っても、別の心では許す。そのおおらかさが、
子どもを伸びやかにする。
 
 で、私は、子どもたちが、私のことを、「ジジイ」「クソジジイ」「バカジジイ」などと言
ったときは、すかさず、こう教えるようにしている。

私「もっと、悪い言葉を教えて、あげようか」
子たち「教えて」「教えて」と。

 そこで私は、「いいか、教えてやるけど、君たちのパパや、園長先生には、言ってはだめ
だよ」と言う。そしておもむりに、こう教えてやる。「ビダンシ(美男子)」と。

 すると、子どもたちは、うれしそうに、私に向かって、「ビダンシ」「ビダンシ」と言い
だす。

 ……という話は、以前にも書いた。で、この話には、つづきがある。

 先週、そのことを年長児クラスで教えると、「ママには、使ってはだめ?」と聞いた子ど
もがいた。

私「ママは、女の人だから、ビダンシでは、おかしいよ。女の人には、ビジョ(美女)と
いうんだよ。ビジョという言葉は、悪い言葉だから、使ってはだめだよ」と。

 しかし母親に「美女」というのも、おかしい。そこで思わず、こう言ってしまった。「ビ
ジョじゃあなくて、オーネンのビジョ(往年の美女)かな?」と。

 「しまった!」と思ったが、遅かった。子どもたちは、今度は、参観している母親たち
に向かって、「オーネンのビジョ」「オーネンのビジョ」と言い出した。

 口がすべるとは、こういうことをいう。私はよくこの種のヘマをする。

 しかし教室の中には、いつもの明るい笑い声が、とびかった。ついでに私も、大声で笑
う。私はその雰囲気が、好き。楽しい。これがあるから、幼児教育は、やめられない。

(補記)

 大切なことは、「おとなの優位性」を子どもに、押しつけないこと。
ときにおとなは、バカになり、あるいは子どもに負けたフリをしながら、自信をもたせる。
「おとな(先生)を負かした」という思いが、自信につながる。
その子どもの未来を、子ども自身が明るくする。

 たまたま、BW教室でのやりとりを、YOUTUBEに収めたので、興味のある人は見てほしい。

http://www.youtube.com/watch?v=Ck5MMauSzSE


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司※

●雑誌『プレジデント・50plus』(10月号別冊)

+++++++++++++++++++++++++++++++++

昨夜、書店に寄って、雑誌『プレジデント・50plus』を買ってきた。
「夫と妻のかたち・衝撃白書」というタイトルが、ズシンと気になった。
この雑誌は、ときどき買うが、内容がしっかりしている。
読み応えがある。
編集長以下、ライターが、本気で取材し、本気で書いている。

+++++++++++++++++++++++++++++++++

●性生活

 衝撃的な記事が並ぶ。

★結婚30年以上の約半数は、ベッドが別
★50代は約7割がセックスレス
★結婚10年未満でも、セックスレス半数
★夫は精力減退、妻は興味なし
★夫より妻の方が冷めている、などなど。

さらに……

★セックスは9割、夫から誘うが、4割がセックス拒否にあう
★50代の約7割が、30分未満
★マンネリ妻の半数が、感じたフリ
★妻の半数は、義理でセックスしている
★夫婦歴が浅い妻のほうが、不満度高し

また「夫婦の温度差」についても、

★現在もセックスしている夫の半数は、「生涯現役」でいたい(「何歳までセックスしたいか」とい
う質問に対して。
★夫の74・7%が、隠れて自慰の経験あり
★夫3割の頭の中は、女性
★EDの悩みは、40代で1割強
★夫の1割強は、「妻だけED」、などなど。

ただし、調査の信頼性に疑問がないわけではない。
冒頭に、こうある。

「gooリサーチと弊誌との共同調査により、インターネットを通じて、40代以上の既婚男女、32
08人から回答を得た。
男女、ほぼ同数。
40代・50代・60代以上から均等に回答を回収。
調査期間は、(09年)7月22日から24日まで」と。

ここでいう「リサーチ」というのは、インターネットをしている人なら、みな、知っている。
ときどき「調査にご協力ください」という、あれである。

私のばあい、そういう(依頼?)は、即、削除。
めんどうというより、あやしげなメールは、開かない。
私のように考え、そのまま削除している人は多い。
一方、そうした調査に応ずる人というのは、かぎられている。
とくに、こうしたきわめてプライベートな問題に関する調査に対しては、そうである。
つまりインターネットを通した調査は、私自身は、あまり信頼していない。

「3208人から回答を得た」というが、そんなわけで、やや「?」を感じながら、読んだ。

●夫と妻の温度差

 で、それはともかくも、こうして見出しを並べてみると、どこかに基準があって、その基準に合
わないのは、おかしい……という、スケベ前提のものの考え方があるのがわかる。
私は私。
私たちは私たち。
人は人。
「セックスをしているから、正常」「セックスレスは、おかしい」という前提そのものが、おかしい。
それでその夫婦が、それなりにうまく生活しているなら、それでよい。

 こんなのも、あった。

★妻の6割弱は配偶者の親を介護したくない
★倦怠期の妻は「夫の介護も拒否」が4割
★妻の7割強は、夫の実家の墓に入りたくない
★夫婦で同じ墓に入りたい、夫8割、妻7割の温度差
★夫のほうが、夫婦仲改善の努力をしている(夫婦仲をあきらめている妻が、4割もいる)
★夫のほうが、今の配偶者に満足している
★妻はどんどん夫の必要性を感じなくなる

 この調査結果については、「そういうものだろうな」と思う。
私のワイフも、おおむね、同じようなことを、いつも言っている。
とくに「墓」については、私自身が、実家の墓には入りたくない。
いわんや、ワイフをや!

 介護については、これも私は私。
私たちは、私たち。
人は人。
なりゆきに任せるしかない。

●夫婦の修羅場

 おもしろかったのは(失礼!)、夫婦の修羅場。

★(夫の)不倫相手と3者会談
★浮気相手と子どものピアノ発表会に連れていったら、バレた
★二日酔いで仕事を休んだとき、バケツで水をかけられた
★浮気がバレたとき、醤油さしや、食器が飛んできた
★信仰する信仰団体に、預金のすべてを引き出して献金した
★浮気の現場を見てしまった
★セックス中に、前の男の名前

 私の親類の中にも、ある日突然、自宅に愛人を連れてきて、自分の妻にこう言った人がい
る。
「おい、今日からこの女も、いっしょにこの家に住むからな」と。
 マンガに出てきそうな話だが、これは本当の話。

 で、私たち夫婦も、よく不倫の話をする。
が、こと不倫の話になると、意見が、まったく対立する。
私は、「真剣なら、不倫をしてもいい」「遊びでは、不倫はしたくない」と言う。
ワイフは、「遊びなら、不倫をしてもいい」「真剣になるなら、離婚」と言う。

 こうした問題で、修羅場を経験したことはないが、あとに尾を引くような修羅場は、避けたほう
がよい。
その一方で、たった一度の浮気でも、「夫(妻)を裏切った」といううしろめたさを感じながら、後
悔しつづける妻(夫)もいる。
あるいはたがいに浮気を認めあいながら、それでいて、さわやかに生活している夫婦もいる。
スワッピングクラブや、混浴クラブに入って、セックスを楽しんでいる夫婦もいる。

 こうした問題だけは、まさに人、それぞれ。
基準もなければ、標準もない。
言い換えると、どうせ「性は無」(今東光)。
小便や大便と同じ。
深い意味はない。
意味を考えても、無駄。
たがいがそれで納得しているなら、それでよい。
このバリエーションの豊こそが、人間の生活を、楽しく、おもしろくしている。

 『プレジデント・50plus』 は、そういう意味で、興味深かった。
で、結論は、「私は私」「私たちは私たち」。
のぞき見的な意味では参考になったが、そこで思考はストップ。
「40才以上、45%が離婚の危機」(表紙)と言われても、この問題だけは、個人の問題。
そういう数字を知ったからといって、何の役にも立たない。
 
 次回は、「どうすれば、もっと健康になれるか」「みんな、どうやって健康を維持しているか」な
どという、もっとプロダクティブな特集を組んでほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 夫婦の性生活 性生活)


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

【ささやかなトラウマ】(ペットボトルの小便)

●1本のお茶

居間に入ると、そこに1本のペットボトルが置いてあった。
床の上に、直接、置いてあった。
500ミリリットル入りの、小さなペットボトルだった。
「おいしいお茶」という文字が、目に留まった。
見ると、先端のフタが、少しあいていた。
量も数センチ、減っていた。

 「どうしてこんなところに……?」と思った。
横には、テーブルがある。
そこから1、2メートル離れたところには、コタツもある。
私は、じっとそのペットボトルをながめた。
たしかにお茶らしい。
しかし本当に、お茶なのか?

 「ワイフがどこかで買って、飲み忘れたのかもしれない」と思った。
あるいは「息子かも……?」と。
しかし息子は、日本茶は飲まない。
私は、そのペットボトルを手でつかんで、もった。
どこもおかしなところはない。
汚れたところもない。
鼻に近づけて、においもかいでみた。
とくにおかしなにおいも、しなかった。
しかし飲むことはできなかった。

●バスの中で

 そのとき、私とワイフは、岐阜県にある、実家へと向かっていた。
午前11時から、法事を予定していた。
バスといっても、今では、1、2時間に1本くらいしかない。
しかも乗るとすぐ、こんなアナウンスが流れる。
「このバスは……県の補助金を受けて……運営されています」と。

 要するに、赤字路線で、本来なら廃止すべき路線だが、県の補助金で走っているということら
しい。
実に恩着せがましい。
いやな言い方。
……そう思いながら、バスの中をながめると、客は、5、6人。
ほとんどが老人である。

 バスはやがてすぐ、岐阜市の郊外に出た。
1人、2人……と降りていく。
そのうち客は、私たち夫婦と、前のほうに座っている男性だけになった。
春の終わりごろで、道路は白く乾いていた。
店の前に並ぶ、旗がゆらゆらと、風にたなびいていた。

●水分

私は水分を、ほかの人たちよりも、大量に摂取する。
「飲む」というよりは、「摂取」する。
飲料水はもちろんのこと、水っぽい食べ物なら、何でもよく食べる。
ミカンでも、イチゴでも、スイカでも……。

 夏場になると、昼からだけでも、2リットル入りのペットボトルを、2本くらいは飲む。
自分では血圧が低いせいと言っているが、本当のところ、理由はよくわからない。
いつも水分を補給していないと、口がさみしい。

 その日もそうだった。
JR岐阜駅に着くまで、何本かのお茶を飲んでいた。
で、当然のことながら、トイレに行く回数も多い。
が、それも、私にとっては快感。
ぎりぎりまでがまんして、なみなみと、小便を出す。

●尿意

 JR岐阜駅から郷里のM町まで、時間にすれば、50分前後。
私は下半身に尿意を感じ始めた。
不吉な予感。
いやな予感……。

私「おしっこがしたくなった……」
ワ「こんなところで……!」
私「うん……」と。

 バスは、いわゆる各駅停車。
乗り降りする客もいないから、よけいにのんびりと走っていた。
私は背筋を伸ばしたり、曲げたり……。
腰を浮かせてもみた。
しかし、そういう状態になると、打つ手なし。
が、じっとしているのも、つらい。

ワ「途中で降りようか?」
私「……」
ワ「がまんできるの?」
私「……無理……」と。

 つぎのバスを待っていたら、法事に間に合わなくなる。

●ワイフの提案 

 バスは関市を走っていた。
岐阜市の隣町である。
私は、何度も頭の中で、時間を計算してみた。
「あと15分……?、それとも10分……?」と。

 足を小刻みに震わせながら、私は、腰に不用意な力が入らないようにした。
が、バスは揺れる。
体も揺れる。
そのたびに、小便が漏れそうになる。

 私の硬直した顔……たぶん、そのときはそうなっていたと思うが、ワイフが助け船を出してく
れた。
ビニール袋から、ペットボトルを出して、「これにしてきなさいよ」と。

私「ここで……?」
ワ「……後ろのほうでよ……」
私「うん……」と。

 ペットボトルのほうには、まだ3分の1ほど、お茶が残っていた。
私はそれを一気に飲んだ。
そして空のペットボトルをもち、何食わぬ顔をして、うしろの座席へと向かった。

●排尿

 それは私の生涯において、はじめての経験だった。
本当に、はじめての経験だった。
私は座ったまま、あれを出すと、それをペットボトルの口に付けた。
意外とうまくいきそうな感じだった。

 私はゆっくりと、小便をその中にした。
これもうまくいった。
で、男性のばあい、(ワイフの話では、女性はそれができないそうだが……)、途中で止めるこ
ともできる。

 小便を全部出す必要はない。
膀胱の圧力が減れば、それでよい。
私はかげんを見て、小便を止めた。
ちょうどよい位置で、小便は止まった。
見ると、8〜9割程度、ペットボトルがいっぱいになっていた。
私は、それにフタをした。

 気が楽なった。
同時に、「お茶と小便は、区別がつかない」と知った。

●居間で

 私はまだペットボトルを手にしていた。
「ひょっとしたら……」という思いが、何度も頭の中を出たり、入ったりした。
「ワイフがどこかで拾ってきたのかもしれない」とも思った。
ふだんなら、つまりそれがテーブルの上にでも置いてあれば、私はさっさとフタを開けて、それ
を飲んだだろう。

 が、飲めなかった。
もう一度、においをかいでみた。
お茶のにおいだった。
しかし自信がもてなかった。
私はじっとそのまま、ペットボトルをながめた。
と、そこへワイフが、帰ってきた。
ドヤドヤと。

私「おい、これお茶か?」
ワ「そうよ」
私「本当か?」
ワ「お茶じゃなかったら、何なのよ」
私「そうだな……。でも、どうして床の上に置いたのだ?」
ワ「知らないわよ、そんなこと……」と。

 私はおもむろに、ペットボトルを口につけると、それを飲んだ。
お茶の味だった。
ほっとした。
完璧にお茶の味だったとは言えないが、お茶の味だった。

 ところで、あのバスの中でした小便は、どうしたかって?
ちょうどM町のバス停を降りたところに、自動販売機があった。
その横に、それを捨てるカゴが置いてあった。
私は、そのカゴの中に捨てた。

が、それについても、今から思うと、気がとがめる。
捨ててから気がついたが、だれが見ても、あれはお茶。
まちがえてだれかが飲むかもしれない……と思ったが、そのときには、背を向けて実家のほう
に向かって歩き出していた。

 まさか、ゴミ箱の中のペットボトルのお茶(小便)を飲む人はいないと思うが……。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW ペットボトル ペットボトルの小便 バスの中で ペット・ボトル)

(補記)

 こういうこともあるから、ペットボトルの口は、もっと大きくしたらよい。
あれが、すっぽりと入るくらいの大きさがよい。
ついでに、女性用のペットボトルも考えてほしい。
どうすればよいかについては、まったく、NO IDEA。
が、しかし自然現象だけは、だれにでも起きる。
もっともカーケア用品の店に行くと、ポータブルのトイレなどは売っているが……。


Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司

●野生の山鳩のヒナ

野生の山鳩のヒナの様子を、ビデオに収録した。

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www.youtube.com/v/y6jySyQLw84&hl=ja&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" 
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あるいは、下をクリック(↓)

http://www.youtube.com/watch?v=y6jySyQLw84

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 山バト 山鳩 野生の鳩 鳩のヒナ 鳩の雛)


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

【東アジア共同体構想】(脱・アメリカ追従外交の危険な落とし穴)

++++++++++++++

東アジア共同体構想は、見かけは
ともかくも、失敗する。
日本の外資が威力を失ったとき、
命運は尽きる。

++++++++++++++

●アジアのリーダーとして

 今からちょうど40年前。
日本は、新幹線を走らせ、東京オリンピックを成功させ、かつ大阪万博を開き、まさに破竹の
進撃をつづけていた。
高度成長期に突入していた。
そのころアジア各国の人たちは、日本を、畏敬の念と、脅威の念の、2つの入り混ざった目で
ながめていた。

「畏敬の念」というのは、「アジア人でも、やればできるのだ」という自信の先頭、それを、日本
が切ったということ。
「脅威の念」というのは、当然のことながら、第二次世界大戦の後遺症をさす。
同時に日本の軍事的脅威論も、このころあちこちで論じられるようになった。

 が、もうひとつ、日本人が読めなかった心がある。
たとえば、アジアの人たちは、日本人が作る自動車を見て、「同じアジア人が作った」と喜ん
だ。
理由のひとつとして、日本以外のアジアの国の人たちは、長い間、欧米諸国の植民地であった
ことがあげられる。

当時の日本人がもつ欧米コンプレックスには、相当なものがあった。
欧米人と見ただけで、頭をさげた。
しかし他のアジア各国、とくに東南アジア各国の人たちがもつ、欧米コンプレックスには、独特
のものがあった。
隷属意識、劣等意識、逆差別意識……そういったものが、渾然一体となって、彼らの欧米コン
プレックスを作りあげていた。
彼らは、欧米に、彼らの植民地として隷属したという、暗い歴史がある。

私は、『世にも不思議な留学記』の中で、こんなことを書いたことがある。

 ある朝のこと、突然、私はアジア各国からの留学生たちに起こされた。
「何だ!」と思って起きてみると、いちばん仲がよかったタン君(マレーシアン中国人)が、こう言
った。

 「ホロシ(私のこと。タンは、いつも私をそう呼んでいた)、来てみろ、すごい車がある」と。
 みなといっしょに道路へ出てみると、そこにマツダのサバンナという車が置いてあった。
ダッシュボードが、ボンネット側に湾曲している、それまでに見たことのないデザインの車だっ
た。
タンは、こう言った。
「白人が、アジア人の作った車に乗っている!」と。

 当時の日本人は、そうしたアジアの人たちの心を読めなかった。
今も、今度は、逆の立場で読めないでいる。

話を先に進める前に、『世にも不思議な留学記』の1作を紹介する。
内容的に、話が脱線するが、許してほしい。
東南アジアで、日本がどういう立場にあるか、それをわかってもらえると思う。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●人種差別

 大学のカフェで食事をしていると、私を取り囲むようにして、4、5人のオーストラリア人がすわ
った。そして手にしたスプーンの腹で、コツコツとテーブルをたたき始めた。

 「立ち去れ」という合図である。気まずい時間が流れた。私はすでに食事を始めていた。が、
そのとき、身長が1メートル90センチはあろうかという大男が、私の横に座った。長い髪の毛
で、顔中、ヒゲでおおっていた。その男が、スプーンをならしている学生たちに向かって、低い
声でこう言った。「ワット・アー・ユー(お前たちは何だ)」と。

 その一言で、学生たちはスプーンをたたくのをやめた。やめて、その場を離れた。その大男
というのが、デニス君だった。本名は、デニス・キシアという。今でも私の無二の親友だ。

●皿に口をつけてズルズルとスープを飲んだ

 同じころK大学医学部の講師たち3人が、一週間の予定で、メルボルン大学へやってきた。
そしてハウスのゲストルームに滞在した。豪快な人たちだ……と、最初はそう思った。しかし品
位に欠けていた。スープ皿に口をつけてズルズルとスープを飲んだり、ハウスの飯はまずいと
言っては、どこで手に入れたのか魚の目刺しを買ってきて、それを部屋の中で焼いて食べたり
していた。

 その中の1人が、こう言った。「オーストラリアも、ギリシャ人やイタリア人なんか、移民させる
もんじゃないよな。雰囲気が悪くなる」と。

 当時の日本人で、自分がアジア人だと思っている日本人は、ほとんどいなかった。世界の人
は、半ば嘲笑的に日本人を、「黄色い白人」と呼んでいた。が、日本人は、それをむしろ光栄な
こととしてとらえていた。

 しかしアジア人はアジア人。オーストラリアでは、第2級人種として差別されていた。結婚して
も、相手がアジア人だったりすると、そのオーストラリア人も、第2級人種に格下げされた。その
法律は、それから10年ほどしてから撤廃されたが、オーストラリアはまだ、白豪主義(ホワイ
ト・ポリシー)にこだわっていた。

 つまりもしこの医師の話をイタリア系オーストラリア人が聞いたら、怒る前に吹き出してしまう
だろう。そういう常識が、その医師たちには、まったくわかっていなかった。いや、医師だけでは
ない。当時、アボリジニーと呼ばれている原住民を見ると、日本の若い女性たちはキャーキャ
ーと声を出して騒いでいた。なぜ騒いでいたかは、ここには書けない。書けないが、日本人なら
その理由がわかるはずだ。

 しかし念のために言っておこう。あのアボリジニーは、4〜5波に分けて、アジア大陸から移
住してきた民族である。そのうちの一波は、私たち日本人と同じルーツをもっている。つまり私
たち日本人は、白人よりも、はるかにアボリジニーに近い。騒ぐほうがどうかしている。

●人種差別

 人種差別。それがどういうものであるか、それはされたものでないとわからない。「立ち去れ」
という合図を受けたときの屈辱感は、今でも脳に焼きついている。それはそれだが、問題はそ
の先だ。人種差別をされると、人は2つの考え方をするようになる。

 1つは、「だから自分の属する民族を大切にしなければならない」という考え方。もう1つは、
「民族という名のもとに、人間を分類するのはおかしい」という考え方。

 どちらの考え方をもつにせよ、1つだけ正しいことがある。それは人種や民族の優位性などと
いうものは、いくら論じても意味がないということ。大切なことは、互いに相手を認め、尊重しあ
うことだ。それがあってはじめて、日本を、そして世界を論ずることができる。

 が、そうした世界観は、当時の日本人にはまだ育っていなかった。同じアジア人でありなが
ら、日本人は自らを欧米人と位置づけることによって、ほかのアジア人とは一線を引いていた
(中日新聞で発表済み)。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●黄色い白人

 今思い起こしても、当時の日本人は、目が、欧米のほうだけを向いていた。
子どもでも、「自分はアジア人」と自覚している子どもは、皆無だった。
私が、「ぼくたちはアジア人だよ」と教えても、みな、「ちがう」と答えた。
中に、「ぼくたちは、欧米人だ」と言う子どもさえいた。

 こうした意識は、現在の30代、40代の人たちが、今でも共通してもっている。
あるいは自分自身の子ども時代を振り返ってみて、「私はそうでなかった」と自信をもって言え
る人は、まずいない。

 つぎの原稿は、10年ほど前に書いたものである。
切り口が少し脱線するが、ここに書いたことは、今でもそのまま通用する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●教科書の検定制度って、本当に必要なの?

 オーストラリアにも、教科書の検定らしきものはある。しかしそれは民間団体によるもので、
強制力はない。しかもその範囲は、暴力描写と性描写の2つの方面だけ。特に「歴史」につい
ては、検定してはならないことになっている(南豪州)。

 私は1967年、ユネスコの交換学生として、韓国に渡った。プサン港へ着いたときには、ブラ
スバンドで迎えられたが、歓迎されたのは、その日1日だけ。あとはどこへ行っても、日本攻撃
の矢面に立たされた。私たちを直接指導してくれたのが、金素雲氏であったこともある。

韓国を代表する歴史学者である。私はやがて、「日本の教科書はまちがってはいない。しかし
すべてを教えていない」と実感した。たとえば金氏は、こんなことを話してくれた。「奈良は、韓
国から見て、奈落の果てにある都市という意味で、奈良となった。昔は奈落と書いて、『ナラ』と
発音した」と。今でも韓国語で「ナラ」と言えば、「国」を意味する。もし氏の言うことが正しいとす
るなら、日本の古都は、韓国人によって創建された都市ということになる。

 もちろんこれは一つの説に過ぎない。偶然の一致ということもある。しかし一歩、日本を出る
と、この種の話はゴロゴロしている。事実、欧米では、「東洋学」と言えば、中国を意味し、その
一部に韓国学があり、そのまた一部に日本学がある。そして全体として、東洋史として教えら
れている。

 話は変わるが、小学生たちにこんな調査をしてみた。「日本人は、アジア人か、それとも欧米
人か」と聞いたときのこと。大半の子どもが、「中間」「アジア人に近い、欧米人」と答えた。中に
は「欧米人」と答えたのもいた。しかし「アジア人」と答えた子どもは1人もいなかった(約50名
について調査)。先日もテレビの討論番組を見ていたら、こんなシーンがあった。

アフリカの留学生が、「君たちはアジア人だ」と言ったときのこと。1人の小学生が、「ぼくたちは
アジア人ではない。日本人だ!」と。そこでそのアフリカ人が、「君たちの肌は黄色ではないか」
とたたきかけると、その小学生はこう言った。「ぼくの肌は黄色ではない。肌色だ!」と。

 2001年の春も、日本の教科書について、アジア各国から非難の声があがった。韓国からは
特使まで来た。いろいろいきさつはあるが、日本が日本史にこだわっている限り、日本が島国
意識から抜け出ることはない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 話を「東アジア共同体構想」に戻す。

●東アジア共同体構想

 民主党政権になって、鳩山首相は、「東アジア共同体構想」というものを、ぶちあげた。
「脱・アメリカ追従外交」を一方で唱えながら、「アジア重視の外交」を主張した。

 私も30〜40年前の私なら、鳩山首相のこの発想を支持しただろう。
またそのときなら、日本は、そのままアジアのリーダー(宰主)として、中国をも東アジア共同体
構想の一員として、取り込むことができた。

 が、今ごろ、どうして、東アジア共同体構想なのか?
むしろ立場は、すでに逆転している。
逆転していないまでも、東南アジア各国の人たちは、「日本なしでもやっていける」と考え始めて
いる。
つまり「東南アジア諸国連合(ASEAN)」に、頭をさげるべきほうは、むしろこの日本なのであ
る。
 「どうか、日本も、ASEANに加入させてください」と。
それを大上段に構え、「ASEANプラス3」とは!

 「プラス3」というのは、日本、中国、韓国の3か国をいう。

 が、このプラス3は、中身にも問題がある。

(1)韓国のもつ反日感情、あるいは日本へのライバル意識。
(2)東南アジア各国の、反中国感情、もしくは反中国意識。

 この2つをさておいたまま、鳩山首相は、「ASEANプラス3」を唱えている。
さらに問題が起きた。
側近を、「脱・アメリカ追従外交論者」で固め、反米とまではいかないにしても、アメリカにその
ような印象を与えるような行動を始めてしまった。

 毎日新聞は、つぎのように伝えている。

●アジア重視の外交政策?

+++++以下、毎日新聞+++++

 鳩山由紀夫首相は9、10両日、韓国、中国を相次いで訪問する。
9日午前にはソウルで韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領との首脳会談、10日は北京で中
国の温家宝首相、李大統領との日中韓首脳会談に臨む。
首相就任後、国際会議出席以外では初めての外国訪問で、アジア外交重視の姿勢をアピー
ルする。

 日韓首脳会談は、両首脳間の信頼関係の構築が主要な目的。北朝鮮の核問題を巡る6カ
国協議への早期復帰に向けた連携を確認する。
日韓連携を重視する姿勢を示すことで、「東アジア共同体構想」をはじめとするアジア外交を主
導的に進めたい狙いもある。

(中略)

鳩山首相も「東アジア共同体構想」についての理解と協力を求める。3カ国会談後、両首相の
個別会談もある。

+++++以上、毎日新聞+++++

さらに、鳩山首相は、岡田外務大臣をアジア各国に派遣した。
同じく毎日新聞は、つぎのように伝えている。

●受けたのは、外交的虚礼

+++++以下、毎日新聞+++++

岡田克也外相は13日、インドネシアを訪問し、ハッサン外相と会談した。
鳩山政権が推進する東アジア共同体構想について、「インドネシアは重要なパートナーだ」とし
て協力を要請し、この問題で両国が協議していくことで一致した。

 東アジア共同体構想について岡田外相は「東南アジア諸国連合(ASEAN)の中で存在感を
高めているインドネシアと協力しながら、具体化に努めたい」との考えを示した。
これに対しハッサン外相は「包括的でバランスの取れたものにすべきだ」と述べた。

その上で、ASEANプラス3(日中韓)や東アジア首脳会議などの枠組みを踏まえ、両国が統合
に向けて協力し、協議を続けることで合意した。

+++++以上、毎日新聞+++++

 当然のことながら、これに「待った!」をかけたのが、アメリカ。
こうした一連の日本の動きをとらえながら、「日本は中国よりも、やっかいな国になった」(オバ
マ政権)と、鳩山外交を評した。

 英語で、何と言ったかはわからない。
しかし日本は、すでに40年以上も前から、「異質な国」と位置づけられている。
アメリカ人にしてみれば、東南アジアの人たちの方が、まだわかりやすい。
欧米の植民地だったということで、欧米流のものの考え方が定着している。

 が、この日本は、ちがった。
わかりやすく言えば、日本、さらに日本人は、彼らの理解の範囲を超えていた。
そうした流れは、今でもつづいている。
「日本は中国よりも、やっかいな国になった」と言いながら、アメリカは、日本に向かって、「アメ
リカはずしは許さない」と警告した。

 そして今月(09年10月)、タイのフアヒンで、東南アジア諸国連合(ASEAN)の首脳会議が
始まった。
そこへ鳩山首相は出かけていき、東アジア共同体構想を正式にぶちあげ、アメリカの参加を
求めることを提唱した。

 鳩山首相の一連の動きを、順に追ってみたい。

●無意味な外交巡礼?

+++++以下、毎日新聞+++++

鳩山由紀夫首相は24日にタイ中部のフアヒンで開かれる東南アジア諸国連合(ASEAN)との
首脳会議など一連の会合で、自らが提唱する東アジア共同体構想に関して、米国の参加を求
める考えを表明する。

松野頼久官房副長官がバンコクに向かう政府専用機内で、同行記者団に明らかにした。
 首相は「ASEANを含む東アジア諸国は東アジア共同体構想の中核で、米国の関与は極め
て重要だ」との考えを表明する。

 これまで首相は「米国を排除する発想は持っていない」としていたが、参加国の枠組みなどに
ついては明確な言及を避けており、米国の参加を明言するのは初めて。
米軍普天間飛行場の移設問題で日米間の相違が顕在化しており、配慮をする必要があると
判断したとみられる。

+++++以上、毎日新聞+++++
+++++以下、毎日新聞+++++

鳩山由紀夫首相は24日午前(日本時間同日午後)、タイのアピシット首相ら東南アジア諸国
連合(ASEAN、10カ国)の首脳と会談した。
ASEAN各国を自ら提唱する「東アジア共同体構想」の中核メンバーと想定する鳩山首相は、
同構想を長期的なビジョンとして説明し、協力を呼びかける。

また、タイやベトナム、カンボジアなどメコン川流域国の経済成長へ向けた支援を表明する。
 これに先立ち、鳩山首相は議長国のアピシット首相と個別に会談し、東アジア共同体構想を
説明した。

+++++以上、毎日新聞+++++
+++++以下、毎日新聞+++++

鳩山由紀夫首相は24日、東南アジア諸国連合(ASEAN、10カ国)との首脳会議、さらに中
国と韓国を加えたASEANプラス3首脳会議に出席し、自ら提唱する東アジア共同体構想への
支持を呼びかけた。

首相はASEANが共同体構想の中核になるとの認識を示し、各国首脳も「長期的な目標」とし
て協力していくことで一致した。
今後は将来の共同体構築につながる具体的な地域協力の推進が課題となる。

 一連の会議で首相は共同体構想について「長期的なビジョンを掲げて、開かれた地域協力
の原則に立って着実に進めていきたい」と説明。
「日本の外交政策として日米同盟を基軸と位置付けている」とも述べ、何らかの形で米国が関
与できる仕組みを検討する姿勢を強調した。
具体的な協力分野としては経済や新型インフルエンザ対策、情報通信などを挙げ、理解を求
めた。

 ASEANや中韓側からは「長期的な目標として取り組んでいきたい」「東アジア協力の議論を
再活性化した」と評価する意見が相次いだほか、「統合が進むASEANが主導的な役割を果
たす」との発言もあった。

ASEANプラス3では、首相は「日中韓協力を東アジア協力の推進力とする」と強調。「過去を
直視しながら未来志向の関係をアジア各国と築いていく」と述べた。
また通貨危機に対応して外貨を融通し合う「チェンマイ・イニシアチブ」などアジア地域の金融
安定化に貢献する考えも表明した。

+++++以上、毎日新聞+++++

●アメリカはずしは、時期尚早

 「プラス3」というが、まず、日本は、どうやって、あの中国と韓国を、仲間にまとめるというの
か。
1回や2回、首脳会談をもったくらいのことで、中国や韓国の、反日意識や反日ライバル意識
が氷解するなどということは、ありえない。
ありえないことは、ここ10年に渡ってつづいた、日韓経済戦争を見ればわかる。
日中経済戦争でもよい。
その戦争は、今の今も、つづいている。
むしろ今年に入ってからも、生き残りをかけて、さらに熾烈さを増している。

 そんなこともあって、今、日本からアメリカをはずすのは、時期尚早。
あまりにも稚拙。
たしかに「追従」しているが、追従しなければならない歴史的、かつ外交的背景が、そこにあ
る。

 なぜ、日本が戦後60年以上に渡って、平和を保つことができたか。
かつ国防費を対GDP比で、1%以下に抑えることができたか。
何もアメリカの高官にあえて脅されるまでもなく、アメリカ軍が日本に駐留していたからにほか
ならない。

 何度も繰り返すが、もしアメリカ軍が駐留していなかったら、今ごろ日本は、跡形もなく粉々に
されていた。
スターリン・ソ連、毛沢東・中国、李承晩・韓国、金日成・北朝鮮、さらにマルコス・フィリッピン連
合軍が、繰り返し、日本を襲ったであろう。
悲しいかな、粉々にされてもしかたないことを、日本は、先の戦争でしてしまった。

 外交面においても、そうだ。
あんな北朝鮮ですら、日本はもてあましている。
拉致問題ひとつ解決できないでいる。

 が、「日本のうしろには、アメリカがいる」。
それが日本の外交を、裏から支えてきた。
今も、支えている。
もし、日本が本気で追従外交から脱するときがあるとすれば、日本が軍事面、外交面で、中国
を含む他のアジア諸国から、認知されたときである。

 「認知」という言葉を、「融和」という言葉で置き換えてもよい。
「日本は危険な国ではない」「日本は信頼できる」という、2つの側面が、アジア各国の中で融
和したとき、日本は、はじめて対米追従外交から脱却できる。

 が、今の日本にあるのは、経済力のみ。
(その経済力も、風前の灯だが……。)
そのことは、今回の鳩山総理の動きを見てもわかる。
言うなれば、札束をパラパラと見せつけながら、ASEANの会場に乗り込んだ。
今はまだ、多少なりとも、ジャパン・マネーに威力が残っているからよいようなものの、しかしこ
んな方法は、いつまでも長つづきしない。
2015年どころか、来年の2010年には、アジアにおいて、日本と中国の立場は、逆転する。

 また「東アジア共同体構想」という名称そのものが、「東」、つまり「日本を中心とした」という意
味である。
この国際性のなさ。

東南アジアの人たちは、日本人が、自分たちを東南アジア人と思っていないのと同じように、自
分たちは東アジア人とは、思っていない。
むしろ「東アジア共同体構想」というのは、先の戦争中に日本の軍部がぶちあげた、「大東亜
共栄圏」の流れの中にある。
少なくとも中国を含む東南アジアの人たちは、そう考えている。

 「東アジア……」ではなく、ぶちあげるとしても、「東」を取って、「アジア共同体構想」とすべき
だった。

●どうして、今?

 日本には日本のプライドがある。
それはわかるが、10年後、20年後の日本を考えるなら、今はそのプライドを捨て、ASEANに
頭をさげるべき。
「どうか、仲間に加えてください」と。
何も、中国や韓国を、いっしょに連れて行くような話ではない。
もっとはっきり言えば、中国や韓国を無視して、ASEANに加入すればよい。
もし逆の立場だったら、つまり中国や韓国の経済力が、日本を凌駕(りょうが)するようになった
ら、彼らは日本は完全に無視されるだろう。

 簡単に言えば、どこかの社交クラブに行くとき、自分ひとりでは心細いからという理由で、隣
人とはとても言えないような隣人を、連れていったようなもの。
こういうのを、(お人好し外交)と呼ぶ。

 韓国は、それによって、ASEANの中で独自の立場を構築するだろう。
しかし問題は、中国。
中国など連れていったら、まとまる話も、まとまらなくなる。
もともとASEANというのは、対中国脅威論がベースになって、誕生した。
そんな歴史的経緯すら、鳩山総理は知らないというのか!

 どうであるにせよ、鳩山首相の一連の行動は、このまま「勇み足」につながりかねない。
もう少しじっくりと考え、時間をかけるべき。
何かのアドバルーンは必要かもしれないが、それは二期目でもよかった。
総理大臣になったとたん、いきなり「東アジア共同体構想」とは?
こうした大構想には、根回しというか、地道な基礎づくりが必要。
その基礎を積み重ねながら、道筋を作っていく。

 以上のことを総合すると、(1)東アジア共同体構想は、失敗する。
日本は残った財力を使い果たすような形で、結局は失敗する。
また(2)そうでなくても、日米関係は崩壊寸前。
これを機会に、日本は丸裸のまま、中国という猛獣の前に放り出されることになる。
その覚悟も、またその準備もないまま、今、ここで「脱・アメリカ追従外交」を唱えるのは、危
険、きわまりない。

 さらに言えば、アメリカに脅されて、(3)東アジア共同体構想に、アメリカを加えると宣言した
が、それ自体が、すでにこの構想を破壊したことを意味する。
アメリカは、ASEANを、アメリカの支配下に取りこもうと、あの手、この手を使って画策してき
た。
東南アジアの人たちは、そのアメリカをうまくかわしてきた。
アメリカへの警戒心も強い。
その警戒心も冷めやらぬ今、「アメリカも」ということになれば、崩壊するに決まっている。

 鳩山総理も海外留学組だから、その発想とするところは、よくわかる。
しかしそれは30〜40年前の発想。
今は、時代も中身も変わった。
アジアにこだわらなければならない理由はない。

 が、批判ばかりしていては、いけない。
そこで発想を変えて、日本は、アジアを飛び越えて、一気に、インド、ブラジルと共同体を組ん
ではどうか。
(韓国政府は、すでにそういう方向で動いている!)
そして中国そのものを、取り囲んでしまう。
どうしても「共同体」ということであれば、そのほうが実現性は高い。
将来のメリットも大きい。
(以上、2009年10月25日朝・記)

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 東アジア共同体 共同体構想 大東亜共栄圏 脱アメリカ追従外交 追従外交)


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司※

●パソコン

パソコンの世界では、つぎつぎと新製品が発売になる。
そのたびに、機能は向上し、デザインもよくなる。
そのたびに、新しいのが欲しくなる。
 
こういうのをビョーキという。
ドーパミンの分泌がさかんになる。
線条体で条件反射が起きる。
自分でもそれがよくわかっている。
わかっているが、それがなくなったら、私もおしまい。
つまり「欲しい」と思ううちが、花。

たとえばこの2か月ほど、政治に関して、興味をなくしてしまった。
どうでもよくなってしまった。
とくに先の衆議院議員選挙以来、気が抜けてしまった。
が、これではいけない。

……というより、あちこちのサイトを見ていたら、私の原稿が、
いくつかの政治団体で、紹介されているのを知った。
羽田空港問題、成田空港問題について書いた原稿も、それぞれのサイトで、
紹介されているのを知った。
(ついでに旅行記も、紹介されていた。)

それがよい刺激になった。
久しぶりに、政治問題を考えたくなった。

で、最近の話題は、何と言っても、鳩山首相の「東アジア共同体構想」。
ASEANの各国を、日本のワクの中に取り込もうという構想である。
しかしこんな構想は、最初から、うまくいくはずがない。
失敗するに決まっている。

だいたい、「ASEANプラス3」って、何?
「3」というのは、「日本、中国、韓国」の3か国をいう。
3か国といっても、呉越同舟というか、水と油と砂が混ざっているようなもの。
中国を連れていったら、まとまる話もまとまらなくなる。
もともとASEANというのは、中国の脅威に対抗して始まったもの。
韓国だって、どんな下心をもっているか、わかったものではない。

……とまあ、政治問題について書くときは、かなりの(怒りのエネルギー)を
要する。
そのエネルギーがないと、書いていても、つづかない。
途中で、どうでもよくなってしまう。

しかしこのところ、気力が弱くなった。
(怒りのエネルギー)が、あまりわいてこない。
平和というか、平穏というか……。
たとえて言うなら、おいしいごちそうを、腹いっぱい食べたあとのような感じ。
そこで、あえて(怒りのエネルギー)を奮い立たせる。

カーッ!

あのね、鳩山首相。
アメリカを日本から離反させるのは、まずい。

なぜ、この時期に、脱・アメリカ追従外交なの?
一方、どうして今、日本は中国に擦り寄らなければならないの?
日本は、自由主義貿易陣営の一員ではなかったの?
いろいろと問題はあるが、だからといって今、社会主義体制を求めているわけではない。
それになぜ、鳩山首相は、こうも急ぐの?
こうした日本の命運を左右するような外交問題は、じっくりと基盤を固めてからする。
それが常識。
政権を奪ったとたん、「東アジア共同体構想」は、ない。

今、鳩山首相、あなたがすべきことは、官僚政治をつぶすこと。
やりたい放題のことをしている官僚たちに、ストップをかけること。
民主主義を、国民の手に戻すこと。
その本命を忘れて、大きなアドバルーンばかりあげて、どうするの?
こんな稚拙な外交を繰り返していると、自民党が喜ぶだけ。
ついでに中国や韓国が喜ぶだけ。
K国だって、喜ぶ。

怒る前に、何だか、日本の政治が心配になってきた。
もう少しすると、あのASO前首相が、「それ、見たことか!」と、声をあげ始めるかも。


●10月25日の終わりに……

いろいろ考える。

(どう生きるか?)vs(どう死ぬか?)。
この2つが、交互に私の心の中で闘う。
(まだがんばれる)vs(だいじょうぶだろうか?)。
この2つが、交互に私の心の中で闘う。
(年齢など気にしない)vs(あと10年かな?)。
この2つが、交互の私の心の中で闘う。

おとといの夜も、深夜劇場へ行く途中、足の不自由な人を見かけた。
年齢は私より少し若かった。
50代の半ばごろの人か。
背も高く、ほっそりとした人だった。
脳卒中?
懸命に一本杖で身を支えながら、ゆっくりと歩いていた。
私はその人をよけながら、エレベーターの中に身を隠した。

「明日はわが身?」。
明日はだいじょうぶでも、あさってはわからない。
あさってはだいじょうぶでも、そのつぎの日は、わからない。
1年の命を10年に延ばして、何になる?
10年の命を20年に延ばして、何になる?
明日は明日。
明日は、確実に、そこにやってくる。

たまたまその男の人は、そこにいる。
たまたま私は、ここにいる。
ちがいなど、どこにもない。
ゆいいつのちがいは、私は私の目を通して、その男の人を見ていること。
その男の人は、その男の人の目を通して、私を見ていること。
私がその男の人で、その男の人が私であっても、何も不思議でない。
しかし……。

私は、その苦痛に耐えられるだろうか。
その男の人の目を通して、私を見る私に、耐えられるだろうか。
その自信は、まったくない。

今日の健康など、明日は、あてにならない。
明日はよくても、あさっては、あてにならない。
そう思いながら、ウォーキング・マシーンの上で、歯をくいしばる。
「あと、10分……、あと5分……」と。
私にあるのは、「たぶん、明日もだいじょうぶだろう」という小さな希望だけ。
その希望に、自分をつなげて、今日という1日を終える。

(少し、今夜は暗いかな……?)

みなさん、今日も、楽しい1日をありがとう!
今日は、朝、8時まで寝ていました。
午後に、山荘へ行き、昼寝。
帰りに、パソコンショップで、WINDOW7を見て、
それから書斎へ。
夕食まで、1時間ほど、YOUTUBEで音楽を聴きました。
明日もがんばります!


Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司

●映画『沈まぬ太陽』

 静岡県では、今日、参議院議員の補欠選挙がある。
その投票に行く途中で、この文章を書いている。
(もちろん車の中で……。)

 が、道路が、日曜日ということもあって、大渋滞。
少しイライラしていたら、ワイフが、「このまま映画に行かない?」と。
こういうとき、夫は、妻に従うのがよいそうだ。
先日買った雑誌(「プレジデント」)に、そう書いてあった。
熟年離婚の危機はかろうじてかわしたが、安全圏に入ったわけではない。

 「時間的には、『沈まぬ太陽』がいいわ」ということで、そのまま劇場へ。
投票は、劇場からの帰りにすますことにした。

●日本映画

 日本映画のつまらない点は、自然ぽさがないところ。
役者の個性を利用するというよりは、無理な役作りをするところにある。
知性の感じさせないような人が、科学者の役をしたり、スケベそうな男が、
正義を説いたり……。
その(無理)が、映画を、つまらないものにする。

 先日も、「火TENの城」というのを見てきたが、途中で出てきてしまった。
ああいう(できすぎた映画)を見ていると、かえって不愉快になる。
何もかも、頭の中で先に予想ができてしまう。
「このつぎは、こうなるぞ」と。
そのとおりに、役者が演じ、ストーリーが運ぶ。
だからおもしろくない。

(この間、『沈まぬ太陽』を見た。長い映画だった。)

●『沈まぬ太陽』

 主演の渡辺腱(父親役)と、名前は知らないが、息子役の男優。
この2人の演技が、きわだって光った。
よかった。
あとの俳優は、率直に言って、見るに耐えないというか、「これが演技です」
というような演技。
つまらなかった。
たぶん、監督の演技指導のままに演技していたのだろう。
語り方はもちろん、視線のはずし方まで、みな、同じだった。

 映画を見れば、どこの航空会社がモデルになっているかは、一目瞭然。
「よく、あの会社が、こんな映画を許可したね」と、何度も、ワイフと言いあう。
最後の結末がさわやかだったからよかったが、もし醜いまま終わっていたら、
訴訟問題になっていたかも。
時期が時期だけに、あの会社にとっては、たいへんまずい。
現在、経営再建中。

 内容的には、シリアスな社会派映画を見た感じ。
私も若いとき、M物産という会社にいた。
そういう立場で言うと、「現場は、あんなものではない」というのが、私の感想。
もっと生々しく、毒々しい。

それに日本の映画は、どうしてこうまでお説教がましいのだろう?
お金を出して、劇場まで足を運ぶのだから、もう少しサービス精神を旺盛にしてほしい。
つまり私たちを、楽しませてほしい。
ときに安っぽい論理で、人生観を語られたりすると、その場でシラケてしまう。

 見終わったとき、ワイフに私も、こう言った。
「早く、M物産をやめて、よかった」と。
もしあのままあの会社で働いていたら、今ごろは、死んでいるか、身も心も、
ズタズタにされ、私は廃人になっていたはず。

 同時に、以前書いた原稿を思い出した。
『休息を求めて、疲れる』(イギリスの格言)という原稿である。
いくつか書いたので、そのまま掲載する。

+++++++++++++++++++++

●休息を求めて疲れる(ロマンを求めて)

 いまだに悪夢と言えば、修学旅行のときのものだ。集合時刻が近づく。私は大部屋で寝てい
る。皆はすでにカバンを整理して外へ出ようとしている。私は自分の靴がどこにあるかもわから
ない。トイレはどこだ。まだ朝食も食べていない……。記憶にはないが、多分私は子どものこ
ろ、旅行でそういう思いをしたのだろう。いや、それ以上に私たち団塊の世代は、どんなことで
も、乗り遅れるのを何よりも恐れていた。

 前年までのクラスは五クラス。しかし私たちの学年からは、一一クラス。しかも一クラス、五五
人平均。粗製濫造とはまさにこのことで、私はサッカーにしても、一チーム、二五人で戦うもの
だとばかり思っていた。

 確かに私たちの世代は、いつもうしろから何かに押されていた。立ち止まっただけで、言いよ
うのない不安感に襲われた。はげしい競争。そしてまた競争。こうしてあの会社人間、仕事人
間は生まれたが、そうであってはいけないと思っていても、休暇で一週間も休みが続いたりす
ると、それだけで申し訳ない気持ちになる。

私が見る悪夢は、その延長線上にあるにすぎない。「日本は資源のない国だ」「貿易で国を支
えるしかない」「欧米に追いつけ、追い越せ」「立派な社会人となれ」などなど。私たちはこういう
言葉を、毎日のように、それこそ耳が痛くなるほど聞かされた。結果、今のような日本がなった
が、そこでまたふと立ち止まってみると、やはり言いようのない不安感に襲われてしまう。

 そうそうイギリスの格言に、「休息を求めて疲れる」というのがある。「いつか楽になろう、なろ
うと思ってがんばっているうちに、疲れてしまって、何もできなくなる」という意味だが、イギリス
では、愚かな生きかたの代名詞にもなっている。オーストラリアの友人も、何かのことで私があ
せっていると、「ヒロシ、気楽にせよ。休息を求めて疲れるな」と、よく言ってくれた。しかし今に
なっても、その「休息」はどこにもない。なぜだろうか。

 貯金といっても、底が知れている。退職金などもちろんないが、年金にしても、本当にもらえ
るかどうかわからなくなってきた。息子たちにしても、私が世話をすることはあっても、その反対
は、まず期待できない。期待もしていない。私はこうして死ぬまで働くしかない。

 話は変わるが私の友人の弟は、四二歳の若さで会社勤めをやめ、退職金をもってマレーシ
アへ渡った。そしてそこで中古のヨットを買って、航海に出たという。「今ごろね、あいつね、マレ
ーシアで知り合ったフランス人女性と二人で、インド洋を航海しているはずです」と。その友人
は笑って話してくれたが、私には夢のような話だ。いや、夢ではない。私にだってできる。いつ
かはできる。それをしなければ、いつまでたっても、あの悪夢から解放されることはない。

 今回は私たち団塊の世代の、挫折とロマンを聞いてもらいたくて筆をとった。この中に一つの
教育論を感じとっていただければ幸いである。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●今を生きる子育て論

 英語に、『休息を求めて疲れる』という格言がある。愚かな生き方の代名詞のようにもなって
いる格言である。「いつか楽になろう、なろうと思ってがんばっているうちに、疲れてしまって、結
局は何もできなくなる」という意味だが、この格言は、言外で、「そういう生き方をしてはいけま
せん」と教えている。

 たとえば子どもの教育。幼稚園教育は、小学校へ入るための準備教育と考えている人がい
る。同じように、小学校は、中学校へ入るため。中学校は、高校へ入るため。高校は大学へ入
るため。そして大学は、よき社会人になるため、と。

こうした子育て観、つまり常に「現在」を「未来」のために犠牲にするという生き方は、ここでいう
愚かな生き方そのものと言ってもよい。いつまでたっても子どもたちは、自分の人生を、自分
のものにすることができない。あるいは社会へ出てからも、そういう生き方が基本になっている
から、結局は自分の人生を無駄にしてしまう。

「やっと楽になったと思ったら、人生も終わっていた……」と。

 ロビン・ウィリアムズが主演する、『今を生きる』という映画があった。「今という時を、偽らずに
生きよう」と教える教師。一方、進学指導中心の学校教育。この二つのはざまで、一人の高校
生が自殺に追いこまれるという映画である。

この「今を生きる」という生き方が、『休息を求めて疲れる』という生き方の、正反対の位置にあ
る。これは私の勝手な解釈によるもので、異論のある人もいるかもしれない。しかし今、あなた
の周囲を見回してみてほしい。あなたの目に映るのは、「今」という現実であって、過去や未来
などというものは、どこにもない。あると思うのは、心の中だけ。だったら精一杯、この「今」の
中で、自分を輝かせて生きることこそ、大切ではないのか。

子どもたちとて同じ。子どもたちにはすばらしい感性がある。しかも純粋で健康だ。そういう子
ども時代は子ども時代として、精一杯その時代を、心豊かに生きることこそ、大切ではないの
か。

 もちろん私は、未来に向かって努力することまで否定しているのではない。「今を生きる」とい
うことは、享楽的に生きるということではない。しかし同じように努力するといっても、そのつどな
すべきことをするという姿勢に変えれば、ものの考え方が一変する。

たとえば私は生徒たちには、いつもこう言っている。「今、やるべきことをやろうではないか。そ
れでいい。結果はあとからついてくるもの。学歴や名誉や地位などといったものを、真っ先に追
い求めたら、君たちの人生は、見苦しくなる」と。
 
同じく英語には、こんな言い方がある。子どもが受験勉強などで苦しんでいると、親たちは子ど
もに、こう言う。「ティク・イッツ・イージィ(気楽にしなさい)」と。日本では「がんばれ!」と拍車を
かけるのがふつうだが、反対に、「そんなにがんばらなくてもいいのよ」と。

ごくふつうの日常会話だが、私はこういう会話の中に、欧米と日本の、子育て観の基本的な違
いを感ずる。その違いまで理解しないと、『休息を求めて疲れる』の本当の意味がわからない
のではないか……と、私は心配する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「休息を求めて疲れる」。

イギリスの格言である。愚かな生き方の代名詞にもなっている格言でもある。
「いつか楽になろう、なろうと思っているうちに、歳をとってしまい、結局は何もできなくなる」とい
う意味である。「やっと楽になったと思ったら、人生も終わっていた」と。

 ところでこんな人がいる。
もうすぐ定年退職なのだが、退職をしたらひとりで、四国八八か所を巡礼をしてみたい、と。
そういう話を聞くと、私はすぐこう思う。「ならば、なぜ今、しないのか?」と。

私はこの世界に入ってからずっと、したいことはすぐしたし、したくないことはしなかった。
名誉や地位、それに肩書きとは無縁の世界だったが、そんなものにどれほどの意味があると
いうのか。
私たちは生きるために稼ぐ。稼ぐために働く。これが原点だ。

だから○○部長の名前で稼いだ100万円も、幼稚園の講師で稼いだ100万円も、100万円
は100万円。
問題は、そのお金でどう生きるか、だ。
サラリーマンの人には悪いが、どうしてそうまで会社という組織に、義理立てをしなければなら
ないのか。

未来のためにいつも「今」を犠牲にする。
そういう生き方をしていると、いつまでたっても自分の時間をつかめない。
たとえばそれは子どもの世界を見ればわかる。
幼稚園は小学校の入学のため、小学校は中学校や高校への進学のため、またその先の大学
は就職のため……と。社会へ出てからも、そうだ。
子どものときからそういう生活のパターンになっているから、それを途中で変えることはできな
い。
いつまでたっても「今」をつかめない。つかめないまま、人生を終わる。

 あえて言えば、私にもこんな経験がある。
学生時代、テスト週間になるとよくこう思った。「試験が終わったら、ひとりで映画を見に行こう」
と。
しかし実際そのテストが終わると、その気力も消えてしまった。
どこか抑圧された緊張感の中では、「あれをしたい、これをしたい」という願望が生まれるもの
だが、それから解放されたとたん、その願望も消える。

先の「四国八八か所を巡礼してみたい」と言った人には悪いが、退職後本当にそれをしたら、
その人はよほど意思の強い人とみてよい。
私の経験では、多分、その人は四国八八か所めぐりはしないと思う。退職したとたん、その気
力は消えうせる……?

 大切なことは、「今」をどう生きるか、だ。
「今」というときをいかに充実させるか、だ。明日という結果は明日になればやってくる。
そのためにも、「休息を求めて疲れる」ような生き方だけはしてはいけない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 B
W はやし浩司 沈まぬ太陽 映画「沈まぬ太陽」 休息を求めて疲れる 休息を求めて、疲れ
る 今を生きる子育て論)


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

【寿命論】

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●労働寿命

「平均寿命」という言葉がある。
「健康寿命」という言葉もある。
健康寿命というのは、健康でいられる年齢をいう。
ふつう(平均寿命)−10年が、健康寿命
と言われている。
だれしも、ポックリと死ぬわけではない。
晩年の10年は、病気との闘いということになる。

それに対して、「労働寿命」という言葉を
私は考えた。
仕事ができる年齢をいう。

これには個人差があるが、おおよそ(健康寿命)−
5年が、ひとつの目安になる。
これで計算すると、現在、男性の平均寿命は、
79歳、女性は86歳(厚生労働省)
だから……、

(健康寿命)…男性、69歳、女性、76歳
(労働寿命)…男性、64歳、女性、71歳
ということになる。

●記憶寿命

が、最近、私は、こんなことを考えるようになった。

人は死ねば、うまくいけば、墓石になれる。
最近は、墓石すらも作らない人が、ふえている。
が、問題は、そのあと。

先日も、車で郊外を走っていたら、小さな墓地を
見つけた。
田舎へ行けば行くほど、立派な墓地が目につく。
が、そこはちがった。
墓石も風化し、文字も読めないほどになっていた。
それを見たときのこと、ふと、こう思った。
「人は、いつまでみなの記憶に残ることができるか」と。

私たちは、死ねば、やがて忘れ去られる。
私の祖父母にしても、私たちの代の者が死ねば、
もうその名前を語られることすら、ないだろう。
父や母にしても、そうだ。

仏事の世界には、33回忌というのがある。
50回忌、100回忌というのも、ある。
しかしそこまでしてもらえる人は、例外中の例外。
ふつう、3回忌を最後に、死んだ人は、急速に
人々の記憶から消える。

そこで私が考えたのが、「記憶寿命」。

●消えていく私たち

たとえば私はこうして、文章にして日々の(思い)
を書いている。
書籍(本)にしても、寿命は、10年前後。
インターネットだったら、もっと短い(?)。
教育の世界で、昔、一世を風靡した人に、
「吉岡たすく」という人がいた。
10年ほど前に、亡くなった。
が、すでに今の若い母親たちは、その名前すら知らない。
ネットで検索してみたが、現在では、1万1000件。

今でも生きていたら、検索件数は、100万件を軽く
超えていただろう。
それくらい知名度の高い人だった。

が、やがて消えていく。
もちろん、私も、あなたも消えていく。
その寿命が、「記憶寿命」ということになる。

●寿命を延ばす

私たちは死んだあと、息子たちや孫たちも含めて、
何年ほど、彼らの記憶に残るだろうか。
残れることができるだろうか。
私自身の経験から言えば、50年を超えることは
まずない。
残ったとしても、ほんの一部の子孫にすぎない。
あとは痕跡もなく、消えていく。
ちょうど、私が見た、あの墓石のように。

で、自分がしていることを振り返る。
何か作品のようなものがあれば、記憶寿命は延びる
かもしれない。
作家や画家などは、そうして記憶寿命を延ばす
ことができる。
しかしそれにしても、あくまでも(結果)。
結果として残るだけ。

私にしても、「今を生きるために」、ものを書いている。
死んだ後のことは、ほとんど考えていない。
人々に支持されれば、記憶寿命は延びる。
支持されなければ、そのまま消える。

私のHPにしても、「金の切れ目が縁の切れ目」。
プロバイダーへの更新料を払わなければ、そのまま消える。
無料のHPサービス会社にしても、「〜〜か月、更新が
なければ、削除します」というのが、多い。
長くて、1年。
10年を超えることは、まず、ない。
今、こうして書いている文章にしても、私が死ねば、
1年足らずで消える。
(残さなければならないような文章でもないが……。)

だれかが引用してくれれば、その人のHPや、BLOG
で生き残ることはできるかもしれない。
しかしその人も、私と同じ運命をたどる。

こうして、私は、今、こう考える。

今のように仕事ができるのも、あと5年?
生きていられるのも、あと15年?
そのあと、30年もすれば、跡形もなく、消える?
それで私の「命」はおしまい。

●「形」から「心」

……とまあ、ネガティブに考えれば、お先真っ暗
ということになる。
しかしこれは私のやり方ではない。
そこでこう言って自分に言い聞かせる。

私の肉体、文章も含めて、「形」は消える。
それはもう事実。
が、私の書いた文章を読んだ人の中には、何かが残る。
その残ったものが、別の形になる。
別の形になったものが、こうして順送りに、未来に
つながっていく。
もちろんそのときは、「はやし浩司」の名前は、
どこにもない。
しかし、それでもよいのではないか、と。
大切なのは、(形)ではなく、(心)。

あの墓石の人にしても、そうだ。
先にも書いたように、今では、その名前すら読めない。
しかしその子孫の人は、その近くにも住んでいるはず。
そして何らかの形で、その人の(心)を残しているはず。
それでいい、と。

しかしそれにしても、この一抹のさみしさは、
いったい、どこから来るのか?
「生きる」ということは、そういうことであって
よいのか?
「死ぬ」ということは、そういうことであって
よいのか?

何かもっと別の考え方があるような気がする。
しかし今の私には、まだそれがわからない。

●補記

ついでに書く。

若いときには、その時計の音は聞こえない。
しかし60歳も過ぎると、その音が聞こえてくる。
「寿命時計」という時計の音である。
カチコチカチコチ……、と。

その心境は、時計を飲み込んだワニに追いかけられる、
フック船長(ピーターパン)のそれに似ている。
時計の音におびえて、逃げ回る……。
一説によると、作者のジェームズ・バリーは、
それによって、時間に追われて仕事をする現代人を
象徴したという。

しかしジェームズ・バリーがそこまで考えて
いたかどうかは別として、こうも言える。
つまりあの時計は、刻々と時間が短くなっていく
老人の心境を象徴している、と。

今の、私がそうだ。
もっともそういう心理状態を、「強迫観念」という。
心理学の世界では、そういう言葉を使って、説明する。
何かにおいまくられているような心理状態をいう。

その強迫観念ほどおおげさではないにしても、
しかしそれに近い。
「生きるということは、時間との勝負」。
そう考えることも多い。

たとえば私は、満65歳を過ぎたら、再度、
宗教論に挑戦するつもりでいる。
宗教論といっても、カルト教団との戦いをいう。
「どうして65歳?」と思う人もいるかも
しれない。
しかしそれまでは、今しばらく、静かにしていたい。
この世界でカルト教団を相手に、宗教論を書く
ということは、命がけ。
周囲が騒然としてくる。
それを覚悟で書くことができるのは、65歳と
いうことになる。

何とかそれまで脳みそが、健康であればよい。
肉体の方にも、がんばってほしい。
だから「時間との勝負」ということになる。

私が「寿命」という言葉にこだわるのは、
ここにある。

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(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 寿命論 健康寿命 労働寿命 記憶寿命 はやし浩司 寿命 091026)


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

●A氏の再婚問題

++++++++++++++++++++

私の知人に、再婚問題で苦労している人がいる。
現在、年齢は、60歳。
自営業。
娘は2人いたが、嫁いで、今は独り暮らし。

妻は、15年ほど前、事故で死亡。
近所の人の話では、自殺したという説もある。

++++++++++++++++++++

●再婚の条件

 その知人のばあい、50歳を過ぎるころから、再婚の話が、たびたび、もちあがった。
しかし条件がきびしかった。
その男性を、A氏としておく。

A氏の求める女性は、(1)40代(自分の年齢より、10〜15歳、若いこと)。
つぎに(2)できれば初婚。再婚でも、子どものない人、ということだった。

 しかしこんな条件で、再婚に応ずる女性は、い・な・い!
女性の立場で考えてみれば、それがわかる。
A氏は、自分の老後を心配して、再婚を考えている。
つまり妻を、老後の家政婦か介護士か、その程度にしか考えていない。

 さらに具体的な記事が、『プレジデント』(09年10月号別冊)にも載っていた。
「こんな男は結婚できない」というタイトルで、5つの項目が並べられている。

(1)会社の地位や肩書にのみ、存在価値を見だす。
(2)己の年齢を顧みず、10歳以上若い女性に固執。
(3)介護や家事要員としての妻を求める。
(4)服装や見かけに無頓着で、所作にも若々しさがない。
(5)離婚の被害者意識にとらわれ、前妻の悪口ばかり言う。

 A氏のケースでは、このうちの(2)と(3)に該当する。

●家父長意識

 さらにA氏について言えば、最大の問題点は、家父長意識が強すぎるという点。
「夫が上で、妻が下」という、封建時代の亡霊をそのまま引きずっている。
それが問題。

A氏の母親は、7、8年前に他界。
近所でも評判の、気の強い女性だった。
そのため嫁・姑戦争が、絶えなかった。
が、今でもA氏の愛唱歌は、森進一の『おふくろさん』。
「母の悪口を言うヤツは、許さない」も、口癖。

 あなたが女性なら、こんな男性との結婚を考えるだろうか。
雑誌「プレジデント」は、こうも書いている。

「(最低でも)年収が800〜1000万円。さらにいくつかのハードルがある」と。

 こうなってくると、再婚は、ますますむずかしい。
が、A氏にはそれがわからない。
加齢とともに、人は腰が低くなるものだが、A氏は逆。
ますます威張りだしている。

家父長意識というのは、わかりやすく言えば、上下意識をいう。
娘たちの嫁ぎ先の両親が、自分より若いこともある。
そのため、盆暮れのつけ届けを、自分では出したこともないのに、相手からそれが
届かないと、「無礼だ」「失敬だ」と言って、怒る。

 これでは娘たちでさえ、実家に寄りつかなくなる。
……ということで、再婚話が、現れては消える。
それを繰り返している。

 が、これは私たちの世代の男性にとっては、切実な問題。
まさに「明日は我が身かな」。

私「ぼくは、お前が死んだら、さっさと再婚するよ」
ワ「そうね、あなたは、ひとりでは生きられない人だから……」
私「でもね、相手はいないよ」
ワ「そうね、62歳だからね」
私「だから、決めた!」
ワ「何を?」
私「どんなことがあっても、ぼくは、お前より、先に死ぬ」
ワ「そうね、それしかないわよね」と。

 しかしどうすれば、自分やワイフの寿命を調整できるのか。
人間というのは、因果な動物。
生きるのもたいへんだが、死ぬのもたいへん。
生きたいと思っても、それができない人もいれば、死にたいと思っても、
それができない人もいる。

 50代以上の男性の再婚には、そういう問題も隠されている。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 B
W はやし浩司 再婚問題 男性の再婚 50代の再婚)


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

●小さな別れ、2つ

+++++++++++++++++++++++++++++++++

今日、小さな別れが、2つあった。
ひとつは、山鳩の雛(ひな)が、どこかへ行ってしまったこと。
もうひとつは、もっとも愛用していた、小型のパソコンを、
生徒の1人にあげてしまったこと。
しんみりとした、さみしさが、そのつど、スーッと心の中を駆け抜けた。

+++++++++++++++++++++++++++++++++

●山鳩

 私の庭に野生の山鳩が住みつくようになって、もう20年以上になる。
もっと長いかもしれない。
私は、ほとんど毎日、庭に餌をまいている。
最近では、私たちの姿を見ても、逃げない。
ときに私たちの数メートル先で、餌を食べることもある。

 その山鳩。
ときどき「ドバト」と書いたが、これはまちがいだそうだ。
ドバトというのは、街の中で飛び交う、あの鳩をいう。
私の家に来るのは、山鳩。
別名、キジ鳩とも言うらしい。
たいへん警戒心の強い鳩で、人間には慣れないと言われている。

 で、その山鳩が、毎年、私の庭にある木の上で、巣作りをし、雛を育てる。
が、この5、6年、リスが出没するようになった。
そのせいか、餌は食べにくるが、巣作りは別のところでするようになった。
今年も、そうだった。
雛が庭にやってくるまで、どこでどのようにして雛を育てたか、私たちは知らない。
が、ちょうど1週間ほど前、親鳥たちが雛を2羽連れて、私の家の庭にやってきた。
私たちは、大歓迎した。

 いつもより餌をたくさんまいた。
犬のハナには、鳩を襲わないよう、しっかりと言いつけた。
ハナには、それがわかったらしい。
山鳩たちが庭へ来ると、自分は、犬小屋の中に身を潜めた。

 ところで、ふつう山鳩は、2個の卵をかえす。
ほかの山鳩のことは知らないが、私の家ではそうである。
その中で巣立つのは、1羽だけ。
いつもそうだ。
あとの1羽は、もう1羽に巣から追い出される。
追い出された雛は、地面に落ちて、やがて死ぬ。

 もっともその段階で、追い出された雛を私たちが救いあげ、育ててやることがある。
毎年、1羽くらいは、そうしている。
が、今年は、珍しく、2羽の雛を連れてきた。
見ると、栗の木の枝に止まっていた。
尾羽がまだ伸びきっていなかった。
枝から枝へと、移動するのがやっとという雰囲気だった。

 近くに兄貴格の雛がいたが、そちらはほぼ自由に、枝から枝へと、飛ぶことが
できた。
が、もう1羽は、枝の上でじっとしていた。
その雛に、数日前、私の手を近づけてみた。
いつもだと、それくらいの大きさでも、山鳩は逃げる。
が、その雛は逃げなかった。
私の指先に乗った。
うれしかった。
かわいかった。

 それからというもの、毎朝起きると、いちばんに庭へ出て、その雛をさがした。
そのつどキーウィの木とか、栗の木に止まっていたが、だいたいそのあたりにいた。
数日も同じことを繰り返していると、雛は、私をこわがらなくなった。
喜んで指に止まるということはなかったが、指の上でも安心して、目を閉じたり、
羽をつくろったりした。

 夜も仕事から帰ってくると、私は庭で、その雛をさがした。
それまでにワイフが雛の居場所を定めていてくれる。
そこを捜せばよかった。

 が、今朝、10月26日の朝。
まだ薄暗いうちに起きて、庭に出てみた。
が、雛の姿は見えなかった。
昨夜もあちこちを捜してみたが、見えなかった。
つんとしたさみしさが、心の中をかけぬけた。
で、私はそのまま書斎へ。
いつもの日課をこなした。

 それから数時間後。
朝食のとき。
ワイフに呼ばれて、台所へ行くと、ワイフが私の顔を見るやいなや、こう言った。
「いなくなってしまったわ」と。

 もう一度、いそうな場所を捜してみたが、やはりいなかった。
「どこかへ行ってしまったみたい」「そうだな」と。

 おかしなことだ。
私の息子たちが巣立ったときも、同じようなさみしさを覚えたが、まだその先には、
希望があった。
「いつか帰ってくるだろう」という希望である。
しかし山鳩の雛は、そうでない。

 言い忘れたが、山鳩には、山鳩の縄張りのようなものがある。
たとえ自分が産み育てた雛でも、やがて自分の縄張りから追い出してしまう。
そんなわけで、一度巣立った雛は、まれに戻ってくることはあっても、そのまま
どこかへ行ってしまう。
二度と、私の庭に戻ってくることはない。
山鳩の習性というか、これは自然界のきびしい掟(おきて)でもある。

 で、今日は一日中、小雨が降っていた。
私とワイフは、何度も、あの雛のことを心配した。
が、である。
午後になって、ちょうど仕事に出通うとするとき、庭に3羽の鳩がいるのが
わかった。
親鳥たちと、兄貴格のもう1羽の山鳩である。
それを見て、「いないか?」と声をかけると、ワイフが、「いないみたい」と。

 それがその雛との別れだった。
親鳥たちは、兄貴格の1羽の雛にさえ、もう餌を与えようともしなかった。
自分たちの分だけを食べ終えると、そのまままたどこかへ飛んでいってしまった。
「うちへ来れば、ぼくが餌を食べさせてやるのに……」と、私はつぶやいた。
それが最後だった。

 私は職場へと向かった。
しんみりとした、さみしさが、スーッと心の中を駆け抜けた。

●古いパソコン

 もうひとつの別れは、使い古した、愛用のパソコンを、生徒にあげたこと。
使い古したといっても、買ったときは、20数万円もしたパソコンである。
TOSHIBAのSS。
当時としては珍しい、モニターが10インチの超小型パソコンである。

 そのときはうれしくて、毎日それをピカピカに磨いて、枕元に置いて寝た。
そのパソコンで、3冊ほど、本を書いた。
私にとっては、思いで深いパソコンである。

 ほかにも当時使っていたパソコンが、4〜5台残っていた。
が、そちらのほうは、あまり迷わず処分できた。
しかしそのパソコンだけは、処分できなかった。
外観はボロボロ。
が、キーボードの感触は忘れない。
今でも指先に、しっかりとそれが残っている。

 で、今は、もっぱら……というより、2008年になってから発売された、
ミニ・パソコンを使っている。
価格はSSの6分の1程度だが、性能は、最近のミニ・パソコンのほうがダントツによい。
が、それでも、愛着というのは消しがたい。

 そのミニ・パソコンを使っていたら、NY君(小4)が、「いいなあ、先生は
パソコンをたくさん、もっていて……」と。
「全部でいくつくらい持っている?」と聞いたので、「7台くらいかな」と、私が
答えたときのことだった。

 私はその言葉に、ググーッときた。
つい数週間前には、今年の4月に買ったミニ・パソコンを、中3のOKさんに
あげたばかり。
内心では、あげようか・どうしようかと、大きく迷った。
しかし顔にはそれを出さないで、一通り、TOSHIBAのSSから、個人情報を
消した。
そのあと、NY君にこう言った。
「このパソコン、あげようか?」と。

 とたんNY君は、目を輝かせた。
「いいのオ!」と。

私「ああ、でも、これではインターネットはできないよ。
ワープロとか、ゲームはできるけど……」
N「うん……」と。

 こうして私は今日、TOSHIBAのSSを手放した。
しんみりとした、さみしさが、スーッと心の中を駆け抜けた。
「これでいい」と、同時に、何度も、言い聞かせた。
長くつきあった友に、別れを告げたような気分だった。

 ……こうして今日、私は、2つの小さな別れを経験した。
小さな別れかもしれないが、心の奥までジンと響いた。
あとどれだけの人生か、私にはわからない。
が、一生、この2つの別れは忘れないだろう。

長調の二重奏。
ゆっくりとしたテンポの、やさしい曲。
この文章を書いている今でも、その音色が、心の中で響いている。


Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司

【子どもを伸ばすために】

++++++++++++++++++

子どもを伸ばすには、どうしたらよいか。
それについて書いてみたい。

(まとまりのない文章で、すみません。)

++++++++++++++++++

●八つ当たり

脳みそというのは、器用なようであって、器用でない。
基本的には、不器用。
「自分ではこうしたい」と思っていても、脳のほうが、勝手に反応してしまうことがある。
その一つの例が、八つ当たり。

何かのことでいやなことがあったとする。
ムシャクシャする。
するとそのはけ口を、ほかのものや、人に向ける。

向けられた人こそ、えらい迷惑。
そういう心理状態を、心理学では、「置き換え」という言葉を使って説明する。

しかしそれも道理。
一度、ある種のホルモン、たとえばサイトカインなどが分泌されると、
それは脳内全体に作用する。
部分的に、ここだけに作用して……というわけには、いかない。

だから一度、サイトカインが分泌されると、いや〜な気分は、脳全体に影響を与える。
それが八つ当たりの原因ということになる。

が、その八つ当たりをコントロールするのが、理性。
つまり前頭連合野の働きということになる。
が、この前頭連合野の働きは、あまりアテにならない。
個人差も大きい。

つまり本能的な脳の働きの前では、理性の力といっても、風の中で揺れる
ローソクの光のようなもの。
とくに私のばあいは、そうである。
何かにつけて、すぐ八つ当たりしてしまう。

では、どうすればよいのか。

●アクセルとブレーキ

 少し話が脱線するが、許してほしい。

 心理的反応の大きさは、脳に刻み込まれたトラウマ(心的外傷)の大きさによる。
トラウマが大きければ大きいほど、心理的反応は、大きくなる。

 私のばあいも、ふつうの人にとっては何でもないことでも、あること(人)になると、反応が過剰
になることがある。
たとえば「酒」。

 私は酒のにおいが、嫌い。
酒臭い人も、嫌い。
ふつうの人にとっては、何でもないにおいでも、私にとっては、そうでない。
理由は、わかっている。
私の父は、酒癖が悪く、酒を飲むたびに、家の中で暴れたり、大声を出して叫んだ。
それがトラウマになっている。
若いときほどではないが、いまだに、その残像が残っている。

 そういう自分を観察してみて、気がついたことがある。
「置き換え」も、そのときの気分によって、左右される、と。

 たとえば親しい友人が、酒を飲んだとする。
そういうときは、ほとんど気にならない。
ワイフの酒も気にならない。
しかし電車に乗り込んできたような人が、酒臭かったりすると、ムッとする。
あるいは日ごろ、不愉快に思っている人が、酒臭かったりする。
そういうときも、ムッとする。

 条件反射論で考えるなら、こういうことはないはず。
どの人に対しても、反応は平等に起きるはず。
つまり条件反射も、別の何かによって、影響を受けることになる。
なぜだろう?

 そこで自分を観察してみる。
同じ条件反射なのに、強弱はどうして起こるのか、と。

 このことは、少し汚い話で恐縮だが、「便」で考えてみるとわかる。
あのソクラテスは、「自分の糞(おならではない)は、いいにおい」と言った。
しかし便というのは、みな、同じようなもの。
同じように、においも、人によってそれほど、違わない。
が、どうしてか、自分のおなら(便ではない)は、よいにおいがする。
他人のは、そうでない。

 そういうとき、頭の中でこんな反応が起きるのが、わかる。
一度は、臭いと思うが、それを発展的に(?)、「臭い」と思うときもあれば、
「臭くない」と、否定的に(?)、思うときがある。

 他人のものであれば、発展的に、「臭い」と思う。
自分のものであれば、(ワイフのも、そうだが)、「臭くない」と思う。
つまりアクセルを踏むか、ブレーキを踏むかのちがいが、起きる。
その作用が、そのあとの心理作用に、影響を与える(?)。
脳のどこかに、そういうメカニズムがあるらしい。

●潜在意識

 児童心理学の世界には、「好子」「嫌子」という言葉がある。
同じことなのに、それを前向きにする子どもがいる。
一方、それをいやがり、逃げ腰になる子どもも、いる。
こうした現象を、「好子」「嫌子」という言葉を使って説明する。

 これもアクセルとブレーキに似ている。
可能性として考えられるのは、表の意識が、裏の意識、つまり潜在意識に
操られているということ。
そのことによいイメージをもっていると、そのイメージが、アクセルとなって働く。
悪いイメージをもっていると、ブレーキとなって働く。

 たまたま今日も、年中児の男の子に、簡単な文章を読ませようとした。
そのときのこと。
その子どもは、その文章から目をそらし、悲しそうな目つきで、私の顔をじっと見つめた。
明らかに拒否反応である。
文字に対して、どこかで悪いイメージをもってしまったらしい。
それがブレーキとなって働いた。

 そこで何とかその子どもに、その文章を読ませた。
少しずつ私が読み、それを復唱させた。
文字などはスラスラと書くので、その程度の文章が読めないということはない。
で、読んだあと、みなの前でほめ、そしてみなに、手を叩かせた。
とたん、表情がぱっと輝いた。

 で、もう一度、レッスンの終わるころ、その男の子に同じ文章を読ませた。
今度は、大きな声で読んだ。
今度は、アクセルが働いた。

●イメージ・トレーニング

 こうして考えてみると、条件反射をコントロールするのは、実は理性(=前頭
連合野)ではなく、潜在意識ということになる。
あるいは潜在意識のほうが、パワー的には、前頭連合野より強力ということになる。

 こうして生まれた指導法が、イメージ・トレーニング法ということになる。
これは航空大学校に通っていたころの三男から学んだ方法である。
パイロットの卵というのは、訓練の過程で、いつもイメージ・トレーニング法を
使うという。

簡単な例では、たとえば頭の中に飛行機を思い浮かべ、その飛行機が横風を
受けて、流されていく様子など。
そういうイメージを描きながら、自分はどう飛ぶべきかを、頭の中でトレーニング
する。

 私も幼児教室で、このイメージ・トレーニン法を多用している。
たとえば、私が何を言っても、「やりたい!」と子どもたちに言わせる。
大声で言わせるのが、コツ。

「お手伝いをしたいか」「やりたい!」
「ひらがなの勉強をしたいか」「やりたい!」
「お母さんを助けたいか」「やりたい!」と。

(「YES!」「NO!」と言わせるときもある。
「いやだア!」と大声で連呼させるときもある。)

反対に、「いやだ!」と言わせるときは、こうする。

「ゴキブリの天ぷらを食べたいか」「いやだア!」
「ミミズのラーメンを食べたいか」「いやだア!」
「ねずみのウンチのから揚げを食べたいか」「いやだア!」と。

こうしてはずみをつけたあと、少しずつ、内容を現実に近づけていく。

「タバコを吸ってみるか」「いやだア!」
「ちょっとおじさんと、遊びに行かないか」「いやだア!」
「いいところへ連れていってやるから、車に乗ってよ」「いやだア!」と。

(実際の指導風景は、YOUTUBEのところどころに、収録してある。
興味のある人は、そちらを見てほしい※。)

●トラウマつぶし

 こうして子どもたちの脳の中に、前向きな潜在意識を作っていく。
同時に、それを自分自身に応用してみる。

 何かのトラウマがあったとしても、(もちろんそれが何であるかを、先に
知らなければならないが……)、そのトラウマをつぶす。
これを私は勝手に、「トラウマつぶし」と呼んでいる。

 たとえば私は、幼稚園に勤め始めたころ、できの悪い子どもが苦手だった。
そういう子どもに接すると、そばにいるだけでイライラしたこともある。
しかしそれでは仕事にならない。
数か月や半年は、ごまかすことはできても、そこまで。
そのうち子どものほうが、「林先生は嫌い」とか、「幼稚園へ行きたくない」とか
言い出す。
そこで私は、(実のところ、5〜7年もたってから、それに気づいたのだが)、
初対面のとき、「この子はいい子だ」と、自分をだますようにした。
「この子はすばらしい」「この子は伸びる」と。

 それ以後、見違えるほど、子どもたちの表情が明るくなったのを覚えている。
教えるのも楽になった。
で、今でも、そうだ。
……というより、今は、自然な形でそれができる。
だから私が教えている子どもは、例外なく、どの子どもも、表情が明るい。
(表情が明るい子どもにするのが目的だから、当然のことだが……。)
その様子も、YOUTUBEに収録してあるので、ぜひ、見てほしい。

 反対に、その子どもの中に、何らかのトラウマを見つけたら、この方法で
つぶす。

先に、文字に対して拒否反応を示した子どもについて書いた。
レッスンが終わったとき、母親には、こう言って指導した。
「あとは、家で、おおげさにほめてあげてください。
じょうずに読めたね。
お母さんが、うれしかったと言うだけで、効果があります。
お父さんの前でそれを言うと、もっと効果的です」と。

 子どもを伸ばす、本当の力は、子ども自身の内部にある。
その内部を、教育する。
「それが幼児教育」とまでは断言できないが、ここに書いたことはまちがっていない。
あとは、子ども自身が本来的にもつ力で、伸びていく。

 「子どもを伸ばすには」というテーマで書いたつもりだが、何ともまとまりのない
原稿になってしまった。
切り口をまちがえた。
八つ当たりから、話を始めたのが、まずかった。
ボツにしようかと考えたが、このまま発表する。
ごめんなさい!

(注※:YOUTUBEへは、私のHPのトップページより、「BW公開教室」へ。)


Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司

●迷い

 私はよく迷う。
たとえばたった今も、こう迷った。
「こんなことをして、何になるのだろう」と。
YOUTUBEに、昨日の教室の様子を、UPLOADしたときのことだった。

 しかしやるしかない。
笑いたい人がいたら、笑えばよい。
アホなことをしていると思う人がいたら、そう思えばよい。
そういう人にかぎって、自分では何もしない。
平凡は美徳かもしれないが、穴の中に引っ込んでいたら、何もできない。
何かをするためには、穴の中から出る。
私は私。
あとの判断は、他人に任せればよい。

 つまらないものでれば、やがて消える。
そうでなければ、生き残る。
それを決めるのは、私ではない。

 ただ言えることは、「これが私の人生」ということ。
だれの人生でもない。
私の人生。
迷いながら、そう言って自分に言い聞かせる。

 言い忘れたが、消えたところで、どうということはない。
どうせみな、消えるのだから……。


●日本の「円」

 日本政府は、「円」を、世界中にばらまいている。
ジャブジャブどころか、まるで……。
「ジャブジャブ」以上のジャブジャブ。
「ジャブジャブ」以上の言葉は、ない。
そのこともあって、円の為替レートが、メチャメチャ。

 今、オーストラリアでも、ニュージーランドでも、ふつうのホテルの一泊するだけでも、日本円
で、4〜5万円はかかる。
ヨーロッパでもそれくらい。

 外国のホテル代が高いのではない。
日本の(円)が、安い。
安いというより、価値がない。
価値がさがった。

 今はまだよい。
日本の(円)は、かろうじてという状態だが、国際通貨として通用している。
世界中の人が、(円)を、ほしがっている。
しかしこんな状態は、いつまでもつづかない。

 先日も、千葉市に住む息子を訪ねてみた。
市の中心部にあるホテルに泊まった。
一泊、2人で、1万4000円(食事なし)だった。
ほどほどの料金だった。

 が、あたりを散歩してみて驚いた。
近くに焼き肉店があったが、どれも4000〜5000円。
そんなメニューばかり!
関東地方は、物価が高い。
物価が高いというよりは、インフレがジワジワと進んでいる。
それは知っていた。
しかし千葉市までそうだったとは、知らなかった。

 こうした流れは、やがてこの浜松市にも及んでくるはず。
時間の問題。
わかりやすく言えば、手持ちの資金の価値が、どんどんと目減りしているということ。
「貯金が500万円から1000万円になった」と喜んでいたら、実際の価値は、100万円しかな
い。
そういう状況になりつつある。

 本来ならレートを調整するために、円高に向かわねばならない。
オーストラリアのホテルでも、一泊、1万4000円程度で泊まれるようにならなければならない。
が、もうメチャメチャ。

 日本政府は、こうした(メチャメチャ)を、どのように考えているのか。
このままでは、一度、急速な、今までに例がないほどの速度で、円高が進み、そのあと日本の
(円)は、大爆発する。
大爆発して、日本中を、猛烈なハイパーインフレが襲う。
それこそ焼き肉一皿、1万円。
あるいは10万円。
そうなる。

 あるいは(その時)は、すでに始まっているのかもしれない。
不気味。
想像するだけでも、ぞっとする。


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司※

●受験生国家

+++++++++++++++++++++

韓国の受験教育の激しさは、日本の比ではない。
そういうこともあって、韓国のエリートたちは、
いつも(順位)にこだわる。
日本ではニュースにならないようなニュースでも、
彼らには一大事。
ときとして韓国系の新聞に目を通していると。
気分が重くなる。

それはそれとして、朝鮮N報(09・10・27)に、
こんな記事が載っていた。

「世界の豊かさ評価」というのである。
この中で、「日本は、16位」だ、そうだ。

+++++++++++++++++++++

+++++以下、朝鮮N報より+++++

 英民間研究機関のレガタム研究所が世界104カ国・地域を対象に「豊かさ」の指標として発表
している「レガタム繁栄指数」で、フィンランドがトップとなり、韓国は26位に入った。韓国経済新
聞が26日、英フィナンシャル・タイムズ(FT)を引用して報じた。

 フィンランドは経済基盤、統治能力などの側面で最も豊かな国と評価された。レガタムは、▲
経済基盤▲安全保障と治安▲企業家精神と革新▲民主主義▲統治能力▲個人の自由など
九つの要素を考慮し、指数を算出した。

 フィンランドは昨年の3位から1位に浮上し、2位以下はスイス、スウェーデン、デンマーク、ノ
ルウェーとなり、北欧3カ国がそろって上位を占めた。上位20カ国のうち80%は北米、欧州の
国々で、米国は9位、英国は12位、フランスは17位、イタリアは21位だった。

 アジアでは日本が16位でトップ。シンガポールが23位、台湾が24位で続いた。韓国は26位
で、アジアでは4番目だった。韓国は▲経済基盤▲企業家精神と革新▲教育▲統治能力で高
い評価を受けたが、個人の自由に対する評価は振るわなかった。

 今回の調査では、新興のBRICs各国の間で格差が目立った。ブラジルが41位、インドが45位
に入ったのに対し、ロシアは69位、中国は75位にとどまった。レガタムのインボーデン副会長
は「ブラジルとインドは法治、透明性、責任性などでロシア、中国を上回った」と説明した。内戦
に苦しむジンバブエが最下位となり、イエメン、スーダンなども最下位圏だった。

+++++以上、朝鮮N報より+++++

●豊かさ

 「豊かさ」というのは、それを知っている人は、知っている。
知らない人は、知らない。
知らない人は、自分のレベルで、それを(豊かさ)と思い込む。
お金があるから、「豊か」ということにはならない。
モノがあふれかえっているから、「豊か」ということにもならない。
わかりきったことだが、それを知るためには、一度、自分の(豊かさ)を、
日本の外からながめてみる必要がある。

 そういう点では、英民間研究機関のレガタム研究所の公表した順位には、
それなりの意味がある。
日本が16位というのを聞いて、「そうかなあ?」と思ってみたり、
「そんなものだろうな」と思ってみたりする。

 記事には、「フィンランドは昨年の3位から1位に浮上し、2位以下はスイス、スウェーデン、デ
ンマーク、ノルウェーとなり、北欧3カ国がそろって上位を占めた」とある。

 この記事に異論はない。
その一方で、「中国が75位」というのも、よ〜く、わかる。
ここ10年以上、中国本土からやってきた中国人とは、どうも相性が合わない。
会えば、マネーの話ばかり。
その上、自信を持ち始めたのか、威張っている。
日本人を毛嫌いしていて、それを露骨に表現する。

 そういう点では、日本人は、おとなになりつつある。
(豊かさ)というのが、どういうものか、知り始めている。
30〜40年前の日本人は、現在の中国人に劣らぬほど、心が貧しかった。
今にして思うと、それがよ〜く、わかる。

 それにしても、韓国人は、何かにつけ、順位を気にする。
つまりそれだけ、心が貧しいということ。
「韓国は26位」というが、実際には、もう少し低いのでは?

たとえば市内には、最近韓国からやってきた人が開いた飲食店が、いくつかある。
韓国料理は嫌いではないが、どうも、入りづらい。
そういう店は、どこか雰囲気がちがう。
店の中の座敷に、その飲食店の店主の子どもが、寝そべって本を読んでいたりする。
そういうのに、違和感を覚える。
その(違和感)こそが、(豊かさ)のちがいということになる。


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

●満62歳の誕生日に

+++++++++++++++++++++

明日、私は満62歳になる。
62歳?
62歳ねエ〜?

「62歳」と言って、
最初に思い浮かんだ言葉が、これ。
「もう2年も、たったのかア」と。

つい先日、「還暦」という言葉に踊らされたばかり。
そんな感じがする。

つまり加齢とともに、脳のクロック数が
落ちるため(はやし浩司説)、
すべての活動のテンポが遅くなる。
そのため、時間が早く進むように感ずるように
なる(これも、はやし浩司説)。

たとえば若いころの脳のクロック数を、
毎秒100ヘルツとする。
現在は、半分の毎秒50ヘルツとする。
すると見かけは同じ状態でも、実感時間は、
若いころの半分になる。
つまり2倍、早く時間が過ぎることになる。

しかし脳全体の機能が速度的に落ちるため、それを
自分で実感することはできない。
(どこか、アインシュタインの相対性理論に似ている?)
このことは、幼児を教えてみると、よくわかる。

もし幼児を、私のもつテンポで教えたら、幼児は、
あっという間に、私のレッスンに飽きてしまうだろう。
そこで私は、幼児のもつクロック数で、教える。

幼児のもつクロック数は、おとなのそれよりも、
はるかに速い。
教える側が、もたもたしていると、すぐ、「つまんナ〜イ」
という言葉がはね返ってくる。
(こうした様子は、HP(BW公開教室)で、公開中!)

一方、高齢者のクロック数は、低い。
50どころか、20とか、10にまで下がる。
見た目には、ゆったりと時間が流れるが、
その分だけ、高齢者にとっては、早く時間が過ぎる。

……というわけで、もう2年も過ぎた。
あっという間だった。

この2年間で、私は何をしたか?
何ができたか?
中身を見ていくと、結構いろいろあったような気がする。
母の介護と死去。
その間に、兄の死去。
先月は実家を売却して、故郷とは縁を切った。
精神的には、激動の2年間だった。
(少しおおげさかな?)
が、それでもあっという間に過ぎた。
そんな感じがする。

が、過去は過去。
私には、つぎの1年間が待っている。
いろいろ計画がある。
したいこともある。
すべきこともある。
しかし1年といっても、日々の積み重ねで決まる。
その日々は、今という、一瞬、一瞬の積み重ねで決まる。

大切なことは、クロック数を落とさないこと。
鋭敏さを失わないこと。
それは何度も書くが、健康論と同じ。
日々の体力づくりのみが、明日の健康を約束する。
立ち止まったとたん、そのときから、
健康は、下り坂に向かって、まっしぐら!

新聞を読もう。
本を読もう。
音楽を聴こう。
映画を見よう。
旅をしよう。
人に会おう。
新しいものに興味をもとう。
仕事をしよう。
体を動かそう。

それでクロック数があがるとは思わない。
が、しかし維持することはできる。
50ヘルツなら、50ヘルツでもよい。
その50ヘルツを、できるだけ長く維持する。
つまり長生きするといっても、クロック数が
5ヘルツや10ヘルツでは、しかたない。

で、今日、小学5年生の子どもたちに会うから、
つぎのような問題を出してみよう。

【問】

 脳のクロック数が、毎秒100ヘルツの人が、
10年、生きたとする。
一方、脳のクロック数が、毎秒50ヘルツの人が、
20年、生きたとする。
どちらの人が、長生きをしたことになるか。

 きっと子どもたちは、「20年、生きた人」と
答えるだろう。
そこで私は、コンピュータを例にあげて説明したあと、
おもむろに、こう教える。
 
100x10=1000
 50x20=1000で、
「実は中身は、同じだよ」と。

平たく言えば、人生の長さは、年数の長さでは
決まらない。
大切なのは、密度。
密度で決まる。

それがわからなければ、あなたも一度でよいから、
あの特別擁護老人ホームにいる老人たちを
のぞいて見てみたらよい。

ホームのテレビの前に座っている老人たちは、
ぼんやりとしたまま、その日、その日を、
過ごしているだけ。
あとは食事をしているか、眠っているだけ。
毎日、同じことしか言わない老人もいる。
1年を1日のようにして、生きている。

やがて私たちも、ああなる。
まちがいなく、ああなる。
が、その時期は、できるだけ先に延ばしたい。
先に延ばして、自分の人生を、2倍にしたい。
3倍にしたい。
どうせ、たった1回しかない人生だから。

……というのが、満62歳の私の抱負と
いうことになる。
けっして立ち止まらない。
ただひたすら前に向かって進む。

そう、あのスティーブンソン(「宝島」の著者)も
こう書いている。

『我らが目的は、成功することではない。
失敗にめげず、前に進むことである』と。

この言葉をもじると、こうなる。

『我らが目的は、年齢に応じた生き方をすることではない。
年齢を無視して、前に進むことである』と。

++++++++++++++++++++++  

Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司

●2012年

2012年に、なにやら、とんでもないことが起こるらしい。
それをテーマにした映画が、ローランド・エメリッヒ監督の、『2012』。
11月21日に、劇場で公開されるという。
楽しみ。
ぜったい、見に行く。

 で、つぎからつぎへとこういう映画ができる。
ハリウッドに集まる映画マンには、本当に感心する。
まとめて、「ハルマゲドン映画」という。

迫り来る、危機。
人類滅亡の危機。
みなが恐怖におびえ、逃げまどう。
「もうだめだ」と思ったところに、勇敢なヒーローが現れる。
そのヒーローが地球を救う。

基本的には、ウルトラマン映画と変わらない。
月光仮面でもよい。
筋書きとしては、そういうもの。
あとはどう、それをおもしろおかしく演出するかということ。
で、今回は、真実味をつけるために、マヤの暦を利用した。
が、私はこういう映画が好き。
「2012年に、マヤの予言通り、世界は終わる」と。

 映画案内には、こうある。

 「高度な天文学、数学の知識をもち、栄えていたマヤ人。
彼らが残した暦には、ある時を境に、それ以降の記述がない。
昔から「世界終末の日」と言われてきた、その暦最後の日は……
2012年12月21日。
あと3年に迫った現在、マヤの予言だけではなく、現代科学も、「2012年
終末説」を裏づけるデータをつぎつぎと、発表している。

 太陽の黒点問題。
 地球温暖化。
 度重なる、自然大災害……。

 占星術師は星の中にその兆候を発見し、
数秘術師はそれを予言するパターンを見つけ、
地質学者は、それがいつ起きても不思議でないと言い、
政府関係者や科学者さえも、それを言及している。
もはや、このことを否定できる者はいない」と。

 マヤの暦は、2012年12月21日」で終わっているという。
私の家のカレンダーは、2009年12月31日で終わっている。
……というような冗談はさておき、こうした予言は、当たったためしがない。
(当たってもらっては、困るが……。)
10年前には、ノストラダムスの大予言というのが、話題になった。
あれも、完全に、ハズレ!

 興味深いのは、こうした予言をもとにして、デタラメな本を書いた人が、
1人とて、責任を取ったことがないこと。
世の中を不安にするだけ不安にしておいて、かつ莫大な印税を手にしておいて、
あとは「知らない」は、ない。
儲けた分くらいは、社会に還元してほしい。

 もっとも、本気でそれを信ずる人は、いなかったが……(?)。

 で、2012年。
マヤ文明は宇宙人とつながっているという。
私も若いころ、デニケンの本は、何冊か、読んだ。
おもしろかった。
人間だけが、宇宙の、ゆいいつの知的生物という考え方は、おかしい。
人間以外にも、知的生物は、いる。
しかもその知的生物は、私たちの想像をはるかに超えるほど、知的と
考えるのが、正しい。

 人間と、庭に遊ぶ山鳩くらいの差は、あるかも。
そういう知的生物なら、かなり正確に、地球の未来を予測することができるはず。
(予言ではなく、予測。)
その予測を、宇宙人は、マヤの人々に伝えた。
デニケンなら、そう判断するだろう。
それが2012年ということになる。

 しかしおかしなことに、「2012」という数字がどこから出てきたかというと、
それがよくわからない。
「マヤの暦によれば……」ということらしい。
しかし私が知るかぎり、彼らの文字は、いまだに解読されていないはず。
で、あちこちを調べてみたが、よくわからない。
仮に2012年で暦が終わっているからといって、それが「終末」を意味すると
考えるのは、おかしい。
カレンダーにも限界があるように、マヤの暦にも限界がある。
あったところで、おかしくない。
ひょっとしたら、その程度のことではないのか。

 ……とは言っても、楽しみ。
私は学生時代から、SF小説が大好き。
その類の本ばかり、読んでいた。
当時は、地球人と木星人との戦争とか、そういう単純なものばかりだった。
が、それでもおもしろかった。

 脳みそを刺激するには、この種の映画が、いちばんよい。

 なお占星術という言葉が出てきたので、一言。
以前、それについて書いた原稿をさがしてみた。

+++++++++++++++++++++++

●占星術

+++++++++++++++++

今、静かに、かつ密かに、
占星術なるものが、流行している。

街中の片隅で、あるいは、
どこか陰湿なビルの一室で、
あやしげな儀式がが、まこと、
しやかに、行われている。

占星術で占ってもらっているのは、
大半が、若い女性だが、男性もいる。
もちろんそれなりの年配者もいる。

+++++++++++++++++

 占星術としてよく知られているのが、ギリシャで発達した、「黄道十二宮(ホロスコープ)占星
術」である。今、日本でいうところの占星術は、この流れをくんだものと考えてよい。しかし占星
術は、何も、それだけではない。星が見えるところ、すべての世界に、それがある。興味深い
のは、イスラムの世界にも、それがあるということ。

 で、占星術では、「万物は、神によって創造された。ならば、その万物の構成要素から、神の
意思を推し量ることができるはず」というのが、その基本になっている。わかりやすく言えば、太
陽も、星も、そして人間も、すべて神が創造したものである。だからそれら万物は、一体となっ
て、統一性と連続性をもって運行している、と。

 そこで天体の星の位置や動きを知ることで、神の意思を知る。ついで、それらと一体として連
動している、人間の運命を知る、と。

 しかし常識で考えても、いろいろ矛盾がある。

 たとえば黄道十二宮占星術では、その人の生年月日を基準にするが、母体から離れ出て誕
生した日を生年月日というのも、よくよく考えてみれば、おかしなこと。原理的には、男の精子
が、母親の子宮に着床したときをもって、生年月日と言うべきではないのか。例がないわけで
はない。

 中国では、年齢をいうとき、(数え年)で数える。つまり生まれたとき、すでに1歳とするのは、
生まれる前の1年間を、母親の母体内で過ごしていると考えるからである。イスラムの世界で
も、その人の星位は、受胎時の星位によって決まると考えられている。

 ならば私やあなたの誕生年月日は、母体から切り離されたときではなく、ここにも書いたよう
に、受胎したそのときをもって、決まると考えるのが正しい。少なくとも、占星術では、出産日で
はなく、受胎日を基準にして、その人個人の運勢を占うべきである。

 年齢だけではない。占星術といっても、ここに書いた出生によって、その人の運命を判断す
る、「出生占星術」、太陽、月、星などの動きから、世界や国の動きを判断する、「全体占星
術」、いつどのような形で行動を始めるかを占う、「開始行動占星術」、そのつど天体の動きを
参考に、質問者の質問に答える、「質問占星術」などがある。

 が、何といっても多いのが、ここに書いた、個人の運勢や運命を占う、「運命占星術」。

 しかし仮に、万物が神の創造物であるにしても、それは人間という単位。あるいは生物という
単位で、ものを考えるべきではないのか。たとえば公園の広場に住む、アリを考えてみればよ
い。もしそこにすむアリたちに、何かの異変が起きるとしたら、公園の工事や、清掃作業による
もの。しかしこのばあいでも、一匹、一匹のアリがどうこうなるというわけではない。公園に住む
アリ全体が、その影響を受ける……。

 ……という話を書くことすら、バカげている。

 星の位置といっても、宇宙という3次元の空間にある星々を、地球という一点から、二次元、
つまり天空という平面で見ているにすぎない。星々までの距離は、計算に入れていない。

 つまり星の位置といっても、実に自己中心的な視点で、それを見て言っているにすぎない。サ
ソリ座だの、何のと、真顔で、口にすること自体、バカげている。宇宙船で、100光年も先へ行
けば、星座の位置、形、すべてが変わる。1000光年も先に行けば、もっと、変わる。星位とい
う概念すら、消えてなくなる。

もうひとつつけ加えるなら、占星術は、つねに数学と結びついて発達してきた。占星術イコー
ル、数学と考えてよい。

 その「数学」が何であるかもわからないような、そこらのオバチャンが、口八丁、手八丁で、占
星術をするから、話がおかしくなる。

 こうした占いは、人々の心のスキマをついて、これからもなくなることはないだろう。しかしこれ
だけは言える。

 「生きることとは考えること」という人にとっては、占いを認めることは、その生きることを放棄
することに等しい。占いに頼るということは、考えることを、自ら放棄するようなもの。それでもよ
いと言うのなら、それはそれでかまわない。そのあとの判断は、それぞれの人の勝手。私の知
ったことではない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 占星
術 占い 黄道十二宮占星術 ホロスコープ占星術)


【追記】

●占星術(2)

 超自然的な絶対性。それが占いの基盤になっている。占星術についても、例外ではない。占
星術も、もとはといえば、万物の創造主たる神の存在を、大前提にしている。つまり占星術の
世界では、この大宇宙も、そして地球上に住む、ありとあらゆる生物も、すべてが一体として、
統一化され、かつ連動しているという考えを、基本とする。

 大宇宙は、そのまま私たちが住む小宇宙と、照応関係にあるとみる。

 これは何も占星術にかぎらないことだが、占星術も含めて、あらゆる占いには、宗教性があ
る。事実、イスラム教の世界では、イスラム教は常に、占星術とともに、歩んできた。とくに占星
術については、占星術イコール、イスラム教と考えてよい。

 イスラム教の寺院の天井が、ドーム状になっているのも、そうした教えに基づく。つまり、その
ドームの形そのものが、大宇宙と連動する小宇宙を表現している。

 反対に、仮に、占いから、その宗教性を消してしまえば、占いは、占いとしての意味をなくす。
たとえばだれかがあなたの生年月日を聞いたあと、何やら意味のわからない計算盤を見つめ
ながら、こう言ったとする。

 「あなたの寿命は、あと5年です。それを避けるためには、毎晩、床の北東の位置に、ローソ
クを立てて眠りなさい」と言ったとする。

 信ずるか、信じないかは、あなたの勝手。……というより、それはあなたの宗教性による。意
識的であるにせよ、あるいは、ないにせよ、もしあなたが、不可思議なものにたいして、それを
超えた(何か)を、感ずれば、あなたには、その宗教性があるということになる。笑って無視す
れば、あなたには、その宗教性がないということになる。

 その宗教性は、ふとしたきっかけで、信仰心に変身する。信仰心といっても、おおざっぱに言
えば、2種類ある。ひとつは、教えを重要視するもの。もうひとつは、超自然的なパワーを盲信
するもの。前者を、哲学主義というなら、後者は、神秘主義ということになる。

 もちろん、その中間もある。色の濃さも、それぞれの宗教によって、ちがう。宗派によっても、
ちがう。しかしたいていのばあい、宗教は、信者を問答無用式に黙らせるために、絶対的な存
在を、信仰の中心に置く。「イワシの頭も信心から」とは言うが、イワシの頭では、信者を黙らせ
ることはできない。

 神や仏がよい。あるいは太陽がよい、月がよい。さらには、星がよい、と。

 よく誤解されるが、宗教があるから、信者がいるのではない。宗教を求める信者がいるから、
宗教が生まれる。そしてその宗教も、ビジネスの世界と同じように、需要と供給のバランス関係
によって、発展したり、衰退したりする。

 たとえば、私が子どものころには、占星術なるものは、日本には、存在しなかった。どこかに
は、あったのかもしれないが、少なくとも、私たちの目の届くところには、なかった。ただ歴史的
には、天空の異変を見ながら、その国の吉凶を占うということは、日本でも、中国でもあったよ
うだ。

 中国における古代天文学は、そうした視点から発達した。

 しかしそれが個人レベルの占星術、つまり運勢占星術として、日本で定着し始めたのは、私
の記憶によれば、1970年代以後のことではなかったか。こと「星」について言えば、日本人
は、元来、無頓着な民族と言える。星座、それにつづく天文学については、それについて研究
したという史料は、ほとんどといってよいほど、残っていない。(これは多分に、私の認識不足
によるものかもしれないが……。)

 占星術も、その後、需要と供給のバランスの中で、発展した。(発達したのではなく、発展し
た。誤解のないように。)もっと端的に言えば、心にスキマのある人たちが、より、もっともらしい
(占い)に飛びついた。占星術は、そういう意味で、日本人の需要に、うまく答えたということに
なる。

 それ以前には、手相、姓名判断、八卦(はっけ)などが、占いとして、日本人の心のスキマを
埋めていた。私の実家では、毎年正月に、近くの神社から配られる、運勢判断を見ながら、そ
の年の計画を立てる慣わしになっていた。

一方、占星術は、こうした旧来型の占いとちがい、どこか数学的であるという点と、「星」そのも
のがもつロマンチックな雰囲気が、若者の心をとらえた。そして今に見る、占星術、全盛期を迎
えるにいたった。

 書店でもコンビニでも、その種の本がズラリと並ぶ。占星術師なる人物が、テレビに顔を出さ
ない日は、ない。

 しかしこうした現象が、子どもにとって望ましい現象かどうかということになると、それは疑わし
い。占いそのものがもつ非論理性もさることながら、ここにも書いたように、占いは、神秘主義
と結びつきやすく、それがそのまま宗教性へとつながっていく可能性が高い。あの忌まわしいO
真理教による、地下鉄サリン事件以来、カルトと呼ばれる狂信的宗教団体は、表向きは、なり
を潜めている。が、しかし今の今も、社会の水面下で、その勢力を拡大していることを忘れて
はならない。

 こうした子どものもつ宗教性が、いつなんどき、そうしたカルトによって利用されるか、わかっ
たものではない。忘れてならないのは、占いは、立派な、信仰である。しかもその信仰は、神秘
主義そのものである。

 何の批判もなく、何の制約もなく、占星術なるものが、大手を振ってこの日本を闊歩(かっぽ)
している。それは子どもたちの未来にとっては、たいへん危険なことと考えてよい。

 ペルシャの散文家、ニザーミイー・アルーズィーは、こう書いている。

 「占星術師は、魂も性格も清く、人に好かれる人物でなければならない。また外見上、いくら
かの精神錯乱、狂気、預言めいたことを言うのが、この術の必須条件である」と。つまり「異常
な霊感こそが重要」(学研「イスラム教の本」)と。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 占星
術 子供の世界 占い 神秘主義 神秘主義的傾向)


Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司

●10月28日

平凡は美徳だが、その美徳に溺れてはいけない。
溺れたとたん、平凡のワナにはまる。
マンネリの世界に陥る。
そこは「虚」の世界。
変化がなく、退屈な世界。

そこで重要なことは、平凡を感じたら、平凡を旨(むね)としつつ、
変化と刺激を求める。
その変化と刺激が、人生を、潤い豊かなものにする。

……とまあ、自分にそう言い聞かせながら、今日も始まった。

昨夜は遅くまで、温泉へ行ってきた。
舘山寺にそういう温泉があって、1〜2時間、そこで過ごすことができる。
「静岡県最大級の浴場」という。
平日の、午後7時以後に行くと、ガラガラ。
昨夜も、男湯のほうは、私と長男だけ。
途中、外人の男が2人、入ってきたが、サウナにしばらく入ったあと、すぐ、
出て行ってしまった。
雰囲気的に、同性愛者という感じがした。

その疲れというか、気(け)だるさがまだ残っている。
脳みその緊張感は緩んだまま。
いろいろ書きたいことはあるが、それが頭の中でまとまらない。
言うなれば、霧のよう。
それがモヤモヤと漂っている。

そうそう、ワイフの話では、昨日、山鳩の雛が2羽、私の家の庭に
戻ってきたという。
よかった!
おとといは雨。
冷たい雨だった。
その雨を見ながら、雛のことを心配していた。

で、今日は、私の誕生日。
どうということのない誕生日。
いつもと変わらぬ、1日。
昨夜、三男から電話があった。
「明日は、ぼくの誕生日だから、電話してよ」と言ったら、「わかった」と。
まあ、その程度。
昔から、誕生日は、家族だけで祝うようにしてきた。
それでここ10年は、さみしい誕生日になってしまった。

Happy Birthday to Me!


Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司

●絶望

++++++++++++++++++

Aさん(女性)が、こう言った。
「うちの母(87歳)は、特養(特別養護
老人ホーム)へ入れたとたん、歩かなく
なってしまった。
車椅子に座ったまま、動こうともしない」と。

それを聞いて、「しまった!」と思った。
ショックだった。
うすうす、そうではないかと感じてはいたが、
やはりそうだった!

+++++++++++++++++++++

●私の母

 そのときは、そのつもりはなかった。
予約するつもりだけだった。
そのつもりで、近くの特養へ行くと、たまたま園長が応対してくれた。
そのときは、その女性が、園長ということも知らなかった。
で、園長はこう言った。
「ちょうど1人、病院へ移りました。
今なら、すぐ入れます」と。

 家に帰って迷っていると、義姉がこう言った。
「すぐ、入れなさい。
順番を待っていたら、早くても1年後とか2年後になるわよ」と。

 そこで母を、特養に入れることにした。

●特養の問題

 最初、1週間は、毎日、母のところへ通った。
そのたびに、母は、こう言った。
「K村(=母の実家のある村)へ、帰りたい」と。
私とワイフは、そういう母を懸命になだめた。
が、それも一巡すると、母から急速に元気がなくなっていった。
それまでは、デイサービスのときも、どこかに緊張感があった。
その緊張感が、消えた。

 その母も、特養では、まったくといってよいほど、運動をしなくなった。
私はそれは、特養のシステムのせいだと思っていた。
介護度が低い高齢者については、いろいろな療法がしてもらえる。
しかし介護度4以上の入所者については、しない、と。
が、いくら介護度が高くても、何かの療法は、必要ではないのか。
ただ座らせておくだけの特養に、心のどこかで不満を感じていた。

●絶望感

 が、もし、あなたが、(私が)、ああいう部屋に閉じ込められたら、
あなたは、(私は)、どう思うだろうか。
 まわりは、ぼんやりとした高齢者ばかり。
大きなベッドに、鼻からチューブを通されて寝ている高齢者もいる。
会話も通じない。
やることは、何もない。
昼間は、ガンガンと、見たくもないテレビを見せつけられる。

 あなたなら、(私なら)、その瞬間、絶望感を覚えるにちがいない。
絶望感だ。
その絶望感を、母は覚えた。
確信はないが、入所したとき、母は、まだ冗談が通ずるほど、頭のほうは、
しっかりとしていた。
私の家でも、パイプをつたって、歩いていた。
が、特養に入ったとたん、元気がなくなった。

●死の待合室

 絶望……その恐ろしさは、それを経験したものでないとわからない。
心が自分の体から、抜けてしまったかのようになる。
生きる気力そのものが、消えうせる。
「もうダメだ」という思いが、大波のように打ち寄せては消える。
しかしなす術(すべ)は、ない。
虚脱感。
空虚感。
やがて「死」が、すぐそこに見えてくるようになる。
死への恐怖は、そのときには、もう、ない。

 特養へ入った母は、恐らくその絶望感を覚えたにちがいない。
もともと気が強い人だった。
プライドも高く、おまけに虚栄心も強かった。
そんな母だったから、まわりに、そういう人たちを見たとき、
自分がそういう立場であることを知った。

 もしそれがあなたなら、(私なら)、そのとたん、生きる気力をなくすだろう。
まさにそこは、死の待合室。

●母の様子

 それをワイフに話すと、ワイフは、こう言った。
「私にも、わからなかったわ。
お母さんには、快適な場所のように見えたわ」と。

 しかしいくら歳をとっても、いくら頭の働きが鈍くなっても、
死への恐怖心はある。
死の恐怖心がある以上、絶望感もある。
(生きたい)という思いと、(死にたくない)という思いが、はげしくぶつかる。
その(生きたい)という思いが消えたとき、(死んでもいい)となる。
絶望した状態というのは、それをいう。

 たしかに特養での母は、おだやかで、やさしかった。
すべてを受け入れ、すべてを許しているかのように見えた。
しかしそれはあくまでも、結果。
母は、絶望感を覚えた。
同時に、生きることをあきらめた。

●ワイフの意見

私「今の特養制度にも、大きな問題があるよ」
ワ「そうね」
私「老人をただ生かしておくだけ、という感じがする」
ワ「そう、そう言えば、そうね」
私「どんな老人にも、生きがいが必要だ。その生きがいを用意し、
それを助けてやるシステムが必要だ」

ワ「でも、みんな、精一杯よ。できるかぎりのことをしてるわ」
私「そうかもしれない。でも、もっとできることは、あるはず。
今のような隔離病棟のようなシステムにするのではなく、元気になって、
退所していくような人の姿が見えるようなシステムにする」と。

 母も、毎月のように、特養で亡くなっていく人を、見ていたはず。
母にとっては、それがいかにつらいものであったことか。
私には、知る由もなかった。
目先のサービス、たとえば24時間看護、個別の献立、完全冷暖房、
近代的な入浴システム……。
そういったものばかりに目を奪われて、
母の心の中までは見なかった。

 しかしそれでは高齢者の心は救えない。
あなただって、(私だって)、それも運がよければの話だが、
いつか、そういうところへ入る。
早いか遅いかのちがいだけ。
そのとき、あなたは、(私は)、どうしてほしいか。
それを考えれば、特養はどうあるべきか、それがわかるはず。

 Aさんの母親も、特養へ入ったとたん、元気をなくしたという。
同じような話は、あちこちでも聞く。
しかしそれは、あなたの、(私の)、近未来の姿でもある。
それとも、あなたは、(私は)、もしだれかに、「君たち老人は、だまって
静かに死ね」と言われたら、それに耐えられるだろうか。

 まだ言葉も話せない幼児にも、人権はある。
同じように、寝たきりになった高齢者にも、人権はある。
その視点をふみはずして、老人問題を語ることはできない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW 老人の人権 高齢者の人権 特別養護老人ホーム 特養 絶望について 絶望
論)


Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司

●マッサージ

今日、生まれてはじめて、マッサージ・パーラーなるものに行ってきた。
外国で、「マッサージ・パーラー」というと、男性に、(最近では女性専用
の所もあるそうだが)、性的なサービスをするところを意味する。

私が行ったのは、もっと健康的なところ。
息子が、サービス券を贈ってくれた。
2枚、あった。

で、私が1枚、ワイフが1枚、使った。
外国のホテルに泊まったようなときは、よくマッサージをしてもらう。
が、今回のように、市中にあるマッサージ・パーラーに行ったのは、はじめて。
私たちも、いよいよ老人の仲間入り!

 リラックス・コースというのを選んだが、リラックスできたかどうかは、
わからない。
体中を、いじくり回されただけ。
あとで私が、「どうせするなら、チxチxのほうもしてくれたらよかった」と
言うと、ワイフが、「そんなことしたら、風俗店になってしまうわ」と。

 とにかく楽しい経験だった。
料金は、1分で100円。
30分コースで、3000円+消費税。
50分コースで、5000円+消費税。
あとは希望に応じて、料金が決まる。

 生まれてはじめての経験だったので、ここに記録しておく。
62歳の誕生日に、よい経験をさせてもらった。


Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司

●睡眠障害(ナルコレプシー)

このところ、朝早く、目が覚める。
理由が、ある。
もともとそういうことはあったが、
昼寝の時間が長くなった。
以前は、昼寝といっても、うたた寝程度。
時間にすれば、30分前後。
それが最近では、長いときは、1時間半ほど、
眠ってしまう。
それで、その分だけ、朝早く目が覚めるようになった。
(あるいは、その逆かもしれない。)

で、今朝も、午前4時に起きた。
先週くらいまでは、それでも……と思って、
目を閉じたまま、横になっていた。
加えて、外気が冷たかった。
起き上がるのが、つらかった。
が、そうしていても、頭の中は、どんどんと、冴えていくばかり。
だからこうして思い切って、起きることにした。
だから、午前4時。

睡眠障害といえば、ナルコレプシーがある。
日中、感情が高ぶったようなときに、ふいに眠ったような状態になる。
かくんと全身から、力が抜けたような状態になる。
が、本人は、「眠っていない」と、言い張る。
意識はしっかりとしている。

幼児では珍しい。
私も過去40年間に、1例しか経験していない。
しかし中高校生になると、急にふえてくる。
何かのことで強く叱ったり、あるいは本人自身が興奮状態に
なったようなとき、そうなる。

そのとき子どもによっては、(もちろんおとなもそうだが……)、
勝手な行動をすることもある。
つまり体が、勝手に動いてしまう。
こういうのを、「自動行動」と呼ぶ。

大切なお知らせを、ふいにゴミ箱へ捨てたりする。
「A先生に渡して」と言って、渡したメモを、B先生に渡してしまったりする。
「どうしてそんなことをするの?」と、たしなめても、
本人には、その自覚がない。
意識的な行為というよりは、無意識的な行為である。

健常者でも、似たような行為をすることがある。
たとえば、そこにかなり背の低い人がいたとする。
だから内心では、「身長の話題は避けよう」と思っている。
が、何かの拍子に、ふいに、身長の話をしてしまう。

こうした現象が、ナルコレプシーでは、極端な形で現れる。

原因は、睡眠障害と考えられている。

ふつう人は、睡眠中、ノン・レム睡眠→レム睡眠を、5〜6回繰り返す。
そのリズムが乱れる。
それが慢性化する。
結果として、特異な症状を表すようになる。

そういう意味でも、規則正しい生活は、重要である。
夜遅くまで、興奮性の強いゲームをする。
徹夜で、受験勉強をする。
このタイプの子どもが、ナルコレプシーになりやすい(?)。

で、私のばあい、迷っている。
このまま今のように、昼寝時間を長くして調整するか。
それとも昼寝時間を短くして、夜の睡眠時間を長くするか。
たまたまおとといは、昼寝なしで、がんばってみた。
昨日も、昼寝をしないようにと、がんばってみた。
(夕方、15分程度、椅子に座ったまま、うたた寝をしてしまったが……。)

が、こういう日が数日もつづくと、頭の中がモヤモヤとするだけで、
ものが書けなくなってしまう。
注意力が散漫になってしまう。

やはり体のことは、自然に任せるのがよい。
何ごとにつけても、自然体。
それが一番。
国によっては、昼寝を日課にしているところもある。

ただ気になっていることが、ひとつ、ある。

私とワイフは、ときどき、仕事が終わってから、深夜劇場に足を運んでいる。
時間的には、午後9時以後〜ということになる。
家に帰ってくるのは、そういう日は、夜中の12時前後。
そういう生活は、あまり好ましくない。
自分でも、よくわかっている。
これからは別の方法を考えよう。

++++++++++++++++++++

以前、ナルコレプシーではないかと思われる女性がいた。
その人について、その雇い主の方から、相談があった。
その女性は子どものころ、ADHDと診断され、
薬をのんでいたという。
で、今もそれではないか、と。
女性の年齢はわからないが、20歳前後と思われる。

で、立ち話だったので、私は「おとなのADHDは
珍しい。女性のばあい、多弁性が残ることが多いが、
症状としては、落ち着いてくる。子どものころ、
ADHDではなく、活発型自閉症児ではなかったのか」
と話した。

で、翌朝、その女性に症状について詳しく書かれた
メールが、届いていた。

その返事。

++++++++++++++++++++

(補足)ナルコレプシー

SW様へ

おはようございます!

メール、ありがとうございました。

「活発型自閉症」というのは、もう20〜30年前までの用語です。
今は、「自閉症スペクトラム」と言います。

当時は、(今もそうですが)、活発型自閉症児と、ADHD児の区別は、
たいへんむずかしいです。
ADHD児は、思考や行動は明晰であるという点で、区別していました。


で、いただいた女性の件ですが、私は、「ADHDではないと思う」と言いました。
おとなになると、表面的な症状はわかりにくくなります。
女性のばあい、ふつうでない多弁性だけは残りますが、ほかの症状は、落ち着いて
きます。

しかしメールによれば、主症状は、注意力散漫、居眠りということですから、
活発型自閉症のおとな型というよりは、ナルコレプシーではないかと
思いました。

ご存知のように、私たちの年齢層には、睡眠時無呼吸症候群という
恐ろしいのもありますが、これは私たちの年代で、かつ肥満型の人に多いものです。
このタイプの人も、日中、突然の睡眠に襲われたりします。

ナルコレプシーのばあいも、突然眠ったような状態になります。
が、そのとき、意識は残ったままになるので、「私は眠っていません」となるのです。

で、ナルコレプシーについては、
以下のHPをさがしてみました。
いちばん詳しく書かれていると思います。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~narukohp/3100.html#Q102

(↑)をクリックしてみてください。

その女性のばあい、(内面的な激怒)が引き金となり、ナルコレプシーを
引き起こすのではないかと思われます。
過去のADHDは、関係ないと思われます。
というのも、ADHD児(子どものばあい)でも、居眠りは、起きません。
ADHDの症状はあったかもしれませんが……。
それは現在の症状とは、関係ないと思われます。

また子どもの世界にも、勝手に別の行動をしてしまう(自動行動)子どもも
ときどき見られます。
ふつう激怒をともないますので、かんしゃく発作ということで、
片づけてしまうことも多いです。
(というのも、私には診断権はないものですから……。)

その女性のばあいも、自動行動が見られるようですね。
もしそうだとするなら、医療従事者としては、不向きかもしれません。
薬をまちがえられたら、こわいですから……。

話は変わりますが、活発型自閉症児と呼んでいた子どもは、
始終、動き回り、勝手な行動を繰り返します。
健常児のような会話ができません。
ADHD児は、そのつど、会話はできます。
強く叱れば、瞬間ですが、シュンとおとなしくなったりします。

が、今では、自閉症による症状が、きわめて多岐にわたり、
また千差万別。
境界がはっきりしないということで、「自閉症スペクトラム」という
言葉を使います。

この点については、立ち話での応答ということもあり、いいかげんな
ものでした。
どうかお許しください。
つまり「おとなのADHDは珍しい」ということで、同じような
症状としては……ということで、「活発型自閉症児」という
言葉をあげました。

しかしメールによれば、ナルコレプシーでは(?)と思うように
なりました。
もちろんこれは私のひとつの意見にすぎません。

以前、そういう子ども(年長・女児)がいました。
睡眠指導をあれこれしてみましたが、効果はありませんでした。
しかしナルコレプシーは、子どもには、たいへん珍しく、
中学、高校くらいから、多くなります。
強く叱ったとたん、かくんと眠ったような状態になる、
あるいは、気を失ったような状態になります。

以上ですが、おとなの世界のことは、本当のところ、
よくわかりません。
ごめんなさい。

では、

はやし浩司


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

●WINDOW7

WINDOW7が発売になって、ちょうど1週間が過ぎた。
評判は、よい。
昨日、コンビニで、『日経PC21』(12月号)を買ってきた。
表紙に、「全部見せます! Window7」とあった。

寝床へ入ってから、特集記事を読んだ。

(パート1)新機能編
(パート2)乗り換え編
(パート3)環境設定編
(パート4)互換性編
(パート5)PC購入編

ざっと読んでみたが、この世界、ついていくだけでも、たいへん。
それなりの専門家ならまだしも、私のような(ふつうの人)には、
その時間さえない。

読み終えたとき、「ますます二極化が進むだろうな」と思った。
(パソコンを使う人)と(まったく使わない人)。
それが両極端に分かれる。
とくに50代以上の人の間で、それが進む。

たとえばWINDOW7では、メールソフトなど、いわゆる定番ソフトは、
自分でインストールして使う。
しかし今の今でさえ、メールアカウントを、自分で設定できない人は多い。
それを、「自分でインストールして……」となると、さらにハードルが
高くなる。

インターネットをするといえば、メールのやり取りをいう。
どうしてWINDOW7では、それをはずしたのか。
理解に苦しむ。

なお、インターネット・エクスプローラ(IE)や、メディアプレーヤー
などは、最初から組み込まれているという。

やっとビスタを使い慣れてきたというのに、今度は、WINDOW7。
頭の刺激にはなるが、一方で、お金の問題も起きてくる。

ほんの10年前には、パソコンというと、20〜30万円が相場だった。
高価なものだから大切に使ったが、今では周辺機器も含めて、すべてガラクタ。
だから今では、ことパソコンについて言えば、「大切に使っても意味がない」
という、おかしな感覚が働く。
「どうせ、4、5年もすれば、ガラクタになるから……」と。

パソコンというのは、(ビデオカメラもデジタルカメラも、そうだが)、
保証期間中は、使って使って使いまくる。
ボロボロになるまで、使いまくる。
少なくとも、磨いて、棚にしまっておくようなものではない。
もちろん骨董的価値が出てくるということは、ぜったいに、ない。

かく言う私も、今度の日曜日に、WINDOW7に、乗り換えるつもり。
その作業をするつもり。
楽しみ!


●同窓会名簿

 昨日、同窓会名簿を、戸棚にしまった。
ああいうのは、あまり見ない方がよい。
一度見出すと、気になってしかたなくなる。
「あの人は、どうなった?」「この人は、どうなった?」と。
しかしその動機が問題。
のぞき趣味的な、イヤーナ好奇心。
それが自分でも、よくわかる。

 私は私。
人は人。
それで、よい。
たぶん、中には、同窓会名簿を見て、私のことを調べている人もいるかも
しれない。
どうせ2度と会うこともないから、「ご勝手に!」と言いたいが、本音を
言えば、「放っておいてほしい」。

 一度調べたことがあるが、アメリカやオーストラリアを含む欧米の学校には、
同窓会(Class Reunion Party)というのは、ない。
学校のシステムそのものが、ちがう。
(ただしカレッジごと、大学ごとの、同窓会はある。)

日本では、年齢別に学年が分かれ(学年制度)、かつ1つのクラスに担任の
教師がつく(担任制度)。
が、欧米には、そういった制度そのものがない。

 が、日本では、同窓会を大切にする。
その中における、先輩、後輩意識も強い。
江戸時代の身分制度が、学歴制度に置き換わったという経緯(いきさつ)もある。
その人の出身校で、その人を判断するという意識も、いまだに根強く残っている。
が、同窓会には、もうひとつの意味が隠されている。

 人も晩年になると、回顧性が強くなる。
未来を見る展望性より、過去をなつかしむ回顧性が強くなる。
そのために50歳をすぎると、同窓会の回数が、急速にふえてくる。
しかしそれをよしとしてはいけない。
回顧性などというものは、戦うべきものであって、受け入れるべきものではない。
私たちは常に、未来に向かって、前向きに生きていく。

そうでなくても、私たちの年代になると、くじけやすくなる。
過去を振り返りたくなる。
が、一度回顧性に毒されると、それこそ、毎日仏壇の金具を磨いて過ごすようになる。
そうなったら、片足を棺おけに入れたも、同然。
そこで時間は止まる。

 回顧性に浸るのは、最後の最後でよい。
……ということで、同窓会名簿は、戸棚にしまった。
そうでなくても、他人の動向を詮索するのは、よくない。
昼のワイドショーのように、低劣で、不快。
タレントの私生活を暴いては、ワイワイと騒いでいる。
ああいう人たちのまねだけは、したくない。


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司※

●島崎藤村 

+++++++++++++++++

島崎藤村といえば、『初恋』。
「まだあげ初(そ)めし前髪の……」の『初恋』。 

そう思うのは、私だけか。
ほかにもいくつかあるが、島崎藤村といえば、『初恋』。
それが第一に浮かんでくる。

+++++++++++++++++

●初恋

まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり

わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな

林檎畠の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと
問ひたまうこそこひしけれ

●初恋(よみがな入り)

まだあげ初(そ)めし前髪の
林檎(りんご)のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛(はなぐし)の
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅(うすくれない)の秋の実に
人こひ初(そ)めしはじめなり

わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃(さかずき)を
君が情(なさけ)に酌(く)みしかな

林檎畠の樹(こ)の下に
おのづからなる細道は
誰(た)が踏みそめしかたみぞと
問ひたまうこそこひしけれ

●初恋(解説入り)

まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の……「花櫛」→花の絵や彫り物がある櫛のこと
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり……「人こひ初めし」→初恋

わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな

林檎畠の樹の下に
おのづからなる細道は……「おのずからなる」→自然にできた(細道)
誰が踏みそめしかたみぞと……「かたみ」→残したもの
問ひたまうこそこひしけれ

●島崎藤村

 私は合唱が好きで、中学のときはコーラス部。
以後、高校、大学と、合唱部、合唱団に属していた。
ピアノを弾くことはもちろん、音譜もろくに読めない私が、合唱団にいたのだから、
恐ろしい。

 合唱団では、島崎藤村の曲を、よく歌った。
『♪千曲川旅情』もそのひとつ。
組曲になっていた。

『小諸なる古城のほとり          
雲白く遊子(ゆうし)悲しむ
緑なすはこべは萌えず          
若草も籍(し)くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡辺(おかべ) 
日に溶けて淡雪流る』

 よく知られているのに、『高楼』がある。
小林明という歌手が、この歌を歌っていた。
私はこの曲も好きだった。
よく口ずさんだ。

『♪とほきわかれに(遠き別れに)
  たえかねて(耐えかねて)
  このたかどのに(この高楼に)
  のぼるかな(上るかな)

  かなしむなかれ(悲しむなかれ)
  わがあねよ(我が姉よ)
  たびのころもを(旅の衣を)
  とゝのへよ(整えよ)』

●系譜

今どき、若い人たちに島崎藤村といっても、ピンとこないかもしれない。
私たちジー様世代よりも、さらに一昔前の詩人である。

 で、年譜を調べてみると、1872年(明治5年)、長野県木曽郡山口村に生まれる。
小学校に入学当時から、『千字文』『勧学篇』を父から学ぶ。
中学校は、東京・芝の三田学校から、神田の共立学校に転校。
明治学院普通学部本科に入学とある。

 明治5年生まれというから、教育的にかなり恵まれた環境に生まれ育ったことになる。
ふつうの家庭ではない。
ふつうの家庭の子どもは、尋常小学校へ通うだけで、精一杯。
あとは皇族、士族、大商人の師弟のみ。
そういう人たちだけが、今で言う大学へ進学することができた。

 島崎藤村の代表作は、もちろん、『夜明け前』。
満56歳ごろから本格的に準備を始め、第一部は、60歳のとき新潮社より刊行されている。

 そのあと63歳のときに第二部を、同じ新潮社より刊行。
同年、日本ペンクラブが結成され、会長に就任。

 1943年(昭和18年)、脳溢血のため、大磯の自宅で死去。
享年71歳だったという。

●一考

 島崎藤村の「初恋」に描かれた女性は、妻「フユ」ということになる。
そのフユは、4女出産後、出血多量で死去している。
島崎藤村、38歳の、1910年(明治43年)のことである。

 で、そのあと、島崎藤村は、1913年(大正2年)4月に、フランスに向かって出発。
1916年(大正5年)に帰国している。

 このあたりに島崎藤村の人生の中核が、形成されたとみてよいのでは?
フユの死去と、フランスへの旅。
この2つが、相互にからみあって、その後の島崎藤村を、島崎藤村にした?

 これは私の勝手な解釈によるものだが、冒頭に書いた「初恋」をその上にダブらせると、それ
がよくわかる。
それにしても、ラッキーな人だと思う。
豊かな才能のみならず、環境にも恵まれていた。
明治の昔に、東京で中学、高校時代を過ごし、大学を出ている。
 
 島崎藤村の出した詩集は、『若菜集』にはじまって、どれも大ヒット。
当時の文学界は、現在のテレビのような働きをしていた。
1作、本が当たれば、そのまま億万長者という時代だった。
かなりの収入にも、恵まれた。

 で、フランスへ、3年という長旅。
明治維新直後の日本の国力は、当時のインドネシアと並ぶ程度であったという。
そういう時代の、3年間である。

 これは最近の私の悪い癖かもしれないが、私は、そういう人がいたことを知ると、
自分の人生や年齢を、そのままその人に重ねてしまう。
私は、島崎藤村がフランスへ行っていた年齢のときには、何をしていただろう、と。
たとうば島崎藤村は、60歳のときに、ライフワークとも言える、『夜明け前』
(『第一部』を刊行している。

 それを知るだけでも、大きな励みになる。
「まだ、がんばれる!」と。

 たまたま書庫に島崎藤村の詩集を見つけた。
しばし読みふけった。
で、島崎藤村について、書いてみた。


Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司

●CERN(サーン)(量子加速器※)

少し前、アメリカから帰ってきた三男が、声を高ぶらせてこう言った。
「S君(=二男の愛称)は、すごいことやってるよ、パパ!」と。

話を聞くと、インディアナ大学で、スパコンの技師をしているという。
そして今は、CERN(サーン)の研究員の1人として、働いている、と。
インディアナ大学といっても、端から端まで、車で2時間もかかるほど広い。
日本の常識では、ちょっと想像できない。

そこで二男は、世界中のスパコンをつなぎ、サーンからのデータを通信衛星で、受信。
その分析をしている。

そのことを今朝、二男にテレビ電話で話すと、いともさりげなく、「12月にスイスへ
出張で行ってくるよ」と。

ウィキペディア百科事典には、こうある。

++++++++++++++++++

(注※)大型ハドロン衝突型加速器 (Large Hadron Collide、略称 LHC) とは、
高エネルギー物理実験を目的としてCERNが建設した世界最大の衝突型円型加速器の名称。
スイス・ジュネーブ郊外にフランスとの国境をまたいで設置されている。2008年9月10日に稼動
開始した。

++++++++++++++++++

私はうれしかった。
どういうわけか、うれしかった。
私にはできなかったことを、二男は、している。
「自慢」とか、そういうことではない。
あの量子加速器の話は、前から聞いていた。
巨大なシステムで、総工費は、9000億円以上、とか。
「世界中の物理学者がスイスに集まりつつある」と、別のHPにはあった。
そういう研究の片鱗のその一部に、何と言うか、自分自身が加担できたような
うれしさである。

 二男には、幼児のときから、惜しみなくコンピュータを買い与えてきた。
私も好きだったこともある。
二男が小学生のときには、一台40〜50万円が相場だった。
ベーシック言語を教えたのは私だったが、C++言語は、中学へ入るころには、
自分でマスターしてしまった。
また高校生のときには、コンピュータ・ウィルスが問題になり始めていた。
二男は、自分でワクチンをつくり、そのワクチンを、そのとき立ち上がり始めていた
ウィルス対策ソフトウェア会社に、送り届けていた。

 「無駄」という言葉は、あまり使いたくないが、「無駄にはならなかった」と。
ただ二男のばあいは、コンピュータもさることながら、作曲の才能のほうが、
すぐれていた。
二男が高校生のときに作曲、演奏した音楽を聴くたびに、そう思った。
そういう才能を伸ばしてやれなかった。
親として、何ともやるせない気持ちになったことは多い。

 が、今度、その(やるせなさ)を、二男は、吹き飛ばしてくれた。
「あの、量子加速器の件で、スイスへ行くのか?」
「うん、サーンだよ」と。

 サーン……全周27キロの円形加速器。
ときどき映画の中などでも紹介される。
これからは、それが紹介されるたびに、今までにない親近感を覚えるだろう。

 息子たちよ、ありがとう!
私はいつも、お前たちに励まされて生きている。
が、まだまだ、私は負けない。
老いぼれてもいない。
お前たち以上に、がんばってやる。
さりげなく。
そう、さりげなく、がんばってやる!

おやすみ!
(09年10月29日夜記)


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

【教育の自由論】

●何をもって「自由」というか?

 事実を書く。

 二男の嫁のデニーズは、主婦業をしながら、受験勉強。
07年に、日本でいう司法試験に合格してしまった。
独学である。

 で、当時、二男は、転職を考えていた。
アメリカでは、より大きなチャンスをねらって転職するのが、常識になっている。
そこで二男は、カルフォルニア州にある、グーグル社と、ラスベガスにある、
ウォール・マート社の2社のどちらかに、転職が決まった。

 カルフォルニアは、物価も高く、息子と娘の教育にもよくないと、ウォール・マート社
への転職を決めていた。

 が、そのとき、デニーズが全額奨学金付きの、司法試験に合格してしまった。
「自由に大学を選んでいい」と。

 そこでデニーズは、インディアナ州のインディアナ大学(通称、IU)に、決めた。
その大学のロースクールに入学。

 二男は、「デニ−ズ(妻)の夢をかなえさせてやりたい」と、転職をあきらめ、
自分もインディアナ州へ。
先にも書いたように、端から端まで、車で2時間もかかるような、広大なキャンパスを
かかえた大学である。

 で、就職先をさがしていると、運よく、同じ大学内のコンピュータ技師としての仕事
が見つかった。
当初は、コンピュータの保守のような仕事をしていたと思う。
が、そのうち、大学のスパコン(スーパー・コンピュータ)を扱うようになった。
で、それがさらに進んで、少し前は、「世界のスパコンをネットとつないで……」という
ような話になった

 が、今回は、とうとう、「サーン」という名前が、口から出てきた。
そしてそのために12月に、スイスへ出張で言ってくる、と。

 わかるかな?

 日本の教育システムの中で、こうした(登用)が可能か、どうか?
アメリカでは、力のある若い人が、学歴とか、職歴に関係なく、どんどんと登用され、
自分の道を登っていくことができる。
念のため、あとで、この原稿を、TK先生(東大名誉教授・元副総長)に送ってみる。
「日本では、こういうことが可能なのか」と。

 たぶん、TK先生の答は、「No」だろう。
派閥と子弟制度で、がんじがらめになっていて、研究者ですら、身動きできないはず。
つまり、それが日本とアメリカの教育システムの(ちがい)ということになる。

 「自由」といっても、制度だけいじればそれでよいという問題ではない。
「意識」の問題ということになる。
その意識が整ってこそ、「日本の教育は自由化された」と、はじめて言える。

 その二男だが、大学を卒業するとき、「NASAでも通用する男」という推薦状を
もらっている。
が、デニーズとの結婚を優先させて、地元のアーカンソー州にある、ソフトウェア
開発会社に就職した。
その入社試験でのこと。
二男は自分が作った、宇宙モデルを見せたという。
それで就職が決まった。

 またコンピュータをつなぐという方法は、(今ではふつうになされているが……)、
二男が学生時代に開発したもの。
10台以上の古いコンピュータを回線でつなぎ、スパコンに似た仕事をさせるという
ものである。
一度、二男の大学を訪れたとき、その一部を見せてもらったことがある。

 二男はいつもこう言っている。
「パパ、コンピュータの世界では、不可能という言葉はないよ」と。
どういうわけか、その言葉が、耳に強く残っている。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW 量子加速器 CERN サーン 教育の自由化 はやし浩司 自由な教育 教育自
由化論 教育の自由とは)

(追記)

 今朝(10月30日)、以上の原稿をTK先生に送ったら、さっそく返事が来た。

【TK先生より、はやし浩司へ】

林様:
  ご丁寧なお便り有難うございました。私には CERN の位置づけがよく分かりませんが、
兎に角すごいことのようですね。父親の資質を継いでよかったですね。素晴らしいことのよう
で、心からお祝い申し上げます。ご三男の方でしたっけ、航空士になろうとしておられたのは。
三男は何をしておられますか。

  私の婿のOYは、今月東京大学の工学部の教授になりました。ヴァージニア工科大学の
教授でしたが、向こうで一億五千万ほどの研究費がつき、辞められないので、東京大学に6
0%、ヴァージニアに40%の兼任になります。日本での給料は向こうに比べて大幅に低いし、
その上定年もありますので、大分迷っていましたが、結局兼任ということで決ったようです。

  来週の「文化の日」には東大関係のTK研の卒業生が集まり、「TK会」を東京の学士会
館でします。卒業生が皆よくしてくれますので、元気が出ます。

  くれぐれもお元気で。
                                                                             
                         TK

  デニーズさんで思い出しましたが、私の孫のMKは慶応大学法学部の4年生ですが、ア
メリカの law school に入ると言って、先日試験を受けました。いいところに入れるといいが、と
決定を待っているところです。彼女は小学校の5年生まで向こうで育ちましたのでバイリンガル
です。

【はやし浩司より、TK先生へ】

田丸先生へ

こんにちは!

お元気そうですね!

田丸会の成功を、期待しています。

パイロットになった三男は、5月に結婚し、千葉に住んでいます。
羽田で最終訓練を受けています。
B777のパイロットです。
(パイロットは、1機種ごとに、免許が必要です。)

もともと空が好きな男ですから、好きなことをさせるのが、
いちばんです。
センター試験では、横浜国大を2位の成績で入学しました。
宇宙工学の講座があるのが、横浜国大だったからです。
東大の医学部だって入れた成績なのですが……。

それを蹴飛ばして、今度はパイロットにと言うことで……。
親としては複雑な気持ちでした。
覚えていてくださって、恐縮です。

でもさすが先生、すばらしいですね。
浜松のへき地より、お祝い申し上げます。
お孫さんが、law school 入学できるといいですね。

ぼくも先生の、1000分の1をめざして、さらにがんばります!


はやし浩司


Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司

【10月31日】(2009)

●パソコンをもって、でかけよう

パソコンをもって、でかけよう
気が向いたところで、パソコンを開こう
ひらめいたことを、文にしよう
インターネットを楽しもう
ショッピングセンターの中の、休憩所
レストランのテーブルの上
電車やバスの中
それに旅行先

ちょっとした時間があれば、そこで開こう
開いたとたん、そこは別世界
知的遊戯の世界
文を叩き出したとたん、脳みその中が、一変する
モヤモヤしたものが、その向こうから、湧き出る
ネットにつなげば、その向うに世界が見える
それに形をつける
ひとつにまとめる
その爽快感

パソコンをもって、でかけよう
もうだれにも、「お宅族」とは言わせない


Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司

●2010年の企画

2008年は、「音楽と私」に力を入れた。
2009年は、「BW公開教室」に力を入れた。
2010年は……?

新しいHPを立ち上げるか?
それともマガジンに力を入れるか?
いろいろ考えている。
迷っている。

絶版になったまま、放置してある本が、10冊あまりある。
それをHPに収録したい。
この年末には、それを仕上げたい。

が、2010年は……?
いろいろ考えている。
迷っている。
実のところ、それが楽しい。


Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司

【青春の仇討ち】

●息子たちのこと

 親が子どもを育てるのではない。
そういう時期もあるにはあるが、そういう時期は、あっという間に終わる。
親は、あるときから、子どもたちに励まされて生きるようになる。
子どもたちが、がんばって生きている姿を見ながら、「私も!」となる。

 経営再建中の航空会社でパイロットをしている息子。
「お前は、だいじょうぶか?」と聞くと、「ぼくには、関係ない」と。
「でも、子会社の人たちが、かわいそう」と、ポツリ。
この先、1万人を超える、大リストラが始まる。

 アメリカの大学でコンピュータ技師をしている息子も、同じようなことをいう。
「ぼくには、関係ない」と。

 そうした言葉を聞いて、「本当かな?」と思いつつも、ほっとする。

 一方、息子たちが、私たちのことを心配するたびに、私は、こう答える。
この日本でも、まだいたるところで不況の嵐が、吹きすさんでいる。
「ぼくには、関係ない」と。

仕事がある。
仕事が楽しい。
生きがいもある。
それに健康。
何とか、昨年に始まった、あの大恐慌も乗り切った。

 あとは、今の状態を維持するだけ。
そうそう、もうひとつ負けたくないことがある。

 二男夫婦は、今でもラブラブ。
ハートのマークを10個ほどつけてやりたい。
今度結婚した三男も、ラブラブ。
ハートのマークを20個ほどつけてやりたい。
で、私たち夫婦は……?

 先日も、「あいつら、みんな楽しんでいる。
ぼくらもがんばろう」とワイフに言うと、ワイフも、すなおに応じてくれた。
「そうね」と。

……だから今は、2人で、遊んでばかりいる。
若いときは、仕事と子育てに追いまくられた。
その分を、今、取り返す。
あのころできなかったことを、今、する。
称して、「青春の仇(あだ)討ち」。

62歳といっても、運がよければ、人生はまだ20年はある。
10年としても、青春時代より長い。
使いようによっては、学生時代の2倍、楽しめる。
で、あのころしたくてもできなかったことを、懸命に思い出そうとする。
「何だったのかなあ?」と。

●青春の仇討ち

 青春時代に、やり残したことは多い。
不完全燃焼のまま、終わったことも多い。
が、ふと今、頭の中をかすめたのは、今井さん(実名)。

 私が浜松に住むようになって、最初の友人。
市立図書館の入り口あたりで、小さなデザイン事務所を開いていた。

 人当たりいい、やさしい人だった。
心が広く、私のめんどうをよく見てくれた。
台風のときには、わざわざ私を迎えに来てくれた。
「うちへ来い」と。
私はそのとき、今にも壊れそうな、ボロ家の2階に間借りしていた。

 今井さんとの思い出は多い。
が、その今井さんは、30歳になる少し前に、食道がんでこの世を去った。
タバコと焼酎が好きだった。
夢は、直木賞を取ることだった。
だから毎日、何かの原稿を書いていた。

 さぞかし無念だっただろう。
その無念さが、今になって、ひしひしと私の胸に伝わってくる。
その無念さを考えたら、私がし残したことなど、なんでもない。
「青春の仇討ち」とは言うものの、それが考えられるだけでも、幸せなの
かもしれない。
仇討ちすらできないで、そのまま若くして、この世を去っていく人は多い。

 そう言えば、近所に、60歳で定年退職した直後に、脳内出血で亡くなった
人(男性)がいる。
その人の奥さんは、こう言った。
「何のための人生だったのでしょうね」と。

 現役時代は、したいこともできず、役所勤め。
黙々と働いてきて、「やっと楽になった」と思ったとたん、脳内出血。
そうそう、こうも言った。

「若いときから腎臓が弱く、食事制限ばかりしてきました。
こんなことなら、食べたいものを、もっと食べさせてやればよかったです」と。

そう言えば、あの今東光(こんとうこう)は、晩年、私にこう話してくれた。
「オレは、若いとき、修行、修行で、オレには青春時代がなかった。
今でも、『しまった!』と思って、女を買いに行く」と。

 晩年の今東光は、ヌード画を書いていた。
「女を買う」というのは、「モデルの女性をさがしに行く」という意味だった。
大作家であり、政治家であり、かつある宗派の大僧正でもあった人物でも、
そう考える。
青春の仇討ちを考える。

●悔い

 私は……。
私は早い時期に、サラリーマンに見切りをつけ、そのあと、自由気ままに生きた。
そのつどやりたいことだけをやって、生きてきた。
したくないことは、しなかった。
きびしい生活だったが、そういう点では、悔いはない。
ないというより、少ない。

 あえて言うなら、「旅」ということになる。
息子たちが生まれてから、とくにそうだった。
が、だからといって、後悔しているわけではない。
息子たちがいたおかげで、がんばることができた。
息子たちがいなかったら、ああまでは、がんばらなかっただろう。
生きがいも生まれなかっただろう。
もちろん思い出も、できた。

 ただ心の中では、いつも、「世界中をひとりで旅をしてみたい」と、
思っていた。
目的地を定めず、放浪の旅をする。
今なら、ワイフと2人で、旅をする。
青春の仇討ちということになれば、それか?

 しかし今は、こう思う。
息子たちが、私の代わりに青春の仇討ちをしてくれている、と。
不思議なことに、みな、私がしたかったこと、できなかったことを、している。

 自由奔放な長男。
アメリカに移住した二男。
空を飛んでいる三男。

 みんなそれなりに、自分の人生を楽しんでいる。
それでよい。
それ以上に、私は何を望むことができるのか。


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

●今日で10月もおしまい

昨日、大急ぎで、マガジン11月号のHTML版(カラー版)の編集をした。
40分ほどで、できた。
あぶなかった!
ぎりぎり、セーフ!

数日前、「11月号は休刊にしようか」と、ワイフと話し合ったばかり。
このところ、ワイフですら、私のマガジンを読んでいない。
他人である読者なら、なおさら。
読んでいる人は、ほとんどいない?
自分でもよく、「どうしてこんなバカなことをしているのだろう?」と思う。

やる気になれば、40分でできる。
その「40分」を、自分の中で作るのが、たいへん。
子どもだって、そうだ。
30分でできるような宿題でも、なかなか、やらない。
「その気になって、早くすませばいい」と思うが、やらない。
その30分を作るのが、むずかしい。

今日は10月31日。
しめくくりに、午前中、近くの小学校で、講演というか、講話をしてくる。
時間が1時間しかないから、たいした話はできない。
雰囲気的には、雑談形式になってしまうかも?
で、そのあと、そのまま山荘へ。
今日は、山の草刈りをするつもり。
上半身の運動には、草刈りが、いちばんよい。
30分もつづけると、全身が汗だくだくになる。

それに今の時期から、落ち葉がひどくなる。
それを集めると、ふかふかのダブルベッドのようになる。
孫たちが近くにいれば、それで遊ぶだろう。
いつももったいと思いつつ、それを燃やす。

そうそう、昨夜、今度講演に行くことになっている、秋田県のY市を
ネットで調べてみた。
旅館の予約をしなければならない。
が、驚いた。
地図で見たら、浜松からだと、韓国のソウルと、同じ距離。
円を描いてみたら、ちょうど同じ位置だった。
「新潟の向うが秋田」と思っていた。
(たぶん、反対に、秋田の人たちは、「東京の向うが、浜松」と
思っているにちがいない。)

片道、7時間半。
秋田県は、はじめてなので、楽しみ。

もうひとつ驚いたのは、旅館の宿泊費が安いこと。
このあたりの半額といった感じ。
温泉旅館でも、一泊2食付きで、6〜7000円前後。

ともかくも、今日も始まった。
がんばろう!


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

●逆・母子分離不安(byはやし浩司)

+++++++++++++++++

母子分離不安というと、子どもだけの
問題と考える人は、多い。
しかし子どもほどではないが、母親側の
母子分離不安も多い。

称して、「逆・母子分離不安」(筆者)。

+++++++++++++++++

「母子分離不安」というと、子どもだけの
問題と考える人は多い。
つまり母子分離不安になるのは、子どもだけとはかぎらない。
母親側の、母子分離不安というのも、ある。
「子どもから離れられない」
「子どもがそばにいないと不安」
「子どもの様子がわからないと心配」と。

そして幼稚園や保育園でも、用もないのに、
出かけて行っては、そこで子どもの様子を見る。
園の先生が、「だいじょうぶですよ」「心配ないですよ」
「任せてください」と言っても、(実のところ、
そういう母親がいると、園にとっても、迷惑なのだが)、
そこにいる。
そこにいて、じっと子どもの様子を見ている。

ふつうの「母子分離不安」と逆の立場になるから、
「逆・母子分離不安」ということになる。

このタイプの母親の特徴としては、

(1)静かで、いつも憂うつそうな顔をしている。
(2)子どもから視線をはずさない。
(3)表面的には、穏やかでやさしい母親に見える。
(4)強く注意したりすると、おどおどしてしまう。
(5)歩くときも、手をつないだりして、離れない。
(6)「私は愛情豊かな母親」と誤解している。

原因は、母親側に、何らかの情緒的な欠陥、あるいは
精神的な未熟性。
とくに情緒的な欠陥、たとえばうつ病が原因となることがある。

当然、子どもにも、影響が出てくる。
そういう点では、母親の愛情を、過剰なまでに受けている。
そのため溺愛児プラス、過保護児プラス、過関心児を
統合したような症状を示す。

(1)静かでおとなしい。
(2)ハキがない。積極性に欠ける。
(3)全体に幼稚ぽいしぐさや、言動が目立つ。
(4)人格の核形成(=この子はこういう子というつかみどころ)が遅れる。
(5)他の子どもたちと交われない。
(6)柔和でおだやかだが、積極性がない。
(7)乱暴な指導になじまない。
(8)いつも親の視線を気にする、など。

T君(小1)という子どもがいた。
その子どものばあいも、親が授業を参観しているときと、
していないときとでは、別人のように違った。

親がいないときは、比較的表情が明るく、
積極的だった。
ものもしっかりと言うことができた。
親がいるときは、比較的……というより、明らかに
「いい子」という様子を見せた。

で、私はときどき「参観はもういいですよ」と
促した。
しかし効果は長つづきしなかった。
1、2回くらいは、参観をやめるが、またやってきて、
いちばん奥の席に座って、じっと子どもを見つめていた。

私もその視線を強く感じた。
ときに私の体を、ズキンズキンと突き抜けた。
授業もやりにくかった。

が、そういうこちら側の気持ちは、理解できない。
どこまでも身勝手で、自分勝手。
しかし母親のかかえる心の問題は、それをしのぐほど、大きい。
根も深い。
無理に引き離したりすると、母親自身の精神状態が、おかしくなってしまう。
それがわかっているから、私の方が、引きさがるしかなかった。

この問題は子どもの問題ではない。
(たいていの母親は、「この子は私がそばについていてあげないと、
何もできません」と言うが)、母親自身の問題と考える。
もっと言えば、母親自身の心の問題。
それを治す。

しかしそれは「教育」の範囲を超える。
父親の協力も必要だが、たいていのばあい、父親(夫)も、
もてあましていることが多い。
それ以上強く言うと、家庭内騒動の原因となったり、
そのまま母親が子どもの手を引いて、園をやめてしまったりする。

子どもは、小学3年生前後(満10歳前後)に、
急速に親離れを始める。
親はそのときだけの様子を見て、「私たち親子は、いつまでもそういう
関係がつづく」と考える。
しかしこのタイプの子どもは、思春期に入るころ、豹変する。
「このヤロー! こんなオレにしたのは、テメーだア!」と。
母親を激しく罵倒したりする。
抑圧された別の心が、そのとき爆発する。

あるいは、極端なマザコンのまま、おとなになる。
比率としては、豹変して親を罵倒するようになる子どもが、70%、
マザコン化する子どもが、30%と、私はみている。
どちらであるにせよ、よいことは、何もない。
ひどいばあいには、そのまま激しい家庭内暴力へとつながる。

子どもを、自分の心の隙間を埋めるための道具に利用してはいけない。

【症例1】

 毎朝、子ども(年中・女児)といっしょに幼稚園へやってくる母親がいた。
そして門のところで子どもを手放すと、そのまま門の端のほうに移動して
立っていた。

 毎朝のことなので、園のほうも、あきらめていた
強く言ったこともあるが、そのときは、園の別の隅に移動し、やはり
そこで立って子どもの姿を見ていた。

 ときどき家に帰ることもあった。
家までは、歩いて、5〜10分程度。
しかし昼ごろになると、またやってきて、そこに立っていた。
たいていそのまま、帰りの時間まで、そこにいた。
いつも子どもの手を引いて、家まで帰った。

【症例2】

 「娘が病気で幼稚園を休んでくれると、うれしい」と、その母親は言った。
「娘といっしょに、一日を過ごせるから」と。

 その子ども(年長・女児)の髪は、芸術とも言えるほど、こまかく編んでいた。
私が「ずいぶんと時間がかかるでしょう?」と聞くと、母親はこう言った。
「いえ、1時間ほどですみます」と。

 毎朝、1時間!

 その母親の口癖は、いつも同じ。
「死ぬまで、(この子と」いっしょ」。
「子育てが生きがい」。
「この子は、私がいなければ、何もできません」。

 「結婚したら、どうします?」と聞いたこともある。
母親は、臆面もなく、こう答えた。
「結婚はしません。するとしても、養子で、家(うち)に入ってもらいます」と。

 で、ある日、その母親は、こうも言った。

「私、夫なんか、いてもいなくても、どちらでもいいような気がします。
娘さえ、家にいてくれれば……」と。

 母親の実家は、かなり裕福な資産家だった。
毎月生活費の大半を、実家からの仕送りで、まかなっていた。

【症例3】

 T君(中2)が、激しい家庭内暴力を繰り返しているという話は、その隣に住む
母親から聞いた。
最初は、親子で怒鳴りあう声が、近所中に聞こえたという。
が、そのうち静かになり、T君の家庭内暴力は、ますます激しくなっていった。

暴力が激しいため、家の中のガラス戸などは、すべてはずしてあったという。
父親も母親も、中学の教師をしていた。
母親は、T君が幼稚園へ入るころ、教師の職を辞した。

 父親も母親も、T君の部屋の前を通るときは、両手ではって歩いたという。
立って歩いている姿が見えると、T君は、容赦なくモノを投げつけた。

 そのT君は、小学3年生ごろまでは、学校でも優等生(?)だった。
勉強も、スポーツもよくできた。
おとなしく、親や先生の指示にも従順だった。
私もそのころまでのT君しか知らない。
で、T君の話を聞いて、心底驚いた。
 
 隣に住むその母親は、こう言った。

「T君が子ども(幼児)のころは、母親が毎日、手をつないで、近くの
ピアノ教室に通っていました。
いつもいっしょなので、たいへん仲のいい親子に見えました。
母親は、明らかに溺愛していました。
ただ教育ママで、T君が学校のテストなどでまちがえたところがあったりすると、
夜遅くまで勉強を教えていました」と。

 そう言えば、T君には妹が1人、いたはず。
それを聞くと、その母親は、「そう言えば、妹さんは、父親の実家から、学校に
通っていました」と。
 
(補記)

 子どもは、小学3年生前後(満10歳前後)に、急速に親離れを始める。
男児だと、それまでは学校であったことを話していたのが、急に話さなくなる。
親や近親者を、露骨に毛嫌いし始める。
(本当に嫌っているというよりは、生意気な態度をわざとしてみせる。)

 女児だと、それまで父親と風呂に入っていたのが、入らなくなる。

 そこで大切なことは、

(1)じょうずに、親離れできるように、子どもを仕向けてやる。
(2)子離れイコール、親子の断絶ではない。おおげさに考えない。
(3)親自身が、子離れし、親は親で自分の人生を大切にする。
(4)夫の役割を認め、夫に積極的に介入してもらう。
西洋では『子どもを産み育てるのは、母親の役目だが、
子どもに狩の仕方を教えるのは、父親の役目』と教える。
母子関係の是正と、社会性を教えるのは、父親の役目と心得る。


(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW 母子分離不安 母子分離不安症 逆母子分離不安 逆・母子分離不安 母親の
分離不安 子離れできない母親)


Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司

●経済効果

●菅氏の「大ばか」発言

+++++++++++++++++

久々に、胸がスカッとした。
あの菅氏が、こう言い放った。

「霞が関なんて成績が良かっただけで、大ばかだ」と。

時事通信、09年10月31日は、つぎのように伝える。

+++++以下、時事通信+++++

 「知恵、頭を使ってない。霞が関なんて成績が良かっただけで大ばかだ」。菅直人副総理兼
国家戦略担当相は31日、民主党都連の会合での講演で、激しい言葉で官僚を批判した。

 「効果のない投資に振り向けてきた日本の財政を根本から変える」と財政構造改革に取り組
む決意を明かした菅氏は、官僚から「2兆円を使ったら目いっぱいで2兆円の経済効果だ」と
説明を受けたことを紹介した後に、「大ばか」発言が飛び出した。

官僚嫌いで知られる菅氏は、学業は優秀でも過去の例にとらわれて柔軟な発想に欠けると言
いたかったようだが、官僚の反発を招きそうだ。

+++++以上、時事通信+++++

 問題は、「2兆円を使ったら目いっぱいで2兆円の経済効果だ」という部分。
私も、この部分に、カチンと来た。
官僚というのは、この程度の経済知識しかないのか?

●経済効果

 経済効果について、説明しよう。
私は法科の出身だが、この程度のことは知っている。
話をわかりやすくするために、数字を簡略化した。

【例】

 たとえばあなたが、商品Xを、100万円で購入したとする。
あなたはA商店に100万円(1)、支払った。
それを受け取ったA商店は、20万円を自分のものにし、残りの80万円(2)をB問屋に支払っ
た。
B問屋は、受け取った80万円のうち、20万円を自分のものにし、残りの60万円(3)をC問屋
に支払った。
C問屋は、受け取った60万円のうち、20万円を自分のものにし、残りの40万円(4)を、D製
造会社に支払った。
D製造会社は、受け取った40万円のうち、20万円を自分のものにし、残りの20万円(5)を、
材料代として、E会社に支払った。

 以上の中で、(1)+(2)+(3)+(4)+(5)を計算すると、合計で、300万円になる。

 つまりあなたが100万円のものを買うと、その向こうで、300万円のお金が、動いたことにな
る。
これが「経済効果」である。
繰り返すが、100万円で、300万円が動いたことになる。

 もしあなたが100万円をタンス預金してしまえば、この経済効果は生まれない。
だから「2兆円を使ったら目いっぱいで2兆円の経済効果だ」というのは、ウソというより、認識
不足。
要は、その使い方。
使い方しだいで、経済効果は、3倍にも、4倍にもなる。

 時事通信は、「官僚の反発を招きそうだ」と書いている。
しかし心配、無用!
私たち庶民が味方についている。

 いいか、官僚ども、いい気になるな!
もし菅氏を責め立てたら、我々、庶民が許さない。
怒りのマグマは、爆発寸前!

 今こそ、みなが、立ちあがるべきときではないのか。
立ちあがって、官僚政治を是正していかなければならない。
官僚政治のすべてが悪いわけではないが、しかし今の官僚政治は、行き過ぎている。
民主主義そのものを、形骸化している。
知事も副知事も、みんな元官僚。
国会議員も、みんな元官僚。
大都市の首長も、みんな元官僚。
これは許せない。

 菅さん、負けるな!
ひるむな!

 (しかし菅氏も、元官僚ではなかったのか?
少し心配になってきた……?
腰砕けにならなければよいが……。)

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW 官僚政治 官僚制度 菅氏の官僚批判 菅直人 大馬鹿発言 大ばか発言 大バ
カ発言 はやし浩司 官僚政治 批判 民主党 菅直人)


Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司

●ずるい言い方

++++++++++++++++++++++

ずるい言い方をする人は、多い。
たとえば重要な話を、どうでもいいような話に
くるんで、話したりする。

++++++++++++++++++++++

●ある勧誘

たった今、ある通信会社から、電話がかかってきた。
かなり年配の女性の声だった。
いわく、「電話の基本料金が、今より1200円安くなります」と。
NTTという名前を、うまく混ぜて使った。
で、少し話を聞いていると、こう言った。

「トータルで、私どもの光通信にすると、今より、約1200円、安くなります」と。

私「何ですか、そのトータルというのは?」
女「光通信にするとですね、電話の基本料金が、1200円ほど、安くなります」
私「だからア、何と、トータルなのですか?」
女「インターネット、なさっていますね?」
私「しています」
女「インターネットと合わせて、トータルで安くなるということです」

私「だったら、プロバイダー(サーバー)を変えろということですか」
女「そういうことになります」
私「だったら、最初から、そう言うべきじゃ、ないですか」
女「ハア〜」
私「最初から、プロバイダーを変えませんか、と」
女「そうですねエ」

私「あのね、プロバイダーなんて、簡単に変えられませんよ」
女「メールアドレスなんかも、全部、変えなければなりませんからね」
私「それだけでもないですよ。同じアドレスをあちこちで使っていますから」
女「そうですね……」
私「そういうずるい言い方をしては、だめでしょう。知らない人だったら、
『はい』って、言ってしまいますよ。で、あとでたいへんなことになる」と。

 ずるい人は、大事な情報を、どうでもよい情報でくるみながら、話をする。
私は、この種のずるい言い方に出会うと、どういうわけか、頭にカチンとくる。
私の近くにも、そういうずるい言い方をする人がいた。
さんざん、ひどい目にあった。
そのときの(怒り)が、フラッシュバックしてくる。

 許せない!、……ということで、電話の女性を相手に、言いまくった。

私「最初から、正直に言えばいい。人をだますような言い方はしてはいけない」
女「すみません」
私「そんな言い方で、相手を勧誘しておいて、あとで、知りませんでは、
通らないでしょ」と。

 しかしなぜ、私がこうまで不愉快に思うかというと、もうひとつ、理由がある。
実は、私自身も、若いころ、ずるい人間だった。
ずる賢いというか、小ずるいというか……。
そういう人間だった。

だからずるい人を見ると、自己嫌悪感も重なって、そういう人に腹が立つ。
心理学では、「投射」という言葉を使って、それを説明する。
自分の醜い部分や、いやな部分を、相手に投げつけて、その相手を嫌ったり、
憎んだりすることをいう。

『ずるい人間は、ずるい人間に厳しい』ということ。
『泥棒の家は、戸締りに厳重』に近いが、『泥棒ほど、泥棒を憎む』のほうが、よい。

 で、この話には、つづきがある。
そのあと、私とワイフは、夕食を、牛丼のY家で食べた。
ワイフが割引券をもっていた。
「セットもの、50円引き」とあった。

 で、私は、牛焼肉セット、ワイフは、豚カレーというのを食べた。
店を出る直前、割引券を見ると、「10月31日まで」とあった。
ギリギリ、セーフ!
で、その券といっしょに料金を払おうとして、別の割引券を、もう一度よく見ると、
「午後3時まで」とあった。

 割引券の有効期限が、10月31日の午後3時という。
が、そのときには、すでに店員が、50円引きで、レジを打ってしまっていた。
時刻は、午後7時を回っていた。

私「アノ〜、有効期限が、午後3時までになっていますが、いいですか?」
店「……ああ、そうみたいですね。ハハハ。もう時間が過ぎていますね」
私「正直に言ったから、『まあ、いいです』ということにはなりませんか?」
店「ハハハ、申し訳ございません。そういうことにはなりません」と。

 こうして私たちは、50円、損した(?)。
が、気持ちよかった。
損か得かということになれば、私たちは料理の半分も食べていない。
そちらのほうが、よほど、損。
それを言うと、ワイフは笑った。

 Y家の牛丼にかぎらず、このところファーストフードの店は、どこも料理の
量が多すぎる。
とても1人では、食べきれない。
が、全部食べたら、自分の体を損(そこ)ねる。
だから半分は、残すようにしている。

 正直が、いちばん。
正直に生きるのが、いちばん。
そのほうが、後味もよい。
まさに後(味)。

 私たちは土曜日の夜を過ごすため、山荘に向かっていた。


Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司※

●WINDOW7に

 今日、ビスタ搭載のパソコンを、WINDOW7に、UPGRADEしようとした。
……といっても、その下準備。

 UPGRADEしたいパソコンのウィルス対策ソフトは、WINDOW7に
対応していない。
しかし今度買った、XPパソコンのウィルス対策ソフトは、WINDOW7に
対応している。
そこで2つのパソコンにインストールしてある、それぞれのウィルス対策ソフトを
交換することにした。

 一度、両方のウィルス対策ソフトを削除する。
その上で、改めて両方のウィルス対策ソフトを、インストールする。
口で言うと簡単そうに見えるが、その作業のために、何と、2時間もかかってしまった。
いろいろあった。

(わかりやすく言えば、ウィルス対策ソフトというのは、基本的には、別のパソコンに
再インストールできないようになっている。
それにXPに入っていたソフトは、一度、使用期限を延長して使っていた。
その更新手続きに、手間取った。)

 そしていよいよWINDOW7へのUPGRADEというところで、時間切れ。
このつづきは、また来週。


●Sxx教団

 コンビニで、週刊誌を読む。
その中に、いくつかのSxx教団の記事が載っていた。
世の中には、おかしな宗教がある。
宗教というよりは、カルト。
カルト教団。
その中のひとつでは、毎晩、祭壇でSxxをして、一日を終えるのだそうだ。
また別の教団では、何でもヨーグルトを塗ってから、Sxxをするのだそうだ。

 バカ臭さを通り越して、あきれてしまった。
あきれたというよりは、笑ってしまった。
「人間はここまでバカになれる」と。

 もっとも宗教というよりは、新しいタイプのSxxの楽しみ方かもしれない。
宗教は、大きく、神秘主義のものと、哲学主義のものに分かれる。
それらの混在型というのもある。
しかしここに書いたカルト教団は、神秘主義でもない。
もちろん哲学主義でもない。
生々しいほど、現実主義。
哲学など、もちろん、どこにもない。
物欲的で、享楽的。

死が宗教と大きく関係しているように、生もまた、宗教と関係している。
その「生」は、「性」によって、始まる。
人が死んだら、葬式をする。
同じように、Sxxによって、人は生まれる。
生まれるための儀式があっても、おかしくない。

 生と死。
それをうまくこじつけたのが、Sxxを売り物にするカルト教団ということになる。
(生)→(性)→(Sxx)と。
事実、世界の宗教の中には、インドのヒンズー教を例にあげるまでもなく、Sxxを
神聖視している教団も少なくない。
しかしここで矛盾が、出てくる。

 Sxxは、人間の欲望と深く、からんでいる。
その欲望と、どう切り離すのか。
欲望と切り離したら、Sxxは、成り立たなくなる。
一方、欲望を追求すれば、宗教性は、霧散する。

 結論を先に言えば、Sxxには、神秘性もなければ、哲学性もない。
性に飢えた人間には、神秘的かもしれないが、Sxxなど、ただの排泄。
Sxxに意味をもたせるほうが、おかしい。
「性は無」。
どこまでいっても、「性は無」。
若いころ、今東光が、私にそう教えてくれた。

 そのことは、男も更年期を迎えるとわかる。
私も55歳前後だったと思うが、一時期、Sxxに、まったく興味を失ってしまった
ことがある。
しかしあのとき感じた解放感は、今でも忘れない。
体中にからみついていた、細いクサリがほどけたような感覚だった。
私は、自分が、いかに性の奴隷であったかを知った。

 もしSxxに、宗教性があるとするなら、食欲教団というのは、どうか?
どこかで食事をしながら、生と死を論ずる。
あるいは排便教団というのでも、よい。
みながトイレに一列に並んで、便を出す。
出しながら、生と死を論ずる。
そのほうが、よほど哲学的。
それに楽しい。

 ともかくも、Sxx教団など、野に咲くあだ花のようなもの。
人間の世界を愉快にする、ジョーク。
が、笑ってばかりはおられない。

 もしあなたの子どもが、そういう教団の餌食となったら、どうする?
ものごとは、ここから考える。
身を捧げ(?)、マネーを捧げ(?)、最後は人生を捧げる(?)。
そうなったとき、あなたはそれを果たしてジョークと言って、笑えるだろうか。
カルト教団には、いつもそういう問題がからむ。
けっして、安易に考えてはいけない。
攻撃の手を緩めてはいけない。

 こうしたカルト教団は、いつも私やあなたの心の隙間をねらっている。
私やあなたの子どもの心の、すき間をねらっている。
攻撃こそ、最大の防御。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW Sxx教団 カルト教団 カルト問題)


Hiroshi Hayashi++++++++NOV.09+++++++++はやし浩司

●早朝

 目の前には幾重にも重なった、山々が見える。
今、数えてみたが、5層になっている。
手前のほうが、より色が濃く、遠くへ行けばいくほど、淡く、水色を帯びている。

 今朝は、まったくの無風。
山では、朝方と夕方、一度、風の動きが止まる。
それにしても、まったくない日というのは、珍しい。
スチル写真のように、動きを止めている。

 空には、厚い雲。
よく見ると、その雲も、動きを止めている。
どこか肌寒く、どこか湿っぽい。
今日から11月。

 昨夜、ワイフは、もう一台のパソコンを使って、DVDを見ていた。
私は、お茶を飲みながら、雑誌を読んでいた。
床に入ったのが、午後11時半ごろ。
で、起きたのが、午前5時半ごろ。
6時間の睡眠ということになる。

 ワイフは、今日は、愛知県のほうまで紅葉を見に行こうと言っている。
昨夜、山荘へ来るとき、そう言っていた。
しかし私は休みの日に、計画を立てるのは好きではない。
万事、成り行き。
そのときは、そのとき。
だからこう言った。
「明日になったら、考えよう」と。

 で、その(明日)になった。
沈んだ景色。
先にも書いたように、厚い雲。
夕方には雨になるという。
それに今日は、どこかで昼寝をしなければならない。
遠出は無理かな……?

 
●ダイナブックUX

 ダイナブックUX(TOSHIBA)に、6セルバッテリーをつけてみた。
計算上では、これ1本で、カタログによれば、10時間の連続使用が可能。
で、数日前、本当にそうかどうか、調べてみた。

 (使用した時間)÷(バッテリーの減った%)で、計算できる。
たとえば、2時間使用して、バッテリーが、27%減ったとすると、
このばあい、120(分)÷0・27=7・4(時間)ということになる。

 それで計算してみたら、7・4時間という数字が出てきた。
悪くない。
「10時間」というのは、あくまでも目安。
実測時間は、その半分程度というのが、この世界では常識。
しかし7・5時間もあれば、じゅうぶん。
もう一本のバッテリー(3セル)と合わせて、10時間以上。
これならどこでも、時間を気にせず、使用できる。

 で、今のところ、このダイナブックUXが、いちばん気に入っている。
キータッチの感触がよい。
横に、16インチのノートパソコンがあっても、UXを使って文章を叩いている。
指先でいじっているだけで、気持ちよい。
ボケ防止にもなる。


●厚い雲

 先ほど、「厚い雲」と書いた。
午前6時前には、そうだった。
しかし今、空を見ると、ナント、雲の間に、水色の空が見えるではないか。
その向こうには、白い雲まで見える。
1時間もしない間に、空の様子が、一変した。
「こういうこともあるんだ」と、今、そう思った。

 もうすぐワイフが、起きてくるはず。
「どこかへ行こう」と言うはず。
どうしよう?

 「妻を退屈させないのは、夫の役目」。
何かの雑誌に、そう書いてあった。
一方、ワイフは、私の生きがいに、あれこれと気をくばってくれている。
やりたいように、させてくれている。
こういうのを、ギブ&テイクという。
あとの判断は、ワイフに任せよう。
愛知県のほうまで紅葉を見に行きたいと言えば、それに従うしかない。


Hiroshi Hayashi++++++++NOV.09+++++++++はやし浩司
 
●教師の本音(「教職の仕事は、こりごり」)

 昨日、74歳になる元教師という人と、しばらく話をさせてもらった。
YN氏という名前の人だった。
ときどき近くの小学校へ行って、ボランティア的な仕事をしているという。
で、その話を聞いたとき、私は、こう言った。

「どんな先生も、退職すると同時に、『教育なんて、もうコリゴリ』と言って、
教育の世界から遠ざかっていきます。が、珍しいですね」と。

 するとそのYN氏は、こう言った。 

「私も若いころ、退職していく先生が、そう言っているのを聞いた。
しかし40年近くも仕事をしながら、退職するときに、そう言うというのは、
自己否定もはなはだしい。
だから私は若いころ、自分は一生、教育と何らかの形で、関わっていきたいと
思っていた。
もちろん退職したあとも、ね。
しかしね、林先生(=私)、本音を言えば、そうですよ。
私も教育は、もう、こりごりです」と。

 教職は別として、サラリーマンの世界は、もう少しきびしい。
『退職したら、ただの人』と言う。
いくら肩書きや地位があっても、退職したら、ただの人。
まわりの人も、そうとらえるが、自分自身でも、「ただの人」になる。
またそうならないと、老後を楽しく暮らすことはできない。
みなに嫌われる。

 では、教職の世界は、どうか?
退職したら、ただの人なのか?
またそうであって、よいのか?
キャリアをもっと生かす方法とか、道とかはないのか。

 もっとも教職の世界にも、天下りというのがある。
たいていの教師は、退職と同時に、公共の施設で何らかの仕事をする。
図書館の館長とか、公民館の館長というのが、多い。
子育て相談や、いろいろな会合で講師をする人もいる。
大学の教壇に立つ人もいる。
こうして満65歳くらいまでは、たいていの教師は働く。
しかし「本音を言えば、こりごり」と。

 「今ではね、体育館で子どもが怪我をしても、教師はその子どもの家まで
行って、頭をさげなければなりません。
それだけでも1〜2時間は、かかってしまいます。
昔なら、電話一本ですんだ話でも、今は、そういうわけにはいきません。
1〜2時間も取られると、翌日の教材の用意もできなくなります。
したくもない雑用ばかりで、本来の教育が、どこかへ行ってしまっています。
そういうのも、理由のひとつではないでしょうか」と。

 多くの教師は、今の今も、(したい仕事)と(したくない仕事)のはざまで
もがいている。
が、残念なことに、実際には、(したくない仕事)のほうが、多い。
重圧感もある。

 その場にいた、現役の校長(小学校)も、こう言った。
「今では学校に、親が介入してきます。
子どもに神経を遣う部分が、70%。
親に神経を遣う部分が、30%。
その30%のほうで、教師は、疲れてしまうのです」と。

 そうした負担感が積もりに積もって、「もう、こりごり」となる。
それが教師の本音ということになる。
が、日本の教育にとって、これほど、まずいことはない。
だったら、どうするか?

 カナダのように、徹底して、(教育)を(学校)から抜き出す。
「学校は教育をするところ」と位置づけて、それ以外の雑務から、教師を
解放する。
日本の大病院の医療制度を想像すればよい。
医師は、自分の診察室内でのことには、責任をもつ。
しかし患者が一歩、診察室を出たら、医師はいっさいの責任から解放される。
同じように、教師は、自分の教室内でのことについては、全責任を負う。
しかし子どもが教室から一歩でも出たら、いっさい、関係なし。
そういうしくみを早急につくりあげないと、現場の教師は、みな、つぶれてしまう。

 今のように、生活指導も含めて、「何からなにまで先生が……」というしくみの
ほうが、おかしい。
世界的に見ても、異常。
まず、そのことを、政治が気づき、ついで、親たちが気づいたらよい。
また学校の教師にしても、できないことはできないと、はっきりと声に出して
言えばよい。
へたに何でも引き受けるから、自分で自分の首を絞めてしまう。

 EU諸国(ドイツ、イタリア、フランス)では、クラブ制度が発達している。
子どもたちは基本的な授業は学校で受けるが、それが終わると、みな、クラブ
(塾)へ通っている。
たとえば英語教育にしても、そういったものは、民間の英語教室に任せればよい。
その費用は、バウチャー券でも、子ども券でも何でもよい。
そういう形で、政府が負担すればよい。

(英語教育が必要と考える人)もいる。
(必要でないと考える人)もいる。
(自分の子どもに、英語を教えたいと思う人)もいる。
(自分の子どもに、英語を教えたくないと思う人)もいる。
(英語を勉強したいと思う子ども)もいる。
(英語を勉強したくないと思う子ども)もいる。
(英語以外の言葉を勉強したいと思う子ども)もいる。

 そういう現状を無視して、北海道から沖縄まで、「平等で、同じ教育を」と
言うこと自体に、無理がある。

 ……とまあ、少し話が脱線したが、こうした無理も、教師からやる気を奪う
理由のひとつになっている。

 では、私は、どうか?
私は死ぬまで、今の仕事をつづける。
つづけたい。
年金の問題もあるが、(というのも、国民年金など、アテにならないので)、
それ以上に、こうして自由にものを考えたり、書いたりする時間があるのが、
楽しい。
もし今の仕事をやめたら、そのとたん、私は、生きる屍(しかばね)になって
しまう。
自分でも、それがよくわかっている。

 それに楽しいか、楽しくないかということになれば、幼児を相手に、ものを
教えることぐらい、楽しいことはない。
その子どもの、未来を創ることができる。
親がそこにいることも、気にならない。
だから62歳をすぎたが、「こりごり」という言葉は、私からは出てこない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW 教育の現場 現状 元教師 悩み 苦悩 教育論 はやし浩司 教育はどうある
べきか 教育の現場 問題点)


Hiroshi Hayashi++++++++NOV.09+++++++++はやし浩司

【教育の現場では、今……】

+++++++++++++++++++

教育というのは、手をかけようと思えば、
いくらでもかけられる。
手を抜こうと思えば、
いくらでも抜ける。
それこそ、どこかの学習塾のように、
プリント学習だけですませようと
思えば、それもできる。

教育のこわいところは、この一点にある。

+++++++++++++++++++++

●教育は重労働

 私はいつも、こう書く。
「教育は、重労働である」と。
それは教えたものでないと、わからない。
いや、あなただって、それをわかっているはず。
たった1人や2人の子どもの子育てで、あなたは四苦八苦している。
それを30人近くも1人の教師に押しつけて、「しっかり、面倒をみろ!」は、ない。

 今、現在、園にせよ、学校にせよ、教師たちは雑務、雑務の連続で、
本来の教育そのものができない状態にある。
ある女性教師は、私にこう話してくれた。
「授業中だけが、休める場所です」と。

 「私は教科指導をしていますが、生活指導の先生なんかは、毎日徹夜です」と。
たとえば子どもが家出したとする。
そういうとき親がまっさきに電話をかけるのは、警察ではなく、学校の教師。
そのたびに、教師は、駆り出される。
だから「徹夜になる」と。

 この問題は、教員の数をふやせば解決するとか、給料をあげれば解決する
という問題ではない。
さらに最近では、外国人の子どもの問題もある。
それについては、たびたび書いてきたので、ここでは省略する。

が、私の経験でも、授業のリズムに乗れない子どもが、10人の中に
1人でもいると、リズムそのものが破壊されてしまう。
2人いたら、授業はめちゃめちゃ。
しかし現実には、5人に1人は外国人という小学校もある(K市K小学校)。

●雑音、騒音、騒動

 私たちは園や学校の教師をして、聖職者であると、安易に位置づけしすぎて
いるのではないか。
どの教師も、「私たちだって、ふつうの人間」と叫びたがっている。
が、そういう声を、親たちは、知って知らぬフリをしながら、押しつぶしてしまう。
そして無理難題をふっかけては、教師を窮地に追い込む。

 はっきり言おう。
親の欲望には、際限がない。
進学学校にしても、何とかB中学に入れそうになると、今度は、「A中学へ」となる。
A中学へ入れそうになると、今度は、「S中学へ」となる。
もっと生々しい話もある。

 明らかに緘黙症の子ども(小2男児)であるにもかかわらず、毎週のように
教師に電話をかけ、「どうすれば、うちの子は、もっとハキハキするでしょうか」
と相談していた母親がいた。

 明らかに親の過干渉と過関心で萎縮してしまった子ども(小5男児)もいた。
で、ある日、母親から相談したいという電話が入った。
会って話してみると、その母親は、こう言ったという。

「小4までの担任の教え方が悪くて、うちの子はああなってしまった。
あの教師は、教師として不適格だ。
やめさせてほしい」と。

 こうした雑音、騒音、それに騒動は、まさに日常茶飯事。
それに巻き込まれて、授業がマヒしている教室となると、いまどき珍しくも
なんともない。
けっしておおげさなことを書いているのではない。
学校全体が、マヒ状態のところもある。

 ある小学校では、教師がデジタルカメラで、女児の着替え姿を
撮った、撮らないで、大騒ぎになってしまった。
親どうしが、言った、言わないで、裁判になってしまったケースもある。
さらにささいな言動や、軽い体罰が理由で、任期半ばで、余儀なく転校
させられていく教師となると、いくらでもいる。

●子どもたちが犠牲者

 今、教育のシステムそのものが、疲弊している。
今のままでよいとは、だれも思っていない。
が、最終的に、その最大の犠牲者はとなると、結局は、子どもたちということになる。

 教育というのは、10年後、20年後を見据えてする。
言い換えると、その結果が出てくるのは、10年後、20年後ということになる。
30年後でもかまわない。

 民主党の管直人氏は、こう言い切った。
「(官僚たちは)知恵、頭を使ってない。霞が関なんて成績が良かっただけで
大ばかだ」と。
10月31日、民主党都連の会合での講演で、である。

 官僚でも、ある年代の人たちは、受験勉強だけで官僚になった。……なれた。
クラブ活動も、人づきあいもしない。
何もしない。
そういう子どもが、受験勉強だけをうまくくぐり抜けて、官僚になった。
現在が、その(結果)と言えなくもない。

 つまりここで子どもたちを、未来の日本を見据えながら、しっかりと教育
しておかないと、そのツケは、10年後、20年後、さらには30年後に、
子どもたち自身が払うことになる。

 もう少しわかりやすい例で言えば、「ゆとり教育」がある。
今では、このあたりの中学生でも、本気で勉強している子どもとなると、40%も
いない(ある中学校の校長談)。

残りの60%は、高校進学についても、「部活でがんばって、推薦で入る」とか、
「勉強で苦労したくないから、進学高校には行きたくない」などと言っている。
すべてが「ゆとり教育」が原因とは思わないが、そうでないとは、もっと思わない。
「ゆとり教育」のおかげで、子どもたちのネジが緩んでしまった。
この10年で、そうなってしまった。

●教育の自由化

 話を戻す。

 今、重要なことは、学校の教育システムを変えること。
教師は教育だけに、(できるだけという条件をつけてもよいが)、専念できる
ような環境を、用意する。
教師を、(できるだけ)、雑務から解放する。

 子どもの教育は、親の自己責任でする。
「何もかも学校で……」という発想は、捨てる。
それが教育の自由化の最終目標ということになる。
「自由」とは、もともとは、「自らに由(よ)る」という意味である。
そのために、欧米のように、課外のクラブ制度を導入するのもよい。

しかしこれには、文科省は、簡単には応じないだろう。
天下り先として機能している外郭団体だけでも、1700団体以上もある。
その数は、各省庁の中でも、ダントツに多い。
そういう組織に、がんじがらめになっている。

 だからおかしなことに、戦後、文部省だけは、世界の流れに背を向けた。
文部省をのぞく全省庁が、欧米に目を向け、欧米に追いつけ、追い越せを目標にした。
が、文部省だけが教育の自由化に、背を向けた。
そのしわ寄せが、結局は、回りまわって、現場の教師のところにやってきた。
親たちの意識も、旧態依然のまま。
その結果が、現在の状況ということになる。

 で、最後に一言。

 教育というのは、手をかけようと思えば、いくらでもかけられる。
手を抜こうと思えば、いくらでも抜ける。
それこそ、どこかの学習塾のように、プリント学習だけですませようと
思えば、それもできる。
相手は、子ども、批判力もない。
判断力もない。
ないまま、(学ぶこと)から遠ざかってしまう。

 教育のこわいところは、この一点につきる。
やる気をなくした教師たちが、どういう教育をし、どう子どもを育てていくか。
想像するだけでも、ぞっとする。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW 民主党 管直人 教育問題 教育の自由化 やる気 教師のやる気 ゆとり教育
 弊害)

(付記)今、現場では……(現状を知ってもらうために)

●教師のやる気

「教師のやる気を決めるのは、親だ」と、その校長は、明確に述べた。
近くのK小学校のO校長である。
「教師のやる気を奪うのも、親だ」とも。

 教師は、聖職者ではない。
私やあなたと同じ、ごくふつうの人間である。
ふつうの人間であるというのが、悪いというのではない。
もし「悪い」ということになると、私やあなたは、何か
ということになってしまう。

 しかし本当の問題は、もうひとつ、その先にある。
依存性の問題である。
どうして日本の親たちは、こうまで学校に依存するようになってしまったのか。
どうして学校の教師たちは、こうまで何もかも、背負うようになってしまったのか。
そこまでメスを入れないと、この問題は解決しない。

●親の依存性

 たとえば今日の朝、「逆・母子分離不安」について書いた。
母子分離不安というと、子ども側だけの問題と考えがち。
しかし実際には、母親側の母子分離不安というのもある。
その中で、毎日、園の外から自分の子どもをながめている母親の話を書いた。
園の教師たちが、「だいじょうぶです」「任せてください」と何度
言っても、その母親の耳には聞こえない。
2、3日は姿が見えないので、やれやれと思っていると、
また園へやってきて、今度は身を隠しながら、自分の子どもをながめている。

 この話は、近くのY保育園の園長から、直接、聞いた話である。
で、その園長はこう言った。
「みんな(=先生たち)は、知らぬ顔して、園児を指導していますが、
その母親の姿を見るたびに、みな、おびえるようになりました」と。

 たぶん(?)、その母親は、自分の行為が、園の教師たちに、なんら影響を
与えていないと思っている。
「自分は、園の外から、自分の子どもを見ているだけ」と。
しかし実際にはそうでない。
そうでないことは、ここに書いたとおりである。

●青い封筒!

 また別の幼稚園では、こんな話を聞いた。

 その幼稚園に1人、たいへん神経質な母親がいた。
神経質というより、「子どもがすべて」という母親だった。
その母親が、毎週のように、手紙で、あれこれ園に注文をつけてきた。
「ああしてほしい」「こうしてほしい」「ここがいけない」
「あそこが気に入らない」と。
それがいつも、青い封筒に入れられて来た。

 1回や2回なら、ともかくも、それが毎週となると、教師たちに思わぬ
影響を与える。
園長は、こう言った。
「そのうち、みな、青い封筒を見ただけで、震えるようになりました」と。

●親の押しつけ

 こうした話は、あちこちで聞く。
どの幼稚園にも、心を病んで、病院通いしている教師は、1人や2人は、
かならずいる。
長期休暇を取っている教師も、珍しくない。
またこういう話を書くと、「そんなことで!」と思う人もいるかもしれない。
「そんなことで、震えたりするのか!」と。

 しかし現実は、現実。
現実は、そんなもの。
親たちは、幼稚園であれ、小学校であれ、「先生というのは、そういうもの」
と勝手に思い込み、それを教師に押しつけてくる。
しかし冒頭に書いたように、教師といっても、私やあなたと同じ、ごく
ふつうの人間である。

 用もないのに親が園へやってきて、ジロジロと中をのぞいていたら、
この上なく、やりにくい。
毎週、毎週、手紙で苦情を言われても、この上なく、やりにくい。
その(やりにくさ)を、このタイプの親は、理解できない。

 さらに最近では、携帯電話を使って、教師に直接あれこれ言ってくる
母親も多いという。
その教師(女性、30歳未婚)は、こう言った。
「そのため毎日、返事を書くだけで、1〜2時間は取られます」と。
(そのあと、その小学校では、携帯電話でのやりとりを禁止したそうだが……。)

 が、先にも書いたように、こうした問題の根は深い。
どうして教師は、できないことは、できないと言わないのか。
いやだったら、いやと言えないのか。
その一方で、親は、どうして教師に、そこまで期待するのか。

 教育のシステムを変えないかぎり、こうした問題も解決しない。


Hiroshi Hayashi++++++++NOV.09+++++++++はやし浩司

●記憶力

+++++++++++++++++

「記憶力」といっても、(記銘力)→
(保持力)→(想起力)によって、決まる。

そのうちの想起力。
思い出す力。
このところその想起力が弱くなってきた
ように感ずる。

++++++++++++++++++

●想起力

 「想起力」というのは、「思い出す力」のことをいう。
記憶として脳に刻まれた情報は、いろいろな場所に雑然と格納されている。
きちんと整理されて格納されているわけではない。
そのため想起力が弱くなると、必要な情報を的確に拾い出せなくなる。

 たとえば昨日も、パソコンを使っていて、小さなトラブルがあった。
若いときなら、原因として考えられる情報が、4つや5つ、すぐ頭の中を駆け巡った。
が、今は、2つか、3つ。
「おかしいなあ……?」と思っていると、そのうち、4つ目とか5つ目が出てくる。
もちろんミスも多くなる。

 今朝(11月2日)の自分のマガジンを読んでいて、驚いた。
「道徳の完成論」を説いたのは、コールバーグという学者である。
それが原稿の中では、「マズロー」になっていた。

道徳の完成論……それは2つの要素で決まる。

(1)いかに公平であるか
(2)いかに視野が広いか

 これがコールバーグの説く「道徳の完成論」である。
私はこれに(3)いかに一貫性を保っているか、を加える。
それはともかくも、どうしてまちがえたのだろう。
どうして「マズロー」と書いたのだろう。
その原稿を書いているとき、どうして気がつかなかったのだろう。
 
●脳の老化

 脳みその活動が、年々衰えていくのを感ずるのは、さみしいこと。
あるいはこれは私の、思い過ごしかもしれない。
若い人でも、同じような現象が起きているのかもしれない。
そこで私が若かったころのことを、懸命に思いだそうとする。
「若いころの私は、どうだったのか?」と。
が、当時は、そんなことなど、考えもしなかった。
脳の老化など、遠い未来の、私にとっては(ありえない)未来の話だった。

 が、今、それが現実になりつつある。
さみしいというより、こわい。
本音を言えば、こわい。
やがて私は私でなくなってしまう。

 このことは、同年齢の人たちと話していると、わかる。
中にはすでにボケ始めた人もいる。
ボケてはいないが、話し方が、かったるくなったり、ぶっきらぼうになったり
する人もいる。
平たく言えば、繊細な会話ができなくなる。
そういう人が、まわりにふえてくる。
そのたびに、自分の住んでいる世界が、どんどんと小さくなっていくように感ずる。

 ただしこの問題だけは、本人にはわからないはず。
脳のCPU(中央演算装置)そのものの働きが鈍くなる。
わからないまま、脳の老化は進む。
これがこわい。

 たとえば今、私は年賀状づくりのため、GIMP2(写真加工ソフト)に
挑戦している。
が、もう2日目になるが、いまだに使い方がよくわからない。
手引書の表紙には、「はじめてでも、PCですぐできる……」(宝島社)とある。
「すぐできないぞ!」と、軽い怒りを覚えつつ、挑戦している。

 これからはこういうことが、多くなる。
誤字、脱字も目立つようになってきた。
そういう客観的事実を通して、CPUの機能が低下しているのを知る。

 脳の老化は、記憶力だけの問題ではない。
それを言いたくて、このエッセーを書いた。

(補記)

ついでに言うと、インターネットのこわいところは、一度、まちがった情報を
書きこむと、それを訂正する手段がないこと。
どんどんと転載されていく……。
先の「マズロー」にしても、一度、外に出てしまうと、それを取り戻すことが
できない。
こうして「まちがえました。マズローではなく、コールバーグです」と書くのが、
精いっぱい。

で、「まあ、いいか」と自分を納得させて、そのままで終わってしまう。
こういうおかしな妥協が、加齢とともにふえ、やがて、自分の人生についても、
こう思うようになる。

「まあ、いいか」と。

これは「納得」というよりは、「あきらめ」か?
「コールバーグ、コールバーグ、コールバーグ……」と10回、声を出して唱えて、
この原稿は、おしまい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 脳の老化 想起力 コールバーグ)


Hiroshi Hayashi++++++++NOV.09+++++++++はやし浩司

●子どもの問題vs親の問題(ミラー思考)

+++++++++++++++++++

子どもに問題を感じたら、その反対側に、
親の側にも同じ問題があると考える。
これを「ミラー思考」(はやし浩司)という。
いろいろなケースがある。

たとえば依存性の強い子どもがいる。
何かにつけ、自立した行動ができない。
人格の核形成も遅れ、全体に幼稚ぽい。
そういう子どもをもつ親は、「うちの子は
甘えん坊で困ります」と言う。

しかしそういう子どもにしたのは、親自身。
親自身も依存性が強く、自立できないでいる。
情緒的に不安定であったり、精神的に未熟であったりする。
そのためどうしても、子どもの依存性に甘くなる。
その結果、子どもも依存性の強い子どもになる。

親の心が、子どもの心に、直接的に大きな
影響を与える。
このように子どもの問題を見つけたら、
その反対側に親の問題があるとみる考え方を、
「ミラー思考」という。

+++++++++++++++++++

●逆・母子分離不安

 少し前、「逆・母子分離不安」について書いた。
母子分離不安というと、子どもの側だけの問題と考えがち。
が、母親のほうが、子どもと離れると不安になるというケースも
少なくない。

子どもの姿が見えなくなっただけで、言いようのない不安感に襲われる。
子どもの姿がそばに見えないと、心配でならない、など。
そのため、いつも子どものそばにいて、子どもにベタベタとくっついている。
母子分離不安の逆だから、「逆・母子分離不安」(はやし浩司)という。
「子母・分離不安」でもよい。

 似たような反応、つまり逆の反応が起きるという現象は、ほかの場面でもよく見られる。
「帰宅拒否」も、そのひとつ。
いつか私は、「不登校の反対側にあるのが、帰宅拒否」と書いた(1999年ごろ)。
今ではこの考え方は、広く知られ、常識化している。

 当時、不登校ばかりが問題になっていた。
が、その一方で、「家に帰りたがらない子ども」もいた。
症状こそ多少ちがうが、しかしその根底にある心の問題は同じ、……と私は考えた。
親たちは、子どもが「学校へ行きたくない」と言うと、大騒ぎする。
しかし「家に帰りたくない」という子どももいた。
当時は、そういう子どもは、ほとんど問題にならなかった。
だからあえて「帰宅拒否」「帰宅拒否児」という言葉をつかった。

 こうしたものの考え方も、「ミラー思考」の一つということになる。
ただしこのばあいの「ミラー」は、反対側にも、似たような問題があるという意味で、
そう言う。

●子どもの立場で……

 あるいはこんなことも……。

 先日、ある小学校で講演をさせてもらったとき、そのあと、こんな質問を
もらった(10月31日、K小学校で)。
「うちの子どもは、中3だが、勉強もしないで、家でゲームばかりしている。
どうしたらいいか」と。

 このばあいも、そうだ。
その母親は自分の立場で、親として、子どもの将来を心配していた。
それは当然のことかもしれない。
しかし自分の感じている不安や心配を、そのまま子どもにぶつけてはいけない。

いちばん苦しんでいるのは、当の中学3年生の息子である。
楽しくてゲームに、夢中になっているのではない。
好き好んで、ゲームばかりしているわけではない。
ほかにすることがない。
何をしても、空回りばかり。
だからゲームをして、ふさいだ気分を紛らわす。
できれば、もっと別のことをして、みなの前で活躍したい。
しかしそれができない……。

 だから私はこう答えた。

「あなたのお子さんは、ゲームをしながら、楽しんでいるのではないですよ。
自分がやりたいこと、すべきことが見つからず、悶々とした気分でいるのですよ。
勉強したくても、どこから手をつけてよいか、それがわからない。
やってもやっても、成績はあがらない。
苦しんで、もがいているのは、お子さんのほうだということです。

 中学3年生というと、もうおとなです。
母親であるあなたに言われなくても、ゲームなんかしているばあいではない。
そんなことは、百も承知なのです。
が、ほかにやることもない。
できることもない。
だからゲームをする……。

そんなわけで子どもに言うとしたら、『勉強しなさい』ではなく、
『あなたは苦しんでいるのね』ですよ。
子どもの立場になって、子どものかかえている問題を、いっしょに考えて
あげてください」と。

 加えて言うなら、最近の子どもたちの勉強に対する意識は、大きく変わった。
「勉強でがんばって……」という中学生は、約40%とみる。
残りの60%は、「勉強して……」という意識そのものが、薄い。
「薄い」というより、「もとから、ない」。

 が、親たちは、昔の意識のまま。
昔の意識のままで、子どもに向かって、「勉強しなさい!」と言う。
「勉強しないと、社会から取り残される」「落ちこぼれる」と。
いまだに学歴信仰をしている親となると、ゴマンといる。
が、それでは子どもの心をつかむことはできない。

 こういうときは、こうする。
押してだけなときは、思い切って、引いてみる。
私も、この手をよく使う。

 「ブルーアイズに、融合カードをくっつけると、攻撃力は2倍になるよ」と。
親自身が、子どもの世界に飛び込んでみる。
「ゲームは、くだらない」と決めつける前に、「おもしろそうね」と言ってみる。
とたん、子どもたちの表情が、パッと変わる。
その中学生のばあいも、一度、親が、そのゲームをしてみたらよい。
そういう姿勢が、子どもの心に風穴を開ける。

 親が自分の不安や心配を、子どもにぶつければぶつけるほど、
子どもは、ますます今、そこにある問題から遠ざかろうとする。
この母親の子どものケースでは、ゲームに夢中になる。

 こうして一度、自分を子どもの世界に置いてみる。
そこを視点にして、子どもの問題を考えてみる。
これも「ミラー思考」ということになる。

●ミラー思考

 先にも書いたように、「ミラー思考」という言葉は、私が考えた。
それを分類すると、こうなる。

(1)子どもの側に視点を置いて、子どもと同じように考える。
(2)子どもの側に問題があったら、原因は自分にあると考える。

 要するに、親(とくに母親)の心は。そのまま、(あるいは逆に)、
子どもの心となって、反映されやすいということ。
もっとわかりやすい例では、こんなこともある。

 あなたが子どものころのことを思い出してみてほしい。
親戚や近所には、あなたの好きな人や、嫌いな人がいたはず。
しかしその好き・嫌いを決めていたのは、あなた自身ではない。
あなたの母親である。
あなたの母親が好きな人を、あなたは好きと感じ、母親が嫌いな人を、
あなたは嫌いと感じていた。

 私もこのことを、母の葬儀のあとに、知った。
「ああ、私は、母が嫌っていた人を、嫌っていただけ」と。

 もちろん、その反対のこともある。

 私の母は、たいへん迷信深い人だった。
たとえば何をするにも、暦(こよみ)を見て、決めていた。
「今日は、日がいいから、〜〜する」
「明日は、日が悪いから、〜〜しない」と。

「大安」「仏滅」というような言葉が、よく口から出てきた。

 私もある時期までは、母の考え方に従ったが、そのうちそれに疑問を
もつようになった。
簡単に言えば、それが反面教師となって、私はそういう類の迷信を
まったく受け付けなくなった。

 自分の心の中をさぐってみると、自分の心そのものまで、親によって作られた
ということを知る。

●子どもの心

 「ミラー思考」という言葉に、こだわる必要はない。
はやし浩司の考えた、たわ言のひとつに過ぎない。
しかし重要なことは、それがよいものであれ、悪いものであれ、子どもの心を
作るのは、母親だということ。
それを忘れてはいけない。

 たとえば母親のもつ価値観、哲学(「哲学」と言えるようなものがあれば、という
話だが)、そういったものは、一度は、子どもにそっくりそのまま伝わる。
善悪の基準にしてもそうだ。

簡単な例としては、一度、あなたが先に、「山と川の絵」を描いて、どこかへ
しまっておく。
そのあと、子どもに、「山と川の絵」を描かせてみる。
あなたは子どもの描く絵が、あなたの絵とそっくりなのを知って、驚くだろう。
私の調査でも、30組に1組は、まったく、同じ絵を描くことがわかっている
(年中児・年長児について調査)。

 もしそれがよいものであれば、それはそれでよし。
そうでなければ、子どもは、その呪縛から逃れるため、たいへんな苦労を強いられる。
ここでは詳しくは書けないが、私自身が、それを経験している。

 子どもを見るときの、ひとつの見方として、「ミラー思考」という言葉を考えた。
もっとよい言葉が、ほかにあるかもしれない。
が、これだけは言える。
子どもに何か問題を感じたら、それを子どもだけの問題として片づけないこと。
最近では、子どもは家族の「代表」という言葉を使う。
子どもの問題は、家族、地域、みんなの問題。
その視点を踏みはずしては、子どもの問題は、解決しない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 B
W はやし浩司 ミラー 子どもの問題 家族の代表 子どもの問題 親の問題)

 
Hiroshi Hayashi+++++++Nov. 09++++++はやし浩司 

●自滅するテレビ文化

最近、テレビで、急に目立つようになってきたのが、物品の販売。
10〜15年ほど前にもあったが、当時は、午前中の10〜11時台だけ。
「♪お電話くださ〜い、待ってま〜す。0120−xxx−xxx」と。

それが今では、あらゆる時間帯に、進出してきた。
健康食品や美容食品が、目立つ。
サプリメントに、健康器具などなど。
使用経験者が、「これを飲んで美しくなりました」などと言ったりする。
するとたいてい、その下にこんなテロップが流れる。

「これは個人の感想です」
「効果を保証するものではありません」と。
今日見たのには、こうあった。
「満足度、84%」と。

 使用してみて、満足した人が、84%だったという意味か?

 で、共通しているのは、どれも値段が高いということ!
30日分で、1万円以上が、常識。
2万円、3万円というのもザラ。
もっともらしい理屈を並べ、それらしい(〜〜博士)という肩書きを
もつ人が、画面に出てきて、それを裏づける。
「この効果は、科学的にも、証明されています」と。

 要するに、インチキ番組。
「美しくなりました」
「体が軽くなりました」
「顔が白くなりました」と。
そういう、使用経験者の言葉を聞くたびに、私はこう思う。

「だから、それがどうしたの?」と。

ターゲットは、若い女性か?
それとも団塊の世代か?

 健康法にせよ、美容法にせよ、10年とか20年単位で身につくもの。
仮に「効果があった?」としても、その方法を、これから先、10年とか
20年もつづけるのは、むずかしい。
お金もつづかない。
テレビ番組の数だけ、新しい商品が生まれる。
つぎつぎと生まれる。

 結局、視聴者は、そういう番組に、振り回されるだけ。
で、問題は、そのあとに起こる。

●ヤラセ番組?

 私が学生のころには、「テレビでこう言っていた」と言うだけで、泣く子も黙った。
テレビ番組には、それくらいの権威があった。
が、今はちがう。
バラエティ番組に象徴されるように、軽薄かつ安あがりのものばかり。
先週見た番組に、こんなのがあった。

 連想ゲームの類のものだが、3組に分かれて、出演者が並んで、答の速さを
競うというものだった。
勝った組からは1人ずつが、その列から消える。

 みな、驚くほど、答を出すのが、速い。(早い?)
出題者が問題をすべて言い切らないうちに、出演者がボタンを押して、答を言う。
私はそれを見ていて、「なんだ、みな、結構、頭がいいんだな」と思った。
しかしそれこそテレビ局側のねらい?
しかしどうも様子がおかしい?
へん?
たとえばこうだ。

出題者「織田信長が、商業の……」と言いかけたところで、出演者が、即座に、
「楽市、楽座!」と答える。
すかさず出題者が、「正解!」と言って、その人を、列からはずす。
が、どうして「織田信長が、商業の……」と言っただけで、「楽市、楽座」がわかるのか。ほかに
も、いろいろ答は考えられる。

 あらかじめいくつかの答を用意して、それを出演者に教えているのではないか?
「バラエティ番組の出演者たちは、レベルが低い」と批判されているので、
あえてこうしたコーナーを用意しているのではないか?

もちろん私が勝手にそう思うだけで、根拠はない。
ないが、どうもおかしい?

厳密に言えば、ヤラセということになる。
さらに言えば、インチキということになる。
しかし答そのものを教えているわけではないらしい。
だから中には、微妙に、答をまちがえる人もいる。
(答をまちがえたというよりは、選択ミス?)

 しかしこんなことを繰り返していれば、テレビの権威は落ちるばかり。

●サプリメント

 時代が変わったのか?
それとも私の感覚が古いのか?
しかしこれだけ情報が氾濫してくると、「テレビだ」「ラジオだ」「本だ」と、
言っておれなくなる。
仮に「これは!」と思ってつかんだ情報にしても、数日もすれば、価値そのものが
なくなってしまう。

 そこで情報の提供者たちは、情報にことかいて、ヤラセ番組や、インチキ番組を
垂れ流す。
しかしこれは、ことテレビに関して言えば、自殺行為に等しい。
今の状況が一巡すれば、みな、こう思うようになるだろう。
「テレビで言っていることは、アテにならない」と。

 事実、そうなりつつあるが、こうした番組は、それに拍車をかけている。
テレビ局は、その裏で、莫大な広告料を稼いでいる。
もちろん制作費は、ゼロ!
が、そのうち何らかの健康被害が出て、問題になるはず。
問題にならないようであれば、そもそも売っている商品が、インチキということに
なる。
「効果がある」ということは、それだけの「副作用もある」ということ。

 サプリメントは、サプリメント。
医薬品ではない。
医薬品ではないという盲点をついて、こうした商品が、つぎからつぎへと生まれる。

 たまたま今日見た商品は、こういうものだった。

 何でも毛穴に詰まった、アカや汚れを、プラス・マイナスの磁力をもったクリームで、
きれいに取り去る、と。
その結果、手の色が、白くすべすべになるという。
(記憶によるものなので、内容は不正確。)
で、レポーターの一人がこう言った。
「顔にも使ってみたア〜い」と。
多分使用法の中に、「手のみに使ってください」とでもあるのだろう。
それでそう言った?

 効果があるのか、ないのか、私にはわからない。
しかし私は、こうつぶやいた。
「だからといって、それがどうしたの?」。
「そんなに白くしたければ、ペンキでも塗っておけばいい」と。

 ……というのは言いすぎだが、アメリカなのでは、チャンネルを別にして、
こうした問題を解決している。
物品販売のチャンネルでは、一日中、物品販売を繰り返している。
そういう解決策もないわけではない。

 しかし今のように、良貨と悪貨をごちゃまぜにしていると、良貨のほうも、
やがて、だれも信用しなくなる。
これを「テレビ文化の危機」と言わずして、何と言う?


Hiroshi Hayashi++++++++Nov. 09+++++++++はやし浩司※

●1年目の冬

++++++++++++++++++++

 母が死んで、ちょうど丸1年になる。
……と、書いたところで、キーボードを叩く指が止まってしまった。
いろいろな思いが、さらさらと、音もなく頭の中を流れる。
流れては消える。
それが文という形になって、頭の中でまとまらない。

 さみしさはない。
やり残したこともない。
それよりもうれしかったのは、実家から解放されたこと。
長い60年だった。
悶々として、1日とて、気の晴れる日はなかった。
だから母の葬儀が終わってしばらくしてからのこと。
私は、こう思った。

「あと一歩」と。
「あと一歩で、実家から解放される」と。

+++++++++++++++++++++

●安易な『ダカラ論』

 こう書くと、「何と親不孝な!」と思う人も多いかと思う。
しかし私は何も、母が死んだことを喜んでいるのではない。
母というより、「実家」が重荷だったと言っている。
結婚前から、収入の約半分は、実家に送金していた。
経済的な負担感というより、社会的な負担感。
それに苦しんだ。
それから解放されたかった。

が、この日本では、「息子だから……」という理由だけで、何もかも押しつけてくる。
こういうのを『ダカラ論』と言うが、それがいまだに大手を振って、まかり通っている。
「親だから……」「子だから……」と。
論理でない論理を、そのまま相手に押しつけてくる。
「浩司君、どんなことがあっても、親は親だからな」と言った親類もいた。
つまり親がどんな悪人でも、子は、それに従うべき、と。
とくに、この日本では、そうだ。

またそういう日本だからこそ、私と母のような関係ができあがってしまった。
欧米のように、それぞれの人がもう少し独立した心をもっていたら、母は母のように
ならなかっただろう。
私は私で、もっと別の考え方ができただろう。

●母の実家

 母は、岐阜県の山奥に生まれ育ち、江戸時代をそのまま引きずっていた。
庄屋ではなかったが、その部落では庄屋的な存在だった。
農家といっても、山農家と畑農家がある。

山をたくさんもっている農家。
林業中心の農家。
それが山農家。
畑をたくさんもっている農家。
小作人に農地を貸して、年貢を納めさせる。
それが畑農家。

母の実家は、畑農家だった。
その部落の畑は、ほとんどが母の実家のものだった。
それが没落の理由となった。
戦後のあの農地解放で、畑のほとんどが没収され、小作人と呼ばれる
人たちに分配されてしまった。

●江戸時代の見本

 母は、13人兄弟の中で、長女として生まれた。
妹が1人いたが、残りの11人は、男だった。
そういうこともあって、母は、「お姫さま」と呼ばれ、大切に育てられたという。
農家に生まれ育ちながら、土に手を触れることは、ほとんどなかったという。
そういう環境の中で、母は独特の考え方をするようになった。

 自身が女性でありながら、徹底した男尊女卑思想を身につけていた。
そのことと関係があるのかどうかは知らないが、「女は働くものではない」
と強く思っていた。

 事実、母は自転車店を営む父と結婚したが、生涯にわたって、ドライバー1本、
握ったことすらない。
恐らくドライバーの回し方も知らなかったのではないか。
また姉が農家に嫁ぎ、畑仕事をしていると知ったときも、そうだ。
「M(=姉の名)を、そんなことをさせるために、嫁にやったのではない」と。
本気でそれを怒っていた。

 お姫様でありながらも、愛情の薄い家庭だったかもしれない。
もうひとつ母の考え方で特筆すべき点は、母は、自分の子どもたちを、
「財産」と考えていたこと。
子どもたちというのは、私や、兄や、姉をいう。

 今で言う人権意識など、元からなかった。
すべてを親が決め、私たち子どもは、それに従うしかなかった。
へたに反抗すれば、即座にあの言葉が返ってきた。
「親に逆らうようなやつは、地獄へ落ちる!」と。

私はいつしか母を通して、その向こうに江戸時代を見るようになった。
そういう点では、母は江戸時代の見本のような存在だった。
純粋培養されたというか、外部の影響を受けることなく、娘時代までを、
あの部落で過ごしている。

●人は環境の動物

 母を責めているわけではない。
母は母として、過去を引きずりながら、懸命に生きた。
人間は環境の動物である。
もし私やあなたが、同じような環境で、同じように育てられたら、母と
同じような人間になっていただろう。
事実、母には1人、妹がいるが、その妹、つまり私の伯母にしても、
また実家を継いでいる弟、つまり私の伯父にしても、みな、一卵性双生児と
揶揄(やゆ)されるほど、ものの考え方が似ている。

 が、そういうことがわかるようなったのは、私が50歳も過ぎてからのこと。
それまではわからなかった。

 で、私はある時期、心底、母をうらんだ。
嫌うというよりは、うらんだ。
私がもっていた土地を、私に無断で転売してしまったときのこと。
「権利書を見せてほしい」と言うから、母に渡した。
その土地を、母はそのまま転売してしまった。
私が泣いて抗議すると、母は、ひるむことなく、こう言い放った。
「親が先祖を守るため、息子の金を使って、何が悪い!」と。

私と母の関係は、そのまま壊れた。
その関係を壊したことを、うらんだ。
それが私と実家を遠ざけるきっかけになってしまった。
ついで親類縁者と遠ざけるきっかけになってしまった。
が、結果的にみると、それも運命というか、それでよかったのかもしれない。

 それから10か月あまり、私は夜、床に就くたびに、熱でうなされた。
毎晩、ワイフが看病してくれた。
マザコンというのは、カルト。
そのカルトを抜くのは容易なことではない。
が、その10か月が過ぎたとき、私の心から、「母」が消えていた。

●マザコン 

たまたま今朝も、ワイフとこんな会話をした。
「昔のままの母が死んでいたら、ぼくは、今ごろ、毎晩夜空をながめながら、
母を偲(しの)んで、涙をこぼしていただろうね」と。
「昔のまま」というのは、私が子どものころもっていた母親像のまま、という
意味である。

私は、マザコンだった。
兄もそうだった。
姉もそうだった。
私の家族のみならず、とくに母方の家系は、みな、マザコン家族と断言してもよい。

母の実家もそうだった。
だから伯父、伯母もそうだった。
その下の従兄弟(いとこ)たちも、そうだった。

母系家族というか、「母親」を中心に、家族がまとまっていた。
それぞれの家族には、父親もいたのだが、父親の存在感は、薄かった。
父親自身が、マザコンなのだから、あとは推して量るべし。
そんな家庭環境の中で、自分がマザコン化しているのを知るのは、たいへん
むずかしい。

●母親の神格化

 しかし一歩、その世界から出てみると、それがよくわかる。
私は高校を卒業すると同時に、故郷のあの世界から、離れた。
離れたから、マザコンに気がついたというのではない。
ここに書いたように、それを気づかせてくれたのは、私のワイフということになる。
ある日、ワイフは、私にこう言った。
「あなたは、マザコンよ」と。

幸いなことに、私は自分の仕事を通して、さまざまな家族を外からながめることが
できた。
マザコン、つまり「マザーコンプレックス」の問題を、教育的な立場で、考える
ことができた。

 いろいろな特徴がある。
その中でも、つぎの2つが、とくに重要である。

(1)母親の絶対視化。(母親を絶対視すること。)
(2)母親の無謬性(=一点のまちがいもない)の追求。(母親の中に、まちがいを認めな
いこと。)

 私も、若いころは、私の母の悪口を言う人を許さなかった。
さらに子どものころは、悪口を言った人に、食ってかかっていった。
私にとっては、母というのは、神以上の存在であった。
そういう意味では、マザコンというよりは、「母親絶対教」の信者と、言い替えてもよい。

 そういう私を、母は横で喜んで見ていたのかもしれない。
母は私を前に、いつもこう言っていた。
「わっち(=私)は、ええ(=いい)、孝行息子をもって、しやわせ(=幸せ)や」と。
それが母の口癖でもあったが、一方で、そういう言い方をしながら、言外で、
私に、向かって、「そういう、息子になれ」と言っていた。

●男尊女卑

 マザコンであっても、それでその家族がうまく機能していれば、問題はない。
私は私。
人は人。
人、それぞれ。

 しかし一般論として、夫がマザコンだと、離婚率はぐんと高くなる。
(反対に、妻がファザコンのばあいも、同じような結果が出る。)
妻に理想の女性を求めすぎるあまり、妻のほうが、それに耐えられなくなる。
それが長い時間をかけて、夫婦の間に、亀裂を入れる。

 私のワイフもあるとき、私にこう言った。
「私がいくらがんばっても、あなたのお母さんには、なれないのよ」と。
それは痛烈な一撃だった。

 が、さらに悲劇はつづく。
嫁姑戦争に巻き込まれると、妻に勝ち目はない。
ただし私の家系には、離婚した夫婦はいない。
その一方で、「離婚」という選択肢は、元からない。
60数人いる従兄弟たちの中で、離婚した夫婦はいない。

 それだけ家族の結束が強いというよりは、自らの男尊女卑思想の中で、妻側が
妥協し、あきらめているにすぎない。
妻自身が、男尊女卑思想を受け入れてしまっている。
私も子どものころ、母に、よくこう言われた。
私が台所で何かの料理をしようとすると、「男が、こんなところに来るもん
じゃネエ(ない)!」と。
つまり「男は、料理なんか、するものではない!」と。

「男が上で、女が下」
「夫が上で、妻が下」
「親が上で、子が下」と。

●母の介護

 ともかくも、こうして1年が過ぎた。
母が死んで、1年が過ぎた。
おかしなことに、私の心はあのときのまま。
あのときというのは、母が私の家に来たときのまま。
私は便で汚れた母の尻を拭きながら、こう言った。
「お前のめんどうは、死ぬまで、ぼくがみるよ」と。

 母は両手でパイプをしっかりと握りながら、こう言った。
「お前に、こんなことをしてもらうようになるとは、思わなんだ」と。
私も負けじと、こう言い返した。
「ぼくも、お前にこんなことをしてやるようになるとは、思わなんだ」と。
そのとたん、それまでの(わだかまり)が、ウソのように消えた。

 2007年になったばかりの、正月の4日のことだった。

●実家の売却

 09年の9月。
母の一周忌の法要のあと、私は実家を売却した。
私にとっては、記念すべき日となった。
価格など、問題ではない。
早く縁を切りたかった。
何もかも、すっきりしたかった。

 最後に家の中をのぞいたとき、油で汚れた作業台だけが、やけに強く印象に残った。
角もこすれて、形すら残っていなかった。
父は毎日、その机に向かって、何かを書いていた。
父の孤独感が、その机にしみこんでいる。
その向こうには、祖父がいて、兄がいた。
さらにその向こうには、町の雑踏があり、客の声があった。

 が、不思議なことに、本当に不思議なことに、母の姿は、そこにはなかった。
母は……ここに嫁いできたときから、そして死ぬまで、その家の住人ではなかった。
母の心は、生まれてから死ぬまで、母の故郷の、あのK村にあった。

 そのとき、私は、そう思った。
1年たった今も、そう思う。
ボケもあったのかもしれない。
特別養護老人ホームに入居してからも、ただの一度も、M町のあの家に帰りたいと
言ったことはなかった。
グループホームに入っていた兄のことを口にすることも、姉のことを口にすることも
なかった。
いつも母が言っていたことは、「K村(=母の実家)に帰りたい」だった。

●過去からの旅

 私にとって、父とは何だったのか。
母とは何だったのか。
さらに家族とは、何だったのか。
その「形」を知ることもなく、私はおとなになっていった。
戦後の混乱期ということもあったのかもしれない。
しかしそれがすべての理由ではない。
私の家族には、「家族」という(まとまり)すら、なかった。
思い出のどこをさがしても、「家族がみなで、力を合わせて何かをした」という
記憶さえない。

 みな、バラバラだった。

 そんなわけで、私はおとなになってからも、いつも、自分の過去を否定しながら、
生きてきた。
だから今でも、自分の子ども時代を思い浮かべると、その部分だけが抜けて
しまっている。
あえて言うなら、列車で、どこかへ旅行するとき、出発地から目的地へ
いきなりやってきたような気分ということになる。
途中の駅が、どこかへ消えてしまっている。
過去から逃れたくて、旅行してきた。

 ただ晩年最後の2年間だけは、母は別人のようになっていた。
穏やかで、やさしく、静かだった。
一度たりとも、不平や不満をこぼしたことはなかった。
だからある日、私は母にこう言った。

「お前ナア、20年早く、……いや10年早く、今のような人間になっていれば、
いい親子関係のままだったのになア」と。

そのあと母が何と言ったのかは、覚えていない。
いないが、あの母のことだから、今の今でもあの世で、こう言って、とぼけている
ことだろう。
「ワッチは、子どものころから、ええ(=よい)人間だった」と。

 まっ、母ちゃん、そのうちぼくも、そっちへ行くから、そのときはよろしく!


Hiroshi Hayashi++++++++Nov. 09+++++++++はやし浩司

●映画『沈まぬ太陽』vs日本航空(JAL)

++++++++++++++++++++

映画『沈まぬ太陽』が、日本航空(JAL)
内部で、問題になり始めているという。
当然である。

あの映画は、日本航空(JAL)内部の
労使問題を、日本航空(JAL)と明らかに
わかる形で、映画化したもの。
それに日航123便という重大事故をからませて、
おおげさにしただけ。

事実、映画を観てもわかるように、日航123便の
事故以前から、ストーリーは始まっている。
その時点で、労使問題はこじれ、主人公の
恩地は、左遷されている。

「EIGA.COM」には、こうある。

『累計700万部を超える山崎豊子のベストセラー小説を、
渡辺謙主演で映画化。監督は「ホワイトアウト」の若松節朗。
巨大企業・国民航空の労働組合委員長を務める恩地は、
職場環境の改善を目指し会社側と戦うが、懲罰人事で
海外赴任を命じられてしまう。パキスタン、イラン、
ケニアと次々と転勤を強いられた恩地は、10年後に
本社復帰を果たすが、帰国後間もなく自社のジャンボ機が
御巣鷹山に墜落するという事件に直面する』と。

ここが重要な点だから、もう一度、確認しておきたい。

恩地は、労働組合委員長として、会社と戦う。
これは会社内部の問題。
懲罰人事で、海外赴任を命じられる。
これも会社内部の問題。
10年後に、本社復帰を果たす。
これも会社内部の問題。

そのあと、日航123便の墜落事故が発生する。

が、映画は、どういうわけか日航123便の墜落事故から、
始まる……。

++++++++++++++++++++

●表現の暴力

あの映画は、「言論の自由」「表現の自由」という枠を、
明らかに超えている。
「言論の暴力」「表現の暴力」と言い換えてもよい。

あの映画は、だれが見ても、日本航空(JAL)が、
モデル。
「NAL123便」という名称ひとつとっても、
それがわかる。

映画は、そのNAL123便の墜落事故の場面から
始まる。
衝撃的な切り口だが、ストーリーが展開されるに
つれて、「いったい、この映画は何を言おうとしている
のか」、それがわからなくなる。
要するに、日本航空の中傷、それだけ。
NAL123便の墜落事故は、むしろそのために
利用されただけ。
遺族の人たちだって、不愉快に思うだろう。

「時期が時期だけに……」という意見もあるが、
時期は関係ない。
もしあなたの勤める企業が、こういう形で、
映画として料理されたら、あなたはどう思う
だろうか。
あなたは社員として、黙って見過ごすだろうか。

いくら会社内部にそういう問題があったとしても、
それは内部の問題。
たとえばあなたの子どもが万引きをしてつかまった
とする。
あなたには大問題かもしれない。
しかしだからといって、それを映画という、
天下の公器を使って暴露されたら、あなたは
黙って見過ごすだろうか。

●ダ作映画

ゆいいつ救いなのは、映画そのものが、ダ作。
わざとらしい演技。
大げさな振り付け。
セリフを棒読みするような、会話。
どの俳優も、みな、同じような言い回し。
視線の動かし方まで、同じ。
舞台演劇のようで、演技も不自然。
主演の渡辺謙をのぞいて、みな、ヘタクソ!
顔と声だけで、力(りき)んでいるだけ!

主人公の妻……あんな他人行儀の妻はいない。
慰霊室で大泣きする女性……?????。
見合いの席で、ふんぞり返る新郎の母親。
女の体にからみつく官僚、などなど。

こまかいところで、稚拙な演技がつづく。
それがチリのように積み重なって、
『沈まぬ太陽』をつまらない映画にしている。

……そう、どの場面も、とってつけたような演技ばかり。
映画全体が、一枚のスクリーンのよう。
薄っぺらい。
奥行きがない。
もちろん娯楽性はない。
つまり、映画として、見るに耐えない。

日本航空(JAL)が、怒るのが当たり前。

●フィクション?

繰り返す。
山崎豊子というより、『沈まぬ太陽』の監督は、
あの映画を通して、いったい、何を言いたかったのか。

説教がましいセリフが出てくるたびに、
私という観客は、うんざり。

ところで日本航空は、すでに2000年の社内報で、
「名誉が著しく傷つけられ……遺憾である」(おおぞら)
とコメントを書いている。
本来なら、この時点で、日本航空は山崎豊子に対して、
決着をつけておくべきだった。
名誉棄損として立件できるだけの構成要件を
じゅうぶん、満たしている。

いくら「この映画はフィクションです」と断りをつけても、
断りそのものが、白々しい。
「フィクション」と言いながら、だれもフィクションとは
思わない。
国民航空と言えば、日本航空。
マークも、鶴から桜(梅?)に変えられただけ。
こうした手法、つまり、事実に「虚偽」を混ぜて、相手を煙に巻く。
その手口は、詐欺師のそれと、どこもちがわない。

さらに卑怯なことに、監督は、あたかも原作者の山崎豊子に
責任をかぶせる形で、自分は逃げている。
私のように、映画『沈まぬ太陽』で、はじめて原作本『沈まぬ
太陽』の概要を知ったものも多いはず。

仮に映画『沈まぬ太陽』を見て、だれかが監督を名誉棄損で
訴えても、「私は原作を忠実に映画化しただけです」と
逃げてしまうだろう。
事実、この映画を担当した脚本家は、映画化までに3人交替
しているという(某週刊誌)。
また脚本は、そのつど、山崎豊子の校閲を受けているという。

だったら、なぜ、今、『沈まぬ太陽』なのか。
日本航空(JAL)が、経営再建問題で、話題にならない日はない。
だれが見ても、それをねらった映画としか、思えない。
「偶然、重なった」(監督・某週刊誌)という言葉は、
「国民航空は、日本航空のことではない」と言うのと同じくらい、
白々しい。

●観客の疑問

……とは言え、『沈まぬ太陽』を観てから、ほぼ10日が過ぎた。
当初の印象は消え、今は、「つまらない映画だった」という
印象しか残っていない。
主演の渡辺謙の演技がダントツに光る一方で、先にも
書いたように、周囲を固める俳優たちの演技が、あまりにも稚拙。
それが主演の渡辺謙の演技を、「ダントツ」にしているわけだが、
そのアンバランスさが、映画そのものをつまらないものに
している。

日本航空(JAL)にとっては、不愉快な映画であることには
ちがいない。
しかしそれほど、気にしなくてよいのでは……。
当時の世相を知っている人なら、だれもがこう思うだろう。
「どこの会社でも、その程度のことはあった」と。

また観客も、一線を引いて、映画を観ている。
一本の映画程度で踊らされるほど、バカではない。
あの映画を観て、「日本航空はひどい会社」と思うよりも前に、
「ああいう一方的な映画が、果たして許されていいのか」という
疑問が先に立つ。
それが冒頭に書いた言葉ということになる。

つまりあの映画は、「言論の自由」「表現の自由」という枠を、
明らかに超えている。
「言論の暴力」「表現の暴力」そのものと考えてよい。

●付記

 日航123便の墜落事故は、たしかに不幸な事故であった。
しかし事故は事故。
反社会的行為でもなければ、不正義でもない。
それをあたかも、反社会的行為、もしくは不正義でもあるかの
ように仕立てて、日本航空(JAL)内部の労使問題を
ああした形で映画化するというのは、それ自体が、表現の
暴力と断言してよい。

 たとえば日本の首相や政治の、反社会的行為を追及する
というのとは、訳がちがう。
(アメリカ映画では、よく大統領が悪玉とした映画が作られるが、
それはそれ。
大統領は公人。
しかしその企業と明らかに特定できるような企業の名誉を毀損する
ような映画は許されないし、そんなことをすれば、即、訴訟問題
に発展するだろう。)

 それがわからなければ、もう一度、自分にこう問うてみればよい。
『沈まぬ太陽』の中では、監督は何を正義として、私たちに
訴えたかったのか、と。

繰り返すが、日航123便の墜落事故は、映画の伏線として、
利用されただけ。
墜落事故の原因を追及していく過程で、日本航空(JAL)の
問題点がえぐり出されていく……というような映画だったら、
それはそれとして正義の追求になる。
あるいは遺族のだれかが、日本航空(JAL)と闘ったという
ような映画だったら、それも正義の追求ということになる。
話もわかる。

 しかし映画の柱は、あくまでも日本航空(JAL)内部の
労使問題。
労使問題に翻弄される、1人の社員の物語。
繰り返すが、日航123便の墜落事故は、利用されただけ。
あるいは、別の事故でもよかったはず。
百歩譲って、労使問題をテーマにした映画というのなら、
何も、日本航空を表に出す必要はなかったはず。

映画に(あるいは本に)、重みをつけるため、戦後最大の
重大事故をからませただけ。
利用しただけ。

 山崎豊子という作家は、姑息な手法を使う作家と
いうことになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 B
W はやし浩司 沈まぬ太陽 日本航空 国民航空)


Hiroshi Hayashi++++++++Nov. 09+++++++++はやし浩司

●パニック

昨夜、自転車で家に帰るとき、
今までにない経験をした。
時刻は、夜9時を回っていた。

信号が変わるのを待ちながら、ふと横を見ると、一人の
若い女性が、車の中で携帯電話を使っていた。

私「……」。

そのとき、止まった車の間を縫うようにして、
大通りの後方から、無灯火の自転車が、
道路を横切って来た。
信号が赤になる前に急いで……、ということらしい。

私「……」。

横を見ると、みな、停止ラインで、車を止めていない。
数メートル、はみ出た車。
数メートル、手前で止まっている車。
車間距離はまちまち。

私「……」

信号待ちと言っても、その交差点は、おかしな十字路。
間に川をはさんでいるため、幅が50メートル
近くはある。
左右の道のうち、左へ行く道は、途中で行き止まり。
右から来る車も、そこは一方通行になっている。

それを知っているから、信号を守る歩行者は、
ほとんどいない。
今度は、赤信号を無視して、ジョッギングしながら、
1人の若い男が、こちらに向かって走ってきた。

私「……」。

さらに近くの家から、一方通行の道を逆走して、一台の
車が猛スピードで、目の前を通り過ぎていった。

私「……」。

もうひとつ、何かあったが、思い出せない。
ともかくも、そういうことが、(瞬間)という
短い時間の間に、たてつづけに起きた。
とたん頭の中がパニック状態になってしまった。

その直後、私は、こう思った。
「いったい、この国は、どうなってしまったのか!」と。

おおげさに聞こえるかもしれないが、そう思った。
つまりひとつずつのできごとは、ささいなことでも、
それが短時間にたてつづけて起こると、それぞれが
頭の中で大きくふくらむ。
そしてその結果、「この国は!」と、なる。

こういう脳の反応を、どう理解したらよいのか。
私にはわからないが、おもしろい現象なので、
ここに書きとめておく。


Hiroshi Hayashi++++++++NOV.09+++++++++はやし浩司

●『沈まぬ太陽』(補記)

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 今朝、起きるとすぐ、「『沈まぬ太陽』vs
日本航空(JAL)」という原稿を書いた。
「あの映画は、日本航空(JAL)の名誉を
傷つけているという内容の原稿である。

それについて朝食のとき、ワイフに話すと、
「そうね、私もそう思う」と、あっさりと
同意してくれた。

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●一サラリーマンの左遷劇

 繰り返しになるが、労使問題がこじれ、そのはざまで翻弄される、一サラリーマン
の悲哀劇を描くだけなら、何も日本航空(JAL)を、あえて取り上げる必要は
なかった。
それに「左遷」「左遷」というが、当時の日本では、あの程度の左遷劇は、どこの
会社でもあった。
民間企業ではもちろんのこと、三公社五現業と呼ばれる団体でも、あった。
「窓際族」「単身赴任」、さらに「粗大ごみ」という言葉も、そのころ生まれた。

また海外勤務についても、商社などでは、一度海外に出たら、最低でも2年、
日本には戻って来られなかった。
短期出張(70年代の当時は、「単身赴任」という言葉は、まだなかった)の
「はしご」というのもあった。
短期出張は、単身が常識だった。
出張先から、さらにつぎの出張先へ飛ばされるのを、「はしご」と呼んでいた。
しかし商社マンのばあい、海外勤務は、出世コースと位置づけられていた。
(『沈まぬ太陽』の中では、懲罰として位置づけられていたようだが、そう決めて
かかるのもどうか?)

 私がいたあのM物産にしても、社員の7割が国内勤務、3割が海外勤務と
いうことになっていた。
「商社マンは、海外で活躍してこそ商社マン」、
「海外勤務は、夢」、
「海外勤務は、出世コース」と。
私たちは、みな、そう考えていた。

 つまり単なる左遷劇ドラマなら、何もあえて日本航空(JAL)を舞台にする
必要はなかった。

●だれが見ても、日本航空(JAL)

しかし日航123便の墜落事故を描くことによって、あの映画に出てくる国民航空
というのは、日本航空のことと、だれにでも、わかる。
しかもその墜落事故は、映画の中では、トップシーンの中に出てくる。
が、実際には、労使紛争につづく主人公の左遷劇は、その何年か前に始まっていた。
たくみに前後を逆にすることにより、日航123便の墜落事故が、あたかも日本航空
(JAL)の経営陣に責任があるかのような、ストーリー展開になっている。

 が、繰り返しになるが、あの映画は、基本的には、1人の社員の左遷劇を描いた
ものに過ぎない。
それにそのあとに起きた日航123便の墜落事故を、まぶした。
(映画の中では、「JAL123便」が、「NAL123便」となっていたが……。)

 そこで改めて問う。

 どうしてこの映画の中で、日航123便の墜落事故が出てくるのか?
また出さねばならなかったのか?
あたかも主人公の恩地が、被害者であるかのような立場で描かれているが、一歩
退いた世界から見れば、恩地は、社員そのもの。
もし会社に責任があるとするなら、恩地自身も、その責任を負う立場にある。

 またわざわざ「この物語はフィクションです」と断るくらいなら、ほかの事故でも
よかったし、まったく架空の事故でもよかったはず。
つまり一サラリーマンの左遷劇と、日航123便の墜落事故が、どうしても
私の頭の中でつながらない。

●日本航空(JAL)は悪玉?

 ゆいいつ「それかな?」と、記憶に残っているセリフに、こんな言葉があった。

「ニューヨークの高額なホテルを買い占めるお金があるなら、どうしてその
お金を、安全面に使ってくれなかったのだ」と。
日航123便の遺族の1人が、そう言って、恩地に詰め寄っていた場面である。
しかしそれとて、ホテルの買収の話。

 つまりあの映画は、日本航空(JAL)を悪玉に仕立てようと、無理をしている。
それはまるで昔のチャンパラ映画のようでもあった。
善人と悪人の色分けをはっきりする。
とくに悪人は、いかにも悪人でございますというような、稚拙な演技をする。

たとえば補償金交渉をする担当者。
実にわざとらしいというか、取ってつけたような演技。
あそこまで事務的に補償金交渉をする担当者はいない。

●疑問

 となると、ここで疑問は、振り出しに戻ってしまう。
「なぜ、日本航空(JAL)なのか」と。

 1985年といえば、「つくば'85」(国際科学技術博覧会)(3月)のあと、
NTT、たばこ産業が、それぞれ民営化されている(4月)。
(日本電信電話公社が、日本電信電話株式会社に。
日本専売公社が、日本たばこ産業株式会社に、それぞれ民営化。
日本航空も、日航123便の墜落事故の当日、民営化を決議していた。) 

 さらに言えば、「なぜ、今なのか」と。
日本航空(JAL)は、現在、経営再建中で、たいへん困難な時期にある。
映画を観てもわかるように、労使問題といっても、それは社内という、
コップの中での話。
日航123便の墜落事故は、たしかに不幸な事故だったが、その事故と、
その前段階として描かれている労使紛争や主人公の左遷劇は、関係ない。

(関係があるなら、それをテーマにすればよい。
またそういう映画なら、話もわかる。
たとえば日航123便の墜落事故についても、圧力隔壁の破壊説のほか、
米軍によるミサイル誤射説、垂直尾翼の羽破壊説などもある。
ボイスレコーダーの一部は、いまだに未公開になっている、などなど。)

 まったく関係ない大事故をもちだし、労使紛争にまぶしていく。
あたかも労使紛争が、そのあとに起こる日航123便の墜落事故と関係あるかの
ように、である。

●表現の暴力

 しかしこれこそが「表現の暴力」。
確たる証拠もないまま、労使紛争と日航123便の墜落事故と結びつけていく。
そしてその上で、この物語は、「フィクションです」と断る。

 このあたりに、制作者や監督の、薄汚さを覚える。

 前にも書いたが、たとえば大統領の不正を追求する映画とか、そういったもので
あれば、問題はない。
大統領は公人である。
しかし日本航空(JAL)は、当時はいざ知らず、今は、一民間企業である。
株式も公開している。
そういう会社をターゲットに、こういう映画が許されてよいものか?

 観る人によっては、日本航空(JAL)に対して、悪いイメージをもつだろう。
みながみな、「これは映画」「フィクション」と、割り切ることができるわけではない。
観たまま、「日本航空(JAL)って、おかしな会社」と思うかもしれない。
もしそうなら、(実際、そうだが)、日本航空(JAL)は、本気で怒ってよい。

●制作意図がわからない

 要するに、あの映画は、(原作のほうもそうだろうが)、日本航空(JAL)を
中傷するためだけに作られた映画と考えてよい。
社内の労使紛争の理不尽を、ドラマ化しただけ。
それに日航123便の墜落事故をまぶして、ドラマを水ぶくれ式に大きくした。

 だから私はこう書いた。
「表現の暴力」と。

 ワイフは最後にこう言った。
「山崎豊子は、JALに、何かうらみでもあったのかしら?」と。
そう、何かうらみでもなければ、あそこまでの本は書けない。
日航123便の墜落事故で亡くなった犠牲者は、そのための(飾り)として
利用された。
犠牲者に同情するフリをしながら、物語のスケールを大きくするために、利用された。
しかしそれこそ、犠牲者への冒涜ということになるのではないのか。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW 日本航空 JAL123便 沈まぬ太陽 国民航空 NAL123)


Hiroshi Hayashi++++++++NOV.09+++++++++はやし浩司

●『心を病む新人先生』(中日新聞)

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中日新聞に、こんな記事が載っていた。
「心を病む新人先生」と題して、
「依願退職、315人中、88人」と。

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●304人中、88人!

 ギョッ! 

大見出しを読んで、驚かなかった人はいないと思う。
「315人中、88人!」と。
しかし……。
つづきを書く前に、新聞の記事を、ていねいに読んでみよう。

 「(教師の)試用期間後に正式採用されずに辞めた公立学校の新人教員
315人のうち、88人は、うつなど、『精神疾患』による依願退職だった
ことが、4日、2008年度の文部科学省の調査でわかった」(中日新聞・
11月5日)と。

 ここまで読んだだけでは、まだよくわからない。
もう少し詳しく読んでみる……。

●中日新聞の記事より

 新採用の教員は、1年の条件付き採用(試用)期間のあと、正式採用となる。

そこで、「08年度に正式採用されなかった新人教師は、全採用者2万3920人の、
1.3%。1999年度は、0・5%だった」(同紙)と。

「正式採用されなかった新人のうち、依願退職者は315人で、理由が病気だった
のは、93人。このうち88人が、精神疾患による退職だった」(同紙)と。

「『病気』は、04年度から増加傾向だった。文科省はストレスによる精神疾患
の可能性があるとみて、調査項目に加えた」(同紙)と。

 ……ここまで読んで、「315人中、88人」の意味が少しわかってきた。

●誤解

 この見出しを一読すると、「315人の新人教師のうち、88人が依願退職した」
というふうに解釈できる。
私も、最初、そう解釈した。
驚いた。
今までの常識と、あまりにもかけ離れている。
「4人に1人が退職?!」と。
しかしそんなことはありえない。

で、新聞記事をよく読むと、「新人教師として採用されなかった、315人のうち、
88人が精神疾患による依願退職だった」ということがわかる。

 さらにていねいに読むと、2万3920人のうちの、1・3%が、正式に
採用されなかったということがわかる。
となると記事の見出しとしては、たいへん誤解を招きやすいのでは、ということになる。
確認するため、電卓を叩いてみた。

 315÷2万3920=0・0127=約1.3%
確かに約1・3%である。

 その315人のうちの、88人が、「精神疾患による退職だった」と。
そこで、
88÷2万3920で計算してみると、精神疾患による退職率は、約0・37%となる。
が、この数字は、それほど大きくない。
1000人に、3・7人=約4人ということである。
これくらいなら、どこの職場でも見られる数字である。

●精神疾患

そこでそれを確認するため、精神疾患の発症率を調べてみた。
うつ病の発症率だけをみても、25人に1人。
過去にうつ病に陥った経緯がある人を含めると、5〜7人に1人(14〜25%)。
「他の統計では、男性7%、女性19%がうつ病を経験しており、アメリカに
おける、男性10%、女性25%と、ほぼ一致する」(「医療法人・清風会HP」)と。

 「5〜7人に1人」というのは、間の「6人」を取って計算すると、約17%の人が、
うつ病を発症するということになる。
「軽度うつ病」「仮面うつ病」さらには、「プチ・うつ病」となると、もっと多い。
さらに罹患率と通院率は、ちがう。
離職率とも、ちがう、などなど。
しかしこれはすべての年代の人を含むので、単純には比較できないが、「0・37%
というのは、やはり、とくに目立った数字ではない」ということになる。

 さらにうつ病だけが精神疾患というわけではない。
たとえば若い人たちに多い、「思春期やせ症」(摂食障害)だけをみても、
研究者によって、発症率は、「10万人あたり、0・38〜79・6人」(「中本精神分析クリニック」H
P)という。
「80人」で計算すると、0・08%。
精神疾患といっても、ほかにも、いろいろある。
ちなみに東京都の職員のばあい、平成20年度の教職員の休職者は、788人。
うち、精神系疾患で休職した人は68・5%にあたる540人にのぼったという
(産経新聞※)。

こうして考えていくと、中日新聞の記事には、「?マーク」がつく。
中日新聞の記事というよりは、「文科省はストレスによる精神疾患の可能性がある
とみて、調査項目に加えた」という部分に、「?マーク」がつく。

●0・5%から1・3%に

 つまり0・37%という数字だけを見るかぎり、それほど多くない。
ごく平均的な数字ということになる。
とは言え、実際には、何らかの精神疾患を発症しながらも、通院や服薬などでがんばって
いる教員も多いはず。
みながみな、依願退職するわけではない。
一方、若い新人教師だと、ほかの年代の教師よりも、離職率は高いかもしれない。
となると、08年は、99年度よりも「ふえた」という部分に注目しなければ
ならない。

「1999年度には、0・5%だったが、08年度には、1・3%になった」と。

 しかしこれについても、この10年間で、精神疾患に対する一般の考え方は、
大きく変わった。
(隠したい病気)から、(隠さなくてもよい病気)に変わった。
だから数字だけを見て、「多くなった」と断言するのは、危険なことかもしれない。
私の周辺でも、「ぼくはうつ病でね」と、堂々と言う人がふえている。
20年前とか30年前には、考えられなかった現象である。

●情報のリーク

 最初は、「!」と思った記事だが、よくよく読んでみると、「?」と思う記事に
変わることがある。
この記事も、そうである。

一方、こうした情報のリークというか、操作は、何らかの意図をもってなされる
ことが多い。
とくに中央の官僚たちが、一般に流す情報には、注意したほうがよい。
その中でも、文部科学省の流す情報には、注意したほうがよい。
で、このところあちこちのBLOGで気になるのは、「精神疾患に対する研究費をふやせ」
という発言である。
その布石として、こうした情報が流されたと考えられなくもない。

 念のため、繰り返す。

「304人中、88人」という見出しを見て、「304人の新人教師(試用期間中の
教師)の中の88人が、依願退職をした」と読んではいけない。
見出しだけ読んだ読者は、「先生って、たいへんだな!」(実際、たいへんだが)と
思って終わってしまうかもしれない。
しかし実際には、「依願退職した304人の新人教師のうち、88人が、何らかの
精神疾患で退職した」ということである。

 さらに付け加えれば、教職に就いたから、発症したというふうに考えるのも、
短絡的すぎる。
もともと何らかの精神疾患をかかえていた人もいるかもしれない。
ほかにもいろいろ考えられる。
が、ここまで。

●教職は重労働

 実際、この数字とは別として、教職というのは、たいへん。
本当にたいへん。
教師を取り巻く、雑務が多すぎる。
このあたりでも、児童が体育館でけがをしても、教師は家庭訪問をして、説明、謝罪する
のが、当たり前になっている(09年10月・K小学校、校長談)。

 そういう意味では、今回のこの数字の公表には、それなりの意味がある。
「先生もたいへん」ということが、一般の人たちにも、わかってほしい。

 ただし、この報告書の公表が、そのまま文部科学省の某研究団体の予算獲得のための
ものであるとするなら、私たちは、じゅうぶん警戒したほうがよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 教師の精神疾患 離職率 心を病む教師 新人教師 試用教師 心を病む先
生)

【まちがいの訂正】(すでに訂正済み)

 上記の記事には、いくつかのまちがいがあった。
それを訂正しながら、少し加筆してみた。
なお、産経新聞が、もう少し詳しく、その内容を書いている。
そのまま転載させてもらう。

(注※)(産経新聞・11・6日より)

 『東京都の公立学校教職員のうち、精神系疾患で病気休暇や休職している教職員に支給さ
れる給与が年間で総額約60億円に上ることが5日、都教育委員会の調査で分かった。精神
系疾患による休職者は全体の約7割に上り、全国平均を上回るペースで急増している。休職
者の約70%が病欠を取得するまで受診していない実態も判明。事態を重視した都教委は今
後、全国の教委で初めて、メンタルヘルスチェックを健康診断に組み込むなど、早期発見・治
療が可能なシステム構築に乗り出す。

 都教委によると、平成20年度の教職員の休職者は、788人。うち、精神系疾患で休職した
人は68・5%にあたる540人に上った。

 15年度は60%の259人で人数も割合も急増した。休職者率も全国平均の0・55%(19年
度)を上回る0・94%(20年度)。東京は、小中高に加え特別支援を含め全校種で全国平均を
大きく上回っている。

 文部科学省が4日に公表した調査結果では、教員採用試験に合格しながら、1年間の試用
期間後に正式採用とならなかった教員は平成20年度は315人。うち約3割の88人が精神系
疾患による依頼退職だったことが判明したばかりだ。

 こうした実情を踏まえ、都教委では精神系疾患の休職者の置かれた環境を独自に分析。19
年度は、病気の発生率で特別支援学校(1・01%)が最も高く、男女比では高校の女性教員、
小学校の男性教員の休職率が高いことが分かった。年齢別では高校の20代(1・43%)、特
別支援学校の40代(1・17%)の休職率が際立った。

 休職者の在籍年数では、小中学校で採用3年目までの、特に小学校教員の休職率が高く、
在職21年目以降のベテラン教員の休職率も、極めて高い傾向にあった。

 休職の理由については、自己申告では「不明」が最多。次いで、「児童・生徒」「保護者」の順
だった。異動を理由に挙げた事例では、多くが「環境不適応」とみられる。

 一方、精神系疾患で休職した教職員の約70%は病欠するまで医師の診断を受けていなか
った。

 都教委では手遅れ受診の背景に、(1)本人に「鬱病(うつびょう)」の知識(病識)が少ない
(2)生活に支障がないと周りも気がつかない(3)内科を受診時に心療内科や精神科を勧めら
れて発見される、ことなどがあるとみている』と。
(以上、産経新聞より)
 

Hiroshi Hayashi++++++++Nov. 09+++++++++はやし浩司

●トラウマ(無線LAN)

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昨日、我が家のパソコンを、無線LANでつないだ。
いろいろあった。
いろいろあって、設定までに、2時間あまりかかってしまった。
が、中には、「今ごろ、無線LAN?」と思う人もいるかもしれない。

実は、5、6年前に、一度、無線LANにしたことがある。
そのときも設定ミスが重なり、半日ほどかかってしまった。
それに当時は、無線LANを取り付けるとき、
モデム機能をOFFにする設定を、
パソコン上でしなければならなかった。
その仕方がわからなかった。
(現在は、機器の外部に、その切り替えスイッチがついている。)

で、何とか無線LANでつないだ。
が、そのあと問題が、つぎつぎと起きた。
HPのHTML送信をしようとすると、エラーの連続。
近くに電子レンジがあったのが、まずかった。
しかもスピードがのろい。

いろいろあって、そのままGIVE UP!
当時の機器は、一式、戸棚のゴミとなった。
で、今回の再挑戦。

が、またまた失敗。
前回のトラブルがトラウマになっていた。
「また失敗するのではないか?」と思いつつ作業を始めた。
で、案の定、またまた失敗。

話せば長くなるが、要するに、暗号ナンバーの入力を
最初の段階で、まちがえてしまった。
その結果、無線ルーターのほうがそのナンバーを
記憶してしまい、あとは何をやっても、つながらなく
なってしまった。

こうして悪戦苦闘すること、2時間あまり!
ハラハラ・ドキドキ・・・。
説明書には、「簡単に・・・」と書いてあった。
その「簡単」という文字が、うらめしく見えた。

で、何とか、パソコンを無線LANでつなげることができた。
ホ〜〜ッ!
これからはいちいちパソコンを、有線でつながなくてもよい。
遠く離れた場所でも、ネットを楽しむことができる。
さらにLAN経由で、プリンターも使えるようになる。

……夜寝るとき、ふとんの中で、ミニ・パソを使って、ワイフに、
YOUTUBEの音楽を聴かせてやった。
そのときはじめてワイフは、無線LANのありがたさが
わかったらしい。
で、こう言った。
「無線LANって、便利ね」と。

++++++++++++++++++++++

●恐怖症

 私の脳みその中には、「恐怖症」という思考回路ができあがってしまっている。
何かのことで一度恐怖感を覚えると、それがそのままその思考回路に従って、恐怖症と
なってしまう。

 子どものころのことでよく覚えているのが、「ボール」。
あの野球のボール。

 それまでは軟式野球をしていたのだが、ある日、硬式野球というのをやってみた。
いきさつはよく覚えていないが、中学かどこかのグランドで、それをした。
子どものころの私は、結構、スポーツマンで、何でもござれというタイプの子どもだった。
が、そのとき、いきなり、あの硬いボールで、デッドボールをくらってしまった。
とたん、ボール恐怖症になってしまった。
「野球」という言葉を聞いただけで、それから逃げるようになってしまった。

 あれは私が小学6年生か、中学1年生のときのことだったと思う。
……というような経過を経て、私はいろいろな恐怖症になる。

 いちばんよく覚えているのが、飛行機恐怖症。
私が乗った飛行機の事故がきっかけで、そうなってしまった。
羽田で、その事故は起きた。
私が30歳にあんる、少し前のことだった。
とたん、飛行機恐怖症。
そのあと10年近く、飛行機に乗れなくなってしまった。
ときどき乗ることはあったが、行った先の外地で、夜、眠られなくなってしまった。

●子どもの世界では

 子どもの世界では、こうした思考回路をつくらないよう注意する。
一度その思考回路ができると、いろいろな場面で、恐怖症に陥りやすくなる。
高所恐怖症、閉所恐怖症、対人恐怖症、お面恐怖症、などなど。
思考回路というのは、言うなれば、空の貨車。
その貨車の中に、そのつど、いろいろなものが入る。
入って、いろいろな恐怖症を引き起こす。

 要するに、度を越した強い刺激は、子どもには与えてはならないということ。
子どもが幼少のときほど、注意する。

 私のばあいも、自分ではよくわからないが、どこかでそういう経験をしたらしい。
たとえば私は、子どものころ、自分の家のトイレがこわくてたまらなかった。
トイレは、家の中の、いちばん端の、薄暗い場所にあった。
電気など、ない。
ボットン便所。

 トイレの中の壁には、無数の汚れたシミがついていて、私にはそのシミが動いている
ように見えた。
それでトイレには、入れなくなってしまった。
で、それが後々の、閉所恐怖症につながっていった。

 大学生のときのこと。
みなで、どこかの金山跡を訪ねたことがある。
あのときも、みなは平気で中へ中へと入っていったが、私だけは入れなかった。
入り口のところで、立ったまま、足がすくんでしまった。

 そういう形で、恐怖症は、そのときどきにおいて、顔を出す。
だから恐怖症を軽く見てはいけない。
見てはいけないというよりも、そういう子どもがいたとしても、軽く考えてはいけない。
中には、「そんなのは気のせい」とか何とか言って、無理をする親がいる。
しかしこんな乱暴な指導は、ない。

 少し前も、小学校に入学したとたん、不登校になってしまった子ども(男児)がいた。
祖母にあたる人から、いろいろ相談を受けた。
が、原因がよくわからない。
そこで子どもに聞くと、「トンネルがこわい」と。

 自宅から小学校へ行くまでの間に、トンネルがあった。
そのトンネルがこわいと言うのだ。

 それを祖母にあたる人に話すと、「そんなことで!」と驚いていたが、恐怖症というのは、
そういうもの。
その(恐ろしさ)は、経験した者でないとわからない。

 で、その子どものばあい、通学路を変えただけで、問題は解決した。 

●無線LAN

 で、無線LANの話に、戻る。
私は無線LANの設定をするとき、「また失敗するのでは?」という思いを、ぬぐい去る
ことができなかった。
そこで説明書をあらかじめ数回読み、設定の仕方を叩きこんだ。

 が、ものごとは、「できる」と自信をもってやったときと、「できないかもしれない」と
不安をかかえてやったときとでは、そのあとのできがちがう。
自信をもってやったときは、多少の失敗がつづいても、それを乗り越えることができる。
が、不安をかかえてやったときは、何かのことでつまずくと、そのままそこでくじけて
しまう。
ハラハラ・ドキドキするのは、そのためと考えてよい。

 子どもの世界にも、「達成感」という言葉がある。
3つくらい課題を与えて、2つくらいはできるようにして、子どもに達成感を
覚えさせるのがよい。
3つ課題を与えて、3つともできないと、子どもでなくても、やるのがいやになる。
しかしすいすいと3つともできてしまうと、これまたやる気をなくしてしまう。
だから、3つのうち、2つくらいはできるようにする。
そのあたりを見定めながら、子どもに課題を与える。

 が、恐怖症になっていると、その入り口のところで、自信を失ってしまう。
「私はできない」という思いが、弱化の原理として働き、子どもを後ろ向きに引っ張って
しまう。

 昔、こんな女子中学生がいた。
何でも、「ここ一番!」というときになると、「私にはできない」と言って、逃げてしまう。
そこで理由を聞くと、「どうせ、私はS小学校の入試に落ちたもん」と。

 その女子中学生は、とっくの昔に忘れていいはずの、7年も8年も前の失敗を気にして
いた。
つまりそれがその女子中学生のトラウマになっていた。

 で、昨日の私。
何とか無線LANでパソコンをつなぐことはできたが、設定をしている間は、
ハラハラ・ドキドキの連続。
パソコンの世界にも、いろいろな機器があるが、無線LANだけは、別。
電気のコンセントを抜き差しするようなわけには、いかない。
おまけに5、6年前の失敗がある。
ちょっとしたつまずきで、頭の中がパニック状態になってしまう。
わかっていることでも、わからなくなってしまう。

 で、私にとって大切なことは、つぎのこと。
子どもを指導するときは、子どもには、そういう思いをさせてはいけないということ。
その前に、恐怖症という思考回路を作らないこと。
一度、その思考回路ができてしまうと、あとがたいへん。
私のばあいもそうだが、今でも、それが残っている。
思考回路は、一生、消えない。
今でも私は閉所恐怖症だし、野球のボールが苦手。
飛行機も嫌いだし、今は、やっとつながったが、無線LANの設定も、お断り。
そうなってしまう。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 
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Hiroshi Hayashi++++++++Nov. 09+++++++++はやし浩司

●2010年に向けての抱負

朝は、ルーム・ウォーカーの運動で始まる。
10分も運動していると、サーッと体中が汗ばむ。
とたん、それまでの寒さが、吹き飛ぶ。

で、それからポットからお茶を取りだし、書斎へ。
目薬をさしながら、パソコンに電源を入れる。
その瞬間、ふっと、軽い深呼吸をする。
「さあ、今日も、始まった!」と。

今まで、遠方からの講演は断ってきた。
が、この夏(09年)ごろから、少し心境が変わってきた。
講演を、「講演旅行」と考えるようになった。
講演先で、旅館を見つけ、そこで一泊するようにした。
とたん、遠方の講演が楽しくなった。
・・・プラス、楽しみになった。
この先、下田、平塚、秋田・・・と、講演がつづく。
それを話すたびに、ワイフは、旅行ガイドブックを
もってきて、私に見せる。
旅館選びは、ワイフに任せてある。

一方、私は、体力と知力の維持をしなければならない。
そのために運動する。
文を書く。
どちらもしばらく休むと、そのまま下降線をたどる。
さらに休むと、体も脳みそも、使いものにならなくなる。
怠けた体で、講演はできない。
ぼんやりとした頭で、講演はできない。
それが、こわい。

その私も、満62歳。
昔、友人のT氏(某ペンキ会社監査役)が、以前、私にこう言った。
「林さん(=私)、男がいちばん仕事ができるのは、
60代ですよ」
「私がいちばん仕事をしたのは、60代です」とも。
私はその言葉を信じているし、信じたい。
60代というのは、その人のそれまでの人生が、
集約される年齢と考えてよい。
それなりの社会的地位も、できあがる。
いや、社会的地位がほしいわけではない。
しかし私のようなキャリアだと、それがないと、
人の前に立って、ものを話すことができない。
地位も、肩書きもない。
まったく、ない。
まったくの、ノン・キャリア。

が、今なら、大上段に構えて、「教育とは・・・」
「子育てとは・・・」「日本は・・・」と語ることができる。
人も、私の話に耳を傾けてくれる。
そういう人たちが、ふえてきた。

が、心配なのは、体力と知力。
だから、ときにルーム・ウォーカーの運動を、
10分から20分に延ばす。
歩くだけではない。
昨夜も、夜9時過ぎに、40分のサイクリングをした。
寒かった。
が、楽しかった。

ただこのところ、頭の中のモヤモヤを、どうもうまく、
外へ吐き出せない。
文を書き終わったあとも、モヤモヤが残る。
ワイフにそれを話すと、ワイフは、こう言った。
「平和になったからよ」と。

そう、たしかに平和になった。
私は満61歳にしてはじめて、実家という「家」
から解放された。
それから1年。
日々に生活は平穏になり、あわせて、心も穏やかになった。
同時に、心の緊張感が、そのまま緩んでしまった。
そのせいか、体重も、ぐんぐんとふえ、昨年(08)の
終わりには、68キロを超えるようになった。
そこで一念発起!

3、4月から始めて、8月ごろまでに、約9キロの減量。
結構、苦しかった。
今まで、何10回となくダイエット→リバウンドを繰り返した。
しかし今度は、「これが最後!」と自分に言い聞かせた。
「食べなければ損なのか、それとも食べたら
損(そこ)ねるのか」と、自問した。

ダイエットには、哲学が必要。
哲学がないままダイエットしても、長つづきしない。
しても、あっという間に、リバウンド。
称して、『哲学的ダイエット法』。
私が考えた。

食物を前にしたら、いつも自分にこう問いかける。
「食べなければ損なのか、それとも食べたら
損(そこ)ねるのか」と。
そうしてゆっくりと、食べ物を残したまま、
箸を下に置く。

で、どうしてそんなことが「哲学?」と思う人も
いるかもしれない。
が、この考え方は、「生きなければ損なのか、
生きたら損ねるのか」という問題にまで
つながっていく。

よい例が、あの『おしん』。
日本中があのテレビドラマに涙を流した。
そのおしんだが、当初は、生きるために働く。
しかし事業が拡大するにつれて、今度は、
働くために生きるようになる。
金儲けに埋没するあまり、自分を見失ってしまう。

だから……というわけでもないが、
あのヤオハンJAPANが倒産したとき、
涙を流した人は、ほとんどいなかった。
おしんは、そのヤオハンの創業者のKさんが、
モデルだったと言われている。

太った体では、健康は維持できない。
60歳を過ぎているなら、なおさら。
知力を維持するのも、むずかしい。
そうでなくても、脳みそ全体が、底が抜けたバケツの
ようになる。
その底から、知識や経験が、どんどんと下へ流れ
落ちていく。
たった1週間前に覚えた言葉を忘れてしまう。
そんなことも、このところ珍しくない。

人は、希望によって生きるもの。
その希望があれば、何歳になっても、前向きに生きられる。
しかしその希望は、向こうからやってくるものではない。
自分で作るもの。
自分で用意するもの。
どんな小さな希望でもよい。
あとは、それにしがみついて生きていく。

少し早いが、2010年に向けての抱負を書いてみた。
で、今は、その下準備。
2010年に向けての、下準備。
何か希望につながるものをさがして、
それをふくらます。
今は、そのとき。

さあ、今日もがんばるぞ!
今日こそは、「がんばった!」と実感できるような
1日にしたい。
2009年11月7日、土曜日、朝、記。


Hiroshi Hayashi++++++++Nov. 09+++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(091108)

【日本の官僚制度と教育制度】

●「勉強で苦労するくらいなら……」

+++++++++++++++++++

このあたりの中学校でも、ほどほどの
勉強をして、それなりの進学高校に行きたいと
考えている生徒は、約40%。
残りの60%は、進学のための勉強すら
しない。
「部活でがんばって、推薦で高校へ行く」
と言っている。
中には、せっかくその(力)をもちながら、
「勉強で苦労するのはいやだから、進学高校
には行きたくない」と言う生徒もいる。

しかしそれはその生徒の意思ではない。
そういう意思をもつように、作られた。
「そんなバカな!」と思う人がいたら、
この原稿を読んでほしい。

++++++++++++++++++++

●推薦入試?
 
 そもそも「推薦入試」とは、何か?
(推薦)と(入試)は、どう考えても、混ざらない。
……と考えるようになって、早、20年。
そんな中、ゆとり教育も始まった。
その結果が、「今」。
冒頭に書いた。

 産経新聞(08年11月8日)は、つぎのように伝える。

+++++以下、産経新聞より+++++

東京都教育委員会は、現在の中学2年生が受験する2011年度の都立高校入試から、約1
万1000人に上る推薦入試の募集枠を大幅に削減する方針を決めた。

 全募集枠の4分の1を占める推薦入試枠は学力試験がないため、「競争性に欠ける」という
指摘があがっており、都教委は「進学指導重点校」を中心に半減したい考え。

 公立高の推薦入試は学力試験偏重から脱却するためとして、1980年代から各地で導入が
進んだが、都教委が削減に踏み切ることで全国に見直しの動きが広がる可能性も出ている。

 都教育庁によると、都立校では95年度から、入試の「多様性」を図るとして、普通科を含む
全学科に推薦入試を拡大し、全189校の9割にあたる173校で導入されている。毎年1月下
旬に実施される選考は調査書(内申書)のほか、面接や作文、小論文などの評価で最終合否
を決め、学力試験は課していない。

 推薦枠の人数は、各校の校長が募集枠の50〜20%を上限とする範囲内で独自に決めて
いるが、志願者が多い日比谷、戸山など進学指導重点校については、入試の多様性よりも
「学力重視」に移行し、募集枠の10%程度まで削減したい考え。一方、工業高校などでは、こ
れまで通りの推薦枠を維持したいとしている。

 志願者数の多い都立校の全日制普通科の推薦入試では倍率が最高9倍に上るケースもあ
り、一般入試と併願する受験生も多く、これまで都教育庁は「推薦枠が多くても入試の競争性
は十分確保されている」という立場だった。

 しかし先月の都教委では、推薦枠が4分の1に上る現状を巡って、一部の委員が「競争性に
欠ける」などと異議を唱えて紛糾。最終的に来春の10年度入試は例年通り約1万1000人の
枠を維持することが決まったが、「内申書を作る教師の考えで差が出るのは不公平」といった
声もあり、11年度以降は大幅に削減する方向で見直すことを決めた。

 都教育庁では、受験生への混乱を最小限とするため、近く検討会議を設置し、保護者代表
のほかに、私立高側にも参加を要請する。

+++++以上、産経新聞より+++++

 この記事を読んで、私は、最初にこう思った。
「ナン〜ダ、この静岡県は、東京都のまねをしていただけか」と。

 それはそれとして、高校入試制度は、県によって、みな、異なる。
静岡県には、静岡県方式というのがある。
競争性を徹底してなくしたのが、長野県方式。
競争性は残したが、入試当日までに、ほどんどの進学先が決まってしまう、岐阜県方式。
相変わらず受験競争を温存したのが、愛知県方式、などなど。

 この静岡県では、中学からあがってくる内申書を重視し、学校によって異なるが、
60〜70%は、その内申書の上位から順に合格が決まる。
残りの30〜40%は、当日の入試の成績で合格が決まる。
(割合は、各学校によって異なる。)
この方式は、当初は、評判がよかった。

 が、この方式に「待った!」がかかった。

『東京都教育委員会は、現在の中学2年生が受験する2011年度の都立高校入試から、約1
万1000人に上る推薦入試の募集枠を大幅に削減する方針を決めた』(産経新聞)と。

 推薦入試枠が、全募集枠の4分の1を占めるという。
この「4分の1」を多いとみるか、少ないとみるかは、意見の分かれるところ。
しかし実際には、中学校の段階で、1クラスに、戦意を喪失した生徒が、4分の1も
いると、授業そのものが、成り立たなくなってしまう。
教師は一方的に授業を展開するだけ……という状態になる。
むしろ逆に、勉強をする生徒の方が、外へはじき飛ばされてしまう。
その結果が、「今」ということになる。

 が、教育のこわいところは、ここにあるのではない。
こうした教育制度そのものが、文科省の次官、局長レベルの通達程度で、決まってしまうという
こと。
ゆとり教育についても、そうだが、私が10年前に書いた原稿を、もう一度、読んでほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●無関心な人たち

 英語国では、「無関心層(Indifferent people)」というのは、それだけで軽蔑の対象にな
る。非難されることも多い。だから「あなたは無関心な人だ」と言われたりすると、その人はそ
れをたいへん不名誉なことに感じたり、ばあいによっては、それに猛烈に反発したりする。

 一方、この日本では、政治については、無関心であればあるほど、よい子ども(?)ということ
になっている。だから政治については、まったくといってよいほど、興味を示さない。関心もな
い。感覚そのものが、私たちの世代と、違う。

ためしに、今の高校生や大学生に、政治の話をしてみるとよい。ほとんどの子どもは、「セイジ
……」と言いかけただけで、「ダサ〜イ」とはねのけてしまう。(実際、どの部分がどのようにダ
サイのか、私にはよく理解できないが……。「ダサイ」という意味すら、よく理解できない。)

●政治に無関心であることを、もっと恥じよう!
●社会に無関心であることを、もっと恥じよう!
●あなたが無関心であればあるほど、そのツケは、つぎの世代にたまる。今のこの日本が、そ
の結果であるといってもよい。これでは子どもたちに、明るい未来はやってこない。

では、なぜ、日本の子どもたちが、こうまで政治的に無関心になってしまったか、である。

●文部省からの3通の通達

日本の教育の流れを変えたのが、3通の文部省通達である(たった3通!)。文部省が1960
年に出した「文部次官通達」(6月21日)、「高校指導要領改定」(10月15日)、それに「初等
中等局長通達」(12月24日)。

 この3通の通達で、(1)中学、高校での生徒による政治活動は、事実上禁止され、(2)生徒
会活動から、政治色は一掃された。さらに(3)生徒会どうしの交流も、官製の交流会をのぞい
て、禁止された。

当時は、安保闘争の真っ最中。こうした通達がなされた背景には、それなりの理由があった
が、それから40年。日本の学生たちは、完全に、「従順でもの言わぬ民」に改造された。その
結果が、「ダサイ?」ということになる。

 しかし政治的活力は、若い人から生まれる。どんな生活であるにせよ、一度その生活に入る
と、どんな人でも保守層に回る。そしてそのまま社会を硬直させる。今の日本が、それである。

構造改革(官僚政治の是正)が叫ばれて、もう10年以上になるが、結局は、ほとんど何も改革
されていない。このままズルズルと先へ行けばいくほど、問題は大きくなる。いや、すでに、日
本は、現在、にっちもさっちも立ち行かない状態に追い込まれている。あとはいつ爆発し、崩壊
するかという状態である。

 それはさておき、ここでもわかるように、たった3通の、次官、局長クラスの通達で、日本の教
育の流れが変わってしまったことに注目してほしい。そしてその恐ろしさを、どうか理解してほし
い。日本の教育は、こういう形で、中央官僚の思うがままに、あやつられている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 そのあと、06年に、改正教育基本法が成立した。
今度の民主党政権は、この改正教育基本法を、維持すると言明している。

しかし……。
これについては、2年ほど前に、こんな原稿を書いた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【改正基本法成立!】

教育基本法なって、私には関係ないと
あなたは思っていないか?

もし、そうなら、それはとんでもない
まちがい。

その影響は、まさに甚大!

大げさなことを言っているのではない。

よい例が、若者たちの政治的無関心。

なぜこうまで若者たちが政治に無関心に
なってしまったか。

それを決めたのが、たった3通の文部省(当時)
の通達であったことを、あなたは知っているか?

たった3通だぞ!

つまり教育基本法には、それくらいのパワーが
ある。

それがわからなければ戦前の日本を見ればよい。

あの軍国主義を先頭に立って、推し進めたのが、
ほかならぬ、文部省だった。洗脳教育というのは、
それくらい恐ろしい。

日本人は意識しないうちに、ジワジワと、
洗脳されていく。

それが教育基本法。教育の憲法ということは、
これから先、日本は、ますます戦前の日本に
近づいてくる。

はからずも、藤原M氏の書いた、「国家の品格」が、
数百万部(220万部、06年11月)も売れた
という。

1回の公開討論会に、数千万円もの予算をかけて
世論づくりする、この日本!
数千万円もあれば、1冊1000円としても、
それだけで、数万冊になる。
ベストセラー書として、火をつけるには、じゅうぶんな
冊数である。

あなたは、何か、胡散(うさん)臭いものを、
こうした流れの中に感じないか?

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●官僚の意思

 国家の意思というより、官僚の意思。
その意思に操られるがまま、子どもたちが作られ、それが国家の意思となって決まって
いく。
「この日本は自由な国だ」「そんなことは杞憂に過ぎない」と、もしあなたが思っている
としたら、それはとんでもない、ま・ち・が・い。
戦前、戦時中の教育を例にあげるまでもない。
あの軍国主義を、先頭に立って推し進めたのが、ほかならぬ当時の文部省である。
軍部ではない。
文部省である。

 そして敗戦と同時に、軍部は解体されたが、文部省はそのまま生き残った。
文部省の官僚で、戦時中から戦後にかけて、クビになった官僚は、1人もいない。
その(流れ)は、今も途絶えることなく、つづいている。

 教育の恐ろしいところは、まさにこの一点に集約される。
子どもたちの(心)は、日々の教育を通して、知らず知らずのうちに作られる。
先にも書いたようにそれがやがて、国家の意思として反映されるようになる。
しかもそうした(流れ)は、次官、局長レベルの通達だけで決まってしまう。

 さらに一言付け加えるなら、官僚たちは、一度に、すべてはしない。
徐々に、少しずつ、小出しにしながら、(流れ)を作っていく。
まさに官僚たちの得意芸である。
あるとき気がついてみたら、いつの間にか、こうなっていた、と。

 話はそれるかもしれないが、最近の例としては、「官民人材交流センター」がある。
官僚の天下りに、STOPをかけようという制度である。
当初は猛反対していた官僚たちが、AS政権になると、逆に、それを推進しようという
動きに変わった。

 なぜか?

 官民人材センターを骨抜きにするためである。
その第一として、センターの人員を、10人前後程度に収めようとした。
もしそうなれば、センターは、「下からあがってくる書類を、ホッチキスで留めるだけの」
組織になってしまう。
そうなれば、官僚たちは、むしろ逆に、堂々と天下りができるようになる。

 が、これではいけない……ということで、官僚の年収に見あう年収1400〜
1600万円以上の事業を国から随意契約で請け負っている法人には、天下りをさせ
ないようにした。

 つまり年間、1400〜1600万円以上の事業を国から請け負っている法人には、
官僚は天下りができないようにした。
こうすれば、天下りを、受け入れる事業体は、なくなるはず。

 が、である。
まず官僚たちは、懇談会に、つぎのような答申を出させる。
「一定金額以上の随意契約がある法人への、(官民人材交流センターによる)あっせんは、禁
止とする」(官房長官への報告書。議事録、2007年7〜12月)と。

 ここで重要なことは、「一定金額」としたところ。
それがいつの間にか、フタをあけてみたら、「1億円」となっていた!
その額を決めたのが、当の官民人材交流センターの、「センター長」とのこと(中日新聞)。
これでは言葉は少し汚いが、泥棒に、その家の警備を依頼したようなもの。

 懇談会の座長を務めた田中一昭・拓殖大学名誉教授ですら、こう述べている。

「変更したことだけ、後で知らされた。答申や法律を細部で変えるのは、役人のいつもの
やり方」(中日新聞)と。

 話を戻す。

 教育には(教えながら教える部分)と、(教えずして教える部分)がある。
(教えながら教える部分)は、教科書を通して教える部分。
(教えずして教える部分)というのは、現在の(あなた)を見れば、わかる。

 あなたは政治に関心があるか?
こうした不正を知ったとき、憤(いきどお)りを感ずるか?

 もしあなたが、「この日本は自由な国だ」「そんなことは杞憂に過ぎない」と、
本気で思っているなら、それこそが、その(教えずして教える部分)ということになる。
あなたは、今のあなたに、知らず知らずのうちに、作られた!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 文部省通達 教育基本法 天下り 官民人材交流センター 推薦入試制度)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

ついでに08年の12月に書いた原稿に、もう一度、目を通してほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●公務員制度改革案(Restricrtion Law against Public Officers' Post-Retiement Jobs)

+++++++++++++++++++++++++++

この場に及んで、人事院が、公務員制度改革法案に対して、
猛烈な巻き返し、つまり抵抗運動を繰り広げている。

人事院が反対するということは、今回の法案は、それだけ
中身があるということ。
ぜひ、来月(3月)10日までに関連法案を国会に提出し、
法案の成立をめざしてほしい。

+++++++++++++++++++++++++++

●法案の骨抜き

あれほどまで法案成立に協力的だった人事院が、この場に及んで、猛烈な抵抗運動を
繰り広げ始めた。

協力的だったのは、骨抜き法案にするためだった。

今回の公務員改革法は、今まで人事院が取り仕切っていた機能を、
内閣官房に移管しようというもの。
闇に包まれていた、天下りや「渡り」を公の監視制度の下に置こうというが、
その骨子である。
その法案に、なぜ人事院が協力的だったか?
理由は明白。

内閣官房の中に設置する(新機関)の中身を、形骸化するためである。

わかりやすく言えば、職員は、各省庁からあがってきた職員にする。
人員は、多くても10人前後にする。
しかしそんな組織で、中立・公平性が保てるわけがない。
またそんな少人数で、何万人もの人事を管理できるわけがない。
(新機関)は、下(=各省庁)からあがってきた報告書を、「ホッチキスで止めるだけ」
(某週刊誌記者)の組織になってしまう。
が、それこそが、人事院の(ねらい)であった。
だから協力的だった。

が、ここにきて、人事院のねらいどおりに、ことが運ばなくなってきた。
その気配が濃厚になってきた。
そこで「猛烈な抵抗運動」となった。

●後付け理由

人事院の言い分は、こうだ。
が、その前に、これだけは、説明しておかねばならない。

公務員というのは、憲法に保障されている、労働基本権の制約を受けている。
たとえばストライキなどをして、生活の資質向上などを、訴えることができない。
そこでそれにかわる、いわば補償機関として、人事院がある。
人事院は、政府から独立性をもった中央人事行政機関と考えるとわかりやすい。
たとえば公務員の給料などは、人事院の勧告に従って、政府が決定する。

もう少しかみくだいて説明すると、こうだ。

公務員は、「給料をあげろ」というストライキができない。
そこでそのかわり、独立性をもった(?)、人事院にそのつど判断してもらうことに
よって、給料をあげてもらう。

しかし現在の人事院が、「中立・公正性」を保っているというのは、ウソ!
そのことはたとえば、現在の人事院・谷総裁の経歴をみてもわかるはず。

谷総裁は、1964年に旧郵政省に入省。
98年に事務次官。
退官後、財団法人郵便貯金振興会理事長、JSAT(ジェイサット)会長。
そのあと2004年に、人事官となり、2006年4月から、現在の人事院
総裁に就任。

わかるかなア〜〜〜〜?

人事院の総裁自身が、元郵政省の官僚。
退職後は、「渡り」を繰り返した。
そしてその人物が、現職の人事院総裁!

こんなバカげた「中立・公正」があるか!
その谷総裁がこう叫ぶ。

「(人事院は)現在は制約がある労働基本権の代償という憲法の要請にかかわる機能を担う。
今回は、そうした議論がないまま、人事院の基本的な性格にかかわる変更を行おうと
している(だから反対)」(中日新聞・2月15日)と。

労働基本権ねえ〜〜〜〜?
労働基本権の代償ねえ〜〜〜〜?

そういう言葉は、この大不況の中で、明日の生活費もままならない人に向って、使って
ほしい。
天下りを数回繰り返すだけで、数億円も退職金を手にする官僚に、労働基本権とは!
谷総裁自身も、記事の中で、こう認めているではないか。

「(渡りについて)、行き過ぎている面もあった」と。
私たちは、その(生き過ぎている面)を問題にしているのである。
それを労働基本権を盾にとって、抵抗運動とは?

さらに谷総裁は、こう心配する。

「(給与改定を内閣に勧告する)人事院勧告制度が有名無実になる恐れがある」と。

有名無実ねえ〜〜〜〜?

現在、公務員の人件費だけで、38兆円(年間)あまり。
その額は、日本の国家税収の額とほぼ同じ(国家税収は、40〜42億円)。
この大不況下にあって、元公務員たちは、みな、こう言っている。
「公務員をしていてよかった」と。
一方現職の公務員たちも、みな、こう言っている。
「公務員でよかった」と。

何も1人ひとりの公務員の人たちに、責任を感じろと言っているのではない。
私は制度がおかしいと言っている。
制度の運用の仕方がおかしいと言っている。
都合のよいときだけ、憲法をもちだす。
労働基本権をもちだす。
ずるいぞ!

谷総裁は、「公務員改革のあるべき姿は?」という記者の質問に対して、
こう答えている。

「制度だけつくっても、運用が直らなければ、改革の目的は達せられない。
運用がどうしても直らないのが、今までの実態だ。
制度、運用、公務員の自覚、この3点を同時に直すことが必要」(同紙)と。

この意見にはまったく、賛成。
が、郵政事務次官から天下り、渡りを繰り返した当の人物が、そう言うのだから
恐ろしい!

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
公務員制度改革法案 公務員制度改革法 人事院 人事院総裁 労働基本権 人事院勧告)

+++++++++++++++++++++++++++

少し前に書いた、関連記事を再度、掲載します。

+++++++++++++++++++++++++++

●官僚天下り、首相が承認(?)

+++++++++++++++++

政府は18日(12月)、省庁による
天下りあっせんを承認する「再就職
等監視委員会」の委員長ポストが定まらない
ことを受けて、監視委員会に代わって、
AS首相が承認する方針を固めたという
(中日新聞・08・12・19)。
これは官僚の天下りが事実上できなくなっている
状況を回避するためという(同)。
そしてその結果、「……実際には、内閣府
職員に首相の職務を代行させるという」(同)と。

++++++++++++++++++

わかりやすく言えば、AS首相は、「天下り監視センター(正式名:官民
人材交流センター)」を、官僚たちに(=内閣府)に丸投げした。
理由は、委員長が決まらないため、とか?
(委員長人事については、M党が、反対している。)
つまりそれまでの(つなぎ)として発足した「監視委員会」を、事実上、
ギブアップ。
AS首相は、各省庁からあがってくる書類を、ホッチキスで留めるだけ。
それだけの委員会にしてしまった。
つまり「監視」などというのは、まさに「形」だけ。
だったら、何をもって、「監視」というのか?

官僚たちは、今までどおり、何の監視も、制約も受けず、堂々と天下り
できることになる。
しかも表向き、「監視委員会のお墨付き」という、天下の通行手形まで
手にすることができる。
「オレたちは、ちゃんと監視委員会の承諾を得て、天下りしている」と。

しかしこんなバカげた話が、どこにあるのか!
(08年12月19日記)

(付記)AS首相の支持率が、今朝(12月20日)の新聞によれば、
17%前後まで、急落したという。

当然である。
(08年12月記)
(09年11月、再掲載)


Hiroshi Hayashi++++++++Nov. 09+++++++++はやし浩司※

●思慮深さ(The Value of Silence)

+++++++++++++++++

何かを話すと、すかさず返事が返ってくる。
しかしその中身は、たいていいいかげん。
脳に飛来した情報を、音声に置き換えて
いるだけ。
これを「音声化」(はやし浩司)という。

子どもの世界でも、よくこんな現象が観察される。

たとえば鉛筆を床に落としたとする。
そのとき、こんなことを口にする。

「アッ、鉛筆がおちたア」
「ぼく、拾う」
「鉛筆は、どこかな」
「あったア〜」と。

意味のない言葉を、ひとり言のように言う。
私はこのタイプの子どもを、勝手に、
「音声化児」と呼んでいる。
脳の表層部分に飛来する情報を、やはり、
音声に置き換えているだけ。
だから「音声化児」と呼んでいる。

このタイプの子どもは、よくしゃべるという
点で、一見、利発に見える。
しかし中身が薄っぺらい。
思考力も浅い。
4、5歳児に多く、やがて少なくなっていく。

++++++++++++++++++

●反すう能力

 「思慮深さ」は、反すう能力で決まる。
「能力」というより、「習慣」の問題。

(1)相手の言ったことを、まず聞く。
(2)脳の中で、それを吟味する。
(3)それを何度も繰り返す。
(4)その上で、自分の意見を添える。

 ところがおもしろいことに、当の本人は、即座に反応することを、よいことだと
誤解している。
中には、それを「頭のいいことの証(あかし)」と誤解している人もいる。
つまり自分が、頭のよい人と思われたいがため、無理に、即座に反応しようとする。
だからどうしても、言っていることが、浅くなる。
ペラペラとよくしゃべる割には、中身がない。
口はうまいが、心が伴わない。

●沈黙の価値

 『沈黙は金なり』という。
英語国では、『沈黙の価値のわからない者は、しゃべるな』という。

 ここでいう「沈黙」というのは、「反すう能力」をいう。
この反すう能力のある・なしで、思慮深さが決まる。
反すう能力のある人を、思慮深い人といい、そうでない人を、そうでないという。
もっとわかりやすく言えば、反すう能力のある人を、「賢い人」といい、
そうでない人を、「愚かな人(fool)」という。

 たとえばこんな会話をする。

A「女も、25を過ぎると、結婚できなくなるよ。25だなア〜」
私「今は、そういう時代じゃ、ないと思うんですが……」
A「いやいや、世の中には、常識というものがあるからね」
私「それぞれの人には、それぞれの思い方や考え方があると思うんですが……」
A「やはり、常識には従ったほうが、いいよ。何と言っても、常識だよ」
私「……?」と。

 ここに書いたA氏は、常識論を説きながらも、自分では何も考えていないのがわかる。
考えようともしていない。
子どもの世界でも、いつも軽口をペラペラとしゃべっている子どもがいる。
反応も早い。
「ドヒャー、何、これ? ハハハ、これ、動く? ギャー、動いたア!」と。
その一方で、私が何かを話しかけたりすると、ジーッとこちらをにらみ、そのまま
視線が沈む子どももいる。

 どちらがよいかということは、一概には言えない。
時と場合による。
しかし「反すう能力」のある子どもは、後者のような反応を、よく見せる。

●加齢とともに

 これは現在の私の実感だが、加齢とともに、反すう能力がより優れていく人と、
反対に劣っていく人がいるのがわかる。
イギリスのある賢人は、こう言った。
『40歳のとき愚かな人(fool)は、生涯、愚かな人である』と。
どうやらその分かれ道は、40歳くらいのときにやってくる。
そのころまでに、反すう能力を身につけた人は、長い時間をかけて、賢い人になっていく。
そうでない人は、そうでない。

 さらに深刻な問題として、そこへ認知症が加わると、この反すう能力が、極端に低下
する。
言ってよいことと悪いことの区別も、つかなくなる。
認知症でなくても、人は加齢とともに、脳みその底に穴が開いたような状態になる。
だからますます軽口が多くなる。
考えが浅くなる。
つまり反すう能力が、衰えてくる。
これは私たちの年代の者にとっては、深刻な問題と考えてよい。

●思慮深くなるために

 先にも書いたように、思慮深さは、能力の問題ではない。
習慣の問題。
その習慣がある・なしで、決まる。
そこで重要なのは、(1)まず相手の話を聞く、ということ。
つぎに(2)それを頭の中で、何度も吟味するということ。
その上で、(3)それを言葉として言う。

 子どもの世界で言うなら、年長児になっても、無意味な音声化が残っているようなら、
こまめに、「口を閉じなさい」と指示して、それを抑える。
が、この時期を逃すと、今度はそれがクセとして、子どもの中に定着してしまう。
なおすとしたら、まだ親の目がしっかりと届く、年長児ごろまでに、ということになる。

 が、これは何も子どもだけの問題ではない。
私たち自身の問題でもある。

 そのことは、電車やバスに乗ってみると、よくわかる。
たいてい1組や2組、騒々しいグループが乗り込んでいる。
あたり構わず、大声でしゃべりあっている。
ペチャペチャ、クチャクチャ……と。

 試しにそういう会話に耳を傾けてみるとよい。
つぎのことがわかる。

(1)中身が浅い。
(2)どんどんと、内容が変わっていく。
(3)一方的にたがいに話すだけで、会話がかみあっていない、など。
そういう状態で、片時も休むことなく、おしゃべりがつづく。

 先日も、地元の観光バスに乗ったら、乗ったときから、降りるまで、合計すれば
8時間近く、おしゃべりをつづけていた女性がいた。
「疲れないのかな?」と思い、観察してみると、口先だけで話しているのがわかった。
口もほとんど、動かない。
言葉にも抑揚がない。
プラス、脳みそを、ほとんど使わない。
だから、疲れない。

 もっともこれには、AD・HDの問題もからんでくる。
女児のばあい、多動、集中力の欠如に併せて、多弁性が現れてくる。
で、多動性、集中力の欠如は、小学3年生前後を境にして、外からはわかりにくくなる。
本人の自己管理能力が発達してくると、自分で自分をコントロールするようになる。
が、ほとんどのばあい、おとなになってからも、多弁性だけは、残る。
バスの中のその女性のばあい、そちらのタイプだったかもしれない。

●11月9日(月曜日)

 話がそれたが、「思慮深さは、反すう能力で決まる」。
要するに「考える力」ということになる。
日ごろから、その習慣があるか、ないかということ。
それで決まる。

 そうでなくても、加齢とともに、思慮深さは減退してくる。
……とまあ、話が繰り返しになってきたので、この話はここまで。
今日から、11月の第2週目。
相手が子どもでも、しっかりと耳を傾けてやろう。
そう心に誓って、今日も始まった。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 思慮深さ 沈黙は金 沈黙の価値 思考の反すう 反芻 反芻能力)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

★Don't speak unless you can improve upon the silence 
 「それが沈黙から進歩したものでなければ、話すな」(スペインの格言)。

In the end, we will remember not the words of our enemies, but the silence of our friends. 
(Martin Luther King Jr.)
「最後には、あなたは敵の言葉ではなく、友の沈黙のほうを覚えているだろう」(マーティンルー
サー・キング・Jr)。

★The true genius shudders at incompleteness - and usually prefers silence to saying 
something which is not everything it should be. - Edgar Allen Poe
「真の天才は、未完成さに、身震いする。つまり真の天才は、それがすべてでない何かを語る
よりも、沈黙をふつう、好む」(E・A・ポー)。

●これらの教育格言の中で、とくにハッと思ったのが、エドガー・アラン・ポーの「真の天才は、
未完成さに、身震いする。つまり真の天才は、それがすべてでない何かを語るよりも、沈黙を
ふつう、好む」という言葉である。

 わかりやすく言えば、「ものごとを知り尽くした天才は、自分の未熟さや、未完成さを熟知して
いる。だから未熟なことや、未完成なことを人に語るよりも、沈黙を守るほうを選ぶ」と。私は天
才ではないが、こうした経験は、日常的によくする。

 私のばあい、親と私の間に、どうしようもない「隔たり」を感じたときには、もう何も言わない。
たとえば先日も、こんなことを言ってきた母親がいた。

 「先祖を粗末にする親からは、立派な子どもは生まれません。教育者としても失格です」と。

 30歳そこそこの若い母親が、こういう言葉を口にするから、恐ろしい。何をどこから説明した
らよいかと思い悩んでいると、そのうち私の脳の回路がショートしてしまった。火花がバチバチ
と飛んだ。


Hiroshi Hayashi++++++++Nov. 09+++++++++はやし浩司

●11月11日

++++++++++++++++++

やっと調子が戻ってきた。
頭の中のモヤモヤを、吐き出せるように
なった。
よかった!

おとといの夜などは、「ぼくもこれで
ボケしまったのか」と、本気で、
心配した。

が、今日は、ちがった。
朝から、(怒り)を覚えた。
その(怒り)が、起爆剤になった。
一気に、『沈まぬ太陽』論を書いた。
山崎豊子氏が言う「義憤」を覚えた。
それがよかった。
午前中だけで、30枚分(40x36行)。
マガジン1回分の原稿を書いた。
そこで新発見。

怒りは、脳を活性化させるということ。
怒りを覚えないと、文というのは
書けない。
そう言い切ってもよい。
平和で、ゴムが伸びきったような
生活からは、何も生まれない。
緊張感そのものがない。
だから書けない。

++++++++++++++++++

●モヤモヤ

 ワイフがこう聞いた。
「毎日、毎日、よくもまあ、そんなに書くことがあるわね」と。
それについて、私はこう答えた。
「あるよ」と。

 何かの話を聞く。
あるいは何かの本を読む。
そのときは、「そうだな」と思う。
(そういう意味では、私は割と、すなおなところがある。)
しかししばらくすると、頭の中がモヤモヤしてくる。
「そうかなあ?」と思ってみたり、「そうでもないのではないぞ」と
思ってみたりする。
するとやがて、頭の中がモヤモヤしてくる。
何だかよくわからないが、モヤモヤしてくる。
そこで私はおもむろにパソコンに向かって、キーボードを叩き始める。

するとたちまち、ちょうど氷が四方八方に割れるかのように、バリバリと
あちこちに火花が飛ぶ。
同時に中心に、「核」のようなものが見えてくる。

 あとは、それを叩き出すだけ。
文として、まとめるだけ。
調子のよいときは、ピアノの演奏家が鍵盤を叩くように文が、画面に出てくる。
調子の悪いときは、何度も書き直す。
こうしてひとつのエッセーが生まれる。

 が、ここで注意したいことがある。
偉そうなことは言えないが、たとえボツと思っても、けっしてあきらめては
いけないということ。
モヤモヤを感じた以上、そこにはかならず何かがある。
その何かを吐き出すまで、推敲に推敲を重ねる。
モヤモヤが、重ければ重いほど、推敲を重ねる。
するとやがてモヤモヤが、ひとつの塊(かたまり)になってくる。

 こうして私は、自分の原稿を書く。
ボツにしたことは、めったにない。
ボツにするということは、時間を浪費したことになる。
だからどんなことをしても、まとめる。
その根性がないと、エッセーは書けない。

 これは称して、「私のエッセー論」ということになる。
もちろん、私は私。
人それぞれ。
その人の思うところは、みな、ちがう。
そういうわけで私のエッセー論は、あくまでも私のもの。
何かの参考になればうれしい。

 そうそう大切なことを言い忘れた。
そのモヤモヤを叩き出したときの爽快感は、なにものにも
換えがたい。
それがあるから、私は文を書く。
文を書いているときは、本当に楽しい。


Hiroshi Hayashi++++++++NOV.09+++++++++はやし浩司

●人を愛するということ

+++++++++++++++++

映画『歓びを歌にのせて』の中に、
こんなセリフがあった。
このDVDを見るのは、2度目。
星は5つの、★★★★★。

「顔を見ると幸せ
いつも想っている
いっしょにいると、とても幸せ
それが『その人を好き』という意味」と。

もう一度、まとめると、こうなる。

(1)顔を見ると幸せ。
(2)いつも想っている。
(3)いっしょにいると、とても幸せ。

++++++++++++++++

●『許して忘れる』

 人は「愛」という言葉を、安易に使う。……使い過ぎる。
しかし愛ほど、実感しにくい感覚もない。
で、その愛の深さは、相手をどこまで許し、どこまで忘れるかで決まる。
英語では、『for・give & For・get』という。
「許して、忘れる」という意味である。
つまり相手に愛を与えるために、許し、相手から愛を得るために、忘れるという
意味である。
その度量の深さによって、あなたの愛の深さが決まる。

 では、自分自身では、どうすれば愛を実感することができるか。
「私は、あなたを愛している」と、どういうときに言うことができるか。
それが冒頭に書いた感覚ということになる。

(1)顔を見ると幸せ。
(2)いつも想っている。
(3)いっしょにいると、とても幸せ。

●愛の実感

 失ってから、その価値をはじめて知るということは、多い。
健康しかり、若さしかり、そして子どものよさも、またしかり。
……ということは、前にも、何度か書いてきた。

 そこでここでは、その中身をもう一歩、深めてみる。

 実は「愛」も、「愛する人」を失って、それがどういうものだったかが、
わかる。
それまではわからない。
そのときは、まるで空気のようなもの。
いないとさみしい。
その程度。
そこで先の言葉に、いろいろつなげてみる。

(4)その人がそばにいると安心する。
(5)その人が何をしても、気にならない。
(6)その人がうれしそうだと、自分も楽しい。

 それが「その人を愛している」ということになる。

●身勝手な愛

 一方、身勝手な愛というのもある。
たいていは、心のどこかで(毒々しい欲望)と結びついている。
よい例が、ストーカーと呼ばれる人たちの愛である。
「いつもその人のことを想う」のは、その人の勝手だが、それでもって、「私は
その人を愛している」と錯覚する。
相手の気持ちなどお構いなしに、その人を追いかけ回したりする。

 が、これはある意味で、特殊な人たちの話。
(とは言っても、だれにでもストーカー的な要素はあるし、ストーカーをする人に
しても、そうでない場面では、ごくふつうの人だったりする。)

 実は、親子の間の「愛」についても、同じことが言える。
もしあなたが、自分の子どもといっしょにいるとき、それが楽しいなら、あなたは
子どもを愛しているということになる。
一方、子どもの側からみて、あなたという親といっしょにいるとき、それを楽しい
と思うなら、あなたの子どもは、あなたを愛しているということになる。

 が、現実はきびしい。
子どもも思春期を過ぎると、親子関係がうまくいっている家族となると、
10に1つもない。
(親は、「うまくいっている」という幻想を、いつまでも抱きやすいが……。)

そこであなたも、一度、自分の子どもにこう聞いてみるとよい。
「あなたは、お母さん(お父さん)といっしょにいると、楽しい?」と。
そのときあなたの子どもが、「楽しい」と答えれば、それでよし。
しかし「楽しくない」とか、「いっしょにいると苦痛」とか言うようであれば、
あなたの親子関係は、崩壊寸前、もしくは、すでに崩壊しているとみてよい。

 ひとつの診断法として、こんなことを観察してみるとよい。
あなたの子どもが学校などから帰ってきたとき、どこで体を休めるか。
(1)あなたのいる前で、平気で体を休める。
(2)あなたの姿を見たり、気配を感じたりすると、どこかへ逃げて行く。

 もし(1)のようであれば、あなたの親子関係には、問題はない。
が(2)のようであれば、「かなり危機的な状態」と判断してよい。

 ……とまあ、そこまで単純に考えてよいかどうかという問題もあるが、ひとつの
目安にはなる。

●物欲

 そこであなたが、もし祖父母なら、こう考えるかもしれない。
「子ども(孫)を楽しませてやろう」と。
そして子どもの物欲を満足させるために、あれこれといろいろ買ってやる。
そのとき子ども(孫)は、それに感謝し、喜ぶかもしれない。
しかしこうした満足感は、長続きしない。
数日もするとドーパミン効果は、脳のフィードバック現象によって、消失する。

(注:ドーパミン……欲望と快楽を司る、神経伝達物質。
フィードバック……脳内でホルモンの分泌により、あるひとつの反応が起きると、
それを打ち消すために、正反対のホルモンの分泌が始まる。それを「フィードバック」という。)

が、なおまずいことに、こうした満足感には麻薬性があり、幼いころには1000円の
もので満足していた子どもも、中学生になると、10万円のものでないと、満足
しなくなる。

 同じ「楽しい」という言葉を使うが、「いっしょにいると楽しい」というときの
(楽しい)と、「欲望を満足して楽しい」というときの(楽しい)は、まったく
異質のものである。

だからあなたの孫が、「おばあちゃん(おじいちゃん)といると楽しい」と言っても、
それで安心してはいけない。
あなたは孫に愛されていると思ってはいけない。
これは余計なことだが……。


●子どもの受験競争

 子どもの受験競争に狂奔する親は、少なくない。
親は、「子どものため」と思ってそうするが、子どものほうこそ、いい迷惑。
親は、自分が覚える不安や心配を、子どもにぶつけているだけ。

 そこで改めて、自分にこう問うてみるとよい。

(2)「私は子どもといっしょにいると、楽しいか」と。

 あるいは、

(2)「私の子どもは、私といっしょにいると、楽しそうか」でも、よい。

 もしあなたが子どもといっしょにいるとき、楽しいなら、それでよし。
あなたの子どもも楽しそうなら、さらによし。
が、そうでないなら、あなた自身が「愛」と思っているものを、一度、疑ってみたら
よい。

 たいていのばあい、あなたはただの幻想にしがみついているだけ。
「私は子どもを愛している」という幻想。
「私は子どもたちに愛されている」という幻想。
子どもの心は、とっくの昔に、あなたから離れている。
が、自己中心性の強い人ほど、それがわからない。

毎日、毎晩、「勉強しなさい!」「ウッセー!」の大乱闘を繰り返す。
しかしそれは、とても残念なことだが、「愛」によるものではない。

●愛

 人を愛することができない人は、人に愛されることもない。
だから人に愛されたいと思うなら、まず人を愛する。
マザーテレサもこう言っている。
「愛して、愛して、愛しなさい。心が痛くなるまで、愛して、愛して、愛しなさい」
と。

 私たち凡人には、そこまでは無理かもしれない。
しかし努力することはできる。
その相手は、夫(妻)であり、子どもということになる。
もちろん親でもよい。

 で、その愛が相手の心に届いたとき、その相手は、「あなたといると楽しい」となる。
つまりその相手も、あなたを愛するようになる。
何がこわいかといって、この世の中で、「だれにも愛されないという孤独」ほど、
こわいものはない。
が、その孤独も、人を愛することによって、和らげることができる。

 ……などなど。
「愛」ほど、実感しにくい感覚もない。
また「愛」ほど、相手の中に見つけにくい感覚もない。
が、映画『歓びを歌にのせて』は、そのヒントを私に教えてくれた。
またそういう映画を、名画という。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW 愛の原点 愛とは はやし浩司 愛の意味 愛の内容 愛論 歓びを歌にのせて
 愛の意味)


Hiroshi Hayashi++++++++NOV.09+++++++++はやし浩司

●ニヒリズム

 このところ何を考えても、「どうでもいいや」という心が、ふと頭を出す。
新聞を読んでも、雑誌を読んでも、ふと頭を出す。
今日の昼も、黄海の南北境界線あたりで、韓国とK国が銃撃戦を交わしたという
ニュースが報道された(09−11−10)。
韓国軍側には死傷者は出なかったというが、K国側の警備艇は半壊の状態で、
K国側に逃げ帰ったという。

 その記事を読んだときも、「どうでもいいや」と思った。
銃撃戦を交わしている一方で、韓国は食糧援助をしている。
開場という工業団地では、K国の従業員を雇い、K国政府に現金を、直接渡している。
K国自体も、そういう韓国を見透かして、核兵器を作るための核開発を進めている。
何が、境界線だ!
何が、銃撃戦だ!

 「国」というのが、バラバラになって、そのバラバラになった国の断片が、それぞれ
別のことをしている。
つまり一貫性がない。
私には、どうしても理解できない……というよりは、考えれば考えるほど、頭の中が、
同じようにバラバラになってしまう。

●一貫性

 たとえば私は、一度でも、その人を批判したり、中傷したことがある人とは、
つきあわない。
相手についても、そうで、私のことを批判したり、中傷している人とは、つきあわない。
こうして毎日、何かの文章を書いているが、その中ででも、そうだ。
(その人)と意識して、批判したり、中傷したようなばあい、いくらその人とわからない
ように書いたとしても、つきあわない。

 中には、陰で、私の悪口を言いふらしながら、年始には年賀状を送ってくれる
人がいる。
が、私には、そういう器用な芸当はできない。
できないから、無視する。
「一貫性」というほど、大げさなものではないかもしれない。
しかしそんなことをしていたら、私自身がバラバラになってしまう。


Hiroshi Hayashi++++++++NOV.09+++++++++はやし浩司

●国家の意思(日本の教育、私の教育論)

++++++++++++++++++++++++++

国によって、教育は異なる。
国として、どういう子どもに育てたいか。
そのとき国家として(意思)が働く。
教育の内容は、その意思に応じて、異なる。

日本には日本の、国家としての意思がある。
アメリカにはアメリカの、国家としての意思がある。
中国には中国の、国家としての意思がある。
その意思に応じて、国家は子どもの教育を組み立てる。

++++++++++++++++++++++++++

●もの言わぬ従順な民

 (もの言わぬ従順な民)の反対側に位置するのが、(ものを言う独立心の旺盛な民)
ということになる。
こと(組織)ということを考えるなら、(もの言わぬ従順な民)のほうがよい。
つまり明治以来、それが日本の教育政策の(柱)になっていた。

 一方、アメリカやオーストラリアでは、日本でいうような巨大企業が育ちにくい。
とくにオーストラリアでは、そうだ。
オーストラリアの街角を歩いていて気がつくのは、車の側面に、でかでかと看板を
描いて走る車。
「パイプ修理」「電気工事」「ネットサービス」「運送」などなど。
まさに何でもござれ。
それを見ながら、オーストラリアの友人は、こう話してくれた。

 「オーストラリアでは大企業は育たない。若者たちは、高校を卒業すると、
電話と車だけで、仕事を始めるようになる」と。

●不利イ〜タ〜

 (もの言わぬ民)から、(ものを言う民)、
(従順な民)から、(独立心の旺盛な民)へ。
今、この日本人は急速に変わりつつある。

が、この日本では(独立心の旺盛な民)は、あまり歓迎されない。
奈良時代の昔から、『和を以(も)って……』という、お国柄である。
で、今、独立して、ひとりで生きている人のことを、「フリーター」と呼ぶ。
「フリーター」というのは、昔風に言えば、「無頼」、あるいは「風来坊」。
社会が未成熟というか、フリーターを受け入れる土壌そのものが、育っていない。
何かにつけて、フリーターは、不利である。
だから「フリーター」のことを「不利イ〜タ〜」と書く。
(これは私の駄ジャレ。)

 一方、オーストラリアでは、年金制度にせよ、社会保障制度にせよ、職種によって、
差別しない。
官民の差は、ない。
その年齢になれば、みな、一律に年金が支給される。
「それ以上に……」と思う人は、あらかじめ保険会社などと契約をし、お金を積み立てて
いく。
保険制度についても、そうである。

驚いたのは、救急車を呼んでも、あとで請求書が回ってくるということ。
1回で、3〜5万円(南オーストラリア州、私の息子の例)。
相手によって、差別しない。
そういった出費は、保険に入っていれば、そのまま返金される。

●キャンピング

 国策として大企業、もしくは組織(軍隊)に有用な人材を育てるには、
(もの言わぬ従順な民)のほうがよい。
そのためには、子どもがまだ小さいうちから、徹底して集団教育を繰り返す。
「集団からはずれると、生きていけませんよ」という意識をもたせる。
この日本が、そうである。

ほとんどの親は、自分の子どもが集団からはずれることを、極端に恐れる。
自分の子どもが不登校児になったりすると、狂乱状態になる。
骨のズイまで、学歴信仰がしみこんでいる。

 教師は教師で、(最近はそういう教師は少なってきたが)、子どもが学校を
休んだりすると、「後れます」という言葉を使って、親をおどす。
しかし、何から後れるのか?
どうして後れるのか?

 この点、オーストラリアでは、その反対のことを教える。
たとえば「キャンピング」という科目がある。
原野(アウトバック)で、生き延びる術(すべ)を学ぶ。
そこで私が、メルボルンにあるグラマースクール(小中学校)のひとつに電話を
かけ、それを確かめたところ、電話に出た事務員の男性は、こう話してくれた。
「必須科目(コンパルサリー)です」(ウェズリー・グラマースクール)と(1990年ごろ)。
(しかし最近、オーストラリアの友人にそれを確かめたところ、「unlikely(ありえない)」
という返事をもらった。※)

 また私が留学していたころ、日本でいう大学入試センター試験のようなもの
があった(1970年ごろ)。
その結果に応じて、学生たちは自分の選んだ大学へ進学できる。
その試験の直前に、受験生たちはみな、1週間程度のキャンピングに行くということ
だった。
私が理由を聞くと、「実力を正しく評価するため」と※。
(しかしこれについても、オーストラリアの友人から、「キャンピングが義務になって
いるということは、まったくありえない」という返事をもらった。)

 つまり日本式の、詰め込み学習を排除するため……と、当時の私は、そう解釈
した。

 話がそれたが、「独立(independent)」に対する考え方そのものが、日本と欧米
とでは、異なる。
それが日本の教育であり、それが欧米の教育ということになる。

●国家の意思

 どちらがよいか。
どちらが、これからの日本の教育として、望ましいか。
(もの言わぬ従順な民)のほうがよいのか。
それとも(ものを言う独立心旺盛な民)のほうがよいのか。

 しかしこの視点そのものが、実はおかしい。
「国の意思」とは言うが、では、その「国の意思」はだれが作るか。
独裁的な為政者が作るか、それとも国民自身が総意として作るか。
それによって、中身が大きく変わってくる。

つまり独裁的な国家では、(民)を国家の財産として考える。
「国あっての民」と考えるとき、そのとき、国家の意思がそのまま
その国の教育に反映される。
為政者も、「わが国民」などと、まるで国民を私有物であるかのように言う。

 たとえば中国では、上も下も、「立派な国民」という言葉を使う。
しかしそういう中国を私たちは笑うことはできない。
一昔前、つまり私たちが子どものころは、「役に立つ社会人」というのが、
教育の(柱)になっていた。
卒業式などのときも、それこそ耳にタコができるほど、そう言われた。
「どうか社会で役立つ人になってください」と。

 国家の意思……その意思に添って、その国の民は作られる。
教育によって、作られる。
「作られている」という意識をもつこともなく、作られる。
今のあなたのように……。

【補記】

●みなが、大企業に!

 私たちは日本が、ちょうど高度成長の波に乗るころ、社会に送り出された。
だから就職というと、だれもが迷わず、大企業を選んだ。
「大きければ大きいほど、いい」と。

 そして企業戦士となり、一社懸命に、その会社のために励んだ。
「それが人として、なすべき道」と。

 しかしこれはあくまでも私のばあいだが、私はオーストラリアへの留学中に、
その考え方が、ひっくり返されてしまった。
とくにショックだったのは、日本の商社マン(Business Men)が、「軽蔑されて
いた」ことだった。
これには驚いた。
心底、驚いた。
私は、M物産という会社から内定をもらっていたので、よけいに驚いた。
(このことは、『世にも不思議な留学生活』(中日新聞掲載済み)に書いた。)

 国がちがえば、職業に対する価値観そのものまで、ちがった。
それを思い知らされた。
で、しばらくして、私の考え方は、180度変わった。

 もちろん私の考え方が、正しかったというのではない。
それでよかったというわけでもない。
今の日本があるのは、企業戦士であるにせよ、一社懸命であるにせよ、
そういうところで懸命に働いた人たちがいたからである。
また私のような生き方をしていた人も、当時はまわりに、10人ほどいた。
しかし私をのぞいて、みな、ことごとく、事業に失敗したりし、そのあと、
どうかなってしまった。

 「フリーター」という言葉すら、ない時代だった。

 損か得かということになれば、この日本では、フリーターは決定的に不利。
損!
たとえばM物産の社員だったとき、うしろの席に、TJという同期入社の男がいた。
彼はそののち、政府の諮問機関の委員になり、活躍した。
今はHT首相の、首相顧問として活躍している。
そういう現実を見せつけられると、果たして私の選択が正しかったのかどうか、
それがわからなくなる。

 で、今度は、視点を国民側、つまり「民」に置いてみる。
「どういう生き方が、個人の生き方として、ふさわしいか」と。
すると、教育に対する考え方が、一変する。

 たとえばアメリカなどでは、教師が親に、子どもの落第を勧めると、
親は、喜んで、それに従う。
「そのほうが子どものためになる」と、親は考える。
この(ちがい)こそが、日本とアメリカのちがいということになる。
「国」の立場で教育を考えるのか、「子ども」の立場で教育を考えるのか、
そのちがいということになる。

 が、悲観すべきことばかりではない。
この10年で、日本というより、子どもをもつ親の意識が大きく変わった。
まさに「劇的な変化」。
「サイレント革命」と名づける人もいる。

 結果、たとえば今では子どもの障害についても、それを前向きにとらえる人が
ふえてきた。
(隠さなければならないこと)と考える人は、少ない。
障害児教育の拠点校になっている、ある小学校の校長は、こう話してくれた。

「10年前には、考えられなかったことです。今では、この小学校に入学するために、
わざわざ住所を変更してやってくる親もいます」と。

 私たちはこうした意識を、けっして後退させてはならない。
はじめに「国」があるわけではない。
(そういう部分も必要だが、あくまでも「部分」。)

はじめに「民」がいる。
「子ども」がいる。
そういう視点から、教育がどうあるべきかを考える。
教育を組み立てる。

 みながそう考えれば、結果は、あとからついてくる。
この日本の教育は、変わる!

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW 日本の教育 教育論 教育はどうあるべきか はやし浩司 教育論)

(注※)

 南オーストラリア州に住む友人に、このことを確かめると、その返事が届いた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

Hi Hiroshi,
ヒロシへ、

I will find out about camping trips in the local schools and ask Andrew 
& Elizabeth what they did at their school (Pembroke) in Adelaide.
キャンプについては、息子と娘に、何をしたかをたずねてみる。

I think it is unlikely a camping trip would be compulsory just before 
year 11 & 12 exams and almost certainly not a requirement for University 
entrance.
11学年と12学年以前に、キャンピングが義務教育ということは、ありえない。
大学の入試のために必要ということは、まったくありえない。

However camping is likely to be in the curriculum in most years after 
years 5 or 6 as part of the broad life-skills education.
しかし5歳とか6歳以後は、生活力教育という意味において、カリキュラムになっている
ということはありえる。

Camping trips are most likely to occur in our spring which is towards 
the end of our school year.
キャンピングは、学年末の春になされることが多いようだ。

+++++++++++++++

Hi Hiroshi,
(ヒロシへ)

I had a talk to both the state Primary school headmistress & the 
recently retired state High school headmaster about camping.
最近小学校の校長と、州立高校の校長をしていた人と、キャンピングについて
話した。

Basically there is, in the curricula, Physical Education, Outdoor 
Education and year camps.
基本的には、体育、野外活動、そして年度末のキャンプのカリキュラムはある。

These are all different things but do overlap a bit. Camping starts at 
year 4. Usually for a week. They are not compulsory & not a 
pre-condition for university entrance.
これらはみな、別個のものだが、少し重なる部分もある。
キャンプは、小学4年のときに始まる。
それらは義務教育でもないし、大学入試のための前提条件でもない。

Search around in http://www.decs.sa.gov.au/portal/learning.asp for the 
South Australian policies & curricula.
オーストラリアの政策とカリキュラムについては、このサイトをさがして
みたらよい。

I can find out a bit more from the people involved in outdoor ed etc at 
both schools if you can give me specific questions to ask.
何か特別な質問があれば、野外活動教育に携わった人から、もっと情報を
手に入れることができる。

Cheers,

B

Hiroshi Hayashi++++++++NOV.09+++++++++はやし浩司

Dear B,

How are you these days?

By the way I'd like to write this mail to know or to make sure whether it is correct or not 
about the education in Melbourne now.

  When I was in Melbourne around 1970's, some of the students told me that all the high 
school students in leaving year were compulsory to go camping before they receive the so-
called national certification examinations to enter the universities, and with the results of 
the examinations students could choose the university.

This is the point which I'd like to make sure, if it is the same now, I mean that if the 
students should go camping for a week or so before the examinations and if it is the same 
that students choose the universities to which they should enroll themselves according to 
the results of the examinations.

As you may know, the education systems are so much different between two countries. I 
am keenly interested in this matter now.
Or is "Camping" still a compulsory subject for students of grammar schools in Melbourne?
That is what I heard over the phone from a staff of a grammar school in Melbourne almost 
about ten years ago.
We in Japan don't have such and such subject for students and of course it is not 
compulsory. 
(Pupils or Jr. High school students go camping or so in a training centers just for a different 
purpose in Japan.)

 So again here I summarize the points.

(1)Do students go camping just before the examinations?
(2)Is the subject "Camping" compulsory still now?

 Thank you for your kind advice about this matter.

It is now winter time here in Japan.
It is sometimes cold, but most often, it is much warmer than usual years.
I hope you and your daughter with new baby are all well and we wish you a very Merry 
Christmas time this year.

Hiroshi Hayashi

Hamamastu-city, Japan

++++++++++++++++++

(以下、手紙の要約)

B君へ

1970年ごろ、ぼくは、センター試験を受ける高校生たちが、その試験の前、
1週間ほど、キャンプに行くという話を聞いたことがあります。
今でもそうなのかどうか、教えてほしい。
またメルボルンのグラマースクールでは、キャンピングという科目が、必須科目
だと10年ほど前に聞きました。
今でもそうなのかどうか、教えてほしい。

はやし浩司

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中国の「立派な国民」教育について書いた原稿です。
(中日新聞にて発表済み)

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●急速に崩壊する「出世主義」

  「立派な社会人になれ」「社会で役立つ人になれ」と。日本では出世主義が、教育の柱にな
っている。しかし殴米では違う。アメリカでもフランスでも、先生は、「よき家庭人になれ」と子ど
もに教える。「よき市民になれ」と言うときもある。先日、ニュージーランドの友人に確かめた
が、ニュージーランドでも、そういう。オーストラリアでも、そういう。私は、日本の出世主義に対
して彼らのそれを勝手に、家族主義と呼んでいる。もちろん彼らにそういう主義があるわけで
はない。彼らにしてみれば、それが常識なのだ。

 日本人はこの出世主義のもと、仕事を第一と考える。子どもでも、「勉強している」と言えば、
家事の手伝いはすべてに免除される。五十代、六十代の夫で、家事や炊事を手伝っている男
性は、まずいない。仕事がすべてに優先される。よい例が、単身赴任。かつて私のオーストラリ
アの友人は、こう言った。「家族がバラバラにされて、何が仕事か」と。もう三十年も前のことで
ある。

こうした日本の特異性は、日本に住んでいると分からない。いや、お隣の中国を見れば分か
る。今、中国では、「立派な国民」教育のもと、徹底した出世主義を子どもたちに植えつけてい
る。先日も北京からきた中学教師の講演を聞いたが、わずか一時間前後の話の中に、この
「立派な国民」という言葉が、十回以上も出てきた。子どもたちの大多数が、「将来は科学者に
なって出世したい」と考えているという。

 が、この出世主義は、今、急速に音をたてて崩れ始めている。旧来型の権威や権力が、そ
れだけの威力をもたなくなってきている。一つの例が成人式だ。自治体の長がいくら力んでも、
若者たちは見向きもしない。ワイワイと騒いでいる。ほんの三十年前には、考えられなかった
光景だ。私たちが二十歳のときには、市長が壇上にいるだけで、直立不動の姿勢になったも
のだ。

が、こうした現象と反比例するかのように、家族を大切にするという人が増えている。一九九九
年の春、文部省がした調査でも、四〇%の日本人が、もっとも大切にすべきものとして、「家
族」をあげた。同じ年の終わり、中日新聞社がした調査では、四五%。一年足らずの間に、五
ポイントも増えたことになる。もっとも、こうした傾向を嘆く人も、多い。出世主義を信奉し、人生
の大半を、そのために費やしてきた人たちだ。あるいはそういう流れを理解できず、退職した
あとも、過去の肩書や地位にこだわっている人だ。

こういう人たちにとっては、出世主義を否定することは、自らの人生を否定することに等しい。
だから抵抗する。狂ったように抵抗する。ある元教授はメールで、こう言ってきた。「暇つぶしに
もならないが」と前置きしたあと、「田舎のおばちゃんなら、君の意見をありがたがるだろう。し
かし私は君の家族主義を笑う」と。しかしこれは笑うとか笑わないとかいう問題ではない。それ
が日本の「流れ」、なのだ。

 今でも日本異質論が叫ばれている。日本脅威論も残っている。その理由の第一が、日本人
がもつ価値観そのものが、欧米のそれとは異質であることによる。言い換えると、日本が旧来
の日本である限り、日本が欧米に迎え入れられることはない。少なくとも出世主義型の教育観
は、これからの世界では、通用しない。

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つづいて、『世にも不思議な留学記』に書いた原稿を
紹介します。(中日新聞にて発表済み)

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イソロクはアジアの英雄だった【2】

●自由とは「自らに由る」こと

 オ−ストラリアには本物の自由があった。自由とは、「自らに由(よ)る」という意味だ。こんな
ことがあった。

 夏の暑い日のことだった。ハウスの連中が水合戦をしようということになった。で、一人、二、
三ドルずつ集めた。消防用の水栓をあけると、二〇ドルの罰金ということになっていた。で、私
たちがそのお金を、ハウスの受け付けへもっていくと、窓口の女性は、笑いながら、黙ってそれ
を受け取ってくれた。

 消防用の水の水圧は、水道の比ではない。まともにくらうと学生でも、体が数メ−トルは吹っ
飛ぶ。私たちはその水合戦を、消防自動車が飛んで来るまで楽しんだ。またこんなこともあっ
た。

 一応ハウスは、女性禁制だった。が、誰もそんなことなど守らない。友人のロスもその朝、ガ
−ルフレンドと一緒だった。そこで私たちは、窓とドアから一斉に彼の部屋に飛び込み、ベッド
ごと二人を運び出した。運びだして、ハウスの裏にある公園のまん中まで運んだ。公園といっ
ても、地平線がはるかかなたに見えるほど、広い。

 ロスたちはベッドの上でワーワー叫んでいたが、私たちは無視した。あとで振りかえると、二
人は互いの体をシーツでくるんで、公園を走っていた。それを見て、私たちは笑った。公園にい
た人たちも笑った。そしてロスたちも笑った。風に舞うシーツが、やたらと白かった。

●「外交官はブタの仕事」

 そしてある日。友人の部屋でお茶を飲んでいると、私は外務省からの手紙をみつけた。許可
をもらって読むと、「君を外交官にしたいから、面接に来るように」と。そこで私が「おめでとう」と
言うと、彼はその手紙をそのままごみ箱へポイと捨ててしまった。「ブタの仕事だ。アメリカやイ
ギリスなら行きたいが、九九%の国へは行きたくない」と。彼は「ブタ」という言葉を使った。

 あの国はもともと移民国家。「外国へ出る」という意識そのものが、日本人のそれとはまったく
ちがっていた。同じ公務の仕事というなら、オーストラリア国内のほうがよい、と考えていたよう
だ。また別の日。

  フィリッピンからの留学生が来て、こう言った。「君は日本へ帰ったら、軍隊に入るのか」と。
「今、日本では軍隊はあまり人気がない」と答えると、「イソロク(山本五十六)の、伝統ある軍
隊になぜ入らない」と、やんやの非難。当時のフィリッピンは、マルコス政権下。軍人になること
イコ−ル、出世を意味していた。

 マニラ郊外にマカティと呼ばれる特別居住区があった。軍人の場合、下から二階級昇進する
だけで、そのマカティに、家つき、運転手つきの車があてがわれた。またイソロクは、「白人と対
等に戦った最初のアジア人」ということで、アジアの学生の間では英雄だった。これには驚いた
が、事実は事実だ。日本以外のアジアの国々は、欧米各国の植民地になったという暗い歴史
がある。

 そして私の番。ある日、一番仲のよかった友だちが、私にこう言った。「ヒロシ、もうそんなこと
言うのはよせ。ここでは、日本人の商社マンは軽蔑されている」と。私はことあるごとに、日本
へ帰ったら、M物産という会社に入社することになっていると、言っていた。ほかに自慢するも
のがなかった。が、国変われば、当然、価値観もちがう。

 私たち戦後生まれの団塊の世代は、就職といえば、迷わず、商社マンや銀行マンの道を選
んだ。それが学生として、最良の道だと信じていた。しかしそういう価値観とて、国策の中でつく
られたものだった。私は、それを思い知らされた。

 時、まさしく日本は、高度成長へのまっただ中へと、ばく進していた。


Hiroshi Hayashi++++++++Nov. 09+++++++++はやし浩司

(補記)

 キャンピングに力を入れているということは、学校のカリキュラムを見てもわかる。
たとえば、Darley Primary School の第4学期のカリキュラムにはつぎのようにある。

(第4学期)

Safety in Adventure
& Teamwork
(野外活動における安全性とチームワークについて)

Health & P.E. + Interpersonal Learning
(保健と体育+人間関係の学習)

oStudents develop their skills and strategies for getting to know and understand each other 
within increasingly complex situations.
oIn teams, students work towards the
achievement of agreed goals within a set time frame.
oThey develop awareness of their role and responsibilities
in various situations and interact accordingly. Students begin to be aware that different 
points of view may be valid.
oThey begin to selfevaluate and reflect on the effectiveness of the teams in which they 
participate.
oStudents follow safety principles in games and activities.
oThey identify basic safety skills and strategies, and describe methods for recognising and 
avoiding harmful situations.

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW 出世主義 家族主義 独立 子どもの自立 はやし浩司 camp 
camping 野外活動)

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【資料】A

(Pembroke SchoolのWebsiteより)

The Outdoor Education programme complements the academic and co-curricular life of the 
School.
Designed to promote enjoyment of and respect for the Australian outdoors, the programme 
provides students with the opportunity to develop both skills and knowledge for responsible 
interaction with their environment.
The Junior School Camping programme includes students visiting and/or staying in places 
such as Sovereign Hill in Ballarat, Kangaroo Island, the Murray Lands, the Adelaide Hills and 
the Mid North of South Australia.
The base for the Outdoor Education programme in the Middle School is Old Watulunga, a 17 
hectare property on the Finniss River, 75 kilometres south of Adelaide. Students in Years 7, 
8 and 10 participate in camps based at Old Watulunga and develop skills in canoeing, sailing, 
bushwalking, rock climbing, and orienteering. Year 9 students travel to the Yorke Peninsula, 
west of Adelaide, for an Aquatics camp.
Senior School students can study Outdoor and Environmental Education as a SACE Stage 
1 and Stage 2 subject.
Regular adventure expeditions are also offered to current students and parents. In recent 
years these expeditions have included treks to Nepal, Northern India and the Kimberleys.


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【資料】B

OUTDOOR EDUCATION - A GROWTH INDUSTRY(オーストラリア政府指針より)

Once upon a time, your average secondary-school camp involved boarding a bus with a few 
days' clothes and a sleeping bag, taking off - with the two teachers who drew the short 
straws - for a barely liveable old farmhouse or camping ground, and arriving home a few 
days later with little you as student could quantify as having been gained from the 
experience except a pile of dirty clothes.

Many of the staff members still teaching in Australian schools will remember those days - 
with fondness, horror, or something of both.

But there's little resemblance between those adventures and the adventures now offered 
as part of the outdoor education curriculum in many states, and in many schools. Now, 
schools send their senior students to purpose-built facilities with full-time staff trained to 
offer a 24-hour program of activities designed to reflect the philosophical and humanistic 
guidelines of a 21st-century Western education.

Scott Polley is a lecturer in the School of Health Sciences at the University of SA; with a 
background in nursing and physical education he completed a Master of Education (Outdoor 
Education) from La Trobe University and he now co-ordinates UniSA's outdoor education 
program. He says the place of outdoor education in the secondary-school curriculum has 
changed from "adding 1+ 1" to a subject area that produces students who can work in 
groups, solve problems, critically analyse aspects of society," and examine their own 
identities.

"It's about learning about the environment, learning about themselves and leadership, and, I 
guess, taking self-reliant journeys under the supervision of teachers," Polley says. 

Yet within the broad philosophies behind contemporary education ideals, there exists a wide 
variety in what is offered as outdoor education in Australian schools. Part of that is due to 
the curriculum offered by each state; Victoria, Western Australia, South Australia and the 
Northern Territory include as senior-school subjects "outdoor education" or "outdoor and 
environmental studies", while other states offer related subjects. 

With peers including Peter Martin of La Trobe University, Polley in 1999 conducted a survey 
of SA and Victorian schools, attempting to discern "what was being done" in outdoor 
education at that time.

They found that about 85 per cent SA schools, for instance, offered "some level of outdoor 
education", and that the most common way was through the school's physical education 
program. In addition, about 60 per cent of senior-school physical education included outdoor 
education as a component.

Yet even within that one state, the offerings varied. In city-based government schools, 
outdoor education was, he says, "in decline or static". In city-based non-Catholic schools, 
outdoor ed was "growing", yet in the city Catholic schools, it "didn't seem to be going 
anywhere". 

In the government schools outside the metropolitan area, however, outdoor education was 
growing, and obviously so. And the reasons - in every case - had a lot to do with the staff. 

"The one thing we did find made the most difference to what outdoor education was offered 
in schools was the teachers," Polley says. "If the teachers are enthusiastic, that's the 
factor that's going to most influence the outdoor education offerings in a particular school - 
closely followed by the principal, and the importance he or she places on it.

"At one end of the spectrum you have schools that embeds ideas of adventure, learning 
and the environment right through the curriculum, and at the other end are those that 
basically say, 'why do we have to send kids outdoors?'

"But broadly, I'd suggest, support is growing rather than reducing. And one indicator of that 
is the number of graduates in jobs. I'm often getting calls from people looking for graduates 
- for jobs in eco-tourism, in private outdoor-education companies, in schools. When I did my 
course there were a limited number of people with an outdoor-ed background; now there 
are a lot more, yet there's still a lot more demand. That's the best guide I can give that 
things are still growing."

So in schools where teachers were older, or trained when more specific outdoor education 
programs were unavailable, it was less likely that the importance of outdoor education would 
be emphasised. "Teachers are getting older in the city," says Polley, "and so are becoming 
more reluctant to do it." It's to the country, he points out, that recent teaching graduates 
find their first positions.

When asked what were the reasons for "offering or not offering" outdoor education, the 
most commonly mentioned factors among teachers and principals were the age of the 
teachers, the lack of flexibility among staff and the time away from school.

The fear of litigation - which the researchers had expected to be a major concern at a time 
of highly publicised adventure accidents and related insurance problems - was not widely 
nominated as a major factor. "Generally, the response was, 'we're not offering it because of 
staffing issues'," Polley says.

It's possibly not surprising, then, that Polley says the most significant change in outdoor 
education in recent years is the growing influence of the private providers of outdoor 
education - those companies sub-contracted by schools to take responsibility for providing 
the school's outdoor education programs. More and more schools are choosing that option, 
Polley says, largely due to the problems it alleviates in terms of staffing, specialist 
qualifications, equipment and other costs.

Yet Polley says the growth in the private providers - both in numbers and in the size of 
individual companies - did not seem to have occurred at the expense of physical-education 
teaching jobs in schools.

(The Australian Directory of School Activities Excursions and Accommodations)


Hiroshi Hayashi++++++++NOV.09+++++++++はやし浩司

【雑感・あれこれ】

●沖縄の苦悩vs日米関係

今、日米関係が、大揺れに揺れている。
「戦後、最大の危機的状況にある」と説く人もいる。
よい状態とは言えないが、「危機的」というのは、どうか?
また危機的であるといっても、日本がアメリカを必要とするのと同じくらい、
アメリカも日本を必要としている。
戦後一貫して、紙くず同然になったドル紙幣を買い支えてきたのは、ほかならない、
この日本である。
今の今も、買い支えている。
その地位を、今、中国に譲りつつあるが、それでも、日本あってのアメリカ。
言うなれば、もちつ、もたれつの関係。
もしこの日本が手持ちのドルのうち、5%でも、ユーロに換えたらどうなるか?
アメリカはそのまま大恐慌に陥る。

が、ある程度の清算は必要かもしれない。
たとえば沖縄。
沖縄の人たちが強いられている負担感には、相当なものがある。

そういう負担感を知りつつ、私たちは、知らぬフリをつづけている。
「私には関係ない」と。
そのニヒリズムこそが、問題。
今、こういう形で、問いなおされようとしている。

沖縄の問題は、私たち自身の問題である。
が、それでもニヒリズムを決め込むとしたら、あなたの町にアメリカ軍の基地が
移設されても、文句を言わないこと。

……と書くのは、少し過激な意見だが、
しかしこの問題は、そういう問題である。

●マンション建設反対運動

 ところで私の住む家の近くの丘の上に、マンションが建設されることになった。
もう5年ほど、前のことである。
そのとき、その周辺の住民たちが、建設反対運動を始めた。
同時に、はげしい文句の看板が、無数に並んだ。
「地獄へ落ちる」「自殺者続出」「のぞき見反対」「ここはもと墓地」などなど。
「入居者にも責任を取ってもらいます」という旗も、無数に並んだ。

 私は、反対運動そのものよりも、そのはげしい文句に驚いた。
で、そのときのこと。
隣の町内の問題なのだからと、私たちは、当初から逃げ腰だった。
そこにマンションが建設されたところで、直接的な被害は、まったくない。
しかしその近隣の人たちにとっては、そうでなかった。
ときどき通りで、住民たちが10〜15人単位で、デモをしているのを見かけた。

 が、ともかくも、マンションは建設されてしまった。
今年の夏ごろから販売が始まり、今のところそのうちの2〜30%程度は、
すでに入居者が生活を始めている(09年終わり)。
が、当初の看板よりは少なくなったが、それでもマンション周辺の看板は、
今もそのまま残っている。

 立場が逆転した(?)。

 看板といっても、手書きのもの。
それにはげしい抗議の言葉は、そのまま。
「今さら反対運動をしたところで、どうしようもないではないか」というのが、
私というより、このあたりに住む人たちの共通した感想。
むしろそういった看板のほうが、景観を損ねている。

 が、今まで反対してきた人たちにとっては、そうでない。
挫折感も大きいだろう。
敗北感もある。
「マンションは建ってしまった」「だから反対運動はやめます」「看板を撤去します」
というわけにはいかない。
その気持ちは、痛いほど、よくわかる。
もしこのとき、「それは隣の町内の問題で、私たちには関係ない」と決め込むとしたら、
あなたの家の隣にマンションが建っても、文句は言わないこと。
……と書くのも、少し過激な意見だが、
しかしこの問題は、そういう問題である。

 で、私は今、ふと考えた。
もし私の家の隣地に、10階建てのマンションが建設されることになったら、
私はどうするか、と。
やはり反対運動を起こすかもしれない。

●ニヒリズム

 が、沖縄の基地周辺に住んでいる人たちの思いは、そんなものではない。
アメリカ軍の戦闘機が離着陸するたびに、「鼓膜が破れんばかりの騒音」(テレビ報道)
になるという。
私も何度か、アメリカ軍の戦闘機の離着陸の様子を見たことがあるが、たしかに
ものすごい。
浜松には浜松基地(航空自衛隊)があるが、騒音の質そのものがちがう。
アメリカ軍の戦闘機のそれは、バリバリと頭から体を叩きつけるような騒音。
それと比べたら、日本の自衛隊のそれは、ゴーッという、ただの騒音。
そうした騒音に、今の今も、戦後何10年にわたって、沖縄の人たちはさらされている。

そういう現状を知って、「日本の平和と安全のために、どうか犠牲になってください」
などと、どうして言えるか。

 が、ここでもあのニヒリズムが働いてしまう。
「私には関係ない」と。

●心の欠陥

 マンション建設問題とアメリカ軍の基地問題。
こうして並べてみると、そこに、ある共通点があるのを感ずる。

(1)自分に関係のない問題については、人は、それを避ける傾向がある。
(2)避けるについては、それなりの理由づけをして、自分を正当化する傾向がある。
(3)そのとき、脳は問題の大小を適切に判断できない。
(4)問題の大小を適切に判断するのが、理性ということになる。

 とくにこの中で重要なのは、(3)の「問題の大小を適切に判断できない」という部分。
マンション建設問題は、マイナーな問題である。
しかし沖縄のアメリカ軍の基地問題は、メジャーな問題である。
ところがこの2つの問題が同時に脳の中に入ると、その「大小」が判断できなく
なってしまう。

 もっと極端な例では、これは私自身が経験したことだが、一方で天下国家を論じながら、
他方で、身内のささいな冠婚葬祭の問題で悩むことがある。
2つの問題が同時に頭の中に入ってくると、どちらが重大で、どちらが重大でないかが、わから
なくなる。
その結果、本来どうでもよい、ささいな問題で心を煩わす。
私は、これは人間が本来的にもつ、心の欠陥のひとつではないかと考える。

●ニヒリズムと闘うために

 ニヒリズムを感じたら、それを「心の敵」ととらえる。
ニヒリズムに毒されると、人間性はかぎりなく縮小し、やがて心も腐り始める。
ピーター・サロベイが説く「人格の完成論」にしても、「他者との共鳴性」を重要視
している。
その人の立場になって、ものを考える。
それは人間が人間であるための、最低限の条件ということになる。
もしそれすらもできなくなってしまったら、人間も、それでおしまい。

では、どうするか。

 私はそういう点では、自分勝手で、わがまま。
自己愛者と言ってもさしつかえない。
心の中は、自己中心性のかたまり。
偉そうなことは言えない。

 そこで私が考えた方法は、前にも書いたが、相手の頭の中に自分を置いてみるという
方法。
この方法は、電車に乗っているときに、思いついた。
つまり相手の目を通して見ると、私はどういう人間に見えるかを、頭の中で想像してみる。
相手は、だれでもよい。
若い男でも、年老いた女性でも、だれでもよい。
子どもでもよい。
そうして自分の姿を客観的に見る。

 それができるようになると、つぎにだれかから相談を受けたようなとき、その人の
頭の中に、自分を置いて考えることができるようになる。
私の立場で、その人の問題を考えるのではなく、その人の立場で、その人の問題を
考えることができるようになる。

 こうして自分の中に潜む、邪悪なニヒリズムと戦うことができる。
が、これについては、最近、こんな経験をした。

 ある日、ある女性(70歳くらい)から、その女性の息子についての相談がもちかけ
られた。
息子夫婦が、離婚することになったという。
話を聞くと、息子の妻(その女性の嫁)の悪口ばかり。
で、その女性の相談というのは、「どうすれば、嫁に財産を分与しなくてすむか」という
ものだった。

 そのときのこと。
私はその妻(その女性の嫁)のほうの頭の中に、自分を置いてしまった。
とたん、その女性(70歳くらいの相談者)の言っていることのほうが、理不尽に思えて
きた。
子ども(小学生の男女児)も、2人いるという。
が、一度そうなると、相談でなくなってしまう。
むしろ逆に、その女性(70歳くらいの相談者)のほうを、説教したくなってしまった。
そういうこともある。
これは余談。

 ともかくも、相手の頭の中に自分を置いてみるという方法は、結構、楽しいことでも
ある。
ニヒリズムと戦う、第一歩として、一度、あなたも試してみてほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 ニヒリズム)

(補記)

●人格の完成論

ピーター・サロヴェイ(アメリカ・イエール大学心理学部教授)の説く、「EQ(Emotional Intelli
gence Quotient)」、つまり、「情動の知能指数」では、主に、つぎの3点を重視する。 

(1) 自己管理能力 
(2) 良好な対人関係 
(3) 他者との良好な共感性


Hiroshi Hayashi++++++++Nov. 09+++++++++はやし浩司

【沈まぬ太陽】

●「信念と良心の人」?

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公開中の映画『沈まぬ太陽』(WK監督)を劇場で見た。
その原作者で作家である、山崎豊子氏(84)が、このほど、
地元の堺市でWK監督と共に、その映画を鑑賞したという。
そして映画を観たあと、つぎのような感想を
述べたという(毎日JP)。

『映画は、人間の心の内を丹念に描いていて
見ごたえがありました。今の日本に必要なのは、
恩地(主人公名)のように、たった1人になっても筋を通し、
信念と良心を持ち続ける人。特に男の人たちに
見てもらいたい』(同)と。

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●日航123便の墜落事故

 日航123便の墜落事故について、毎日JPは、つぎのように説明する。
「ジャンボ機墜落事故を引き起こした航空会社の組織的、構造的な問題を浮き彫りにする」と。

 つまり「航空会社(=日本航空)の組織的、構造的な問題があったから、ジャンボ機墜落事故
は起きた」と。

 ここでいう「組織的、構造的」というのは、映画『沈まぬ太陽』を観るかぎり、会社の利益優先
型の経営方針をいう。
事実、映画の中では、経営者たちは始終一貫して、(悪玉)として描かれている。
そうかもしれない。
そうでないかもしれない。
そこで百歩譲って、もしそうだとするなら、つまり悪玉とするなら、事故の原因を、
もう一度丹念に、原因を検証してみる必要がある。

原因をオブラートに包んだまま、「事故の原因は、会社側の安全運航に対する努力怠慢であ
る」と、短絡的に結びつけるわけにはいかない。
映画で表現されている労使紛争にしても、安全運航のための闘争というよりは、賃上げ闘争が
主体になっていたはず。
(もし山崎豊子氏の論理が正しいとするなら、組合員も賃上げばかり主張しないで、
その分を、安全運行のために回せばよかったということになる。)

 が、ここで私たちは映画の映像トリックに、ひかかってしまう。

 映画『沈まぬ太陽』は、まず日航(JAL)123便の墜落事故から始まる。
その場面とケニア大使を招いた、パーティ会場が行き来し、やがて映画は、「〜〜年前」「〜〜
年前」……と進行していく。

 そして結果として、(はげしい労使紛争)が、事故の原因であるかのような印象を観客に与え
る。
その(労使紛争)にしても、経営者側に責任があるかのような印象を観客に与える。
山崎豊子氏が言う、「信念と良心の人」(毎日JP)というのは、その労使紛争に巻き込まれ、そ
の中で翻弄される恩地という名前の、1社員を言う。

 しかしここで誤解してはいけないのは、恩地といえども、1社員。
会社内部の人間である。
また墜落事故のあと、墜落事故の原因を究明したり、あるいは会社側の責任を追及した人で
もない。
社長が交代したあと、今度は新社長の側近として活躍する。
経営者側の人間となる。
もちろんそれなりの高給で優遇されたはず。
最後はまた懲罰左遷(?)され、アフリカの地に戻っていくが、ここでも映画の映像トリックにひ
かかってしまう。

 海外勤務は、懲罰左遷なのか?

 で、当時の世相を振り返ってみると、日本航空にかぎらず、いわゆる三公社五現業と呼ばれ
た組織体の中では、日夜はげしい労使紛争が繰り返されていた。
三公社五現業というのは、日本国有鉄道、日本専売公社、日本電信電話公社(以上3公社)
と、5つの現業官庁(郵政、国有林野、印刷、造幣、アルコール専売の各事業部門)をいう。

●疑わしきは罰する(?)

 話が大きく脱線する前に、ひとつ、明らかにしておきたいことがある。

恩地は、「信念と両親の人」という立場で、描かれている。
それはわかる。
が、その一方で、会社側の人間が、すべていかにも(悪玉)という立場で描かれている。
このあたりの描き方について、少し前に書いた原稿の中で、私は、一昔前の、チャンパラ映画
のよう、と書いた。

 しかしこの手法には、たいへん問題がある。
何度も書くが、日本航空は、現在は、1民間会社である。
明らかにその民間会社とわかる形で、その経営陣を悪玉に仕立てあげるのはどうか?
江戸時代の代官を悪代官に仕立てあげるのとは、わけがちがう。

法律の世界には、『疑わしきは罰せず』という大原則がある。
が、この映画の中では、何の証拠も、また因果関係も示されないまま、「航空会社の組織的、
構造的な問題を浮き彫りにする」「それが日航123便の事故につながった」(毎日JP)という論
理で(?)、日本航空を直接的に攻撃している。
「疑わしいまま、罰している」。
そういうことが許されてよいのか?

 仮に恩地が、「信念と良心の人」というのなら、当初は、組合の委員長だった人物が、のちに
石坂浩二演ずる、新社長のもとでは、社長の最側近として働く。
どうしてそんな人物が、「信念と良心の人」なのか。

 さらに念を押すなら、恩地は、日航123便の墜落事故の原因を究明するために闘った人で
も、また、事故のあと、会社の責任を追及した人でもない。
映画の中では、遺族との交渉係を務めた人である。
(この点についても、日本航空側は、そういう立場にあった人物は存在しなかったと社内報で
書いている。)

●墜落事故の原因 

 墜落事故の原因については、いろいろな説がある。
公式には、圧力隔壁と呼ばれる後部の壁が破裂し、それが尾翼を吹き飛ばしたからということ
になっている。
しかしほかにも、尾翼のボルトが緩んでいたのが原因とか、アメリカ軍用機のミサイル誤射説
などもある。

 どうであるにせよ、「航空会社の組織的、構造的な問題を浮き彫りにする」というのは、あまり
にもひとりよがり過ぎる。
当時の世相を振り返っても、当時はそういう時代だった。
労使紛争はあちこちで起きていた。
日本航空のことはよく知らないが、旧国鉄における労使紛争には、ものすごいものがあった。
そういう中で、懲罰左遷というのも、あったかもしれない。

しかしこの言葉は、当時、海外勤務をしていた人たちに対して、失礼極まりない。
商社マンのばあい、海外勤務はあこがれの的だった。
また当時は、2年程度を限度とする短期出張は当たり前だった。
短期出張は、単身赴任が原則だった。
それを「懲罰左遷」とは!

●日航123便

 さて本題。
作家の山崎豊子氏は、「犠牲になられた方、遺族の気持ちを思うと今も義憤にかられます」(毎
日JP)と述べている。
山崎豊子氏にしてみれば、たとえ思い込みであるにせよ、そうとでも言わなければ、自分の立
場がない。
つまり「義憤にかられて、あの本を書いた」と。

 しかしそうであるなら、また話は振り出しに戻ってしまう。
労使紛争と日航123便の事故が、どうして結びつくのか、と。
つまり山崎豊子氏としては、日本航空をどうしても悪玉に仕立てあげなければならない。
「義憤」という言葉も、そこから生まれた(?)。
が、どうして義憤なのか?

 もし日本航空に「組織的、構造的な問題」があったとするなら、それを追及してこそ、「信念と
良心の人」ということになる。
私には、恩地なる人物には悪いが、恩地という人は、やはりただの会社人間にしか見えない。
殴られても、蹴られても、会社にしがみつく……。
「一社懸命」という言葉は、そういう人のためにある。

繰り返すが、その「組織的、構造的な問題」を追及した人ではない。
会社の裏命令で、恩地は労働組合の委員長になり、労使紛争の茶番劇を演じて見せる。
が、それをやり過ぎたため、アフリカと中東に左遷。
今度は新社長に呼び戻されて、再び本社勤め。
その過程で、恩地は、安全運行についての発言は、一度も行っていない。
それもそのはず。

 もし恩地が、安全運行のことを口にすれば、それこそまさに日航123便の墜落事故は、会社
側の責任ということを認めることになってしまう。
これは山崎豊子氏にとっても、まことにまずい。
そのまま直接的に、確たる証拠もないまま、日本航空の経営者を加害者と認めることになって
しまう。
そのまま名誉毀損で訴えられても、文句が言えなくなってしまう。

 そこで山崎豊子氏は、日本航空を何としても、悪玉に仕立てあげねばならなかった。
それが『沈まぬ太陽』ということになる。
で、山崎豊子氏は、こう述べている(毎日JP)。

「今の日本に必要なのは、恩地のように、たった一人になっても筋を通し、信念と良心を持ち続
ける人だ」と。

 とすると、また話がわからなくなる。
もしそうなら、なぜ日本航空なのか?
どうして、今というこの時期なのか?

●名誉棄損

 この映画は、明らかに、日本航空という1企業の名誉を著しく毀損している。
映画『沈まぬ太陽』を見た人なら、だれでも、そう思う。
「名誉棄損」という言葉があるが、もしこれを名誉棄損と言わないなら、では、いったい、名誉棄
損とは何かということになってしまう。

 日本航空は、実在する、1企業である。
墜落事故が起きた当時、3公社は、つぎつぎと民営化を果たしている。
日本航空も、まさにその日、民営化に向けて、その第一歩を決議しようとしていた。
その企業を、明らかにその企業とわかる形で、こうまでこういう露骨に、攻撃してよいものか。
もし「信念と良心の人」を描きたいのなら、何も日本航空にする必要はなかったし、あの日航1
23便事故と、からめる必要はなかった。

●映画論

比較するのもヤボなことだが、最近観た映画の中に、『チェンジリング』という映画があった。
行方不明になった息子を懸命に捜そうとする母親を描いたものだが、途中で、役人の欺瞞に
翻弄される。
が、その母親は闘いつづける。
そして最後に、自分の息子を取り戻す。
そういう母親を、「信念の人」という。
もちろん映画もすばらしかった。
最後は、涙がポロポロとこぼれた。

 先週の夜は、『路上のソリスト』という映画を観てきた。
最後のしめくくりが甘かったが、実話ということ。
それに現在進行形ということ。
それで「そういうしめくくりの仕方にするしかなかったかな」と納得した。
が、そのソリストをコラム(新聞記事)にすることによって、ロサンジェルスのホームレスの待遇
が、大きく改善された。

 またおとといの夜は、これはDVDだったが、『扉を叩く人』というのを家で観た。
アメリカの移民政策の中で、シリアへ強制送還される男性と、それを救い出そうとする大学教
授の映画だった。
映画を通して、監督は、アメリカの移民政策を痛烈に批判する。
この映画は、アカデミー主演男優賞の候補にあがっている。

 これら3本は、どれも秀作で、星は、4つか5つ。
主演した俳優たちもうまいが、それをまわりからかためる、脇役たちの演技もうまい。
もちろん内容も、濃い。

 が、である。
当然のことながら、個人はもちろん、公的な機関ではあっても、その機関とわからないような形
で、映画の中に登場させている。
またそこで働く職員の名誉を傷つけないような形で、俳優たちは演技している(「扉を叩く人」
の、移民局の職員など。)
こうした配慮は、映画のみならず、公の場所で、自説を唱える者にとっては、最低限守らなけ
ればならないマナーと考えてよい。
つまり相手が日本航空だからよいという論理は、まったく通用しない。

 で、日本航空内部では、この映画について、名誉棄損で訴えるという動きもあるという。
当然、訴えるべき映画と考えてよい。
今は何かとたいへんな時期かもしれないが、後日の裁判闘争に備えて、公式な抗議文を1通く
らいは、出しておいたほうがよい。
「無視」イコール、「黙認」という形になるのは、避けた方がよい。

●表現の自由vs表現の暴力

 一般論として、テレビや映画に携わる人たちは、もう少し謙虚になったらよい。
「マスコミ」という武器を手にしたとたん、好き勝手なことをしたい放題している。
あるいは「マスコミ」を背に負ったとたん、態度が横柄になる。
威張りだす。
自分たちが、日本の代表であるかのように錯覚する。

 簡単なことだが、「表現の自由」と「表現の暴力」はちがう。
威張るのは勝手だが、だからといって、表現の暴力をしてよいということではない。
たとえば1社員の信念と良心だけを描くなら、それは「表現の自由」である。
しかしそこに日本航空をからませ、さらに日航123便の墜落事故をからませたら、それは表現
の暴力ということになる。
いくら「この映画はフィクションです」と断っても、その程度で、責任が回避できるような問題では
ない。

 さらに言えば、WK監督は、原作者の山崎豊子氏を最前面に押し出すことによって、自らに
ふりかかる責任を回避しているかのようにも見える。
脚本家を3人替えたとか、脚本をそのつど山崎豊子氏に見せ、校閲してもらったとかなどという
話も漏れ伝わっている(某週刊誌)。
そして今度は、山崎豊子氏と同席で、映画を鑑賞したという(毎日JP)。

 「この映画は、山崎豊子原作の『沈まぬ太陽』を忠実に映画化したものです」と。
「だから私には責任はありません」と。

 もしそうなら、つまりこうした一連の行為が、自らへの責任を回避するためのものであったと
するなら、日本航空への名誉棄損を事前に確信していたことになる。
罪は重い。

 とは言え、『沈まぬ太陽』は、主演の渡辺謙をのぞいて、……というより渡辺謙だけが浮いて
しまったような映画で、映画としては、つまらない。
「2度目を見たいか」と問われたら、答は、「NO!」。
全体に説教ぽい映画で、観ていて何度も不愉快になった。
私たちは、貴重な時間をつぶし、劇場へ足を運ぶ。
そこでお金を払って、映画を観る。
WK監督は、そうした観客の心を忘れてしまっている。

観てから10日以上も過ぎたが、その感想は、今も消えない。

+++++以下、毎日JPより+++++

映画:「沈まぬ太陽」山崎豊子さんが鑑賞 「今も信念と良心の人が必要」

ジャンボ機墜落事故を引き起こした航空会社の組織的、構造的な問題を浮き彫りにする。主
人公の恩地元(主演・渡辺謙さん)は、社員の待遇改善のため、組合活動に力を尽くす。が、
報復人事に遭って中東やアフリカに配転させられる。良心や出処進退のありか、組織と個人
の間にそびえる壁などさまざまなことを考えさせられる。上映時間は3時間22分と日本映画と
しては異例の長さ。

 山崎さんは「犠牲になられた方、遺族の気持ちを思うと今も義憤にかられます」。時に声を詰
まらせながら、「自分の映画で泣いたのは初めて……。渡辺謙さんの演技が素晴らしかった」
と評した。

 長文の手紙を山崎さんに送り、主演を懇願した渡辺さんと同様、WK監督も山崎作品を撮る
ことを切望した。「自分でもよくぞ撮り終えたな、と思います。先生からは『(「不毛地帯」の映画
化以来)映画化は33年ぶり。完成するまで死ねないわ』と言われていましたから両肩がいつも
重かったですね」

 山崎さんは「映画は、人間の心の内を丹念に描いていて見ごたえがありました。今の日本に
必要なのは、恩地のように、たった一人になっても筋を通し、信念と良心を持ち続ける人。特に
男の人たちに見てもらいたい」と語った。
(毎日JP 2009-11-09)

+++++以上、毎日JPより+++++

●日本映画

 最後に一言。

 日本映画というと、どれもどうしてこうまで底が浅いのかと思う。
俳優にしても、演技、演技していて、薄っぺらい。
力みすぎ。
顔と声だけで演技する。
しかも不自然。
動作も話し方も、ぎこちない。
そのため観客として、感情移入するのが、むずかしい。
ときにその前に、はじき飛ばされてしまう。

 山崎豊子氏は、映画『沈まぬ太陽』を絶賛しているが、一度でよいから、
先にあげた『扉を叩く人』(The Visitor)、あるいは『チェンジリング』のような映画を
観てみるとよい。
そのちがいが、よくわかるはず。
(私は毎週1本程度、劇場で映画を観ているぞ!)

 『沈まぬ太陽』にしても、(1)まず俳優がペラペラと、文章を読むようなセリフを言う。
つぎに(2)視線を外へはずし、何かを思いつめたように、別のセリフを言う。
そんなシーンがいくつもあった。
恐らく監督の演技指導に従ってそうしたのだろう。
が、その言い方が、みな、同じ。
俳優自身が、自分を殺してしまっている。
監督の前で、委縮してしまっている。
もっと俳優自身がもつ個性を尊重して、それを前に出すようにすればよい。
つまり「自然な演技」。
それが重要。
それをもっと大切にしたらよい。
(当然、俳優側にも、それなりの努力と精進が必要になるが……。)

 とくにひどいのが、恩地の妻役を演じた、SK。
イプセンの『人形の家』に出てくる、「人形妻」を思い起こさせた。
できすぎというか、まるで心を開いていない。
「あんな夫婦がいるか!」と、私はそう思った。

 『沈まぬ太陽』という話題作に、あえてケチをつけてみた。
「沈まぬ太陽」と言いながら、今、その「太陽」は、沈むか浮かぶかの瀬戸際で
苦しんでいる。
このままでは、本当に沈んでしまうかもしれない。
だとするなら、映画のタイトルを、こう変えたらよい。
『沈め、この太陽!』と。
そのほうが、よほど、正直なタイトルということになる。
もともとそういう意図で作られた映画(本)なのだから……。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW 沈まぬ太陽 山崎豊子 映画評論)


Hiroshi Hayashi++++++++Nov.09+++++++++はやし浩司

*******以上、2009年11月11日まで**********
(はやし浩司、満62歳と15日)



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児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 はやし浩司・林浩二(司) 林浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐

阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 Hiroshi Hayashi / 1970 IH student/International House / Melbourne Univ.

writer/essayist/law student/Japan/born in 1947/武義高校 林こうじ はやしこうじ 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ

 金沢大学法文学部卒 教育評論家 ハローワールド(雑誌)・よくできました(教材) スモッカの知恵の木 ジャックと英語の木 (CAI) 

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